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るうてる2023年

るうてる2023年02月号

機関紙PDF

「試練の中で」

学校法人九州学院院長・チャプレン 小副川幸孝

「人はパンだけで生きるものではない。/神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」

(マタイによる福音書4章4節b)

 教会の暦では、「顕現節」が終わると「四旬節」(受難節)と呼ばれる季節が始まり、歴史的な聖書日課では、この時、イエスが荒れ野で悪魔の試みにあわれたという箇所が読まれてきました。
 これがこの季節に読まれるのは、この誘惑の出来事が、単なる誘惑や試練に打ち勝つということではなく、私たちの生き方全体の問題だからです。
 私たちは、自分の人生や生活をより楽しい方に、出来るなら苦しいことや悲しいことではなく、豊かで、安心して、楽に暮していきたいと願います。しかし、この願いが、実は、私たちに苦しみや悲しみを起こしていることも事実です。だから、イエスの誘惑は、まず、そういう私たち自身の姿と問題をはっきりさせているのです。
 イエスの誘惑は、彼が洗礼を受けてからの出来事であると記されています。私たちで言えば、洗礼を受けてクリスチャンになってからということです。これは大変象徴的です。神を信じて生きるというのは、人生を、本当の意味で深く豊かに生きるということですが、神を信じたから苦しいことがないのではなく、苦難や試練の中でこそ、本当に深く生きる道が開かれることをイエスはここで示されたのです。
 聖書は、ここで三つの誘惑を記しています。その第一は、イエスが40日の断食後に悪魔が来て、「あなたがもし神の子なら、その石ころをパンに変えたら良かろう。そのような力があなたにはあるではないか」と誘ったというのです。これは、断食後の喉から手が出るほど食べ物が欲しい時のことです。しかし、ここで注意深く聖書を読むと、悪魔の誘惑の言葉は、パンを食べることではなく、石をパンに変えることです。つまり、生きることそのものではなく、石をパンに変えるような生き方のことが問題になっているのです。
 その他の誘惑については、誌面の都合上省きますが、これらは誘惑というより、むしろ、私たちが積極的に良いことだと思って求めていることです。少なくとも食べることに困らない生活をし、権力や権威というほどではないにしても、人から良く思われたい、認められたいと思っています。自分がないがしろにされるといって腹を立てることは沢山あります。また、安心して暮したいと願っています。だから、何とかしようとあくせくします。ここで「誘惑や試練」として記されていることは、実は、私たちが普段、願い求めていることです。むしろ、私たちがこちらからそうしてもらいたいと思うようなことばかりです。
 しかし、聖書はこれが誘惑であり試練だと言うのです。
 なぜなら、豊かになり、安心して暮したいがゆえに、そして、他の人に認められたいがゆえに、恐れや不安に捕らわれるからです。
 そこで、イエス・キリストはどうされたかを考えてみましょう。キリストは、ここで単純に神の言葉に依り頼まれています。神の言葉に立つことで、ご自分の生きる姿勢を明確にされました。「人はパンだけで生きるのではなく、神の言葉で生きる。神を試みてはいけない。仕えられるのではなく仕えること。」このイエス・キリストの誘惑への答えは、彼の生涯を見ると、その姿がはっきりしてきます。
 私たちは、無意識に、知らず知らずのうちに、聖書が誘惑として示したことを望んで、大切なものを失い、不安や恐れに駆られて生きているのかもしれません。しかし、私たちは、キリストの言葉を、今日、思い起こしたいと思うのです。
 「私はパンだけで生きるのではなく、神の言葉によって生きる。私は神を試みずに、神に信頼して生きる。私は、人から仕えられることを望むのではなく、人に仕えて生きる」(私訳)。それが、試練の中で苦難や辛さを担って、人生を切り開いて行く時の一つの姿勢であること。そのことを聖書から教えられるのです。私たちは、その神の言葉を聞きながら日々を本当に豊かな思いをもって過ごすことができればと思います。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉟「表現されること」

「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。」(一ヨハネ3・18)

 「どいつもこいつも!」
 えっなんで今…私怒られてるの?ちょうど私がもうすぐ手術で入院することを彼女に伝えた時でした。「お大事にね。」とか「大丈夫」ならまだしも「どいつもこいつも」って…彼女の言葉は怒りというか悲しみに満ちていました。そういえば私が病院で彼女に会う少し前に、友達が少ないであろう彼女がお互いの家に行くほど親しかった女性が50代後半で亡くなったばかりで、しかも彼女が亡くなった原因の病気が、私が手術を受ける病気と同じ病気でした。
 私たちの使う言葉ってなんでしょう。伝える方法としての言語を持てない方々や疲れているのに疲れていないよと言う方々。悲しみをこらえて笑う人々。そして彼女のように悲しみながら怒る人。きっと表現されることと心が良い意味でも悪い意味でも裏腹な事が多い時があるんだなぁと思います。
 一人の方の経験されてきた全てをお聞きした時、それは「命のことば」であると感じたことがあります。お一人おひとりは神様からのことばに包まれています。そのことばには裏も表もありません。それは真実であるイエス様です。
 いくら私やあなたが自分から出る言葉で取り繕って誤魔化そうとしたり隠そうとしても、神様から与えられることばは私やあなたに真実を語り包み込んでくださいます。

議長室から 大柴譲治

「ご縁〜事実は小説よりも奇なり」

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」(伝道の書3・11、口語訳)。

 「自分はキリストと出会った仏教徒だ」とはカトリックの押田成人神父の言葉です。そこまで私は言えないのですが個人的に仏教哲学を深く尊敬しています。それは2人の僧侶とご縁があったためです。1人は学生時代の恩師、サンスクリット大家の鎧淳先生(1930〜2015)。東大卒業後に欧州に渡りユネスコの仕事などをしながらオランダで研鑚を積まれました。驚いたことに先生は、欧州でラジオから流れる諸言語が分からないのは悔しいからとすべてマスターしたそうです。私の編入時には東大宗教学科の後輩・清重尚弘学長に紹介の労を取ってくださいました。その合格を喜んだ先生が話してくださったことも驚きでした。最初先生は医学部にいたそうですが、キリスト教の伝道者と出会って「魂の医者」になろうと神学校に入った。しかし結局宗教学科に入り直して仏教を学ぶことになった。引退したらどこか田舎で薬草院を開きたいということでした。友人経由で昨年5月に東神大に調べてもらったところ、確かに1948年の「日本基督教神学専門学校」(翌年東神大に改組)に鎧氏の入学記録はあるけれど卒業記録はないとのこと。インターネットで調べると当時その予科は鷺ノ宮の路帖神学校の地にあったようです。もしそうなら先生と私には不思議な接点があったことになりますね。
 もう1人は私の親族。私の父は大阪吹田の出身ですが、私の従姉妹はスキー場で出会った方と恋に落ちて結婚。お相手は高野山僧侶の後藤太栄さん(1957〜2010)。高野山は弘法大師が1200年前に開いた真言密教の聖地で、太栄さんは高野町長としてユネスコ世界文化遺産登録のため東奔西走(2004年に登録)。私たち家族は2009年8月に西禅院に泊めていただきました。精進料理と美しい庭園が印象に残っています。朝のお勤めに参加後、従姉妹の案内で奥ノ院に祖父母の墓参りをしました。そこで太栄さんが難病ALSであることを知ります。韓国の新薬を頼まれ妻の親族を通して手配することになりました。その冬に御礼を兼ねてむさしの教会にご夫妻で来訪されました。牧師館で伺った志半ばでの「無念です」という太栄さんの言葉が忘れられません。最後に「お参りさせてください」と礼拝堂の聖卓前で祈った後に帰ってゆかれました。翌年10月に遷化。合掌。実はこれには後日談があります。毎年私は上智大学グリーフケア研究所でキリスト教人間学を担当していますが、昨年10月の35名の受講生の中になんとそのお嬢さん、私の従姪がいました。この広い世界でこのような不思議なご縁があるとは…。まことに「事実は小説よりも奇なり」ですね。

「教会讃美歌 増補」 解説

㉜増補15番「恵みの平和を」・増補16番「われらのみ神は 堅い城 力」

石丸潤一(西日本福音ルーテル新田教会牧師)

 「恵みの平和を」は、ラテン語賛美「DA PACEM DOMINE」をルターがドイツ語に訳した賛美です。平和を求める、おだやかな、しかし切なる、祈りの賛美です。
 面白いことに、ルターは、この詩を「Veni redemptor gentium(来ませ、異邦人の救い主よ)」というイエス様のご降誕を賛美する曲に乗せました。「神様の平和は、人となられたイエス・キリストにより、信じる者に来る」、そんなルターの信仰告白を感じます。

 「われらのみ神は 堅い城 力」は、ルーテル教会で最も愛されている賛美でしょう。讃美歌委員会は、とりわけ大切に、慎重に、この賛美に関する作業を進めました。
 楽譜は、《オリジナル》のメロディとリズムを採用したものと、これまで親しんできた4分の4拍子の《四声》の二つを掲載しています。《四声》版は、斉唱のほか、伴奏譜を用いて四声合唱としても賛美できます。
 歌詞は、徳善義和先生の『ルターと賛美歌』を手がかりとし、ルターが作った原詩のエッセンスを生かす日本語訳を目指しました。特に、出だしの部分です。『教会讃美歌』450番では「わが」は「強きやぐら」についていましたが、原詩に忠実に「神」につけ、「われらのみ神」としました。《四声》楽譜の歌詞は、『ルターと賛美歌』に掲載された徳善先生の訳をほぼ採用しています。《オリジナル》楽譜は、徳善師の訳詞をベースとしながら、韻律に合うように委員で歌詞を作成しました。
 より味わい深く、変わらずみなさんに愛されていく賛美となるようにと願います。
 新型コロナウイルスの影響。ウクライナとロシアの戦闘。不安を覚え、心と身体の平安が脅かされる時が長く続いているように思います。
 このような時こそ、私たちは、聖書のみことばを聞き、賛美を口ずさみましょう。「恵みの平和を」は優しく、「われらのみ神は 堅い城 力」は力強く、いかなる時も揺るぎない神様の平和のうちに立ち、歩んでいくようにと、私たちを励ますでしょう。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ルター聖書翻訳500年記念ウェビナー

 世界各地のルーテル教会では2017年に宗教改革500年を記念して数多くの行事が行われましたが、宗教改革から5年後の1522年、マルティン・ルターは新約聖書をドイツ語に翻訳して出版しました。同年9月に出版されたので9月聖書とも言われます。このときルターは39歳、わずか10週間で仕上げました。2022年はルターの聖書翻訳から500年にあたり、ルーテル世界連盟(LWF)では秋からウェビナー(オンライン上のセミナー)がシリーズで行われています。第1回は東京教会協力牧師のサラ・ヒンリキー・ウィルソン博士が担当しました。もう1人の講師はモロッコのエキュメニズム研究所所長ジーン・クーランニャ博士です。

 ウェビナーが問いかけたテーマは、ルターの新約聖書翻訳が当時の人々と文化にどう影響したか、1世紀のギリシャ語で書かれた聖書テキストが21世紀にも理解されるよう翻訳する際の要点は何か、聖書が多様な言語と文化の人々に伝わるうえで大切なことは何か、などです。

 サラ博士によると「ルターが何か新しいことを始めたというわけではありません」。聖書を自国の言葉に翻訳し出版したのはルターが最初というわけではありません。「けれどもルターの翻訳は、それまでにはみられなかった力を解き放ちました」。「ルターの仕事がうまくいったのにはいつくか理由があります。彼が改革志向の神学者として名が知られていたこと、言語的才能が豊かだったこと、それに活版印刷が進歩して印刷と配布が容易になったのです」。 「ルター個人の業績に注目が集まりがちですが聖書翻訳は彼一人の手柄ではありません。ルターはその後仲間に呼びかけて、共同作業で旧約聖書の翻訳を手がけました。」ルター派は、「まことの神の言葉」としての「聖書のみ」という立場に立ちつつも、聖書は過去2000年間個人や諸派によって様々に解釈されてきたという現実があります。福音書は何世紀にもわたって多くの議論を積み重ね、書き写され編集されて今日に至っています。ルターの時代と同じく「聖書のみ」の教えを保ちつつ、聖書のことばの濫用を防ぐために教会全体が話しあいを積み重ね、知恵と工夫を凝らしてバランスを保つことがこれからの課題です。

 クーランニャ博士はアフリカの諸言語や方言に翻訳する作業について語りました。アフリカの言語が書き言葉ではなく話し言葉を基本とするため、聖書の用語にふさわしい言葉や表現を見いだすうえで技術的に課題があることを指摘しています。「もう一つの難題はアフリカが植民政策の歴史を経ているために、伝統的な言語が消えかかっていることです」。聖書翻訳者たちが直面する真剣な問いは、「(この作業を通して)私が対話するのは誰なのかということです」。

 カメルーンのルーテル教会とモロッコの福音教会の牧師でもあるクーランニャ博士は、カメルーン北部の言語、ディ語への聖書翻訳作業をしています。「御自分の民に語りかける神であるから、神は状況と文化に応じて彼らの言語で語りかけてくださるのです。」「『言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。』(ヨハネ1・14)のですから、言は私たちの言語でも語られるということです。」
「聖書翻訳は文化と言語のルネサンスをもたらします。他国からの文化のフィルターを通すことなく、人々が直接神とみことばにつながることができます。」使徒ペトロが聖霊降臨の際人々に語ったように、「聖霊の約束はあなたとあなたの子孫のためであり、聖書翻訳の作業によって神の愛のメッセージはありとあらゆる言語と文化の人々に届くのです。」

 

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから ⑪NCC東アジアの和解と平和委員会

小泉嗣(熊本教会・玉名教会牧師)

 

 日本キリスト教協議会(NCC―J)の中には、これまでこの紙面で紹介されてきたものも含め、たくさんの委員会が存在します。そしてこの委員会は大きく「宣教・奉仕部門」「神学・宣教部門」「国際部門」「総務部門」のいずれかにわけられており、「東アジアの和解と平和委員会」は「国際部門」に位置します。
 この委員会は「9条世界会議」が設立の契機となった比較的新しい委員会だったと記憶しています。国や宗教、政党を越えて「平和」のために共に集い、祈り、語るために日本において様々な宗派、団体が集められ、NCCとしてその準備に関わり、そこで組織されたのが「東アジアの和解と平和委員会」でした。そして9条世界会議終了後も、東アジアに位置する日本に生きるキリスト者として、東アジアにおけるエキュメニュカルな交流と協力を進めることを通して和解と平和の実現に寄与することを目的として活動しています。
 最近の活動としては、世界教会協議会(WCC)、アジアキリスト教協議会(CCA)に対して、また近隣アジア諸国の教会に対して、積極的に提起を行い、2019年には在日大韓基督教会と共に訪問団を結成し平壌に謝罪の巡礼を実施。2020年7月には日韓両国が和解と平和を成し遂げる本当のパートナーとなることや東アジアの平和を願い「共同の家」を建設することを目標とし発足した「日韓和解と平和プラットフォーム」に主体的に参加しています。また憲法9条や沖縄の非暴力行動、暴力と痛みの歴史の記憶、和解と共生を目指し、2018年11月には「憲法9条とキリスト教」について、2019年2月には「朝鮮学校問題」についての学習会等を開催。最近では2022年11月の「関東大震災朝鮮人虐殺に関する要請文」の提出など、国内における問題提起や啓発などに
も取り組んでいます。
 新型コロナウイルスのパンデミックによって露呈した経済グローバリズムの脆弱性の中で、改めて「手と手」を取り合い、協力し、支え合い、祈りあうことによって「平和」を目指す働きの大切さを実感しています。
 みなさまの変わらぬお祈りとお支え、連帯をお願いいたします。

西中国地区るうてる 秋の大会・2022報告

平岡博(シオン教会)

 

 2022年11月3日(木・休)その日は雲一つない晴天であった。西中国地区4教会(シオン・宇部・厚狭・下関)から約40人が宇部教会に集まり、るうてる秋の大会が開催された。実に3年ぶり、感染対策をとり午前のみの開催であった。
 合同礼拝(聖餐式)は、司式中島共生牧師、説教水原一郎牧師、奏楽阿部勝さんで行われた。聖書は詩編42編1〜12節、「枯れた谷に鹿が水を求めるように神よ、私の魂はあなたを求める」で始まる箇所であった。この3年間乾いていた私たちの魂が、主によって満たされていく瞬間を感じ、「鹿のように」の賛美歌を歌った。
 礼拝、聖餐式に引き続き、社会委員会の佐伯里英子さんから、京都府「ウトロ地区」の戦後忘れ去られた在日韓国・朝鮮人の集落のお話を伺い、その悲惨さに驚き、またそれを克服して再生された話に心動かされた。また平岡より、本日の礼拝が「ルーテル学院・神学校」を覚える礼拝であったことに深く感謝し、短くアピールさせていただいた。写真の献金箱はシオン教会大工のFさん手作りで、この度シオン教会だけではなく、西中国地区の各教会に設置されることになった。たくさんの小さな思いが、大きな支えとなりますように祈ります。
 集会が終わって、反対側の隅に座っておられるMさんに気付いた。Mさんとは実に10年ぶりの再会であった。「Mさん、平岡です。覚えちょる?」と話しかけると「当たり前だわね。私らは、あなたたち家族が宇部からおらんようになって本当に寂しかったんよ。T君元気?」と長男の名前を呼んでくださった。この時、胸に熱いものがこみ上げてくるのを抑えきれなかった。視覚障害のある彼女は、私たち家族を昨日のことのように覚えていてくれた。ああ、主は集うことをよしとされている。3年前には集うことが当たり前と思っていた私たちはそれを忘れていた。
 主が与えたもう、貴重な秋の一日を感謝します。

北海道特別教区「秋の集い」報告

太田満里子(恵み野教会)

  

 コロナ禍が収まらない中、教区としての行事を前回好評だった「春の集い」に倣って、2022年度は「秋の集い」として行いました。
 11月3日(木・休)10時30分~12時まで、参加者48名。テーマは、教区の2022年度の主題である「慈しみの主への賛美はわたしたちの希望の歌」から、教区にある信仰の仲間と共に主を賛美しようというものでした。「春の集い」同様、教会堂からはオンラインで、個人ではZoomでとハイブリットでの集いでした。全体を合同礼拝とし、新式文と讃美歌増補版を使用するという試みでした。この日を迎える為に、各教会では新式文の学びを増補版作成に携わった日笠山吉之牧師からご指導を頂き準備しました。準備の甲斐あって、当日はスムーズに行なうことができました。
 礼拝を前後半に分け、前半は小泉基教区長による説教を頂き、テーマをかみしめることができました。中間には、分かち合いの時として、1グループ4~5名に分かれ、オンラインで繋がれ、普段会うことのない他教会の方々と交わりを持つことができました。教会堂に集まった方々はその場で行いました。分かち合いの時間には、各々好きな賛美歌を持ち寄り、その理由を説明し、分かち合い、最後に各々が挙げた賛美歌を声を合わせて歌いました。多少のタイムラグはなんのその、自分たちの大きな声でなんの不都合もなく賛美することができました。初めてお会いする方とも賛美歌を共有することにより、主によって一つに結ばれているという喜びを感じました。
 分かち合いの時間の後は、再び全員での礼拝に戻り、閉会礼拝となりました。増補版の新しい賛美歌を全員で賛美できたのも喜びでした。コロナ禍で教区として、一堂に会しての集まりができない中、オンラインにより教区にある信仰の仲間と繋がれ、時間が足りないと思うほど交わりの恵みと喜びを感じる集いとなりました。

第4回神学校オープンセミナリー報告

河田優(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校チャプレン)

 

  11月13(日)、「第4回神学校オープンセミナリー」がオンラインで開催されました。教会や関連施設での献身を考えている人たちに神学校を紹介し、また参加者が互いに出会い、共に祈りあう機会をもつことを目的とします。本年度の参加者は7名でした。
 プログラムの第1部では、神学教育委員長の李明生牧師が開会礼拝で「召命」について語り、その後、互いの自己紹介がなされました。模擬講義では、旧統一教会の「原理講論」と聖書が比較され、聖書をしっかりと読む(全体を通して、深く読む)ことを学びました。
 第2部では教員や神学教育委員は外れ、JELCの森下真帆牧師とNRKの笠原光見牧師、そして神学生が加わりました。神学校での学びや牧師の働きについて質問が投げかけられ、また召命についてそれぞれの思いが交わされました。将来に向けて思いを同じくする者同士が語り合うことによって、互いに励まされ、力づけられたことでしょう。最後は神学生による閉会礼拝でプログラムを閉じました。
 これからも教会や関連施設への献身を考える者が一人でも多く与えられ、その思いが教会の思いと重なり、主の働き手として主の望まれる場所へと送り出されることを願います。

『神学校オープンセミナリーに参加して』

深町創太(箱崎教会)

 

  はじめて参加したセミナリー、2部構成のプログラムは第1部が開会礼拝に始まり、参加者紹介を経てミニ講義を受講した。今年の講義は河田先生による「聖書と統一教会原理」という内容で行われた。私たちが読んでいる聖書をどのように読み、解釈するのか?私たちもまた、自分達の都合の良いように聖書の言葉を利用してはいないか?福音とはなにか?講義を通して投げかけられているように感じた。しばらくの休憩の後、行われた第2部では神学生の方々の進行のもと、より学校生活や学びに対して重点をおいた質問や思いの分かち合いの時間を持ち、閉会礼拝を持ってプログラムを終えた。両プログラムを通して私が問われていると感じたのは「召命」である。一人のキリスト者として、そして献身について少しでも興味がある者として私はなにをすべきか、なにを求められているのか考えながら生きなければならず、また同時に私たちが考えてできる事、神様の求めだと信じて行うことも人の判断である事を忘れることなく、一切を委ねて神と人とに仕えたい。

「神学校の夕べ ─主の召しに応えて─」(オンライン)

 
 

 2023年2月26日(日)
説教:
立山忠浩神学校校長
司式補佐:神学生
ルーテル学院聖歌隊奉唱・ハンドベル演奏

 一人ひとりがキリスト者として主の召しに応える道を願い求め、皆で祈りを合わせます。
 17時からライブ配信を行います。
 視聴方法については後日ご案内いたします。

甲信地区一日神学校報告報告

野口和音(松本教会・長野教会牧師)

 

 甲信地区では毎年11月23日に甲信地区5教会が集まり、学びと交わりの時を過ごす信徒の集い「甲信地区一日神学校」を行っています。近年はコロナ禍の影響もあり、オンラインと教会に集う形でのハイブリットな開催となっています。2022年度は21名の方々にご参加いただきました。プログラムとしては信徒の求めに応じた学びの機会となるよう、甲信地区宣教協議会にて協議の上、講師の方をお招きしています。
 開会礼拝では、甲信地区担当常議員の佐藤和宏牧師の説教により、御言葉を分かち合いました。それに続き、ルーテル学院大学の教授である原島博先生より「〝生かし生かされる〟国際協力」と題した講義をしていただき、学びを深めました。ロシアとウクライナによる戦争など混乱する世界情勢の中、難民問題や国際協力のあり方を概観することから始まり、そこにある課題やルーテル教会がどのような働きを担っているのかを知ることで、新たな気づきや示唆を与えられました。講義後は甲信地区女性会の集いの時間として、今年度の担当教会である松本教会女性会から活動報告が行われました。そして最後に各教会の参加者のご紹介と近況報告を分かち合うことができました。
 長く続くコロナ禍に、甲信地区一日神学校でも以前のように集えなくなったり、出来なくなったことも多くあります。しかしそのような中でも、今できることは何か?と模索し続けていく大切さに改めて気付かされました。それは教会がこれまで続けてきた宣教の精神でもあります。「福音のためなら、わたしはどんなことでもします(一コリ9・23)」というパウロの言葉に立たされる思いです。距離は離れていようとも、各教会が互いにおぼえ、祈り、支え合いながら、これからも神様から委ねられた宣教と愛のわざに一人ひとりが仕えてまいりたいと思います。

2022年度「連帯献金」報告

  

 2022年度も多くの方々から「連帯献金」に支援を頂きました。
感謝して報告いたします。(敬称略・順不同、
複数回の献金もまとめての報告となります。)

   

■ブラジル伝道 25,000円
箱崎教会女性の会、東教区女性会

■ウクライナ人道支援 9,641,798円
大柴譲治、林雄治、タチバナサトシ、社)わかちあいプロジェクト基金、松本義宣、宮澤重徳・アマリア・輝雄、久留米教会、オオタキナオト、シンタニミサエ岸根義尚、ホソミサチコ・ノリカ、久保陽司、長谷義隆、イシモリトシユキ、藤本誠、神山伸夫、八幡真・潔子、白浜恵美子、鴨下和子、白浜真実、カワハシアイ、河野文豊・悦子、川﨑昌弘、松浦雪子、石川惠子、特別養護老人ホームディアコニア、竹内輝、江﨑啓子、丸山瑞穂、阿久根教会、犬塚協太、梅村亜恵、宮武晴昭、鈴木浩之、金田貴子、木原伊都子、岡田光穂、フジタヤスヒロ、四戸大地・二予、石井千賀子、名倉マミ、木邨仁代、西田一郎、西沢喜代美、望月隆延、本田裕子、連下千歳、佐藤昌代、雪ケ谷教会、谷口和恵、尾﨑瑞穂、小鞠須美代、伊藤美代子、佐藤義夫・福子、齋藤忠碩・惠、飯田教会、長谷川勝義、柳基相、斎藤覚・惠、森由美子、大森教会、シオン教会柳井礼拝所、岡林光志、岩田茂子、恵泉幼稚園、大牟田教会、坪本告子、近藤義之、小松康宏、オカオサム、山口和春、山中さなえ、平山新、福岡西教会、小田原教会、博多教会、穐山美也子、武村協、健軍教会灰の水曜日礼拝、鴫村真紀子、渡邉幸子、杉山準規、杉山雅子、曽武川栄一、大林惠子、秋吉亮・英理子、熊本教会有志、倉田亜紀、マツムラノリコ、日田教会、コグレマユミ、京都教会、岡崎教会、若林宏子、函館教会、小城ルーテルこども園、上原和子、川口恭子、知多教会、小林勝、佐藤紘一郎・重子、シオン教会徳山礼拝所・防府礼拝所・歌声、なごや希望教会、大江教会、南谷なほみ、杉山文隆、箕輪久子、小石川教会、唐津ルーテルこども園、玉名教会、平林洋子、市ヶ谷教会壮年会、稔台教会、ホウシマヤキヨコ、盛田義彦、竹川直子、アダチトモコ、太田泰子、聖パウロ教会教会学校、田園調布教会、松田繫雄、佐賀教会・小城教会・唐津教会、加藤俊輔・文代、保谷教会、牛津ルーテルこども園、珍部千鳥、日田ルーテルこども園、山之内正俊、西条教会、大野裕子、大野一郎、名古屋めぐみ教会、市吉伸行、土師智美、むさしの教会、HAGIWARA NOBUHISA、浜名教会、長崎教会、小倉教会・直方教会、千葉教会、北九州地区婦人会、藤田光江、大岡山教会、磯田一雄、恵み野教会、室園教会、甘木教会、松本佳子、東京教会、別府教会、浜松教会、小鹿教会、湯河原教会、藤が丘教会、高蔵寺教会、石田宏美、岐阜教会、安恒輝子、荒尾教会、大岡山教会教会学校、八幡教会、原口恵子、箱崎教会、沼津教会、神水教会、市ヶ谷教会、髙津和子、諏訪教会、東京池袋教会、松橋教会、岩永知樹チェロコンサート、札幌教会、大垣教会、聖ペテロ教会、厚狭教会、松江教会、大分教会、大林由紀、静岡教会、羽村教会、津田沼教会、神戸教会、甲府教会、村松良夫、大黒環、修学院教会、復活教会、聖パウロ教会、大阪教会、都南教会、神戸東教会、帯広教会、賀茂川教会、熊本教会、宇部教会、下関教会、板橋教会、豊中教会、日吉教会、宮崎教会、天王寺教会、蒲田教会、八王子教会、角丸智美、西宮教会、三鷹教会、岡山教会、三原教会、栄光教会、結縁美都子、市川教会、横浜教会、小岩教会、湯河原教会女性会、松本教会、金城学院ハープアンサンブル部(復活教会)、復活教会コンサート席上献金、島崎幸恵、高蔵寺教会教会学校、安藤淑子、東教区宗教改革祈念礼拝、福岡市民クリスマス実行委員会、小岩ルーテル保育園、高蔵寺教会るうてるフェスタ、高蔵寺教会CSクリスマス、蒲田ルーテル幼稚園

釜ヶ崎活動(喜望の家) 50,000円
市ヶ谷教会

世界宣教(無指定) 282,044円
シオン教会柳井礼拝所、神水教会、スズキヘイワ、出口洋子、博多教会、松本教会、湯河原教会、箱崎教会(らぶぴコンサート席上献金)、都留敬子、河村益代、千葉教会、めばえ幼稚園、大垣教会

 今年度も、社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害・飢餓に苦しむ方々に連帯したいと祈り願います。「連帯献金」をお捧げくださる際には、それぞれの献金目的[ブラジル伝道][メコンミッション][災害被災者支援][ウクライナ人道支援][釜ヶ崎活動(喜望の家)][世界宣教]を郵便振替用紙に明記頂き、下記の郵便振替口座にご送金ください。
郵便振替 00190−7−71734
加入者名 (宗)日本福音ルーテル教会

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