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機関紙るうてる

るうてる2016年4月号

説教 「イエスは傍らに」

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ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。
 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。(ルカによる福音書24・13~15、28~35)

イエスさまの復活後、それを信じることのできない二人の弟子がエマオの村へ向かって歩いています。   
 彼らはもともと、救い主イエスさまに「イスラエルを解放してくださる」と期待していましたが、その期待は見事に外れ、ご自身は十字架であっけなく死んでしまい、その上、葬ったはずの墓にも見当たらなかったというのです。
 この時の二人のことを想像するに、「これまで信じてきた物が失われてしまい、これから一体何を信じて生きて行けばいいのだろうか」と深い失望と戸惑いの中にあったに違いありません。
 とはいえ、この弟子たちは、あらかじめ知らされていた復活を信じられないので す か ら、不信仰者といえば、そういえるのかもしれません。しかし、神さまの慰めは人間のありようを超えてもたらされます。今日の箇所でも、イエスさまはこの弟子たちの傍らに共に歩み、ご自分について聖書全体にわたり説明をされました。それによって二人の弟子は「心が燃えていた」のです。
 わたし自身、かつて献身する以前に、自らの力ではどうにも抗うことの出来ない重荷を背負う中で、そこから何とか脱しようともがいていた時、いくらもがいても出口が見えることはありませんでした。むしろ、もがくほどかえって不安は増幅し、深みにはまっていく感覚にすら陥りました。
 けれどもそのような時に光となったのは、いくつかの聖書の言葉でした。といっても、わたしに揺るぎない信仰があった、と胸を張るほどの自信があるわけはありません。むしろ、弟子たちと同じように、完全な信仰など持ち合わせてはいなかったのです。ですから、聖書の言葉は救いを確信させる言葉というよりも、あくまで手の届かないところにある小さな希望でした。例えて言うならば、トンネルの暗闇の中で遠くに見える小さい光のようなものにすぎなかったかもしれません。
 けれどもその光があることこそが、沈んだ心を湧き立たせ、トンネルの中を歩む力となりました。状況は何も変わりませんが、光があることの大切さと、その光を見つめることの恵みを思いました。
 後になってそのことを思い返したとき、今日の二人の弟子と自分自身が重なる思いがしました。復活のイエスさまが二人の弟子の傍らに伴って聖書を説明したように、あの時、わたしの傍らにも伴って、聖書の言葉を通して希望を見せようと働きかけておられたのでしょう。
 イエスさまはその後、弟子たちに(あの「過越の食事」を思い出させるように)パンを裂いて渡されると、「二人の目が開け、イエスだと分かった」というのです。復活の主をはっきりと認識し、受け止めたのです。
 イエスさまが十字架の死から復活された、という出来事は、自らの力でどうしようもない失望の中にある弟子たちに、新しい希望の光が現された出来事です。
 イエスさまという方は、「お先真っ暗だ」と失望し何の希望を見出せないでいた弟子たちの傍らでこそ共に歩み、ご自身を現されました。ご自身は決して死んで滅びたのではなくて、そこから甦って永遠の命を生きるのだと示されました。それによって、弟子たちに希望を取り戻させたのです。この復活の主との出会いは彼らにとって、この上ない大きな慰めであり、喜びであったに違いありません。
日本福音ルーテル博多教会・福岡西教会 牧師 池谷考史

連載コラムenchu

1『ツィムツム』

中世のユダヤ教ルリア派カバラーの中心的な理説の一つに「ツィムツム」というものがあります。ルリア派、カバラーの説明は字数の関係で省略するとして、ここでは「ツィムツム」という思想についてふれてみたいと思います。
 「ツィムツム」とはヘブライ語で「神の収縮」を意味しているのですが、ゲルショム・ショーレルはそれを次のように説明しています。「ルリアによれば、神は世界のために空間を作り出すことを余儀なくされた。それはいわば、神ご自身の内部の一領域を放棄することによって果たされたのである」(内田樹著「レヴィナスと愛の現象学」)。つまり、「ツィムツム」が教える創造の起源(の起源)とは、神が自ら積極的に何かを為すに先だって、自らの領域を放棄し他者(被造物)のために「ここどうぞ」と場所をあけたことに始まる、というものです。
ところで、「ツィムツム」の思想から、福音書に記されている主イエスの振る舞いを思い出しました。それはマタイ福音書の「子供を祝福する」場面です。「(イエスは)子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた」(19・15)。私たちは「何かを為す」ということばかりに目がいきがちですが、自らの領域を放棄(我慢)し、他者のために「ここどうぞ」と場所をあけるという働き(の前の働き)の大切さを心に留めたい、と思います。
 そうだ、このたび「るうてる」に「ここどうぞ」と場所をあけてもらったのだ。どうぞよろしくお願いします。
 岩切雄太( 日本福音ルーテル門司教会、八幡教会牧師)

議長室から

牧師として『遣わされる』総会議長 立山忠浩

3月6日に按手が執行され、1人の牧師が誕生しました。4月1日に小鹿教会、清水教会に着任しましたが、これからの働きにエールを送ります。
 按手式という厳かな式に参列し、新しい牧師が誕生する瞬間に立ち会えることは実に恵み深いことですが、 例年、東京での開催になりますので、首都圏近郊以外の方々は参加しにくい状況になってしまい、残念な思いです。ただ、各教区長をはじめ全国教師会長や宣教師会長も按手執行に加わっていただいていますので、この式には全国の教会の皆さんの思いが込められていることを覚えていただければ幸いです。
 この式での説教を担当することが総会議長の大切な任務になっていますが、使徒パウロのローマの信徒への手紙10・14以下から、「遣わされる」ということについて語りました。ルターの『ローマ書講義』も引用し、まず遣わされる牧師の心構えについて話しました。 牧師は、神から遣わされていることを忘れることなく、説教するという権威に謙虚になり 、 自分の思いや考えでなく、託されたことを語らなければならない。これがルターの教える「遣わされる」ことなのです。
 これらのことを按手に与る新任牧師に語りながら、これは按手を授ける側の 私たち自分自身にも向けられているような思いがしてきました。さらに言えば、新任牧師が派遣されることになる教会、つまり今春から牧師を迎えることになる信徒の群れも、この「遣わされる」ことの意味を心に刻まなければならないように思えてきたのです。
 このように考えるならば、この式は単に新任牧師のための式ではないことが分かります。按手を施す側、按手に与った牧師を迎える側もパウロの教え、ルターの言葉をしっかりと心に留めなければならないのです。
 このことは、人事異動により4月から新たな教会に着任する牧師はもちろん、各教会で任に当たるすべての牧師や宣教師にも及ぶのです。派遣されていることを忘れてはいけない。信徒の群れも同様なのです。学校と施設、事務局で奉仕する牧師ももちろんそうです。
 復活された主は、このことを認識した教会の群れを用いて、「あなたがたを遣わす」(ヨハネ20・21)と、この世へ派遣されるのです。
 諸教会の宣教の働きのためにお祈りいたします。

覚え続けたい

松岡俊一郎(大岡山教会)

 「ルーテル教会救援」の活動は、震災から3年で区切りを迎え、その働きは東教区に委ねられた。東教区は軸足を福島の放射線被害支援に置き支援活動を続けている。大岡山教会は震災発生直後から他の教会と同様「ルーテルとなりびと」のリードに応えて、救援・支援物資提供、各種ボランティア活動を続けた。また、震災後1年間は毎月牧師を現地にボランティアとして送る一方、震災時最前線で活動の指揮をとられた石巻市社会福祉協議会(社協)の災害復興支援担当者を招いて講演会を行い、被災地の海産物をバザーで売り、「祈りの旅」を実施した。「ルーテルとなりびと」の活動が終わった後、支援を続けたいがどうしたらよいかわからず、社協に相談したところ、当時まだ法人格を持たず、手弁当で活動している団体を応援してほしいと紹介された。現在は、被災地の子どもに、遊び場を提供している NPO法人「こども∞感ぱにー」 (むげんかんぱにー)を支援している。
 昨年11月、大岡山教会は、石巻市社協より「篤志寄付団体」として表彰された。通知をいただいた時、「すべきことをしたにすぎません」「右の手のしたことを左の手に教えてはならない」という気持ちであったが、この表彰はこれまでの「ルーテルとなりびと」をはじめとする「ルーテル教会救援」の働き全体に対する石巻市社協の思いであるとして喜んで受けた。
 「3月11日」には注目されても、しばらくすると人々の心に登らなくなるだろうが、依然として多くの方々が仮設住宅で厳しい生活を余儀なくされており、原子力発電所の事故により避難されている方々の帰郷のめどは立っていない。それを無視するかのような政府や電力会社の姿勢に 怒りを覚えることもある。しかし、被災された方々に心を寄せ、応援したいと思う方々は多くいると思う。海産物など現地の物を購入する、小さな団体でも活動を続けているところを応援する、今はすっかり様変わりしているが被災地の美しい自然を観光するなど、何でもいいから覚え続けたい。それが「ルーテルとなりびと」の精神だと思う。

全国ディアコニアセミナーに参加して

鈴木光治(名古屋めぐみ教会)

 第15回ディアコニア環境・人権・平和セミナーが2月11日に名古屋めぐみ教会で開催されました。  テーマは「今、憲法学者に聞く! 教会で」として、開会礼拝の後、長峯信彦さん(愛知大学教授、名古屋めぐみ教会)に「日本国憲法第9条を世界共通の価値理念に」の題で講演をしていただきました。また参加者は45名でした。会場の関係で東海地区の参加者が多かったのですが、関東、中国、九州からの参加もありました。
 講演は客観的な歴史認識をベースに次の5つのパートに分けてなされました。内容は、�@過去に対する責任、普遍的な道義・倫理として �A日本軍の性奴隷制問題 �B「憲法9条を現実に合わせて変えた方がよい」論について �C集団的自衛権行使の危険性 �D日本国憲法の先進的な価値原理でした。これらの問題を正面から捉えながら、時折ユーモアを交えてのわかりやすい講演は時間を忘れさせ、参加者は皆、熱心に聞き入りました。
 講演の後、質問の時間になり、10数名の方が積極的に意見や質問をされ、予定時間をオーバーするほどの盛り上がりでした。いかに問題意識を持ってこのセミナーに参加されたかが伺われました。 
 セミナーの最後に25ページからなる「現行憲法と自民党憲法改正草案対象表」が配布され、憲法問題においても活躍されている内河惠一さん(弁護士、なごや希望教会)から、参加者が持ち帰り、各自で確認ができるようチェックポイントのプレゼンが行われました。
 私達のよって立つところは「国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(イザヤ書2・4)、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈る」(マタイ福音書5・44)であり、一連の問題を考えるとき、おのずと私たちの言動の軸足の位置が決まってくると思います。今、生きている憲法9条の条文こそ、日本が世界に向かって平和への希求を発信している条文でもあるということを再認識した、たいへん有意義なセミナーでした。
〈ディアコニアネットワークのサイト〉
https://www.facebook.com/diakonianetwork

新任教師あいさつ

秋久 潤(日本福音ルーテル 小鹿教会・清水教会)

 この4月から牧師として働かせていただきます秋久潤(あきひさじゅん)と申します。24歳まで工学の勉強をして、茨城県のショベルカー製造会社に2年間勤めた後、神学校に入学しました。
 献身のきっかけは、20歳で教会に来始めた時に誘われたティーンズキャンプで「このような場はいいなあ」と感じたこと、そして東日本大震災です。被災された方たちを目の当たりにして、私自身は圧倒されて何もできなかったのですが、神のことばがどのように働いていくのかを宣べ伝えるのが私のテーマだと感じています。
 神学校の卒業論文ではヨブ記38章以下の神とヨブとの対話が何であったのかを研究しました。これからも祈りつつ励んでいきたいと思います。よろしくお願いいたします。

J3新任のあいさつ

カイリー・ホワイトヘッド

 雨は多いのですが、山々と豊かな木々を見ることのできるワシントン州シアトルから来日しました。
 私には2人の弟、20歳のティムと17歳のニックがいます。若い彼らはふざけてばかりいますが、私の最高の友人でもあります。
 私は書くこと、読むこと、絵を描くこと、キャンプをすることが好きです。私はルーテル教会で育ちました。それは私の知るかぎり、もっとも小さな群れであり、家族のようなものです。
 私は2015年の6月にウエスタンワシントン大学を卒業しました。大学ではクリエイティヴ・ライティングを学んできました。詩やノンフィクションなど人の心を動かし豊かにする作品に強い関心があります。
 いつか私は自分の本屋を持ちたいです。大好きな読書を誰かとわかちあうために。 その本屋にはコーヒーの香りが漂い、猫が住んでいることでしょう。
 私は日本食、特に緑茶と寿司が大好きです。そしてたくさんの新しいことへの挑戦を楽しみにしています。

ジェニファー・ジャーヴィー

私は、日本で神さまの仕事をすることを夢として持ち続け、ジョージア州アトランタから来日しました。美術大学でファッションマーケティングと経営、また写真を学び、また哲学、文化研究、ライティングにも取り組みました。
 子どもの頃、私は自分に誓いました。神さまの子どもである世界中の人々と会い、その文化を学ぶということを。そのきっかけとなったのは、11歳の時のちさよさんとの出会いです。彼女は岐阜県から私の家にホームステイに来たのでした。同世代だった私たちは、それぞれの文化について語りあい、いつか必ず日本に行くことを約束しました。私はもう長く、ちさよさんに会えていないのですが、世界に対するわたしの情熱は育ち続けました。
 私は香港に留学し、その後、イタリア、中国、スペインなどで英語を教え、世界を巡りましたが、日本への憧れが失われることはありませんでした。中国での経験は私の人生を変えるものでした。私は自分がアジアで過ごすことを強く願っていることに気づき、その実現を神が導いてくださるように懸命に祈りました。
 東京で働くことを示された時、私はそれが自分の運命だと受け止めました。夢は叶えられたのです。日本で学ぶこと、みなさんと共に成長することを心から楽しみにしています。

ルターとバッハ 宗教改革500年。

十字架の主は復活と勝利の主

主死にたまえり(教会讃美歌97番)

 民衆のために讃美歌を整えながら、ルターは生涯にわたって、主の受難の讃美歌を作詞しなかった。キリストは十字架で終わることなく、受難の主は同時に復活と勝利の主であることを確信していたからである。その意味では、十字架についてどれほど強調しても、ルターは中世に見られた受難神秘主義の立場ではなかった。だからここに選び出した讃美歌のように、主の死をもって歌い出した讃美歌は、死に打ち勝ったキリストの勝利を歌って、祝いの讃美歌となっていく。
 バッハは恐らく1714年以前、30歳にならないうちにカンタータ第4番を作曲し、以後ライプツィヒでも何度か演奏したらしい。ルターの讃美歌の全7節のみを歌詞としながら、短い前奏を除けば、第4曲の合唱を中心に合唱、二重唱、独唱がシンメトリーに配されるから、この第4曲を中心のメッセージとしてとらえた構成だったと言えよう。つまり「これはすばらしい戦いだった」と歌い出し、「死がいのちと戦い、いのちが勝ちを収めた」と続くのである。私のことを言えば、第5曲のバリトンソロがルターの原詩に即してすばらしい。最終節では復活日の祝会にまで及ぶ歌詞である。
 ルターが信仰的にも、説教者としても、この歌詞にどれだけ信仰の思いを込めたかが分かるし、これに応えてまだ若いバッハがこれまたその音楽的表現に力を注いだことも分かる。
 この讃美歌こそは主の復活を祝うルーテル教会の、欠かすことのできない讃美歌である。イースターの福音を説き明かす説教の、喜びに溢れた力強さと共に、それぞれの教会でもたれる祝会の喜びと賑わいもまた、ただ一途に、死に対するキリストの勝利をわれわれのためのものとするものでなければなるまい。

ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より 
④愛されているから ヨハネ13:31-35

伊藤早奈

 神様。私たちはいろいろな物を通して、この世は神様から与えられる命に溢れていることを感じ、感謝ができます。年末に庭に植えた球根が年明けには芽を出して葉が伸び、今は黄色いチューリップの花を咲かせて心を和ませてくれています。一つの種が土の中で芽を出し、生かされている命を感謝いっぱいに咲かせます。この命もあの命も、そしてこの私の命でさえ、あなたに造られ愛されていることに感謝します。主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 皆さんにとって愛は何色ですか?どんな形をしていますか?
 愛には決まった色も形もありません。一人一人にとって違うように感じられるかもしれませんが、愛は確かなものです。
 では神様に愛されていない人はいますか?
 私は神様に愛されていないかもしれないと思う人はいるかもしれませんが、その人をも神様は愛されています。安心してください。全ての人は神様に愛されているのです。イエス様は語ります。「わたしがあなたがたを愛したように」と。私たち一人一人は間違いなく神様から愛されています。
 昔、私はこんなことを言われました。「自分を愛せない人は、他の人を愛せるはずがない」と。その人は「愛し方がわからない人に他の人を愛することはできないよ」と言いたかったのかもしれません。
 神様から愛されていることを知るならば、他の人をも愛することができるのではないでしょうか。神様の愛は人を束縛しません。色も形も決まっていません。私たちは神様にはなれませんが、神様に愛されている人間として生きることができます。神様から愛されて生かされていることを伝えることができます。 
神様は全ての人を愛しておられます。そしてそればかりか、「互いに愛し合いなさい」と一人一人を大切にしておられるイエス様を真似るようにと私たちを招いておられます。

日本福音ルーテル教会2016年度人事〔敬称略〕

●退職(2016年3 月31日付)
 大宮陸孝(定年引退)
 鈴木 浩(定年引退)
 東 和春(定年引退)
 坂本千歳(自己都合)
●新任
 秋久 潤
●人事異動(2016年4月1日付)
【北海道特別教区】
 小山 茂 函館教会
【東教区】
 浅野直樹Jr むさしの教会
 浅野直樹Sr  スオミ教会(主任)
 佐藤和宏 横須賀教会(主任)、横浜教会(主任)
 内藤新吾 津田沼教会(主任)
 渡邊賢次 飯田教会
【東海教区】
 秋久 潤 小鹿教会、清水教会
 富島裕史 沼津教会(主任)
【西教区】
 大柴譲治 大阪教会
 次期教区長 三原教会(主任)、福山教会 (主任)
【九州教区】
 立野泰博 鹿児島教会(主任)、阿久根教 会(主任)      
【教会事務局】
 滝田浩之 管財室長
 青田 勇 管財室参与(兼任)

●宣教師
【LEAF信徒宣教師】
ハンナ・ペンティネン 東教区付(2015年12
 月1日付)
【J3プログラム退任】(2016年3月31日付)
 ジェニファー・ロバーツ 文京カテリーナ、本郷 学生センター
 ブレント・ウィルキンソン ルーテル学院中学・高 校
【J3プログラム新任】(2016年4月1日付)
 カイリー・ホワイトヘッド ルーテル学院中学・高校
 ジェニファー・ジャーヴィー 文京カテリーナ、本郷 学生センター

●牧会委嘱(2016 年4月1日付/1年間)
 明比輝代彦 掛川・ 菊川教会
 内海 望 津田沼教会
 北尾一郎 横浜教会
 佐々木赫子 松山教会
 白髭 義 二日市教会、甘木教会
 鷲見達也 横須賀教会
 中村圭助 復活教会
 藤井邦夫 宇部教会
 渡邉 進 沼津教会

第26回総会期 第6回常議員会報告

事務局長 白川道生

 第26回総会期の第6回常議員会が、2月22日から24日にかけて、ルーテル市ヶ谷センターにて開催されました。

▼第6次綜合方策の進捗報告
 本常議員会は、来る5月の全国総会開催にあたり、2014年から協議を重ねてきた第26回総会期の道のりを常議員みなで振り返りました。
 2012年から2020年までを方策期間としてとりまとめられた「第6次綜合方策」では半分の4年を迎えたところです。広範に列挙された諸課題ですが、優先事項を絞って実現に取り組んできた実践報告が、総会議長以下教会事務局関連で8部門、5つの教区、そして7つの委員会、関連6団体からなされました。

▼人事事項
 2016年度の教職人事について。退職者が4名、新任が1名となりました。4月からの教職数は、国内外の宣教師と出向教師含め、現職が94名となりました。ここに9名の牧会委嘱の協力を加えた態勢で宣教に踏み出す決定をしました。

▼申請・提案・協議事項
 提案事項の承認では、会計年度の区切りに合わせ、決算・予算を審議しました。2015年度収支決算報告では、収益事業の増益が際立ち、財務状況は好転しました。
 他方、2016年度予算及び2017年度・2018年度の予算協議では、総じて、各個教会の基礎的財政力の減少傾向の認識が共有されました。
 しかしながら、必要な教会建物の保全・老朽化対策は各地で対処・実施されつつある現状も報告されています。
また、今期当初に、方針立案から実行計画の策定まで進めると具体的に取り組んできた事項について提案をしました。
「神学教育支援のあり方(2018年以降)」、「礼拝式文改定に関する件」、「海外宣教に関する件(ブラジル伝道)」、「宗教改革500年記念事業に関する件」と、いずれも将来像に大きく影響する重要な事項の審議となりました。
 積極性を保ちながら、同時に現実から目を離さず、主に託された宣教を推進するためと、今回のみならず議論を重ねてきました。
 適切な目標と根拠をもつよう意識した、常議員会としての提案が承認されました。これを来たる総会に諮ります。

▼第27回全国総会に向けて
 最終日3日目の協議では、第6次総合方策の主題に掲げられた「キリストに支えられ、育てられ、成長し、社会に仕える教会となろう」の実現に向けて、祈りと行動を結集してゆく、継承してきた「ひとつの日本福音ルーテル教会」を確認する総会となるように、議案と概要がまとまりました。
 詳細は、順次、教会宛に送付される資料を確認ください。合わせて本常議員会議事録もお読みください。

宗教改革500年「隠された宝を明るみに」

 音楽ジャーナリストがルターと宗教改革に触れ「『聖書を読もう』とドイツ語翻訳したことで印刷技術を進化させ、賛美歌までつくった。免罪符がまかり通っていた時代に、『ただお説教を聴くだけではなく、みんなで参加しよう』という『参加型ミサ』がどれだけ革新的だったことだろう。」(高野麻衣オフィシャルサイト「Salonette」http://www.salonette.net/)と書いています。その記事を読み、改めて宗教改革の意味を考えさせられ、また私たちが当たり前にしていることがどれほど貴いことであるのかを思いました。そして教会には福音・聖書・賛美歌・主にある交わりなど、多くの宝があるのに、それをなかなか教会外の方々に自信を持ってお分かちできていないことを思わされました。
 宗教改革500年は、教会が意図せず隠してしまっている宝を明るみに出すまたとない機会であると思います。そして一緒に味わうことへ参加を呼びかける機会としていきたいと思います。
 宗教改革500年推奨図書の指定はその一環です。また教会と福祉施設や教育施設へと広がるその働きのつながりを知らせるバナーキャンペーンでは、全国各地にてバナー掲示にご協力をいただいています。現在、準備が進められているのは、ヤツオリキャンペーンとプレゼントブックキャンペーンです。ヤツオリとは、新聞全紙大の紙を折り畳んでつくる新しいメディアです。この道具を用いて、ルターと宗教改革の精神と現代との関係を楽しく面白く眺める機会を広く提供したいと考えています。プレゼントブックは、ルターの心また発見からのメッセージを、特に若い世代に対して人生の励ましとして届ける本です。どちらもキリスト教に馴染みの薄い方々に、そしてばらまくのではなく、大切な関係の中で届けていきたいと考えています。手に取ることのできるもので、隠された宝を届けていきたいと思います。
 また、インターネットというメディアも活用し、500年を機に寄せられる関心に応えることにも取り組んでいます。情報サイト「Info Reformation500」(http://luther500.wix.com/jelc)も用いて、500年前の出来事とその意義ばかりか、その後に紡がれてきた「争いから交わりへ」との歩みをも宝として明るみに出して行きます。皆で取り組むこれらの事業への募金にも連なっていただけますと幸いです。(広報室)

公 告

   この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2016年4月15日
 宗教法人 日本福音ルーテル教会 代表役員 立山忠浩

信徒利害関係人 各位

挙母教会会堂・集会室・牧師館建築
 所在地 豊田市桜町1丁目78番地2、79番地
  家屋番号 79番
 ・種類 教会
 ・構造 鉄骨造ステンレス銅版ぶき・陸屋根3  階建
 ・面積 1階214・77㎡
     2階 67・26㎡
     3階 90・65㎡
 ・理由 新たな会堂・集会室・牧師館が完成した。
 

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