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機関紙るうてる

るうてる2019年10月号

説教 「御支え」

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「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」(創世記1・31)
 宇多田ヒカルさんの歌に「Beautiful World」という曲があるのを知りました。「もしも願い一つだけ叶うなら 君の側で眠らせて どんな場所でもいいよ」。深い思いがうたわれていると思います。神様の思いを映していると思いました。いのちの励ましを子が今忘れていれば思い出してほしいと神様は祈られていると思います。
 ある学校で少し聖書の学びをしました。「信じている人は天国、信じていない人は…。私は救われている人、あの人たちは救われていない人」と言われていました。私たち人間の思い上がりが本当の悲しみです。
 神様と私たちは一つだと、インマヌエルだと聖書は教えてくれます。離れ離れだけれどもなにかこう繋がっているというようなことではなくて、まったく神様と一つだと。このことが「最初で最後のこと」(滝沢克己『聖書を読む マタイ福音書講解』岩切政和編、創言社)だと。初めからあったこと、最後の最後まであること。神様は救いを決定し、その約束の内にいのちを創造され、そこに生かしてくださっている。誕生が与えられ帰ることを与えられるまで、いつも「脚下で」(同書)支えていてくださっている。私たちのこれまでの歩みに御支えが確かにあったと思います。今もこれからも神様の光に包まれている。
 私たちは神様ではありません。当然ですが見失いやすいことです。神様がつくってくださった「極めてよい」と宣言されている、愛していてくださる存在、子です。いのちもなにもかも神様がお与えくださったもの、一切は「恵みのみ」(ルター)無条件で受けていることです。そして人間の限界はちゃんと置かれている。できることもあればできないこともある。限りはありますが映している。それで十分だし、幸いです。
 救いもまた神様が与えてくださっていることです。私たちの側の何か(持っていると考えているもの)が勝ち取るというようなことでは決してありません。恵みがすべて。神様が私たちすべての人と共におられるという、この私と一つだという「生命の根元、故郷・根本事実・存在の事実そのもの・神の愛、真実・絶対に単純無条件に実在する支え・絶対平等・生きられる根拠、拠り所・絶対に確かな生命の足場、基礎、土台・無条件の祝福・人間の生の充実・本当の安らぎ、幸せ、身軽さ・生の姿の美しさ・本当の主体、一者・復活の生命」(同書)、そういう救いの「神の決定・絶対無条件の決定」(同書)に在る。
  救い主がそのことを現わしてくださいました。「私たちは御父と一つだ」と。苦しみの極限においてもそうだと。私たちに先立って共に私たちの苦しみを嘆きいたんでおられると。十字架を負う私たちは、「人間は、捨てられたままで・救いのないままで、ちゃんと救われる」(同書)。そこに神様が一つでいてくださっている。ぼろぼろになってもどうなっても。そのことを示してくださるためにイエス様が来てくださった。「本当の生命の故郷に立ち帰らせるために、自分自身の生命の根元に本当に目を覚まさせるために」(同書)来てくださった。イエス様はその根元で「苦悩の叫び・悲嘆」「神人一体の中で、無条件の恵みに無条件に感謝・信・讃美」(同書)する、それが私たちにできると、与えられていると、インマヌエルなる神様の中に在ると、明らかにしてくださった。
 私たちはこの福音(「神の原音」同書)の中にいます。「福音とは、人間は、実はイエス・キリストの〈まこと〉・第一のピスティスの中にあって、義とされているという喜ばしき知らせ」(『小川修パウロ書簡講義録 ローマ書講義Ⅰ』2011、リトン、12頁)です。「ピスティス」は、「〈まこと〉、真実、信、信仰」等の意。すべての人にある御守り、御支え。そこに「十字架即復活」(同書)がある。
 永遠に神様の世界に在る。そこに、キリストが包み、内より励ましていてくださっている。光がある。主は我が牧者なり。「裸になって元に還れ」(滝沢先生)。「幸福なるかな」が響いている。

コラム 直線通り 久保彩奈

⑲「神様のお弁当」
 「神様のお弁当」と聞いて、どんなイメージをもつでしょうか。おにぎりでしょうか。サンドウィッチでしょうか。それともあたたかいスープでしょうか。
 ある日の炊き出しで、教会で作ったお弁当を受け取った野宿の人に「今日も神様のお弁当ありがとう」と声をかけられました。
 「神様のお弁当」は鮭わかめの混ぜご飯、漬け物、大きなウインナーでできたかんたんなお弁当ですが、たくさんの人の思いが詰まっています。時間と働きを差し出してくれる仲間たちの思いはもちろん、心を寄せてくださる人たちがたくさんいます。「この重さなら持って来られるから」と教会に来るたびにお米を買ってきてくださる人。使い捨てのお弁当パックや割り箸の経費を気にしてくださり、知り合いの問屋さんを通して寄付してくださる人。お弁当作りの休憩の時に食べてね、とお菓子をくださる人。「座ってやる作業ならできるけど、何かできることある?」と声をかけてくださる人。ここには書ききれないほどの、たくさんのあたたかさと、共に生きようという思いが「神様のお弁当」には詰まっているのです。
 食べるということは、ただ単に生命の維持ということだけではなく、何のために、誰によって生かされているのかを知る瞬間でもあります。わたしたちが労して作ったお弁当の背景に、神様の愛があることを野宿の人びとが感じとってくれていたことに心が震えました。わたしも彼のように、その先にある神様の愛を感じとりながら生きる者でありたいのです。

議長室から 「変えることができるのは『自分』と『未来』」大柴譲治

 カウンセリングでよく言われる言葉があります。「過去と他人は変えられない。変えることができるのは自分と未来だけ」。確かにその通りです。しかし同時に本当にそうだろうかとも思います。
 「覆水盆に返らず」と言うように、私たちは「過去」に起こった出来事を変えることはできません。また、親子喧嘩や夫婦喧嘩を思い起こしてもそうですが、「他人」を変えることなど不可能に近い。その意味で確かに「過去」と「他人」は自分の思い通りにはなりません。
 「変えることができるのは自分と未来だけ」という文言もまた真理と思われます。もちろんそれは容易なことではありません。しなやかに自分を変化させて柔軟に現実に対処したいと思いつつ、そのようにできないことが少なくない。どこか無意識的に私たちは馴染みのある「自分」を変えたくないと思っているのかもしれません。「交流分析」では私たちが持つ「人生脚本」に焦点を当てますが、幼い子どもの頃から私たちがサバイバルのために自ら選び取ってきた生き方にはそれなりの理由と意義とがある。自己を変えるというのは生半可なことではできません。しかしそれでも「過去」と「他人」は変えることができないとしても、再決断によって「自分」を変えてゆくことはできます。「自分」が変われば、そこから新しい「未来」を創造してゆくこともできましょう。
 しかし本当に「過去」と「他人」を変えることはできないのか。確かに過去の「出来事」は変えることはできません。しかしその出来事をどう受け止めるか、その出来事の「意味」を受け止め直すことは可能です。「意味」が変われば「過去」の位置づけも変わります。また、人間関係は相互的な「関係」です。ケネス・デール先生はいつも家族システムを、モビールを持って説明しておられました。モビールは全体が一つにつながっていて、どこかを少しでも触ると全体が動きます。同様に、自分の相手に接する姿勢が変わればその「関係」も変わります。「関係」が変わると相手の私に対する接し方も変わります。こう考えてくると、「過去」も「他人」も「自分」と「未来」同様に変えることができるのではないでしょうか。
  ラインホルト・ニーバーのSerenity Prayerを思い起こします。「神よ、変えることができないことを受け入れる心の静謐さを与えてください。変えることができることを変えてゆく勇気をお与えください。そしてその両者を識別するための智恵をお与えください。アーメン。」

第21回ルーテルこどもキャンプ報告 高村敏浩(キャンプ長・三鷹教会牧師)

 8月6日~8日の二泊三日の日程で、TNGのこどもキャンプが行われました。東京三鷹のルーテル学院キャンパスに、全国から27人の5・6年生が集まりました。21回目となる今回は、フィリピンを取り上げました。近年日本でも知られるようになりましたが、フィリピンの国民的デザートにハロハロというかき氷のような食べ物があります。 ハロハロは「ごちゃまぜ」という意味ですが、このデザートもその名の通り、フィリピンの被植民地としての歴史を反映したものとなっています。 このハロハロをヒントに「ハロハロの国フィリピン~ごちゃまぜのハーモニー~」というテーマでプログラムをたて、キャンプでは多種多様な民族や文化、言語を持ち、同時に被植民地として諸外国からの影響を受けて成り立つフィリピンという国を、いろいろな体験を通して学びました。
 もう一つテーマの手掛かりとなったのは、バニーグという伝統的な織物です。土着の植物を使って織られるこのマットは、フィリピン人の生活の様々な場面で用いられ、日本でいう畳のように、フィリピンの生活の象徴となっています。縦と横に織られているため、このバニーグはときに、人と人とのつながりから織りなされる人生にもたとえられるようです。私たちは、キャンプの聖句であるコリントの信徒への手紙一12章20節「だから、多くの部分があっても、一つの体なのです」をこのバニーグと重ね合わせ、キリストは私たち一人ひと生であったことを、喜びと感謝をもって報告いたします。女性会やJELAをはじめとして、さまざまなところから経済的・物質的・人的なサポートとお祈りをたくさんいただきました。ご支援、心から感謝します。

訂正

2019年8月号2面「サウスカロライナ・シノッド総会、ELCA本部を訪れて」4段目5行目「セントジョーンズ教会」は「セントジョン教会」の誤りでした。謹んで訂正いたします。

住所変更

スオミ教会
〒162l0041東京都新宿区早稲田鶴巻町511の4 スカイコート早稲田106号
電話03(6233)7109(FAXなし)

リーダー研修キャンプ報告 竹田大地(TNGユース部門担当・西宮教会牧師)
 8月19日(月)から21日(水)の2泊3日でTNGユース部門主催の「リーダー研修キャンプ」が西宮教会を会場にして行われました。例年は神学校を会場に開催していましたが、西宮教会の開催となり東教区以外での初の開催となりました。
 昨年までは「バイブルキャンプ」と称して、聖書から神の御声に聴き、証しを作成する学びをし、教会での奉仕者養成を趣旨として催されていました。今年から「リーダー研修キャンプ」とキャンプ名の変更に至りました。
 理由として、TNG部門リーダー会議において春のティーンズキャンプ(Teens部門)、こどもキャンプ(こども部門)において、両キャンプの卒業生がスタッフとして関わる人数が多くなってきたことが確認されました。直近の両キャンプにおいても参加者を導くリーダーは、ほぼ両キャンプの卒業生で構成されています。こうした現状を踏まえて、ユース部門でのキャンプを、他部門の大切な次世代育成プログラムをより一層充実させるために「リーダー研修キャンプ」と位置付けて開催の運びとなりました。
 今回のリーダー研修キャンプには、北海道特別教区から九州教区まで計18名の参加者が与えられました。各教区から参加者があったこともあり過去最高人数の参加者が与えられました。この背景にはティーンズキャンプ、こどもキャンプでの奉仕に対して力になりたいという意識の現われかと思います。
 当キャンプでは、聖書からリーダー像を学び、その学びを受けてKJ法を用いてTNG部門のキャンプにおけるリーダー像とは何かを考え、学びました。また、キャンプ期間中の準備日を含めた4日間だけが大切なのではなく、残りの361日をどうキリスト者として生きるかということの方が大事だということを確認しました。活発な意見交換がされ、参加者たちはリーダーとしての在り方は勿論のこと、自分自身のキリスト者としての生き方も深く考える機会となったキャンプとなりました。

第13回るうてる法人会連合総会報告 小勝奈保子(東教区社会部長・聖パウロ教会牧師)

 第13回るうてる法人会連合総会が8月22日(木)~23日(金)、三鷹のルーテル学院で開催されました。テーマは「ルーテルを語ろう」、宮本新先生に基調講演を頂きました。なぜルーテルなのか?ルーテルらしさとは?ルーテルの諸施設で働く者にとって、キリスト教理念は学びこそすれ、ルーテルって何?「ルーテルさん」と呼ばれる働きの特徴とは?ルーテルとは何かを語り合うことが今回のテーマです。そこで一方的に話を聞くばかりではなく、それぞれの思い「知らない」「考えてみたこともない」でもよいし、「こんな風に思っている」等々、分かち合いを通して生まれる…何か、気づきへの“期待”。12のグループに分かれて、グループディスカッションも行いました。
 他に教会信徒のディアコニア活動の紹介として、3つのグループ「ほしくずの会」の安藤淑子さん(蒲田教会)、「ちかちゅう給食」の久保彩奈さん(本郷教会)、「東京老人ホーム・ボランティア」の大森はつ子さん(むさしの教会)からの発題もありました。施設職員にとっては専門職とは違う草の根の働きの思いを知る機会となりました。 
 また東京開催に際し、東教区の応援と諸教会からの参加を呼びかけました。信徒の参加も多くあり、「このような集い、交流があることを初めて知りました」、「宣教の業が教会だけではなく、伝道(宗教法人)、教育(学校法人)、奉仕(社会福祉法人)、バランスよくつながり合って展開していることが分かりました」、「開会礼拝で『網仕事(ネットワーク)』と題し、大柴牧師がお話くださいましたが、その通りですね」とのお声も聞かれました。
 近年、世界のルーテルの流れは、ポスト宗教改革(2016年ルンド、2017年長崎)、共同宣言(2017年)と続き、共生へと向かっています。そして、国連の打ち出したSDGs(世界を変えるための17の目標)は、その作成にあたりルーテル世界連盟の参加と働きがあったことを宮本先生がご紹介くださいました。SDGsとルーテルのつながりを初めて知った人も多く、参加者からは良い反応が起こりました。すでにルーテル社団とチャイルド・ファンド・ジャパンではSDGsに取り組み、その活動をご紹介くださいました。
 宣教の未来ビジョンを描く上でたくさんの示唆を頂いたように思います。目の前の課題に日々追われながらも、望み仰ぎつつ、おおらかな気持ちで、一人のルーテルさんとして互いに自由な愛によって仕え合っていこうと、心を新たにしました。

ルーテル社会福祉協会 総会報告 中島 康文(市川教会牧師)

 8月21日から22日にルーテル社会福祉協会の研修会及び総会を行いました。例年、るうてる法人会連合の総会あるいは研修会に併せて開催されているもので、会場となったルーテル学院大学に、会員12法人中10法人から45名が集いました。
 社会福祉協会はここ数年、「教会と法人」の関係について様々な角度から学び・考えてきました。2017年の「宗教改革500年」が契機でした。ルターについて学び、現場での教会・チャプレンの働きを見つめてきました。今年は、「教育の場の思い」を伺いつつ実践に生かしていくことを考え、市川一宏ルーテル学院大学学長を講師にお招きし、21日に研修を行いました。「地域社会が抱える問題」「社会福祉の動向」をご講義いただき、更にこれからのキリスト教社会福祉実践に関し、「共に生きること、共感することの大切さが、明日に向かって生きる力になる」と力強く語ってくださいました。講演の中で、ルーテル学院(ルーテル教会)の福祉教育の歴史、ルーテル学院が現在目指していることなどもお語りくださいました。教会・社会福祉・教育が共に祈りつつ、一つになって働くことの素晴らしさを実感したひと時でした。
 22日の総会では、昨年発足した「運営委員会」の位置づけと具体的な働き、会報・次年度開催の件などを協議し散会しました。
 尚、21日夜、武蔵境のお店を貸し切って開かれた懇親会では、MC森田哲史デンマーク牧場チャプレンより「新しい名刺を3枚以上獲得する」というテーマが出され、旧交を温めつつ新しい出会を頂けた楽しい時となりました。
 ルーテル教会の皆様の祈りとご奉仕に支えられて、今日のルーテル社会福祉協会に属する法人が働き続けられました。これからも、お祈りにお覚え頂ければ幸いです。

 

ルーテル幼稚園・保育園連合会夏季研修会報告「元気に明るく、 輝いて現場で」 竹田孝一(大森教会牧師)

 「ルーテル幼稚園・保育園連合会夏季研修会」が8月23日~24日の2日間、福岡ガーデンパレスを会場に開かれました。全国から121名の参加者がありました。
 「こども子育て新制度」が始まり国から出された、幼稚園、保育園、認定こども園の新教育、保育要領をキリスト教の立場からどう現場で捕らえ、解釈していくか、「新キリスト教保育指針」の作成委員の一人である西南学院大学の深谷潤先生から、「『幼児期の終わりまでに育ってほしい姿』をどう捉えるか―キリスト教保育の立場から―」という題でお話を聞きました。国の要領は、「作りだす」、「しなければいけない」、「自分の力」というように子どもたちが到達目標に達するように能動的保育をするような指針に対して、キリスト教保育は「受け入れられる」、「与えられる」というように受け身ですが、こどもを中心とした、それは神を中心として、国が示した「姿」の次元を超えて、一人ひとりの存在を大切にし、互いに隣人となりつつ、平和を作りだす人間を育成する受動的能動を目指すものであるとのお話を聞いて、キリスト教保育の指針の意味を新たに気づかされました。
 2日目の講師は柴田愛子先生でした。お母さんがルーテル教会の会員で、先生はルーテル幼稚園での保育者の経験もあり、その後、「りんごの木」保育園を創設、多くの保育書を出されています。先生からは「『子どもの心に添う保育』―保育は子どもが主役といいながら、保育者の気持ちが優先されていませんか?寄り添うことで子どもの気持ちが見えてきます。子どもたちのドラマがみえてきます」というお話を聞きました。
 柴田愛子先生からのお話を聞きながら、保育者は、笑い、泣き、頷き、勇気を与えられました。元気に明るく、輝いて保育者一人ひとりは、保育の現場に派遣されていきました。
 2020年の研修会は、8月28日~29日、広島で開催予定です。

春の全国ティーンズキャンプ2020 スタッフ募集のお知らせ

 2020年の春の全国ティーンズキャンプは、3月24日(火)~26日(木)に「千葉市少年自然の家」にて開催されます。現地で行われる前日準備日と、春キャンの2泊3日を参加者と一緒に過ごしてくださるスタッフを募集します。募集スタッフは、次のとおりです。
◎リーダー ティーンズと共に行動し、信仰的に導きます。
◎オーディオ キャンプのプログラムを支えるスライドの作成や機材管理をします。
◎マネジメント 裏方としてキャンプの運営に関わります。
◎賛美 楽器の演奏や歌で、賛美を導きます。
☆募集条件
1 前日準備日とキャンプ3日間の全日程に参加できること。
2 リーダー応募者は20歳以上の受洗者であること。(幼児洗礼の場合は堅信者)
☆申し込み
左記①~⑥についてすべて記入し、メールでお申し込みください。(スタッフの決定は人数や予算の関係でご要望に添えない場合もあります。ご了承ください。)
①名前、教会名、応募について承諾をもらった牧師名②受洗日・堅信日(未受洗者は未受洗と書く)③上記の募集スタッフの中からあなたが希望する役割④現在あなたは1ヶ月に何回ぐらい教会の礼拝に参加していますか⑤愛唱聖句(好きな聖書箇所)はどこですか?⑥イエス・キリストはあなたにとってどんなお方ですか?
☆申し込み先harukyan.moushikomi@gmail.com 永吉まで☆締め切り:2019年12月1日(日)必着

「いぶき、こんな様子です」 就労継続支援B型事業所 いぶき 刑部隆一

〈静岡県袋井市にある社会福祉法人デンマーク牧場福祉会では今年4月より新たな障害者福祉サービスとして就労継続支援B型事業所「いぶき」が開始されました。「いぶき」の今の様子をご寄稿頂きました。〉
 いぶきが始まり、5ヵ月になります。利用者の数も徐々に増え、現在は11名が所属しています。その中には、特別支援学校からの卒業者もおれば、気持ちがしんどくなり、家に引きこもっていた方もいます。それぞれに、居場所、仕事を求め、少しでも社会に慣れようと集まってきた人達、仲間達です。
 仕事は、馬の糞掃除、草刈りをし、草を運び、柵の修理をする環境整備作業、草刈りの機械や、針金を巻き付けるハッカー等の機械、工具を使う仕事もしています。室内での羊毛の加工作業では、デンマーク牧場産の羊毛を使い製品作りをしています。いぶきでは、その人に合った仕事を選び、成長できるような仕事を提供していきたいと考えています。
 いぶきでは、雰囲気作りを大切にしてきました。居場所として安心できなければ、安定し仕事をする事はできないと考えるからです。ただ、気持ちがつらくなり、途中で作業を中断し、休憩したり、職員と話をする時間をとるような利用者が出てきています。また、「~あの人はトイレによく行く」「~から話しかけられて嫌になってしまう」と、ちょっとした不安、不満は聞こえてくるようになりました。ただ、それについては、安心できる場所になったから、発言、行動できるようになったと前向きに考えています。職員は、それらに対して向き合い、解決に近づけることで、利用者との関係を繋ぎ、障害や利用者との関わりについて勉強させていただいています。勉強させてもらうとなると、「言い方が悪いのではないか、利用しているのか、」と思われるかもしれませんが、一方的に与えられる関係ではなく、お互いに与えられる関係であり、良い関係なのだと考えています。利用者は未熟、職員集団も手探りで未熟、お互いまだまだでありますが、5ヵ月のいぶきはこのような状況にあります。焦らずに、皆で一緒に成長していきたいと思う今日この頃であります。

ルーテル学院110周年ルター研究所秋の講演会「ルターと日本」 石居基夫(日本ルーテル神学校校長)

 今年のルター研究所の秋の講演会は、ルーテル学院110周年を記念して「ルターと日本」をテーマにしています。11月10日の午後2時から、かつての神学校教会、日本福音ルーテルむさしの教会を会場に行います。
 日本におけるルター受容は、内村鑑三を始め明治のプロテスタント信仰の中で、比較的早くから起こっています。そのなかで、ルーテル教会、そして特に神学校が独特の役割を果たしてきました。日本における様々なルター受容の道筋を確認しつつ、本学のルター神学の意義を考えたいと思います。
【ルター研究の歴史から】
 江口再起先生は、まさに「ルターと日本」を講演タイトルとして、ルターがどのように日本に紹介され、また受け止められてきたのか、その研究史とともに、日本人にとってルターとはどのような存在であるのかに迫ります。とりわけ、本学の佐藤繁彦や北森嘉藏、徳善義和らが、単にルターを学問対象とするのではなく、ルター自身の信仰的格闘に学び、教会で語られるみことばを共に聞く信仰の中に受け取っていきました。江口先生は、本学のルター研究の伝統の中に、日本における生き生きとしたルター受容の姿を辿られます。
【一級の資料から】
 青田勇先生は、「佐藤繁彦とルーテル教会」をテーマにご講演をくださいます。戦前に本学で教えた佐藤繁彦は、石原謙と並んで日本でのルター研究の草分け的存在です。テュービンゲン大学に留学し、カール・ホルのもとでルター神学を学び、帰国後にルーテル教会に移って研究を重ねます。代表著作は『ローマ書講解に現れしルッターの根本思想』。青田先生は、近年ご遺族から本学に寄贈された留学当時の日記や研究ノートなどの一級資料を整理されています。佐藤繁彦のルター研究とルーテル教会との関係に迫ります。

聖公会・ルーテル教会合同エキュメニカルキャンプ報告 野口和音(松本教会・長野教会牧師)

 8月8日~10日にかけて、長野県湯ノ丸高原にありますシャロームロッジにて、聖公会と日本福音ルーテル教会合同の第2回エキュメニカルキャンプが行われました。昨年出版された黙想集『神の恵みによる解放』を用いた合同黙想会として企画され、今年も両教派の若い世代同士の交わりと黙想を深めるキャンプとなりました。
 プログラムの中心となる黙想の時間では、黙想集を皆で読み、1時間程度の個人での黙想の後、2~3人での分かち合いの時を20分程度持ちます。これを1セットとして、第1回のキャンプでは計5回の黙想の時を持ちました。個人黙想や分かち合いの時には、室内で落ち着ける場所を探したり、あるいはロッジの外、自然の中を歩きながらみ言葉を味わうひと時となります。私にとってそれは、普段の主日の説教準備などで「語る為にみ言葉を読んでいた自分」に気付かされるときでもありました。私たちに与えられているみ言葉に向き合い、深く捉えていくこと。本来み言葉との関わりとはそこから始まるのだと思います。牧師一年目にして語るべき職務に行き詰った思いを感じていたからこそ、その時の気付きは深い悔い改めと感動を呼び起こすものとなりました。
 今年のキャンプでは副題を「主の食卓に招かれて」として、聖餐をテーマとした聖書の箇所で礼拝をし、黙想を深めました。黙想と分かち合いも行いながら、今回は池の原湿原へハイキングを兼ねた黙想のプログラムも実施することが出来ました。このプログラムを担ってくださった聖公会の全盲の方は、「教会にとって隣人とは」という問いと黙想を、障がいを持つ人々の現実や様々な視点から導いてくださいました。
 み言葉はキリストと共に生きている、ということを知ることができるキャンプであったと思います。生きているからこそ、み言葉は私たちを招き、満たし、そして再び送り出していくのだと思います。是非あなたも、この豊かな黙想の時に加わってみませんか。

賛美歌と私たち

④賛美歌の神学 小澤周平 (名古屋めぐみ教会牧師)

 1920年、旧JELCの第一回総会。この頃、1903年版『讃美歌』、大正改訳の文語訳聖書、そして式文と、礼拝が整えられていきました。1931年、新版の『讃美歌』が出版。この歌集は、中世ラテン語聖歌、ギリシャ語賛美歌、ドイツ・コラール、フランス語詩編歌、そして、アメリカの社会福音的賛美歌を取り入れ、より超教派的な歌集になったと評価されています。
 ところで、賛美歌や歌集に、超教派だの教派独自だの、そんな性質があるの?と、疑問に思う方もおられるかも知れません。少し脱線して、その辺りのことについて触れてみます。
 礼拝は神様が私たちに奉仕(サービス)する出来事であり、私たちの信仰が養われる神様との交わり(祈り)の時です。礼拝は中心を保ちながら、それぞれの歴史や文化の中で多様に発展してきました。だから、礼拝には自ずと、共同体が継承してきた信仰・信仰生活の内容が表れます。普段の礼拝の中で「私」と言う時、それは同時に、連綿と続く「私たち」の信仰を言い表しているのです。式文、聖書、説教、そして、賛美歌などには、それぞれの教派や各個教会における「私たち」の特徴を見出せます。
 礼拝奉仕を経験したことがある方は、「私たち」の信仰へのふさわしさについて吟味したことがあると思います。祈りの言葉、子ども向けの説教、花の色、服装など。その信仰的な問答・吟味・考察こそ「神学」です。賛美歌も同じです。一つ一つの賛美歌には、作者が養われ継承してきた信仰が、自ずと表現されます。そこに表現される神学が「賛美歌の神学」です。その神学が、歌集の性質を決めています。
 普段の私たちの礼拝では、日課の聖書箇所と説教と賛美歌が、神学的に整えられるように準備されます。加えて、式文中の順番、全ての節を歌うか数節選んで歌うか、口語か文語か、斉唱か交唱か聖歌隊の合唱か等々、共同体への細かな配慮も行われます。
 もし、共同体が継承してきた礼拝のあり方から賛美歌だけがズレてしまうなら、礼拝の調和は崩れてしまいます。それは、信仰生活のリスクです。実に、戦後すぐ、このことに警笛を鳴らした信仰の先輩たちがいました。(続く)

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