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るうてる2023年

るうてる2023年12月号

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「主の母、マリア」

日本福音ルーテル久留米教会・田主丸教会・大牟田教会・長崎教会
牧師 西川晶子

「マリアは言った。「私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身になりますように。」」(ルカによる福音書1・38/聖書協会共同訳)

  「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」ルカ福音書の受胎告知の場面で、天使ガブリエルがマリアに告げたこのあいさつは、クラシックの楽曲としても有名な「アヴェ・マリア」の元となった詞の一つです。
 「アヴェ・マリア」は伝統的に「聖母マリアに対し、罪のとりなしを祈る祈り」として唱えられてきたものですが、現代のルーテル教会やプロテスタント諸派においては、マリアを信仰対象とすることはありません。マルティン・ルター自身は当初、アヴェ・マリアを祈っていたこともあるようですが、彼自身の中で福音理解が深まっていくにつれ、ルターの中でマリアを信仰の対象とすることはなくなっていきます。しかしルターは、その後もマリアを軽視していたわけではなく、彼女が「主の母」「神の母」として尊敬されることはふさわしいことである、というようなことを言っています。しかしそれもまた、マリアがもともと私たちとは違う「聖なる方」であったから、というのではありません。
 マリアという人を私たちが想像しようとするとき、絵画などの、すでに母として完成された、包容力のある大人の女性である「聖母マリア」を思い浮かべがちではないでしょうか。しかし、この天使の知らせを受けたときのマリアは、おそらく当時の結婚適齢期とされる年齢の直前、10代前半の少女であったと考える方が自然です。
 それくらいのまだ幼いと言ってもよい少女が、天使に思いがけないことを告げられる。実際、ここでマリアは当初、喜ぶよりもむしろたいへん当惑し、考え込んでいます。マリアの身に突然起こったことは、とうてい信じられないようなことです。そしてこの先いったいどのようなことが起こるか、そもそも家族や婚約者ヨセフをはじめ、周囲の人々がこのできごとを信じてくれるかといったことも含めて、この時のマリアにとって、この受胎告知は、場合によってはマリア自身のいのちの危険さえ引き起こしかねないできごとであったはずです。このとき、マリアが天使の知らせを受け入れることは、神の子を身ごもることに伴って起こる、それらの困難をもまた引き受けるということでもありました。
 最終的にマリアは、天使の言葉に励まされ、「お言葉どおり、この身になりますように」という言葉で、その知らせを受け入れます。おそらくその先に起こることへの不安がなくなったわけではないでしょう。ヨセフとの関係、周りの人からどのように思われるか、また、まだ人として未成熟な自分が母となっていくこと…マリアは、これから自分の身に起こること一つ一つを生きていくことになります。
 私たちがマリアの中に模範となるものを見るとするならば、それは伝統的にマリアに付加されがちであった「清らかさ」「純潔」といったイメージではなく、このとまどいや恐れを抱えながらも、自分の中で始まろうとしている神様の救いのみ業を受け止めた、その「神に信頼して歩みだす姿」ではないでしょうか。
 そしてその中で、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力が」マリアに宿り、マリアを包むのです。これから、自分に起こることを引き受けていこうとするマリアの中に、生きて働く神のいのちが宿っている。マリア自身はただの少女にすぎませんが、しかしそのマリアをとおして、確かに神様のみ業が進んでいったのです。
 今から2000年前、少女マリアの中で始まったできごとによって、この世界のただ中に、神のいのちが受肉しました。神は、私たちの世界のただ中で、ひとりの小さな少女の中から、救いのできごとを始められました。私たちもまた、その神様のいのちに信頼したいと思います。私たちの現実の中にも訪れてくださる神様のいのちの働きを信じ、その方が与えてくださる人生を、勇気をもって引き受けて歩みたいのです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊺ここにいるよ

「イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。」   ヨハネ20・16

 あれ、こんなに嬉しいんだ自分の名前を呼ばれると。そう思わされたのはある人に「〇〇さんおはようございます」と名前をつけて挨拶されたときでした。
 いろいろな機会に「挨拶するときは相手の目をなるべく見てお名前がわかるときはお名前をお呼びして挨拶をしましょう。」とは言ってきましたが、いざ自分が言われると嬉しいものですね。
 私が言ってきたことは間違いではなかったんだと改めて思いました。挨拶をするときその人の名前を言うと自分に言われたと思い嬉しいですよ。
 このようなことを言われたこともあります。「家の近くに〇〇の木があったのに、香りがしてここにもあったんだと初めて気づきました。」
 香りや花、他と比べて目立たないとわかってもらえないことがあります。「私はここにいるのに」そのようなときがあります。名前さえ呼んでもらえない。木も草も人もいろいろなものがそうであることが少なくないのです。
 でも誰かに気づいてもらえなくても必ずあなたや、木、草、一つ一つの名前を呼んでくださる方がおられます。それは神様です。
何で?それはいつも神様がそうだから。いくらそばにおられても「あなたを大切にしているよ」と囁かれてもなかなか誰にも気づいてもらえない。
 まるで他のものから比べると目立たなかったり、きれいではないからと気づかれず名前も呼んでもらえないいろいろなもののようです。自分の名前を呼ばれるって嬉しいものです。ほらあなたも呼んでみて「〇〇さんおはよう。」

リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑦

関野和寛(日本福音ルーテル津田沼教会牧師)

 ルーテル津田沼教会は、1950年に開始されたルーテル市川教会の中山伝道所が前身となり、宣教を開始いたしました。1989年、千葉県習志野市の住宅街、現在の場所に移転し、今日に至っています。最近では30〜40名の対面、約60名のインターネット参加、合計約100名の方々と礼拝を行なっています。
 またインターネットを通しての献金をお献げいただいています。礼拝参加者の4割は既存の教会員、3割は新来会者、3割は他の教会の方々です。会員は高齢世代の方々が多いですが、同時に若者も多く参加しています。
 昨年より信徒牧会者育成を行い、信徒による牧会を実践しています。
 はじめて教会に来た人々への対応、健康上の理由で礼拝に参加できない方々への訪問やケアを信徒が主体的に行っています。今年、東教区、本教会から借入を行い外壁補強工事、そして駐車場をアスファルト化する事ができました。更には大きなピザ窯兼バーベキュー台を備える事ができました。
 また教区の伝道支援制度を用いて75インチ大型モニターを導入、牧師不在時の配信礼拝を試みたり、勉強会、映画会などを行なっています。
 教会の課題としては教会がまだまだ地域の人々が集う場となれていない事があげられます。ハードが整えられた今、今年は11月にオープンチャーチを行い、キッチンカーを呼び、ピザ窯でピザを振る舞い、ミニバザー、音楽会、牧師のレクチャーなどを盛り込んだイベントを行ない近隣の方々をお招きいたしました。ルーテル津田沼教会は「時代の灯火となる」を宣教テーマに掲げております。
 未来の教会の担い手を育て、そしてこの地に生活する人々の心の拠り所となれる教会を目指しています。

認定こども園玉名ルーテル幼稚園 上村 理恵(認定こども園玉名ルーテル幼稚園園長)

 本園は熊本県の北部、玉名市の中心部にあり静かな住宅街に位置しています。1954年に設立され今年70周年を迎えました。2015年に幼稚園から幼保連携型認定こども園に移行し、現在、0~5歳児の123名が在籍しています。
 初代園長の藤田先生は教育理念に「愛と信頼・感謝と希望」を掲げられ、愛されて育った子どもは人を信頼することを覚え、それは感謝の気持ちを育て、自分も人の役に立ちたいと希望を持つ人として成長することができるという、この想いが受け継がれてきました。これからもこの理念を胸に、保育の現場に立たせていただいていることの使命の重さを謙虚に受け止めて用いて下さる神様に感謝し、いつも子どもたちと共に成長できる一人でありたいと思います。
 また、70周年記念事業として新園舎が与えられ、園聖句を「わたしは雲の中にわたしの虹を置く」(創世記9章13節)とし、Restart(再出発)しています。園には虹を架けられた神様がいつも一緒にいて守っていて下さることを感じとることが出来る場所があります。階段踊り場のステンドグラス5枚(平和の虹と鳩・馬小屋のイエス様・ひつじ・ぶどう・天使)、見上げると虹がイメージできる「にじのへや」(ランチルーム)、ノアの箱舟の図書室、園庭への虹の階段etc. 子どもたちの笑顔で平和と希望がいっぱいになるようにと祈りが込められています。
 この70年の歩みに神様と関わってこられた全ての人に感謝して、これからもこの玉名の地でみんなに愛される玉名ルーテル幼稚園としてしっかりと歩んでいきたいと思います。

改・宣教室から

永吉秀人総会議長(日本福音ルーテル蒲田教会牧師)

 このコラムでは、これまでの「議長室から」を改め、「宣教室」から様々なルーテル教会関連の働きについてご紹介しています。
 「改」というシンボルの漢字は、「議長室から」を改めたという意味ではございません。これは今期の旗印として「悔い改め」の意味で掲げた「改」です。
 マルティン・ルターは、「九十五ケ条の提題」の第1条を、「私たちの主であり師であるイエス・キリストが、『悔い改めよ…』(マタイ4・17)と言われたとき、彼は信ずる者の全生涯が悔い改めであることを欲したもうたのである」と書き始めています。
 教会の宣教の歴史を振り返るとき、1517年の宗教改革運動の始まり以来、今日に至るまで、私たち教会は順風のときにも逆境の中でも宣教における様々な創意工夫を重ねてまいりました。今、改めてルターの言葉を聴き直すときに、教会もまたその全生涯が悔い改めとなるよう、イエス・キリストが欲しておられることを聴き取るのです。宣教とは、教会が社会と対峙し、そこに生きる人々と向き合い、これまでの自らの態度を悔い改めることによって起こされる出会いから始まるものでありましょう。
 宗教改革運動によりプロテスタント教会が生まれ始めて間もなく、ローマ・カトリック教会は自らの宣教を巻き返すがごとく、世界宣教を目指して未知の国々へと宣教師を派遣し始めました。このように、宣教とは絶えず前進し続けて来た教会の働きのように見えますが、実は派遣された場所に立ち止まることによってのみ、人々との出会いがあり、宣教の実が与えられて来たように、宣教とは「派遣されたところに立ち止まる」という歴史の積み重ねであったように受け止めています。
 この「宣教室から」というコラムでご紹介する一つ一つの働きは、まさに派遣されたところに立ち止まった人々の証言であり、そこに生きる人々と出会い、そこに寄り添われるキリストと共に生きている証しとして、私は感謝をもって受け取っています。その一つ一つの場から、派遣された人々の立ち止まる勇気に学び、立ち続ける忍耐と連帯し、そこで分かち合われている希望に、読者として私たちもあずかれるならば幸いです。

エキュメニカルな交わりから ⑲日本盲人キリスト教伝道協議会

⻆本浩(日本福音ルーテル神水教会・荒尾教会・松橋教会牧師)

  日本盲人キリスト教伝道協議会(以下、通称の「盲伝」と記します。)で理事をしている⻆本です。理事会は議長、副議長、書記の執行部の方々をはじめ、NCC加盟教会から選出されており、日本福音ルーテル教会からも一人選ばれています。現在、⻆本がこれを担っており、今回、理事としてこの団体について書くよう依頼されました。
 盲伝はコロナ禍の2021年に70周年を迎えました(その記念感謝会は翌2022年に開催)。今、私の手元にある点字キリスト教月刊雑誌『信仰』の最新号は1235号となっています。盲伝の公式ホームページには、「その母体となった「盲人キリスト信仰会」の歴史は大変古く、盲伝の発行している点字雑誌「信仰」…(中略)…この雑誌「信仰」の創刊は1915年(大正4年)にさかのぼります。」と記されているとおり、100年以上のつながりがあることがわかります。
 この文中にある「盲人キリスト信仰会」という名称は今も用いられているところがあります。私が住んでいる熊本でも「熊本地区盲人キリスト信仰会」があり、活動、交流が行われています(名称はそれぞれで、「盲信徒会」といった呼び名が主流かもしれません)。皆様のお住まいの地区ではいかがでしょう。もし活動を耳にされたら、ぜひご参加ください。喜ばれると思います。
 前述した『信仰』による文書活動のほか、点字図書の発行・取り次ぎ、全国修養会を通しての交流などが盲伝のおもな活動内容です。今年の8月にも福岡で1泊2日の修養会が行われ、私も行ってきました。75名ほどが参加され、楽しいひとときでした。
 盲伝事務局のスタッフのおひとりは、札幌教会の安藤惠さんです。みんなが認める盲伝になくてならない存在。締め切りギリギリになってこれを書きながら、この記事は安藤さんに書いてもらった方がよかったな、と後悔しています。より多くを知りたいときはどうぞ安藤さんにお聞きください。これからも盲伝に関わる方々に、神さまの祝福が豊かにありますように。

「教会讃美歌 増補」 解説㊼ 増補51番「愛がないと」

北川逸英(日本ルーテル教団池上教会・杉並聖真教会牧師)

 この歌詞は2011年7月、オートバイにずんどう鍋と肉、スパイスなどを満載し、東北に向かう途中で浮かびました。仙台まで何十㎞もある畑の中で、磯の香りがするのです。3月終わりに調布スタジアムで避難中の方々へ、河田チャプレンと、JELCの方々と共に炊き出した時に聞いた、ご夫婦の言葉が甦りました。
 「みんな変わってしまった。海岸線にあった松林の防風林は、丼にのる海苔のように剥がれた。畑の真ん中には、流された舟や車が突き刺さり、土に埋もれている。あったはずの物が無くなり、あってはならない物がそこに有る」
 この海から遠く離れた場所にも、津波が押し寄せてすべては埋もれてしまった。それでも4ヶ月後、被災者の方々とボランティアの方たちが、懸命に努力された事により、見事に高速道路は復興しました。
 何度か被災地を訪問しました。12年が経ってもまだ人の心には不安が埋もれている。だからこれからも信仰と希望を持って、愛といのちを運び続けます。

解説㊽ 増補51番「愛がないと」・26番「かみさま わたしのとなりびとは だれ」曲解説

西川亜紀(日本ルーテル教団旭川聖パウロルーテル教会会員)

 北の国からこんにちは。日本ルーテル教団から讃美歌委員会に加わっておりました西川です。今回は教会讃美歌増補51番「愛がないと」と26番「かみさま わたしのとなりびとは だれ」の作曲解説をいたします。まず51番「愛がないと」には元々は別のメロディが付いておりました。それは10年以上前に杉並聖真ルーテル教会に通っていた頃、讃美歌を作りたいと思い立って作った曲でした。ところがその一方で詞がなかなか思いつかず、お忙しい北川逸英先生にお願いして詞を作っていただきました。年月を経て新作讃美歌として増補に収録していただくことになった時、北川先生より詞に東日本大震災に対する復興支援の思いが込められていることをお聞きして、それならば私も同じ意識を持って作曲したいと考え、メロディを作り直しました。
 26番「かみさま わたしのとなりびとは だれ」では、讃美歌委員会の公募で採用された奈良部慎平さんの詞に曲を付けさせていただきました。シンプルで分かりやすく、元気なイメージの詞でしたので、教会学校の子供達を思い浮かべながらあっという間にできました。ポイントはサビで転調するところでしょうか。詞の前半にある疑問に対し「みんなともだち となりびと…」と突き抜けた明るさで答えるようなイメージで作りました。ぜひ皆様の教会でも賛美していただけると嬉しいです。

西教区主催「原発問題」学習会報告

秋山仁(日本福音ルーテル豊中教会・神戸東教会牧師・喜望の家代表)

 日本福音ルーテル教会は、2012年の全国総会で、「原発」問題について各教区において学習会を行うことを、申し合わせていましたが、西教区としては本当に遅ればせながら、9月30日(土)午後1時から、大阪教会会議室を会場にして、稔台教会牧師でNCC(日本キリスト教協議会)平和・核問題委員会委員長の内藤新吾牧師を講師として、「原発問題」の学習会をいたしました。
 内藤牧師の原発問題との取り組みは、名古屋に赴任した時に出会った一人の野宿労働者から聞いた、原発の労働現場の話が出発点だったそうです。労働者への安全対策がまったく無視され、労働者は常に被曝のリスクに晒され、そして健康上の保障も何もないまま使い捨てにされていった原発の労働現場。その実態を知ったことから、内藤牧師は原発問題に関わり始めたそうです。
 講演では、地震の多発地域である日本における原発の安全性の問題と、いまだに解決していない原発から生じる「核のゴミ」処理の問題、また、原発の燃料であるウランの採掘現場における労働者のすさまじい被曝の実態などが話されました。そして、何よりも原発の出発点は、広島・長崎に投下された原爆の開発であり、核に関わる全ての国際機関も、核大国による核の管理のためのものであり、「原発は核の平和利用である」という宣伝文句が欺瞞でしかないこと、原発を推進する根本的な動機が、核兵器の開発にあることなどが指摘されました。それはまた、日本政府と産業界による原子力政策の動機でもあるという指摘でもあります。最後には、福島でのALPS処理「汚染」水の排水問題との関連で、核廃棄物の再処理工場からの排水問題について、イギリスやフランスの実例、あるいは六ケ所村の実態をもとに話され、私たち自身が「正確な」情報と資料を注意深く収集することの必要性を強く感じさせられました。
 周知が遅かったため、会場参加が講師を除いて10名、ZOOM参加者は3名と少人数でしたが、2時間にわたり内容の濃い学習会を持つことができました。
 今回の学習会を通して、例えば「原発問題」に関する映画会の上映などという、教区、各地区、各個教会での継続的な取り組みについても、大きな示唆を得ることができました。この学習会を一度きりの企画に終わらせることなく、教会として(宗教界から)倫理的・神学的な視点から原発問題に発言していけるよう、私たちの学びを続けていきたいと考えています。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

イスラエルとパレスチナの平和を求める祈り

 エルサレムにある諸教会のリーダーたちは、イスラエルとパレスチナの平和を覚えて、10月17日を祈りと断食の日と定めました。この日、今回の戦争で苦境に立たされた人々や暴力に怯える家族の支援のためにエルサレムで礼拝がありました。LWF加盟教会のパレスチナルーテル教会(Evangelical Lutheran Church in Jordan and the Holy Land)は正義と平和のための祈りを呼びかけました。
 LWFは加盟教会に対して、イスラエルとパレスチナの命を奪われた人々のことを悲しみ、市民の安全と平和のために祈るよう呼びかけています。
 この呼びかけに応えてアメリカ福音ルーテル教会(ELCA)は10月17日を祈りと断食の日としました。インドネシアのルーテル教会(HKBP)は「戦争の終結、人道支援、平和と正義」の祈りをささげることを決定しました。ノルウェーのルーテル教会の監督は信徒に向けて平和の祈りを世界のクリスチャンとともに祈り、戦争の犠牲になったすべての人を覚えてローソクを灯すことを呼びかけました。
 カトリック教会のフランシスコ教皇は世界のカトリック信徒に向けて「聖地の教会と共に祈り、10月17日の火曜日は祈りと断食を」と声をあげました。世界キリスト教協議会(WCC)は「教会、そして心ある人々は、平和のために一致して祈り、愛する人を失った人たちと辛い思いをしている人々への支援を祈り求める」よう呼びかけました。

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

一日神学校報告

宮本新(日本ルーテル神学校教員・日本福音ルーテル教会牧師)

  今年の一日神学校は、9月23日(土・祝)に4年ぶりにキャンパスに皆さまをお迎えしての対面開催となりました。感染対策が継続されるなかではあるものの、チャペルでの開会礼拝は、久しぶりに大勢の人たちと賛美の声をあわせ、聖餐にあずかり、み言葉の糧を共にした恵み深くもまたよろこびのひとときでした。
 メインプログラムは、「関東大震災100年とディアコニア」をテーマにしたシンポジウムでした。コーディネーターは石居基夫学長、パネリストには、ともにルーテル学院の卒業生でもある髙橋睦氏(東京老人ホーム、常務理事)と山内恵美氏(母子生活支援施設ベタニヤホーム副施設長)をお迎えしました。いずれの施設も今から100年前、関東大震災時のルーテルの救援事業にルーツがあります。やがてそれぞれの働きは、特別養護老人ホーム、養護老人ホーム、軽費老人ホームなどからなる社会福祉法人東京老人ホーム、また墨田区・江戸川区で母子生活支援施設と保育園を運営する社会福祉法人ベタニヤホームへと歩みを進めてきました。
 シンポジウムでは、各パネリストから施設創立の歩みと祈り、そして今日まで施設が大切にされてきたことをお分かちいただきました。普段顔をあわせる機会は多くはないかもしれませんが、教会も施設も共にルーツをひとつにして、わかちあってきたビジョンがあることを確かめるようなひと時でした。あらためて年月とは、ただの数字ではなく、その時代を生きて歩んできた数多くの人たちの足跡と、その祈りの束を伝えるものと思わされました。ディアコニアの100年とはそういう意味なのかもしれません。
 シンポジウム後、いくつもの教会や団体がミニショップを出店し、対面ならではの賑わいを見せました。コロナ禍のオンラインから対面開催に戻すことも、また半日開催でお招きすることも、多くの議論を要し、容易なことではありませんでした。しかしそれでも心を寄せてお集まりいただいたところにある恵みは十分なものでした。お一人お一人の参加と、また遠くにある祈りと支えとに心から感謝を申し上げます。

「聖書日課・読者の集い」報告

松本義宣(ルーテル「聖書日課」を読む会 発行委員代表・日本福音ルーテル東京教会・東京池袋教会・板橋教会牧師)

  久しぶりの「聖書日課・読者の集い」が、10月23日~25日、日本福音sルーテル大阪教会(宿泊は「ホテル・ザ・ルーテル」)を会場に行われました。昨年はオンライン(Zoom)開催でしたが、対面(リアル)では4年ぶりの再開、参加者にとっては「再会」となりました。ブランクのため以前ほどではありませんでしたが、延べ34名の参加者でした。
 今回は、大阪教会の大柴譲治牧師を講師に、「ローマの信徒への手紙」を学びました。先生のご専門である牧会学・カウンセリングと長い牧会経験からの博覧強記、縦横無尽な語り口から、みことば(ローマ書)を通して福音の真髄に触れるお話しを伺いました。2日目夜の恒例「音楽と賛美の夕べ」では、京都教会員の泉川道子さんと大阪教会員で声楽家の森本まどかさんのご奉仕で、「教会讃美歌増補分冊1」からルターの教理コラールを歌い、美しい日本歌曲やオペラ・アリアも堪能しました。
 聖書日課の読者は、本来は各々の場(個人、家庭、諸施設、職場等)で「聖書日課」を通して「みことば」を共有していますが、この会は、顔と顔を合わせて、その恵みと喜びを分かち合う時、共に聖書の学びをするプログラムとして行われてきました。が、コロナ禍のブランクで様々な変化があり、以前は、聖書日課執筆者の研修も同時に行われて、読者と執筆者の交わりの時を持ちましたが、執筆者研修は別途オンライン開催となり、併せて発行委員の交代や事務局機能の移動などもあり、久々の読者の会も変化の中にあるのかもしれません。しかし、確認できたことが一つ、やはり共に集い、共にみことばに触れることの喜び、元々この「聖書日課・読者の集い」が持っていた意義を、コロナ禍でそれぞれの教会、集会、施設での集えない経験を経て、誰もが強く感じたことを、改めて再確認、深く受け止められたのではないかと思います。「聖書日課」の先見性!?です。

TNGユース部門主催 リーダー研修キャンプ報告

竹田大地(TNGユース部門長・日本福音ルーテル天王寺教会牧師)

 9月4日~7日、沖縄にてTNGユース部門主催の「リーダー研修キャンプ」が開催されました。本プログラムは、教会における次世代の担い手を養成するプログラムとして企画されています。参加者は2名でしたが、その分濃密に沖縄の戦争遺構(ガマなど)、普天間基地前での「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」、辺野古基地建設地前での抗議活動などをじっくりと体験し、伊江島では戦後、アメリカ施政権下の沖縄で米軍強制土地接収に反対する反基地運動をした阿波根昌鴻氏と活動を共にした謝花悦子氏からお話を聞く機会をいただきました。
 参加者たちは、聖書に学び、実際に沖縄に立つことにより、そこに息づく人びとの声にならぬ声を聞くことの大切さ、弱くされ排除されていく様を目の当たりにすることにより様々な思いと、決意を与えられ「一人一人の心を大切にする、そんな当たり前のことがこれから教会を、世界を担っていく私たちに今最も求められていること」だと感想に記しています。
 来年も沖縄で開催する予定です。どうぞその際には青年の皆様にご案内ください。

第31回春の全国ティーンズキャンプ開催

〈テーマ〉「最強の絆」
〈日時〉2024年3月26日(火)~28日(木)
〈会場〉千葉市少年自然の家(千葉県長生郡長柄町針ヶ谷字中野1591─40)
〈参加費〉
1万5千円(同一家庭から複数参加の場合は1名につき1万4千円)
〈参加対象〉
2005年4月2日~2012年4月1日生まれの方
〈応募締切〉
2024年2月18日(日)
〈申し込み〉
公式ブログよりお申し込みください
 
【同時募集】
スタッフ募集
〈募集人数〉若干名
〈募集資格〉
2005年4月1日
以前生まれの方
キャンプの全日程に
参加できる方
事前に開催される
Zoomでの研修会に
参加できる方

〈スタッフ応募締切〉
2023年12月末日
〈申し込み〉
公式ブログよりお申し込みください

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