1. HOME
  2. ブログ
  3. 機関紙るうてる
  4. るうてる2020年7月号

刊行物

BLOG

機関紙るうてる

るうてる2020年7月号

機関紙PDF

説教「笛を吹いたのに」

日本福音ルーテル浜松・浜名教会牧師 渡邉克博

「今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。/『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。/葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった。』/ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」(マタイによる福音書11・16〜19)

洗礼者ヨハネの弟子たちがイエス様のところに来て帰った後のことでした。イエス様は群衆を相手にして語られています。「今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。』」今を生きているわたしたちからしてみたら古代のユダヤ社会に生きていた人たちは、神様に対してとても敬虔であり信仰深さを持って生きていたように思えます。しかし、そのような中にあって洗礼者ヨハネやイエス様に対して、態度を頑なに留保し、温かくもなく、かといって、冷たくもない、そのような態度で接するものが多かったようです。ここに、私たちは、今の日本における教会のある種の現代的な課題を共に感じることができます。
浜松教会・浜名教会に着任以来、浜松教会ではパソコン教室を開催しています。生徒は教会員であることが多いのですが、ある時は大学生に、また、ある時は地域の方に教えたこともあります。ずっと続けながら、参加者の方々が礼拝や洗礼に導かれるということがどれだけ難しいか、改めて気付かされました。

ところが、私がパソコン教室という働きを通しての伝道を諦めかけていたある時のことでした。しばらく休まれておられた生徒の方からお電話を頂きました。大病にかかって、牧師である私と話をしたいので訪問して欲しいとのことでした。訪問すると、闘病生活で不安そうな面持ちをされておられました。そして、その方はその場で洗礼を志願されました。私は、それまでのその方とのパソコン教室での出来事を振り返りつつ、こちらの方から「この方はキリストとの関係を求めていないだろう」という予断を持って、接していたのではないかと気付かされました。また私自身の信仰の足りないことを心から恥じました。

その方から話を伺いながら、わたしたちの世界に与えられているものの中で、病と死の恐怖に打ち勝つことができるのはイエス様の復活の福音だけであるということを改めて感じさせられました。 また、生涯の終わりの時に本当に自分を救いうるのは何かを改めて教えて頂きました。洗礼の準備、そして、洗礼式を通して、人間という存在はどれほど弱い存在であるかということ、また、そこにキリストの慰めと愛と永遠の命への招きの声が響く時に、どれだけ深い慰めがやってくるのかに気付かされました。

このような出来事を踏まえつつ、み言葉に目を移しますと、「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった」とイエス様が引用されましたが、み言葉の通りに心と体が踊っていなかったのは、私自身の方や、私たちの教会をも含むのではないか、という新たな視界も開けてくるのです。

そして、今思うことは、私たちの教会は、地域の声、社会の求めに応えることができているのかどうかということです。もちろん、人によって教会に対する求めは人それぞれでありましょう。しかし、その中にも、キリストの福音を求めておられる方がいらっしゃって、環境や機会さえ整ったら、信仰を求め始める方々もいらっしゃると思います。もちろん、大風呂敷を広げてばかりはいられませんが、教会は、これからも地道な種まきを続けなければならないと改めて決意をし、分かち合いたいと思いました。

福音書の時代のユダヤで、人々は断食をしているからとの理由で洗礼者ヨハネを見て拒み、飲み食いするからという理由でイエス様を見て拒みました。そのような当たり障りのない理由で拒絶する人々の中でイエス様は働かれ、滅びる他ない人々に復活の命、永遠の命を示し、多くの人をご自身のもとへと招きました。その福音とは、希望のないところに起こされる希望であり、滅びゆくものにとっての復活そのものです。喜びをもって福音の種蒔きをする教会でありたいと心から願います。

エッセイ 命のことば 伊藤早奈

④「チューリップ」

「イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。」(マタイによる福音書8・23〜24)

「あれっ折れていない。」ある朝、目覚めてすぐに庭のチューリップ1輪を、大丈夫かなぁと思い、おそるおそるソーッと覗き込むように見ました。その前の晩はすごい風で、せっかく1輪咲いていた庭のチューリップが今にもちぎれそうに揺れていました。それに夜中じゅうビュービュー風が吹いていたので私はてっきり折れてしまったかと思っていました。でも凛としてチューリップは太陽の光に向かって立っていました。
その時、漠然と「身を委ねて恐れないってこういうことなのかな。」っと思い、そう思った自分に驚きました。
風に抵抗して、真っすぐ立とうとするのでもなく、逆らうわけでもなく。揺れていただけ。でも立っているなんて、あの大風の中で冷静になるなんて、いったい私にはできるかしら?でもあのようにか弱そうに見える花1輪はそうしてたんだなぁって、神様の造られた自然に素直であるからこそ、の強さを改めて感じました。自分ならきっと、風が強く吹いたなら抵抗して、もし自分が倒れそうになったら踏ん張って不安にもなるでしょう。
私たちには、抵抗することも大事な時もあるし、踏ん張ることも時には必要です。
でもいつもそこにイエス様がおられるから、不安にならなくても大丈夫みたいです。

議長室から

総会議長 大柴譲治 「胃がビクビク動く」?

「主は憐れみ深く、恵みに富み/忍耐強く、慈しみは大きい。」(詩編103・8)

最近これまで自分を覚醒させてきた言葉を思い起こしています。1985年秋、神学生時代に築地の聖路加国際病院で臨床牧会教育(Clinical Pastoral Education=CPE)という3週間の訓練を受けた時のことでした。それはインパクトの強い訓練でした。私はそこで与えられた実存的な課題とそれ以来ずっと格闘してきたような気がしています。病院チャプレンでありCPEスーパーヴァイザーでもあった聖公会・井原泰男司祭が休憩時間に何気なくこう語られたのです。「僕はね、患者さんと話をしていても大切なところにくると胃がビクビク動くんだよね」。
胃がビクビク動く? 人の話を「頭」でしか聞こうとしていなかったそれまでの私にとって、それはにわかには信じることのできない言葉でした。そのような聴き方が本当に人間に可能なのか。確かに「腑に落ちる」とか「断腸の思い」という言葉はありますが、相手の思いを自分の「はらわた(ガット)」で受け止める次元があるとは衝撃的ですらあったのです。「ガットフィーリング」ですね。
聖書の中には「深い憐れみ」という重要な言葉が出てきます。それは神やイエスに用いられている語です。例えば詩編103・8(上述)やマルコ6・34、「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた」。ヘブライ語では「ラハミーム」、ギリシア語では「スプラングニゾマイ」。前者は「子宮、胎」という語に、後者は「はらわた、内臓」という語に由来します。「憐れみ」と聞くと私たちは何か「同情」とか「憐憫」という日本語を連想しますが聖書ではもっと具体的で動的であり、「はらわたがよじれるほどの産みの苦しみを伴う深い共感」という意味になります。イエスは自分の中心でもって相手の苦しみを受け止められたのです。さぞかし胃が痛かったに違いないと想像します。医者であったルカは「よきサマリア人のたとえ」や「放蕩息子のたとえ」など印象的なイエスのたとえを記録していますが、そこでもこの「深く憐れむ」というキーワードが出てきます(10・33や15・20)。
果たして私の胃がビクビク動くようになったかというと、恥ずかしながらそこまでは至ってはいません。まだ途上です。しかし、「頭」(ヘッド)だけでなく「心」(ハート)だけでもなく、「はらわた」(ガット)でも聽くという姿勢を大切にしたいと念じています。

「教会讃美歌 増補」 解説

①教会讃美歌「増補」版について 讃美歌委員会 日笠山吉之(札幌教会牧師・恵み野教会協力牧師)

新進気鋭の小澤周平牧師による「賛美歌と私たち」の連載に続いて、目下進められている「教会讃美歌」の「増補」版についても本欄に紹介するよう求められましたので、委員長の責任を担っている私がまず筆を取らせていただきます。
まず、この場を借りて皆さんに申し上げなければならないことは、「増補」版の出版が予定より大幅に遅れていることです。当初の予定では、ルターの宗教改革500年記念の年(2017年)に合わせて、新式文と一緒に発行するつもりでした。しかし、編集委員の奮闘努力にもかかわらず思いのほか編集作業が難航し、いまだ日の目を見ておりません。委員長としても大変責任を感じているところです。申し訳ありません。現在、「増補」版に収録予定の全54曲の譜面や原稿はほぼ出揃い、委員会では3回目の校正に取り掛かっている段階です。まだ、これから印刷会社との詰めの作業が控えていますが、来年には讃美歌集としての体裁を整えて皆さんのお手元に届けることが出来れば、と願っています。
さて、本欄に求められているのは「増補」版の解説と収録される賛美歌の略解です。全54曲を毎月1曲ずつ取り上げるとすると54ヶ月(4年余り)かかりますので、中には2曲まとめてご紹介することもあるかも知れません。いずれにしても長丁場になるかと思いますが、よろしくお付き合いいただければ幸いです。それぞれの収録賛美歌の解説に関しては、委員が交代で執筆いたしますのでお楽しみに!
当委員会には、日本福音ルーテル教会のみならず、日本ルーテル教団、近畿福音ルーテル教会、西日本福音ルーテル教会のルーテル4教派から委員が派遣されています。したがって他教団・教派の牧師、信徒の委員にも筆をとっていただく予定です。委員の皆様、よろしくお願いいたします。
とはいえ、収録賛美歌の解説に入る前に、「増補」版の目的や意義、編集の経過、「増補」版の構成や特徴などについて若干お話しした方が良いかと思われますので、しばらく数回は私が担当させていただきます。それでは、また次回お目にかかりましょう。

青年によるオンライン集会「#おうちで集おう」紹介と報告

森一樹(東教区市ヶ谷教会)

2020年4月上旬、世間では新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が秒読み段階にあり、それに伴って全国的に教会活動も自粛となっていました。そんな中、久しぶりにオンライン上で再会した藤崎喬史(本郷教会)、藤崎幸子(恵み野教会)、角本茜(大岡山教会)と、教会に行きたくても行けずに寂しい思いをしている全国のルーテル青年に向けて、またこの状況による青年の教会離れを少しでも防ごうと、オンライン青年会「#おうちで集おう」を企画し、緊急事態宣言の全国拡大直後の4月18日から毎週開催するに至りました。
この集いでは、毎週全国の青年の中から1人ずつ「証し」をお願いし、賛美歌を歌い、教会や青年、またコロナ騒動終息のために祈るひとときを持ちました。奏楽者や聖書朗読者、祈祷者も毎回異なる青年に依頼をして、「みんなで作る青年の集い」を目指しました。初回から27名の参加があり、5月に入ってからは毎週40名以上の参加者が与えられ、恵み豊かなひとときとなりました。緊急事態宣言解除と全国の教会活動再開を受けての6月6日の最終回まで、全8回の集いに累計300名以上の青年が全国から集いました。コロナ騒動を超えて、青年達が派遣されたそれぞれの教会、地域、社会でこれからも福音と共に在り続けることに、少しでも支えとなれたら幸いです。
以下、「#おうちで集おう」参加者による感想です。

地元を離れて約1年。ただでさえお仕事の関係で、毎週教会に行くことが難しくなっていた状況の中、公開礼拝ができないということになり、二十数年の信仰生活の中でこんなに教会に行けないという事が続くのは初めてで、先の見えない毎日に不安がいっぱいでした。そんな中、西教区青年会のLINEグループでこの「#おうちで集おう」があると聞き、知り合いも全然居ない中でしたが参加させて頂きました。画面越しだけどそこにいる人達と賛美歌を歌ったり、聖書を読んだり、証を聞かせてもらったり、共に祈ったり。私にとって毎週のこの時間は、とても大切なひと時となり、改めて信仰生活における仲間の大切さを感じましたし、大変な状況の中でしたが、私の中の信仰生活の1ページとして強く刻まれたものとなりました。毎週準備をしてくださった兄弟姉妹の行動力と実行力は尊敬の念に耐えません。次は画面越しでなく、教会でお会い出来たらいいなと思います。(西教区大阪教会・片山聴乃さん)

今回「#おうちで集おう」に参加し、奏楽のお手伝いをさせていただきました。ありがとうございました。賛美を通して神様に、私はここにいるよ!というメッセージを送るということであり、このような時だからこそ画面を通して皆で賛美し神様との対話を大事にするということの大切さを改めて感じました。今はソーシャルディスタンスを意識した生活により,会えない人たちが多いですが、こんな時でも神様の愛は自粛しておらず、いつも神様がそばにいて寄り添っていること、隣人を思いやる心を育む時を与えてくださる神様の愛に感謝します。(九州教区甘木教会・別府碧美さん)

子どもが生まれてからなかなか教会に行けなくなり、5年ほど前までルーサーリーグなどいろいろな活動をしていたのが信じられないくらい、家事育児の毎日を過ごしていました。そんな中「#おうちで集おう」に参加して、久しぶりに教会の仲間に会って「自分の居場所だなぁ」と改めて思うことができました。子どもが寝た後の時間だったので、落ち着いて賛美をして、証を聞くこともできて、企画してくれたみんなには感謝の気持ちでいっぱいです。(東教区東京教会・長谷川(高橋)奏さん)

プロジェクト3.11

いわき食品放射能計測所の現在」いわき食品放射能計測所運営委員 明石義信

毎年、いわき食品放射能計測所の働きをご支援いただき感謝申し上げます。
今は、新型コロナウイルスという目に見えないものへの恐怖と対処に全世界的な関心が寄せられております。ある意味においては放射能被害に対する危機感が薄れてきていると感じられます。
思い起こしていただきたいのは、目に見えないものへの対応がよく似ているのではないかということです。経過した時間や提供された情報量によって人々の認識は右往左往致しました。危機に対応して創り出される認識こそ慎重に吟味されることが必要であり、この認識の揺れの中で多くの人々が苦しみ、差別を受け、誤った判断が繰り返されてきました。多くの場合に比較対照され、より危険度の高いものとそうではないものとに分類され、「何々よりはましだ」という認識が作り出されます。それが量的な問題と関連して安全なものとの境界線が不明瞭化されることが多いように感じます。経済と命との天秤という発想にも似たような比較の問題が潜んでいるように感じてしまいます。
いわき食品計測は「いわきの初期被曝を追求するママの会」のスタッフに、通常の計測とサンプリングを担当していただいています。その中で、昨年の大雨被害の際に河川から大量の放射性物質が流出しているではないかと想定して、調査をしました。専門家からは流出水量が多く、希釈されて放射性物質検出は難しいだろうと言われていました。
しかし、被害者宅の汚泥を取り除く活動の最中、数軒のお宅の床下から1000ベクレルを超えるセシウムが検出されました。どこでも検出されているわけではないので、一般的な比較は適用しにくいのかもしれませんが、川底に放射能に汚染された汚泥が堆積されていたからこそ、起きた事象であると考えています。濃縮された汚染土が見つかり、被害が一部に凝縮される事実が繰り返されています。時間が経過しても、その事実から目をそらさないことが求められていると感じています。
計測所の所長をしておりました明石はこの度栃木に転勤し、後任の大川清牧師が計測所所長を引継ぎ、活動を続けています。私も計測所合同委員会の委員として引き続き参加をしております。公立小中学校の校庭や登校路の計測も行われています。
この様な状況をご理解いただき、お祈りとご支援の継続をお願い申し上げます。

パンデミックの中のディアコニア

熊本ライトハウス 施設長 緒方健一信

この春、法人内の異動により熊本ライトハウス(障がい児入所施設・障がい者支援施設)に着任し、私にとっては35年ぶりに初任地に帰ってきたことになります。当時は「盲ろうあ児施設」で、約90名の子どもたちが暮らしていました。障がい児のリハビリとしてスカウト活動が導入され、養護施設の子どもたちと共に野外キャンプを営む子どもたちに感銘を受けたことが思い出されます。現在は成人のための施設でもあります。
着任にあたり、チャプレンの安井牧師に就任式をしていただき、気持ちを新たにしたところですが、まもなく利用者に肺炎が発症、緊張が高まりました。続いて体調不良による2度の救急車要請、骨折事故の際は発熱があったことで医療機関のたらい回しに遭いました。重ねて施設内での感染リスクを抑えるために、利
用者が大切にされている家族との面会や外出、通院についても制限が求められるようになりました。利用者はもとより支え手である職員も同様です。そのような中にあって利用者の不安や淋しさ、ストレスを和らげようと、豪華なバーベキュー大会が計画され、皆さん心も身体も大満足でした。ちなみに入院中の利用者の方は回復されつつあります。非常事態宣言が解除され、今後は感染予防を徹底させ、日常を取り戻していきます。6月はじめには、利用者が讃美歌を歌い、CDによる牧師からのメッセージによって、祈りの時が持たれました。
熊本ライトハウスと健軍教会との繋がりは、歴代牧師、施設の利用者、職員によって保たれています。教会が実施した「ハナミズキの祈り」には、利用者からコロナ禍が早く収束できるようにとのメッセージが寄せられました。礼拝に集うことが許されず、私たちに出来ることはただ神様に祈ることです。
職員も支援に関わる「若枝奨学金」が施設から大学や専門学校に進学した学生たちへ緊急支援を実施しました。通常の形での奨学金も当施設を卒園する子どもたちが活用する流れを作っていきたいと思います。

新型コロナウイルス感染症に対する喜望の家と釜ヶ崎での取り組み 秋山 仁

喜望の家代表・ 豊中教会牧師

新型コロナウイルス感染症の日本国内での発生からほぼ5カ月。幸いなことに釜ヶ崎地域内では、労働者に感染者が出たということは聞いていません。
喜望の家では、4月から5月末まで、開館日を週5日から4日にして、手洗いとマスクの着用、換気に気を付けながら、活動してきました。食事会や公共交通機関を利用した遠出は自粛してきました。ボランティアの方たちも2カ月間はお休みしていただきましたが、日々のプログラム、相談活動はできる限り行ってきました。

地域内での動きです。
NPO釜ヶ崎支援機構は、釜ヶ崎内で野宿者が利用するシェルター(臨時宿泊所)を管理運営していますが、新型コロナウイルス感染症の発生時から、対策を大阪市に要求し、また独自の対策をとりました。3密を避け、シェルターの定員を200名に制限、登録制にして決まったベッドを使用してもらっています。大阪市が借り上げたアパートにも40名ほどが同様に宿泊できるようになっています。
シェルター出入りの際の体温測定、手の消毒、ベッドは間隔をあけて使用し、棟内は常時換気を行っています。発熱者が出た場合は、カーテンで仕切られた区画を利用、医療センターで受診してもらうようにしていますが、現在、まだ該当者は出ていません。
新型コロナウイルス感染症の影響で、失業したり、住居を失い新たに野宿状態に至る人たちのための緊急相談会が、野宿者支援活動を大阪市内で続けている21団体が協力して、5月末までに4回大阪市内で行われました。相談会前日に夜回りを行い、相談会のチラシを配布します。100件を超える相談があり、就労支援、居宅支援を行っています。クラウドファンディングで宿泊費と食費(弁当代)を集め、ホテルなどに一時的に宿泊できるようにしています。相談会は、今後も随時行っていく予定です。
マスク2枚と10万円の給付金申請書は、地域内で生活保護などを受給している方には届き始めていますが、野宿状態にある人たちは、まだ支援の外側に置かれています。
緊急事態宣言は解除になりましたが、コロナ感染のリスクは依然としてあります。喜望の家も、地域内の支援団体と協力して、今後も行政に有効な新型コロナウイルス対策を要求していきます。

住所・電話番号変更

スオミ教会

電話番号変更
03(6233)7109

栄光教会

住所変更(牧師居住地が、藤枝礼拝堂から焼津礼拝堂となったため。)
425—0027
静岡県焼津市栄町5の16の27
電話・FAX共用054(668)9724

高蔵寺教会

電話・FAX共用番号変更
0568(91)0244

福山教会

電話番号廃止

松江教会

電話番号廃止

松山教会

電話・FAX共用番号変更
089(923)1070

真の牧会者、園田剛牧師を偲んで

横田弘行(定年教師・義弟)

私は良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。
神学生時代、トウルナイゼンの『説教は福音を普遍的に語り掛けるもの。牧会は信徒の個々の状況に即し福音を細やかに説き明かし、悩み、苦しみ、悲しみに寄り添い、慰め、新しい決断へと促すもの』と学んだものでした。Pastoral care(牧会)とは羊飼いがその羊の姿、形、性格を知り尽くし、緑の牧場、水場、命へと導く一連の行為、そこには絶大な信頼関係が存在する。
去る3月29日、園田剛牧師が89歳で召された。時節柄、近親者による告別式が博多教会で池谷考史牧師司式で執り行われた。
義兄は1950年代半ば、大町教会時代、私の実姉、朋子と恋に落ち結婚された。牧師館も与えられ、私はその牧師館の一角に居候したことがあった。
園田牧師は牧師館の縁側で在日韓国人の信徒の方々とよく語り合い、時に手紙の代筆や申請書の作成に応じられる姿を垣間見たものです。
コーヒーを飲みながら、時にたばこをふかしながら真剣に語り合う姿に真の羊飼いと羊の麗しい関係を見たものです。
仕事を終えた後、やがてその信徒の方が井戸の水汲み、マキを割り、風呂沸かしの手伝いを始められたのでした。
笑顔と優しい口調で信仰へと導かれた方々は、下関、大町、神水、豊中、アメリカ、博多と各地に点在しておられるでしょう。牧会の任務を終えられた牧師にごゆっくりお休みくださいと声かけしましょう。

「今年、キャンプはないけれど、平和の祈りでつながろう!おうちでルーテルこどもキャンプ特別編」のお知らせ

TNG子ども部門

今年は新型コロナウイルス感染症の影響で、「全国ルーテルこどもキャンプ」を開くことができません。けれども、お祈りでつながることはできます。そこで、全国のお友だちがお祈りでつながるように、「おうちでルーテルこどもキャンプ」を企画しました。皆さんにはあらかじめ、平和のお祈りなどを送ってもらい、それを動画で配信し分かち合います。そして、それぞれの場所で讃美歌を一緒に歌い、聖書のお話しを聞いて、みんなでお祈りを合わせます。通常のこどもキャンプの対象は小学5・6年生ですが、ご家族はもちろん、どなたでもどうぞご参加ください。
日時は8月10日(月・祝日)午前10時スタート。時間は大体30分くらいを予定しています。お祈りなどの締め切りは7月19日です。
ぜひ、各教会や施設で参加をお勧めください。詳しい案内は、こどもキャンプのホームページで紹介していますので、ご覧ください(「ルーテルこどもキャンプ」で検索してみてください)。
http://www.asahi-net.or.jp/~gs6m-nkns/KidsCamp/(末尾のQRコードをご利用ください。)
みなさまのご参加をお待ちしております。

ペンテコステ世界オンライン祈祷会

浅野直樹Sr.(世界宣教主事・市ヶ谷教会牧師)

今年の聖霊降臨日(ペンテコステ)は5月31日でした。聖霊が働いて、世界各国の言語で主のみことばが語り告げられるようになったという使徒言行録2章の出来事を覚えて、JELCではこの日を「世界宣教の日」としましたが、海外の教会も同じビジョンをもっています。アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)もそのひとつで、先日世界宣教部(Global Mission=GM)の石田順孝(フランクリン)先生から、ひとつのお知らせが届きました。
ELCAが宣教協力をしている国々の教会とその信徒を招いて、世界の民と共に祈るという企画、Global Companion Prayer Serviceです。オンライン接続によってそれが可能となりました。今回、JELCもこの祈りの輪に加わろうと各教会にも呼びかけをしました。
ただ、祈祷会の目的は世界宣教を覚えるということではありませんでした。「こうしてつながる私たちが、今世界が不安の只中にいることを覚え、希望、慰め、平和を求め、しばらく続くこの試練の時を共に執りなし祈りましょう。」世界が新型コロナウイルスの被害と脅威に曝される中、癒しを求めるためのオンライン祈り会という趣旨だったのです。
ペンテコステに世界の民がいっしょに祈る。これを実現できるのがまさにオンラインと言えるかもしれませんが、よくよく考えてみると時差があるので、実際にはそんなに簡単ではありません。ELCAは、世界の現地時間に合わせて複数回の祈祷会を企画しました。ラテン・カリブ海地域、中東・北アフリカ地域、アフリカ大陸、そしてアジア・太平洋地域の四区域それぞれがアクセスできる時間帯を設定しました。日本は5月31日午後8時でした。シカゴにあるELCA本部を拠点に、世界各国の教会や家庭、個人が自分たちの言語で祈りをささげました。すべての祈りは英語に訳され、画面表示されました。祈りの後しばしの沈黙が続きます。そしてテゼの歌を用いての讃美が響きます。祈りのなかで印象的だったのは、おそらくELCAが宣教協力をしている国々だと思いますが(あるいはそれ以上だったかもしれない)、ひとつひとつの国名をメロディーにのせて歌いながら祈っていたこと。想像以上に多くの国々が次々と、先唱者の歌声から流れてきました。
今、新型コロナウイルスは各地で分断と対立を引き起こしています。ELCAの本国アメリカでは、まさしくその危機に直面しています。今後為政者が行政の道筋を見誤ると、世界が分裂しかねません。「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。」(ロマ5・3〜5)パンデミックは人類にとって大きな苦難ですが、これを機にかえって人と人、国と国がつながっていけるのだという希望をこの聖句は教えています。今回の祈りはこのみ言葉の実践だったといえます。

公 告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2020年7月15日

宗教法人 日本福音ルーテル教会 代表役員 大柴譲治 信徒利害関係人 各位

(1)栄光教会島田礼拝所

(ア)土地
・所在地 島田市大津道下
・所有者 日本福音ルーテル教会
地番 8677番1
地目 境内地
地積 1584㎡
(イ)建物
・所在地 島田市大津道下
・所有者 日本福音ルーテル教会
種類 礼拝堂・納骨堂
構造 木造平屋建
床面積
礼拝堂 170・44㎡
納骨堂 7㎡
理由 売却のため

(2)神水教会

・所在地 熊本市神水1丁目
地番 631番3、633番4
地目 宅地
地積 993・27㎡
購入価格 2千万円
理由 教会底地購入のため

関連記事