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るうてる2023年

るうてる2023年09月号

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「人を赦すということ」

秋山仁(日本福音ルーテル豊中教会・神戸東教会牧師)

「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」
(マタイによる福音書18・35)

 「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」というペテロの問いは、自分が誰かを赦すなら、どれだけ赦すべきか、(あるいは我慢すべきか)が焦点です。
 それに対してイエス様の答えは、赦されたいと願うならば、赦すことをせよ、というものです。ペテロの立場はあくまで、自分が赦す側であり、赦される、あるいは赦されている側にはいません。赦すか赦さないかを決めるのは自分になります。しかし、イエス様がたとえで答えたと同時に問うているのは、あなたは赦される立場にはいないのかどうかです。
 ここで、私が思い出すのは、姦淫の罪で女性を告発した人々とファリサイ派に対してイエス様が投げかけた質問です。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい。」
 そして、人々が去って行ったあとでイエス様は女性に向かっていいます。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」 罪の告発と断罪をするときに、自分を省みることが問われているともいえます。
 たとえに登場する王の最終的な怒りは、負債を抱えていた家来が、王から憐れみをかけてもらいながらも、自分は仲間の一人に憐れみをかけることもなく、無慈悲な仕打ちを行うことで引き起こされます。王の前にひれ伏し頼み込んだ家来の「必ず返します」という誠意を、王は信じて、彼を赦し、借金を免除するのです。しかし、家来が仲間にしたことは、彼の見せた誠意が見かけだけのものだったということを表しています。心の底から表すのではない見せかけの誠意、表面的な謝罪は、赦されることはないのです。
 イエス様のたとえが示しているのは、赦しの背景には憐れみがあるということです。相手の立場や状況を推し量って、心動かされることが相手を赦す根拠なのです。
 たとえ話でも、王自身が、貸しているお金が戻ってこなければ大きな損害を被る、というリスクを負っていることを知っています。家来も、本来ならその借金を返さなくてはならないことを認めるところから、すべては始まります。
 つまり、借金を罪と言い換えれば、罪を犯している人間が、罪を罪として認めることがなければ、赦しも起こらないのです。赦すとは、負債や罪をお互いが認めたうえで、反省している相手の立場をよくよく考えて、自分もリスクや痛みを引き受けることから始まるのです。さもなければそれはただの我慢にしかなりません。ペテロの立場に戻ってしまうのです。あるいは相手に対してよほどの優越感を持とうとするかです。でもそれでは無理が生じます。そして、何かの形で、自分の人生がその後も怒りや恨みといった不快な感情に支配されてしまうことになりかねません。
 自分に対して不正を行ったり、罪を犯した者を赦すことが、自分自身で出来るかどうかは、判りません。しかし、自分自身がそうした負の感情から癒され、解放され、自由にされることは必要です。
 負の感情から癒されるためには、私たちはイエス様に祈ることと共に、具体的な助けを与えてくれる仲間を必要とします。自分に罪を犯した相手に対する怒り、痛み、悲しみ、恨み、わだかまりなどを、聴き、受け止め、その負担を担い合って、時には執り成し祈ってくれる仲間の存在。その手助けのもとに、私/あなたが負ってしまった心の重荷を軽くできるとき、私たち一人一人は、「私に罪を犯した者」と向き合うことが出来ていくし、その罪を赦すことが可能になるのかもしれません。少なくとも自分が負の感情に支配されない勇気をもつことができるのかもしれません。
 私/あなたを「心から」無限に赦し、愛してくださるイエス様がおられます。私/あなた自身の罪を赦すために、十字架に架かられたイエス様がおられます。私/あなたを「心から」受け入れ、支え、守り、励ましてくださるイエス様がおられます。
 人が自分の罪と向き合い、赦しを請い、またそれを赦し合うことの背後に、このイエス様による憐れみと赦しがあることを覚えていたいと思います。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊷かけがえのない今

「しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。」 ルカによる福音書12・20

 「今年の初め家族の者は亡くなりました。生前のお交りありがとうございました。」
 見慣れない名前の方から一通の手紙が届きました。
 まただ…。病院で知り合った友達が多い私は「あの人大丈夫かな?」と思いながら郵便を出すことも少なくありません。メールを送るときも少し送る期間があいてしまうとメールを送るのが怖くなってしまいます。
 その方も例外ではありませんでした。ただ、最近引っ越して住所が変わったと電話で教えて下さったばかりだったのでショックでした。
 あの郵便は読んで下さったかな。それとも天国へいかれてから読んでくださったかしら?なんて思いながら上に書いた聖句を思い出していました。そういえば一緒の部屋で入院していた方に明日こそご挨拶をしようと思っていたのに「おはよう」と次の朝言うこともかなわなかったこともありました。
 「神様のもとでまた会えるから大丈夫。」と思えるのは幸せだと思いながらも寂しいです。
 〈私は今を憎んではない〉という詩を聞くことがあります。「今」という時を憎むどころか自分はよく忘れてしまっているのではないかなと思ったとき「財産」ってなんだろう?と思います。「おはよう」と交わすこと「こんにちは」ってあの人に言える今。日常の生活の一つ一つがお一人お一人にとっても私にとっても「財産」なのかなって思います。今を明日でいいやと思い、どこかにしまわなくてよくても、大切なあなたに「今」が与えられています。

改・宣教室から

小泉基 宣教室長(日本福音ルーテル 札幌教会牧師)

 宣教の現場に生きる方々との出会いを願うこのコラム。第1回目は札幌教会の柳下李裕理さんにご登場いただきました。
 ―昨夏、韓国の青年たちとの出会いのプログラムに参加されたのですね。
 柳下李 はい、「韓日和解と平和フォーラム」という、韓国と日本の青年を対象とした歴史認識の学習、社会構築の展望を広げる交流プログラムです。
 ―特に印象に残ったことは?
 柳下李 DMZ(非武装地帯)に特別に立ちいらせていただいたことです。一見すると草木が生い茂るのどかな川縁の居住地に無数の地雷が埋まっており、除去に200年を要するという衝撃的な事実を知りました。街中にも私よりも若いような青年たちが軍服を着て歩いており、朝鮮半島が「休戦中」である現実を再確認しました。と同時に、その現実に日本が加担している加害者意識をも感じました。また、ソウルの「戦争と女性の人権博物館」で、日本軍による性暴力被害者のハルモニたちの言葉を目にしました。あまりに凄惨な現実に衝撃を受けました。
 ―韓国の青年たちはいかがでしたか?
 柳下李 韓国からは様々な活動にかかわる方々が参加しており、日本からの参加者と意識の違いが浮き彫りとなる場面も多かったです。私自身も含め日本福音ルーテル教会の若い信徒における社会問題への当事者意識の弱さが露呈したと感じます。
 ―今回の経験から、ご自身の中に変化を感じられましたか?
 柳下李 在日韓国・朝鮮人と日本人の間に生まれた人間として、改めて私自身のルーツをもって韓日の和解に貢献できるのではないかという意識が生まれました。
 ―今夏は韓国の青年たちが日本に来られるのですね?
 柳下李 はい、昨年は韓国の方々に大変温かく受け入れていただきました。今年度はその恩返しも兼ねてホスピタリティを発揮したいです。
 ―大切にしておられるみ言葉があれば教えてください。
 柳下李 「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(コリントの信徒への手紙一10章13節)
 試練から逃れることを良しとする文言が心に響きます。
 ―ありがとうございました。ますますのご活躍をお祈りしています。

アジア・プレ・アセンブリーに出席して

本間いぶ紀(日本福音ルーテル甘木教会)

2023年6月14日から18日、ルーテル世界連盟のアジア・プレ・アセンブリーがマレーシアのクアラルンプールで開催されました。ルーテル世界連盟は世界各国に広がるルター派教会が集まり、私たちの信仰の実践として人道支援や開発支援、また神学研究を行う組織です。このプレ・アセンブリーは9月にポーランドのクラカウで開催予定の第13回ルーテル世界連盟アセンブリーに向けての事前集会で、私は特にユース部門の代表者候補の推薦を受けるために参加しました。9月のアセンブリーの選出選挙にアジア代表として推薦されます。
 プレ・アセンブリーには、6月16日、17日の2日間のみ参加しました。そこで出会った方々は、短い時間しか参加することができない私のことを温かく迎え入れてくれました。ユースと過ごす時間が多かったのですが、今回出会ったユースとは教会生活の話だけでなく、趣味や文化の話を通してお互いを知ることができました。
 私は過去にカンボジアのルーテル教会を訪れた際「カンボジアにも神の教えが、そしてルーテルの教えが息づいている」と感動したことがありますが、その時と同じことを感じました。他宗教のイメージが強いアジアの各地域から多くの参加者が集められたこと、彼ら一人一人がルーテル教会の一員としての働きに誇りを持っていること、ルーテル世界連盟の働きの大きさ、これがすべて神の計画の内にあることに、ただただ「すごい」の一言しか思い浮かびませんでした。
 渡航前、短い参加で私に何ができるのだろうと不安でしたが、「まず行って参加することが大事」という浅野直樹Sr.牧師の言葉に背中を押されました。わたしは今回、彼らと出会い、彼らを知り、彼らと時間を共にするという目的を十分に果たせたのではないかと考えます。
 9月のアセンブリーにて神の計画のうちにあって選出されることを祈りつつ、皆さまのご支援とお祈りに感謝申し上げます。そしてこれからの働きもお祈りください。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ルーテル世界連盟アジア プレ・アセンブリー報告

 ルーテル世界連盟(以下LWF)アジアのプレ・アセンブリーが、6月14日~18日にかけてマレーシアのクアラルンプールで開催されました。今年9月、ポーランドの都市クラカウで行われるLWFアセンブリー(総大会)に向けて開かれました。まずは地域ごとに集まり、アジアのルーテル教会の信仰の一致と宣教課題を確認し、ステートメントを発信するための集会です。JELCからは甘木教会の本間いぶ紀さんが部分参加しました。本間さんは、プレ・アセンブリーで次期総会期の青年代表理事候補としてノミネートされました。
 今回採択されたメッセージでは、多民族、多宗教社会における公共空間と信教の自由に関して、教会がなすべき役割について焦点が置かれました。
 ステートメントは、「アジアは複雑な状況と現実を抱える大きな大陸であるが、私たちが協力していくうえでこのことは障壁にはならず、むしろダイナミックな収束点となっていることを神に感謝する。」「固い絆の交わりの精神とディアコニアと平和への決意で、地域と世界のコミュニオンの未来に向けて、心を一つとする」といったメッセージが採択されました。
 集まったアジアの教会指導者たちは、アジアの教会が直面する「様々なレベルの抑圧」に対して深刻な懸念をステートメントとして表明しました。「政府による締め付けは言論の自由を妨げ、抑圧を強め、正当な懸念であるはずの反対の声を排除しようとしている。こうした政策が自由な信仰生活を妨げ、人権を侵害している。」
 ステートメントは、神学教育の重要性とそのための男女・青少年への機会均等、「宗教間対話への建設的な取り組み」に向けて神学生も関わることを促しています。またコミュニオンを豊かにできる青少年と女性たちのビジョンとコミットメント、彼らの能力を強化して、あらゆるレベルでの意志決定に参与できるよう継続的に努めること、平等の機会と権利を妨げる文化的社会的制約に対して教会が行動するよう呼びかけています。
 会議後、ホストをしたマレーシアのルーテル教会のローレンス監督が次のようにコメントしています。「主催教会である私たちは、今回のプレ・アセンブリー開催で祝福をいただきました。またアジアの姉妹教会が経験する苦難を分かち合うことができました。」「アジアの教会は多様ですが、この大会を通じて神学教育のような分野に互いの理解をより深め、協力態勢が築かれました。」
 LWFアジア局長のフィリップ・ロク氏は、「参加者119名の多くは『よそ者』としてクアラルンプールにやって来ましたが、ここに集ったことでクラカウへ向けての備えができただけでなく、私たちはここでアセンブリーのテーマ『一つのからだ』に結ばれ、『一つの霊』に導かれ、『一つの希望』に根ざすことを体験できました。」

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」④

日本福音ルーテル 帯広教会

日本福音ルーテル 帯広教会役員会

 今日に至る帯広教会の歴史は、1945年に浦幌町に入植者として入った吉田康登(やすなり)牧師による「浦幌・池田」開拓伝道、戦後の全国レベル開拓伝道計画による「釧路・帯広」二つのルートがあります。釧路教会、池田教会の礼拝堂は惜しまれつつもすでにありませんが、帯広教会での主日礼拝、釧路家庭集会、会場をお借りしての浦幌集会を定期的に行っています。この4月からは教区の宣教体制の変更に伴い、主日礼拝は毎週土曜日の午前10時に変更となりました。日曜日に主日礼拝が行われない珍しい教会ではありますが一人独りの信仰の養いや宣教の意欲は失っていません。礼拝後のお茶の交わりや花壇のお世話も楽しく取り組んでいます。
 牧師が在住する第3、第5日曜日を利用し、地域に開かれた教会を目指し今年は初めて町内会の夏祭り会場として駐車場を開放し、地域の方々と交流をすることができました。また、遠隔地に点在する教会に連なる仲間たちとの交流を目的として野外礼拝なども行っています。これに加え、牧会的な部分にも信徒が積極的に関り、相互訪問や寄せ書きなどを送る活動に取り組んでいます。対面での交流が難しい時も、祈りに覚え合うことで励まし支え合ってきました。
 地方の小さな教会で高齢化の波も押し寄せ、将来の見通しも決して明るいことばかりではありませんが、いま与えられている恵みに感謝し、自分たちに何ができるかを祈り求めつつ、小さな働きをコツコツと続けています。その中でも、「わかちあいプロジェクトの古着支援」「ちかちゅう給食活動への支援物資送付」「喜望の家」「まきばの家」など遠くにあっても神様の働きを担われている方々を覚えての活動は、恵みをわかちあう喜びに満たされ、今後も継続していきたいと願っています。また、秋には十勝の恵みを全国の皆さまへお届けする「十勝豆」の働きがあり、あらためて全国の皆さまによって道東宣教が支えらえていることを実感し感謝しています。

九州ルーテル学院大学

松本充右(九州ルーテル学院大学学長)

 アメリカ人宣教師であるマーサ・B・エカード初代院長によって本学院の前身である九州女学院が創立され、100年という大きな節目を2026年に学院は迎えます。「感恩奉仕」の校訓を大切にし、またキリスト教精神に基づいた豊かな人間性を育む教育を、教職員の協力のもとでこれまで行ってきました。大学としては九州女学院短期大学を改組転換し、1997年に男女共学の四年制大学「九州ルーテル学院大学」として開学した新しい大学です。現在、人文学部に人文学科3専攻(キャリア・イングリッシュ専攻、保育・幼児教育専攻、児童教育専攻)と心理臨床学科という2学科が設置されています。全学生数650名ほどの小規模私立大学であるため、教職員と学生の距離が近く、一人一人の学生を尊重し、少人数での手厚い教育と高い進路決定率(2023年3月の卒業生の今年7月時点での進路決定率は99・4%)の大学として、地元熊本では現在一定の評価を得る大学となっています。
 また、学院の校訓である「感恩奉仕」の精神に基づき、神と周りの人々へ感謝の気持ちを持ち、地域社会や周りの人々に奉仕できる人材を育成することを目標としています。その目標を実現するため様々な体験学修を重視しており、在学中に多くの学生は地域の学校、社会での様々な活動に関わっています。地域の小学校での放課後見守り支援活動、障がいを持った子どもと親への療育支援活動など学生たちは自発的かつ積極的に地域での活動に参加しています。在学中のこのような体験活動を通して、学生たちは地元への愛着や地域が抱えている課題を直接的かつ体験的に学んでいるように感じられます。
 地域社会と緊密につながりつつ、卒業後、地元熊本に貢献できる人材の育成を行ってきた結果、学生の卒業後の進路先は圧倒的に熊本県内が多くなっています。今年3月の卒業生の卒業後の進路の内訳を見ると、卒業生全体の84・2%が熊本県内で就職をしています。このように地域に根ざし、地域のために貢献できる人材を育成する完全地域密着型の大学が九州ルーテル学院大学の特徴です。

「教会讃美歌 増補」 解説

解説㊶ 増補44番「ごらんよ空の鳥」

井上栄子(日本ルーテル教団 戸塚ルーテル教会)

 息子が、カトリック系の中高一貫男子校へ入学した関係で、生徒のためのミサに参加した時のことです。聖歌斉唱の場面で、ティーンエイジャー男子の賛美に期待していなかった私は、腰を抜かすほど驚きました!会場が揺れるかと思われる声が響き渡ったのです。その聖歌が「ごらんよ 空の鳥」でした。
 優しく心温まる歌詞は、元気な生徒たちの純粋な心を導き出して、麗しい賛美へと昇華させる、そんな奇跡を目の当たりにする事ができました。私達も、そんな純粋な心で、歌詞を味わい主に向かって賛美したいと思います。

解説㊷ 増補53番「平和の祈り」

北川逸英 (日本ルーテル教団 池上教会・杉並聖真 ルーテル教会牧師)

 この歌は、ルーテル学院大学・神学校聖歌隊の愛唱歌です。聖歌隊は親しみを込めて「聖フラ」とこの曲を呼びます。「聖フランシスコの平和の祈り」の短縮形です。しかし今回の歌集のどこにも「聖フランシスコ」の名前はありません。
 それはこの「平和の祈り」が、聖フランシスコが書いた物ではないことが、20世紀後半に明らかになったからです。藤女子大学の木村晶子教授が『人間生活学研究第15号』に「アッシジの聖フランシスコの『平和の祈り』の由来」を論文発表されています。論文は藤女子大学のご厚意によりダウンロードができます。
 本論文によると、この祈りは20世紀はじめにフランスで生まれたと考えられます。それが第1次、第2次世界大戦を通じ、世界中に広まっていきました。論文の終わりを木村教授はこう結ばれています。
 「作者は不明のままであるかもしれないが、この「平和の祈り」はキリスト教の本質を短く単純に表現し、時代を超えて唱えられるすばらしい祈りであることに変わりはない」
 アッシジのフランシスコを熱愛する私も、まさにこの言葉の通りであると、心から感謝します。

エキュメニカルな交わりから ⑱カルト問題キリスト教連絡会

滝田浩之(日本福音ルーテル 小石川教会牧師)

 2018年にカルト問題キリスト教連絡会に日本福音ルーテル教会からの派遣委員として参加しています。
 カルト問題キリスト教連絡会は、日本基督教団、カトリック中央協議会、日本聖公会、日本福音ルーテル教会、日本バプテスト連盟、在日大韓基督教会によって「統一協会問題キリスト教連絡会」が発足したことに端を発しています。連絡会は3カ月ごとに参加団体の代表者が集まり情報交換をしつつ、韓国において同じ関心を持つグループと隔年で研修会を開催しています。
 「カルト問題」は、年々、巧妙かつ複雑になっており、個人が特に大学などで被害に遭うというケースのみならず、日本の伝統的なキリスト教会の乗っ取りといった事例まで発生しています。高齢化した教会に、とても熱心な青年として数名で礼拝に参加し、会員の方の信頼を得たところで役員などになり、教会の牧師は正しいキリスト教を伝道していないというような理由で追い出してしまうのです。個々の教会で宗教法人などを持っていますと、教会が分裂してしまうだけでなく、財産がすべて「カルト教団」のものになってしまうこともあります。
 是非、『カルトって知ってますか?』というカルト問題キリスト教連絡会が出版するパンフレットを活用していただきたいと思います。これはカルトについての全般的な学びに適しているとともに、別刷りで最近活発に活動しているグループの名前と具体的な活動例が紹介されています。社会貢献活動(地域ごみ掃除や高齢者支援)のような形で学生や青年を集めて、いつの間にか、そのようなグループの一員となっているケースは後を絶ちません。
 旧統一協会の問題が再度クローズアップされてからは、日本基督教団が専門の窓口を設けて「カルト問題」に対して積極的に活動してくださっています。何か、困ったことなどがあれば、その窓口に問い合わせをして頂けますと専門家につながります。ご活用ください。

※詳しくはWEBサイトをご覧ください。

九州教区「平和セミナー ~いのりの紡ぎプロジェクト~」開催

谷口美樹(九州教区社会・奉仕部・日本福音ルーテル 大江教会会員)

 2023年7月17日(月・祝)、長崎に40人の兄弟姉妹が集まり、九州教区社会・奉仕部主催の「平和セミナー」が行われました。
 午前の部は、長崎平和公園に一同が集まり、各教会で作成した「いのりカード」と「千羽鶴」を折鶴の塔に捧げました。これは、世界平和への道のりの中で、私たちにできるのは「みんなで祈りを合わせること」という社会・奉仕部全員の思いから生まれたものです。5月7日からスタートした「いのりの紡ぎプロジェクト」は、各教会のお一人お一人が祈りカードを書き、鶴を折り、隣の教会に平和の祈りを紡いでいくものです。最終的に集まった704人のいのりカードと折り鶴を一つに繋ぎ合わせていく中で、神様の恵みが溢れているようで、胸がいっぱいになりました。
 午後の部は、長崎教会を会場に「山脇佳朗さんの被爆体験『忘れられないあの日』」と題して、廣瀬美由紀さん(長崎教会会員)に講演をしていただきました。廣瀬さんは、交流証言者の一人として、山脇佳朗さんの被爆体験を語り継いでおられます。廣瀬さんが心を込めて再現していかれるお話は参加者の心に響き、改めて戦争の悲惨さと平和の大切さを考えさせられました。閉会礼拝での小泉嗣牧師のお話と会堂に響きわたる讃美歌に元気をいただき、平和への思いを新たにしながら会堂を後にしました。

満たされた交流会

立山忠浩(日本ルーテル神学校 校長・日本福音ルーテル都南教会牧師)

 聖公会神学院と私たち神学校の交流会が7月3日に開催されました。毎年開催されている催しですが(2020~2021年は中止)、今回は私たちが用賀を訪ねました。こちらからは15名(学生9名、教師6名)が参加。
 自己紹介の後、神学生の3名が(ルーテルから2名)召命観について語り、それを受けて学生と教師に分かれての意見交換となりました。学生たちの間で互いの召命観を聞き合うことが意外に少なく、意義深い会となったようです。
 教師たちは互いの教会と神学校の実情を分かち合いました。聖公会は西(京都)と東に二つの神学校を持っていますが、今年度は両校合わせて1名の神学生しかいないとのこと。私たちの神学校だけが学生不足に悩んでいるのではないことを改めて確認することになりました。その他、牧師の現任教育のための神学校の貢献についても語り合いました。神学院は宿泊可能な設備を有しており、定期的な研修会の企画に意欲的に取り組んでいることは有益な情報でした。
 教室、図書館、礼拝堂、そして寮と食堂も見学させていただきました。20人ほどは生活できる寮ですが、1名の神学生は家族寮で生活をしているとのことでした。食堂は学生だけでなく、学内で働き、また生活している教職員のためにも昼と夜の食事を提供しているようでした。少人数ですから経営的には厳しいはずですが、業者と提携しながら何とか維持しているのです。そこに聖公会の底力を見る思いがしました。聖餐礼拝の後、その食堂で夕食をご馳走になり、様々な意味で満たされて神学院を後にしました。

一日神学校。4年ぶりのキャンパス(対面)開催!

宮本新(ルーテル学院大学 教員・牧師)

 今年の一日神学校は、9月23日(土・祝)にルーテル学院大学を会場に対面開催で行われます。
 テーマは、「キリストの心を心とする〜関東大震災100年とディアコニア」。今から100年前の9月1日に発生した関東大震災は、当時の日本社会が体験した未曽有の災害でした。九州から東京へと宣教活動を展開していたルーテル教会も被災し、また「救援活動」に参画することになります。そこでの活動がディアコニアであり、やがて二つの社会福祉事業へと結ばれていきます。
 メインプログラムのシンポジウムでは、今年100周年を迎える東京老人ホームとベタニヤホームからシンポジストを迎え、ルーテルの社会福祉、ディアコニア、そして「キリストの心」について振り返り話し合うひとときを持ちます。
 このたびの一日神学校は、キャンパスに皆さまを迎えての対面開催をもう一つのテーマにしています。チャペルでの開会礼拝(午前9時30分開始)、またキャンパス内でミニショップを再開します。どれもこれも2019年以来のことであり、とても楽しみにしています。ただし、依然として感染対策に慎重を期するために半日開催としています。再会の喜びに併せて、安心安全のうちに集うことを願いとしています。その他、プログラム全体の案内・ポスターにつきましては、各教会にご案内をお送りしますのでそちらをご覧ください。

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