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るうてる2023年

るうてる2023年08月号

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「聖書と礼拝」

日本福音ルーテル保谷教会牧師・ルーテル神学校チャプレン 平岡仁子

「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。」イザヤ書55・1
「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」マタイによる福音書14・16c

イエス様は今、舟に乗ってひとり人里離れた場所に退かれます。そこで五千人を満たす物語が始まります。同じように五千人をパン五つと魚二匹で養う記事がマルコ福音書にもあります。しかし、その同じ記事は人里離れた所へ退いたいきさつが全く異なります。マルコ福音書の始まりはこうです。マルコ6章30節から「さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。」マルコによればイエス様の元に戻ってきた弟子たちに休養を取らせるためイエス様は弟子たちと共に人里離れた所に退いたと説明します。それに対してマタイは次のように語るのです。マタイ14章13節「イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。」マタイによれば、イエス様が人里離れた所に退いたのは領主ヘロデによるヨハネ殺害を聞いた後でした。洗礼者ヨハネはヘロデによって殺され、この人殺しは贅沢で豪華な食事の宴席で命じられたと聖書は語ります。物に溢れた贅沢で豊かな社会が人間の命を尊ぶとは限りません。むしろ反対に何でも自分の望む物を手に入れることができると考えた時、人は神をも畏れず、その結果、隣人の命を軽んじることになるのではないでしょうか。食べ物に溢れ、人間の欲望を満たす豪華で贅沢な誕生パーティーは死と悲しみに包まれました。それは貴い命が敵意と憎しみによって死に飲み込まれるこの世の空しさの極みであったに違いありません。しかしその時、大勢の群衆がイエス様の後を追い、ついてやってきます。その数は女と子供を別にして、男が五千人ほどであったと聖書は告げます。イエス様を追ってきた人はどのような人たちだったでしょうか。聖書によれば、舟から上がったイエス様はその人々を目にして深く憐れみ、病人を癒されたと言います。その人々は飼い主のいない羊のような人々であり、ヘロデの誕生パーティーに決して与ることができない人々でした。大人も子供も、女も男も、病人も皆、イエス様を求め、人里離れた所まで追ってきたのです。彼らこそまさに、この世で飢え渇いていた人々であったことでしょう。人里離れた何もない所で、イエス様は五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで讃美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになりました。全ての人はそれを食べて満腹したと聖書は語ります。しかも残ったパンくずは十二のかごをいっぱいにしたのです。
「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るが良い。銀を持たない者も来るが良い。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め、価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。」(イザヤ書55・1)
神様の憐れみを示す聖書における主要なシンボルは食事です。出エジプト記では神様はエジプトを脱出した人々をマナと岩から溢れ出る水によって養います。預言者イザヤは苦しむ人々に水とぶどう酒、乳と穀物を価なしに与えると約束します。そして、イエス様はまさに、人里離れた場所で飢え渇いた全ての人々を満腹にさせるのです。聖書の御言葉が示す隠喩において、私たちの飢えと渇きの両方を満たすお方は神です。そしてこの困難な時代、希望に飢え渇く私たちは、これら物語が語る神の約束の中に接ぎ木されるのです。これら聖書の物語は今を生きる私たちのためにあります。私たちはだから、希望への飢え渇きを神に求めるのです。そしてそれから、私たちにパンをお与えくださる主によって、神の子としての権能を授けられた私たちは向きを変え、困窮するこの世界へと遣わされるのです。イエス様は言われます。「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊶伝わっています

「御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。」(申命記30・14)

「何かしたんですか?」お会いするなり言われて私が驚きました。私は20歳になったばかりの頃、ある先生の紹介で2週間ほど海外の二つの教会の皆さんにお世話になりました。なのでご紹介くださった先生にお礼を言おうと近づいた時でした。
「あなたは何かしたんですか?出身教会に帰ったらみんながあなたのことを聞きました。」私、何かしたのかしら?言葉がうまく通じなくて1回だけお世話をよくしてくださった方の前で大泣きをしたくらいだと思っていました。
フッとこのことを思い出させてくれたのは他愛もない辛い瞬間でした。それは電話で何度も聞き返された挙げ句「わからないので変わります。」と言われた時です。
最近電話で話すと何度も聞き返されてしまい落ち込みます。そして思うのは、対面ならば伝わるのになと。
あっそうだったんだ伝えているのは言語だけではなくその時表現される全てが用いられるんだ。
何十年もわからなかった「何か」は私が何かしようとしてしたのではなくて、神様が私を通して何かをしてくださったのだと思い嬉しくもなりました。
電話は言語を伝えます。機械音でも伝わるかもしれません。知っている人の声が電話から聞こえる親しみから言葉を聞くかもしれません。でも「ことば」は言語だけではありません。海外で自分が何かをやろうとしてしたのでなくても、電話で言語を伝えられなくてもあなたは伝えています。あなたがいろいろなものを通して「ことば」を伝えられているように。

【訂正とお詫び】

機関紙るうてる2023年7月号、2面「教会讃美歌 増補」解説「㊲増補26番」の執筆者である奈良部慎平氏の所属に誤りがございました。正しくは「日本福音ルーテル東京教会信徒」です。訂正してお詫びいたします。校正作業における確認を徹底してまいります。大変申し訳ございませんでした。

改・宣教室から

小泉基 宣教室長(日本福音ルーテル 札幌教会牧師)

永吉秀人議長から指名され、宣教室長を仰せつかることになりました。全体教会の事務局にかかわる働きははじめてで、地方教会ばかりに長く身を置いてきた身としては、教会全体の宣教を広く云々するような知見はとてもありません。しかも、新議長から直接依頼された室長としての最初の働きが、歴代の議長が連載してきたこの「るうてる」のコラムの執筆だというのですから、なんとも戸惑いばかりが先に立ってしまうのです。
それでも、本紙6月号に掲載された「総会議長所信」を読ませていただいて、改めて思わされたこともありました。わたしたちの教会は、1960年代末に、海外の宣教団体からの補助金に頼った教会運営から脱することを強く決意しました。以来、教会の経済的自立を優先的に考えて、長い努力を重ねてきたのです。経費の節減や活動の縮小、収益事業の取り組みを含めてさまざまな努力が重ねられてきた結果、近年になってようやく、経済的に自立した教会として歩むことができるようになったのでした。しかし永吉議長は先の「所信」のなかで、「前を向いて走り続けて来たがゆえに、多くの事柄を通り過ぎて来てしまったのではないか」「私たち教会としての歩みも隣人の前に立ち止まらなければ、誰の隣人にもなれないことをわきまえます」、と語っておられます。
もしこのコラムを通して、個教会や教区、諸施設やエキュメニカルな働きといったさまざまな現場において、隣人の前に立ち止まる働きをなさっておられる方々の声に耳を傾ける機会をいただけるなら、たとえわたしが、大上段から宣教を語るようなことが出来なかったとしても、そのことをもって託された職務のいくばくかを担えるのではないかと思い至ったのです。
このコラムは、永吉議長によって「改 宣教室から」と名付けられています。「所信」によれは、この改は「悔い改め」の改なのだそうです。そして「議長から」でも「室長から」でもなく、「宣教室から」と名付けられていますから、教会の宣教にかかわる多くの方々にお手伝いいただきながら、「改」というタイトルに心に留めつつ、いまの教会と社会における宣教の現場の声をわかちあう場としていきたいと願っています。みなさまのご協力をお願い致します。

「教会讃美歌 増補」 解説

㊴増補42番「よみがえりの主の」

石丸潤一(西日本福音ルーテル 新田教会)

讃美歌委員会の発足当初、新しい『教会讃美歌』に収録する曲の方針について、様々なアイデアが出されました。『分冊1』に収録されたルターのコラールや新しい日本語の賛美歌のほかに、アジアや南米などの賛美歌、こどもや青年向けの賛美歌などを収録したいという意見が挙がりました。そんな中、「古くから日本でなじみのあるヨナ抜き音階の賛美歌」という意見が出され、その声に促されるように作ったのが、「よみがえりの主の」です。
ヨハネ3章16節から着想を得、イエス様のご生涯を歌う5節の賛美として作りましたが、他の賛美歌とのバランスや委員からのアドバイスを受け、後半2節を礼拝からの派遣の賛美とするかたちで採用いただきました。専門的な音楽教育を受けていない者が作った拙曲ですが、その分、シンプルで、音域も広くなく、口ずさみやすいメロディかと思います。
主がこの賛美を用いてくださり、みなさんが礼拝の恵みの場から主とともに歩む日々へ穏やかに送り出されるための助けとなれましたら、幸いです。
また、伴奏編曲をご奉仕くださった讃美歌委員の萩森英明兄に、心から感謝いたします。

増補50番「見つめてください」

中山康子(日本福音ルーテルむさしの教会信徒)

当時のアメリカ福音ルーテル教団の世界宣教部事務局長 ラファエル・マルピカ・パディッラ牧師が、2011年3月11日に起きた東日本大震災後に、仙台の被災地を訪ねました。世界宣教部として支援できることを探るための視察でした。その折に、その状況下でも神さまがいのちを守ってくださる方である事を感じて、聖書の言葉を紡いだ歌詞がメロディとともに即座に生まれました。それを聴き取って、賛美歌委員が伴奏を付けたのがこの賛美歌の誕生のゆえんです。
いまだに見つからないと探す方々、亡くなった方々のご関係、津波の被害に遭いながらも生きながらえた方々、それらのご関係の方々にとって、さらに支援の限界を感じ人間的には手が尽くせない思いを持つ人々にとって、すべてを造られた神に希望を託すことができるのは、なんと深い大きな慰めでしょう。聖書出典箇所として、イザヤ書46章4節、詩編50編15節、ヨナ書2章が挙げられます。深い絶望の時にも希望を失わない信仰を育てる祈りの中で歌いたい賛美歌です。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

水と衛生インフラ整備して学校改善:ハイチ

キャンプ・ペリンの生徒たちにとって、清潔なトイレと洗濯や飲み水は贅沢なもの。ルーテル世界連盟(LWF)とパートナーのノルウェーのディアコニア団体(NCA)は水と衛生インフラを整備して、子どもたちが衛生習慣を身につけられるよう訓練を行っています。
ハイチ南部の農村地キャンプ・ペリンは、2022年8月の地震で大きな被害を受けました。いまだに多くの家族が仮設住宅で生活しており、学校の再建も進んでいません。社会情勢が不安定なため、インフラの整備も遅れています。
エコール・レスプワ(クレオール語で「希望の学校」の意)には、現在324人の生徒が集まり、30分から2時間かけて通学していますが、学校に着いても手を洗ったり飲む水がないこともしばしば。乾式コンポストトイレは悪臭を放つので、子どもたちも使いたがりません。年頃の女子にとって衛生的に生理の処理をするのも難しく、そのために学校を休むことも。
学校まで歩いて2時間のところに住む16歳の少女ルドニーもその一人で、7年生の彼女はクラスで最年長。家族は彼女と7人の兄弟の年間25米ドルの学費を支払えないこともありましたが、今は地域の支援を受けて学校に通い休まないよう励んでいます。毎朝5時に起きて家事を済ませ、それから学校まで2時間てくてく歩くにしても、この機会を逃すまいと決意しています。お腹をすかして帰宅しても食べ物がなく、それよりも家族の夕食の支度が先決といったことがよくあります。
「子どもたちは朝、のどが渇いています」とエマニュエル校長は言います。「きれいな水がないので、ほとんどの場合子どもたちは飲み水を買いに行かねばなりません。」 エマニュエル校長は、自宅から飲料水を持ってくるように勧めていますが、ルドニーのように歩く距離が長く、ボトルを買うお金もない生徒にとってはほとんど不可能なことです。
LWF/NCAの「グリーンスクール」プロジェクトは、エコール・レスプワで、こうした課題と向き合っています。コンポストトイレを水洗トイレに変更することで利用しやすくなり、臭いも消えます。飲料水用の水源を建設し、毎日400リットルの飲料水を学校で利用できるようになります。またこのプロジェクトには、トイレの使用、手洗い、安全な水だけを飲むといった衛生習慣の指導も含まれています。「キャンプ・ペリンの遠隔地の家庭では、野外での排泄が広く行われています」、「そのために湧き水や他の家庭用水資源が汚染され、下痢等の疾患を引き起こしています。」(LWFハイチ代表レイモンドさん)
ルドニーは、ゲームのできる校庭ができることを夢見ています。本を読むのも好きなので、学校に図書館ができたら絶対利用したいと思っています。「子どもたちは変革の担い手だと私たちは考えています。」「彼らが学んだことを家に持ち帰って、家族と地域社会の生活の向上を目指してほしいのです。」(レイモンドさん)
※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」③

日本福音ルーテル恵み野教会

中島和喜(日本福音ルーテル恵み野教会・函館教会牧師)

恵み野教会は「北海道伝道推進計画」の中で1985年に建てられた教会です。当時、開拓伝道の地として北海道内のどこに教会を建てるかと協議していた最中、同時期に恵庭市によるニュータウン計画が進行中であり、教会用地に予定されている土地に教会を建てないかとの市側からの呼びかけによって建てられた珍しい教会でもあります。そのため、まだ周辺に建物が少ない時期から、恵み野教会は地域の教会として立ち続けています。
恵み野教会はノアの方舟をイメージして建てられ、上空から見ると船の形をしているというユニークな建物です。また150平方メートルもの広大な庭があり北海道の雄大な自然をも感じられます。建物だけでなく、自然を通してもまた、神が創られたものはいかに美しいものであるかを感じさせられます。
昨年までは札幌教会との兼牧体制でしたが、4月から函館教会との兼牧体制となったため、これまで日曜日だった礼拝時間を土曜日10時からに変更しました。大きな出来事に当然痛みもありましたが、一方でこれまでは信徒礼拝や礼拝後すぐ牧師がもう一つの教会に移動するということが半分以上でしたが、そういった移動体制がなくなり、常に変わらない状況で礼拝の日を迎えられる恵みが与えられています。
恵み野教会のある恵庭市は「花のまち」として有名な街で、市が作成している観光マップには一般民家のガーデニングが紹介されるほど花への思いが強い街です。そういった地域にあることを覚えて、昨年からペンテコステの時期には「花の礼拝」として、各家庭で育てている花を持ち寄り感謝の捧げものとする礼拝を行っています。また冬場にはクリスマスフェスタとして、地域の方々に礼拝堂を会場に何か出し物をしてもらう企画も行なっています。その他にもコンサートや教会バザーなどを通して、地域の教会として愛されている教会です。空港からも非常に近い教会ですので、北海道観光の際はぜひ教会をお訪ね下さい。

九州学院みどり幼稚園

新垣力(九州学院みどり幼稚園園長)

九州学院みどり幼稚園は、1924年に米国から来日し、九州学院に赴任した宣教師、ルイス・ルー・グレーシー氏が自宅の一室で10人の子どもたちを集めて幼児教育をスタートしたのが始まりであるとされており、2024年12月で100周年を迎えます。
異年齢との交流や礼拝、行事等を通して感謝と思いやりの心を育てています。付属幼稚園としての良さを生かし、九州学院中学・高校の外国人教師による英語あそびや体育教師による運動あそびを毎週実施しています。また、入園式、卒園式もチャペルで行うとともに、中学・高校の広いグラウンドや体育施設を使ってのびのびと体を動かす機会を設けています。園には給食室が設置されており、完全給食を実施し、地産地消に努め、食育にも力をいれています。
2015年からは、幼保連携型認定こども園として新たなスタートを切り、現在106名が在籍しています。
幼稚園から認定こども園へ変わったことで、子どもを預かる時間や職員の勤務時間の違い、職員数の増加といった新しい運営体制に順応していくことが求められましたが、子どもたちは、神様から託されたかけがえのない存在あることに変わりはなく、一人ひとりに寄り添った教育、保育に努めています。
職員集団として声を掛け合っているのは、「正しい自己肯定感を高く保つ」ということです。子どもを取り巻く私たち大人の自己肯定感、自己有用感が低ければ、子どもの良さに「気づき、認め、励まし、伸ばす」ことは難しいと考えています。あわただしい日々ではありますが、毎朝の讃美歌とお祈りで、「今日も新しい朝をいただいたことへの感謝」の心をもち、子どもたちへの愛を誓っています。また、園長として、職員の日々の努力を認め、具体的な言葉で感謝を述べるようにしています。保護者に対しても同様です。
これからも、献身と謙遜の心を忘れず、職員一同子どもたちのために頑張っていきたいと思います。

エキュメニカルな交わりから ⑰平和を実現するキリスト者ネット

小泉嗣(日本福音ルーテル熊本教会・玉名教会・八代教会牧師)

「平和を実現するキリスト者ネット(以下・平和ネット)」は、平和ネットのホームページによると、国会で日米安保条約の新ガイドライン、周辺事態法、国旗・国歌法等が次々と成立し、平和と信教の自由が侵される危うい状況に危機感を持った日本キリスト教協議会(以下・NCC)が呼びかけて1999年に設立された34の日本のキリスト教会、教派、団体で構成されたネットワークです。
そしてこの平和ネットの特徴は、日本のキリスト教界に生きる「平和」を実現しようとする様々な教派、団体(日本カトリック、日本自由メソヂスト教団、日本YMCA同盟、日本キリスト者医科連盟、等々…)の「祈り」と「手」によって活動が続けられているという点と、この平和ネットが、日本の他宗教・団体と共に平和を実現するための活動をする際のキリスト教界の窓口となっている点であると言えます。これまではキリスト教の教派・団体がそれぞれバラバラに参加し、活動してきた、憲法9条や、沖縄辺野古基地建設反対、秘密保護法反対などの全国的に展開される運動に対し、(もちろん個々の教派・団体の関りは継続しつつ)「平和ネット」という共通の名札で参加することを可能としたのです。様々な集まりに一人で参加していた人も「平和ネット」の旗を見つけて、「あっ、あそこにイエスの平和を祈る人たちがいる」と勇気をもらった人も少なくないと思います。
加盟教派であるルーテル教会の派遣委員の働きは、年に2回行われる運営委員会に出席し、自らの教会の平和に資する活動の報告と、他教派・団体の情報を収集すること、そしてルーテル教会だけでは実現できないような集まりを、ルーテル教会のみなさんにお伝えすることです。
ルーテル教会からは派遣委員だけではなく事務局の働きを担ってくださっている方もおられます。平和ネットの働きは、主イエスの平和を実現するための直線的なものではないかもしれませんが、多様化・複雑化する社会の中で、平和のために共に祈る場・共に歩む場を整える大切な働きです。これからもお祈りとお支え、何より様々な活動へのご参加、よろしくお願いします。

「平和へ向けての提言核問題の視点から」

内藤新吾(日本福音ルーテル稔台教会牧師)

平和と核の問題は一体です。また、核について日本では、「核」と「原子力」と言葉の使い分けがされますが、世界では区別なく(nuclear)、軍事と平和利用は緊張関係にあり繋がっています。私たちは、原発がなぜ普及するようになったかの歴史的背景を注意深く見ておく必要があります。原発を推進する国や企業は「原爆と原発は違います」と繰り返し言ってきましたが、実はそこに一番触れられたくない事情が隠されています。
原発の世界への普及は、核兵器を持ち続けたい大国が経済安定のため立案したものです。第二次世界大戦後、アメリカと旧ソ連を中心に核競争が激化、このままでは国家が経済破綻してしまうのを避けて儲ける部分も設定しました。また、原発を買う国には核開発しない約束をさせ監視し、保有国の優位を保ちました。その代わり、原発を買った国には国家と担当企業に利権の集中が図られます。
さらに、これはアメリカが特に戦後すぐ行ったこととして、自分たちの落とした原爆が悪魔の兵器だったという批判を避けるため、放射線の影響が極力小さく見えるよう、ABCC(原爆傷害調査委員会)を設置し報告をまとめます。そしてABCC報告を元にICRP(国際放射線防護委員会)が組織され、原子力関連の労働者に被ばくの訴えを出させないためにも、放射線の規制を甘くしてきました。それは現在、福島で原発震災が起きた後も、その影響はないとすることに繋がっています。
日本はアメリカから原発を導入しましたが、再処理や高速炉開発にここまでこだわるのは、エネルギーのためではないと警戒すべきです。それは核武装です(絵本『魔法のヤカン』愛育出版あとがきにも)。その可能性は、日本が原発導入を決めた時の原子力基本法案の議案説明にも、歴代大物政治家の言葉にも、外交政策の文書にも刻まれています。また、これまで何度も国会で、自衛のためなら小型核兵器を保持しても合憲との与党側答弁がなされています。でも行わないのは、核武装そのものが目的ではなく、同盟国への商売まで考えているからでしょう。どれだけ憲法をねじ曲げ解釈しても、さすがに9条がそこまでは許さないのです。核の問題を放置しないことと改憲阻止は、信仰者の務めと思います。まさに、いのちと平和の問題です。
ところで昨年の夏、政府は、ウクライナへのロシアの侵攻で石油やガス高騰のドサクサに、原発が攻撃対象となることにはフタをして、原発政策の大転換案を出しました。そうして国会審議も経ず閣議決定、その後も関連のGX法案をアッという間に通しました。しかし、どのように国が進めようと、よくない政策や法はまた変えることができます。多くの人が騙されていますが、原発は諸工程を入れると一番コストが高く、太陽光と風力の発電は一番安いのです(映画『原発をとめた裁判長そして原発をとめる農家たち』にも)。真実を知り、伝えていくことが大事です。

デンマーク牧場福祉会20周年記念感謝会報告

櫻井隆(デンマーク牧場福祉会理事長)

6月10日、ルーテル教会関係者約50名を含め、来賓・職員など総勢150名ほどの方が参加されて、デンマーク牧場福祉会の20周年記念感謝会を実施することができました。感謝会では、現在の法人の状況を知ってもらうことを主眼としたため、著名な方をお迎えした講演会などは行わず、創立から20年が経過した現在の様子を紹介させていただきました。
礼拝、挨拶、事業所報告と地味な内容でしたが、参加された来賓、教会関係者の方々から良い会であったという感想を聞くことができ、本当に良かったと感謝しています。
2003年、社会福祉法人デンマーク牧場福祉会は、特別養護老人ホーム「ディアコニア」の一つの事業から始まりました。海外からの財政的支援のない中で、社会福祉法人の認可を受け、ディアコニアを建築することは容易なことではなく、準備委員の方々が中心となり、多くの方々の熱心な祈りと働きにより、困難を乗り越えて開設されました。そして、20年が経過した現在、デンマーク牧場福祉会は、四つの社会福祉事業と二つの公益事業、一つの収益事業を行い、130名余の職員が働く法人へと成長してきました。これまでの歩みは、順風満帆とばかりとは言えませんが、ここに至るまでに導かれたことに感謝しています。そして、20周年を迎えたこの時に、これまでに多くの方々の働き、支援、祈りがあったことを覚え、デンマーク牧場福祉会のこれからを考える機会にしたいと思っています。
特に、法人・特別養護老人ホーム設立の時にご負担いただき、20年にわたって福祉村献金として支援していただいた東海教区はじめ全国の信徒の方々には、心より感謝申し上げます。その思いや祈りを受け止めて、これからも職員と入所者・利用者で、より良い法人になるよう努めていく所存です。
また、20周年を記念して、『豊かな大地に守られながら、一人ひとりに寄り添って~デンマーク牧場福祉会二十年の歩み~』を発行しましたので、皆様の教会に送付させていただきます。こちらにも、ここ10年の歩みを中心に、法人の20年についてまとめましたので、皆様にご指導をいただきたく、よろしくお願いいたします。

南熊本教会共同体「初夏の集い」を久しぶりに開催

⻆本浩(日本福音ルーテル神水教会・松橋教会・荒尾教会牧師)

南熊本教会共同体(私たちは普段「南熊本群」と呼んでいます)では、共同体内の人件費支援を行ったり、共同体として出席する全国総会に小さな群れの信徒が無理なく行けるように総会旅費の積み立てを行ったりしてきました。また、年2回の合同役員会、そして、年2回の講壇奉仕交換プログラムも続けています。おそらく、これだけ実質的な協働を続けている教会共同体は全国でも珍しいのでは、と思っています。
そして、もう一つの目玉がペンテコステあたりの時期に行っている「南熊本群初夏の集い」です。このプログラムも新型コロナウイルスの感染拡大により、3年間、休止を余儀なくされてきました。ようやく・・・ようやく今年6月3日(土)4年ぶりの開催の運びとなりました。
南熊本群には6教会がありますが、毎年、担当、企画等持ち回りで続けてきております。過去には、各教会から一人ずつの証しを聴く時もあり、讃美を楽しむ集会あり、春の河原で野外礼拝と信仰の思いを俳句に読んだ機会あり、ノアの箱舟の劇を行った時もあれば、各自の愛唱聖句を語り合って小冊子を作った時もあります。
今回は神水教会が担当となっていました。久しぶりに集まるから、何か「なつかしさ」を共有したいという思いもあって、三浦綾子さん作の「塩狩峠」について振り返りました。ご存じの方も多いと思いますが、乗客を救うために、逆走し脱線の危機にあった列車を止めようと自身の命を懸けて殉職した鉄道員の小説です。起こった出来事もさることながら、主人公の永野信夫さん(モデルとなったのは長野政雄)が次第にキリストを信じていくその過程などを考えるひとときを過ごしました。
久しぶりの再会でしたので、昼食後は、一人ひとりマイクをもって近況報告会。
兄弟が共に座っている。なんという恵み、喜び!そう実感した一日でした。

「2023年 ルーテル聖書日課読者の集い」のご案内

「ルーテル聖書日課読者の集い」が3年ぶりに対面開催されます。聖書日課の講読者ではない方もご参加頂けます。皆様のご参加をお待ちしております。

〈主題〉ローマ書を学ぶ(仮題)
〈講師〉大柴譲治牧師(日本福音ルーテル大阪教会)
〈日程〉10月23日(月)~25日(水)
〈申込締切〉9月30日(土)必着
〈参加費用〉お1人・3万3千円(2泊6食付き)
*シングル・ツイン同額
〈宿泊先〉ホテル・ザ・ルーテル *基本はシングルルームとなります。ツインルームをご希望の方は、お早めにご連絡ください。ツインは数に限りがございますので、ご希望に添えない場合がございます。
〈申込先〉
氏名、住所、メールアドレス、ご連絡先、所属教会、ツインルームご希望の場合は、同室希望者の氏名を明記の上、
seishonikka@jelc.or.jp
もしくは
FAX(03)3260―8641
まで送信ください。
〈お問合せ〉
聖書日課を読む会事務局 担当・平野
(日本福音ルーテル教会事務局内)
TEL(03)3260―8631
FAX(03)3260―8641
seishonikka@jelc.or.jp

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