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るうてる2023年

るうてる2023年04月号

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「笑顔で、寄り添う」

日本福音ルーテル市川教会・津田沼教会牧師 中島康文

「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。」ルカによる福音書6章21節

 1983年4月2日、その日はイースターの前日で、私は黒崎教会(既に解組)で最初の礼拝を迎える準備をしていた。按手を受け、牧師として最初の礼拝に、緊張しつつも熱い意気込みを抱いていた私に、友人から電話があった、「るつちゃんが死んだ!」と。意味が分からず黙している私に、友人は「フィリピンで溺れた子どもを助けようとして飛び込み、子どもは助かったけど彼女は亡くなった」と状況を説明してくれて電話は切れた。
 藤崎るつ記さんは旧日本ルーテル神学大学福祉コースの学生で、私より2学年下級生であった。同じボランティアクラブに所属していたこともあって、食堂で一緒になるといろいろな話をしてくれた。笑顔を絶やさない活動的な学生で、卒業後フィリピンに留学して1年後のことであった。あれから17年後、私は市川教会に着任した。数カ月たったある土曜日の午後、笑みをたえた白髪の男性が教会の庭に立っておられた。藤崎信牧師、るっちゃんのお父様であった。近くにある信徒の方が始めた教会で月1回説教の奉仕をしていること、ルーテル教会だったから寄ってみたとのこと。それからは殆ど毎月のように訪ねてくださっては「元気ですか?」と笑顔で声を掛けてくださった。るっちゃんがそうであったように、笑顔で寄り添うことは多くの言葉よりも慰めや励ましになることを、私はお会いするたびに感じていた。
 「ユダヤ人を恐れて家の戸に鍵をかけていた」(ヨハネ20・19)弟子たちのところに来られたイエスは、どんな表情をされていたのだろう。手とわき腹をお見せになりつつ、表情は穏やかで微かな笑みをたえておられたのではないだろうか。だからこそ彼らは「主を見て喜んだ」(同20・20)のだ。エマオの途上(ルカ24・13以下)、暗い顔の2人の弟子が主イエスの十字架の死と空の墓のことを話しているのを聞き、一緒に歩きながらイエスはどんな表情をされていたのだろう。ガリラヤ湖畔に戻っていた弟子たちに現れたイエスは(ヨハネ21・15以下)、ペトロに三度「私を愛しているか」とお尋ねになりながら、どんな表情をしておられたのだろうか。穏やかで微かな笑みをたえたイエスを思い浮かべたとしても、決してそれは間違っていないだろう。主の十字架と復活の出来事は、私たちの恐れや不安を取り除くためであり、私たちが笑顔を取り戻すためなのだから。
 「助け合うことは大事です。しなきゃならない。だけど、それがすごくいいことをしているかのように勘違いしてしまう。聖書の中に勘違いさせる言葉(引用者注・マタイ25・35~36)があるんです。」「私が釜ヶ崎に行って労働者から気づかされたことは、『そんなこと(引用者注・食事支援等)で得意顔をするな﹄ということでした。誰が好きこのんで人からものをもらって生活したいと思うか。どうして、にこやかに『ありがとう』と返事ができるか。そういう訴えだったわけですよね。」「調べてみたら、なんと原文はちゃんと釜ヶ崎の仲間たちの思いにそうようなことが、きちんと書いてあった。『私が飢えていた時、自分で食べていけるようにしてくれた。私が渇いていた時、自分で飲めるようにしてくれた』」「ない人には施してやれ、ということではなかったのです。」(本田哲郎神父、2011年7月8日真宗大谷派圓光寺での講演より)主イエスが十字架に付けられ復活されたのは、単に恵みとして与えられたのではなく、私たちが地上の命を喜んで生きるため、何よりも私たちが笑顔を取り戻せるようにと、罪を贖い、死への恐れを取り除いてくださったのではなかったか。
 笑顔で寄り添ってくださる主は、十字架と復活を受け入れた私たちに告げてくださいます、「あなたがたは笑うようになる」と。
(参考・藤崎るつ記記念文集編集委員会編『るっちゃんの旅立ち—ボトランの海で命ささげて』キリスト新聞社1984年)

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊲「みんな違って」

「深い地の底も御手の内にあり/山々の頂も主のもの。/海も主のもの、それを造られたのは主。/陸もまた、御手によって形づくられた。」(詩編95・4~5)

 「味気ないなぁ…」そのように思ったのは最近よく使うようになった冷凍食品の『野菜のみじん切り』を見た時でした。
 少し前に自分が「子どもは機械で切った野菜ではなく、手で切って色々な形をしている野菜のほうが良い」と言ったことを思い出します。
 この前、久し振りにいつもは買わないお店できゅうりを買いました。袋の中のきゅうりは太くて真っすぐできれいに並んでいました。いつも買うお店のきゅうりは曲がっていたり、真っ直ぐだったり、太かったり、細かったりいろいろあります。
 いつもと違うお店で買ったきゅうりを見て異様な感じがしました。でも何度か野菜が山積みになったお店でなるべく大きくて太く真っすぐな野菜を選んでいた自分もいました。
 自然のまま、ありのままに存在しているものを私たちが便利に利用しやすく見栄えが良いように改良してしまっているのかもしれないと思った時、自然のまま、ありのままにある存在に安らぎを感じたり、自然の中で本来の自分を取り戻す人も少なくないような気がしました。
 なんでだと思います?それは自然やありのままの存在は神様からの命のことばだからです。自然が特別なわけではありません。神様から造られたあなたも用いられます。

議長室から 大柴譲治

「共死」の覚悟に裏打ちされた愛

 「ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」(ルカ15・20b)

 イースターおめでとうございます。ある新聞記事をご紹介させてください。「斎藤強君は中学一年の時から不登校になる。まじめで、ちょっとしたつまずきでも自分を厳しく責めた。自殺を図ったのは二十歳の春だった◆ガソリンをかぶった。精神科医の忠告で彼の行動を見守っていた父親は、その瞬間、息子を抱きしめた。自らもガソリンにまみれて叫ぶ。「強、火をつけろ」。抱き合い、二人は声をあげて泣き続けた◆一緒に死んでくれるほど、父親にとって自分はかけがえのない存在なのか。あの時生まれて初めて、自分は生きる価値があるのだと実感できた。強君は後にこの精神科医、森下一さんにそう告白する◆森下さんは十八年前、姫路市に診療所を開設、不登校の子どもたちに積極的に取り組んできた。彼らのためにフリースクールと全寮制高校も作り、一昨年、吉川英治文化賞を受賞した◆この間にかかわってきた症例は三千を超える。その豊富な体験から生まれた近著〈「不登校児」が教えてくれたもの〉(グラフ社)には、立ち直りのきっかけを求めて苦闘する多くの家族が登場する◆不登校は親へのさい疑心に根差している。だから、子どもは心と体でまるごと受け止めてやろう。親子は、人生の大事、人間の深みにおいて出会った時、初めて真の親子になれる。森下さんはそう結論する。」(編集手帳、読売新聞2000年10月29日朝刊P.1)
 命賭けで息子を守ろうとする父親の必死の思いが伝わってきます。その背後には長年不登校で苦しんできた強くんに寄り添った周囲の忍耐強い愛があったことを見落とすことはできません。ご両親と森下医師は13歳から20歳までの7年間、強くんと共に歩んできたのでした。そうであればこそ時を得てその愛が伝わったのです。森下一さんは言います。「共生の思想は共死の思想に裏打ちされていなければならない」。ハッとさせられます。
 主の十字架を見上げる時、私はこの言葉を想起します。あの十字架の出来事には絶望の果てに死のうとする私たち一人ひとりをひしと抱きとめてくださったキリストの愛が示されている。その愛は共死の覚悟に裏打ちされていた天地が揺らいでも決して揺るぐことのない真実のアガペーの愛でした。
 私たちはどのような時に悔い改めの涙を禁じ得なくなるのでしょうか。放蕩息子の父親の姿に明らかなように、それは私たちが真実の愛に触れた時でありましょう。共死の覚悟に裏打ちされたイエスの愛こそが、私たちをその存在の根底から日々新たにしてくださるのです。

「教会讃美歌 増補」 解説

㉞増補19番「キリエ エレイソン」・増補20番「神の小羊」

松本義宣
(東京教会・東京池袋教会・板橋教会牧師)

㉞増補19番「キリエ エレイソン」・増補20番「神の小羊」
松本義宣
(東京教会・東京池袋教会・板橋教会牧師)

増補19番「キリエ エレイソン」
 1523年に、ルターは「会衆の礼拝式について」という小冊子で宗教改革の福音信仰に基く礼拝のあり方を示しました。そして強い要望を受け、続いて「ミサと聖餐の原則」をラテン語で発表します。同時期に幾つかのドイツ語による賛美歌を試作してきて、いよいよ「ドイツ語による礼拝」の必要を痛感して式文を作成し、1525年10月29日、三位一体後第20主日に始めて礼拝で試用しました。人々に歓迎されて同年のクリスマスからヴィッテンベルクの教会で用いられるようになり、翌1526年、ルターは「ドイツ(語)ミサと礼拝の順序」を著し、礼拝をドイツ語で行う指標を示しました。この「キリエ エレイソン」は、その中に掲載されたものです。ドイツ語ミサではありますが、当時の会衆に浸透していたミサの言葉(ギリシャ語の「主よ憐れんでください」)をそのままとし、伝統的な詩編トーンの第一で掲載しました(ルター著作集第一集第6巻参照)。増補でも、あえて訳さず、「キリエ・エレイソン(クリステ・エレイソン)」で歌うようにしています。

増補20番「神の小羊」
 同じくルター「ドイツ(語)ミサ」の聖餐式の賛歌「アニュス・デイ(アグヌス・デイ)」のドイツ語訳の歌です。ミサ典礼文(ラテン語)は、「世の罪を取り除く神の小羊」ですが、ルターは、「キリストよ、あなたは世の罪を取り除く神の小羊」としており、キリスト賛歌であることを強調します。実は、「讃美歌21」86番でもこの歌が紹介されましたが、字数の都合で「キリストよ、あなたは」は略されました。増補版では、ルターの思いを取り入れ、「イエス・キリスト」を強調して、「世の罪を取り除く」が歌詞に入りませんでした。賛否あるかと思いますが、「イエス様が神の小羊なのだ!」という信仰の告白の中に、「神の小羊=犠牲として」の思いが込められていることを覚えて歌えればと願います。
 旋律は、ルターの友人で牧師のJ・ブーゲンハーゲン(1485〜1558)が、1528年に出版した「尊敬すべきブラウンシュヴァイク市のキリスト教礼拝式文」に掲載さたものです。これは、私たち日本福音ルーテル教会のパートナー教会である、ドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル教会が、ブーゲンハーゲンの指導で宗教改革を導入した際のものです。ここに紹介できたことを嬉しく思います。恐らく、増補19番「キリエ」の旋律と歌い出しが同じで、それをもとにルターが作曲したと思われ、勿論、今でもこの歌はドイツのルーテル教会で歌われ続けています。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ポスト共産主義を生きる教会

 スロバキア共和国のルーテル教会(アウグスブルグ信仰告白教会)監督がポスト共産主義を生きる教会について語ったインタビュー記事を抜粋して紹介します。イバン・エルコ監督は冷戦時代のチェコスロバキアで牧師の家庭に育ちました。
「共産主義が終わるなんて考えてもみませんでした。1989年まで私は自分の信仰のせいで死ぬと思っていましたから。終わってみて新しい自由な国になり、私の問いは信仰をどう生きるべきかに変わったんです。」
 牧会歴30年のエルコ牧師は、スロバキアのルーテル教会の監督として地域の教会の課題と向き合っています。共産主義の時代に人々が問うたのは、神の存在を信じてよいか否かというわかりやすいものでしたが、「現代は白か黒かという問いではありません。信仰の方向付けをするのが難しくなっています。」「色でいうならすべての色のスペクトルがあります。牧会の仕方も人それぞれで、神様との関わりがとても複雑になりました。」

「父は牧師でしたが、私は牧師になるつもりはありませんでした。ルター派信徒として毎週日曜日教会に来てはいましたが、自分の将来のことなど考えてはいませんでした。信仰的なクリスチャンとは言えなかったし、とてものんきに過ごしていたのですが、1982年の2月のある日、私は突如として神学を学び牧師になりたいと自覚したのです。」

—共産主義下で神学を学ぶというのは大変でしたか。
「共産主義と私は、常に霊的な敵対関係にありました。私は共産主義時代のイデオロギーにとても困惑させられていて、それはユダヤの人々が偶像礼拝を嫌悪したことに似ていました。神の代わりにまがいものの宗教を差し出すという共産主義のやり方に心が痛んだのです。自由と人権がないことに苦しんだのです。」

—1989年に共産主義政権が崩壊しました。
「そうです。思いもよりませんでした。私はラジオでそれを聞きましたが、どうしてあんなに早く消えたのか今でも不思議です。私に突然の回心が起こってから自分は信仰の故に死ぬと思っていたので、こうした状況での感情は悲喜こもごもでした。この大変革をなんとか生き抜かねばと思った時、信仰をどう生きるかが私にとって新たな課題となりました。」

—監督として最大の課題は何ですか。
「たくさんありますが、人々が神様といかにつながるかが最も重要な問いです。神の恵みによって自由を得たから生きているのだと、人々に気づいてほしいのです。共産主義のもとでの人生の方向付けは、黒か白か、善か悪か、クリスチャンか無神論者かといった感じでしたが、今は違います。クリスチャンであっても、その生き方は十人十色なので牧会的な対応はとても複雑になりました。」

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから ⑬NCC信仰と職制委員会

立山忠浩(都南教会牧師)

 日本福音ルーテル教会(JELC)に「信仰と職制委員会」が置かれているように、日本キリスト教協議会(NCC)にも「NCC信仰と職制委員会」があります。JELCの委員会の場合は「信仰、職務、制度等に係る諸問題を検討及び研究し、意見を本教会常議員会に提言する」という具体的な使命があります。各教派でも名称は異なるにしても、教派の核心的な事柄に関することでの具体的な提言を行うことではほぼ一致しています。
 NCCのホームページに委員会の目標が掲げられていますが、各教派の委員会とは異なるのです。「教派間の対話や協働の促進」が主目的です。教派間や国内だけに留まらず、他宗教との対話やアジア・世界との連携も加えられています。
 さて、どのような活動を行っているのかとなると別の課題が生じて来ます。定期的な、そして実質的な活動がなされていないのです。第一の原因は新型コロナウイルス感染です。昨年も対面での会は困難となりました。それに加えて、各教派から派遣される委員がそれぞれに他の重責を担っており、時間と労力を割きにくいのです。
 そのような厳しい状況下でしたが、昨年10月14日にZoomでの委員会を開きました。代表(まとめ役)を担ってくださっている西原廉太先生(日本聖公会中部教区主教・立教大学総長)の呼びかけで行いました。昨年8月31日~9月8日にドイツのカールスルーエで開催された世界教会協議会(WCC)の「第11回総会」のレポートが主な内容でしたが、参加されたからこそ得られる興味深い情報でした。ロシアのウクライナ侵攻から7カ月しか経っていない生々しい状況下で、ウクライナからも近い地で開催されたことを反映したのでしょう。WCCに加盟しているロシア正教会を巡る議論が交わされたのです。ただ、国連総会と同様に、意見が一致せず、明確な結論を出せなかったとの報告でした。WCC、そしてNCCという協議会が掲げる「対話や協働の促進」を実践することの困難さを改めて感じることになりました。

3年ぶりに「JELAカンボジア・ワークキャンプ」開催!

森一樹(JELAスタッフ・市ヶ谷教会)

2020年2月以来3年ぶりとなる「JELAカンボジア・ワークキャンプ」が2023年2月13〜23日の日程で開催されました。久しぶりの開催にもかかわらず、ありがたいことに全国から多くの応募があり、10〜20代の大学生を中心に10名の参加者が集いました。
 今回のキャンプは主に三つの目的のもと実施されました。一つ目の目的はボランティアワークを通して「人や社会に仕える」経験をしていただくことです。今回は弊財団の支援するプレスクールや、カンボジア・ルーテル教会(LCC)の社会福祉施設を訪問し、壁の塗装をしたり、日本の風景や聖書のイラストを壁に描いたり、施設を囲む竹製のフェンスを作ったりする、ボランティアワークを行いました。
 二つ目は、カンボジアの歴史的名所への訪問を通して、参加者にカンボジアの歴史や価値観を知っていただくことです。カンボジアには世界遺産のアンコールワット遺跡群や、ポル・ポト率いるクメール・ルージュの大量虐殺や、その後の独立戦争の爪痕が色濃く残る歴史的な場所があります。キャンプではそれらを訪問し、カンボジアの歴史やその根底にある様々な価値観や文化に触れ、学ぶ機会も持ちました。
 三つ目の目的は、カンボジアでの様々な経験を聖書の御言葉を通して振り返り、参加者それぞれが聖書の神様と出会っていただくことです。今回はキャンプチャプレンとして、日本福音ルーテル日吉教会牧師(キャンプ当時)の多田哲先生が同行して下さり、毎日の終わりに、参加者がカンボジアで経験した様々な体験や人との出会い、またその多様な宗教観や価値観を振り返り、それらを聖書の御言葉を通して神様の視点から捉え直せるような「ディボーション」をリードして下さいました。
 末筆ではございますが、JELAワークキャンプ事業へのご支援とお祈りを誠にありがとうございます。本キャンプの詳しい様子や参加者それぞれの感想レポートを弊財団のWEBページで公開しておりますので、ぜひそちらも合わせてご覧ください!

新任J3から

Volamalala Ranaivoson

 こんにちは、私の名前はVolamalala Ranaivosonです。私はマダガスカルで生まれ、パプアニューギニア、イギリス、アメリカ、ケニアで宣教師の子供として育ちました。そのため、異文化のコミュニティで多機能で多様な背景を持つ人々とつながり、関わることへの愛と情熱が私の中で育っています。私は、本郷ルーテル教会でJ3宣教師をしています。昨年の4月に来日しました。

 J3宣教師プログラムについて、また、英語を習得させるだけでなく、全人格をケアし、福音を伝えるという長い歴史を知ったとき、ここでその一翼を担いたい、と思ったのです。特に、本郷学生センターの「恵みの陽だまり」というミッションに惹かれ、神様の素晴らしい恵みを地域社会に放射する居心地の良い場所となりました。
 過去1年間、教会と学生センターがまさにそのように機能しているのを目の当たりにし、本郷ルーテル教会の皆さんと一緒に成長できるこの機会にとても感謝しています。

第28期第21回常議員会報告

事務局長 滝田浩之

 2月20~21日に東京教会会議室で行われた標記の件について、ご報告いたします。

 人事委員会の提案した、2023年度教職人事が承認されました。
 また2023年4月1日付で、竹田大地牧師を広報室長に選任しました。これまで広報室長は東教区の教職が兼務する体制でしたが、ネットによる入稿、編集、校正が技術的にも十分な対応が取れる環境が整ったことを受け就任をお願いしたところです。

 市吉会計より、標記の件、会計監査報告と合わせて説明が行われ総会への提案が承認されました。
 公益会計において2021年度決算と比べて、協力金について拠出割合は同じであったにも関わらず減少している点が報告されました。感染症による影響から教会活動は徐々に回復しつつあるものの、会計的な影響は今後波及してくるものと考えられ、注視が必要との共通理解を得たところです。
 収益会計については2年連続の赤字でしたが、3年目に黒字化することができ、今後、社会活動が活発になる方向から好転する見通しが分かち合われました。

 古屋財務担当委員より、標記の件が提案され、総会への提案が承認されました。
 2020年以来、協力金の減額に伴い公益会計において特に2021年度は収益会計からの繰入を必要としましたが、2023年度実行予算より、可能な限り協力金内で教会全体の公益活動、つまり宣教活動を行うという方向性で予算を立てていることが報告されました。これは具体的な宣教の主体は個々の教会、そして教区によるものと理解した上で、事務局はあくまでも、その活動を支える事務的な業務を中心とするという考え方に基づいています。協力金が2024年度より10%に戻ったとしても、2019年度の収入を得ることは難しいという見通しも確実であり、事務局体制についてもスリム化が必要であるとの理解を確認したところです。

 総会日程について、11月常議員会に提案されたものに、学校法人ルーテル学院の報告を関連事業報告とは別枠で設けることが確認されました。ルーテル学院大学・神学校は、別法人ではありますが、教会と密接な関係性にあり、学校法人を取り巻く社会的環境や、学校法人の置かれた現状について分かち合われることになります。確認される点は大学の経営状況は、神学校の維持についても大きな影響を及ぼすという点にあります。学校法人の置かれた現状を分かち合うことで相互の理解を深める時としたいと考えています。
 またハラスメント防止委員会を規則に明文化する提案の前に、日本同盟基督教団の大杉至牧師よりハラスメントについての学びの時を持つことが確認されました。日本同盟基督教団は2000年代後半から、教会としてハラスメント防止に取り組んでおられ、教会内のハラスメントについて中心的に学び、共通理解を深めたいと考えています。

 これまで総会当日の午前中に行われてきた総会前常議員会(第22回常議員会)を4月17日(月)午前10~12時、オンライン(Zoom)にて開催することを確認しました。各教区総会で扱われ、総会に提案される内容について主に議論される予定です。総会に提案すべき議題があれば、教区常議員会に対して提出頂きますようにお願い申し上げます。

 以上、詳しくは常議員会議事録をご確認頂けますと幸いです。

2023年度 日本福音ルーテル教会人事

〈退職〉
(2022年10月13日付)渡辺高伸(退職)

(2023年3月31日付)小副川幸孝(定年引退)野村陽一(定年引退)

〈新任〉該当なし

〈人事異動〉(2023年4月1日付)

【北海道特別教区】
小泉基 札幌教会(主任)
中島和喜 函館教会(兼任)、
札幌教会協力牧師の任を解く
岡田薫 札幌教会(協力牧師)

【東教区】
河田優 日吉教会(主任)
李明生 むさしの教会(主任)
松本義宣(2022年8月1日付)
東京池袋教会(兼任)、板橋教会(兼任)
田島靖則 田園調布教会(主任)、雪ヶ谷教会(兼任)
筑田仁 羽村教会(主任)、八王子教会(兼任)
浅野直樹Jr.  甲府教会(主任)、諏訪教会(兼任)
【東海教区】
末竹十大 掛川菊川教会(兼任)、新霊山教会(兼任)

【西教区】
秋山仁 神戸東教会(兼任)

【九州教区】
関満能 大分教会(主任)、別府教会(兼任)、日田教会(兼任)
多田哲 合志教会(主任)、水俣教会(兼任)
小泉嗣 八代教会(兼任)
岩切雄太 阿久根教会(兼任)

【出向】
日笠山吉之 九州学院(チャプレン)
○牧会委嘱(2023年4月1日付/1年間)
田中博二(2022年12月1日付)東京池袋教会
德野昌博 仙台教会
小山茂 板橋教会
明比輝代彦 新霊山教会
大宮陸孝 賀茂川教会
乾和雄 神戸東教会
白髭義 二日市教会
黄大衛 長崎教会

「オープンチャット4月1日開始」〜元気を出せ!教会学校!〜

河田晶子
(TNG子ども部門)

 コロナ禍で対面でのティーンズキャンプ、ルーテルこどもキャンプが相次いで中止となり3年が経ちました。あちこちで教会学校の消滅や低迷の声を聞く中、教会学校の教師が自由に悩みやアイデアを交換できる交流の場として、LINEを用いて「オープンチャット」を開設することにしました。次世代宣教の働きを応援します。ぜひご参加ください。

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