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機関紙るうてる

るうてる2020年1月号

説教 「揺らぎつつ信じる信仰」

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「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。『わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』」(マタイによる福音書 28・16~20)
マタイ福音書巻末の宣教命令へと続く段落の中で、《主イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた》と書かれている事に、昔から興味をひかれて来ました。ここに集っている者は、裏切ったユダを除いて、十一人の主だった弟子たちです。その誰が、「疑う者」なのか、最初の関心は、その様なものだった気がします。ところが、神学校に入り、ギリシャ語の勉強をし、改めてこの部分を自分なりに読み直してみると、どうしても、「彼らはひれ伏して礼拝したが、同時に疑ってもいた」になってしまうのです。
これはどういう意味だろう?と考えているうちに、ふと、「疑う」という訳は、本当にそれで良いのか、という疑問が生まれてきました。調べてみると、まず、この単語は、新約聖書では、2カ所にしか出てこない事が分かりました。そしてそのもう1カ所も、マタイ福音書の中なのです。この単語は、やがて、2世紀の使徒教父時代には、盛んに使われる様になり、明らかに、「疑う」という意味を持ってきます。しかし、旧約聖書のギリシャ語訳(七十人訳)では、この語はむしろ「躊躇う」という意味で用いられています。この七十人訳聖書では、「疑う」の訳には、また別の語が使われており、はっきり区別されているのです。また、古典ギリシャ語の用例で見てみると、原義は「2つの世界に立ち、決めかねている心の状態」なのですが、発展して、優柔不断、揺れ動く心、ためらう、などと訳されています。つまり、「疑う」とはっきり訳せるような例は、紀元1世紀までは皆無です。それで、1世紀末に使用されたマタイ福音書のこの二つの箇所についても単純に「疑う」と訳すわけには行かなくなります。
以上、弟子たち全部が「疑っていた」かもしれない、また、この「疑う」という訳は本当にそれで良いのだろうか、という二つの視点が出てきました。これらを考慮に入れ、改めてこの16節を、私なりに解釈し直してみると、「弟子たちは主イエスを見て、ひれ伏し礼拝した。しかし、同時に彼らは、揺れ動いていた」となるでしょう。弟子たちは、信仰の世界へと入ろうとしつつ、まだこの現実世界に重心を残しているのです。中途半端な信仰だった、とも言えますが、主イエスは、その彼らを宣教へと派遣して行くのです。彼らが持っている現世への拘り、その部分は弱さでもあるのですが、同時に、そこがなければ宣教も空しいとさえ言える程、重要な何かでもあるのです。
そもそも、信仰というものは、神の与えたもうもの、という視点も、ここで重要になります。強固な信仰も、ぐらついた信仰も、神が与えてくださった信仰という意味では、優劣ないという事です。私たちの周囲に居る人々を考えてみても、強い人も居れば弱い人も居ます。そういう多種多様な人間たちに語りかける教会は、それなりの柔軟性、多様性を持っていなければならないのです。
そこで主イエスは、揺れ動く弟子たちに一つの方向性を与えられます。すなわち、天と地一切の権威を持って、《あなたがたは行って、すべての民を弟子としなさい》と言われるのです。《父と子と聖霊の名によって洗礼を授け》《命じておいたことをすべて守るように教えなさい》と命ぜられた時、《信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する》というヘブライ人への手紙11章の冒頭の言葉が実現します。ここでの「見えない事実」、それは主イエスの与えられる、天地一切の権威、また、主イエスは《世の終わりまでいつも共にいる》という事柄をもって、望みつつ確信する信仰、揺らぎつつも信じる信仰へと彼らを導いてくれているのです。その信仰が「躊躇い」を含むものであるからこそ、それは、長い歴史を隔てた私たちの心にも共鳴し、波紋を広げ、やがて、望み、確認し、そして救いに至らせる力を持つのです。
新年にあたり、各教会では、今年の宣教方針を考え、練っている事と思われます。その際、主イエスは、揺らぎつつ信じる弟子たちを選び、あの宣教命令を下された、その事実をも覚えていてほしいと思います。そして、弱い私たちにこそ、その命令が受け継がれている事を信じつつ、現在の各教会をめぐる、厳しい状況へと、また一歩踏み出していければ、と思うのです。
日本福音ルーテル小岩教会牧師 松田繁雄

コラム直線通り 久保彩奈

「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。」(ヨハネの手紙第一5・14)

冬になるとつい、毎朝学校近くの自動販売機で温かい飲物を買ってしまいます。「今日は甘いミルクティーにしよう」と思い150円入れてボタンを押し、ガコッという音と共に出てきたのは、なんと緑茶でした。えっ?と目を疑いながらペットボトルに触ると、更に残酷なことに冷たい緑茶だったのです。こんなにも寒い朝、よりによって冷たい緑茶とは!と打ちひしがれるのと同時に、ふと、わたしの祈りもこの出来事のようだったかもしれない、と思いました。欲しいものを願えば当然のように神様に与えてもらえるだろう、と祈っていたのです。思っていたものと違うものが自販機から出てきて、うろたえたことで初めて自分の弱さや、小ささに気づかされました。わたしたちの神様は温かいミルクティーを求めてる人に冷たい緑茶を与える自由をお持ちです。また、お金を入れず求めることもしない人にも与えることがおできになる方なのです。
ケセン語訳聖書を執筆した山浦玄嗣さんは新約聖書に出てくる「祈り」という言葉の意味を次のように解説します。それは「願う」「賛美する」「感謝」が約3割、あとの約7割が「祈る」で「神様の言葉を聞く」という意味ではないか、といいます。つまり聞こえない神様の言葉を聞くことこそが本来の祈りだ、と。そしてそれは自分の身の回りに起きている出来事にあらわれるというのです。
新しい年、わたしたちも神様がおっしゃりたいことに目を向け、耳を澄ましたいと思います。もしかしたら願っている通りのものが与えられなくても、その出来事の中にある神様の言葉を、聞き取れる人でありたいのです。

議長室から 『Can you celebrate?』 ~ 祝宴への招き 大柴譲治

「『この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』
そして、祝宴を始めた。」(ルカ15・24)

新年おめでとうございます。今年もみ言葉の光の中に新しい一歩をご一緒に踏み出してまいりましょう。年の初めに思いを馳せたいのは「祝宴(セレブレイション)」という事柄です。
ルカ福音書15章には失われたものが見出された時に天上で開かれる盛大な祝宴について3度も記されています。特に3番目の放蕩息子のたとえには印象的です。自分の帰るべき場所(関係)に気づきそこに戻ってゆくこと。遠くから息子の存在に気づき、走り寄って抱き留めてゆく父親の姿の中に、私たちは親なる神の深い愛を見ることができましょう。
1996年の夏、私はフィラデルフィアのJeanes Hospitalで400時間の臨床牧会教育を受けました。あることで深く落ち込んでいた私に、個人面談でスーパーヴァイザーのDann Ward師(牧師・詩人)はこう告げられました。「George needs to celebrate George.(譲治は譲治を喜び祝う必要がある)」。目からウロコが落ちるような体験でした。自分で自分を喜び祝う? セレブレイトする? そのような発想はそれまでの私には全くありませんでした。いや、気づかなかっただけなのかもしれません。声には扉を開く不思議な力があります。翌年帰国した時に流行っていたのが安室奈美恵の『Can you celebrate?』であったことも不思議なシンクロニシティでした。
私たちは自分を支える外からの存在是認の声を必要とします。イエスは受洗時に一つの声を聽きました。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(マルコ1・11)。これは神からの究極的な存在是認の声であり、「よし、行け!わたしはあなたと共にいる」という促しの声でした。イエスはその道の途上で繰り返しこの根源的な声に立ち返ったに違いありません。私たちも皆、この声に与るよう招かれています。
礼拝はキリストの祝宴です。過酷な現実が私たちを幾重にも取り巻いていたとしても、私たちは主日ごとに天の祝宴に招かれているのです。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11・28)。この祝宴は終わりの日の天における祝宴の先取りであり前祝いです。それは私たちの揺らぐことのない希望です。そこに与ることができる者は何と幸いでありましょうか。
Can you celebrate? 新しい一年もご一緒にこの祝宴に与りたいのです。神さまの祝福が豊かにありますように。シャローム!

プロジェクト3・11東北訪問プログラム報告 野口勝彦 (みのり教会牧師・元東日本大震災ルーテル教会救援派遣牧師)
11月4~5日、「東北訪問プログラム」に同行しました。少ない参加者でしたが、深い交流の機会となりました。
訪問1日目は仙台駅を出発し、石巻市の二子団地を訪問しました。この団地は敷地面積19・4ヘクタール、市半島沿岸部で最大規模の被災者向け集団移転団地で、自己再建用135区画、復興公営住宅用237区画の計372区画が整備されました。その団地に住む元支援先のお宅を訪問し、現在の生活などのお話をお伺いしました。ちょうど大川小学校裁判の判決が確定した時で、その判決が新たな地域の分断を生み出していると心配する声もありました。その後、ワカメ養殖のお宅を訪問し、震災後再開したペンションに宿泊をしました。
2日目は、最大の支援先であった東日本大震災復興記念前浜マリンセンターを訪問、現在の活用状況などの話をお伺いしました。現在は市の施設ですが、地域で運営がなされ、地域以外の団体も利用するなど多彩な交流がなされています。また、この日は偶然にも「世界津波の日」。本来は休館であった気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館が特別開館していたので、初めて訪問しました。そこで私たちは震災発生から10日後に避難所で行われた卒業式の衝撃的な映像に出会いました。その後、震災遺構として整備が進む南三陸の防災対策庁舎と被災した学校で最大の犠牲者74人を出した大川小学校を訪問しました。多数の訪問者がいましたが、来訪者の中には物見遊山的な人も見られ、今後に課題を残すことになりそうに感じました。その後、1地区最大の犠牲者400名を出した石巻市南浜地区を見下ろす日和山に着いた頃にはすっかりと日も暮れ、震災遺構となる門脇小学校、来年度末を目途に整備される国営追悼・祈念公園建設地を確認し、それぞれ帰路に就きました。
今回の訪問は、復興が進む、変わりゆく被災地を実感できるものとなりました。訪問の詳細は「ルーテルとなりびとブログ」でご覧いただけます。

賛美歌と私たち

�F『教会讃美歌』小澤周平 (名古屋めぐみ教会牧師)
1955年のJELC総会で『讃美歌』(1954年版)の使用が話題に出ています。私たちの教会は「サンビカ」の伝統を継承しました。同時に、ルーテル教会発の歌集への取り組みも継続されました。
最大の動機の一つは、式文や教会暦といったルーテル教会の礼拝の伝統を、歌集において補うことでした。例えば、現在、私たちの教会の主日礼拝では、教会暦に合わせて賛美歌を選ぶのが一般的です。季節の花と、聖卓の布の色と、時季にあった賛美歌を、重ねて思い出す人も多いでしょう。ただ、この伝統は、1950年代のJELCにおいてはそれほど定着していませんでした。
このような時代背景の中、1962年に『教会学校さんびか』(聖文舎)が発行。3年掛かりで編集。式文合本、教会暦に沿った配列、口語調の歌集です。
同時期、主日礼拝用の歌集編集も始まりました。十数年の時を経た1974年、『教会讃美歌』(聖文舎)発行。歌集の序文などには、ルーテル教会の伝統的な礼拝形式に調和した典礼の道具としての期待が記されます。加えて、ドイツや北欧の賛美歌、あるいは、礼拝以外のキャンプや家庭集会等で用いる賛美歌を紹介する試みも語られます。また、これらの歌集は、日本のキリスト教会全体にルーテル教会の伝統を紹介することも目標としていました。
当時の教会員にとっては、礼拝観について大きな変化を求められたことも確かです。戸惑いの声の記録も残っています。それでも結果的には、JELCの多くの教会がこれらの新しい歌集を用いるようになりました。同時に、各個教会において、教会暦などの伝統が具体性をもって礼拝に取り込まれたことでしょう。
この時代を振り返ると、『讃美歌』(1954年版)も『教会讃美歌』も当時としてはかなりのチャレンジでしたから、様々な葛藤と祈りの中で先輩方が変化を受け入れていたことが分かります。それ故、今の私たちの信仰生活があるのですね。
もちろん、戸惑いの声は当然のこと。そこで、次回は、歌集が生まれる必要性について考えてみましょう。(続く)

第54回教職神学セミナーのご案内
第54回目を迎える教職神学セミナー(日本ルーテル神学校主催)では、例年、日本福音ルーテル教会はじめルーテル諸教団の教職者が集い、自己研鑽と相互の交わりの機会となっています。
今回のテーマは、「明日の教会のために―わたしたちの教会・神学・神学教育」。私たちの教会は、教会たり得ているのか。苦悩する人々に福音を届けているのか。教会の厳しい現実に耐え、主の働きを守っていかれるのか。今日の宣教と神学、また教会内外の急速な環境変化をふまえながら、私たちの牧会と教会形成の基軸を確かめること、そして新しい時代を見据えた「明日の教会」を思い描きたいと考えています。
特別講演として、西原廉太師(日本聖公会司祭・立教大学教授)の「聖公会からみたルーテル教会」(仮題)、また橋爪大三郎氏(東京工業大学名誉教授)の「現代世界と宗教者の役割」(仮題)を予定しております。そのほか、講義や参加者からの発題などを通して皆で考え、ディスカッションをして参りたいと考えております。
日程は、2020年2月10日(月)~12日(水)の3日間、会場は日本ルーテル神学校です。 お申し込みにつきましては、各教会に送付いたしますセミナーのご案内に従って、お申し込みください。

カンボジア宣教に向けて 浅野直樹Sr.(世界宣教主事・市ヶ谷教会牧師)
日本福音ルーテル教会(JELC)が宣教方策パワーミッション21(通称PM21)を手がけたのは2002年。その中のひとつに「アジア宣教への参与」がありました。国内宣教に専念するあまり、過去17年間これが後回しになったのは事実ですが、あきらめたわけではありません。ようやく今、機が熟してきたと言いたいと思います。
世界宣教委員会から派遣され10月20日から1週間、アジア宣教の候補地カンボジアを視察しました。JELCにもできるアジア宣教を探るためです。アジア宣教といっても、見知らぬ土地に教会を新たに建てるというような計画ではありません。既にある現地の教会をJELCが宣教サポートすることが主眼です。
カンボジアルーテル教会の歴史は新しく、2010年に誕生しました。シンガポールの教会が手がけ、それを海外諸教会が支援して発足しました。ここで重要なのは、そうした複数の海外ルーテル教会のネットワークが出来たことです。そのハブ(軸)になったのが世界ルーテル連盟(LWF)のメコンミッションフォーラム(MMF)です。カンボジア宣教を自転車にたとえるなら、わたしたちもこの軸につながり、一本のスポークになろうというわけです。
キリスト教宣教をふたつにまとめると、福音の宣べ伝えとキリストの手足になることです。伝道と奉仕、もしくは言葉とわざと言い替えることもできます。現地のルーテル教会は、仏教伝統の根強い地域に溶け込もうと、教育や農業支援などの社会支援活動をしながら人々を礼拝に招いています。こうした働きを海外諸教会と連携しながら、JELCもサポートしていけるのではないかと考えます。一度だけでなく継続できることが重要ですので、牧師のみならず信徒も参加できたらと思います。
「たとえ大きく豊かな教会でも、他の教会の賜物を必要としない教会はありません。たとえ小さく貧しい教会でも、他の教会を豊かにできない教会はありません」。これは1978年からLWF総会議長を務めたタンザニアのキビラ監督の言葉です。この声はLWFで今もこだましています。小さな教会の私たちにも、なにかできることがあるはずです。

メコン・ミッション・フォーラム報告 森田哲史(新霊山教会牧師)
2019年11月19~21日にタイのバンコクで行われたメコン・ミッション・フォーラム(以下、MMF)に、日本福音ルーテル教会(以下、JELC)から私と関野和寛牧師(東京教会牧師・世界宣教委員)とで参加いたしました。
MMFは、メコン川流域の各国(タイ、ベトナム、カンボジア、ミャンマー、ラオス)のルーテル教会および関連諸施設と、それらを支援する世界中の教会が一堂に会し、現地の宣教や支援についての情報を共有し、さらなる発展を目指す会議体です。MMFにより、支援元の教会が各国の状況を把握し、支援の優先順位の決定に役立てたり、支援の重複を避け、相互補完的な支援を調整したりすることが出来ます。会議の中では各国から「牧師と信徒指導者のための指導者養成」、「青年育成」、「地域の教会の建設支援」「牧師・神学者の派遣・交換プログラム」などのニーズが挙げられていました。
会議は英語で行われ、英語力の稚拙な私は、すべての内容を正確に理解できたわけではありませんが、各国の代表者の情熱を感じました。中には私より若く、今年按手を受けたというカンボジアの牧師もおり、大変刺激を受けました。
残念だったのは、各国からの報告の中にJELCからの報告がなかったことです。現状ではJELCからMMFに拠出されている年間1500ドル以外の支援はされていません(各個教会や個人での支援はあるかと存じます)。JELCでは2018年の全国総会において、今後アジア宣教に力を入れていくことが示されました。支援を具現化していくために、アジア宣教についてご理解いただき、お祈りいただき、お知恵をいただき、そして働き手となってくださる方が必要です。アジアの一員として共に歩んでいきましょう。次年度のMMFは、11月17~19日、カンボジアのプノンペンにて開催される予定です。

聖書日課セミナー「読者の集い」報告 乾和雄(日本福音ルーテル教会定年教師・神戸東教会牧会委嘱)
『家庭礼拝のための聖書日課』も29年目を迎えます。そして年に1回、「聖書日課セミナー(読者の集い)」も開催されてきました。2019年の「聖書日課セミナー」は10月21~23日、神戸市の「しあわせの村」で開催され、全国から43名の参加がありました。講師として、ルカによる福音書や使徒言行録に造詣の深い李明生先生(JELC田園調布教会牧師・写真)をお招きし、聖書が正典化された経緯、写本からオリジナルの聖書が復元されてきた歩み、ルカによる福音書の構成とその内容等について、とても丁寧に、分かりやすくお話しをして下さいました。
セミナーに並行して「聖書日課執筆者研修会」がもたれ、4月から新たにご執筆いただく2名の先生方が参加して下さいました。学びの時だけではなく楽しいひとときも。ソプラノ歌手の池上彩香さん(西日本福音ルーテル新田教会員)による賛美の時もあり、アフロ・アメリカン・スピリチュアルなど、心に響く演奏を聴くことができました。
以下、参加者の感想の一部です。
○ルカによる福音書は、物語りとしても構成が計算しつくされ、「神理解」が容易になるように書かれていることを知らされました。また、社会的に弱い立場の人々への視点に気づかされました。
○最初に福音を受け取った人々の思い、何を大事にしてきたのか、何を読みとったらよいのかを、あらためて教えていただきました。ほんとうに嬉しそうにお話しをされる李先生のご様子を拝見しているだけで幸せな気分になりました。引き続き、使徒言行録の説き明かしを期待しています。
○ルカによる福音書を、こんなに専門的に深く学ぶ時がありませんでした。まずルカという人物にたいへん興味を持ちました。祈りが好き、旅が大好きという姿は、イエスさまとそっくりです。人生という旅の中で、イエスさまが常に同行して下さっていることにあらためて感謝します。
2020年は10月19日から2泊3日の予定です。皆さまのご参加をお待ちしています。

TNGみことばカード2021年度イラストレーターボランティアスタッフ募集します!
TNG子ども部門では、CSみことばカードのイラストレーターを募集しています。あなたのタラントを生かして、教会学校や信仰の継承のために働きませんか?
〈募集内容〉
下記のみことばから1つ選び、イラストを描いて送付してください。(PC・手書き、いずれもOKです)
カードの大きさは縦87�@×横63�@です。(断裁の関係でイラストの大きさは縦83�@×横59�@となります。)
イラストは、縦×横の倍率があっていれば書きやすい大きさで結構です。
完成したイラストはデータでお送りいただいても、郵送でもかまいません。
部門委員会で検討の上、連絡いたします。採用となった方には、お1人6~8枚のイラストを担当していただきます。11月中旬に担当箇所の依頼をさせていただき、2021年2月中旬提出となります。
(みことば)
・マタイ2・11 彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を 贈り物として献げた。
・ヨハネ20・19 あなたがたに平和があるように
・ルカ1・38 「お言葉どおり、この身に成りますように。」
・マルコ1・21 イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。
※イラストは聖書の一場面であったり、イメージ(羊とイエス様など)であったり、その聖書箇所からイメージされる日常生活での一場面(おばあさんの手を引く子どもなど)であったり、子どもに親しみのもてるイメージで自由に描いてください。
締切 2020年3月末まで
応募先・お問合せ TNG子ども部門 池谷考史
〒812l0028福岡市博多区須崎町3l9
t-ikeya@jelc.or.jp

「諏訪教会の宣教100年」の星野幸一牧師の笑顔 垣内恵子(諏訪教会)
星野幸一牧師の召天を聞き、思い出すのは諏訪に赴任しての最初の説教である。―わたしはトラブルを解決するために来たのではない。み言葉を伝えるためにきたのです―ときっぱり述べる星野先生。これからの牧会を象徴するひとことであった。
星野先生は2002年から2007年まで甲府と諏訪の2教会牧会をつとめてくださった。
星野先生と過ごした年月の中でも「諏訪教会の宣教100年」の日を共に迎えることができたのは何より大きな喜びであった。
1905年にフィンランドの宣教師によって開かれた諏訪教会。2005年は宣教100年の記念祭を計画。いよいよその日が来た。2005年11月23日。全国の教会関係の方々120名の来賓出席者を得て、諏訪オーケストラの弦楽器に合わせ、小さな諏訪教会は喜びと熱気であふれた。
「宣教100年にあたる年に諏訪教会の牧師でいることの幸い」と率直に喜んでくださったあの日の笑顔が忘れられない。
文集『諏訪教会100年の歩み』に幸一牧師は次のように記す。
―草木は1年で育つ。材木にする木は50年かかる。さて人を育てるには何年かかるか。人を育てるには100年かかる―と語る星野先生は地味だがやさしく真心の人だった。また知子夫人は―聖書には長い間には教会の分裂、混乱した時代があった。諏訪教会も100年の間には語りつくせない様々なことがあったであろう。しかし群は残って今100周年を迎えようとしている。―と、一度しかない100年の節目に出会えた幸いと述べてくださった。星野先生のみ言葉を語るときの深い喜びと苦しみを私は忘れない。

第28期第5回常議員会報告 事務局長 滝田浩之
11月11~13日、ルーテル市ヶ谷センターにて第28期第5回本教会常議員会が開催されました。以下、主な協議事項について報告いたします。
(1)ハラスメント防止規定
第28期より本教会常議員会で学びを積み上げ準備してきました、「ハラスメント防止規定」が承認されました。規定を確認して頂き、ハラスメントについて理解を深め、誰もが「安全で安心できる」教会造りをしていきたいと思います。各教会には、この規定に沿った「パンフレット」もお送りいたします。相談窓口は、フェミニストカウンセリング東京(FC東京)に依頼しています。FC東京との業務委託契約の中では、交通費等の経費を各教会、各地区、各教区で負担いただければ、「ハラスメントの研修」について講師派遣が可能です。是非、ご活用ください。詳細は事務局までご連絡ください。
(2)市ヶ谷会館大型修繕計画の件
市ヶ谷会館の耐震工事を含む大型修繕計画について、市ヶ谷将来検討委員会から経過報告と、概算見積もり、また工事工程表が本教会常議員会に提出されました。3階の宿坊部分のユニットバス化なども計画されていることが報告されました。今後、11月末に完了する詳細設計をもとに、詳細見積もりを進め、工事費の圧縮を行う作業を年明けの1月末までには終え、最終的な工事内容を確定していきます。並行して銀行との借入交渉を行い、2月の本教会常議員会までに5月全国総会に提案する内容を固めていくことになります。
(3)第7次綜合方策
9月の宣教会議、その後の人事委員会、社会委員会等の意見を踏まえた形で「第7次綜合方策」の試案が提案されました。今後、各教区常議員会の意見を伺いながら、2月の本教会常議員会に提案され、5月の総会に上程してくことになります。ポスト宗教改革500年を歩み出す教会として、改めて「ルター派の教会を形成する」という明確な目標を設定し、この「ルター派の教会」の中身を、広範囲な角度から検証するものとなっています。これまで取り組んできた、ルター派としての大切な信仰理解をきちんと継承すること、同時に、現代における「ルター派の役割」を包括しつつ、今後8年間の教会の歩むべき方向性を確認するものになることを目指しています。これまで課題とされてきた「宣教力の低下」を「牧会力の低下」と理解し、「牧会力(分かち合う力)」の回復を目指すために、今、手をつけていかなくてはならないことを「方策実行委員会」を中心に進めていくことになります。
(4)総会日程と負担金の件
次年度の全国総会は、2020年4月29日(水)~5月1日(金)に実施することを改めて確認しました。総会負担金は1人あたり3万5000円となります。東教区を中心とした総会準備委員も選出されました。今からご予定ください。
なお第5回本教会常議員会の詳細については、後日送付される議事録にて確認ください。

教皇ミサに出席して 古屋四朗(JELC常議員・日吉教会)
11月25日、東京ドームでの教皇ミサに、カトリック教会のご招待を受けて、私も出席する機会が与えられました。5万人もの礼拝はめったに体験できるものではありません。素晴らしい機会を与えられたことを感謝しています。教皇ミサで一番の印象に残ったのは、全国からこのために集まったカトリック教会の信徒の皆さんの、喜びに満ちた表情でした。
ミサの前に教皇がアリーナを巡回するためにオープンカーで登場すると、ドーム全体が大きな歓声に包まれました。それは、差し出された幼児に教皇が祝福のキスをするたびに最高潮になりました。これは、「イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れてきた」という福音書の記事を思い出させました。これがハプニングだったのか予定だったのか分かりませんが、この日の行事に欠かせない風景だったと思います。また、ふだんは敬虔なイメージのシスターたちが、教皇に近づこうと駆け寄って行く姿にも、喜びが伝わってきました。
教皇の説教は、「すべてのいのちを守るため」をテーマとした、内容のあるものでした。「午前の若者との対話で気づいたのは、日本は発展した国だが、社会で孤立して、いのちの意味が分からなくなっている若者がいること」と切り出し、すべてのいのちを守るためには、世界のすべてをまるごと受け入れる態度が必要と結びました。世界の経済や政治の指導者の態度が益々自己中心になっている時代に、いのちの福音を告げるというキリスト者の役割は、教派を超えて共有すべきと感じました。
今回の教皇ミサには、キリスト教各派が招待されましたが、ルーテル教会の招待枠は多く、伝統的教派として重視されているのでしょう。そして、キリスト教だけでなく、仏教や新宗教の指導者も招かれて、参加していました。日本のキリスト者は少ないけれど、社会の中で少なすぎも弱すぎもしないということではないでしょうか。

2020年度日本福音ルーテル教会会議日程(主な予定のみ)

1月16日(木)教師試験(市ヶ谷)
1月17日(金)任用試験 (市ヶ谷)
2月17日(月)~19日(水)28-6常議員会(市ヶ谷)
2月23日(日)神学校の夕べ(宣教百年記念会堂)
3月1日(日)教職授任按手式(宣教百年記念会堂)
3月2日(月)神学教育委員会(市ヶ谷)
3月4日(水)新任教師研修会(市ヶ谷)
3月13日(金)ルーテル学院大・日本ルーテル神学校卒業式(三鷹)
4月1日(水)ルーテル学院大・日本ルーテル神学校入学式(三鷹)
4月29日(水)~5月1日(金)第29回全国総会
6月15日(月)~17日(水)29-1常議員会(市ヶ谷)
8月25日(火)~26日(水)るうてる法人会連合研修会(九州地域)
8月28日(金)~29日(土)るうてる幼保連合研修会(広島)
9月23日(水)~24日(木)宣教会議(市ヶ谷)
9月30日(水)教師試験委員会(市ヶ谷)
11月16日(月)~18日(水)29-2常議員会(市ヶ谷)
※会議日程の詳細については、JELCニュースブログ (jelc-news.blogspot.com)をご覧ください。

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