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機関紙るうてる

るうてる2020年8月号

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説教「使命に生きる」

日本福音ルーテル大岡山教会牧師 松岡俊一郎

「そして、彼らに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。』」 ルカによる福音書10・2〜3a

新型コロナウイルスの蔓延は、国内ではいったん下火になってきたように見えます。しかし第2波、第3波が心配されていますし、世界的に見れば、南半球に感染が拡大し留まることを知りません。今や世界史的な人類の危機と言っていいと思います。現代の私たちが、かつて経験したことのないこの事態を受け入れることはなかなか難しいのですが、私たちはそれでも立ち向かっていかざるを得ません。

危機的な感染拡大と自粛ムードの中、イタリアのクレモナの病院の屋上で演奏した日本人のヴァイオリニスト横山令奈さんの姿が、ニュースやSNSで話題になりました。その美しい演奏には医療関係者への感謝と患者さんたちへの励ましの祈りが込められていたといいます。私も大変感動しました。そこでは何曲か演奏されたようですが、私が聴いたのは「ガブリエルのオーボエ」という曲でした。私はなぜこの曲が選ばれたのか不思議に思いました。これは映画「ミッション」のテーマ曲です。ここからは私の思い込みです。そこに込められたのは、「ミッション」に描かれていた宣教師の使命と医療従事者の働きと使命感を重ね合わせたのではないか、つまり「使命」に生きる者への敬意ではなかったかと思うのです。患者も医療関係者も有効な治療法のない中、命の危険に冒されながら立ち向かえるのは、この使命感をおいては何もないと思います。医療関係者には人の命を救うという使命感、患者さんたちは生きるという使命感です。

人はいろいろな生活の場、働きの場、環境に遣わされています。自分で選んだ働きもあるでしょうし、成り行きでその場にいることになったかもしれません。何かの力に押されてその場にいる人もいると思います。イエス様の弟子たちの何人かはイエス様に直接選ばれて従いました。しかし多くの名もない弟子たちは、イエス様に引き寄せられて、さほど強い決意のないままに従ったのではないかと思います。冒頭の聖句で、イエス様は72人の弟子を宣教に遣わされます。それはみ言葉の伝道だけではありません。癒しの業であり、教育の働きであったと思います。聖書を読むと、彼らにその準備が十分にあったとは思われません。「何も持っていくな」と言われ、ほとんど「手ぶら」で、託された「使命」だけが与えられて出かけているように見えます。彼らの行く手には良い結果だけが待ち受けているわけではありません。むしろ困難なことが多くあることをイエス様は予告されました。どんなに不安なことだったでしょう。

今私たち牧師が遣わされる時、多くの方の祈りと支え、そして派遣先に信徒の方々がおられることを知っていますので、安心して赴任することが出来ます。それでも不安がないわけではありません。しかしそこで支えとなるのは、按手時の聖霊の付与と派遣の命令です。遣わされる者は、時には孤独を感じます。自分の力の足りなさを嘆く時もあります。しかし遣わされる者は孤独ではありません。教会の祈りがあり、神様から与えられた使命があるのです。

72人の遣わされた人たちも孤独ではありませんでした。イエス様の心が彼らと共にあったからです。神様が与えられる使命には、イエス様が共におられるのです。そして彼らは帰って来ると、自分たちの力以上に実りがあったことをイエス様に報告するのです。そこで主イエスはその成果を喜ぶのではなく、遣わされた者の名が天に記されていることを喜びなさいと言われました。使命が与えられることを喜べと言われるのです。

私たちも生活の様々な働きに遣わされています。そこではいつも成果が伴うとは限りません。いつも喜びがあるわけでもありません。苦労しながら、もがきながら、不安や孤独と立ち向かいながら生きています。しかしその命と人生は神様から与えられ、愛の戒めを伴って託された使命なのです。私たちはこの使命を糧に喜びをもって歩みましょう。

エッセイ 命のことば 伊藤早奈

⑤「叫び」

「身を横たえて眠り/わたしはまた、目覚めます。/主が支えていてくださいます。」(詩編3・6)

「おー!」なのか「わー!」なのか。その人は目覚める度に叫んでおられました。なんでだろう?と私は思いましたがすぐにわかりました。その人が叫んでおられたのはホスピスの一室。末期の癌の方が入るホスピスの一室でした。
「おー!」あるいは、「わー!」は「いつものベッドで起きることができた。私は今も生きている。」と言われたかったのではないでしょうか? その方が、ヤッタと思っておられたのかはわかりませんが、ご自分がこの世に生きていることを確認するかのように叫ばれていたようです。
そういえば私も手術の翌朝目覚めた時「目覚めることができた、神様ありがとう」と叫びたかったのですが、ホスピスの一室で叫ばれていた方とは違い私は大部屋だったので一人ではなく、他の患者さんがいらしたので叫べませんでした。
私はいつも「天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。」とお祈りします。必ず目覚めは全ての一人ひとりに与えられます。例えそれがいつであっても、どこであったとしても。もしかしたら自分が思っていた通りの場所かもしれません。全く想像もしていなかった所かもしれません。でもご存知ですか? どこで目覚めても神様であるイエス様が全ての一人ひとりと共にいらっしゃることを。私もあなたも一人ではありません。全ての一人ひとりに目覚めを与えて下さるのは神様だからです。

議長室から

「サクラメント〜五感のリアリティ」議長 大柴譲治

「これはあなたがたのために与えるわたしのからだ。」「これは罪のゆるしのため、あなたがたと多くの人々のために流すわたしの血における新しい契約。」(聖餐設定辞)

チンパンジーなど霊長類の専門家である京都大学総長の山極寿一という方が面白いことを言っておられます。人間は視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚という「五感」を持っています。インターネットを通しての接触は双方向であっても「視覚」と「聴覚」しか使いません。そのような接触で信頼関係が形成されると感じるのは「脳の錯覚」にすぎないと山極教授は述べるのです。本来「信頼関係」というものは他者とは共有しにくい「触覚」「臭覚」「味覚」という感覚を時間をかけて共有してゆく中でしか培われないと言うのです。 なるほどと思わされました。幼児期の母子関係でのスキンシップの大切さも、「同じ釜の飯を食う」ことの大切さも、私たちは体験的に知っています。最近はリモートでの「オンライン飲み会」も流行っているようですが、それは旧交を温めたりこれまでのつながりの確認のために意味があるとしても、新たに人間関係を形成するためには五感、とくにその中の3つの共有が重要なことを改めて学びました。

「視覚」と「聴覚」は大脳皮質の側頭葉につながっていて、危険が遠くから迫ってくるのに対応するために時間がかかります。それに対し「触覚」と「臭覚」と「味覚」は直で脳幹につながっていて、何か熱いものに触れたら瞬時に手を引っ込めますし、嫌な臭いがしたら即顔を背けますし、変な味がしたらすぐに吐き出すよう私たちは反射的に行動します。瞬時に危機対応が求められるからです。その3つの感覚は特に直接的であり強烈なのです。

教会が洗礼と聖餐という2つのサクラメントを大切にしてきたことには深い意味があると感じます。そこでは水とパンとワインが用いられるからです。視覚と聴覚だけではない。洗礼時には水の注ぎを肌に感じますし、聖餐式ではパンとワインの香りをかぎ、口で受け止め、歯で噛みしめ、舌で味わい、喉で飲み込みます。そのように私たちはサクラメントにおいて触覚と臭覚と味覚という3つの感覚をも総動員して「キリストのリアルプレゼンス」を受け止めているのです。信仰生活では通常「聽く」ことの大切さを思いますが、「からだの身体性」の重要性、触れることや嗅ぐこと、味わうことを含めた「五感の持つリアリティ」をも考えさせられています。皆さまはどのようにお考えでしょうか。

「教会讃美歌 増補」 解説

②「増補」版編集の経緯について 讃美歌委員会 日笠山吉之(札幌教会牧師・恵み野教会協力牧師)

「教会讃美歌」の「増補」版の編集作業が始まって既に10年余りが経過しましたが、当初は「教会讃美歌」そのものの大改訂を求められました。日本福音ルーテル教会と日本ルーテル教団、近畿福音ルーテル教会、西日本福音ルーテル教会のルーテル4教派はお互いに緩やかな協力関係を保持していますが、それら4教派の議長会で2017年を共に祝うに当たり、「教会讃美歌」の大改訂が出来れば、という話しが出たと聞いています。そこで日本福音ルーテル教会常議員会は讃美歌委員会を設置し、委員として石居基夫牧師と日笠山(長)が指名されました。ほどなく経験豊かな中山康子さんと、ドイツから帰国された松本義宣牧師、作曲家の萩森英明さんにも加わっていただきました。当時ご健在だった石居正己先生にも委員会に時々陪席いただき、貴重なお話しを伺えたことは忘れられません。また徳善義和先生からもたくさんの助言やアドバイスと励ましをいただきました。
「教会讃美歌」の成り立ちについては、小澤周平牧師が以前連載された「讃美歌と私たち」にも詳しく述べられていた通りです。1974年に出版された「教会讃美歌」は、ルーテル教会内外から高い評価を与えられ、1999年の小改訂を経て今なお広く用いられていますが、さすがに大改訂を考える時期に差し掛かっていました。時代の変遷と共に使われる言葉も変わり、価値観も多様化する中、多くの教団や教派でも40年を目処に讃美歌集の改訂が行われてきたからです。 そう考えると、ルーテル教会も2017年を節目に現行の「教会讃美歌」の大改訂を行い、新しい讃美歌集を世に出すにはぴったりのタイミングでした。しかし、ルーテル4教派に連なる諸教会に「教会讃美歌」の大改訂に関するアンケート調査を行い、委員会として分析したところ、大改訂にはまだ時期尚早であるという結論に至ったのです。現場の教会としては、「教会讃美歌」にやっと慣れてきたところなのにもう改訂?という反応でした。実際、当委員会としても大改訂に取り掛かる自信と余力もありませんでした。そこで、『教会讃美歌』の大改訂から『増補』版の編集という方針転換をすることになりました。以上が『増補』版を編集するに至った経緯です。

私たちの礼拝 —式文ハンドブック—

①式文ハンドブック 平岡仁子 (前式文委員会委員長・神学校教員・保谷教会牧師)

2020年3月、「主日礼拝式文試用版 式文ハンドブック『主日礼拝式文』・『御言葉の礼拝』」が発行され、全国の教会に配布されました。このハンドブックは改定式文の解説と実践のために、式文委員会が作成しました。各教会に牧師用と教会保存用として2部ずつ送られましたので、信徒の皆様の目にはまだ留まっていないかもしれません。そこで、これから1年に渡り、このハンドブックを皆様に紹介してゆくコーナーが始まります。勿論、目的はハンドブックを知って頂くこと以上に、皆様に、改定式文についてより深く知って頂くことを目指します。
人は慣れ親しんだことが変わることに不安を感じます。そして、変化に不安を感じることは不思議ではありません。人は慣れ親しんだことに一番安心を感じるからです。しかし、籐の買い物かごはプラスチック袋に代わり、今はマイバック、マイバスケットへと変化しています(買い物をされる方はご存じでしょうが)。
変化は時代の必然です。けれど、絶対に変わってはいけないこともあります。
式文の改定とは逆に言えば、典礼において、この絶対に変わらないものを明確にしてゆく作業です。これから毎月このコーナーを通して、私たちの礼拝、絶対に変わることのない大切なものについて、共に考えて行ければと思います。

Ⅰルター派の礼拝(ハンドブック 1〜3ページ)
2018年秋、私は東京神学大学の全学修養会で基調講演者の一人として招かれました。ルター派の礼拝について学びたいというご要望に応えてのことでした。
ルター派の礼拝とは、「教会は、全信徒の集まりであって、その中で福音が純粋に説教され、聖礼典が福音に従って与えられる」(アウグスブルグ信仰告白第7条)
「教会」とは建物でも、牧師集団でも、教会組織でもなく、礼拝のために集められた全信徒の集まりです。神の恵みを受け取る手段と呼ばれ、見えるしるしである「御言葉・洗礼・聖餐」という礼拝の3つの中心へ招かれた人々の群れ、それが「教会」なのです。
そして、この3つの中心は時を超え、教派を超えて、キリスト教の礼拝とは何かを示し、決して変わることはありません。改定とはこの中心を真の中心にすることなのです。

日本福音ルーテル教会教師試験実施のお知らせ

2020年度「日本福音ルーテル教会教師試験」を下記要領にて実施いたします。教師志願者は必要書類を整え、教会事務局にご提出くださいますよう、お知らせします。


〈提出書類〉
◇教師志願書
◇志願理由書
テーマ「なぜ『日本福音ルーテル教会の教師』を志願するのか」
書式
A4横書き2枚
フォントサイズ11ポイント
◇履歴書(学歴、職歴、信仰歴、家 庭状況等を記入すること)
◇教籍謄本(所属教会教籍簿の写し)
◇成年被後見人または被保佐人と して登記されていないことの証明書(法務局交付のもの。任用試験 時に必要になります)
◇所属教会牧師の推薦書
◇神学校卒業(見込)証明書及び 推薦書
◇健康診断書(事務局に所定の用 紙があります)
〈提出先〉
日本福音ルーテル教会
常議員会長 大柴譲治宛
〈提出期限(期限厳守)〉
2020年9月18日(金)午後5時までに教会事務局へ提出すること
◇個人で神学の研鑽を積み受験を希望する者は、必ず神学教育委員会の推薦を得ること
◇国外のルーテル教会の神学機関に学び神学修士を持ち受験する者は、願書提出前に事務局に相談すること
〈試験日及び試験内容〉
志願者本人に直接連絡します。

ブラジル青年宣教ボランティアを終えて

森一樹(市ヶ谷教会)

ブラジルはサンパウロにあるブラジル日系ルーテルサンパウロ教会での、1年間の青年宣教ボランティア活動が無事に終わりました。帰国直前には新型コロナウイルスの世界的蔓延により、帰国便の運航見合わせが続き、ようやく取れた便を乗り継いでなんとか帰国ができました。

帰国後は検疫で2週間のホテルでの自主隔離を要請され、さらに歯痒い思いもしましたが、何事もなく無事に帰宅することができました。これまでの皆さまからの温かい応援とたくさんのお祈りに、そして神様の御守りに心から感謝をしております。
そんなブラジルでの活動を振り返ると、この1年間は間違いなく自分の人生に、そして神様との関係に大きな影響を与えた時間でした。実際に現地に入った当初は、ポルトガル語の分厚い壁や、日本とは全く異なる文化や社会、また入れ替わりで日本にご帰国なさった徳弘浩隆先生からの引き継ぎなど、数え切れないほどの苦労と試練が待ち構えていました。特に、そんな試練をよそに次々と舞い込む新たな活動の依頼や、まるで牧師先生や神学生のような働きを求められる周囲からの期待に、自身の能力や技量だけでは応えることができず、悲しみ、腹を立て、落ち込む日が続きました。

しかし、そんな私が再び起こされたのは、ある日の主日礼拝で聞いた御言葉でした。「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。」(マタイ6・8)この箇所では、山上にて、イエス様が弟子をはじめとした民衆に対し、「神様はあなた方に必要なものをご存じなのだから、くどくどと長い祈りではなく真に大切なことをはっきりと祈りなさい。」と、その祈りを教えます。

この箇所を読んだ後から、改めて祈りによって神様と向き合い、依り頼む機会が与えられ、神様は私に必要なものは既によくご存じで、もしかしたら私が気づけていないだけで既にそれらは与えられ、備えられているのかもしれないと考えるようになりました。
それと同時に、これまでの働きのなかで自分勝手な感情に振り回され、落ち込んでいた自分の姿にも気がつかされたのです。改めて振り返ってみれば、ブラジルでの全ての働きには初めから終わりまで「神様の備え」が確かにありました。これまでの人生でなんとなくやってきたことや趣味として経験していたこと、神様から与えられた尊い賜物や、その愛を持って親身になって支えてくれた、ブラジルの信徒さんや牧師先生、同僚、友人たちの存在など、私の能力や資質ではなく、本当に必要な「神様の備え」が与えられていたからこそ、ブラジルでの働きが全うできたのだと今では振り返っています。

そんな人生における神様の備えや、御計画に対する確信が与えられ、喜び感謝をしながら御前で働く恵みを経験できたブラジルでの時間は間違いなく、私にとって大切な宝物です。
最後に、私のいたブラジルは現在、間違いなく世界的なコロナウイルス感染の中心にあり、医療的にも、経済的にも、政治的にもかつてないほどの試練に直面しています。どうかそんなブラジルのために、国民と為政者のために、祈りに覚えてくださると幸いです。

パンデミックの中のディアコニア

社会福祉法人心促協会心促福祉作業センター 管理者 田内信浩(防府教会)

当事業所は、様々な障害をもたれながらも施設内で継続して働くことを希望されている人と一般企業等への就職を目指されている人、合計約40名日々利用(通所)されています。受託しています主な作業は、印刷関係の下請け作業・自動車部品の梱包資材の組み立て・部品の袋詰めやセットアップ作業・食品の箱折り作業等を行っています。

3月中頃よりコロナウイルス感染の影響により取引企業の作業受注が減少し、4〜 5月には半減いたしました。受注量が減るということは、働かれている施設利用者の収入(工賃)減に直結いたします。収入が減ってはみなさん困られますので、僅かな積立金を活用し、収入が変わらないよう 現時点では対応しております。また、1日の生活の場所として過ごす人もいますので、受注作業が無いので今日はお休みしますということも出来ず、作業時間の短縮や施設内で利用する雑巾や手作りマスクを作る時間をとり、感染予防に気をつけながら施設の開所を維持いたました。予防策としましては、密をさけるために送迎バスの多便化、作業場所や食堂の座席の配置、換気、1日2回の消毒、検温・体調管理報告を行いました。また、自立訓練や社会との交流の場として毎年実施されているレクリエーション行事(施設対抗のスポーツ行事、地域のお祭り等)も中止のため参加できず、ストレスを発散したり、気分転換する場も無くなっています。
この度のコロナウイルス感染拡大により、今まで、当たり前のように作業を行い、当たり前のように過ごしていた日常の生活の有り難さ、感染症の恐ろしさや予防について、普段からの体調管理や健康づくりの大切さなどを学び、施設の在り方を再考させて頂く機会となりました。

社会福祉法人デンマーク牧場福祉会・特別養護老人ホームディアコニア 施設長 牧摂(浜名教会)

当施設では2月下旬から1〜2週間毎に新型コロナ対策についての話し合いを行ってきました。手洗い、マスク等の基本的な感染予防策を行なうのはもちろんですが、新型コロナという未知の感染症の特徴を確認しながらの感染対策は、日々更新される情報を収集し、いかに施設内感染を防ぐかを模索する毎日です。

当法人は、2003年に社会福祉法人を取得し、特別養護老人ホームの他に、精神科診療所、児童養護施設、就労継続支援B型事業所、自立援助ホーム、牧場事業と複数の福祉事業を行っています。

新型コロナ感染発生の初期の頃は、子どもへの感染例は少なく、高齢者へ感染させない事に重点が置かれる情報が中心でした。当初は、法人内でも施設によって感染予防への緊迫感に温度差があったように思います。しかし、感染が急速に広がり、小児や若年層での感染例、重症例も報告されるようになり、日を追うごとに各施設の感染対策への意識が高まりました。今まで各施設で使用していた消毒薬や、感染予防用品を共有、情報交換したり、感染予防の為の基礎的な手洗い、予防着の着脱方法(ガウンテクニック)の勉強会を合同で行ったりと、施設間を超えての感染対策を行うようになりました。

面会においては、オンライン面会、窓越し面会等を行っています。オンライン面会や、窓越し面会の場面に立会うと、ご家族に会った瞬間に入居者様の表情が笑顔になり、ご家族も涙を浮かべながら喜ばれるお姿を拝見します。改めてご家族との絆の大切さ、人と会う事、繋がる事の影響力の大きさを感じました。

もうしばらくはコロナ対策の毎日ですが、多くの祈りに支えながら、施設内感染を起こさない毎日を積み重ねる事が出来ればと思います。

2020年度るうてる法人会連合研修会中止のお知らせ

2020年8月25〜26日(火〜水)に熊本地区で予定しておりました標記の件、COVID—19の感染拡大に伴い中止といたしました。次年度に熊本地区にて開催する予定です。詳細が決まり次第、ご連絡申し上げます。
(るうてる法人会連合事務局 滝田浩之)

第28期第8回常議員会報告  滝田浩之(事務局長)

6月15日(月)午後1〜4時までウェブ会議において標記の会議が開催されました。新型コロナウイルス感染拡大の中で、はじめのウェブ会議システム(Zoom)での開催となりました。

1 第29回定期総会について

すでに第7回常議員会で決定された通り、第29回定期総会は9月21〜22日(月〜火)にルーテル学院大学を会場に開催する予定です。しかし感染症拡大の状況が全く見通せないことから、たとえ開催日時の直前であっても参集することが危険であると議長が判断した場合、第29回定期総会を「書面決済方式」で開催することを確認しました。
【常議員会以後の動き】
感染症拡大の傾向が大都市を中心に増加傾向にあることを鑑みて、議長の強い意向もあり、現在「分散開催(札幌・東京・名古屋・大阪・広島・博多・熊本)」を行う方向が検討されています。9月21日(月)午前9時〜午後6時(全国教師会は午後6時〜午後7時)での開催を見込んでいます。この実施のため特に報告については期間を設けて、総会前に皆様から質問、ご意見を頂く対応を取るなどを予定しています。いずれにせよ教区常議員会を中心に議員の方々には色々とご迷惑や混乱をさせることもあるかもしれませんが、リスクを最大限避けるための処置です。ご理解頂ければと思います。詳細は7月中にはご連絡申し上げることができると考えています。

2 各教区長・信徒常議員就任と代務者選任の件

本来、総会で行うべき各教区長と信徒常議員(2020年3月の各教区総会で選出)の就任を総会閉会中の決定機関である常議員会で行いました。また木村猛会計(保谷教会)の急逝に伴い、責任役員(JELC会計)として市吉伸行氏(むさしの教会)を代務者として選任しました。また責任役員であった内藤文子氏の常議員退任による資格失効に伴い谷口和恵氏(東教区信徒常議員)を代務者に選任しました。

3 緊急事態宣言発令に伴う各個教会財政課題の対応の件

各教区常議員会、全国教師会に意見聴取を行った上で、このたびの常議員会で以下の対応を確認しました。
(1)2020年の協力金を6%とする(各教会に依頼している協力金金額の60%とする)。2021年は協力金を8%とする。
(2)2020年に限り転任積立金の拠出を免除する。
(3)2020〜2021年については建築積立会計からの一般会計(経常会計)への繰入について協力金算定額から除外する。
今後、各教区が各個教会の財政状況を年末に向けて詳細を把握した上で、1 1月常議員会で必要なら追加の対応を検討することとなりました。
なおこれらの対応を実現するため、本教会も各教区も大幅な経費削減が求められることになります。議事録配布の電子化、また会議のウェブ開催などへのご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。すでに各教区では資金繰りが困難な各個教会のために貸付金の備えをしてくださっています。事務局としましても、郵税献金、奨学金献金、教会負担の社会保険料につきましては年度末までお待ちすることができます。

4 火災共済規定改定の件

火災共済を持続的に維持していくために、現在1口200円の加入金を400円に変更します。昨今の災害多発の状況の中で、火災保険料の値上げが続いているための措置です。よろしくご了解のほどお願い申し上げます。

5 信徒育成基金 長期借入の件

大阪事業所(ホテル・ザ・ルーテル)が建築後20年を経過することで全室の空調設備の更新、それに伴う居室内のリニューアル、ベッド入れ替えなどの設備更新工事のため収益会計が基金会計に長期借入を起こします。この措置の実施により収益会計から今後20年間、信徒育成基金配分金に利息相当分を繰入し安定して喜望の家、宣教室、各教区への配分を実施できることになります。

6 市ヶ谷将来検討委員会 提案の件

市ヶ谷会館事業の持続化のために、市ヶ谷将来検討委員会は、耐震補強工事を軸とする計画案を常議員会に報告してきました。このたび工事内容、工事費が確定したことを受けて第29回定期総会に常議員会として提案することが承認されました。但し、銀行借入については定期総会の議決を必要としますので、定期総会の延期を受け、当初予定していた2020年9月着工を4カ月ずらし2021年1月着工、2022年3月竣工の工事日程に変更となりました。
以上、その他の案件につきましては、ご送付しております「議事録」にて確認ください。今回の議事録配布から、可能な方には電子データーでの配布とさせて頂きました。ご協力を心から感謝申し上げます。

コロナと教会 臨時ルターセミナ—報告 江口再起(ルター研究所所長)

歴史は疫病によってつくられる。今回のコロナ・パンデミックは千年あるいは500年に一度の事態であろう。フクシマ(原発事故)とコロナ(COVID—19)で、世界史に地殻変動が起こったのである。全世界のすべてが影響を被った。
ルター研究所も毎年恒例のルターセミナーを中止した。しかし考えてみれば、こういう時にこそ皆で共に考え議論しあわねばならない。と言うわけで6月に毎週連続3回、「臨時ルターセミナー」をZoom(ウェブ会議システム)で開催した(今回は現職牧師を対象に開催)。主題は「ルター・疫病・教会」。北は北海道、南は九州まで約30名の牧師が参加した。第1回目は6月1 1日、江口所長より総論的発題があった。今、ルーテル教会として何を熟考すべきか。3点ある。

①人類にとって疫病とは何か、
②ペスト流行期におけるルターの考え、
③コロナに対して教会はどうあるべきか。

この3点を頭に置きつつ、日本(世界)の教会の現状分析がなされた。問題の焦点は、礼拝をいかにすべきか。通常のリアル対面礼拝でなく文書礼拝やオンライン礼拝の実施等々、各牧師各教会は努力奮闘工夫の数か月であった。
第2回目は19日、宮本新所員より、ルターとペストについての発題があった。ルターの生きた中世末期はペストが流行していた。そこでルターは疫病をめぐって公開書簡を書いている。その分析である。実に根源的な問題の捉え方(信仰を軸に、しかし愛の業こそが大切!)、かつまた実に実際的な提言がなされている。ルターはこう書いている。「薬を飲みなさい。助けになることは何でもしなさい。家や通りを消毒しなさい。必要もないのに人に会ったり、不必要な場所に行ったりすることは避けなさい…」。今、読んでもそのまま通用することに驚く。

第3回目は25日、2つの発題があった。多田哲牧師より日吉教会でのオンライン礼拝(ネット中継礼拝)についての実情報告。その長所と、しかしその神学的根拠の不安定さへの自問自答…。また竹田孝一牧師(東地域教師会長)より、東教区で実施した礼拝等をめぐるアンケートについての報告がなされた。礼拝をやめた教会は一つもない。ただそのやり方は様々に変化があった。
オンライン礼拝への意外にスムーズな移行と、しかしネット環境が整っていないことからの限界。ていねいな文書礼拝(説教の要旨や家庭礼拝の手引きの配布など)。また聖餐式のもつ神学的意味の深化の必要性等々。まさに教会の生きた現場からの声であった。いずれの回も前半は発題、後半は全員による感想や考察等、議論百出であった。
さて最後に、私(江口)自身の感想を書いておきたい。4点ある。

第1点、ZoomなどIT技術活用の益点である。従来私は去り行く世代として、かかる技術に対して積極的にはなれなかったが、今回のセミナーをやってみて益するところもあった。
第2点、各教会各牧師のこの間の工夫努力に心から感謝したいと感じた。
3点目は、やはりルターに学ぶことの大切さを再認識したのである。
そして第4点。今、教会は礼拝問題に集中しているが、願わくはこの信仰の心がやがては社会(隣り人)に向けての愛の業につながっていってほしいということである(その関連については紙面の都合上、書けないが)。

神は教会はもちろんのこと、全世界(被造世界)をつくったのである。キリスト者は自分の信仰心や教会のことばかりを心配していてはいけない。いや、あえて言えば私に信仰心が無くなり、たとえ礼拝が無くなっても、それでもイエス・キリストは私も教会も世界もすべてを守っていてくださるということをこそ、私たちは信じていると思うからである。

[訂正]

機関紙るうてる2020年6月号(通算870号)3面「るうてる法人会連合の取り組みから」の〈ルーテル幼稚園・保育園連合会〉執筆者である和田憲明先生の所属教会のうち、「聖ペトロ」となっているのは「聖ペテロ」の誤りです。校正時の確認が不充分でした。申し訳ありませんでした。謹んで訂正いたします。

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