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るうてる2020年6月号

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説教「勇気を出しなさい」

日本福音ルーテル水俣・八 代・鹿児島・阿久根教会  関 満能

「ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。」(マルコによる福音書6・48~50)

勇気を出しなさい」
正直、『るうてる』6月号の巻頭説教に何を書いたら良いのか迷いました。
私がこれを書いているのは5月1日ですが、熊本でも感染症対策のために礼拝休止の延長を決定した教会が多数あります。そして、それは熊本に限ったことではないでしょう。この事態の中で、礼拝について、信仰生活について、またもっと広く教会について考えさせられています。
時代がコロナ以前とコロナ以降に分けられると言われることもあります。世界や社会が大きく変わっていく中で、そこに存在する教会も現に対応が求められ、礼拝のあり方など変化が必要とされてきているところだと思います。そして、それはときに不安や恐れを伴うものでもあるでしょう。この中で私たちにはどんなみ言葉が与えられていくのでしょうか。
私には、逆風のために湖の上でなかなか前に進めないでいる弟子たちに向けて語られたイエスさまの言葉が響いてきました。湖の上を歩いてきたイエスさまを幽霊だと思い、怯えて絶叫する弟子たちにイエスさまが語られた言葉です。
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」(新共同訳マルコ6・50)
ところで、聖書協会共同訳では直訳として次の言葉が紹介されています。
「勇気を出しなさい。私だ。恐れることはない。」(聖書協会共同訳マルコ6・50注d)
「安心しなさい」と「勇気を出しなさい」。同じ言葉が二通りに訳されています。この二通りの翻訳から次のような印象を受けました。
「安心しなさい」との言葉からは、イエスさまのもとでホッと一息ついたり、ちょっと休んだりするようなこと。一方で「勇気を出しなさい」との言葉からは、イエスさまから強く押し出されていくようなことをイメージしました。
そして、この2つのイメージが1つの言葉に内包されていることは、安心することと勇気を出すこととのつながりを示しているのかもしれません。歩き始めたばかりの子どもが自由に世界を広げて冒険していけるのは、たとえ転んでしまっても絶対的に安心できる親という存在がいるからであるように、歩いて転んでは神の許に返り、また勇気を出して歩き始めるというサイクルが見えてきます。
そして、私は、このイエスさまの言葉に強く背中を押されるような思いになりました。
弟子たちがいたのは風が強い湖の上です。何かあったら溺れてしまうかもしれない危険や恐れがあります。また、湖の上で漕ぎ悩み、事態が思うようにいかないもどかしさやこのままでいいのかという心配もあったでしょう。しまいにはイエスさまさえも幽霊だと見間違えてしまう中で、つまり神不在のように思える中で何が神さまのみ心なのか分からない孤独と不安とがあったかもしれません。幽霊が来たと思ったときには、「もうダメだ」とすら思ったでしょう。

けれども、イエスさまはすぐに彼らに向かって開口一番言われました。
「勇気を出しなさい。」
イエスさまは、前に進めないでいる弟子たちに向かって言われます。「勇気を出しなさい。」恐れの中に取り残されてしまった弟子たちに向かって言われます。「勇気を出しなさい。」そして神さまもイエスさまも見えない中にある弟子たちに向かって言われます。「勇気を出しなさい。」
私たちは、加速していく世界の流れの中で、またそこに生きる人びとに向かっていく中でなかなか前進できないことがあるかもしれません。不安や恐れがあって新しいことに一歩踏み出せないこともあります。何よりも神さまのみ心を尋ねながら、それが分からない中で停滞してしまうことも起こりえます。
そんな私たちに向けてイエスさまは言われるのでしょう。「勇気を出しなさい。恐れることはない。私がいないように思えても、私がここにいる。私だ。私が確かにあなたと共にいるのだ。安心して、さあ、行こう。舟を漕ぎ進めていこう。大丈夫。勇気を出して、この世界を共に行こう。」

 

エッセイ 命のことば   伊藤早奈

③「月」

「神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。」(創世記1・3)

「わぁ眩しい、何の光だろう。外を見て来てくれる?」と、車椅子で簡単には外に出られない私は家族の一人に頼みました。いつもより強く感じる光が真っ暗な玄関の上の方の窓から差し込んでいたからです。あまりにも明るいと、それはそれで不安になるものですね。
「向かいの家の方何かあったのかしら?」玄関の戸を開けたまま家族の一人が外へ出てくれました。
家の人「何にも無いよ。」私「じゃぁ何だろう?」家の人「月じゃない。」私「・・・あっかるいねぇ。」
満月でも何でも無い月が暗い夜空を照らしていました。
それまでいくら月を見ても思い出さなかったのに、不思議なことにその時、私は25年前、阪神淡路大震災で震災に遭った友達がくれた文章を思い出しました。それはこのような文章でした。「(地震で)何も無くなった暗い夜、月だけは変わらずそこにいて、私を照らしてくれて、なんか場所も示してくれるし、安心しました。」
その文章を読んだとき、ニュースで観た情景や想像の中の景色がブァッと広がり、なんとも言えない気持ちになったのを思い出しました。その友達にとって、その時見た月の変わらない光がいつもある存在として確かなものに感じられたんだな、と思わされたことをまた思い出すことができました。
今もいつも変わらずそこに在る存在。安心する存在。道しるべ。それは神様もだ。
神様いつもありがとうございます。

 

議長室から 総会議長 大柴譲治

それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。」(使徒言行録2・33)

聖霊降臨については神学生時代に伺った新約学教授・間垣洋助先生の「使徒行伝」の講義での言葉を想起します。まだ新共同訳聖書が出る前でしたので「使徒行伝」と呼ばれていました。間垣先生は大学では学問としての新約学を大変厳しく指導してくださいました。しかし神学校に入った途端に「あなたたちは牧師となり、説教をするのだから」と言われて印象は一変し、とても温厚になられたことを思い起こします。私はそこから、学問的に真理を探究する際の真摯さと牧会者として温かく実存的に聖書を人々と分かち合うことの両面をバランスよく保つことを学ばせていただいたように思います。その時間垣先生は開口一番こう言われました。「使徒行伝には主として、前半はペトロの、後半はパウロの言動が記されています。しかし本当の主人公はペトロでもパウロでもなく、彼らを捉えて立て、派遣し用いてゆかれた神の聖霊です。だからそれは『使徒行伝』というよりも『聖霊行伝』と呼ばれるべき書物です」と。40年近く前の言葉ですがストンと腑に落ちました。続けてこう言われました。「使徒行伝には28章ある。しかし、聖書は閉ざされた(完結した)書物ではありません。神の聖霊があなたがたを捉え、あなたがたを用いて29章以降を書き加えてゆくのです」と。神の聖霊は今ここでも働いていて、その救いの歴史は未来に向かって開かれています。
私の専門領域の一つに「スピリチュアルケア」があります。WHOは人間のウェルビーイング(安寧)のためには「身体的」「精神的」「社会的」「霊的」なニーズに応えることが大切と説いています。そこに「知的」ニーズも加えられるでしょうか。聖書で「スピリット」とは「霊」とも「息」とも「風」とも訳される語です。そこからそれは「(向かい合う人の)魂への配慮」とも「(自分の)魂による配慮」とも、また「(自他の)呼吸に関するケア」とも理解できます。しかし「神の霊によるケア」という次元も押さえておきたいのです。「聖霊行伝」を神の聖霊による「スピリチュアルケア」の記録として読むこともできる。主なる神は私たち一人ひとりの「魂」が現実の中でどれほど飢え渇き苦しんでいるかを、そのニーズを充たすために何が必要であるかを誰よりもよくご存知です。神がその「いのちの息吹」によってお一人おひとりの今ここでのニーズを豊かに満たしてくださるようにお祈りしています。
シャローム。

 

賛美歌と私たち

賛美歌は未来予想図(12) 小澤周平(名古屋めぐみ教会牧師)

以前、私は、フィンランドでカントール(教会音楽家)をしている友人に、礼拝の「前奏」の曲選びについて尋ねたことがありました。オルガンを弾けない私は、オルガニストの方から受けた質問に上手く回答できずにいたからです。
その答えはシンプルでした。礼拝の「前奏」は、最初の賛美歌(招きの賛美歌)の旋律を基本に奏楽者が編曲するか曲集から選ぶ、基本的には教会暦にふさわしいものになる、とのこと。なぜなら、礼拝の「前奏」は、礼拝へ、そして、最初の賛美歌のことばへ、日課の聖書箇所へ、参加者の心を整えるという役割があるからです。なるほど、道理にかなっているなぁと納得しました。そして、逆算すると、礼拝の賛美歌選びこそ重要とも分かり、私自身、猛省しました。
私たちは礼拝から日々の信仰生活へ送り出されます。だから、賛美歌を通して心を整え、礼拝全体からテーマとなる聖書の言葉を受け取ることは、主にある日々の未来予想図を得ることなのです。加えて、礼拝から送り出された私たちは、福音を伝え合い、教会の未来予想図を描く者にもされていくのです。
現在の教会を考えると、確かに、課題もあります。例えば、既存の歌集への物足りなさを訴える声を聞きます。あるいは、教会音楽へのより深い理解を求める声もあります。また、全国的な教会規模の縮小ゆえに、奏楽者不在の礼拝も少なくない状況ですし、教会全体での賛美歌の議論が後回しとも聞きます。
しかし、歴史を眺めて分かる通り、今は決して悲観するような状況ではありません。わずかな工夫や変化によって、状況が改善したという話も沢山聞きます。そして、増補版歌集のことや、共通歌集の議論が進んでいることなど、希望ある情報も。
この連載は終わりになりますが、またいつか、この続きを。一年間、お付き合い頂き、ありがとうございました。そして、執筆を支えてくださった皆様に感謝いたします。神様の祝福がありますように。(終)

 

エッセイ「礼拝なき主日?あらためて主日を思う」

宮本 新(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校専任講師)

私たちは教会暦を大切に扱う教会ではあるが、時折、日々のカレンダーとの間に折り合いを要する場面がある。降誕祭はその代表例であり、年によって待降節でありながら礼拝後にクリスマス祝会を行うこともある。また兼任体制などの事情で礼拝時間を変更する場合、主日と曜日の関係が問われることもある。ルーテル教会はこれに柔軟に対応してきた。
しかしその根拠は?本稿は元々、エキュメニズム委員会における同様の議論を誌面にて紹介する趣旨であった。その柔軟性は他の教派・教会との対話の主題になることが判明したからだ。他方でその柔軟性はルターが明らかにした硬質かつ徹底した福音理解に裏付けられている。それを欠いた柔軟さは、「いい加減さ」と紙一重の関係にある。
ところが今、このようなことを考える脈絡が大きく変化している。新型コロナウイルスの対応から、教会と主日礼拝に未曽有の変化が到来しているのだ。
多くの教会が主日礼拝の休止や、その在り方を制限する事態となり、礼拝のネット中継や配信の実施が加速している。私たちは今悩みと試行錯誤の渦中にある。しかし本稿の主題に関連して気付かされたこともある。
今回のことは私たちにとって未曽有な体験であるが、教会史において未曽有とは言い切れるものではない。むしろ繰り返し経験されてきた脅威であり、宗教改革の背景でもあり、そこで教会人は終末的な出来事に向き合い、不安や恐れに飲み込まれ、時に脅迫めいた言説に惑わされる失敗を繰り返しながら、「み言葉に聞く」や「礼拝を守る」が一体何を意味するのか身をもって証言し、命がけでつかんだ言葉がある。ルターの鋭意な主日理解はそのような証言と解するのが今は自然に思える。
1527年、ある町に腺ペストが来襲し、牧師たちの間で「キリスト者はペストに際会し逃げるべきか否か」をめぐり意見の相違が生じた。
ルターは公開書簡をもってこれに応じ、心をこめて励まし、逃げる人も逃げない人もなすべきことがあることを伝える。それが、祈りだ。まず、自らの命を神の御手にゆだね、その守りを祈る。そして家や通りを消毒し、きちんと薬を服用すること。そして自分が感染源にならないよう用心し、自分と隣人の身体の健康を真剣に配慮すること。そしてひとたび誰かに必要とされるなら、「そのために大胆に行動しよう」と。
そしてこういった一つ一つの事柄こそが「神を畏れる信仰」の内実である、とつづっている。人はルターに「あれか、これか」を尋ねるが、ルターはいわば人が逃げても逃げなくても変わらない中心事を指し示している。この場合、(神)信仰と(隣人)愛がそれにあたる。主を深く信頼し、恵みのみ業を思いめぐらし、期待する。
そこで考え抜かれた主日礼拝の捉え方はこの自然的・世界的脅威に面しても色あせることはない。むしろ耳を傾けるみ言葉があり、祈るべき事柄を教え、目撃する恵みのみ業へと向かわせる。
これが私たちに今なお約束されていることであり、また逸れないよう託せられている事柄でもある。それにしても、こう思う。早く主日礼拝を共にしたいものだ、と。

 

るうてる法人会連合の 取り組みから

日本でのルーテル教会の宣教はその初期から教育・社会福祉の分野と深く関わってきました。2002年、伝道(宗教法人)・教育(学校法人)・奉仕(社会福祉法人)の働きをこの世全体に向けられたものとして綜合的に捉え直し、福音的信仰に立って新たな宣教の展開へと向かうことを目指して、「るうてる法人会連合」が結成されました。各分野の現在の取り組みを紹介いたします。

〈ルーテル学校法人会〉石居基夫(ルーテル学院大学学長)

ルーテル学校法人会は、2003年に日本福音ルーテル教会関係のルーテル学院、九州学院、九州ルーテル学院の3つの学校法人がその教育的宣教の目的において 協働していくために設立されました。当初は、法人一本化なども視野に入れつつ教職員間で研修・研究なども行ないましたが、結論としては、現状において合同にメリットはないと判断されています。それぞれの自主自立を堅持した中での協働を生み出していくことがより現実的であるとして活動を続けているのが実情です。
実際には、この3法人にとどまらず、日本ルーテル教団関連の2つの学校法人、聖望学園と浦和ルーテル学院とを含めた5法人で40年以上続けてきた「ルーテル諸学校」において、日本におけるルーテル教会の教育宣教の具体的協働を実現してきています。「代表者会」をもってそれぞれの経営の責任を負う者たちが現状を報告し合い、共に学び、与えられた使命を実現できるように具体的協働活動を生み出してきたのです。
その一つは、夏に神戸ルーテル神学校を会場に行われる夏期研修会で、「ミッションスクールで働く誇りと感謝と喜び」を主題に掲げ、現場を取り巻く様々な課題について研修を行ってきました。 今一つは、キャンパスミッション協議会であり、学校のキリスト教教育活動と地域教会との連携を強化しつつ、青少年にキリストの福音を伝える働きを強化する取り組みを重ねてきています。

〈ルーテル社会福祉協会〉中島康文(ルーテル社会福祉協会 会長・市川・小岩教会牧師)

協会の発足は1976年1月14日です。発足当初の会則には、以下のような前文が記されています。「神の恩寵豊かならんことを祈ります。従来、日本福音ルーテル教会常議員会の決議によって、米国のルーテル教会の援助をうけて設立された社会福祉法人が1975年から完全に自給経営することになりました。つきましては、各法人が日本福音ルーテル教会設立の施設として、設立の精神を高揚し、教会の要請に応答するのは勿論のこと、新しい時代に即応して、さらに日本の社会福祉界に貢献する新態勢をつくりだす必要性を痛感します。共通の問題、協同の活動にとりくみ、連絡、調整、調査、研究、その他の協議をおこない、神の委託の実現に万全を期するため『ルーテル社会福祉協会』を結成するものであります。」この主旨は今も変わらず堅持され、神と人とに仕えつつ、教会・社会に貢献すべく法人となるために、信仰を同じくする社会福祉法人が共働していこうとしています。
協会を発足させたものの、活動が活発に行われるようになったのは、1995年以降のことです。社会福祉関連8法が改正され、社会福祉の在り方に更に大きな変化が見られたことから、協会も定期的に総会が開催されるようになり、また、ルーテル教会内の「法人会連合」、他のキリスト教社会福祉を実践している組織等と協力体制を整えてきました。現在は11の法人が加盟し、会報を発行し運営委員会を組織して、「ルーテルの信仰を土台とする働き」を結集しようとしています。

〈ルーテル幼稚園・保育園連合会〉和田憲明(ルーテル幼稚園・保育園連合会会長・箱崎・聖ペトロ・二日市・長崎教会牧師)

ルーテル幼稚園・保育園連合会の組織は、日本福音ルーテル教会内の49園で構成されています。内訳は幼稚園15園、認定こども園11園、保育園23園(『教会手帳』住所録参照)です。役員(会長、書記、会計)は、10年前まで教区毎に持ち回りで交代を行っていました。しかし園の減少や人材不足の課題などにより現在、およそ2年毎のペースで東教区と九州教区の間を行き来しています。
昨年10月より「子ども・子育て支援新制度」が始まり、保育料無償化が行われ事務的対応を迫られました。そのため昨夏の研修においては、キリスト教保育の立場から新教育、保育要領にむけて「新キリスト教保育方針」の学びを深めました。
今夏も年に1度の全国夏期研修会を広島で行う予定でしたが、新型コロナウイルスの対応で中止を余儀なくされました。保育の現場も変わらざるをえない今、新たなかたちを模索しなくてはなりません。SNSを駆使した取り組みを、それぞれの園で試行錯誤している状況ではないでしょうか。私どもの園も事始めに周囲の園をリサーチしたところ、「田園調布ルーテル幼稚園」のサイトに目が留まりました。早速園にお聞きしたところ、より広く園でのキリスト教保育の実践を知ってもらうためにスタッフで議論し、チャレンジしているとのこと。すでに私たちの大きな問題ですから、一見に如かず、でぜひ一度サイトをご覧ください。感想をわかちあい、試みを互いにシェアし、新たなミッションを生み出していく会になれればと願います。

 

パンデミックの中のディアコニア

「明日へ命をつなぐ『日ごとの糧』を届ける」久保彩奈  (ちかちゅう給食代表・本郷教会)

3月下旬、野宿の方に「いつもありがとう。でも今回のことばかりは…。俺たちのために本当にありがとう」と涙ながらに言われ、私も泣きそうになりました。
東京都渋谷の炊き出しは3月で半減、緊急事態宣言を受けさらに半減しました。野宿を余儀なくされている人々は何日も食べられず「コロナの前に餓死する」と口々に言うほどの状況です。私自身渋谷で12年間活動してきましたが、今まで見たことがないほどの壮絶な飢えが路上にあります。また「住所」(住民票)がないためマスクも届かず、現行案では給付も受けられません。支援者たちと連携し行政と交渉中です。
現状を鑑みて4月からは通常月2回の活動を、週2回実施すると決定した直後に、冒頭の出来事がありました。通常は10人以上の仲間と準備していましたが、現在ボランティアは募集せず、代表の久保、連れ合いの片岡平和、前代表の3人で活動しています。食事を届ける小さな活動ですが、明日へ命をつなぐ「日ごとの糧」を届けています。すでにお支えくださった皆さんへ、心から感謝申し上げます。
ただ月2回の活動を週2回の4倍に増やし、毎回120人以上の方が給食に来られる為、費用が嵩んでいます。本来すべての人が日ごとの糧を得られる社会になることが私たちの夢です。しかしこの状況がいつまで続くのか不透明ですし、引き続きご支援いただけると幸いです。

ゆうちょ振替口座
00110―3―456889 ゆうちょ銀行口座 支店019 当座0456889
名義「聖公会野宿者支援活動・渋谷」
(名義は以前の活動名のままですが、ちかちゅう給食の献金として使われます)

 

「ほしくずの会の活動」安藤淑子(ほしくずの会活動委員会会長・蒲田教会)

30年ほど前に荒川と台東両区に跨る 「さんや」の路上生活者を対象に、カトリックの中村訓子シスターが中心になり「ほしのいえ」の活動を始めました。その後、ルーテル教会員がほしのいえを支える「ほしくずの会」を発足させ1992年12月に毎週火曜日の夜にはさんやでお握りを配り始めました。
数年前まではお握りは750個ほど即ち370人位の方にお味噌汁と一緒に配っていましたが、現在はその半分以下300個ほどを準備しています。お握りの数が半減した理由の一つはさんやの路上生活者が高齢化し、生活保護受給者になったからと言われています。
今回のコロナウイルス拡散はほしのいえの活動にも影響を及ぼしています。お握りとお味噌汁作りは、30平方メートル程の狭い部屋で10人、時には15人もの人々によってなされているからです。狭い部屋で、肘と肘が触る程の間隔でのお握り作りはいわゆる3密の危険を冒すことになります。ルーテル教会員のボランティア女性達は高齢者や基礎疾患持ちが多いこともあり、お味噌汁作りは4月から休止となりました。お握り作りは、さんや地区近隣の炊き出しで中止になっているところが多いこと、また地元の男性が続けて参加されている等の理由で、続けています。
数年前からのほしのいえとほしくずの会の会報を見ますと、献金をお寄せくださっている方々は高齢者が多くまた献金額も減少していることがわかります。ボランティアは多いのですが食材購入及び家賃を払う資金が不足しています。

 

これからの各教区の課題と展開

北海道特別教区 小泉 基(北海道特別教区長・ 函館教会牧師)

北海道特別教区の40年目のあゆみが始まりました。今期からは、6つの会堂をもつ4つの教会による一致したあゆみです。規模が小さいことのメリットを活かして、フットワークよく取り組みをすすめていきたいと思います。
さっそくウェブ会議システムを導入して定期的な牧師会をはじめました。隣の教会まで車で5時間もかかるような地域にあって、IT技術も大きな助けになると実感しています。
さて、現在の教区の最大の課題は、全体教会からの支援金が減少していく中でも教区財政を破綻させないことです。そのため今期からさらに緊縮財政が徹底されます。お金が足りない分は創意と工夫で乗り切っていきたいと思います。
これは今回のコロナ禍以前からの計画だったのですが、今期の取り組みの主眼は各教会の足腰の強化におかれています。そのため今期は教区全体の行事の開催を見送り、各個教会の宣教強化プランを教区が支援する計画が立てられました。
一方で、離れているからこそ共に集って思いをあわせることの必要性も感じています。しかし各個教会においてすら集って活動することが難しい今、困難な中にある世界と信仰の仲間のことを思って、教区に属する全員で1日1回主の祈りを祈りましょう、との呼びかけがなされています。 教区の仲間の顔を思い浮かべながら祈る主の祈りによって、祈りによる一致が生まれていくと信じています。

 

東教区 松岡俊一郎(東教区長・ 大岡山教会牧師)

東教区は、来年度から始まる新しい第7次宣教方策「新しい教会を目指して」の作成の準備を進めています。37教会を教会現場では31人の教師+3信徒宣教師で牧会しており、この他ルーテル学院・神学校、教会事務局、本郷学生センター等で10名が働いています。またこれらの教師が福祉施設や幼児教育の場で働いています。
これからの10年、教区内の定年を迎える牧師が多いことと牧師の充足率の公平感を考えると、これまでの1教会1牧師の人事配置が難しくなることが見えており、これにどのように対応するかが直近の課題となっています。
兼牧体制は当然のこと、中・長期的には教会や地区の再編も視野に入れています。各教会・各地区の意見を聞きながら、それぞれの立場で考えていただき、集約する形での宣教方策としたいと思います。
今年に入り、新型コロナウイルスへの対応が急浮上しました。感染増加が著しい首都圏を抱える教区として、各教会への礼拝と集会休止の提案、受難週と復活祭のための「個人・家庭礼拝のしおり」を発行、東教区NEXTと教育部の共同で教会学校と子ども礼拝への働きかけを行っています。
この感染症がいつ収束するのかまだ見えていませんが、状況次第によっては、1つの場所に集って礼拝をするというこれまでの教会と礼拝の概念を見直す必要があるかもしれません。
その先駆けになるかどうかは分かりませんが、常議員会をウェブ会議で始める準備をしています。

東海教区 徳弘浩隆(東海教区長・大垣・ 岐阜・ 新霊山・知多教会牧師)

昨年帰国し、初めての東海教区。今までの所属は、西教区、東教区、教会事務局、ブラジルです。帰国1年で教区長に選出され、驚きと恐縮の気持ちです。
働き場の違いはあれど、危機感は同じ。むしろ、より現実のものとなりました。また、10年外国で働き、宣教師の教会の良さとそれに慣れ「自立した教会」になることの難しさを、宣教師の側からも見、考えさせられました。
東海教区は「宣教共同態勢」と「福祉村構想」が両輪です。「人件費共同拠出金制度」で他教区の「特別協力金」を超えた、より実質的な支え合いの制度で宣教に当たっています。
しかし牧師充足率は48%となり、1教会に2~3の礼拝所を持つ所や施設併設のところもあり、牧師の兼任は激務です。一方、信徒の方々は大きな宝で、教会を支え、信徒説教者にも教区で取り組み、司式や説教奉仕をする方もおられます。
課題と取組みは、①牧師が無理なく働ける環境づくり、霊肉の健康維持への対策、②信徒の育成と更なる奉仕の場整備、③次世代育成と献身者育成、④福祉を宣教に生かせる流れ作り、⑤教会事務や文書管理の電子化による事務負担軽減・経費削減による伝道費確保で伝道の振起、⑥必要なら教会再編や老朽化教会・牧師館対策、⑦地区見直しの可能性、⑧教区規則見直し、⑨災害対応キットと 救援チームの設置、⑩日本在住外国人宣教などを挙げ、常議員会で話し合いました。新型コロナウイルス感染症(COVID?-19)対策もあり、ウェブ会議や各層メイリングリストでの会議、文書電子化のためのグループウエア利用も取組み始めています。COVID-19で思い知らされるSDGsへの教会としての悔い改めや取り組みも必要です。丁寧に話し合い、より良い教会の在り方を共に夢見ながら歩みたいと思っています。

西教区 水原一郎(西教区長・シオン教会牧師)

先の教区総会に於いて、西教区長に選出されました。出身は板橋教会、これまで、千葉県の稔台教会が3年、福岡県の久留米/田主丸/大牟田教会が7年でした。現在は山口・島根県のシオン教会(柳井・徳山・防府・六日市、「一粒の麦(柳井)」、「心促協会(防府)」で7年目の春を迎えています。趣味は縄飛び。30分で3千5百回跳べるようになりました。
さて、「教区の課題と展望」をこの場で問われました。教区の役割とは、各教会が直面する課題や地域の事柄を担い、祈り、そして共に歩んで行くことにあると思います。教会を起点・基点として生活されている信徒の方の思いと願いを、これまでの教区常議員会が丁寧に寄り添い、聞いて行ったことに倣い、今後の歩みを共に整えて行くこと。畿内・中国・四国地域で、複数の教会(礼拝所)をカバーする教職とその家族が配置されている現実を、その生の息吹において理解すること。それらを大切にしたいと思います。 そして「釜ヶ崎活動」については、信徒の皆さま・教会・教派を含め全国の皆さまからのご支援を頂いております。本当にありがとうございます。今後もどうぞ続けてお支えをよろしくお願いいたします。
教区の今後の展望は、同じ総会で選出され、信任されたお一人おひとりと共に担うものであると思います。共に担ってくれる大切な仲間です。困難な時代ではありますが、主から託されたものを引き継ぐために努力していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

九州教区 角本 浩(九州教区長・神水・荒尾・合志・松橋教会牧師)

今期、宣教方策として、「20年後に持続可能な教会へ ワンチーム九州」と銘打ち、牧師が住んでいない教会を、互いにカバーし合っていく方向を目指しています。昨年、久留米教会、田主丸教会、大牟田教会、日善幼稚園の働きを、たくさんの人々の協力で担い合ったことで、ひとつとなる力を改めて感じたことも契機と言えるでしょう。ひとつの方法として、すでに阿久根教会、鹿児島教会、大江教会で展開されているテレビ中継による礼拝を広げていけるか、検討していきます。
牧師数減少に伴って、新しい形になった具体的な1つは、室園教会の牧師が、九州ルーテル学院大学チャプレンを兼務するということです。関わる牧師の労力は多くなるでしょう。働き方改革も必要です。でも、学校と教会をこれまで以上に強く結び付けていくことができます。その意義を、積極的に受け止めています。
「九州教区はまさに法人会連合」です。ほとんどの地域で、社会福祉法人、学校法人、宗教法人が入り混じって宣教を行っています。実に恵まれたことです。今後も、その連携を大切にして行きたいと願っています。
新型コロナウイルスの影響によるものとはいえ、今春、およそ20年ぶりに教区総会で教職授任按手式が行われました。この厳粛な儀式に初めて参列した方々も多かったと思います。新しい息吹を多くの方々で共有できたことを感謝しております。
これからも九州教区をよろしくお願いします。皆様のうえに祝福がありますように。

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