1. HOME
  2. ブログ
  3. 機関紙るうてる
  4. るうてる2023年
  5. るうてる2023年05月号

刊行物

BLOG

るうてる2023年

るうてる2023年05月号

機関紙PDF

「むすんでひらいて」

日本福音ルーテル健軍教会・甲佐教会牧師 安井宣生

(イエスは)言われた。「聖霊を受けなさい。」ヨハネによる福音書20章22節

 健軍教会のシンボルツリーはハナミズキです。蕾のような包葉は花を覆ったまま膨らみ、やがてそれは頂点を残して裂けるように開きます。そのまま大きくなった後、上に残った結び目をほどくようにして広げます。文字通り、結ばれていたものが開き中の小さな花が姿を現してゆく。とても不思議で美しく、結び目が解けるまでの緊張感と共にその優雅な姿に心を動かされます。

 イースターの夕方に弟子たちは「恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけて」(19節)いました。口語訳聖書では「戸をみなしめて」、岩波訳聖書では「〔すべての戸〕」としています。「戸」は複数です。弟子たちは恐れのあまり、いくつもの戸を閉ざして一番奥の部屋に閉じこもっていました。もしくは実際の戸は一つであったとしても、弟子たち一人ひとりは心の戸を閉ざしていました。裏切り見捨てたイエスが処刑され、自分も逮捕されるかもしれないと、これまでの充実した日々が覆される事態に恐れおののいていました。この人たちを守るものが「戸」でした。それを固く閉ざし、息を殺し、震えて潜み、落ち込んでいたのでした。しかし、この弟子たちの真ん中にイエスが来ました。そして弟子たちに息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい」(22節)と言います。聖霊による具体的な行動として、赦しを弟子たちに託したのでした。

 閉じこもる弟子たちは私たちです。人間関係での破れや傷を経験することがあり、誰かのしんどさを支えきれず後ろめたさを抱くことがあり、攻撃的な言葉に疲れ果て心が塞ぐことがあり、社会の不条理に怒りを覚えることがあります。けれど、そこにこそイエスは来て、聖霊により固く結ばれてしまっているものを解くのです。

 『むすんでひらいて』は広く知られています。ルソーが作曲したオペラの曲だそうです。やがて讃美歌となり、日本でも『キミノミチビキ』というタイトルで明治、大正時代の教会で歌われました。やがて唱歌となり『見渡せば』と春秋の美しい風景を歌い、さらに戦中は軍歌『戦闘歌』となりました。そして戦後、小学1年生の教科書に『むすんでひらいて』として登場し、私たちがよく知る歌となっています。
 日本の教会では歌われなくなるも、世界では現役の賛美歌です。「主よ、あなたの祝福で私たちを解き放ってください。私たちの心を喜びと平和で満たしてください。荒野を旅する私たちを新たにしてください」と歌われます。この歌は神のわざとそれによる解放を歌うのです。『むすんでひらいて』とこの賛美歌の歌詞とは別なものですが、不思議な経過をたどって私たちに届けられました。そこに私たちの心や他者との関係を重ね合わせるならば、聖霊が吹きかけられることで、閉じた心を開かれ解放されることを祈るものと言えるのではないでしょうか。戸を閉じて結んだ心は聖霊によって開かれます。それでもまた閉じて結んでしまうこともある私を解放し、私と神とを、そして私たち同士を再び結び合わせるのです。

 ペンテコステも、神の生きた働きである聖霊によって、私たちを「むすんでひらいて」、そして「むすぶ」出来事です。それは赦し赦されるという一点で関係を結び合わせ、その緊張を保ちつつ花びらのような葉を広げるハナミズキのように、健気で美しい姿で希望を与えるものとなるのです。ペンテコステは教会の誕生と呼ばれていますが、教会とはまさに赦され・赦すことにより解放され深く結び合うための器として生まれました。連なる一人ひとりはその器の大切な一部です。

 その手と脇腹に傷を負うことで愛情を注いでくださったイエス・キリストが、たとえ見ることや触れることができなくとも、息を吹きかけ続け、つながりを持ち続けてくださいます。花は散ってもそこに咲いていることを思い描けるように、姿はなくとも祈りの言葉で心を通わせ合うことができるように、イエスの息もイエスの声も確かにあり、私たちはそれを抱き続けるのです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊳「ぬくもりの中で」

「神の前では、わたしもあなたと同じように/土から取られたひとかけらのものにすぎない。」(ヨブ記33・6)

空を見上げてみると「あー雲が変わってる。季節が変わってきてるんだ。」としばらく上を見てからふと下を見ると、冬のあいだは枯れ葉が土を温めるかのようにふわりと土の上に広がっていました。
テレビドラマで何度か人が枯れ葉の下に潜って暖をとる姿を見たのを思い出しました。
「冬のあいだ枯れ葉が土を寒さから守ってたんだね」と思っていると土の上の枯れ葉の上に白いものが降ってきました。「あれ雪?」よく見るとそれは小さな白い花びらでした。土の上に枯れ葉、枯れ葉の上には花びら、なんか素敵だなぁと思い、枯れ葉の下を覗くとひょっこりと緑の草が…あれ挟まれてる。春と春のあいだに冬がサンドされてる。このように季節って変わっていくんだなぁと思います。
しばらくすると土の上は断然、緑色の草がいっぱいになります。
目に見えて手で触れる世界でもこのようにいっぱい素敵な変化があるなら、きっとそうではないいろいろな世界にも素敵な変化が生まれているんだろうなぁと思うとワクワクします。
誰に教えていただく?
私たちは全ての世界をご存知の神様を知ってます。神様にお聞きしてみませんか?

議長室から 大柴譲治

羊飼いキリスト

「主は私の羊飼い。/私は乏しいことがない。/主は私を緑の野に伏させ/憩いの汀に伴われる。/主は私の魂を生き返らせ/御名にふさわしく、正しい道へと導かれる。」(詩編23・1~3、聖書協会共同訳)

 2018年8月号から始まった「聽〜議長室から」も今回が最終回。5年間で58回書かせていただきました。これまでのお支えとお祈りに感謝いたします。
 最後は詩編23編について記すと決めていました。この詩編を愛唱聖句とされている方も少なくないことでしょう。葬儀や記念会でもよく読まれる味わい深い詩編です。前任地のむさしの教会の礼拝堂には米国製の羊飼いのステンドグラスがありました。2008年の耐震補強工事を経て、今も木造の礼拝堂正面に美しく輝いています。『東京の名教会さんぽ』(エクスナレッジ2017、p.85)にも掲載されています。ステンドグラスは「眼で見る説教」ですが、この羊飼いのステンドグラスは見ているだけで深く慰められます。どの角度から見ても羊飼いに見つめられているように見えるから不思議です。
 「真の羊飼いはただキリストのみ。牧師は迷子の羊が出ないように群れの周りを走り回っている牧羊犬のようなものです」(賀来周一語録)。言い得て妙ですね。「牧師も羊の一匹です」と語る先生もおられます。確かに私たちルーテル教会では牧師も信徒の一人です。「全信徒祭司性」を私は「全信徒牧会者性」として捉え、「信徒相互牧会」を積極的に位置づけたいと願ってきました。信仰共同体としての教会は、主日は礼拝のために「一つに集められた(オンラインでつながる人も含めると「一つに結び合わされた」と言うべきかも知れません)共同体」ですが、月曜日から土曜日までは信徒一人ひとりがそれぞれの場に派遣され「散らされた(ディアスポラの)共同体」です。集められている時も散らされている時も、顕在と潜在を通して私たちはキリストを頭とする一つのキリストの教会なのです。
 ボンヘッファーの『共に生きる生活』を想起します。「神は、われわれがその生けるみ言葉を、兄弟の証しを通し、人間の口を通して、求めまた見出すことを望み給う。・・・自分の心の中のキリストは、兄弟の言葉におけるキリストよりも弱いのである」(ボンヘッファー著・森野善右衛門訳『共に生きる生活』新教出版社1975、p.10)。神は私たち一人ひとりの具体的な声を通してキリストの声を伝えようとしておられる。これこそ信徒による相互牧会であり、羊飼いキリストご自身による魂の配慮です。主こそわが牧者、私には乏しいことがない。私たちがこのような聖徒の交わりの中に置かれていることを心から感謝しつつ、筆を置かせていただきます。
「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」(ネヘミヤ記8・10)

「教会讃美歌 増補」 解説

㉟増補21番「彼女は優しい価値あるおとめ」・増補22番「三つであり 一つ」

石丸潤一(西日本福音ルーテル新田教会牧師)

㉞増補19番「キリエ エレイソン」・増補20番「神の小羊」
松本義宣
(東京教会・東京池袋教会・板橋教会牧師)

増補21番「彼女は優しい価値あるおとめ」
 「彼女は優しい価値あるおとめ」の歌詞に登場する「彼女(Sie)」とは誰でしょうか。
 この歌詞は、ヨハネの黙示録12章が背景となっています。ここに登場する女性は、「鉄の杖ですべての国民を治める」(ヨハネの黙示録12・5)男の子を産むとあります。ですから、多くの人は、黙示録12章とこの賛美に登場する女性を主の母マリアだとイメージするでしょう。賛美の2節に登場する「十二の星」も、マリアの聖画のモチーフに使われています。
 ですがルターは、この黙示録12章の女性は、マリアのことだけをあらわすのではなく、主に結ばれた教会をもあらわしていると考えたようです。この賛美は、聖母マリアの賛歌というよりは、むしろ教会に対する尽きせぬ神様の愛と守りを歌っていると考える方が良いでしょう。そこで讃美歌委員会は、その意図がはっきり伝わるように、「彼女は教会」という歌詞を冒頭に入れました。
 神様は、教会を「価値あるおとめ」と呼び、大きな災いやサタンの力が取り囲む苦難の中でも守り通してくださいます。

増補22番「三つであり 一つ」
 「三つであり 一つ」は、ルター最晩年の賛美の一つです。三位一体のラテン語聖歌「O lux beata trinitas」をルターがドイツ語に訳したこの歌詞は、「永遠」ということばが印象的です。病を負い、自らの終わりを思いながら、ルターは、この歌詞を通して、主に生かされている今も、そして死の向こうにある永遠まで、神様だけが私の光であり、賛美されるべき方だと、自らに、また人々に、伝えようとしたのかもしれません。
 讃美歌委員会は、「今も永遠に」ということばで各節を締め、そのことを深く味わう歌詞に訳しました。
 人生に訪れる苦難、そして果てに待つ死が、私たちの心を乱すことがあるでしょう。これらの賛美は、私たちを愛し、力を注ぎ、悪の力に勝利させてくださる神様が、いかなる時にも共におられ、やがて死に勝利する永遠に導き入れてくださると思い起こさせ、教会とクリスチャンに、主にある勇気と希望を与えます。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

信仰による促しによって働く教会

 ロシアがウクライナに軍事侵攻して1年以上が経過しましたが、ウクライナにあるドイツ福音ルーテル教会(GELCU)は2022年6月にLWFに加盟し、教会周辺住民への支援を続けています。1年が経過してパブロ・シュヴァルツ監督が、教会が行っている人道支援や戦時下における信仰生活について話してくれました。
 LWFは2023年1月最終週にハルキウでシュヴァルツ監督と会いました。インタビューの場所はLWFとGELCUが支援対象としている学校体育館。ここで暖をとりスマホを充電したり温かい食事が支給されます。
―ハルキウの現状はいかがですか。
「インフラ施設へのミサイル攻撃を除けばこの2、3ヵ月は比較的安定しています。市民100万人の街はミサイル攻撃を受けている北部を除けば機能しています。」
―侵攻から1年が経過して市民はどう受け止めていますか。
「ハルキウの状況は特別です。多くの人たちが国境の向こう側(ロシア側)ベルゴロドに家族がいて感情的に難しい部分があります。なぜならハルキウへの度重なる攻撃がベルゴロドから来るからです。ロシアによる侵攻が家族間にも緊張関係をもたらしています。」
―市民もハルキウに戻ってきているようですね。
「家を失ってしまえば仕事も生活もできなくなります。それにやはり故郷に戻りたいのです。戦争が起きる前の時間を取り戻したいのです。信仰をもつ人は教会とのつながりもあります。各自が何らかのつながりを大切にしているからです。ただ心情的には厳しく、多くの人が鬱を経験しています。」
―教会の現状を聞かせてください。
「私たちは小さな教会です。ウクライナの他の都市や海外へ移住した人もいます。人道支援と教会の宗教活動は切り分けていて、一般の人々に対しての支援も礼拝出席することを条件にしたりはしていません。教会では礼拝や集会を催すほかに支援活動をしています。信徒は支援を受けながらも、貨物の荷下ろしや配給をして支援をする側でもあります。支援の形は直接支援です。大がかりな配給ではなく個人レベルです。その方がごまかしもなく必要な人に直接渡せます。」
―支援活動について教えてください。
「11ヵ月経ってニードは変わってきました。当初は避難の支援でした。スタッフの数も少なくたいしたことはできませんでしたが、それでもウクライナ内外で移住する場所を探すお手伝いはできました。パンや牛乳、それにパック入りの食事を配ったりもしています。国連のように大規模な配給ではなくできることをしています。国連が米やパスタを配るようになると我々はその配給を止めました。春には医薬品を配りましたが、薬局が利用できるようになったのでそれも止めました。また食糧引換券のお手伝いもします。今は120人ほどの人たちに向けサービスをしています。5月からは子どもたちのためのパソコンクラスをやっています。」
―戦時下であってもこうした働きを続けられる秘訣は何ですか。
「私の場合ははっきりしていて、信仰があるからです。イエス・キリストを信じる信仰が私たちの働きの動機です。人々に対して無関心でなく知恵を使って助けるようにと信仰が促してくれるのです。」

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

コミュニティ・カフェ@大久保・高田馬場~出会い、交流、相談、憩いの場となるように

 東京教会「牧師カフェ」、前任の関野和寛・後藤直紀両牧師時代に、地域に開かれた「カフェ」と「ヌーンサービス」という祈りと音楽の会が、毎週水曜日に行われていました。が、コロナ禍のため休止となり、また担当奉仕者の確保等の課題もあり、再開を模索中でしたが、国内外の災害支援を担う特定非営利活動法人「CWS Japan」(Church World Service Japan、ACTジャパンフォーラムをNCCと共に組織)との共催で、新たに「コミュニティ・カフェ」(仮称)を開店(!?)することとなりました。CWS Japanは、外国人が多く住み生活する大久保で、特に災害時に自治体からの支援が届かない外国の方々に、どんな支援が可能かを模索し、地域との協力、協働を探り、まず状況把握から始め、生活相談会の開催等の会場提供から、私たち東京教会との関係が始まりました。教会を会場に、地域の方々の「出会い、交流、相談、憩いの場」の提供はできないかと話し合い、以前の「牧師カフェ」のノウハウを生かして取り組むことにしました。これは、地域貢献を目指す教会と、地域で活動を担おうとする団体との出会い、コラボ企画になりました。教会は「場所はある、しかし、働き手がいない(地域居住で継続的奉仕が可能な教会員はいない)」、一方、CWS Japanは、「ボランティア活動の人員はいる、しかし、場所がない(拠点がない)」で、いわゆる「ウィンウィン」が成立したのです。
 とりあえず、毎月第1、第3水曜日の午後1~5時に「営業」(!?)、以前の「カフェ」に倣い、ライヴ演奏や展示、また今回は、在日外国人のための相談業務も専門家が常駐し、日本語教室や、参加者による自慢の外国料理教室(及び楽しい試食会?)等も行っていきたいと思います。ただ以前と違うのは、伝道として教会の地域奉仕の業ですが、「布教」はしません。もちろん、希望があれば個別の「牧師とおしゃべり」はできますが、基本、どんな宗教・信仰の人も自由に集い、語り合い、尊重される「コミュニティ・カフェ」を目指したいと願っています。

エキュメニカルな交わりから

⑭NCC神学・宣教委員会
宮本新(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校専任講師)

 日本キリスト教協議会(以下NCCと表記)には、「宣教・奉仕」、「国際」、「総務」、「神学・宣教」という四つの部門があります。今回紹介する神学・宣教委員会はその一部門である「神学・宣教」部門に属し、協議会とその活動について神学的側面からの検討、また宣教会議を組織するところに目的があります。宣教と神学は、「理論と実践」というようにしばしば別々の事柄として、対立するかのように議論されることがあります。しかしこうした委員会が存在することは、神学と宣教が元々コインの表と裏のような関係にあることを考えてきたのかもしれません。宣教には、人が人となしていくことと、神を前に祈り思索する両面がありますから、かならず振り返りと話し合いが必要になります。神学する場面はここにあるのだと思います。
 近年の委員会活動にとって、2019年に開催されたNCCの宣教会議、そしてとりわけコロナ危機が大きなことでした。そこでの諸教会の経験を受け止め、神学的作業の遂行が求められていました。特に教会の取り組みが中断する中での困難、オンラインの可能性と課題、そして感染症対策の陰でますます大きくなっている苦難の現実をどのように受け止め考えるのか、協議会全体の祈りと議論に委員会も加わりました。
 またローマ・カトリック教会が第16回シノドス総会を開催するにあたり、日本の司教団からNCCに対する懇談への招待がありました。これを受けて、委員会は、シノドスに関連した対話のための文書検討の作業に加わりました。
 エキュメニズム運動は、かつてはキリスト教界内の一致を促進する立場や運動という印象でしたが、戦争や疫病、そして災害や地球規模の課題の切迫感が増している昨今、キリスト者と教会においてかかせない視点を提供しています。神さまが作られたこの被造世界を生きているのは「わたしたち」だけではありません。神と隣人、そして他のいのちある生命世界と共に生きるためにかかせない平和と共生の祈りが根底にあります。委員会はその一枝として役割を担っていることになります。

エルスベス・ストロームさん記念会の報告

秋山仁(豊中教会牧師・神戸東教会喜望の家代表)

 かつてドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル領邦教会の宣教師として、大阪市西成区の日雇い労働者の町、通称「釜ヶ崎」で働かれていたエルスベス・ストロームさんは、昨年10月5日、享年100歳で天に召されました。11月5日には、葬儀が南ドイツのシュヴァンベルクで行われましたが、日本でも彼女の働きを記念して、今年2月18日、喜望の家主催で記念会を行いました。開催にあたっては、生前のストロームさんの思い出を分かち合うだけでなく、釜ヶ崎の内外で働いている自分たちが、何を彼女から提起され、今も受け継いでいるのかを語ってもらう会として企画しました。
 午後1時から追悼礼拝を行い、その後は、シンポジウム形式で、生前のストロームさんと交流のあった前島宗輔牧師(日本基督教団隠退教師)、森本典子さん(日本福音ルーテル賀茂川教会会員)、前島麻美さん(前・山王こどもセンター代表)、原野和雄(日本基督教団隠退教師)夫妻からお話を伺いました。また会場からは、釜ヶ崎キリスト教協友会のメンバー3人が、それぞれ発言してくださいました。その他にも小柳伸顕さん(元関西労伝専従)と、かつてストロームさんと一緒に働かれていた田頭夏子さん(山王ベビーセンター職員)から、それぞれ手紙でメッセージが寄せられ披露されました。会の最後は、大柴譲治総会議長にご挨拶いただきました。
 それぞれの証言からは、彼女の人柄や各々が受けた影響を知ることができました。特にストロームさんがいたからこそ、釜ヶ崎地域でのカトリックとプロテスタント諸教会・施設の共同の活動が、協友会という形で始まったこと、また目の前の課題に対する彼女のぶれることのない姿勢が、山王地区での保育事業(山王ベビーセンター)や、釜ヶ崎でのアルコール依存症に対する活動(喜望の家)につながっていたこと等の報告は、改めて今日の私たちが、彼女から受け継いでいるモノへの責任を強く感じさせられました。

ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校の新年度が始まりました

石居基夫(ルーテル学院大学学長)

 2023年度のルーテル学院大学は、総合人間学部48名(編入学を含む)、大学院15名の新入生を迎えました。また日本ルーテル神学校には牧師養成コースに佐藤孝洋さん(NRK札幌中央ルーテル教会)、澤田春貴さん(NRK飯能ルーテル教会)の2名の新入生を迎えました。4月3日、感染が収束しつつある状況を受け、久しぶりに大学・大学院と神学校がそろった形での入学式を行い新しい学生生活をスタートいたしました。神学校では、さらに翌4日に入学始業聖餐礼拝が行われ、立山忠浩校長の説教「協働と自己研鑽」によって新年度への歩みを始めました。

大学の改革
 今年から大学では新しいカリキュラムを用意して学生たちを迎えました。
 これまでと同様に社会福祉士や公認心理師の資格取得可能な「社会福祉学系」「臨床心理学系」のカリキュラム、そしてキリスト教を軸とした「人間学系」では、「聖書を基礎としたキリスト教的人間理解」「人間の尊厳・人権と倫理」「宗教と文化」、また「スピリチュアル・ケア」や「子ども支援」の科目群を整えました。困窮する現代に、「共に生きる」社会を実現する人材育成を目指しています。
 チャプレンは、河田優チャプレンが兼任体制へと変わるため、近隣の牧師(平岡仁子、坂本千歳、李明生、高村敏浩)を加えたチーム体制で臨むこととなりました。

学生寮の閉寮
 15年前に全国の教会からご支援もいただいて改修されたルター寮ですが、今の学生を迎えるための施設的課題もあり入寮者減、そして危機管理上の課題もあり、学生受け入れが困難と判断し、閉寮の決断に至りました。JELCの神学生については当面日本ルーテル教団のルターハウスで受け止めていただき、生活の場所とすることとなりました。
 今後の寮棟利用については、チャペルも含めて神学校生全体の共同性を培う施設として利用してまいります。これまでの寮維持のためのご支援に深く感謝申し上げます。

第30回 春の全国teensキャンプ報告

森田哲史(宣教室TNG委員会teens部門・大江教会牧師)

 新型コロナウイルスの感染拡大のため、2019年を最後に対面での開催を見送ってきた「春の全国teensキャンプ」(以下、春キャン)でしたが、今回4年ぶりに対面での春キャンを開催しました(2021、2022年はオンラインにて開催)。
 コロナ前は例年80名以上の参加者が与えられていました。しかし、今回は対面開催の間が空いてしまったこと、小学5・6年生を対象にしたこどもキャンプも同様に開催が見送られてきたことなどの理由から、参加者は41名となりました。これまで春キャンは、信仰のこと、聖書のこと、普段の生活のことなどを同世代の信仰者と共に、心を開いて語れるコミュ ニティとしての役割が与えられてきました。teens部門では、そのコミュニティをいかに作り直すか、ということが今回の大きな課題と考え、準備を進めてきました。
 今年のテーマは「REUNION(再会)」として、信仰の友との再会を喜び、何よりも神さまと再び出会う場となることを願い、プログラムの準備を行いました。聖書の中のたとえ話などを現代風にアレンジした劇を作り、身近な経験を通して出会う神様の存在を考えました。また、閉会礼拝では参加者全員で連祷を行い、私たちはひとりぼっちではなく、どんなときも神様や仲間たちと愛で結ばれているという恵みを味わいました。
 各教会を始めとする多くの方の祈りと、各教区、女性会連盟、、JELAなどの皆さまのお支えによって、恵みのうちに終了することができました。感謝して報告に代えさせていただきます。

第30回春の全国teensキャンプ概要
開催日程
 2023年
 3月28日~30日
会場
 千葉市自然少年の家
テーマ
 REUNION
主題聖句
 「わたしの目にあなたは価高く、貴くわたしはあなたを愛しあなたの身代わりとして人を与え 国々をあなたの魂の代わりとする」(イザヤ43・4)
参加者
 41名(東9、東海17、
 西3、九州12)
スタッフ
 16名
キャンプ長
 森田哲史牧師
チャプレン
 中島和喜牧師
プログラムのねらい
 神様はどんな時も私たちのことを愛してくださっていることを知る。

東海教区教会会計支援ソフト・L-CAS easyの紹介

 牧師の複数教会の兼任や、役員の方々のなり手不足や事務労力の多さが重荷ともなりがちですが、現場支援のため東海教区では支援ソフトを提供していました。今回、より使いやすいものが発表されましたが、お声掛けをいただいたので全国にも、担当者からご紹介いたします。
(東海教区教区長・徳弘浩隆)

 ここ数年、情報の電子化や各個教会でのITの利活用(2021年に「IT環境整備に係る補助金」を実施)を推進しておりますが、このほど各個教会での会計処理の支援を目的として、教会会計支援ソフト・L-CAS easy(エルキャスイージィー、以下「イージィー」)を開発し、今年の教区総会でご紹介し、利用をお呼びかけしています。
 イージィーは、2018年より提供されていましたL-CAS lite(エルキャスライト、以下「ライト」)という、Excelベースのパソコン用ソフトの後継です。L-CAS liteは、教会で共有使用しているような、特定のパソコンにインストールして使用することを想定していましたし、マクロ機能をまとめたメニュー画面から作業を行うスタイルでした。しかし、会計担当者が変更になっても、各自のパソコンで手軽に使え、機能を限定してもよいので、もう少し簡便に操作できるものが欲しい、という「声」を受けて開発されました。
 イージィーの特長は、メニューベースではなくシート単位の簡単操作で処理を完結できる点、主なデータ入力は、「献金者管理」、「出納入力」、「献金入力」の3つのシートで、これらの入力を行えば、「献金明細表(主日毎)」、「月次出納帳」、「収支表(直近3カ月)」、「年間収支表(A3)」、「決算報告」が自動作成される点が挙げられます。但し、資産管理機能はありません。そして、専用のUSBやSDカードなどの記憶ディスクに保存(図参照)しておけば、会計担当者が代わっても、データ受け渡しが簡単にできます。推奨環境は、Windows10以降、Excelは2016以降(Microsoft365も可)です。
 会計の処理は、各教会で独自のやり方があるかと思いますが、献金管理と出納管理は、どの教会にも共通する機能だと思いますので、イージィーの汎用性は高いと思います。ご興味がおありの場合は、東海教区事務所(担当・石川)まで、メールにてお問い合わせください。
(石川吏志)

関連記事