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るうてる2021年

るうてる2021年6月号

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「天の青空をその会堂の天井とし」

日本福音ルーテル甲府教会・諏訪教会牧師 筑田 仁

「イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。大勢の人が、イエスの周りに座っていた。『御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます』と知らされると、イエスは、『わたしの母、わたしの兄弟とはだれか』と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。『見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。』」
(マルコによる福音書3章31~35節)

 コロナ禍の中、これまで私たちは様々な工夫をして主日礼拝に与かってきました。昨年から続いているこのウィズコロナの時代、私は、教会とは何であるのかと考え、模索してきました。私は、牧師として着任してから1年もたたない内に新型コロナウイルスの感染拡大に遭遇し、心が揺さぶられ、果たして教会とは何であるのかと、考えてきたのです。
 理解は様々です。職制や正典、信条を持ち出して教会を説明する方がいれば、ルーテル教会としては、アウグスブルク信仰告白を用いて説明する方もおられると思います。では、それらの教会論を全て踏まえた上で、私たちは教会とはいったい何であるのかと考えていくのでしょうか。この問いは、神学的な問いだけではなく実存的な問いであると思います。ウィズコロナの時代になり、教会活動の自粛がひびく中、私はあらためて教会とは何であろうかと問いたいのです。

 教会の交わりで傷つき、倒れている方がおられます。傷を負い、心の深いところに痛手をおって、それでも尚、教会生活を続けている方もおられます。このコロナ禍で、交わりが断たれ孤独のうちに暮らしている方もいれば、主日礼拝の讃美のひと時が与えられず、恵みの機会が奪われ、不安の中で過ごされている方もおられます。

 主イエスは、今日の福音書で衝撃的な言葉を告げます。母と兄弟姉妹を目の前にして「私の母、私の兄弟とはだれか」と言うのです。端的にまとめると、主イエスは周りに座っている人々を見回して、「神の御心を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ」と、私たちの常識や既成の考え方を覆すような言葉を述べるのです。主イエスは私たちの家族の垣根を壊し、神の御心を行なう人間こそが、本当の意味での家族であると言うのです。

 私はここで言われていることは、家族だけのことではないように思います。神の御心を行なう者の集まり、それは教会にも当てはまることではないでしょうか。

 ウィズコロナの時代で閉塞感が漂う中、私たちはここでの主イエスの斬新な発想を突き詰めて考えていくとき、教会に対する私たちのこれまでの既成概念をもっと越えでて、考えても良いのではないでしょうか。

 ここで再び問います、教会とは何でしょうか。この問いを胸に、コロナ禍でよたよたと歩いていた私に語りかけて来る言葉がありました。それは内村鑑三の言葉です。
「神あり、キリストあり、聖霊あり、神と人とを愛する心あり、其教会堂は上に蒼穹(そうきゅう)を張り、下に青草を布(し)きたる天然なり、其礼拝式は日々の労働なり、其音楽は聖霊に感じたる時の感謝の祈祷なり、其憲法は聖書なり、其監督はキリストなり、而(しか)して其会員は霊と真とを以て神を拝する世界万国の兄弟姉妹なり」(『新希望』74号より)

 詩情あふれる表現です。この内村鑑三の教会への視点は、私の心を揺さぶりました。ぬけるような天の青空をその会堂の天井とし、大地の豊かな青草をその会堂の床とし、森の小鳥の声を賛美の声とする教会。私は、主イエスが弟子たちとガリラヤ湖を歩く姿を思い浮かべつつ、この比類なき教会のスケールの大きさに心を奪われました。主イエスの言葉と内村の言葉が、私の中でこだましたのです。

 教会とは、私たちの垣根や想像を越え、この宇宙的な賛美の声が響いている場として存在している、そのような新たなインスピレーションが与えられました。この教会には深い喜びがある、直感的にそう感じました。閉塞感に包まれた教会の状況の中で、内村の言葉は私たちの既成の考え方を打ち壊します。星が輝き、宇宙全体を包み込んでいる壮大なスケールの内にある教会の姿を提示しているのです。広大な宇宙と教会の姿が重なりあっているのです。

 この宇宙(コスモス)の教会に私たちは包まれています。この気づきから、私たちは明日の教会のビジョンを見ていきます。私は今、いのちに溢れる教会に生きているのだ、このまばゆい大地と、静かにさえずる小鳥の讃美と共に、宇宙を感じ、神の言葉を感謝と共に聞きながら—

連載コラム「命のことば」 伊藤早奈

⑮「土」

「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」(創世記1・31)

 咲いた、咲いた、チューリップの花が…赤・白・黄色…♪幼い頃よく歌った歌の一つです。でも季節やいろんな状態で彩りを変えて、私たちを和ませてくれるものは花や草木だけではありません。

 その中の一つが「土」です。「今朝は白いな。霜が降りてるんだ。」「今日は乾いてる。なんだか暑そう。」そして雨が降ると雨が染み込み黒くなります。

 草がいっぱい茂っている時は、真夏の光の中でも草の影になって黒いのに、全く影になっていない所は乾いています。「土」も生きているんですね。「土」はいろいろな思い出を運んでもくれます。

 何年か前のイスラエルへの旅でした。そのツアーに参加した皆さんが一緒に乗っていたバスでガイドさんが回すマイクを手にこのツアーに参加した理由を楽しそうに話されていました。私の番が回ってきてマイクを渡された私は「自分の足でこの国の土(土地)を踏みしめたいからです」と言いました。その時は杖をついて歩いていました。いずれ自分は車椅子になって自分の足では歩けなくなるとお医者さんから聞いていても、まさかという思いで半信半疑で言ったのを覚えています。

 私たち一人ひとりも自然の一つ一つの全ても神様に造られて「良し」とされて今があります。

「ありがとう神さま」~みんなでつながろう!~
ZOOMでルーテルこどもキャンプ

8月9日(月・祝)午後2時から1時間程度
(ウェブ会議サービスZOOMを使用します)

テーマ「つながり ~かみさまありがとう~」
主題聖句 「いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい」エフェソ5:20

※プログラムが終わった後、自由参加でフリータイムも予定しています。
詳細は次号でお知らせいたします。

議長室から
総会議長 大柴譲治

打ち砕かれ悔いる心を求める神

しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。/打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません。」(詩編51・19)

 2002年でしたか、潮見のカトリック中央協議会での「インターネットと教会」という講演会に足を運びました。教会のウェブサイト立ち上げの参考にするためでした。講師はカトリック新聞の松隈康史氏。氏は現代社会の持つ三つの特徴を挙げました。①「コンビニ時代」②「多チャンネル時代」③「インターネット時代」。現代は人間の「肥大化した自我の欲望」を満足させる方向で「進化」してきたというその指摘は印象的でした。①「コンビニ時代」。必要なものがあっても以前は夜には店が閉じていて朝まで我慢しなければならなかった。しかし今やコンビニは24時間オープン。実にconvenient!いつでも必要なものが簡単に入手できる。我慢する必要はないのです。②「多チャンネル時代」。昔はテレビで野球のナイター観戦をしていても時間になると途中で終了。「嗚呼、いいとこなのに!」と慌ててラジオに切り替えたものです。しかし今や多チャンネル時代。放映が途中で終わることはありませんし、留守録にすれば好きな時にいつでも再生できる。自分のペースで存分に楽しめる。③「インターネット時代」については言わずもがな。自分の関心に沿って自在にネットサーフィンが可能です。
 確かにこれらの三つは便利にも自我の欲求を満足させてくれます。もちろんアディクティブな危険性があることにも注意しておかなければなりませんが。

 しかし氏は指摘されたのです。私たちは自我/欲望の肥大化の延長線上ではキリストに出会うことはできないのではないかと。ハッとしました。確かに私たちは「自我」が打ち砕かれる中でキリストと出会う。神は「打ち砕かれた霊/魂」を喜ばれるのです。教会のホームページは確かに教会を紹介する入口になったとしてもそこにはやはり信仰者の具体的な交わりが求められてゆきます。もちろんインターネットを通しても神の聖霊は働くことでしょう。「風は思いのままに吹く」のですから(ヨハネ3・8)。私たちは「打ち砕かれ悔いる」体験を通して独り子を賜るほど深い神の愛と憐れみを知る。私たちの教会の交わりがそのような次元を備えているかは問われることでしょうが、個々の〈われ=なんじ〉の出会いを通して悔い改めは生起するのです。

 後日談があります。2017年の宗教改革500年大会(浦上天主堂)で私は偶然松隈氏と再会しました。「神のなさることは皆、その時に適って美しい」。偶然は神の必然でもあると改めて思わされた次第です。

「教会讃美歌 増補」 解説

⑫讃美歌委員からの声⑺
日本ルーテル教団教会讃美歌委員 西川亜季(旭川聖パウロルーテル教会)

 皆様こんにちは。NRK旭川聖パウロルーテル教会の西川亜季と申します。私が讃美歌委員会に参加させていただいてから約8年が経ちました。
私が初めて参加した時には、既に他の委員の方々が出版に向けて作業を進めてくださっており、わからないことだらけの中でのスタートでした。私は当時ピアノ教室をしながら、主日は杉並聖真ルーテル教会で奏楽奉仕をしておりましたが、讃美歌集の成り立ちに関しては無知の状態でした。

 委員会の作業を振り返ると、外国語の歌詞の訳詞を、歌えるよう音符に当てる作業が最も大変だったように思います。音にただ言葉を当てるのではなく、 歌詞は神学的に正しいか、音楽的なフレーズと歌詞のフレーズが合っているか、現代的な言葉遣いか等々…配慮をしながら意見を出し合い、時にはぶつかりながら懸命に皆でまとめてきました。

 そして、創作讃美歌の完成のために作曲という形で関わらせていただいたことは、とても光栄に思っています。私は子どもの頃から作曲が大好きで、26歳の時に洗礼を受けてからは、讃美歌も作曲するようになりました。神様からいただいた「好きなこと」を生かして今回の創作讃美歌の制作に携わることができたのは、とても嬉しく、また楽しいことでした。ピアノ教室を始めた際に夫からフィナーレという楽譜制作ソフトの使い方を習い、生徒の指導のための楽譜を作っていたのですが、そのことは増補版制作の楽譜検討過程で役立ちました(同時に、増補版の楽譜制作のために、より高度な操作を頭を抱えながら説明書で調べ、そこで得たスキルが自分のレッスンの楽譜作りにも役立つという副産物も得ました)。

 4年前に旭川に転居してからはオンラインで委員会に参加していましたが、昨年出産してからは委員としての働きができておらず、申し訳なく思っています。コロナ禍で苦心しながら出版まで作業を進めてくださった委員の皆様に心から感謝致します。そして、私たちの働きを導いてくださった神様、本当にありがとうございます‼この讃美歌集が、皆様の心からの賛美へと繋がりますようにお祈りしています。

私たちの礼拝 —式文ハンドブック—

⑪礼拝式文曲について
中島康文(市川教会)

 2014年全国総会において、改訂式文のために用意された礼拝曲の一部(現在のハートバージョン)を用いてデモンストレーションを行いました。礼拝に用いられる曲の殆どが準備できていたこと、これまでにない曲調であったこと、それがハートバージョンを選んだ理由でした。

 ただ、未だ「案」の段階であったため、譜面をお手元に配布することが出来ませんでした。そのこともあってか、総会後のアンケートでは、「歌が難しく馴染めない、オルガニストがいない教会では用いられない」等の戸惑いや否定的な声が多く寄せられました。その一方、「美しい曲が多く、明るく好感がもてた、若い人たちには歌いやすい」という感想も寄せられました。

 改訂式文のために新しい礼拝曲を3名の方、現行式文の編曲での作業を1人の方(全員ルーテル教会員)に依頼しました。式文委員会には音楽の専門家はいませんので、式文曲に関しては全てお任せしました。是非はともかく、時代を感じさせる新しい発想で作曲してくださったと感じています。2014年の総会後の感想も、全く予想していなかった訳ではなく、「時間をかけ折に触れ紹介し続けるしかない」と再確認したことを記憶しています。

 2017年11月の全国教師会では、市川教会の協力を得て作成したデモ音源を紹介し、その音源をCDにして2018年定期総会前に配布いたしました。

 更に、2018年の総会では全てのバージョン(一部未完成)の紹介を行いましたが、最初のデモンストレーションから4年、触れるために様々な機会を設けてくださったこともあって、前向きなご意見を頂くことができたように思います。同年冬、校正作業を行い、2019年初冬に四つのバージョンを掲載した改訂礼拝式文を製本し、全教会へ配布することができました。

 様々なご意見を伺いながら、皆様が「式文を大切にしている」ことを実感しています。改訂式文が豊かな礼拝のための一助となりますように願っております。

教会手帳2021訂正のお願い
〈週間カレンダーの訂正〉
週間カレンダー2021年8月22日聖霊降臨後第13主日の典礼色に誤植がありました。
恐れ入りますが左記のようにご訂正をお願いいたします。
(誤)聖霊降臨後第13主日(赤)
(正)聖霊降臨後第13主日(緑)

フィンランドとの合同教会学校
榎本尚(市ヶ谷教会)

 4月25日(日)、フィンランドHelsinki Pyhän Sydämen Kappeli教会と市ヶ谷教会のオンライン(インターネット)による合同教会学校が実現しました。

 これは、市ヶ谷教会で
ご奉仕をいただいている、ミルヤム・ハルユ宣教師(LEAF)の紹介により、実現したものです。開始時間は時差を考慮して、日本時間午後4時(フィンランド時間午前10時)から開催しました。日本からは、6家族・8名、フィンランドからは、9家族・22名の参加がありました。

 内容は、点呼から始まり、「主われを愛す」を讃美、学校および教会学校の近況報告(日本、フィンランドから1家族ずつ)、フィンランドからのメッセージ、信仰告白、ゲーム、お祈り、祝福(Jari Rankinen牧師、浅野直樹Sr.牧師)、主の祈り、約1時間の内容でした。

 それぞれ、フィンランド語と日本語を交えて行いましたが、「主われを愛す」の讃美は、フィンランド語でも歌うことが出来るよう、事前の教会学校で練習をしました。

 フィンランドからのメッセージは、教会学校講師である、Kirsi Nummi先生から、ヨハネによる福音書14章6節「わたしは道であり、真理であり、命である」から、お話をいただきました。天国と永遠の命の道は一本だけある。それはイエス様だということ、世界の国、どこに住んでいても、イエス様を信じていれば、天国に入れるということを学びました。そして、「イエスは主であると信じます」という信仰告白を一緒にしました。

 ゲームでは、フィンランドと日本に関することや、それぞれの言語で「教会」はなんと言うのかスライドを見せながらクイズ形式で行いました。また、日本語とフィンランド語によるじゃんけんでは、お互いの国の言語を実際に使って楽しむことができました。子供たちは、ゲームを通して、言葉は違うけれど自分の国と同じことや違うことを知ることができました。

 市ヶ谷教会では昨年の5月から、コロナウイルスの影響で、オンラインによる教会学校を始めており、子どもたちと学んでおります。今回は初めての試みで、3月に決定し、短い準備期間でしたが、ミルヤム・ハルユ宣教師を通して、当日の進行、通訳など、多くのご奉仕により、恵みのある教会学校となりました。フィンランド、日本から参加した子どもたちにも、神さまを通して国も言葉も違うお友だちと、神さまの話を聞き、交流ができたことが、参加した一人ひとりの心に残ったことと思います。また、教会学校の教師もお互いを知り、一緒に学ぶ機会が与えられました。

 最後に、今回の合同教会学校を開催できたことを神さまに感謝するとともに、今後も交流を続けることができることを願っております。Kiitos!

アメリカ病院聖職者チャプレン報告2
関野和寛

 2020年9月より留学制度を利用しアメリカのミネアポリスでチャプレンとしてフルタイムの仕事を開始し10カ月が経とうとしています。アメリカでも特に他人種多文化他宗教の街として有名であったミネアポリスでしたが黒人市民が警察官に殺害され大暴動が起きました。先日もその裁判を巡って暴動の危険性が高まり夜間外出禁止令が発令されました。またコロナパンデミックと共に貧困や格差により治安も悪化、そのような街の病院でコロナ室と精神科病棟で毎日働いています。

 コロナ病棟の中には家庭、刑務所、路上、施設、様々な場所から患者さんたちが運ばれてきます。夫婦で運ばれてきて別々の部屋で亡くなったケースもありました。中には錯乱して隔離室で暴れてしまう患者さんたちもいます。そのような中に防護服を着て入っていきなんとか落ち着いてもらえるようにするのもチャプレンの仕事です。

 また精神科病棟にはコロナショックによる失業、リモート授業のストレス、家族関係崩壊などで心の病を負った患者さんたちが沢山居られます。また病棟内でも差別問題や暴力問題も起こります。アメリカ社会に根深く存在していた問題がパンデミックにより炙り出され、そしてそこで傷ついた人々が病院に運ばれてきています。病院で患者さんをケアするということは個人をケアする事のみならず、そこには社会と世界の歪みと傷の前に立たされる事であると実感しています。

 そのような中でも毎日、患者さんに聖餐式を届け、聖書を読み、また洗礼式もとり行います。また宗教を超えてイスラム教の患者さんにコーランを届けたたり、ネイティブアメリカンの患者さんたちが浄めの儀式を行えるように場を整える働きもいたします。ですがチャプレンと言っても宗教的な働きや会話ではなく、人としての悩みや痛みに触れていく時間の方が圧倒的に多いのが実際です。理不尽さや残酷な現実を生きる中でそれでも共に希望を探していく事そのものが宗教なのではないかと感じています。毎日、誰と出会うのか、何をするのか、何を与えられるのか想像もつかない日々ですが、この働きを日本に持ち帰れるようにと努力を続けています。

企画展図録「信仰の灯は永遠に―日本福音ルーテル池田教会と吉田康登牧師の足跡」が発行されました

岡田薫(帯広教会牧師)

 去る2019年11月から約2カ月にわたって浦幌町立博物館と日本福音ルーテル帯広教会との共催として開催された企画展「信仰の灯は永遠に:福音ルーテル池田教会と吉田康登牧師の足跡」の図録が、2021年4月に発行されました。この図録は企画展の展示図録であると同時に、2019年8月25日に惜しまれつつも祈りの家としての役目を終えた日本福音ルーテル池田教会の歩みと思い出を記録した記念誌として、浦幌町立博物館と日本福音ルーテル帯広教会が協力して作成したものです。

 企画展示をもとに再構成された第Ⅰ部を浦幌町立博物館学芸員の持田誠氏が担当され、第Ⅱ部「池田教会の想い出」の執筆・編集は日本福音ルーテル帯広教会記念誌編集委員会が行いました。また第Ⅲ部「論考・資料編」は帯広教会と浦幌町立博物館とが合同で作成いたしました。持田誠学芸員の丁寧な調査によって、池田教会の初代牧師である吉田康登氏と浦幌町および池田町の人々との交わりや、確かに紡がれてきた歴史を、あらためて深く知る貴重な機会となりました。

 今回の図録(記念誌)発行については5月12日付北海道新聞朝刊の地方欄でも取り上げて頂きました。また浦幌町立図書館の他、帯広市図書館や池田町立図書館、浦幌町立図書館、釧路市中央図書館など、各地の図書館にも所蔵され閲覧可能となります。また、国立国会図書館や北海道立図書館にも収蔵されていますので、各地の図書館から相互貸借制度により、貸出を受けることができます。

 小さな町の小さな教会は建物としてはなくなってしまいましたが、このような形で図録(記念誌)が発行され、福音を証しすることできたことは本当に大きな恵みです。ご寄稿くださった方々、資料や情報をお寄せくださった皆様、またお祈りやお心を寄せてくださった多くの方々に、心より感謝申し上げます。

 残部僅かですがご希望の方には郵送手数料込み500円で頒布いたします。帯広教会までお問い合わせください。

電話(0155)25・3665
FAX(0155)25・3664
Eメール obihiro@jelc.or.jp

第7次綜合方策の紹介(2)

事務局長 滝田浩之

COVID -19がもたらしたもの

 本綜合方策が定期総会に上程される予定であった2020年、私たちは誰もが予見しないCOVID -19のパンデミック(爆発的感染拡大)を体験することとなった。私たち一人一人の日常生活が揺さぶられると共に、教会生活もまた、その根本から揺さぶられ、問い直されることとなった。感染拡大を防止するために日曜日に教会の扉を閉めるという前代未聞の事態となり、教会形成と教会生活を根本から見直すことになった。

 集まること、触れ合うこと、分かち合うこと、助け合うこと、訪ね合うことは、キリスト者としての信仰生活上、重要な要素であり、かつ無くてはならないものである。そこが中断され、分断され、損なわれたのである。

 パンデミックを経験した世界は、その終息後、元に戻ることや元に戻すことは考えられない。それは新たなパンデミックに備えるためである。このような事態への私たちの様々な経験において、教会は以下の事柄に気づかされ、それを深め、拡げる取り組みをしたものと理解する。

⑴礼拝を配信するということの意義と責任
⑵文書伝道の見直しと展開
⑶礼拝式の再考。歌う教会としての主体性以前に、みことばの教会として最新式文の言葉の導入推進
⑷礼拝の回数や時間などの多様なあり方
⑸教会の諸活動の見直しと今後のあり方

 これらの取り組みとこれからの位置づけは、第7次綜合方策においても重要な課題となることを確認し、日本福音ルーテル教会としての共通の理解の醸成は不可欠なものと考える。

解説

 本項目は、現在も渦中にあるCOVID -19の経験を踏まえて付加されたものです。

 COVID -19は、私たちにとって未知の経験ではありますが、教会の方策という観点から考える時、それはそれまでの教会の抱えていた課題がより顕在化した出来事であると、この本文は理解しています。

 公開の礼拝を毎週行うことができないという事態は、すでに牧師数の減少に伴う事態の中で地方教会は経験していることでした。あるいは信徒の方にとってもご病気や、ご高齢のため毎週礼拝に集うことは難しくなっている状況を私たちは知っていました。つまり、私たちはCOVID -19の経験を通して、教会の本来の務めは「集まること、触れ合うこと、分かち合うこと、助け合うこと、訪ね合うこと」であることを改めて確認することになったのです。そして同時に教会の宣教という観点からいえば、「集まる、触れ合う、分かち合う、助け合う、訪ね合う」力の回復こそ、今求められている私たちの方策である。第7次綜合方策は、COVID -19の発生前から、ここに宣教力の課題を見てきました。

 では「集まること、触れ合うこと、分かち合うこと、助け合うこと、訪ね合うこと」の中心にあるものは何か、それは「み言葉(説教と聖礼典)」です。何よりも「み言葉(説教と聖礼典)」は私たちの「魂」を助け、慰め、導きます。

 教会には様々な課題があります。宣教の行き詰まりからくる、将来への不安が大きくあります。確かにこれまで通りではいかないことも多々あるでしょう。第7次綜合方策は、このような変化の中にあっても、いかにして「魂の配慮」を実現することができるか、そのような視点にたって以後、一つ一つの課題について整理していくことになります。

第27回春の全国ティーンズキャンプ報告

森田哲史(大江教会牧師)

 3月29日、春の全国ティーンズキャンプ(通称:春キャン)が、初のオンラインにて行われました。今年は「I NEED YOU!」をテーマ(主題聖句ヨハネ15章5節)に、コロナ禍で失われてしまったつながり、それでも失われることのないつながりを考えるプログラムを行いました。

 春キャンは昨年、新型コロナウイルスの影響で中止となっており、多くのティーンズが、集い、語り、賛美することが出来ないことに落胆していました。その後も新型コロナウイルスの終息が見通せない中、TNG –teens部門長である小泉嗣牧師の「オンラインで春キャンをやろう」という一声でスタッフが集められ、準備を進めてきました。

 これまで、100人以上が3日間対面で行ってきたことをオンラインに落とし込むことには多くの課題がありました。当日のトラブルに直接対応できないこともあり、事前の準備やシミュレーションにも多くの時間を費やしました。

 当日は40名弱の参加者が与えられました。実際に会うことが出来ない寂しさはありながらも、2年ぶりに開催された春キャンにティーンズからも笑顔がこぼれていました。プログラムでは、チャプレンの松本義宣牧師の「私たちが必要とする以上に、神様が私を必要としてくれている」という言葉に表されるように、どんな時も神様が私たちをしっかりとつかんでくださっていることを覚えることが出来ました。

〈以下参加者からの感想〉

「今日初めて春キャンに参加して、思っていた以上に楽しかったです。学校ではあまり話せない聖書の深い話や、コロナに対して今まであまり考えなかったことなどをたくさん話すことができたので良かったです」

「松本先生の『自分を大切にする』という言葉が心に残っています。この1年、私は私をあまり大切にできてなかったように思います。しかし、今日、グループのメンバーとたくさんの繋がりや支え合いについて話し合う中でもっと自分を大切にしよう、悩みがあったらちゃんと相談しようと思いました」

教勢報告集計表に見られるCOVID−19の影響

財務委員会 市吉伸行(日本福音ルーテル教会会計)

 2020年度の「教勢報告集計表」への各個教会のご協力に感謝いたします。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)状況下の財務的対策として行った施策に対する検証も兼ねて、財務委員会にて2019年度との比較を行いましたので、ご報告いたします。全体傾向に関する分析であり個々の教会の状況とは異なる場合もありますので、その点はご承知ください。

礼拝出席者数、召天者数、受洗者数

 感染拡大防止対策として礼拝堂に集まる礼拝を一時的に休止した教会も多く、平均主日礼拝出席は2019年度3,516名から2020年度2,751名へ22%の減少となりました(オンライン礼拝を持った時の礼拝出席者の数え方は各教会の判断に委ねています)。ご召天者数はほぼ変わりませんでしたが(143名→149名)、教会で交流し難い状況を反映してか、受洗者数は大幅に減少しました(111名→56名)。

基礎収入および支出

 集会式礼拝の休止にほぼ連動して礼拝献金は18%減少しました(12,700万円→10,400万円)。2020年6月常議員会で、協力金を規定上の「前々年度基礎収入の10%」から6%に減免することを決定しましたが、結果としてその減少額2,800万円(7,160万円→4,360万円)は礼拝献金の減少幅2,300万円減をカバーするものになりました。一方、維持献金は4%の減少(36,200万円→34,800万円)に留まりました。これは集会式礼拝休止中の分をまとめて献金されたり、振込み献金をされたりした方が多かったためと思われます。特別献金は7%増でした(27,400万円→34,200万円)。これは大口の遺贈があったほか、献金趣旨を明示していない振込み献金を維持献金・特別献金に案分する会計処理を行うこともあったためと推測されます。その他の収入も含め、「献金ほか基礎収入」の総額は2019年度の85,600万円から84,000万円と僅か2%減少に留まりました。

 支出は、上述の協力金減免や活動費17%減などがありましたが、全体では2019年度とほぼ同額でした(97,100万円→97,200万円)。

 厳しい状況の中で、2020年度も教会員の方々の献身と献財に支えられましたことを心から感謝いたします。2021年度以降も教会の宣教・財務は厳しい状況が続くと予想され、財務委員会としても引き続き注視して参ります。

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