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るうてる2023年

るうてる2023年01月号

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「みことばは、私の道の光です」

日本福音ルーテルむさしの教会・八王子教会牧師 浅野直樹Jr.

「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯」

(詩編119編105節)

  私がこのみ言葉と最初に出会ったのは十代の頃、新改訳聖書ででした。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」。一目で気に入りました。
 恥ずかしながら、私は暗闇が怖いのです。それは、少年の頃の原体験にもよるのでしょう。私が住んでいたところは、村内に信号機が一つしかないような、いわゆる「ど田舎」でした。当然、街灯も少なく、夜は真っ暗です。小学生の頃、少し離れた小さな町の剣道教室に通っていたことがありました。帰りは日が暮れ、一人バスに乗って帰りました。同じバス停で降りる人はいません。たった一人で、暗い道を家まで歩いていかなければなりません。重い防具を背負って。当時は、数十メートルおきにしか街灯はありませんでした。街灯と街灯の間は真っ暗。おまけに、途中にはお墓までありました。そんな怖さを紛らわすために少しばかり声を大きくして歌を歌いながら、街灯から街灯へと猛ダッシュを繰り返したものです。さすがに家の側まで来ると明るかったので、それがどれほどの安心感を与えたことか。そんな経験があるせいか、「光」という言葉に惹かれるのかもしれません。
 「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」。このみ言葉は、単にお気に入りだけでなく、私を支える言葉となりました。しかし、本当にその通りだったのでしょうか。少年時代、青年時代、壮年時代、人間関係においても、家族関係においても、仕事においても、また自分自身とにおいても、辛くて、悲しくて、苦しい、暗闇の中にいるとしか思えないような出来事が度々あった。そんな時、本当に暗闇を照らす光となってくれていたのか。むしろ、祈っても叫んでも答えられずに、神さまは本当におられるのか、と意気消沈してしまっていたのではなかったか。本当にそんな時に、み言葉が助けに、力になっていたのだろうか。そうも思うからです。
 確かに、そうです。私自身、そんな体験を積み重ねてきました。しかし、それでも、やはりみ言葉は、「私の足のともしび、私の道の光」だったと思うのです。それは、み言葉の一言一句とは限らなかったのかもしれません。細々と積み重ねて内実化されたみ言葉のエッセンスと言えるのかもしれません。しかし、いずれにしても、それらが私たちの重要な、決定的な決断を導き最悪の状態を回避したり、自分だけでは見出すことができなかった気付きを与えてくれたり、予想だにしなかった未来を掴むことができたり、諦めずに希望を見出すことが出来たのではなかったか。いちいち、あのみ言葉が、このみ言葉が、と意識することはなかったかも知れませんが、確かにみ言葉が私たちの内に働いて、私たちを守り、支え、慰め、力づけ、導いてくれていたのではなかったか。その結果として、今の私たちがいる(在る)のではないか。そう思うのです。
 脅すつもりはありませんが、今年も何が起こるか分かりません。戦後日本は比較的平穏な中を歩んで来ることが出来たと思いますが、国内においても、また世界においても、経済格差の問題、安全保障の問題、気候変動の問題など、喫緊の課題が溢れています。私たちも一市民として、自分達に出来ることで励んでいく必要があるでしょう。しかし、その前に原点を確認したいと思うのです。古くて新しい原点を。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」。こんなことがおとぎ話のように思えるような時代だからこそ、その力に、確かさに、立ち返りたいと思う。そして、宣教によって、この経験を私たちだけのものとするのではなくて、より多くの人々の経験となっていけるように励みたいと思っています。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉞「包まれて」

「さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、いやし/我々を打たれたが、傷を包んでくださる。」(ホセア6・1)

 「あれ、もうこんな季節か。」花の香りが運ばれてくる。
 他の部屋に行く。ふわぁーっと花の香りがいっぱいだ。窓も開けていないのにどこから入ってきたんだろう。
 ふっと、イエス様の香りってこのようなものなのかなと思うと同時に、このような話を思い出しました。「光をプラスチックや鉄板でぴっちり塞ぐと光は全く周りに漏れないかもしれないけど、光を手で囲むと、どんなにぴっちり囲もうとしても光が漏れるように、私たちが完璧ではないところからもイエス様の光が周りに漏れているんだよ。」と言う言葉でした。
 イエス様の香りって光でもあるのかなぁって、ぼーっと考えてました。
 私はうまく上が向けないので、木のように上で花が咲いているのかいないのかをうまく目では確認できませんが、その花の香りがしたり、土の上に広がってる花びらを見て、「あっあの花が咲く季節が来たんだな」って思います。
 私が働かせていただいていた施設には《匂いの散歩道》と言う道があり、目で確認できない方々でも季節がわかるように、季節ごとに咲く花の匂いがする木々が植えてあり、私はその道を車椅子をこぎながらゆっくり散歩するのが好きでした。
 私たちはイエス様の香りの中にいます。だからいつでも光や愛を感じることができます。

議長室から 大柴譲治

我ここに立つ〜Sola Scriptura

「静まれ、私こそが神であると知れ。」(詩編46・11)

 新年おめでとうございます。主の新しい年が始まりました。天よりの祝福を祈りつつ、ご挨拶させていただきます。
 新年に示された聖句は表記のみ言です。英語で言えば〝Be still, and know that I am God.〟(46・10、RSV)〝still〟とは動きのない制止状態、静寂の状態を指しています。嵐の中でも舟で安らっておられた主の姿を想起します(マタイ8・24)。そこには父と子との完全な信頼関係がありました。
 詩編46編はこう始まります。「神は我らの逃れ場、我らの力。/苦難の時の傍らの助け。/それゆえ私たちは恐れない。/地が揺らぎ/山々が崩れ落ち、海の中に移るとも。/その水が騷ぎ、沸き返り/その高ぶる様に山々が震えるとも。」(1〜4節)疫病や戦争、天変地異の中にあっても私たちはどこまでも神のみ言に依り頼みます。聖書は告げます。「草は枯れ、花はしぼむ。しかし、私たちの神の言葉はとこしえに立つ」(イザヤ40・8)。主も言われます。「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない」(マタイ24・35)。
 ルター作曲の「ちからなる神はわが強きやぐら」(教会讃美歌450番)は詩編46編に基づいています。その2節には詩編には出てこない主の名が刻まれています。「いかで頼むべきわが弱きちから。我を勝たしむる強きささえあり。そはたれぞや。我らのため戦いたもう、イエス・キリスト、万軍の主なる神」。これはルター自身の信仰告白でした。生ける「神の言」である主が片時も離れずに自分と共にいてくださる。そのような主の現臨がルターを捉えて放さなかったのです。
 この新しい年はどのような年となるでしょうか。先は見通せません。しかしどのような一年となるとしても私たちは知っています、主が共にいますことを。主のみ言と主との信頼関係はとこしえに揺らぐことはありません。イエスが十字架上で「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫ばれた時にも、父と子の信頼関係は揺らぐことがありませんでした(マタイ27・46)。だからこそ私たちは静まって主こそ神であることを知ることができる。真実の信仰に生きる者は強い。困難に打ち倒されても神のみ言によって繰り返し再起してゆくことができる。パウロと共にこう告白したいのです。「私たちは、四方から苦難を受けても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、迫害されても見捨てられず、倒されても滅びません」(2コリント4・8〜9)。在主。
※文中の聖句は全て聖書協会共同訳より引用。

「教会讃美歌 増補」 解説

㉛増補13番「新しい歌を」・増補14番「おろかものは言う」

典礼委員会(旧讃美歌委員会)松本義宣(東京教会・東京池袋教会・板橋教会牧師)

 幼心がつき始めた頃からでしょうか。青空を見上げるのが好きだったように思う。「ウミニオフネヲウカバセテイッテミタイナヨソノクニ」好きな歌を歌いながら、そのよその国へ行ってみたいと水平線をながめていた。まだ水平線との言葉を知らない頃の夏の日々。思い返すと、よその国で生を受け、大海原を行き来していた私でしたでしょうに、夏の日々に憧れていたよその国はそこには見えなかった。静岡県沼津市の千本浜の思い出です。
 大平原は、薄くれないの桜草と青空をつなげた。それが地平線だった。終戦日から約1年、中国東北地方のチチハルの郊外での思い出です。
 私の中にある水平線と地平線の2線には、今、美しく静かな旋律が流れています。

曲解説 梅津美子(日本同盟教団中野教会)

増補13番「新しい歌を」
 1523年8月、ルターの元に、アントワープのアウグスティヌス隠修修道会士2人が、宗教改革に共鳴したかどでブリュッセルで異端として火刑に処せられたとのニュースが入りました。彼の出身修道会の兄弟が、宗教改革の信仰告白の故に殉教した出来事を直ちにバラード(物語詩)にし、恐らく自分で作曲したのがこの歌です。最初は10節だった歌詞は、後に2節が追加され(増補版9、10節)、計12節の「殉教バラード」となりました。
 1529年出版のルター編による賛美歌集では、カテキズム(教理)歌群の結びに置かれました。つまり、カテキズム賛美歌が歌う信仰告白を貫くことは、殉教をも辞さないということになる、という決意表明だということなのです。
 この歌は、結びの部分(1節の最後「神の賜物」)が2種類の旋律で歌われていて、ここで採用した旋律で1~11まで歌い、もう一つの方で最終節を歌ったと推測されています。この歌集では、ルターが最後に監修した「バプスト賛美歌集」(1545年)の旋律を採用しました。会衆歌ではなくバラードだとして、現在の歌集には納められなくなっていますが、厳しい宗教改革時代の肉声が込められていて興味深い内容です。

増補14番「おろかものは言う」
 ルターによる、詩編14編に基づくパラフレーズ(聖書の言葉を自由に置き換え、内容を展開したもの)で、成立は1523年の終り頃です。1523/4年のニュルンベルクで出た歌集「八曲集」に載りましたが、別の旋律で歌われたようです。1524年の「エルフルト・エンキリディオン」では、「教会讃美歌」141番の旋律で掲載されました(それでも歌えます!)。同じく1524年のヨハン・ヴァルターの「合唱賛美歌集」では、彼の作曲によるこの増補版の旋律で掲載され、その後、この曲で歌われるようになりました。また、この増補版12番「喜べ教会よ」の旋律で歌われたとの記録もあり(そちらでも歌えます!)、ただ神にのみ従い、悔い改めと義認の信仰の歌うこの詩編歌は、よく歌われたものだと思われます。
 前述のように、賛美歌は、当時は様々な旋律で歌われるのが一般的でしたので、私たちもそれらの別の旋律で歌ってみるのも一興かと思います。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

COP27・タラノア宗教者対話

 「私たちの責務は信仰に基づいています。」ルーテル世界連盟(LWF)加盟教会のリバープレート福音教会のロマリオ・ドーマン氏は言います。「神が創造した世界の管理人である私たちは、オーナーではなくお世話係なのです。」COP27開催の前夜に開かれたタラノア宗教者間対話のパネルでドーマン氏はLWFを代表してそのように語りました。
 タラノア対話とはフィジーの先住民による問題解決法のこと。COP23でフィジーが議長国となった際に、課題に取り組む方法として採用されました。私たちはどこにいるか、どこに行きたいのか、どうやってそこへ行くのかといった問いを参加者たちに投げかけて共同作業を行います。COP27前夜もこの手法を用いて数々の宗教代表者たちが集まり、自由に意見を述べ合うことができました。
「危機に瀕している今はパスポートとか年齢といった普段のくくり方は意味をなしません。大切なことは最も影響を受けやすい人々、つまり最も苦しんでいる人の側に立つことです。」とドーマン氏。
 COP27の開催地エジプトのシャルム・エル・シェイクにあるコプト正教会、ヘブンリ・カテドラル教会の修道士アンドロエス・サミルさんは「アフリカのCOPへようこそ」と歓迎し、「COP27で人類と地球全体のための解決策を見つけることが願いです」と述べました。
 気候行動ネットワーク(ACN)のハジト・シン氏は、気候正義と気候ファイナンスを関連付けることを強調しました。「経済的に豊かな国は気候ファイナンスのためのシェア分を公平に負担しておらず、温室効果ガスの削減が十分にできていないところに問題があります。」
 全アフリカ教会協議会(AACC)と気候変動のためのアフリカ信仰者ネットワーク代表のティベブ氏は、信仰者の行動が気候正義の呼びかけに重要な役割を果たすべきと訴えます。「草の根レベルにいる私たちには、地球全体で温室効果ガスを削減することが死活問題なのです。信仰者間あるいはコミュニティレベルで力を合わせれば変えられます。」
「気候変動をどこまで抑えられるかは、私たち自身がどれだけ変わることができるかです」とブラマ・クマリス代表のモーリーン・グッドマン氏。「霊的なエネルギーがパワーと回復力の源であり、将来はその力が益々必要となります。」また暴力と支配の連鎖を奉仕と尊敬へと切り替え変えるべきだと、非暴力の重要性を訴えました。
「信仰者である私たちは、経済や政治の力をもつ人と関わっていくべき大きな責任があります。」カリミ・キノティ氏(クリスチャンエイド)。彼女はまたタラノア対話が「主流では聞きにくい声を集める場になる」と言います。
 オーストラリア先住民の聖職者レイモンド・ミニエコン氏は、自分たちの民族の先祖の知恵に言及して言いました。「適応、緩和、実施、これを私たちはやってきました。もう一度やりたいです、母なる大地のために」。
 パネルトークのあと出席者たちは対面とオンラインによる分科会で話し合いをしました。タラノア対話では最後に、異なる信仰者たちが互いに祈りあい、歌を歌い、各伝統に従って振り返りをしました。LWFのチャド・リマー牧師は箴言8章を引用して、「地球の生命を造りそれを支える知恵、これこそ私たちが探し求めている知恵です。この知恵はあらゆる信仰者が平等で平和な未来へ希望をもって共に旅をすることを呼びかけています。」

 

(COP27は11月6日から18日にかけてエジプトのシャルム・エル・シェイクで行われました。LWFは気候変動対策活動を重要な取り組み課題ととらえ、あらゆるレベルでアドボカシー活動を続けています。COP27ではLWFのユースが活躍しました。)

 

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから ⑩NCC「障害者」と教会問題委員会

小勝奈保子(聖パウロ教会牧師)

 

 日本キリスト教協議会(NCC)「障害者」と教会問題委員会の主催による「障がい者週間」の集い(Zoom)が、11月19日にあり、日高馨輔委員長(日本聖公会退職執事)による〈「障がい者週間」の祈り〉をもって始められました。
「神さま、私達みながイエス・キリストの体である教会の交わりに共に招かれていることを感謝致します。あなたから計り知れない命の恵みを与えられながら、差別し合ったり、偏見をもって互いを受け入れることができずにいます。権力や武力などの強さに頼り、経済優先の考え方によって人間の価値を決める社会や教育、偏見やゆがんだ習慣を作りだしてしまっている罪をお赦しください。どうか私達があなたのみ言葉に従い、声なき声にも真に耳を傾け、互いに聴き合い、差別のない社会を作り出してゆくことができますように。知恵と勇気と信仰をお与えください。ことに『障がい』を負う人々と共にイエス・キリストの和解と平和の福音を伝え、全ての人々が生きる喜びを見出すことのできる社会を作って行くことができますように。私達の主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。」
 第1部は、吉岡卓さんのお話です(障がいを負う人々・子どもたちと共に歩むネットワーク副代表)。吉岡さんは、先天性の身体障がいをお持ちで、日本ルーテル神学校に在籍されていたこともありましたが、30代後半に複雑性PTSDを発症されました。今までの苦闘と葛藤についてお話くださいました。10代の頃のお話でしたが、普通学級から養護学校へ行くようになった時に、通学バスに乗ることが恥ずかしくて、窓から身を隠してしまう自分に気づき、自分の中にも障がい者に対する差別意識があるということに大変悩まれたそうです。差別されるのは嫌だし、差別はいけないとは分かっていても、自分の中にも、人を差別してしまう気持ちがある、この人間の内にある二面性は拭えず、生涯持ち続けながら人間は生きるものではないか、というお話でした。
 確かに、私の内にもそのような二面性があります。そして、人と自分とを比べて劣等感や優越感、私たちは様々な感情を心に抱きます。自分の内に潜む差別や偏見を知ることはとても大切なことですが、それと共に、その自分を包んで癒し、新しい人へ創り変える救い主を私たちは共に必要としています。

社会委員会・京都府宇治市ウトロ地区フィールドワーク報告

高田敏尚(修学院教会)

 

 社会委員会が10月11日に行った報告です。これまで、オンライン(Zoom)での会議が続いていましたが、やっと対面でそれも野外で行うことができました。この成果をみなさんにお伝えしたいと思います。
 ウトロ、奇妙に思える地名ですが、ここは戦前、京都飛行場を作るために集められた在日韓国・朝鮮人の集落です。戦後、何の支援もない中、自ら生活基盤を整えながらの居住が続きました。しかし80年代末、新たな地権者から立ち退きを請求されることとなりました。この地に住み続けることを求める住民達は、裁判をおこし、30年にわたる取り組みの結果として引き続き住むことを認められました。その間に、日本の市民や韓国政府からの大きな支援がありました。この記録を残し、未来につなげるために建てられたのが「ウトロ平和祈念館」です。ここには、資料や当時の暮らしを再現した展示などがあり、副館長の金秀煥さんに説明していただきました。
 みなさんは覚えておられますか。このウトロで2021年の8月に放火事件があったことを。「韓国人に悪い感情をもっている」と主張する若者が火をつけました。この記念館のそばにその焼け跡は今も痛々しく残っています。最悪のヘイトクライムといえるでしょう。「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。」(2コリント5・18)このことが実現する未来を祈念するばかりです。
 京都、近鉄奈良線の伊勢田駅から西へ徒歩10分、機会があればぜひ訪れてください。ウトロという地名の由来もわかります。今回のフィールドワークは、社会委員全員と、先日の入管法問題学習会で講師をしていただいた佐藤信行さん(在日韓国人問題研究所)をはじめ総勢11人で行いました。ルーテル教会で、そして教派を超えて、自分と異なる他者への関心を深めていきたいものです。

東教区宗教改革日合同礼拝報告

佐藤和宏(藤が丘教会牧師・東教区伝道奉仕部長)

  

 10月31日、3年ぶりに、市ヶ谷教会に集まっての礼拝となりました。会衆は73名。以前と同じような人数というわけにはいきませんでしたが、「集まる」ことの大切さとその喜びを改めて感謝する機会となりました。
 第1部の礼拝において、新式文を用い、すべて唱える形で進められました。また今回の礼拝では聖餐式を断念いたしました。説教者には、日本ルーテル教団副議長の梁熙梅牧師(鵠沼めぐみルーテル教会)をお迎えしました。「光は闇の中に」と題して、マタイによる福音書からみ言葉が語られました。ご自身の体験談には会場から思わず笑いが起こるなど、温かいお人柄が見てとれました。司式者には、今夏副教区長に選出された、内藤文子牧師(小岩教会)、神学生も在京している3名が、奉仕してくださいました。思うように活動が出来なかった東教区聖歌隊も、一般募集に応えた方々を加えての賛美は迫力あるものでした。この他にも、たくさんの方々の奉仕と祈りに支えられて、無事に終えることができました。
 第2部は、教区長(松岡俊一郎牧師)の挨拶に続いて、礼拝献金の授与が恒例になっています。この日の献金は「ルーテル学院大学・神学校」と「連帯献金(ウクライナ支援)」に二分され、それぞれに授与されました。石居基夫学長と立山忠浩校長、滝田浩之事務局長が受け取り、それぞれ挨拶をされました。その際、3名の神学生にも前に出て、自己紹介をしてもらいました。コロナ禍にあって、神学生に会う機会もないまま過ごしてきましたから、実際に会い、声を聞くことの中に、喜びを見出しました。
 すべて終了した後は、再会を喜び合う輪が、爆発したようにあちらこちらに出来、誰もがその場を去り難い思いを抱いているようにみえました。初めから終わりまで、集まることの喜びが詰まった時間を過ごしました。

第28期第20回常議員会報告

事務局長 滝田浩之

 

 11月14日(月)に開催された標記の件、ご報告いたします。

(1)第29回・30回
  定期総会の件
 第29回・第30回定期総会の同日程での開催については、2023年5月3〜5日(水〜金)に宣教百年記念東京会堂(東京教会)で対面にて開催することを確認しました。もちろん今後、COVID-19感染拡大の中でウイルスの強毒化等、不測の事態があれば再延期もあり得ますが、現段階では参集しての開催を準備していくことになります。なお新選挙システムの導入により技術的には1泊2日の開催は不可能ではないものの、5年ぶりの参集での開催であり、COVID-19下での宣教の苦悩を分かち合い、十分にフロアーからのご意見を頂くために2泊3日での開催としました。また日本同盟基督教団の大杉至牧師よりハラスメントについてのご講演を頂く予定です。総会負担金につきましては、すでに2020年に徴収済みとなっています。
(2)第31回
  定期総会の件
 来年に第29回・30回定期総会が開催された場合、第31回定期総会については2023年の2年後となる2025年の開催とすることを来年の定期総会において第4号議案として提案することを確認しました。教憲・教規において定期総会は2年に1度開催するとなっていることを鑑み、来年の総会を基点としてこれまで延期を繰り返してきた総会開催について正常化をはかるためです。また常議員の任期にあわせて2024年に連続して開催するという考え方もありますが、個々の教会の負担になること、また総会の正常化に合わせて、ここで新たな任期から始まる執行部を選出することが肝要と判断しての提案となります。この議案を議長報告の前に行うことによって、これが総会において承認された場合、現議長、副議長、事務局長については3期を超えて同一役職についてはならない(日本福音ルーテル教会規則第50条)に従い任期満了となります。よって議長報告の後に行われる総会選出常議員選挙では、それぞれ同一役職については被選挙権を持たないことを確認しているところです。

(3)協力金、教職給の件
 来年の協力金については現行8%としているところを10%に戻すのではなく9%とすることを確認しました。感染拡大の状況の中に引き続き個々の教会が置かれていること、同時に教会活動も様々な工夫の中で進められていることを加味しての判断となりました。教区活動、本教会活動については引き続き財政均衡を睨みながら運営されていくことになります。ご理解をお願い申し上げます。
 教職給につきましては18年間ベースアップが行われていないこと、昨今の急激なインフレを加味して0・5%のベースアップとすることを確認しました。この18年間で社会保険関係の支払いは増加し可処分所得が減少しています。月30万円の俸給の方で定期昇給を除いて月1500円、年2万5千円の昇給となります。教職給は生活給であることをご理解頂き、個々の教会のご協力をお願い申し上げます。
 以上、詳しくは常議員会議事録にて確認をお願い申し上げます。

熊本地区宗教改革合同礼拝報告

安井宣生(熊本地区宣教会議議長担当教会・健軍教会牧師)

  

 10月30日(日)、建築から98年となる、登録有形文化財でもある九州学院のブラウン記念礼拝堂にて、熊本地区宗教改革合同礼拝が行われました。熊本地区では県内の12教会をはじめ、学校と社会福祉、幼保こども園などの事業に取り組む関係8法人が協働して神の宣教の働きを担っています。このつながりを熊本地区宣教会議と呼び、年ごとに合同礼拝、講演会、音楽会などの集会を実施し、祈りと交わりを強められてきました。新型コロナ感染症の拡大以来、集まることを断念してきたこともあり、この度、久しぶりに顔を合わせる機会ともなりました。

 礼拝は、礼拝堂に響き渡る鐘の音に導かれて始まり、美しい旋律の新式文クラブを用いて、森田哲史牧師と安達均宣教師の司式により進められました。説教は永吉穂高牧師(ルーテル学院中高チャプレン)により「神のイメージ」とのテーマで語られました。宗教改革運動となったマルティン・ルターの取り組みはイエス・キリストに貼られたレッテルを剥がし、十字架を担われたその姿と生き方を通して、聖書の言葉を味わい直すことであると学びました。また、誰もが近寄りたくないと考えてしまうところへ赴き、すべてを許すために命をかけたキリストの覚悟と愛に支えられること、そしてキリストに従う者とされることへの感謝の祈りに導かれました。
 大勢での賛美と聖餐の分かちあいも合わせて、参加者は神の恵みに力づけられ、そしてまたこの地から始められた神学校の働きを応援する思いを表明し、再び打ち鳴らされた鐘の音に背中を押されて、それぞれの場へと派遣されていきました。礼拝堂を後にする皆さんのにこやかな表情はとても印象的でした。学校チャプレンである永吉牧師の顔をあしらったポスターは、学校はもちろんのこと、人の往来の多い商業地にある教会の掲示板でも注目され、撮影されたとの報告もありましたが、180名の参加者の中には関係学校の多くの生徒さんたちが礼拝に共に集ってくださったことも、嬉しいことでした。

2023年度 日本福音ルーテル教会 会議日程予定

公告

  

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2023年1月15日
宗教法人日本福音ルーテル教会
代表役員 大柴譲治

信徒利害関係人 各位

横浜 土地建物
売却の件

(ア)横浜 土地
所在地
 横浜市神奈川区
松ヶ丘
所有者
 日本福音ルーテル教会
地番 8番4及び
8番5
地目 宅地
地積
 8番4 248・42㎡
 8番5 797・88㎡

(イ)横浜 建物
所在地
 横浜市神奈川区
 松ヶ丘
所有者
 日本福音ルーテル教会
種類 会堂
構造 木造
 スレート葺平家建
床面積 154・21㎡
種類 教職舎
構造 木造
 スレート葺平家建
床面積 76・03㎡
理由 売却のため

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