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るうてる2007年

るうてる《福音版》2007年7月号

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バイブルメッセージ  手紙の向こうにある想い

これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためであるヨハネによる福音書 20 章 31 節(日本聖書協会・新共同訳 )
 パソコン、ワープロで、郵便物のあて名を印刷することが、ごく当たり前になってきました。住所・氏名をパソコンで印刷して、そのまま封筒に貼ることのできる「あて名シール」もよく使われます。パソコンをいまだに上手く使いこなせていない、いわゆる「機械オンチ」なので、わたし自身はいまだに手書きに頼っています。けれども「これが使えたら本当に便利だし、楽になるだろうな」と、届いた郵便物を眺めてしみじみします。
 しかしある日、郵便物の中にまぎれた一通の封筒に、「おや?」と目が留まりました。ワープロ書きの「○○教会御中」というあて名シールの下に、手書きで「○○○○様」と、わたしの名前が書き添えられていたのです。少し前までよく一緒に仕事をさせていただいていた、年齢の近い先輩の、少し丸くて癖のある、よく見慣れた筆跡です。
 その封筒の中身そのものは、よくある事務的な連絡でした。しかし、あて名シールの下にあえて書き添えられた、そのたった5文字に、その先輩からの「元気にしていますか?君のことを思い出して、気にかけていますよ」というメッセージがこめられているように、わたしには思われたのです。たった5文字にその人の誠実さを感じることができたように思いますし、わたし自身、誰かにこのような手紙を送るときは、たとえ事務的な内容であっても、たとえ出来上がったあて名シールを封筒に貼るだけであっても、そこにできるだけの気持ちをこめて送りたい、と考えさせられました。
 小さく書き添えられたほんの一言に、励まされることがあります。書き添えた「元気ですか?」の一言が、相手の心に響きます。たとえどんなに便利になっても、いま送ろうとする一通の手紙に、できるだけの気持ちをこめていきたい、と思うのです。何の変哲もない、ワープロ書きの手紙であっても、あて名を確認し、受け取る人のことを「どうしてるかな、元気だと良いな」と気にかけながら、封をして、投かんする。そこにこめられた気持ちは、きっと相手の心に届きます。
 いま、手元に届いたその手紙を、よくながめてみてください。何の変哲もないように見えるその封筒、ただの事務的な連絡に見えるその手紙、その向こうにある誰かの思いは、あなたに届いていますか?「わたしはあなたを気にかけていますよ」、その誰かからのメッセージは、あなたのところにちゃんと、届いているでしょうか?
Aki

大人を育てる絵本からのメッセージ

にじいろの さかなマーカス・フィスター(文と絵)、谷川 俊太郎(訳)/講談社

絵本というと小さなこどものための本と言うイメージがありますが、大人にとっても生きるヒントになる本がたくさんあります。ここでは子育てという視点でお話をしていますが、あらゆる人間関係においてもお役立ていただけることと思います。

怒りは増えていくもの

 カッとなって怒りの言葉を一つ口にした途端に、普段抑えていた感情まで歯止めがきかないほどの勢いで溢れてしまった経験、あなたにもありませんか?どうしても曲げられない自分の思いを形にすることは、時に大事な事でもあります。でも、いつでも感情的に怒ってばかりいると疲れてしまいますよね。怒るって、とてもエネルギーのいることですから……。わたしは、怒りという感情は勢いにまかせて加速し、増幅していくものだと考えています。

愛も増えていくもの

 実は愛も同じです。愛も、流れとともに増えていくものなのです。誰かに愛を贈ったから自分の中から愛がなくなってしまうのではなく、贈れば贈るほど、どんどん自分の中に溢れ出してくるものなのです。何気ないやさしさに、こころがじーんとあったかくなることがありますよね。一見、小さなことのように見えるやさしい気持ちが、自分の中の愛を膨れさせてくれますし、その愛を受けとった人もまた、次の誰かに愛を贈ることができるようになるのです。

にじいろのさかな

絵本の中に出てくる「にじうお」と呼ばれる魚は、虹のようないろんな色のうろことキラキラ輝く銀のうろこを持つ、誰もがうらやむような美しい魚でした。ところが、その美しさを鼻にかけて威張ってツンとしていたにじうおは、いつのまにか淋しいひとりぼっちの魚になってしまいます。もの知りのタコばあさんに相談すると、大事なうろこをあげれば、幸せになれる方法がわかると言われました。なによりも大事なうろこを手放して幸せになれるはずがないと思っていたにじうおでしたが、それでもうろこを1枚、また1枚とあげているうちに、とうとう輝くうろこはたった1枚になってしまいました。一番の宝物をあげてしまって、もう一番きれいな魚ではなくなったにじうお。でも、おともだちのうれしそうな顔を見て、初めて本当の幸せの意味を知るのでした。

分け合うことは自分を豊かにすること

「他の人よりも、すてきなものをたくさん持っていたい」「自分の子どもだけが特別であってほしい」と考えてしまうのは、親のひとりとしてわかる気がします。でも、人は自分nひとりでは、本当には幸せになれないことをこの本は教えてくれます。人との関わりのなかでこそ、自分自身を本当に生かすことができるのです。分け合うことでしあわせと愛が与えられ、それは、あなたの中で豊かに増えていきます。あなたの持っているタラントを周りの人に差し出しても決して無くなることはありません。それどころか、あなたの周りの人たちが幸せになることで、あなたのタラントも愛も、さらに豊かに膨らみ、溢れていくのです。輝くうろこはいつも自分の中に無限にあることをどうぞ忘れないでくださいね。

HeQi Art 聖書物語

Gideon & the Angel by He Qi, www.heqiarts.com

ギデオンと天使

主の御使いは、手にしていた杖の先を差し伸べ、肉とパンに触れた。すると、岩から火が燃え上がり、肉とパンを焼き尽くした。主の御使いは消えていた。ギデオンは、この方が主の御使いであることを悟った。士師記 6章21~22節

たろこまま「いのちを語る」

言葉の命(エフェソ4章29節b)

 雑誌「クロワッサン」の3/25の手紙特集で、倉本聰さんがこう書かれていました。「百万人を感動させても、一人を傷つけてはならない。それが物書きとしての信条」なのだそうです。これを読み、私は以前、知人の同僚発案という「子ども用誕生日カード」の見本を見せられたときのことを思い出しました。「育児書か?」と見まごうばかりの細かい文字・知識のオンパレードに加え、「*歳児はこんな発達の時期」「ママも大変でしょうが、ばぁばなどに上手に助けを求め云々」、至れり尽くせりのアドバイスの嵐に私は思わず凝固してしまいましたーだって、我が家の小太郎は世に言う「重度心身重複障害児」なのですから。このカードのような成長を永遠に遂げることはなく、母にしたも夫以外手助けしてくれる身内はおりません。小太郎のお友だちの中には発達はおろか一度も家に帰ることなく、病院で短い一生を終えた子が何人もいます。
 市販のカードの中が殆ど余白なのは、書き手の思いと自由を尊重するためだと私は感じています。脳卒中から奇跡的に復活し、不自由な利き手でしたためられた令状など、私が今までもらったカードはどれも相手がそのときそのときの思いのこめてくれたものでした。そこに存在するのは何でしょうー私は「言葉の命」だと思います。温かい言葉をかけられればじーんと来るように、つまはじきにされる言葉を吐かれれば悲しくもなりますよね。それは言葉の分からない小太郎ですらそうですし、耳を持たない植物でさえそうです(私は異動の際、大嫌いな上司からもらった鉢植えに憎しみの言葉を吐き、あっと言う間に枯らした前科があります)。
 皆さんも、リストラの最中にアットホームな話題てんこ盛りのカードを受け取ったり、痴呆が進んで家族全員疲弊しているところにいつまでも長生きなさってください、あんてありきたりの活字印刷物がペロンと一枚送られて来たら…どう感じますか?嬉しいでしょうか。言葉はそのときの相手の立場に立って発せられて初めて、命宿るものなのではないかと思う今日この頃です。

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