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るうてる2007年

るうてる2007年12月号

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第22回総会期 第2回合同常議員会

11月6日~7日「よりよい宣教の展開へ ~Power MissionをOur Mission(私たちの宣教)に~」をテーマに合同常議員会が開かれた。PM21宣教方策の今後5年間にむけての計画と、財政についてが主な議題となった。
今期行われた宣教会議、各教区宣教担当、各プロジェクトから前半の報告と総括があり、全体の分かち合いとして新教会への取り組みの報告が、札幌教会、なごや希望教会からあった。新教会への取り組みの中で見えてきた苦悩や喜びまた希望を率直に分かち合えた。
会議の中で、PM後半を教区と共に推進していくために教区宣教担当部長の会議を宣教会議として取り組むとの提案があり内容、構成などを協議した。合意事項として、「合同常議員会(宣教会議)とする」「合同常議員会の準備会議として宣教会議を開く」「会議予算はPM予算ではなく、合同常議員会予算から支出する」を確認した。また、本教会・各教区でPM21前半の総括を行い、それを持ち寄って後半へ向けての協議をすることとなった。協力金5%については引き続き2009年10年も暫定予算とすることが提案され、各教区に持ち帰り、2月常議員会で協議されることとなった。

イランカラプテ(あなたの心に触れさせてください)

北海道特別教区修養会

 10月、北海道特別教区は日高地方を訪ねて一泊修養会を開催しました。私たちは北海道に住んでいながら、先史時代からの先住民族アイヌについてほとんど知らない、アイヌ民族を迫害してきた歴史を持つ和人(日本人)にとって鋭い痛みを避けられないところですが、まずはその歴史と文化の一端を学ぶことからと計画しました。
二つの講演会を軸に据えました。萱野志郎氏「アイヌの歴史と現状・そして未来」と聖公会札幌教会の大友正幸司祭「ジョン・バチラーとアイヌ伝道」。課題を理解し、共に隣人として生きていくための異なる視点からの切り込みです。最初の訪問地は平取町二風谷の「萱野茂アイヌ民族資料館」。昨年亡くなった萱野茂氏(晩年、参議院議員としてアイヌ文化振興法の成立に努力し、旧土人保護法の廃止を果たす)が私費を投じて散逸の危険に曝されていたアイヌ民族資料を丹念に収集したもの。その集会室での講演は、松前藩が蝦夷地寒冷のため米作適わず家臣に漁場を与えて起きた「場所請負制」のもとでアイヌ民族を奴隷同然の過酷な労働に従事させ、働き手を失った彼らの部落は飢餓と貧苦に苦しんだこと、続く明治政府も同化政策の下に先祖伝来の豊かな土地を取り上げ、地味の落ちる土地に強制移住させて農耕を強要するなど独自の文化を否定して生活を一変させ、アイヌ名も捨てさせたという厳しい事実を穏やかに語ったものでした。父上の意思を継いでアイヌ語の伝承に力を注いでいる萱野館長は、印象深い言葉も紹介してくださいました。「イランカラプテ」、“こんにちは”にあたる挨拶の言葉で、語彙を分解していくと「あなたの心に触れさせてください」の意。独自の言語を失うことは民族破壊に繋がる。萱野氏はこの言葉を通して未来を切り開く地点に共に立とうと呼びかけていたように思います。
 宿泊地新冠では大友司祭から、「アイヌの父」と言われた宣教師バチラーの事跡と人間味あふれるエピソードを伺いました。バチラーは維新後間もない1877年に学生宣教師として英国と似た気候の函館に来て宣教師の手伝いを始めました。英国国教会は幕末から蝦夷地の情報を持ち、滅びゆく少数民族アイヌへの伝道を視野においていました。バチラーはやがて宣教師となりアイヌ伝道の責任者として各地で伝道を開始、和人からの妨害も多い中で、沢山の人に洗礼を授けアイヌ人の伝道者も生まれました。「蝦英和辞典」や「蝦夷今昔物語」などアイヌ語やアイヌ文化に関する著書を多数発行し、祈祷書や聖書の翻訳にも努め、文字を持たないアイヌ民族の将来を憂いてローマ字化アイヌ語教育の実施を課題とし、後のユカラ(叙事詩)保存に大いに貢献しました。しかし1941年、戦争で日英状況が悪化して活動が困難となり、バチラーはやむなく離日します。主に促されてミッションを持ち近づいていく姿、丹念に実践を重ねていく姿を聴くうちに、私たちに静かな感動が広がりました。
(北海道特別教区 常議員 大賀隆史)

『一年中がクリスマス』

ある港町に「クリスマス・クリスマス」というレストランがあります。ここは毎日がクリスマスで、お店に入ると「メリークリスマス!」と声をかけられます。夏でも秋でも、一年中がクリスマスです。とっても楽しいレストランですが、これでいいのでしょうか?
いいのです。イエス様はこの世界にきてくださり、いまも共にいてくださる。こんなに楽しく、嬉しいことはないから。毎日が恵みだからです。
デパートの広告に、「きのうと同じだからおいしい。きのうと違うからおいしい」というのがありました。反することでも、並べてみるとそうだなと思えます。
クリスマスは必ずやってきます。同じクリスマスでも、その人の置かれている状況や場所によって違いがあるのです。「いつもと同じクリスマス」だからこそ幸せと言える人もあります。「いつもと違うクリスマス」だからこそ感動と言える人もあります。
どちらでもいいのです。クリスマスは喜びの日、イエス・キリストのお誕生日ですから。
(柿のたね)

牧師の声 私の愛唱聖句

東教区 諏訪教会・甲府教会教会 牧師  星野 幸一

わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。
わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。
イザヤ46章4節

 小学校を卒業する頃まで、毎日「お守り」を身に着けておりました。毎年、新学期が始まると、母がどこかで新しく買ってきた「お守り」を私の服に縫い込んだり、首や腰にぶら下げているようにと、うるさく指図したものです。身に着けていると怪我や病気にならないからと聞かされてはいましたが、低学年の頃はおもちゃ感覚で、チャラチャラぶら下げているのが格好良くて得意な気持ちでした。そしてそれ以上の認識はありませんでした。
 しかしやがて、本当に「お守り」は、自分の一日を「護ってくれるもの」という認識が生まれ、尊く思い、大切に扱わねばと思うようになりました。そう思えば「お守り」に内在する霊力のようなものを感じ始め、ついに「お守り」なしには過ごせなくなりました。学校で「お守り」を忘れたことに気づこうものなら、その時点から落ちつきを失い、強い不安に陥るのでした。車で遠出して、その出先で運転免許証を家に忘れて来たのに気づいたときの、あの気持です。経験者はきっとお分かりだと思います。
 中学生になったとき「お守り」を卒業しましたが、「お守り」を忘れて陥ったあの強烈な不安から完全に自由になるのは受洗してからしばらくして、イザヤ46章3~4節に出合ったことでした。私が首や腰にぶら下げて持ち運ぶのではなく、神さまが「私を持ち運ぶ」と言われる……。「目からうろこが落ちる」とはこのことかと思いました。
 「お守り」の呪縛から体が浮き上がるほどの開放感、いつも身に着けて「運ぶ」不便さと、忘れた時に襲いくる脅迫観念からの自由は、表現の仕様もなく爽快な気分でした。別の世界が開けたと思えたのは、決して大げさではありませんでした。

信徒の声 教会の宝石を捜して

東海教区 みのり教会 信徒  伊藤 忠行
みのり教会田原礼拝所での土曜日夕礼拝に出席されている伊藤さんですが、今年で受洗43年になるそうですね。キリスト教との出会いについて教えてください。 仕事を辞めて渥美町(現・田原市)の実家に戻っていた時、「キリストへの時間」というラジオ番組でキリスト教を知りました。その放送を聞くうちにキリスト教に関心を持つようになり、キリスト教の通信講座を始めました。講座はあまりよく分からなかったのですが、その通信講座で田原のルーテル教会を紹介され、教会に通うようになりました。
 最初は時々行く程度だったのですが、父から「行くなら徹底的に行け」と言われました。父はクリスチャンではありませんでしたし、キリスト教のこともほとんど知らなかったと思うのですが、その言葉で毎週教会に行くようになり、教会の皆さんに勧められて翌年、昭和38年のクリスマスに池田政一先生から洗礼を受けました。父は何も言いませんでしたが、受洗した日の夕拝での私の証しを聞きに来てくれました。喜んでくれたのだと思います。
毎週、欠かさず礼拝に出席されていますね。
 43年の信仰生活の中で、5、6年の間、あまり教会に行かなかった時期がありますが、その時期を除いては、特別な用事がない限り、毎週礼拝に出席しています。
教会では、いつも誰よりも早く来て、スリッパを並べてくださっていますね。
 仕事で喉を痛めてから声が出にくくなってしまい、聖書朗読などの奉仕ができなくなってしまいましたので、「私にできる奉仕」と思ってさせてもらっています。多くの人に来てもらいたいと思って、いつもたくさんのスリッパを並べています。
これからは、どんな信仰生活を送りたいと思われていますか。
 若い頃から体が弱かったので、こんなに長く生きられるとは思っていませんでした。けれども今は、一日一日を大切にして、神様に委ねて生かされていきたいと思っています。

東洋と西洋の対話⑨

第9回 私達は仕えるため、平安の内に行きます。(ヌンクディミティス 祝福 派遣)

    「主よ、今こそあなたはお言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます」 
(ルカによる福音書 2章29節)

平岡(以下「平」):招かれ集められた私達はキリストと共に、世界の隣人のもとへ遣わされます。
Lathrop(以下「L」):聖餐の後、礼拝は終わりへと向かいます。私達は神の憐れみ 赦し、そしてご臨在に満たされ、直ちに私達を取り巻く世界のニーズへと向きを変えます。私達自身が受け取った賜物によって他者に仕えるため、私達は遣わされるのです。
平:聖なる神はその聖さを人間に与えることに於いて聖であり、これがイエス・キリストによって示された神の愛です。だから私達は愛故に隣人に仕えることにより、自分の清さではなく、神が聖なるお方であることを世界に証言して行きます。
L:赦しを受け、私達は赦すために遣わされます。憐れみに満たされ、私達は憐れみを与えるために遣わされます。更に言うなら、キリストの体を受け取り、私達は自分が食するものになります。即ち、世界にキリストの体である自分自身を与えるため、隣人のもとへ、必要ある人々のもとへ私達は遣わされるのです。
平:召命は人生の放棄ではなく、反対に、真に人として互いを愛するため私達を招きます。
L:ルター派が古代礼拝式に加えた1つの注目すべきことは、聖餐に与った後、そして仕えるため派遣される前に「シメオンの歌」(ルカ2:29~32)を歌うことをしばしば選択したことです。老人が子どもをメシアと知り腕に抱いたように、私達は手に、口に、命に、キリストのご臨在としてこの食事の賜物を受け入れるよう招かれます。そしてそれから、その老人が世界の全ての人々を照らす神の光を見たので、私は平安の内に死んで行きますと言ったように、私達もまた平安の内に、仕えるために行きますと歌うよう招かれます。―たとえもしこれが、共に再び集う前に私達が死んで行くことを意味したとしてさえ―神が与える憐れみの光を信じて。  

信仰の学び、養いを生涯続ける

第9回 生きたつながりの意味するもの十戒・使徒信条 主の祈りのあいだ

 私はバッハの教会音楽を好んで聴きます。その音楽もさることながら、その基本となる歌詞に注目しています。そこに当時のルーテル教会の信仰の息吹を聴こうと思うからです。
 教会カンタータ第87番「あなたがたは私の名によっては何も願わなかった」の歌詞に、みことばの呼びかけに気づけ、という言葉に続いて、「あなたがたは律法と福音を故意に破った」というくだりがあるのです。この歌詞には、基となった詩人の詩が残っていて、比較できます。
 いろいろ微妙に違うのですが、それも韻を破ってでも、音楽化に困難であっても変えているところが多いから、バッハ自身がその信仰と神学に基づいて歌詞を変更したと思わざるを得ないのです。この箇所、詩人の詩では「あなたがたは律法を故意に破った」なのです。この違いの背後には「神のことばは律法と福音である」という、当時のルター派の神学的主張の影響が強く感じられます。しかしそれは神学的定式の問題ではありません。神のことば、すなわち律法と福音に聴き従うか、背くかという問いかけがあるのです。それも「律法」と「福音」に分けてしまってよしとするのでなく、この二つをダイナミックに結び合わせて考えていく、ルターの小教理問答以来の生きた伝統が見えています(私は2008年4月からの「ルターとルーテル教会」という講義で、この側面からバッハと当時のルーテル教会の神学を取り上げようと思っています)。
 小教理問答では「律法と福音」という神学的テーマは直接には出てきません。しかし、「十戒」、「使徒信条」、「主の祈り」の内容そのものと、その配列に、さらにはその短い解説に、律法と福音の生きたダイナミズムが見られるのです。十戒は神の怒りとそれを超えた愛とを告げます。その神の前で人は恐れざるをえず、また畏れざるをえません。使徒信条では、その愛と恵みによる神の働き(創造と救済、維持と完成)を告白せざるをえません。主の祈りでは、神の恵みなしに人の生が成り立ちえないことを認めると同時に、また、神への祈りなしには人の生がありえないことを、祈りつつ心に刻むのです。そしてここで再び十戒に立ち戻ることになります。
 礼拝はこのダイナミズムを具体化していると前回書きました。ルターは、説教には常に律法と福音が欠かせない、と言ったのですが、そのような説教もまた「律法と福音」のダイナミズムに導くでしょう。

神学生寮の思い出

 私は27歳で仕事と宗教遍歴をやめて、ルーテル神学大学に入りました。まだルーテルの会員ではありませんでしたが、「宗教改革の伝統あるルター派の神学大学で『本当のキリスト教』を掴む事ができたなら、神と人に仕えたい」、と新しい人生を探していたのです。
編入試験で入学を許され、荷物をまとめて寮に入りました。実は、まじめな寮生活者ではありませんでした。生活費のためにも、週に3度ほどアルバイトをしていました。「あんたが来ると、何曜日か分かるよ、ゴミの日みたいにね」と冗談を言われる、宿直のバイト先の病院に中古のバイクで通う日々でした。
今までの人生に区切りをつけて、神学を学び新しい人生を模索する、経済的にも余裕の無い「再スタート組」には、寮はありがたいものでした。生活費や交通費が格段に助かるからです。神学生仲間の導きでルーテル教会に落着き、その牧師を目指すようになったのも、寮生活のおかげです。誰かの部屋に集まり、語り合ったり議論をしたり、そんな仲間にも入れてもらうようになりました。
インターン前に結婚し寮を出てアパート暮らしが始まりましたが、同期の3名とも家族もちなので、順に家に行き、説教学習会と称して少々の学びの後、昼間から飲んだりし、腹を割って悩みも分かち合うことが、大きな支えでした。妻もそんな仲間の知り合いができ、本当に心強かったようです。
「本当のキリスト教を掴む」のではなくて、「神様に捕らえられた」場が、寮生活でした。これからも、いろんな人生を引きずった? 神学生が寮の門をくぐるでしょう。変わらない神様による養いの場になりますように、願っています。

■募金活動にご協力下さい■
 従来の寮棟を『ルターホール』と名称を変え大改修します。この事業にご理解いただき、ぜひとも募金にご賛同、ご協力お願いいたします。

募集期間 2007年4月~2009年3月
送金先 学校法人 ルーテル学院
取扱機関 郵便振替口座00140-2171183
(所定の郵便振替用紙をご利用下さい)
銀行口座 三菱東京UFJ銀行三鷹支店普通口座 4126089
名 義 学校法人 ルーテル学院
【お問い合せ】
ルーテル学院大学・神学校後援会(0422-31-4611)
教会事務局(03-3260-8631)

クリスチャンのライフカレンダー

~私のお墓のことで~

 私の地上の旅もそろそろターミナルに近づいています。死んでからのことは、あなたたちに任せるほかはないのですが、私の気持ちを聴いていただけたら、幸いです。
まず、今のうちにあなたたちに心の底からのお礼を言っておきたいのです。私のような人間の死を看取ってくださって本当にありがとうございます。有形無形の大きな負担をかけてしまいました。だから、私の「墓」のことで、あまり負担をかけたくないのです。無理でなければ「教会墓地」に納めてください。もし、骨壷から出して、土に返すようにする設備があれば、それを希望します。それが、聖書的だと思うからです。
 墓に来るときには、私のことを思い出してください。でも私は、墓にはいません。墓は私の生涯が、ただ神の恵みであったことを覚えていただくためにあります。墓地の木陰に復活の御子イエスの姿が見えるはずです。私は、主と共に生きています。

LAOS講座

もっとLAOS講座

千葉教会 矢島 知佐

千葉教会では、現在3つの方法でLAOS講座を学んでいます。まず月に一度、礼拝後に教会役員または役員経験者が講師となって担当する箇所を分かりやすく解説したり、自分の信仰生活における体験を証ししたりして、テキストを読み進めています。
次に毎週礼拝前にもたれている「キリスト教の学び」の中でテキストとして用い、佐藤牧師を中心とした3~5人のメンバーで聖書について学んでいます。もう一つは、千葉教会の月報誌『るうてる千葉版』にて、すでに学んだ箇所を復習する「もっとLAOS講座」として、さらに詳しく解説したものを読むことが出来ます。また、昨年の修養会では、江藤直純先生をお招きして、LAOS講座の学びをしました。
信仰の持ち方、聖書の読み方など様々な角度から私たち信徒としてのあり方を教えてくれるLAOS講座がより多くの方々に読まれるように、またすでに学んでいる方々も、何度も読み返すことで学びが深まるように願っています。

宗教改革記念礼拝

北海道特別教区

■日時:10月31日 PM7:00~
■場所:日本ルーテル教団大麻教会
■説教:重富克彦牧師(JELC札幌教会)
■司式:吉田達臣牧師(NRK大麻教会)
    宮﨑篤牧師(NRK山の手教会)
    粂井豊牧師(NRK札幌中央ルーテル教会)
■参加者:大人40名、子ども3名
 JELC北海道特別教区道央地区とNRK札幌地区では、毎年宗教改革記念日に合同礼拝を行なっています。会場教会と説教者は持ちまわりとなっており、今年は会場が江別市にあるNRK大麻ルーテル教会、説教者がJELCの重富克彦牧師でした。礼拝後にはお茶とお菓子をいただきながら、年に一度の交流を楽しくすごしました。

東教区

■日時:10月31日 PM7:00~
■場所:ルーテル市ヶ谷センター
■協力 日本ルーテル教団関東地区
■説教:小副川幸孝 牧師
■参加者:130名

 東教区では、例年の通り31日に宗教改革記念日礼拝を執り行いました。130名の方々が参集し、聖餐式と合同聖歌隊の賛美等々、恵まれたときを過ごしました。

東海教区

■日時:11月3日 PM7:00~
■場所:金城学院大学ランドルフ記念講堂
■講演者:徳善和義 先生「ルターの信仰、私たちの信仰」
■参加者:242名
 東海教区では今年は合同礼拝は行わず、「ルーテル教会で生きる!!」と題し、信徒大会が行われました。礼拝と講演を中心とした学びの1日でした。

■このほか、各地域でも記念礼拝が執り行われました。

るうてるトピックス

●甘木教会 創立90周年 10月20、28日
甘木教会は今年創立90周年を迎え、記念行事として10月20日に本田路津子コンサートが開催された。コンサートには近隣の幼稚園の保護者、教会の方々、約100名が参加した。28日の記念礼拝では、甘木教会出身牧師の園田剛先生が説教し、80名が出席、祝賀会は50名の出席があり、共に盛会となった。

●常議員会 11月7~8日
第22回総会期第5回常議員会では、「式文の規範性に関する見解」が信仰と職制委員会より答申され、また、来年の全国総会の初日の会場をルーテル学院大学・神学校に変更することなど、それぞれ承認された。

●チャリティーキルト展 11月13~17日
JELAミッションセンターホールにて、キルトの展示とサイレントオークションが行われた。昨年より作品の数が増え、会場を様々な色で飾った。収益はアジアとブラジルの貧しい子どもたちに贈られる。

●東教区引退教職懇談会 11月15日
教区内に居住する引退教職の懇談会が開かれた。27名のうち20名が集まり近況を報告しあい、教区に対する要望を聞く機会となった。

●献身の集い2007 11月23日
 日本ルーテル神学校では、日本ルーテル教団、宣教室TNG委員会、東教区教育部NEXTの協力のもと、「献身の集い2007」を開催した。グループに分かれて十字架を、食事を、礼拝式を、そして賛美を作り上げた。礼拝を共に作り上げる体験を通し、今回のテーマである「私たちに出来ること」について考える機会となった。

●牧師の倫理問題について
教職の間に倫理的な問題があり、そのことが信徒と牧師の間に不信をおこし伝道を妨げていると、関西地区の牧師から問題提起がありました。さらに、牧師の倫理問題について審議する公正中立な機関がなかったことも問題であったことに、気づかされました。またこれを契機に、西地域教職退修会で、牧師の倫理問題が取り上げ、さまざまに気づかされました。この問題提起を生かし、今後全国的にも倫理問題に真摯に取り組み、よりよい伝道ができることを願います。

各地のニュース

大好きな歌を 日本語で歌いたい

 渡邉進牧師夫人の智子さんがこのほど、ブラジル連邦共和国の国家(イーノ・ナシオナル・ブラジレイロ)の歌詞の翻訳を完成させた。
 いままで翻訳はされたものの、楽譜にあわせて日本語で歌うことは叶わなかった。現地の日本人講師によればこの難易度の高い歌を詩の意味を損なうことなく、翻訳できたのは初めてだという。

カンボジアワークキャンプ

10月17日~26日にかけて、カンボジア・ワークキャンプに参加者、スタッフ計8名が出かけました。
 日本福音ルーテル社団との共同プログラムとして企画された今回のキャンプは、教会側は世界宣教委員会のメコン・ミッションの一環として(企画 宣教室TNG委員会)、社団側は支援していた小学校の完成に合わせての企画でした。
 カンボジアの首都プノンペンに入った私たちはLWFカンボジアの事務所を訪問し、その働きについて説明を受けました。その基本姿勢は、現地の人々の手によって実現されるように配慮したものでした。
 プノンペンでは王宮や国立博物館を見学すると共に郊外のゴミ集積場と付近で生活する人々のために奉仕するカトリック教会の働きを見学する機会が与えられました。それは富と貧困の格差が最も大きな社会でした。
 数日後、北部に位置するLWFカンボジアの別な活動拠点に移動し、小学校の建築現場へと向かいました。そこではたくさんの子どもたちや村人が迎えてくださり、ワークと共に交流の機会となりました。
 このほか、私たちは多くの働きを目にし、またカンボジアの歴史に残る傷跡に触れました。そして、現代社会にある数々の問題とそれに取り組む多くの方々に触れる貴重な旅となりました。
 カンボジアはどこか懐かしさを感じさせる国でした。そして、日本が失っている様々な事柄に気づかせる国でした。ぜひ、来年からもそのような国に人を送り続けたいと願います。

TNG Teens手帳、発売

 2008年ティーンズ手帳が好評販売中です。今回の手帳は、ティーンズの石川実可子さん(名古屋めぐみ教会)がデザインしたものです。
 クリスマスのプレゼントにいかがですか。ご自身の覚書メモとしても便利です。
 お申込みは佐藤(千葉)へ。もしくは宣教室へファックスでお願いします。

訃報

故・中尾忠雄牧師(引退教師)夫人の中尾ユキミ様が、11月11日(日)午前0時54分、召天されました(享年96)。
 謹んで哀悼の意を表し、お知らせ申し上げます。

訂正

 るうてる10月号1面、アワーミッションレポートにて名称の間違いがありました。正しくは「アブチラがま」です。
 訂正してお詫びいたします。

インフォメーション

第4回インド・ワークキャンプ

(JELA-JELC共同プログラム)
■期間:2008年2月26日~3月7日■募集人数:10名前後(書類選考あり)
■参加費用:150,000円(予定)■対象年齢:18歳以上
■締め切り:2007年12月2日
■問合せ・申し込み:教会事務局宣教室(担当:乙守)
 ◆mail mission04@jelc.or.jp◆FAX:03-3260-1948

ワインとチーズのパーティ

 今年もワインとチーズのパーティが開催されます。気に入ったワインを購入していただくチャリティーイベントです。
■日時:12月14日(金) PM6:30~8:00■参加費:2000円 ■場所:JELAミッションセンター ホール
■問合せ:日本福音ルーテル社団(JELA)
電話 03-3347-1521

連帯献金のお願い

連帯献金にご協力ください。

■送金先■■■
・三井住友銀行新宿西口支店
(普)501597
・郵便振 0190-7-71734
*振込用紙を同封しています。ご利用下さい。

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