「真の神を伝える」

使徒言行録17章24節~25節はパウロがアテネのアレオパゴスで人々に福音を宣べ伝えている箇所です。すべてのアテネ人やそこに滞在する外国人は、何か耳新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていた、と記されています。
浜松教会は国立大学の工学部の目の前に位置していますが、学生の皆さんはなかなか教会には来ません。そして、いつも考えていることは、教会に集う私たちと大学生の皆さん、一体何が違うのだろうかということです。もちろん、これまで何名かの大学生と縁あってお話したことはありますが、皆さん本当に素直な若者たちです。けれども、聖書のことや礼拝について伝えようと思っても、今や私の方から押し付けるような話もできません。いつも今の若者たちが信仰を持つにはどんなハードルがあるのか無意識に考えながら過ごしています。
私たちは聖書に記されていて、教会でも大切に伝えられてきた三位一体の神様を信じていますが、大学生の皆さんにとっては神様の存在は自明なことではありません。私たちの信じる神様を知らないか、知っていたとしても、自分とは無関係であると考えているかもしれません。私たちはイエス様に贖われた罪人ですが、大学生の皆さんにとっては聖書における罪すらも自明なことではありません。聖書や使徒信条やニケア信条にあるような終わりの時の裁きについて、私たちと認識を共有する部分もほとんどないでしょう。今の日本人として生まれたごく普通の若者たちに、私たちの教会の中で共有されている信仰について、どうしたら真の神、真の信仰、私たちの罪人としての姿について伝えることができるのか、考えれば考えるほどに難しさを思います。
新しい知識を探求するのが大好きであったアテネの人々に、パウロが死者の中からの復活について話した時のことです。ある者は嘲笑い、ある者は「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言っています。浜松で牧師をしている私だけではなく、現代の日本や先進諸国で直面しているキリスト教会の宣教の困難さを示すものであることを思います。けれども、その先には「しかし、彼に付いて行って信仰に入った者も何人かいた」とも記されています。私たちの日本福音ルーテル教会にあって、宣教の難しさを感じる時代かもしれませんが、私たちにとっての大きな励ましであることを思います。
大学生への働きかけもなかなかうまくいかないことも多い浜松教会ですが、これまで大切にしてきた働きがあります。それは外国からの留学生の方々の受け入れです。母国を離れて日本で過ごされる留学生の方々は、大学院の修士課程か博士課程の数年間在学をして、ある方は母国に帰りますし、ある方は日本国内に職を得て働かれています。そのような方々にとっての信仰的にも精神的にもよりどころとなるという働きを続けてきました。これまで多くはありませんが、断続的にクリスチャンの留学生が礼拝に出席してくださっています。そして、留学生の方々との信仰における交わりを通して、民族や文化や言葉の壁を乗り越えて、親しい交わりが与えられています。母国を離れて暮らす留学生の方々にとって大切なコミュニティーとなります。その方々を通して、古くからの教会の皆さんも信仰的に良いものを与えられるということを経験します。もちろんのこと、私たちは、これからも邦人の大学生に対しても、祈りつつ何か良い働きができないか引き続き考えていきたいと思います。
浜松教会に着任をした後、2024年春からは浜名教会を離れ、新霊山教会とデンマーク牧場福祉会での働きも始まっていますが、これからも神様の御心のままに、この遠州の地で牧師として働き、教会の皆さん、施設の職員や入居者の皆さんと共に歩み、共に生きていきたいと思っています。また、日本各地で続けられている日本福音ルーテル教会のよい宣教が、これからも続けられていきますようにお祈りします。
「アテネで説教する聖パウロ」(1515年)ラファエロ・サンツィ
