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るうてる2021年

るうてる2021年1月号

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「神様の恵みを知るのが、知恵」

日本福音ルーテル佐賀・小城・唐津教会牧師 白川道生

「主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。』」(マタイによる福音書20・13~14)

 激しく憤慨した口調で、不満爆発です。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』(12節)経営観点からみれば、主人に対して突っ込みどころ満載の全くわけのわからない話だ、という印象だけが残るのかもしれません。

 イエス様がこの話をなさった目的は最初の一文に見出されます。「天の国は次のようにたとえられる。」(1節)即ち、天の国=神様が主人である国とは何かについて教えよう、となってくるので、そのような理解を心がけてみます。すると、色々な事柄で従来のあり方のようにゆかぬ事態に翻弄された年が明けて、新しいあり方の探求が促されている私たちを導く天来の言葉として聞きたいと、関心が湧きました。

 夕方「五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。」(6〜7節)

 いつの時代も、個人差が人を苦しめる場面を目にします。夕方5時に広場にいた人も、朝から仕事を求め続けていたのではないか?そうなると、どれだけの人が目の前を通り過ぎたか。しかし誰一人として自分の存在を必要としてくれる人はいなかった。「誰も私を雇ってくれないのです。」この言葉に込められた思いを素通りせず、「あなたもぶどう園に行きなさい。」と声をかける、この主人=天の神様はそのようなお方だと譬えます。

 現実的課題は常にその先です。私は大胆に解釈しています。主人は、悲嘆に満ちた声を聞き流さないだけでなく、能力主義を根拠に、あなたは必要なしと宣言されてしまう現実の壁、この根源的な壁を越えるために、新しい在り方・フォーメーションを創発しよう。そう考えて、独自の農園を経営したのではないか。「片方では安心、隣では不安」でなく、皆が平安のうちに一日を終えたい、そのためにはどうしたらよいかを考え抜いたら、「賃金同一フォーメーションの農園になった」のではないか。

 主人には、騒動になるだろうと予測がつかなかったのか?といえば、そうではなく、無茶な話と反発を向けられるだろうと判っていたと思うのです。主人自らで、呼ぶ順番を指示しているからです。

 「夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。」(8節)長い時間働いてくれた、最初に来た人から呼べば、こんな話にはならなかったでしょう。賃金をもらったら先に帰る。そして後の人に、こっそり同額の賃金をあげて、黙っておけとすればわからないはずです。わざわざ労働者を呼ぶ順番を定めた指示には込められた想いがあり、つまり、敢えて見せつけているかたちをとっています。

 「主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。』(13〜14節)友よとは、同志よ、志を同じくするあなた!という呼びかけに他ならないと考えます。

 能力が無いからしょうがないよね、と諦めを促すような自己責任社会。これがどれだけ残酷か。愛と包容力に乏しい経済理論を超えて、新しい形・あり方を創発しよう。どうだろう!どんな人も取り残されない、平安の内に一日を終える。そんな時間・空間を創ろうではないか。でもこれは難問だ。だからこそ、この実現にはあなたが必要なのだ。

 朝からバリバリと働き、人一倍頑張る、その能力を分配してこそ可能になる共生のシステム、今は無い。ならば創ろう!あなたも力を貸してくれないか。あなたがいてくれれば可能になる。だから「友よ」なのではないか。このように呼びかけているイエス様を思うと、私は心が揺さぶられ、感情が高ぶってきます。

 未来を創造する思想・開発のあり方を描く聖書/福音のスケールの広さ・深さを感じるからです。

命のことば 伊藤早奈

⑩「伝える」

「わたしは主をたたえます。/主はわたしの思いを励まし/わたしの心を夜ごと諭してくださいます。」(詩編16・7)

 「あなたの笑顔は人を元気にするわ」なんて改めて言われると、恥ずかしいような、なんとも言えない気持ちになります。「あなた偉いわね他の人はどんどん退院されるのにいつもニコニコして」ん?偉いの?というより見られていたんだと初めて気付きました。

 もし道端に咲いているタンポポや野の花が自分に笑いかけているように見えても「あなた偉いわね」とは言いませんよね。でも花々も人の表情も確かに何かを伝えてます。用いられているのです。誰に?それは神様です。

 「おはよう」と挨拶されるときに真っすぐ自分を見て笑顔で言われる時と顔も見ないでそっぽ向いて言われるのでは感じ方も違うような気がします。ある施設で普通に立って歩かれている方に「おはようございます」と言ったらその方の視線は車椅子の私を通り越して私の後ろの方に立っておられる方に挨拶をされました。

 どんなに笑顔で大きな声でご挨拶しても「そこから聞こえるはずがない」と思われていては伝わらない時があります。「用いられる」と言いますがただ生えているわけではない人間には難しいように思います。でも自分が伝えたい思いではなく神様が伝えたいことなのです。だから大丈夫、今年もあなたも私も神様に用いて頂けます。

議長室から
sola fide 〜 「神の〈まこと〉」に生きる「信仰」

総会議長 大柴譲治

「神の義が、福音の内に、真実により信仰へと啓示されているからです。」(ロマ1・17)
「神の義は、イエス・キリストの真実によって、信じる者すべてに現されたのです。」(同3・22)
(上記の引用は日本聖書協会共同訳より)

 新年おめでとうございます。今年は私たちの原点である「信仰」を確認することから始めたいと思います。〝sola fide〟は「信仰のみ」と訳されてきました。日本語の「礼拝」同様に「信仰」は「信じて仰ぐ」という人間の行為に力点が置かれていて、どこまでも人間が主体という感があります。しかし聖書でイニシアティブは常に神の側にある。神が呼びかけ人間が応える。神が自らを啓示し人間がそれを受け止める。召命の出来事はすべてそうです。
 アブラハム然り、モーセ然り、サムエル然り、イザヤ然り、エレミヤ然り、ヨナ然り。受胎告知時のマリアもそうでしたし、イエスが弟子たちを召し出した時もそうでした。ダマスコ途上でのパウロの場合も言うに及びません。
 神が呼びかけ人間が応答する。その意味で私たち信仰者も一人ひとりが神からの召命を受けています。そう見てくると「信仰」とは人間の業であるより私たちの中に働く神の御業であることが分かります。イニシアティブは神にあるのです。
 神学校での恩師・小川修氏は50年に渡るパウロ研究から「ピスティス」を「神の〈まこと〉」と捉え、滝澤克己が「インマヌエル」を二つに峻別したように「第一義のピスティス」と「第二義のそれ」を厳密に区別しました(『小川修パウロ書簡講義録』)。最初に「神の〈まこと〉」からの呼びかけがあり、それへの応答として「人間の〈まこと〉/信仰」が来る。冒頭に引用したように『聖書協会共同訳』(2018)がローマの信徒への手紙1・17の「ピスティスからピスティスへ」という語を「真実により信仰へと」と訳したのもそのような神学的な理解に立っていましょう。同3・22も同様です。
 「ピスティス」の形容詞形は「ピストス」で、「真実な」「忠実な」「信頼できる」と訳されます。英語ではfaithfulとかtrusty、true。「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」(ルカ16・10)。「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(一コリ10・13)。「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう」(黙2・10)。
 主の新しい年も、試練の中にあるとしても、独り子を賜るほどにこの世を愛された「神の〈まこと〉」に日々生かされる者でありたいと願っています。皆さまの上に祝福をお祈りいたします。

「教会讃美歌 増補」 解説

⑦讃美歌委員からの声⑵
讃美歌委員会 中山康子(むさしの教会)

 賛美歌を普通に歌うことができる日の再開を願いつつ、今はwithコロナですから、3密を避けて賛美する状況が多いです。このこともすべて神様のご計画の中にあると不安ながらも信じ、イエス様にお任せすれば「安心」と思える幸いを感じ、日々私に注がれる恵みのシャワーに気づき、感謝します。

 高校時代、60年近く前になりますが、『教会讃美歌』の委員会ごとに、手書き譜の資料を作り、湿式のコピー機で準備するお手伝いをしました。海外の原詩は、文字数の関係で、内容によっては3分の1程度が訳詞になることを学びました。

 2000年発行『教会讃美歌・部分改訂版』の編集時は、パソコンで楽譜を作ることを学びました。その後のパソコン讃美歌委員会では、パソコンの鍵盤で楽譜を弾いた時の指のタッチの1秒もない不一致に応じてコンピューターが示したのは、「きよしこのよる」がぎざぎざ模様で、まるでなんの曲か分からない譜になりました。奏楽者として、タッチの不正確さを知らされました。

 当時の委員会に、小学生のパソコン名人(!)が加わり、すべてデジタル化できました。今般の「教会讃美歌『増補』分冊一」では、ルターの宗教改革500年を覚えて、確かにルター作品と思われる賛美歌のうち未訳の作品すべてを収めたいと願い、諸方面の方々の協力を得、満を持して作業しました。

 広く「神はわがやぐら」で知られる歌は改訳し、「われらのみ神は堅い城、・力」となりました。それは、16世紀ペスト大流行時に詩編46編に基づいたルター作詞・作曲です。委員会は、パソコン画面上の作業になり、オンラインが多くなりました。

 パソコン・スマホ等から検索すると、発行されている『教会讃美歌』全502曲がメロデイと歌詞共に視聴できます。著作権の縛りがありますが、自室で「ひとりカラオケ」が可能です。歌詞を味わいつつ、利用していただきたいと願っています。

私たちの礼拝—式文ハンドブック—

⑥聖餐・食べる「みことば」
式文委員会 高村敏浩(三鷹教会牧師)

 カトリックの大学院での礼拝学の授業中、ベネディクト会修道士の教授がこういいました。「教会一致を目指す運動(エキュメニズ)の中で、プロテスタント教会は礼拝における聖餐の重要性を、同様にカトリック教会は説教の重要性を互いから学び合い、その理解を回復しようとしている。」実際に当時その大学院では、ルーテル教会の牧師が説教学(Homiletics)を担当していました。
 その第一義的な意味ではイエス・キリストを指す「みことば」は、先行する聖書朗読と説教を通して聴かれるだけでなく、聖餐を通して見て触れて、香り味わうことによっても体験されます。私たちは礼拝において、私たちのところへと来られる主イエスを五感を通して受け取ると言い換えられるかもしれません。聖餐は私たちが神にささげる行為ではなく、神が私たちのところへと来られる出来事であるというこの理解は、これまで直前に位置していた奉献の部(献金)が混乱を避けるために派遣へと移動させられたことからもはっきりと確認されます。
 設定辞の「苦しみを受ける前日」が「渡される夜」になるなど、改定式文ではいくつかの文言が変更されています。また、これまで派遣の部に配置されてきた「シメオンの賛歌(ヌンク・ディミティス)」は、聖餐を受けた感謝の応答として聖餐の最後の部分とされます。(「シメオンの賛歌」は、聖餐のない礼拝においては、派遣の歌に代わって用いることができるほか、「みことば」の後に感謝の応答として用いることができます。)
 コロナ禍で聖餐を行えなかったり、行っていても事前に分けられたパンやブドウ液を用いていたりすることでしょう。配餐時に一つのパンを裂く所作は、キリストの体であり教会の一致を示すパン(神の恵み)を皆で分かち合うことを意味するとされます。COVID–19終息の暁には、私たちがキリストにあって一つであることを聖餐を通してあらためて実感できるようにと祈ります。

北海道特別教区の取り組み 「ハガキで主の祈り展」開催中

北海道特別教区長・函館教会牧師 小泉 基

 北海道特別教区では昨春、新型感染症の蔓延という困難な状況にあって、ともに集いあうことの出来ない時にも、信仰の仲間と困窮の中にある方々のことを思いながら、日ごとに主の祈りを祈りあいましょうという呼びかけがなされました。復活祭によびかけられたこの祈りあいの運動を可視化するものとして、昨秋取り組まれたのが「ハガキで主の祈り展」というオンライン作品展です。

 このオンライン作品展が募集しているのは、主の祈りのペン書きでもいいし、主の祈りへの思いを込めた絵や写真でもいい。作品の形式は自由で、上手い下手を問わず葉書サイズで1人1作品のみ、というのが求められる要件です。

 教区の呼びかけに応えて、短い募集期間であったにもかかわらず80人を越える方々から作品が寄せられ、11月10日の教区常議員会を期して教区の新しいウェブサイト上で公開が始まりました。

 寄せられた作品には、おひとりおひとりが難しい状況に置かれながらも、信仰の友と困窮の中にある方々、そして隣人を通してわたしたちに働きかけてくださる神さまへの真摯な思いがあふれていて、熱い思いにされられます。ぜひ教区のウェブサイトから作品展をご鑑賞下さい。

 また教区では、引き続き趣旨に賛同してくださる方々の作品を教区を越えて求めています。ウェブサイトから要項をお読み下さり、作品の送付によって、あなたも主の祈りの輪に加わって下さるなら幸いです。

※ 作品展は教区ウェブサイトで公開中。作品提出は函館ルーテル教会(hakodate@jelc.or.jp)までメール添付か郵送で。

パンデミックの中のディアコニア

NPO法人「一粒の麦」
副理事長 小泉 眞 (シオン教会柳井チャペル)

 当法人は「就労継続支援B型」施設として、山口県柳井市で活動しています。当法人の働きの理念は「居場所」であること。実態は、利用者の方々と共に行う、焼き菓子の製造と販売、リサイクル品の回収、季節ごとの墓所清掃です。全国の教会、施設、牧師の皆様にはこれまでも、焼き菓子の購入にご協力を頂きまして、まことにありがとうございます。

 2020年2月、新型コロナウイルスの知らせが全国を駆け巡って以来、法人として整えた感染防止対策は「密集を避け、手指の消毒、マスク着用」などです。影響は、帰省が出来ない方からの依頼を受けた墓所清掃は例年通り、リサイクル品の回収も例年通り、ただ焼き菓子の販売が苦戦しています。地方都市柳井でも、小~中規模イベント等の中止、自粛が起きていました。そのことが、外部での菓子販売の機会を無くすことにもなったのです。

 利用者の心身にも今回のコロナ禍は影響を及ぼしていると見ます。その中で法人としては、「日常を平穏に保つ」ことを第一に考えました。「日常的な言葉かけ」が利用者の方にとって最も必要です。職員たちはそれぞれ、利用者の方との日常的な会話や面談などでそこに注意を向けていたと思います。職員自身にも初めての事柄でしたが、この事態の中で良く向かい合っていると思います。

 当法人では、利用者の方々と年に2度、日帰りと一泊で旅行に出かけます。旅行の時には利用者の方々が靴を新調するなど、この時を本当に楽しみにしています。ところが今年の春~夏、その機会はなくなりました。秋には、感染防止対策が施された大型バスで旅行に出かけられましたが、良い時間であったと思います。家と病院と職場(「一粒の麦」)の往復だけでは気が詰まります。非日常の喜び、レクリエーションが必要なのです。

 利用者の方にとって、当法人は大切な居場所となっています。新型コロナウイルスの脅威が中々去らない状況の中で、何が出来るかということを共に考えて行きたいと思います。

社会福祉法人 別府平和園
施設長 近藤邦子 (別府教会)

 2020年は笑顔でよい年をと願っていました。早々新型コロナウイルス感染症が発生し、全国に緊急事態宣言が発せられ、不要不急の外出自粛が求められました。施設でも感染症対策に取り組み、具体的予防策マニュアルを段階的に作成しました。3密を避けマスク着用、手指の消毒、うがい実施を子どもたちにも理解できるよう常に情報を発信しました。現況の説明、感染予防の方法、外出自粛のお願いなどを施設長、看護師、主任などがそれぞれのユニットごとに丁寧にお話をして行きました。子どもたちが楽しみにしていた園外の行事や招待はことごとく中止になりました。保護者との面会、外出、外泊も自粛を余儀なくされ、習い事や塾など外部の人たちとの交流もほとんどが自粛になりました。 徐々に日常が戻ってきたところで、10・11月には大分県にも新型コロナウイルス感染症が発生して緊張の毎日となりました。子どもたちも職員も予防対策に従って生活をしています。
 3月末から5月中旬までそれぞれの学校が休校となり、子どもたちは約2ヵ月近く一日中園内で過ごさなければなりませんでした。唯一子どもたちが交わることができるのは屋外でした。ある日、「あの子がほしい・・この子がほしい・・」と子どもたちの大きな歌声が聞こえてきました。中高生と幼児さんと一緒に職員も一列になって「はないちもんめ」をしていたのです。みんなとても楽しそうな笑顔でした。コロナ禍にあってもみんなで遊ぶ楽しさを見つけ、職員も一緒に同じ時間を過ごす関わりは子どもたちの情緒を穏やかにしてくれていました。 別府平和園の聖句「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは私にしてくれたことなのである。」そのものでした。最も小さい者が身をかがめ、寂しく、つらいときに職員は兄弟のように接し愛してくれました。日々の尊い働きに感謝です。

世界の教会の声

浅野 直樹Sr.(世界宣教主事  市ヶ谷・スオミ教会牧師)

コロナ禍に高まる結束③

世界ルーテル連盟(LWF)がドイツ・ハノーファーのラルフ・マイスター監督にインタービューした記事(2020年8月7日)の続きです。
(元の記事のURL)
https://www.lutheranworld.org/news/covid-19-new-awareness-social-cohesion-growing-crisis

—しかしながら成長の論理が社会を豊かにしてきたともいえます。成長の論理の追求で、最も影響を受けやすい社会では、どのような深刻な結末が考えられますか。
「コロナウイルスによって益々顕著になってきた社会の分断が、危険なレベルにまで深まると考えるのが妥当でしょう。コミュニティでの心配りが今後重要になると言ったのは、このことがあるからです。コミュニティの心配りのあり方として、富裕層がもっと責任を担うという考え方はあり得るでしょう。長期的な責任を彼らが担うために、もっと突っ込んだ協議をすべきだと経済学者は呼びかけています。」

—「富裕税」みたいなことですか?
「なんと呼ぼうとかまいませんが、平等な社会という観点からすれば、税制はそのひとつでしょう。」

—不確実と変化が特徴となった今、教会の役割は何でしょうか。
「希望を掲げることです。不確実な時代であっても神様が支え、守ってくれているという自信と神様への信頼を伝えることです。説教で希望を灯すことが、教会の中心的役割です。牧会的ケアは、教会本来の用語です。教会は、変化のプロセスにあっても大きな力となり得ます。教会は注意を喚起したり、和解をしたり、励ましを与えることができます。」
「施設レベルで政治家や関連団体、利害関係者たちとの協議をするに際して、教会は信頼し得る話し相手になれます。議論になったとき、地に足のついた声となるはずです。確かな真理と神の創造という視座に立ち、社会の正義の声であり、倫理的問題や込み入った事態に投げかける声となります。」

(以下、次号に続く)

ルーテル・医療と宗教の会講演会報告

小泉 嗣(東教区社会部・千葉教会牧師)

 本来5月に開催予定であった医療と宗教の会主催の講演会は、「今だからこそ」その声を届けたいと、9月4日にオンラインにて行われました。

 本年のテーマは「スピリチュアリティの視点から—『いのち』の尊厳を考える」。講師のルーテル学院大学の石居基夫学長は、①現在の医療現場の課題が、近代以降大切にしてきた「死の助けはしない」というヒポクラテスの誓いから、「命の質=Quality of Life」へと移行し、尊厳死や緩和ケアの取り組みの中で患者に対し心理的・社会的な側面に加えスピリチュアルな側面への関わりがあげられるようになったという導入から始め、②「いのち」という言葉を考えるとき、この言葉が一個人の中にだけあるのではなく、人と人、神と人という関係性、共同性の中にあるという理解と、宗教の言語であるスピリチュアルという言葉の持つ「神と人との関係」という理解との共通性から、「いのち」の尊厳と向き合おうとする時、そこにはスピリチュアルな視点が大きな働きをなすということを、その考え方の基本と、③その実践の場としての「死」の現場におけるスピリチュアリティの役割を実際のエピソードなどを交えて語り、④最後に、スピリチュアリティとは生も死も含めた大きな枠組みでとらえる「いのち」と関わりを持ち続けることであり、人格的な語り掛けを続けることであり、その関わりによって、その人の「いのちの尊厳」は守られていくことをお話しくださいました。

 コロナ禍の中で「関わり」を持つことが特に困難な現在において、私たちはいかにして「いのち」と関係を持ち続けることができるのか?という問いに対し、私たちを超えて関わりを持つ存在があるがゆえに、私たちはあきらめずに考え、問い続けることができるのだという、知恵と勇気を与えられる講演でした。

(参加出来なかった方は「医療と宗教の会」のYouTubeページhttps://youtu.be/aP1rSiZBehwにて是非ご視聴ください。)

第12回定例常議員会報告

事務局長 滝田浩之

 11月17日(火)、第12回定例常議員会がウエブ会議にて開催されました。

 これまで総会の延期に関する臨時常議員会が行われてきましたが、6月に行われた定例常議員会以後の全体の動き、また教区の対応などを分かち合う時となりました。すでに行われている各個教会支援策や、このコロナ禍での各個教会、各教区の状況をお互いに確認しました。九州の豪雨の支援活動の報告も行われ、現状の被害の様子や、引続き支援が必要な状況も確認されたところでした。以下、規則改正に関する件などを中心にご報告いたします。なお詳しくは、送付しております常議員会議事録をご確認ください。

1 土地建物回転資金貸付規定改定の件
 牧師数が減少する中で、老朽化した牧師館の解体が必要な教会が今後増えてくることに備えて、これまで建物耐用年数を延長するためにのみ貸付を行ってきた「老朽対策貸付に関する規定」を改定し、牧師館解体のために貸付ができるようにしました。返済方法などについては、これまで通りとなります。

2 教会用地売却の原則改定の件
 牧師館の解体について、老朽化対策貸付金の借入を行っても返済の目途をたてることが困難であり、今後、牧師館に牧師の居住については見通しを持つことができない時に、牧師館の底地部分のみを売却することを認めることとしました。あくまでも宣教のために礼拝堂は維持していくこと。また売却益については牧師館解体のみに用いることができることとし、礼拝堂の建て替えや修繕の計画は伴わないことを条件としています。日本福音ルーテル教会は、宣教用地を一部売却する場合、売却後、残る土地が200坪を下回る売却を認めていません。この条件について牧師館解体に限り緩和をした形になります。

3 ハラスメント防止の件
 昨年の常議員会で承認を頂いた「ハラスメント防止規定」ですが、引続き相談窓口をNPO法人フェミニスト・カウンセリング東京に業務委託を行い進めています。相談件数などの報告が上がっているところです。 常議員会では改めて、この件について確認を行いハラスメント防止に向けてアサーティブな態度を教職、信徒相互で確認することとしました。他教派の情報ですが、牧師の個人のSNSの発信に対して、ハラスメント案件にまで至ったことなどが報告されています。SNSはすでに身近な情報ツールになっていますが、個人の発信なのか、牧師としての発信なのか、その受け取り方については受け取られる方の立場で様々です。写真の公開も含めて、「ネットリテラシー」の作成などガイドラインを整えていく必要を確認しました。

4 九州学院とのチャプレン出向協定について
 日本福音ルーテル教会は九州学院、九州ルーテル学院、ルーテル学院大学に対してチャプレンを派遣しています。これまでに出向元と出向先の間で、招聘手続きや処遇について協定書を結ぶことなく、これを行ってきましたが、今後、法人同士の関係を書面で表すことが大切になるものと考えています。このたび九州学院と日本福音ルーテル教会の間で議論を行い、協定書を作成しましたので日本福音ルーテル教会側の承認を求めたものとなります。

5 第7次綜合方策について
 総会の延期を受けて、新たに選任された教区常議員の先生方のご意見を取り入れつつ、標記の件の検討が行われました。基本的には大幅な修正に至るものではありませんが、コロナ禍で「第7次綜合方策」が懸念していた「牧会力の低下」が物理的にも困難な状況を生んでいることを確認し、方策上懸念されていた事柄が、より鮮明に問題化していることなどを確認したところです。このような状況の中で、より宣教的な教会になるために、今後も、議論を続け総会へ提案されていくことになります。

6 その他
 その他、今年度の統計表作成の理解、押印を不要とする書類の確認、次年度の各個教会の予算作成に関わる牧師給や協力金のことなどが議論されて承認されました。

事務局から

総務室長 滝田浩之

 常議員会において承認されたことについて、何点かお願いとご連絡を申し上げます。

1 年末調整の電子化
 すでに各教職にはお願いしていますが、年末調整について電子化を行っています。今後、可能な限り、ご協力をお願いできればと思います。ご協力頂いた教職のみなさまに感謝いたします。もちろん紙媒体での提出についても対応いたします。

2 押印不要文書、書類文書電子提出の件
 これまで認印や教区印を求めてきた書類について「署名」をもって正式書類として受理します。またPDFでの提出を認めます。具体的には「自給金報告書」、「本教会申請書類」がこれにあたります。但し、本教会との金銭証書(資金貸付等)については引き続き自書と押印を求めます。なお実印を必要とするケースなどは、押印をお願いしなくてはならないケースもあることをご了解お願いいたします。

3 今年度の統計表の件
 各教会で、公開の礼拝の中止などが行われ、礼拝回数や礼拝人数の算出について悩まれることと思います。常議員会では、教勢報告書は、あくまでも教会の「実態」を把握することにあるという大原則に立つことを確認しています。よって例年と比べてみて教会の「実態」を表す標記を心掛けてください。礼拝実施回数をどう考えるか、ネット視聴者(ライヴ配信参加者)を礼拝人数に含めるか、複数回実施する礼拝をどのような礼拝回数とするかなど、各個教会でご検討頂ければと思います。

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