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るうてる2021年

るうてる2021年12月号

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「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」

日本福音ルーテル教会牧師 太田一彦

「御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。」
コロサイの信徒への手紙1・17

  私はこの7月に38年間の牧師としての務めを終えることになりました。突然の心臓病のためでした。思えば最初の任地が仙台、そして最後の任地も仙台でした。
 その仙台を去る日、私は心の中に魯迅の言葉を思い巡らしていました。魯迅は仙台にゆかりの深い作家・思想家です。彼の「絶望の妄想なること、まさに希望と相同じ」(※1)という言葉をです。彼は絶望も希望も同じく妄想だと言うのです。実に衝撃的な言葉。この魯迅の言葉は、今、主のご降誕を希望の中で待っている私たちには正反対にある言葉のように感じたのではないかと思います。なぜなら希望も絶望と同じく虚しいものだと彼は言っているからです。この言葉が私の頭から消えなかったのです。コロナで閑散とした新幹線の中で私はこの言葉を思い巡らしていました。

 電車が福島にさしかかった頃、妻が隣で突然「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川。智恵子抄。うふふ。」(※2)と笑うのです。長く私と一緒に教会に仕えてきてくれた妻の変わらない笑顔に私は「そうか、魯迅の絶望の妄想なること、まさに希望と相同じという言葉は絶望も希望も同じく妄想だと彼は言っているのではないぞ」と気がつかされたのです。私たちが今、何かに絶望を抱いていて、それを自分で絶望としてしまうなら、希望もまた虚しいもの、絶望と同じものになってしまうということを魯迅は言っているのではないかとそう思ったのです。逆に絶望の中に在っても、希望を失わず、希望を持ち続けるならば、絶望は決して絶望ではなくなるのです。つまり、ポイントは、何が真の希望なのかという事なのです。

 私たちにとって真の希望とは何か。それはキリストです。クリスマスに生まれ給う主イエス・キリストです。今マリアの胎に神の御心・御旨によって宿っている主イエス・キリストなのです。その御旨・御心とは私たちの救いです。それが、マリアがヨセフによってではなく、聖霊によって身ごもったということの中味なのです。主が聖霊によって宿ったのでなければ、主は私たちの真の希望とはなりませんでした。何故なら、それはヨセフとマリアの子であって、神の御子ではないからです。神の御子であるから主イエス・キリストは私たちの救い主・真の希望なのです。

 今私たちは主の来り給うを待っています。アドヴェント。それはまた、主の十字架を思うときでもあります。なぜなら、主がお生まれになったのは、十字架におつきになるためであったからです。人間には必ず誕生と死があります。命ある者には、必ず誕生と死があります。初めがあることは嬉しいことです。しかし終わりがあることはとても悲しいことです。しかしその死を打ち砕くために、キリストは十字架にお付きになられました。主は、私たちを死からお救いになるためにお生まれになられたのです。私たちの救いはこのキリストの受肉から始まります。私たちがクリスマスを待つのは、真の神が真の人となって、この世に来られるからなのです。そしてこの事実は、天の使いが「あなた方のために救い主がお生まれになった」と告げたように「民のすべてに及ぶ」のです。私たちはこの救い主・キリストを迎えるとき、罪と死から救われます。慰めと喜びが与えられます。絶望が希望へと変えられるのです。だから私たちは無残に十字架にかかって死に、その死によって私自身の罪を赦し、復活して私たちに命の約束をしてくださり、希望を与えてくださった救い主イエス・キリストの誕生を祝う。それがクリスマス。

 「御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。」これはコロサイ書1・17の言葉です。私たちの存在は、命は、キリストによって支えられているのです。キリストは私たち一人一人の内にどんな時でも共にいてくださいます。だから私たちに絶望はありません。キリストがいつも私たちと一緒にいてくださるので、たとえ私たちが「死の影の谷を歩もうとも」私たちに絶望はないのです。在るのは希望。絶望ではなく希望なのです。

編集部註
※1魯迅「希望」、「野草」(1927)所収参照
※2高村光太郎「樹下の二人」、詩集「智恵子抄」(1941)所収参照

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉑「また明日」

「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6・34)

  明日のことまで思い悩むなって言われてもいろんなことを心配してしまいます。しょうがないよと思ったりもします。逆に明日が来て当然と思うこともあります。
 このような経験があります。学生の時の実習で末期患者さんに関わる施設で実習させて頂き、早速担当する方の部屋へと看護師さんと訪ねました。看護師さんが「Aさん、今日から実習でAさんを担当されることになられた学生さん、いっぱいお話ししてあげてね」と言われました。そしてその看護師さんの目をAさんはじっと見られていました。「Aさんよろしくお願いします。」と私が言った後、看護師さんは部屋を出て行かれました。するとAさんは目を閉じられてしまい、私が何度かお呼びしても目を閉じられたままでした。他の部屋へ行くようにと呼ばれたので席を立とうとした時にAさんは目を開けられ、じっと私を見つめておられました。
 「明日こそ話そう」と思いながら他の部屋に行きました。
 Aさんどうしてるかな?今日こそ話すぞ。と思っていた私の耳に朝のミーティングで報告される言葉が聞こえてきました。「Aさんは昨夜亡くなりました。」
「えっ…」
 Aさんとの出会いはかけがえのない「今」を私に教えてくれました。今与えられる出会いを感謝します。

議長室から 大柴譲治

マリアの信仰

「お言葉どおり、この身になりますように。」(ルカ1・38協会共同訳)

  受胎告知時にマリアはおそらく13〜14歳前後。今とは単純に比較できないでしょうが、その頃は身体的にも精神的にも子どもから大人に移り変わってゆく不安定な時期。第二反抗期のまっただ中、自身のアイデンティティを確立するための大切な時期です。その意味でこの出来事は、マリアのみならず私たち自身のアイデンティティ確立の物語として捉えることもできましょう。向こう側から私たちに呼びかけてくる「永遠の汝」との関係の中に私たちは創造されています(創世記1・27、2・7)。私たちは神との対話的な応答関係の中に生きるのです。まず神が私たちの名を呼びます。「アダムよ、アダム」。そして私たちが答えるのです。「はい、主よ。私はここにおります」。
 天使の突然の来訪はマリアにとっては晴天の霹靂、さぞかし驚いたことでしょう。聖書でのイニシアティブは常に神の側にあって、神の呼びかけを人が受け止めるのです。私たちには予測はできないし、気づかないと応答できない。ノックの音が聞こえて初めて私たちは扉を開けることができるのです。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」(黙示録3・20)。目を覚まし、耳を澄ませて神からの呼びかけに備えていたいと思います。
 福音書では「天使」はクリスマスと荒野の誘惑、復活の3場面にしか登場しません(言葉としてはイエスの話にしばしば出て来ますが)。文字通り「天使」とは神からの使者であり、人と超越的な次元とをつなぐ仲介的な存在です。ボンヘッファーの獄中書簡から作られた讃美歌『善き力にわれかこまれ』(讃美歌21・469)は、教会讃美歌266「いま主のみ前を」同様、天使の存在を前提としています。
 マリアの天使への応答は私たちの魂を揺さぶります。「私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身になりますように」(ルカ1・38協会共同訳)。マグニフィカート(ルカ1・47〜55)につながるマリアの信仰告白。自分の理解を超えていたとしても、黙ってすべてを神の御心として受け止めてゆく謙遜と従順。御言葉への絶大な信頼と全面降伏(サレンダー)。「信仰の父」アブラハムの姿とも重なります。天使はそのようなマリアに「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」と祝福を宣言しています。このように天からの祝福の声を聴き取ることができる者は幸いです。よきクリスマスをお迎えください。

「教会讃美歌 増補」 解説

⑱増補7番「祝福のうちに」・増補8番「われら信じます」
讃美歌委員会 松本義宣 (東京教会牧師)

増補7番「祝福のうちに」

 6番「これこそ聖なる十の戒めよ」が12節からなるルターのカテキズム(教理問答)コラール、「十戒」のフルヴァージョン版とすれば、これはその短縮版の歌です。6番と同じく1524年に作詞されて、始めは同じ旋律で歌われました。しかし、同年に出たルターの友人で協力者だった音楽家ヨハン・ヴァルター(1490〜1570)の賛美歌集に、それぞれの歌には固有の旋律が望ましいとのことで、彼の曲で収録されました。ただしここではその旋律ではなく、1525年にストラスブールの歌集に登場した、この7番のメロディを付しました。その後カルヴァンの十戒歌でも用いられたそうで、「宗教改革」へのオマージュの意味も込めました。もちろん、6番の旋律でも歌えます。
 5節の中に、序言(呼びかけ)から十の戒めを含むコンパクトな内容が込められた歌です。また、6番と同じく各節が「キリエライス」という、「キリエ・エレイソン(主よ、あわれんでください)」の短縮形が終りに使われる、通称「ライゼン」と呼ばれる様式です。十戒を学び、生きるのも、常にキリスト=「主」の助けが絶対に必要なのだ、その祈りが込められています。

増補8番「われら信じます」

  この歌もルターのカテキズム・コラールで、前曲同様1524年の作です。十戒に次ぐ信条(信仰告白)を歌いますが、小教理問答書(エンキリディオン)でお馴染みの使徒信条ではなく、「ニケア信条」に基づいています。教会讃美歌233番には、トビアス・クラウスニッツァー(1619〜1684)作の信条歌(こちらは使徒信条が下敷き?)がありますが、このルターの歌は、旋律もここに付されたオリジナルのまま、今でも米国ルーテル教会の歌集(ELW・2006年刊、411番)やドイツ福音賛美歌(EG・1994年刊、183番)でも、現役で収録されています。やっと私たちも日本語で歌えるようになった、ルターの代表的な賛美歌と言えるでしょう。
 旋律は、元は1300年頃のラテン語「クレド(ニケア信条歌)」で、15世紀初め(1417年)にブレスラウで、1500年頃にはツヴィッカウで確認できる、ドイツ語で信条を歌う際に添えられたものだと言われます。1524年のヴィッテンベルクの歌集から、このルター作詞の歌として掲載されました。慣れないと少し歌いづらいメロディですが、チャレンジしてみたいと思います。
 カテキズムの歌は、学校や家庭で、エンキリディオンの学びに際して、本文を朗読し、学びを深め覚えつつ1節ずつ歌われたそうです。また、教理を扱う連続説教礼拝(午後の礼拝等)に際して、礼拝の始めに歌われたそうです。改めて身近に接したい歌です。

世界の教会の声

浅野直樹Sr(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

LWF新事務局長

 LWF(ルーテル世界連盟)の新事務局長にエストニア出身の神学者アンネ・ブルクハルト氏が選ばれました。過去11年にわたって務めたマーティン・ユンゲ氏を引き継ぎ、今年の11月から148の加盟ルーテル教会を率いることになりました(日本福音ルーテル教会も加盟教会です)。女性として初、また中東欧地域から選ばれた最初の事務局長でもあります。
 ブルクハルト氏はこれまでもLWFでエキュメニズム研究部門での働きと、宗教改革500年記念行事及びナミビアで開催された第12回総会のコーディネーターを担ってきました。
 エストニアがまだソビエト占領下だった1975年の生まれ。祖父母はルター派クリスチャンでしたが、旧ソ連時代に父親と祖母はシベリアへ強制送還されてしまいます。ソ連の機嫌を損ねてしまういかなる行動もとらないように注意しながらの暮らしだったので、宗教とは無縁の家庭で育ちました。そうしたなか、エストニアでは数少ない宗教を学べる学校へ通ったことが、彼女のキリスト教との出会いでした。そして2004年には按手を受け牧師となりました。
 「クリスチャンファミリーで育って自然に信仰の道を歩む人もいれば、使徒パウロのように突然回心して入信する人もいますが、私の場合はいろいろ問いを繰り返しながらゆっくりと徐々に信仰が育まれました。」
 今回の選出について次のように述べています。「大変な名誉に恐縮しています。理事会が私をここまで信頼してくださったことに深く感謝しています。LWFのコミュニオン(キリストにある交わり)での特別な責任を担うにあたって、神の霊の導きを祈っています。LWFは神様のミッション全領域に取り組んでいるので、理事会、加盟教会、そしてパートナー関係にある様々な教会と共に宣教に携われることを嬉しく思っています。」
「すべての人々の公平、平和、尊厳のために共に働き証しする教会、キリストを中心に集う教会というコミュニオン、それがLWFのいのちです。世界の教会がイエス・キリストを中心としたひとつのミッションに携わり、共に成長していくのにお役にたてるようにと祈っています。」

 LWF新事務局長が取り組む今後の課題は、新方策「With Passion for the Church and the World」の実行、そして2023年9月にポーランドのクラカウで開催予定の次期総会に向けて陣頭指揮を執ることです。
(了)

LWF新事務局長「アンネ・ブルクハルト氏

パンデミックの中の教会 九州教区の取り組みから

角本浩(九州教区教区長・神水教会・荒尾教会・合志教会・松橋教会牧師)

   新型コロナウイルス感染第1波が広がり始めた昨年3月の教区総会。オンライン配信を用いて礼拝等を守ることの推進を、教区宣教方策の一つとして掲げた。それは南九州地域において既に実践されていたことでもあった。・・・とはいえ、それは、ひとつのところでなされている実践であって、それが各地で行われていくのだろうか、自分のいるところで行われていくのだろうか。・・・どこか現実味を帯びていない思いで受け止められていたと思う。
 ところが、その後、わたしたちの意識とは裏腹に、配信による礼拝、会議、研修等は一気にトップギアに入って行った感がある。礼拝休止の教会が増える中、郵送などで信徒のもとへ文書が届けられていくのと並び、YouTube配信などで礼拝が行われるところが増えていく。さっと取り組んでいかれたのは、より若い牧師、信徒の方々が多かったと思う。
 その年の夏、おもに熊本南部を豪雨災害が襲った。他県ナンバーの車が走ったり、停車しているだけで、眉間にしわを寄せる雰囲気があった中で、集って会議をするには、常議員たちが県を越えて来なければならなかった。が、オンラインによってその対策会議は行われていった。「おお、これは便利ばい」「○○さん、音ば消しなっせ」慣れない感じも持ちつつ、今となっては、ごく当たり前になっている画面上での会議がことをスムーズに運ばせていった。

 今、私がこの原稿を書いているのが2021年11月であるが、つい1週間ほど前にルーテル阿蘇山荘の解体前の感謝礼拝を行った。行きたい気持ちはあっても、平日に阿蘇山荘まで行けない方々も多かったであろう。ただ、今回もYouTube配信でこれを全国の方々に配信することができた。私は会衆と、カメラの前でメッセージに集中するだけでよかった。ササッと配信設備を整えてくださる方々の頼もしいこと。
 現在も続いていることであるが、礼拝等の取り組みは基本的に各教会の判断に任されている。実施するのか、休止するのかなど。それは当初、たとえば地区ごとに相談しつつという話もしていたが、現状においては基本的に各個教会にゆだねられている。その足並みをそれぞれの判断でとしていたのは、果たして良かったのか。近隣教会が違う判断をしていることは、どう映っていただろうか。感染症という状況に限らず、検証していかねばならない課題かもしれない、と思っている。

ブックレビュー

「LAOS『神の民』としての教会」
北尾一郎著
(ヨベル・2021年)

三浦知夫(東京池袋教会牧師)

 2019年11月に東教区城北地区の五つの教会で、合同礼拝と学びの時を持ちました。その数か月前、その準備のための地区牧師会の学びの時間で、牧師が減少し教会が力を落としていくような不安を感じている、今の私たちの教会の「これからの宣教」をテーマに行いたいということになり、講師として定年教師の北尾一郎先生のお名前が挙がりました。失礼と思いながらも、その場からお電話をさせていただき、こちらも思いをお伝えしますと快諾してくださいました。その後、出席者に配布するための十数頁に及ぶレジメを用意してくださり、恵みあふれる学びの時を持つことが出来ました。その講演を聞かれた板橋教会の信徒の方が中心になり、講演を是非ブックレットにして出版したいと準備を始められ、この7月に「LAOS『神の民』としての教会」が発行されました。

 限られた時間の講演でお話くださったことに加筆をされ、ブックレットでは信徒と牧師が共に「神の民」として宣教していくことを分かりやすく教えてくださっています。北尾先生の宣教論の中で、先生がこれまで宣教牧会をされた教会での事例がいくつも紹介されており、私たちの宣教のためのヒントがたくさん詰まっているように感じます。ただ誤解を恐れずに記しますと、信徒と牧師が共に力を合わせて宣教していこうということは、これまでも幾度となく聞き、また話し合われてきたことです。問題と感じることは、実際にそのような宣教を展開している教会が多くないということです。学び、話し合うだけで一歩を踏み出すことがなかなかできていないというのが、私自身を含めた私たちの教会の現実であるように思うのです。だからこそこの「LAOS『神の民』としての教会」が私たちに、すべきことの具体的なヒントを与え、また前へ進むための後押しをしてくれると感じています。この場をお借りして北尾先生に心から感謝を申し上げます。そして皆様にお読みくださるようにお勧めいたします。

ルター 「マグニフィカート」500年記念
ルター研究所主催
クリスマスオンライン講演会のご案内

江口再起(ルーテル学院大学・神学校ルター研究所所長)

  ルカ福音書1章に、受胎告知を受けたマリアが唱った「マグニフィカート(マリアの賛歌)」が記されています。この賛歌についてルターは解説書「マグニフィカート」を著わし、今年は500年の記念の年です。
 コロナ禍のこの2年間、私たちも大きな体験をしましたが、その中でクリスマスを迎えます。聖書と ルターに学びつつ、主のご降誕を迎えたいと思います。ぜひ、クリスマスを迎える準備として、教会の プログラムの一つとして、講演会にご参加下さい。

12月12日(日)
13〜15時

オンラインで開催(オンライン参加のための情報は別途各教会にお知らせいたします。)
〈プログラム〉
◇講演「待つということ│マリアと現代」 江口再起(ルター研究所所長)

◇バッハ〝マグニフィカート〟演奏と解説 加藤拓未(音楽学者・NHK−FM「古楽の楽しみ」解説者)

◇シンポジウム「ルターとマリア」司会・石居基夫(ルーテル学院大学学長)
○ルター「マグニフィカート」紹介 滝田浩之(事務局長)
○ルターとマリア 多田 哲(日吉教会牧師)
○聖書・女性・マリア 安田真由子(ルーテル学院大学講師)

第7次綜合方策の紹介⑻

事務局長 滝田浩之

■方策本文より

第7次綜合方策主文
⒊ ディアコニア活動
⑴宣教の広がり

 ①宣教とは何か
福音宣教とは、単に伝道という枠に留まらず、広く社会に仕える働きをも宣教として理解する。平和・環境・人権に関する基本的な理念と取り組みも、この領域に含まれる。
②ディアコニア諸活動
 教区、個々の教会、関連施設での後援会組織等により、多様に実施されているディアコニア活動は、関係責任組織の主体性に委ねることを基本姿勢とする。
③釜ヶ崎活動
 釜ヶ崎ディアコニアセンター喜望の家の活動は西教区の責任下にあり、運営と教職の位置づけも含めた今後の可能性を責任教区と海外支援機関で必要な検討をしていただく。
④社会的マイノリティーの学習と支援
 教会が差別解消に取り組むことは、社会の中で福音を分かち合う働きである。痛みを聴き、認識し、共有することに努める。
⑤脱原発への取り組み
 すでに総会で承認された、脱原発の取り組みについて教区、個々の教会で学びを深め、エキュメニカルな活動へ参与していく。

⑵るうてる法人会連合における共同の可能性を探る。
①るうてる法人会連合という交わりが与えられていることを感謝する。
②一つの宣教共同体としての意識を更に強め、人材交流、人材育成について互いに連携し、その結びつきを強める具体的な展開を目指す。

⒋ 諸活動
⑴青少年育成

①次世代育成
 個々の教会及び教区の育成計画との整合性に配慮しつつ、次世代育成プログラムの継続と発展を全体的に図っていく。そのために、予算化と財源を確保し、適正なサポート態勢を継続する。
②国内・国際的プログラム
 グローバルに青少年の育成を図るため、沖縄など国内で社会の課題に触れ合う研修、あるいは海外教会及びLWF等の研修や体験学習の機会を、JELA及び海外教会の協力を得て、随時提供していく。

⑵女性会連盟
日本福音ルーテル教会に連なる重要な宣教推進と教会教育の担い手である女性会連盟に関しては、その主体性を尊重して、必要な協力関係を教区及び本教会において保ち、活動の育成に配慮する。

⑶インターネット伝道
①社会と世界に向けての教会の接点及び社会への教会の存在の告知という面から、今やインターネットの活用は有効かつ常識と受けとめる。
②インターネットによる礼拝は個々の教会の主任牧師の責任の下、すでに取り組みが行われている。今後もあくまでも主任牧師の責任のもと、教会間の協力のあり方の一つとして受けとめる。
③但し、聖餐をめぐっては教会論的、神学的検討を要する課題が残されていることを確認する。

■解説
 ここまで私たちは「個々の教会・教区・本教会」の役割について整理してきました。いよいよ日本福音ルーテル教会としての福音宣教の働きの内実が確認されていきます。
 エキュメニカルな対話を通して、「ルーテル教会はディアコニアの教会ですよね」と評されたことがありました。皆さんはどのような感想をお持ちになるでしょうか。もちろん自戒を込めて、隣人の痛みに連帯するに乏しい足りなさを私たちは告白せざるを得ません。しかし外から見れば、そのように評される側面を私たちは神学的にも、教会の体質としても持っているということは再認識されるべきではないかと考えます。事実、2017年の宗教改革500年を覚えた時、私たちはそのことを確認したところでした。第7次綜合方策を検討する委員会、また宣教会議などを通して宣教の内実を「福音宣教とは、単に伝道という枠に留まらず、広く社会に仕える働きをも宣教として理解する。平和・環境・人権に関する基本的な理念と取り組みも、この領域に含まれる」と明確に定義するに至ったことは重要なことです。この立ち位置から様々な活動が福音宣教という枠組みにしっかりとした足場を持って行われていくことが期待されます。

クリスマスに向けてペーパークラフトの作り方動画のご紹介

 現在、東教区YouTubeチャンネルには、ステンドグラス工房アスカ主宰・山崎種之さん(松本教会員)のご指導によるペーパークラフトの作り方の動画が公開されています。これらの動画は2020年と2021年の東教区のオンラインCS研修会のために東教区教育部の活動の一環として作成されました。これまでに、左記の6種類が紹介されています。
(各動画は5〜6分程度です。)
 教会学校だけでなく、様々な教会活動、また幼稚園・保育園や関係諸施設の活動にも是非ご活用ください。

公 告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。

2021年12月15日
宗教法人日本福音
ルーテル教会
代表役員 大柴譲治
信徒利害関係人 各位

横浜教会土地一部売却
・所在地
横浜市神奈川区松ケ丘
・所有者
日本福音ルーテル教会
 地番 8番4、8番5
 地目 境内地
・地積
 8番 4 225.06㎡
 8番 5 145.79㎡
・理由 売却のため

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