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るうてる2021年

るうてる2021年4月号

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「あらゆる形で」

日本福音ルーテル大江教会牧師 森田哲史

「それから、トマスに言われた。『あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。』トマスは答えて、『わたしの主、わたしの神よ』と言った。イエスはトマスに言われた。『わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。』」(ヨハネによる福音書20章27~29節)

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴う自粛、行動制限が行われるようになって1年以上が経ちました。その間、私自身も新しい任地へと遣わされ、社会的な環境と自分自身の環境の両方が様変わりしてしまいました。そのような中で、教会において〝いつもの礼拝〟〝いつもの活動〟が出来ない。それは、自分の働きが何を拠り所として良いのか分からず、世の自粛ムードと併せ、自分自身がバラバラになってしまうような経験でした。また、そのことは同時に、どんなときにもイエス様がいるから大丈夫!と自信を持って言えない自分の弱さがあらわにされたようでもありました。

 そのような時、冒頭の聖句であるヨハネ福音書20章29節が頭に浮かびました。「イエスはトマスに言われた。『わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである』」。この文章だけを取り上げるならば、何はなくともとにかく信じなさいと言われているようです。それはつまり、教会が、礼拝が、いつもと同じであろうとなかろうと信じなさいと言われているのでは…と感じるということです。そのように受け取ってしまうと、ますます落ち込んでしまいます。

 ヨハネ福音書20章24~29節は、復活した主イエスが弟子たちの前に現れた際、その場に居合わせなかったトマスが、自分は見て傷に触れなければ復活を信じないと主張する場面です。「疑い深きトマス」などとも呼ばれています。このような俗称が生まれたのは、この聖書箇所が、「見ないのに信じる」ことができない者を咎めていると受け取られたこともあったからなのでしょう。

 しかし、注目したいのは、主イエスが「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい」とトマスに見せたことです。それによって、トマスが「わたしの主、わたしの神よ」と信仰を告白することです。

 この「見て信じた」トマスと、「見ないのに信じる人は、幸い」という主イエスの言葉は、相反する事柄に思えます。しかし、このふたつの「見る」には違いがあるのです。

 「見ないのに信じる人は、幸い」とは、主イエスが昇天された後の世代、主イエスに直接出会うことが出来ない人々に向けられた言葉だと言われています。

 つまり、私たちやこれから先の未来にも、主イエスの祝福が与えられていることを示しています。その一方で、トマスが「見て信じた」とは、主イエスがトマスの信仰に必要なものは惜しみなくお与えくださることを示しています。それは、み言葉を聞くことによってだけでなく、私たちがあらゆる五感を通して主イエスを感じ、信仰への道が開かれているということです。

 そのように受け取るならば、このふたつの「見る」は相反するものではありません。実際に私たちは、洗礼の際に水を注がれることや聖餐式でパンとぶどう酒を口にすること、讃美歌を歌うこと、隣人の手を取り祈ること、あらゆる五感を通して主イエスを感じているのです。

 そのように考えるならば、私たちがコロナ禍において〝いつもの礼拝〟〝いつもの活動〟が失われていることによって信仰の危機に瀕することは、ある意味では当たり前のことなのかもしれません。そして、このようなことは、コロナ禍によって急に起こったことではありません。

 高齢になり教会に来ることができなくなってしまった、働き方が多様化し日曜日の礼拝には出席できない、教会が合併され通える範囲に教会がなくなってしまった、そのようにこれまでにも徐々に起きていた問題が新型コロナウイルスによって、改めて顕在化されたのだと思います。

 私自身、このような状況の中で、みなさんとどのように主イエスを一緒に感じることが出来るのかまだ分かりません。しかし、主イエスが十字架の死と復活を通して明らかにされた神の愛が、私たちのあらゆる働きを通してこの世界に実現されることを覚えたいと思います。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

⑬「さくら」

「しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」(マタイによる福音書6・29)

 「へぇーこの木も紅葉するんだ」って思ったのと同時にホッとしました。その年は手術と緊急の入院と続き、病院に入る前に膨らんでいた桜の莟が開くのを楽しみにしていたのに、退院して落ち着いて見た花は紫陽花の花でした。花が違ったのがいやだったわけではなかったのですが、桜を見逃したと思っていた私に、まるで「桜は花だけじゃないよ」と語りかけるように、私の目の前の桜並木が紅葉で輝いていました。そういえば冬の雪が積もった桜の木々も、春先に莟を膨らませピンク色に燃えているように見える桜の木々も新緑に湧いている木々も、どの季節の桜の木も、一本一本が命を伝えてくれていることに気付き改めて感激しました。桜の木だけに限らず、いろんな自然が私を驚かせ素敵な命を語ってくれます。

 こんなこともありました。「えっこの木、花が咲くことあったっけ?」普段は葉の紅葉を楽しむだけの木の緑色の葉の上にオレンジ色の花が咲いているように見えました。びっくりしてよく見ると隣の金木犀の花が散ってそのいつもは花を咲かせない木に花を咲かせていたのです。

 「これはこういうもの。」「こうなるはずはない。」って決めつけてた自分がどんどん解放されるように思わされる自然の姿です。

議長室から
総会議長 大柴譲治

「復活」=「キリストと共なる生命の希望」

「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。」(フィリピ1・21)

 イースターおめでとうございます。主のご復活は万物を新しい光の中に置きました。十字架ですべてが終わったと思われた中、復活の光の中ですべては反転する。死は終わりではなく墓は終着駅ではないことが宣言されるのです。復活こそ希望の光。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」(ヨハネ11・25〜26)。これは人間には語ることのできない言葉、ただ主だけが語り得た言葉です。勝利者キリストにより死は死を迎え、罪には終止符が打たれた。

 聖書は多様な死生観を示していますが今回はパウロに聽いてゆきましょう。主の復活について最古の証言は一コリント書にあります。ギリシャという土地柄もあってかコリント教会には復活に懐疑的な者が少なからずいたようです。死者の復活についてパウロはその15章で明確に語ります。(旧約)聖書に書かれている通り、イエスは死んで三日目に復活し、ケファら十二弟子に現れ、五百人の兄弟たちに現れ、主の兄弟ヤコブと他の使徒たちに現れ、最後にパウロ自身に現れた、と(15・1〜8)。これが初代教会の信仰伝承でした。彼によれば、キリストを信じて洗礼を受けた者はキリストと共に十字架に架けられてその死に与り、その復活の力に与ってキリストと共に新しい生命に生きる。そのことが確かな希望として与えられているのです(ロマ6・3〜8)。そこで復活はどこまでも「からだの復活」であって「霊魂の不滅」ではありません。 エフェソの獄中でパウロは自らの死を強く意識しつつ、キリストを死人の中から復活させた神に希望をかけます(二コリ1・8〜10)。獄中書簡のフィリピ書には死を覚悟した言葉があります。「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。」(1・21)。それが後にはこう展開されてゆく。「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも、生きている人にも主となられるためです」(ロマ14・8〜9)。そのようにキリスト者は死者と生者の双方の救い主である主を信じるのです。生も死もすべて神の御手のうちに置かれている。いついかなる時にも主が私たちと共にいてくださいます。

 主の復活の喜びを共に言祝ぎたいのです。

「教会讃美歌 増補」 解説

⑩讃美歌委員からの声⑸
日本ルーテル教団教会讃美歌委員・杉並聖真ルーテル教会牧師 北川逸英

 『るうてる』読者のみなさま、讃美歌委員会の活
動に、変わらぬご理解ご支援ありがとうございます。NRK杉並聖真ルーテル教会牧師・北川逸英です。2011年に高野公雄師から引き継ぎ、活動しております。私は他の委員のように語学・音楽・神学の専門知識を全く持ち合わせない者です。ただ30年近くMacを使って来たので、簡単なデータ処理を、大きな喜びと共に担って来ました。

 賛美歌は私の最も愛する物です。もし賛美歌と出会わなければ、教会に導かれる事はありませんでした。いつもは鬼のように厳しい父親が、12月24日の夜になると、毎年近くの子どもとパーティーを開きました。部屋を飾り、歌詞を張り、母がオルガンを弾き、父はデキシーのレコードをかけて、踊りながら、みんなで歌いました。それが最も楽しい思い出です。後にそれが賛美歌と知ります。

 私は今「日本人神学」の必要性を強く感じています。「BLM」運動が盛んになる中で、アメリカでは再び「黒人神学」に光が当たっています。今こそ日本でも「私たちの罪と贖い」に向けて、厳しい問いかけが為されるべき時です。

 この世界に吹き荒れるポピュリズムと差別主義と戦うために、迫り来る軍国主義や国粋主義と再び戦うために、私たちは自分たちの言葉による、日本の神学を生み出さなければなりません。今そのために「日本の賛美歌」が求められます。美しい日本語による、わかりやすくて、心に届く、新しい日本の賛美歌が、今の私たちに必要です。

 子どもも、若者も老人も、世界中が傷ついています。どう考えてもわからない理不尽なことが、あちらこちらで起きているからです。信じられない嘘を、大声で叫ぶ人たちがいます。本当でないことは明らかなのに、力で過ちを押し通す者たち。そこで傷付き、倒れた人たちを支え、いやしを与え、再び立ち上がらせるために、主は共におられます。

 暴力に人を駆り立てる歌でなく、人を癒して生かす歌を、私たちは求めます。主の愛があなたにありますように。

私たちの礼拝 —式文ハンドブック—

⑨1年の信仰の歩みの中で—教会暦—
白井真樹(日本ルーテル教団式文委員・大麻ルーテル教会牧師)

 1865年3月17日、大浦天主堂に「サンタ(聖)マリアの御像はどこ?」と、十数名の人々が訪ねてきました。隠れキリシタン発見の出来事です。その際、その一人が「私たちは、霜月の25日に、御主ゼスス様のご誕生のお祝いをいたします。…御主は、…私たちの魂の救いのために十字架にかかってお亡くなりになり…今は悲しみ節です」と言ったといいます。霜月(12月)の25日の主の誕生は降誕祭、悲しみ節は四旬節を表します。キリスト教禁制下にあっても、彼らは大切に信仰を守り継承してきたのとともに、降誕祭や四旬節といった教会暦をも大切に過ごし、次の世代にそれを伝えてきたのです。

 教会暦は、私たちが、神の御子、主イエス・キリストの生涯と、私たちが信仰の模範とする弟子たち、さらには私たちの信仰生活で重要な出来事を、1年の信仰の歩みの中で受け止め、心に刻むため有益です。毎年、主の降誕の祝いと再臨を待ち望む「待降節」から1年を始め、「主の降誕」と「顕現」を祝い、その後、主の十字架の苦しみと死を覚え復活の祝いに備える「四旬節」を過ごし、「主の復活」を祝います。さらに、弟子たちに聖霊が降り、宣教の働きと信仰者の集いである教会の交わりが始まった「聖霊降臨」の出来事を祝い、私たちが信じる神が「三位一体」のお方であることを覚えます。その後、待降節を迎えるまでと顕現を祝った後しばらくの間、主のなされたわざや語られた言葉をみ言葉によって聴くことで、私たちの信仰の成長を願う時を過ごします。

 このように、神が御子によってなされた救いの働きを受け止め、み言葉による成長を願う1年を過ごすのです。

 今回、新しい祝日・記念日も加わり、かつて存在してしばらく失われていた日で復活したものもあります。「主の宮詣で」、「主の誕生告知」、「マリアのエリサベト訪問」、「主の復活の証言者マグダラのマリア」などです。また、四旬節の第6主日は「主の受難」の主日とし、礼拝の冒頭に「主のエルサレム入城」を覚える典礼を行います。聖週間の「聖木曜日」「聖金曜日」「主の復活の夜」は「大いなる三日間」として過ごします。聖霊降臨後の最終主日は「永遠の王キリスト」とし、キリストこそ永遠に天と地を治められるお方であることを覚えます。詳しくは、ハンドブックの20~23頁をお読みください。

 

教会手帳2021住所録変更のお願い
【召天牧師配偶者】柏田篤子さん

パンデミックの中のディアコニア

社会福祉法人 レインボーハウス福祉会
障害福祉サービス事業所レインボーハウス 施設長・ 吉岡千鶴子

 日本で新型コロナウイルスの感染者が出始め1年。第3波の感染者数の多さには目を見はるばかりです。佐賀県は当初感染者も少なく、1人でも出るとビクビクしていましたが、慣れとは恐ろしいものです。やはり福岡の通勤圏として徐々に広がりを見せました。

 今のところB型作業所レインボーハウスもグループホームにじのいえも幸いにして陽性者は出ておりません。しかし、第3波と言われる頃から、濃厚接触者の言葉が飛び交い、真近に迫ってきたなと緊張が走りました。まだ予断を許せない状況です。

 事業所やグループホームでは、日々の検温・体調管理・マスク着用・手洗い・ドアノブ等の消毒・限られた空間での3密を避けた作業や行事(お楽しみ会)を行う等、目に見えない恐怖にさらされながら日々を過ごしています。利用者さんとの旅行を含めた外出は出来ませんが、施設内でDVD鑑賞会やゲーム大会等を行い、楽しく集う事が出来ています。

 イベントやバザーが軒並み中止となり、随分収益は減少しておりますが、それに代わるネット販売や、教会関係の方々や、支えて下さる皆様のお陰で少しずつですが、回復してきました。

 スタッフもがんばってくれています。新しい情報に戸惑いながらも、動揺を隠し平静を装いながら日々を乗り越え、マスク越しでも可能な限りの笑顔を伝え、支援を行っています。仕事にも行事にも喜んで来て下さる利用者さん。きっと沢山の我慢をしていると思いますが、表情には出さず、こちらが反対に教えられ、癒され、励まされていると感じる今日この頃です。

 利用者さんの大切な居場所を、私達には「絶対守る」と言う使命があります。世界中にはもっと苦しんでおられる方々もいらっしゃいます。仕事が出来て、使命を持って生きられる事に感謝したいと思います。

「献身者を求める祈り」

神学教育委員長・ 三浦知夫(東京池袋教会牧師)

 毎年2月の終わりに、牧師として卒業する神学生を覚えつつ、共に主に感謝をする「神学校の夕べ」が行われています。しかし今年は神学校の卒業生がいないために、またコロナ禍にあって共に集うことが難しいために、これに替わり、神学校と日本福音ルーテル教会(JELC)と日本ルーテル教団(NRK)の神学教育委員会で「献身者を求める祈り」の動画を作成しました。動画は、校長の挨拶、神学生が語る神学校の学びと生活、牧師が語る献身の思い、献身者を求める祈りという内容になっています。JELCとNRKの諸教会、神学校に連なる私たち一人一人が動画を通し、心を合わせて献身者を求め祈っていきたいと思っています。

 ご承知のことと思いますが神学校は近年、神学生が減少し、神学校で教えておられる先生方の人数も減っています。規模の縮小に不安を感じることも事実ですが、その中で神学校と教会はこれまで以上に近い存在になっているということを感じています。昨年の春から教会での働きを担う立山忠浩先生が神学校校長を兼務されていることも、そのような思いを与えられている要因の一つでしょう。牧師を養成するのは神学校ですが、その前に献身者を生み出すのは教会です。教会の中に献身者が起こされ、献身者は牧師となるために神学校に進み、そこで学び、そして教会に帰ってくるのです。教会と神学校が協力して教会の働き人を起こし、育てていくのです。そのために心を合わせて祈りたいと思っています。

 動画の中で祈られている「献身者を求める祈り」を改めて教会にお伝えしますので、今年の第5日曜日となる5月30日、8月29日、10月31日の礼拝の中で共に祈りを合わせていただければと思います。また可能ならそれぞれの教会で、動画を一緒にご覧いただく機会を設けていただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 なお動画は、動画サイトのYouTubeで視聴いただけますが、JELCとNRKの諸教会、神学校の関係者のみの限定公開とさせていただきます。視聴いただくためのURLは所属教会にお問い合わせください。

東日本大震災と福島第一原発大事故の10周年を迎えて

NPO法人キッズケアパークふくしま  理事長 栗原清一郎

 2011年3月11日の東日本大震災の直後から福島県北の教会が集まり、福島教会復興支援ネットワークを作り、協力し合いながら被災した方々への様々な支援を行いました。そして2013年にもう一度話し合い、放射線被害を避けるために外遊びができない子どもたちに、安全な屋内あそび場を提供しようと決めました。それと同時に、放射線は子どもたちにどのような害を及ぼすのかも調べて、お母さんたちに客観的な科学的に正しい情報を提供し、子育てのたすけになるようにしようと決めました。のちにNPOになるキッズケアパークふくしまを2013年7月に立ち上げ、放射線被害は長期間続くので10年間、すなわち2023年の6月までは活動を続けることも決めました。準備もあり、あそび場をスタートしたのが2014年の7月でしたがそれ以来ドイツ、アメリカ、日本のルーテル教会や各個教会、個人の皆さまのご支援をいただきながら、ほぼ毎月あそび場を開催し、2020年2月には第65回キッズケアパークふくしままで開催できました。

 しかし突然のコロナ禍により延期を決め、ホールの予約はキャンセルしながら再開を目指しましたが、結局終息が見えず無期延期にせざるを得ませんでした。
 また市内の高校のJRC部(日本赤十字部)の生徒さんたちがいつもボランティアで来てくださっていましたが、コロナ禍で活動が禁止されており、状況が一段落するまでは再開が見えない状況です。

 しかし県内教会等の牧師と信徒の有志が集まってスタートした放射能問題学習会はオンラインで続けており、放射能を客観的に科学的にとらえ対策に活用しようともしています。

 このような中で今私たちが感じていることは、この最悪とも言われた原発事故の風化です。東京電力のトップも政府も何とか補償等の責任を逃れるために、初めから放射線被害は大したことではないとの宣伝を声を大にして行ってきました。また汚染レベルが高くて避難命令を出した地域への避難解除の条件を、世界では非常時だけに成人に許容されている20ミリシーベルトにし、幼い子どものことは無視し、世界の平常時のレベルは年間1ミリシーベルトであることも無視しています。さらに汚染土の可処分レベルを世界標準の60倍にして全国にばらまけるようにしたり、甲状腺がんの統計を隠したり、直近では汚染水も結局時間をかけて福島の海に流すことを目指しています。地元から見るととんでもないことばかりやっています。さらには10万年もどこかに貯蔵しなければならない非常に危険な原発の燃えカスの処分方法も決めずに、原発の再稼働を進めようとしています。

 これらの問題がもっとフェアに話し合われ、その結果として今回の悲劇の経験を踏まえて原発問題を今後どうするのか、いかに人々を、特に子どもたちを放射線被害から守るかの方針が決められ、実行される必要があります。
誰が考えても日本のような地震大国に原発を置いておくのは危険です。一部の権益者の利益を守るためにではなく、経済成長の名目のためにではなく、再び愚かなことが繰り返されないようにするにはどうするかが、私たちの懸念であり課題です。

 皆様もどうか状況をご理解いただき、再び日本が道を誤らないようにお祈りをまたご支援をよろしくお願いいたします。

第28期第13回常議員会報告

事務局長 滝田浩之

 2月25日(木)午前10時〜午後3時までウェブ会議で行われた標記の件、ご報告いたします。

⑴第29回定期総会の延期について

 2021年5月に開催される予定の第29回定期総会については2022年5月に再延期とすることを決定いたしました。200名を超える議員の方々が一同に会するリスク、またどうしても都道府県をまたぐ移動を伴うことを考慮しての判断となります。

 オンラインでの開催も検討しましたが、これも当日の通信環境で不具合があれば定足数を満たさない可能性もあり、また秋の開催も検討しましたが、休日一日では開催は難しいこと、7月の連休はオリンピック・パラリンピックと日程がかぶり開催されるとすれば混雑が予想されること、開催されないとすれば感染症拡大状況にあることから、むしろ1年間再延期することとしました。

 第29回、第30回定期総会の同日程での開催となります。総会負担金の追加徴収は行わないことを確認しました。

 また議場では、総会選出常議員のメンバーの任期の考え方についても確認され、すでに昨年の常議員会で整えた通り、第28期のメンバーが引き続き任を担うとしても、1期2年は2020年5月末で終了しているものと理解し、2022年5月末には2期4年の任期が終了しているものとして第30回定期総会において総会選出常議員を選出することといたします。

⑵神学校/ルーテル学院大学委員会

 ルーテル学院大学の石居基夫学長に陪席を頂いて、ルーテル学院大学の経営状況や今後の見通しについて報告を受けました。18歳年齢の人口減少については広く知られている通りですが、学校法人を取り巻く環境は大きく変化しており、ルーテル学院大学も入学者については定員を確保しつつも、中・長期的な経営改善方針を立てる必要が分かち合われました。

 2022年の定期総会には5年毎に見直される「神学教教育に関する協約書」の改定が行われます。ルーテル学院大学理事会、また神学校/ルーテル学院大学委員会において、経営状況を加味した改定の準備を進めていくことになります。

⑶ハラスメント防止委員会

 相談窓口を依頼しているフェミニスト・カウンセリング東京からの報告で2020年度末までに相談が10件寄せられていることが分かち合われました。

 相手の立場や思いに立っての言動や行動が求められています。議長報告でも繰り返し触れられていることですが、意識改革をさらに徹底していく必要が確認されました。

⑷るうてる法人会連合総会・研修会の件

 例年8月に開催される標記の件については、会長会において2021年度についても延期することとしました。2022年8月に九州教区のアテンドで、対面での総会開催を予定いたします。

 しかし2021年8月下旬には、大柴譲治議長から「COVID–19下での悲嘆とケア」と題して基調講演を頂き、各法人の状況を分かち合うことができる研修会の開催をZoomで行うことを確認しています。近くなりましたらご案内をいたします。ご協力、ご参加をお願い申し上げます。

⑸2020年度決算の件

 協力金を6%に引き下げたことに伴う公益会計の決算状況、またCOVID–19の影響を受けた収益会計決算の状況について分かち合われました。公益会計については収入減もありましたが、ウエブ会議などの活用のため支出減もあり例年と比べて大きな収益からの繰入を行う必要はありませんでした。

 収益会計については、ここ20年間で初めて経常利益について赤字となりました。しかし日本福音ルーテル教会の収益事業は様々な形態の事業を営んでいることもあり、ホテル部門の大きな減収は痛手ではありましたが、これまでの健全な収益状況のおかけで必要な公益会計への繰出を行うことができました。

⑹2021年度実行予算の件

 協力金を8%とすることに伴い、公益会計は引き続き会議の工夫などに努力しつつ経費削減が必要です。またCOVID–19の影響の長期化に伴い収益会計も非常に厳しい状況が続きます。

 収益会計では、総会の延期により市ヶ谷耐震本工事については2022年に着工を引き延ばします。また、他事業所を含め、必要な設備補修が必要です。 公益会計の支出については構造的な変革を検討していきます。また収益会計が適正に運用されるためには過度な収益会計からの繰入はできないことを常議員会では確認したところです。

⑺第7次綜合方策の扱いについて

 第28期常議員会の課題は、2020年5月末までとされていた「第6次綜合方策」に代わる方策の策定にありました。宣教室長を中心に、2018年から方策策定委員会を設置して2020年2月の常議員会で承認し2020年5月の定期総会に提案する運びとなっていました。

 定期総会の延期を受けて、その後2020年度、新たに教区で選出された常議員のメンバーとも常議員会の度に議論を重ねてきました。このような経過を踏まえ2022年の定期総会に提案する内容については、ほぼ確定したところです。

 第29回定期総会の延期という事態の中で、今後は、「第7次綜合方策」について広報誌等でも広くご案内をしつつ、更に意見を集約して、総会に提案していくことを確認したところです。

 特にこの間、COVID–19を経験した教会として、これを踏まえた綜合方策としていく必要があります。各教会、各教区でも、現状の打破に向けて様々な対応をしてくださっていることと思いますが、「第7次綜合方策」で示されている方向性について、必要に応じて可能なところから手をつけていくこと、また微調整が必要なところはご意見を賜りつつ、更に手を加えていくことを確認しています。

 以上、ご報告いたします。詳しくは送付されます常議員会報告をご確認ください。

2021年度 日本福音ルーテル教会人事

〈退職〉該当なし
〈新任〉該当なし

〈人事異動〉(2021年4月1日付)

【北海道特別教区】
日笠山吉之 恵み野教会協力牧師の任を解く

【東教区】
小泉嗣 津田沼教会(兼任)
内藤文子 小岩教会(主任)
德野昌博 板橋教会(兼任)
後藤直紀 羽村教会(主任)

【東海教区】
徳弘浩隆 掛川菊川教会(兼任)

【西教区】
該当なし

【九州教区】
森下真帆 小倉教会(主任)、直方教会(兼任)
安井宣生 八代教会(兼任)2021年2月1日から
角本浩 水俣教会(兼任)
2021年2月1日から
富島裕史 鹿児島教会(兼任)
和田憲明 阿久根教会(兼任)2021年2月1日から

【任用変更】
内藤文子(嘱託任用から一般任用へ/小岩教会)
森下真帆(嘱託任用から一般任用へ/小倉教会・直方教会)

【休職】
宮川幸祐
渡辺高伸 2020年10月14日付
関 満能 2021年2月1日付

【宣教師】

・九州ルーテル中学高校
Jordan Collins-Brown 退任
Erica Bryer 退任
Hannah Jensen-Reinke 2021年4月着任
Spencer Wentland 1年延長

・九州学院
Erin Ryan 退任
新規J3派遣はなし

牧会委嘱(2021年4月1日付/1年間)

田中博二 津田沼教会
小山茂 板橋教会
横田弘行 掛川菊川教会
明比輝代彦 新霊山教会
齋藤幸二 知多教会
大宮陸孝 賀茂川教会
乾和雄 神戸教会
藤井邦夫 宇部教会
白髭義 甘木教会
黄大衛 長崎教会
濱田道明 合志教会

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