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機関紙るうてる

るうてる2017年12月号

説教「一人の歌声にあなたの歌声を合わせよう」

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神戸教会、神戸東教会、西宮教会 牧師 松本義宣

「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
                      (ルカによる福音書2・14)

その夜、天使と天の大軍が賛美しました。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」神にあれ、人にあれ。「あるように」という願望や祈りのようです。まだ無いから「あるように」なのでしょうか。 
 確かに今は「地には平和」があるようには思えない。しかし、「いと高きところ」、つまり神様のところにも「栄光あれ」というのはどういうことなのでしょうか。神の栄光とは、神様のすばらしさのことですそれも「あれ 」と願うべきものなのか。天の使いの賛美にしては奇妙です。
 実は、ここを「あれ・あるように」と訳すのは単なる慣習で、元々は「いと高き所には神に栄光、地にはみ心に適う人に平和」という名詞だけです。むしろ、天使のお告げですから、「ある」との宣言のようでもあります。
 直前に天使は「救い主がお生まれになった」と喜びを知らせます。ですから、もし動詞を補うならば、「天に栄光がある。(だから)地にも御心に適う人に平和があれ」か、さらに言えば、「御心に適う人」とは、神のみ旨に聞き従う者ですから、今お生まれになるみ子イエスを「救い主」として聞く者、受け入れる者が、御心に適う人です。従って、このキリストこそが天使たちが歌う「平和」であり、それが御心に適う人にある。
 それは「あれ」、ありますようにとの願望ではない、もう既に「ある」、今「実現した「地には」平和がある」との告知なのではないでしょうか。
 
 もちろん、私たちの地には、平和とは程遠い現実があります。一方、イエス様は「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5・9)と語ります。御心に適う者、平和であるキリストに従う者、平和を実現する者は「神の子」と呼ばれます。つまり、何より神の栄光を、その人々が表し、実現させるのです。神の栄光は、その子とされた御心に適う者が実現させる平和によって現れる。むしろ「地には平和がある。それが天の栄光を現わす」のです。そのために、神様は救い主を、地の平和として贈られたのです。それだけではない。平和の実現のために、あなたを、私を、隣人を造られた。真の平和のために、私たち一人一人が造られ、栄光を現わすために私たちがいる、そう天使は告げます。天の栄光と地の平和はそこで実現する。その意味で、逆に、天使ではなく私たちが真剣に祈り、行動すべきです。「地には平和あれ。そして天の栄光が実現されますように」と。

 ドイツに「クリスマスの天使の歌」というお話があります。
 『クリスマス、天では天使たちの賛美が響いていた。しかし、一人の天使がその歌声に加わっていなかった。それに気づいた聖ペトロはその天使を呼んで尋ねた。「どうして君は歌わないのだい?」。天使は答えた。「戦争やテロ、抑圧や貧困、病や孤独が満ちている時に歌っている場合じゃないでしょう。とてもそんな気になれません」。すると聖ペトロは「それなら君はここにとどまってないで地上に行くべきじゃないかな」と言う。天使は地上に降り、最悪の状況を見て回った。誰も歌ってはいなかった。人々はお金がなく苦しいとか、仕事がないか、あればあったで悩みが尽きないと語り合っていた。人間は憂慮すべきことばかりを話し、誰もが歌を歌う気力を失っていた。ところが天使は、ある通りでたった一人歌っている人を見つけた。天使はその人に尋ねた。「こんな時になぜ歌えるのですか」。その人は答えた。「世界を見回してごらん。戦争、テロ、抑圧、貧困、それに孤独。でも、だからこそ私は歌うのだ。困窮に対し、闇に対し。この世を支配する暗闇に私は歌声を上げないではいられない。」天使は言った。「君と一緒に歌わせてもらえないかい?その歌声を二つにしたいから」。』
 平和のために、私たち一人の力は本当に小さいものです。何をするか、どうすべきか途方に暮れます。しかし、最初の一人にはなれなくても、見渡せば私たちの隣に、既に歌い出している誰かの歌声がある。私たちはそこに歌声を合わせていくことはできるのです。「あなたと一緒に歌わせてください。歌声を二つ、三つ、四つにしよう」と。一人の歌声にあなたの、私の声を合わせましょう。クリスマスの平和と祝福がありますように。アーメン。

連載コラム ㉑【 hospitality 】

 本コラムの10月号で「平和は、ことばを語ることができる能力として生起する」というレヴィナスの言葉を紹介したところ、「それはどの本にありますか」というお尋ねがありました。これは、エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』(熊野純彦訳、岩波書店)からの引用です。難解な本ですが、神学生のみなさんには読んでもらいたいなぁ。さてレヴィナスは、ここで、絶えず主体(私)を飲み込もうとする力(全体化する力)に抗する「無限なものとの関係」を説いています。
 全体化する力とは、例えば、「私」という主体を、「日本人とは」と全体の一部にして意味付けてしまうことです。だから、戦時中の「非国民」、最近よく耳にする「反日」という言葉は、全体化する力によって発せられるものです。
 ところで、キリスト教会の暦はアドベント(待降節)に入りました。アドベントとは、クリスマスまでの期間のことですが、賀来周一先生は『サンタクロースの謎』(講談社)の中で、次のように言っています。「クリスマスほどキリスト教にとって他宗教異文化を取り込んだ祝祭はない。極端に言えば、クリスマスは本来キリスト教とは無関係のものだと言ってよいほどである」。
 ではなぜ、私たちはキリスト教会の祝祭でなかった日を大切な日として守っているのでしょうか。それがある時代には全体化を目指すものであったとしても、本来それは、「無限なもの(み子主イエス)との関係」の中で「Merry Christmas」と他者に呼びかけ他者を迎え入れる日であり、そして、それこそが全体化する力に抗することだからではないでしょうか。
 岩切雄太(門司教会、 八幡教会、 佐賀教会、 小城教会牧師)

議長室から

ポスト宗教改革500年 総会議長 立山忠浩

待降節(アドベント)に入りました。クリスマスを迎えるための準備の期間となりますが、市井の暦に先立って教会の暦は新しくなりました。宗教改革500年の2017年が終わり、新たな歩みが始まったことになります。
 「ポスト」宗教改革500年という言い方があります。宗教改革500年の「後」とか「次」という意味です。この言葉には、記念事業を終えた「後」が重要だという思いが込められています。もうすぐクリスマスを迎えることになりますが、宗教改革500年後の最初の重要な行事となります。
 日本では、人々の目が教会に向けられる唯一の時がクリスマスだと言われます。礼拝堂の椅子が一年で最も埋まるのがクリスマス・イブ礼拝という教会も多いことでしょう。まさに一大行事です。そこで語られるメッセージは何かが重要です。500年事業を経た私たちルーテル教会では、宗教改革者たちが説いた聖書の福音がしっかりと語られることが期待されています。
 さらに言えば、ルターやルーテル教会にとっての特徴的なメッセージとは何かを問い、それを今日の人々に届く言葉で語ることが大切なのです。
 北欧やドイツでは社会福祉制度が他国に比べ充実し、しかもそれらの国はルーテル教会を中心としていることを指摘する社会学者がいます。偶然なのか、あるいはルーテル教会の特徴的な教えに根源があるからなのか、まだ学問的に裏付けられた解説を読んだことがありません。しかしとても重要な指摘であると思います。なぜなら、いま世界中で課題となっていることのひとつが貧富の差であり、偏った富をどのように分配するかということだからです。社会福祉制度の充実はこれらの課題の行政的な取り組みなのです。
 ここでこれ以上立ち入ることはできません。ただ、ルターのクリスマスの説教を思い起こすことは意義深いと思うのです。占星術の学者たちのことです。ベツレヘムの輝く星に導かれ幼子イエスに出会い、彼らは宝物を献げました。この行いは、貧しい人たちに自分の富を分配した行為だと言い、そしてこの宝物が、ヘロデの迫害を避けてエジプトに避難した聖家族の生活を助けたに違いないと説くのです。
 ルターのこの説教が今日も耳を傾けるべき重要なメッセージであるように、彼の言葉はいつも時代に問いかけるのです。
 私たちの宣教の言葉もそうでありたいものです。

2017年『宣教会議』報告事務局 事務局長 白川道生

 「宣教会議とは決議をする場でなく、課題から目をそらさずに向き合い、認識を共有して、どのような対策が必要なのかを皆で議論する、具体的な取り組みの方向やアイデアを見いだすのが狙い」。 
 立山忠浩総会議長から会議の趣旨説明が述べられた後、第27期では2回目となる宣教会議は始まった。9月26~27日の2日間にわたり、各教区の常議員並びに全体教会四役、信徒選出常議員と各室長、教職・信徒の22名が東京のルーテル市ヶ谷センターに集まった。

 協議は、セッションを五つに区切り、それぞれに発題者をたて、テーマを巡って参加者全体での討議とした。全体を通して「第六次綜合方策」の目標項目を確認し、開始した2012年からここまでの検証と評価を行う議論を積み重ねた。
取り扱った内容は、
・式文委員会が作業を進める、礼拝式文の「典礼曲」の協議。
・日本福音ルーテル教会にとって「これからの海外宣教」の在り方をどうするのか。
・教会任命の教職人数の推移予測と教職態勢。
・教職の人事、全国を見渡した教職配置、個教会の財政自給力と招聘のバランス。
・教職が、教会付属施設ではない施設や幼児教育事業等の働きに参与する「兼務」を巡る基本認識。
・引退教師にかかる牧会委嘱の規則と課題予測。
・専任教師のいない教会の拠出金規則に関して。
・日本福音ルーテル教会の「ポスト宗教改革500年」等々となった。
 とりわけ、前回総会で使用が承認された「礼拝式文」の文言につける典礼曲の制作が式文委員会によって進められており、本会議では、製作中の4種の曲を聞いて、しばし全体での意見交換も行った。
 また、各教区長からそれぞれの教区が展開している宣教の現状、講じている対応に関して、予め準備された資料を基に発表がなされた。総じて苦闘する教会の様相であったが、共有する課題を見出しながら、取り組み実践の工夫や実例について、活発な質問が続くところに宣教への思いの強さが伺われた。
 最後のまとめでは、出席者全員がそれぞれに、2日間の討議からの感想や対策アイデア等が述べられたが、苦難を通しても連帯が想起できる、教会論に「ひとつ」を標榜する、ルーテル教会らしさが感じ取られる時間となった。
 この会議を通して共有された課題への意見や方向性を含んで、対策が常議員会に求められていくことになる。
(詳細は後日発行の宣教会議報告書を参照ください。)

カトリックと宗教改革500年②

世界のカトリック教会とルーテル教会による宗教改革500年記念

 ローマ・カトリック教会とルーテル教会は、宗教改革を共同で記念するという過去に前例のない取り組みを世界各地で進めています。かつて激しく対立した両者が、いまや一致と協力のためにひとつのテーブルを囲み、その声を世界に届けようと する気運が高まっています。 2013年には、共同文書『From Conflict to Communion』(邦訳『争いから交わりへ』)を発表しました。

ルンド声明

 2016年10月31日には、ローマ・カトリックのフランシスコ教皇とルーテル世界連盟のユナン議長が、この記念の年の幕開けとして、ルーテル世界連盟発祥の地であるスウェーデンのルンド大聖堂において共同の記念を行いました。
 「わたしたちは神に祈ります。ローマ・カトリックの者たちとルーテルの者たちが、イエス・キリストの福音を共に証しし、神の救いの働きを受け入れるべく人々を招くようになることを。わたしたちは共に奉仕の務めに立って、特に貧しい人々のために、人間の尊厳と権利とを高め、正義のために働き、あらゆる形の暴力を斥けることにおいて共に奉仕に当たることができるよう、霊の導きと勇気と力とを神に祈ります。尊厳、正義、平和、和解を切に求めているすべての人々に、わたしたちが近づくようにと神は呼びかけておられます。暴力や過激主義を終わらせるよう、わたしたちは声を挙げねばなりません。知らない人々を受け入れ、戦いや迫害のゆえに逃れることを強いられた人々に助けの手を差し伸べ、難民や亡命を求める人々の権利を守るよう、共に働くことを強く求めます」(ルンドにおける共同声明より)
 カトリック教会は、日本のカトリック教会の皆さんに宗教改革と長崎での500年共同記念の意義を知らせるため、リーフレット『カトリックと宗教改革500年』(発行・カトリック中央協議会、制作・宗教改革500年記念行事準備委員会)を作成されました。編集責任を負われた光延一郎神父(イエズス会・上智大学教授)よりご提供いただき、紹介します。

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より

あなたと共に生きるために  伊藤早奈

「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」(ルカによる福音書2・7)

 私が思い描くキリスト誕生の場面は、幼い頃から、暗い小屋の中に笑顔の馬や牛を背景に座っているマリアさんと立っているヨセフさんと天使たちに囲まれて、飼い葉桶の藁をクッションにして布にくるまれて寝かされて微笑む、赤ちゃんのイエス様の絵です。またそこへ羊飼いが驚いた表情で訪れる絵や、博士たちがひざまずいて贈り物を赤ちゃんに捧げる絵です。
 
幼い頃から教会へ通われていた方や、キリスト教主義の幼稚園に通われた方は、ページェントと呼ばれるクリスマスの劇、イエス・キリストの聖誕劇をやった思い出があるかもしれません。
 ふと、イエス様がもっといい部屋や宿屋に泊まれていたら、どうなったのだろう?と思いました。明るくて綺麗で暖かい場所。きっと貧しい羊飼いは、イエス様の誕生のお祝いになんて駆けつけることもできず、警備の人や宿屋の従業員に追い返されたんだろうな、なんて思いました。

 これは遠い昔の物語ではありません。今を生きている私たちも、暗くて寂しい闇を持っています。それは心の中かもしれません。一人一人が奥にしまいすぎて忘れてしまっているかもしれません。でも、イエス様は忘れないで、あなたの持つ暗闇の中にもおられます。なぜなら、あなたが大切だから。
 他の人が見向きもしないあなたでも、あなた自身が呆れて見捨ててしまうような自分であっても、イエス様は共におられます。
 イエス様は一般常識ではとうてい考えられない家畜小屋でお生まれになりました。それは大切なあなたのためです。
 どんなあなたとも共におられるためです。歴史的には二千年以上も前にこの世にお生まれになられた方。でも、今も私たちと共におられる方なのです。
 クリスマスはイエス様が大切なあなたと共に生きるためにお生まれになられた日なのです。あなたはかけがえのない存在です。

春キャン2018のお知らせ

 宣教室TNG委員会ティーンズ部門と各教区教育部が主催する今年度の春の全国ティーンズキャンプを神戸市立自然の家において開催します。ぜひ、対象となる子どもたちを送り出してください。 

第25回 春の全国ティーンズキャンプ

○テーマ ~We Are Christ’s Two Arms.~
○主題聖句 エフェソの信徒への手紙2章10節
○日程 2018年3月27日~29日
○対象 12歳~18歳(2018年4月2日時点)
○会場 神戸市立自然の家(神戸市灘区)
○参加費 1万円(1月28日までの申込み。以降1万1千円。期限後は要相談1万5千円)
*交通費別途必要。
*3月24日以降のキャンセルは参加費の半額のキャンセル料がかかります。
○申し込み締め切り 
2月18日(交通の手配がありますので早目にお申込みください)
○申込み方法
http://tng.jelcs.net/teenscamp2018/
から申し込んでください。
左記のQRコードからもアクセスできます。
*所属教会牧師の承認を受けてください。
*正式登録されると  TNG-Teensブログに教会名とイニシャルが表示されますのでご確認ください(申込みから数日かかります)。     TNG-Teensブログ   http://tngteenshamazo.tv

○スケジュール 
 3月27日(火)13時45分「JR三ノ宮」集合、バスで会場へ。3月29日(木)14時20分「JR三ノ宮」にバス到着。基本的に教区ごとにまとまって移動します。詳しい移動方法等は、各教区担当者からご連絡します。JR三ノ宮と会場間のバス代金は、参加費とあわせて当日持参いただきます。
○問合せ
 永吉穂高牧師(小倉教会/福岡県北九州市小倉北区三郎丸
電話093(921)7715
携帯電話080(6106)0794
メールアドレスharukyan.moushikomi@gmail.com  
○持ち物 
 聖書、筆記用具、保険証、参加費とバス代、洗面用具、着替え、防寒着、入浴用品(ボティーソープ・リンスインシャンプー・ドライヤーは施設にあります)、3月27日の昼食・飲み物。

☆お知らせ☆
 今回の春キャンでもバラエティショーを行います。バラエティショーとは、ティーンズのみんなが演奏やコントなどパフォーマンスを披露する時間です。時間は1グループ約5分。個人での参加でもグループでの参加でも大歓迎!出演者をキャンプ1日目に募集します。みなさんのご参加を待っています。
 harukyan.moushikomi@gmail.com)
○持ち物 聖書、筆記用具、保険証、参加費とバス代、洗面用具、着替え、防寒着、入浴用品(ボティーソープ・リンスインシャンプー・ドライヤーは施設にあります)、3月27日の昼食・飲み物。
☆お知らせ☆
 今回の春キャンでもバラエティショーを行います。バラエティショーとは、ティーンズのみんなが演奏やコントなどパフォーマンスを披露する時間です。時間は1グループ約5分。個人での参加でもグループでの参加でも大歓迎!出演者をキャンプ1日目に募集します。みなさんのご参加を待っています。

「カトリックとルーテルの共同声明」に学ぶ

日本ルーテル神学校校長 石居基夫
【本文から】
●キリストにあってひとつ
 この喜びの時に、わたしたちは、世界のキリスト教諸教会や交わりを代表してここに同席し、わたしたちと祈りを共にしている、わたしたちの兄弟姉妹にわたしたちの感謝を申し上げます。争いから交わりへ進もうと取り組むに当たって、わたしたちは洗礼によってそこに加えられている、キリストのひとつのからだの一部分としてそうしているのです。わたしたちはわたしたちの努力を思い起こさせ、また、わたしたちを励ましてくださるよう、エキュメニカルな同志にお願いします。わたしたちはこの同志に、わたしたちのために祈り、共に歩み、今日表明している、祈りを込めた努力を生き抜くに当たってわたしたちを支え続けてくださるよう求めます。

【学び】
 この声明は、カトリックとルーテルの50年にわたる対話がそれぞれの取り組みにおいて成果を積み上げてきたことの結果として産み出されたものだ。異なる二つの教派という事だけではなく、ある意味で歴史のなかで最も激しく争い、キリスト教西欧世界を二分するような結果をもたらした両教会が、こうして今、この記念の年に共同して一つの声明を現すことになったことは意義深い。
 しかし、こうしたエキュメニカルな交わり、その対話と和解、共同ということはカトリックとルーテルという2教会間だけのものではない。むしろ20世紀はエキュメニズムの世紀であるといわれるほどに、世界のキリスト教が対話を重ねて、具体的な協力関係を作ってきたし、一致に向けての成果も産み出してきた。
 1910年の世界宣教会議(エディンバラ)、1921年の国際宣教師協議会(IMC)結成、1925年「生活と実践」委員会、1927年「信仰職制」委員会など、プロテスタント教会間での教派をこえた交わりと共同が進み、第二次世界大戦を経て、1948年には世界教会協議会(WCC)の発足となる。信仰職制委員会には、発足当時から実はローマ・カトリック教会からのメンバーを正式に迎えていて、教会一致のための神学的な学びを積み重ねてきたのだ。 
 あるいはまた、19世紀から続いていたカトリック教会での典礼復興運動はプロテスタント諸教会にも影響し、礼拝についての学びと実践が教派を超えてなされていくようなことも起こっていた。そして、特筆すべきは1982年に公にされたリマ文書、BEM文書が産み出されたことだ。これは、WCCに加盟する各教派の
 洗礼(Baptism)
 聖餐(Eucharist)
 職務(Ministry)
に関する神学的な違いを乗り越えていくための対話を重ね、相互理解と受容を推し進めて、ここまでは一つの理解に到達しているという収斂させた成果を公にしたものだ。(つづく)

宗教改革500年合同修養会in北海道

北海道特別教区長 岡田 薫
 10月8~9日に「宗教改革500年合同修養会in北海道」が行われた。道内にある日本福音ルーテル教会と日本ルーテル教団の教会が合同でこのような会を催すのはまさに四半世紀ぶりのことである。遠方からの参加者は宿泊が必須となるため、会場を教会ではなく宿泊可能な施設(札幌市保養センター駒岡)とし、39名の兄弟姉妹が前夜祭さながら親睦と交わりの時を楽しんだ。フレッシュパスターズによる夕べの祈り、続く夕食交流会では大皿料理を分け合いグラスを傾け合いながら和気あいあい。ことに生演奏での「さんびか大会」は大盛況であった。
 9日には、藤女子大学の阿部包教授から「パウロの福音理解の変遷」と題して講演をいただいた。信仰義認とは私たちの行いや業績としての信仰ではなく、真の人であったイエスの神に対する信仰とその恵みを受け入れることであること。イエスもパウロもルターも「信仰」というとき、それは愛を通して働く信仰、つまり信仰とは愛の業なしにはない(信仰を与えられた者たちは愛の業へと押し出される)ということを伺った。また、記念礼拝には日本聖公会の広谷和文司祭(旭川聖マルコ教会)を説教者として迎え、「宗教改革500年を記念するということは、祝い事ではなく、むしろ私たちが当時の教会の堕落と教会の分裂に痛みを覚えることであり、いま改めて各々が自己義認と闘い、プロテスト(抗議)することの大切さを心に刻むためである」ということを胸に刻んだ。
 ルーテル教会の集いに、カトリック信徒の研究者が講演し、聖公会の司祭が礼拝説教を担当した。みことばと聖餐の恵みを分かち合いながら、分裂と痛みの時代から和解と教会の一致を目指す貴重な一歩がここにあったように思う。
 ふたを開けてみれば当初の予想をはるかに上回る120名を超える参加者が道内各地から集い、大いに励まされる集会となった。恵みと祝福に満ちたときとしてくださった主に心から感謝する。

九州教区・宗教改革500年

九州教区長 小泉 基
 10月28日と29日、台風近づく熊本地区において、九州教区における宗教改革記念行事が「真理はみんなを自由にする!」をテーマに、にぎやかに開催されました。
 九州ルーテル学院の大学チャペルを会場に、まず講演会から記念行事がスタート。江口再起先生による「宗教改革の現代的意義」と題された講演では、500年前のルターの宗教改革がどのようにわたしたちの苦悩とつながり、そこに力を与えるものとなっていくのかが、深い洞察のうちに語られました。
 続いて、メンデルスゾーン作曲による交響曲第5番「宗教改革」の記念演奏会。演奏は、熊本でオペラの上演に取り組んでいるラスカーラ・オペラ管弦楽団です。31名という小編成のオーケストラながら迫力のある演奏で、第4楽章で「神は我がやぐら」の旋律が高らかに響き渡ると、聴衆の顔がひときわ輝いたようでした。夕刻から大学食堂に会場を移しての前夜祭。九州各地から参集した教会員をはじめ、カール・フォン・ヴェアテルン駐日ドイツ大使夫妻や熊本市の多野副市長といったゲストも共に、和やかに祝祭の食卓を囲みました。
 翌29日の記念合同礼拝には500名を超える参列者が、熊本地震からの復旧工事を終えた九州学院ブラウンチャペルに集いました。台風の影響で朝まで降り続いた雨も礼拝前にはすっかり上がり、空にかかる虹もこの時を祝福しているかのようでした。この日のために、熊本だけでなく九州各地で練習を重ねてきた宗教改革500年記念唱団に、九州学院・ルーテル学院合同合唱団と合同吹奏楽部が加わり、なんとも豪華な奏楽・賛美のチームが力強く会衆賛美をリードしてくれました。
 礼拝後には、教会女性会や福祉施設が出店するルターマーケット。2日間にわたった記念行事の名残を惜しむかのように、いつまでも買い物を楽しむ人々の姿が見られました。角本委員長以下、実行委員の方々をはじめ、会場となった両学院、また熊本に集うことのできなかった方々も含めて、多くの人々の奉仕と祈りが形となった、恵まれた記念行事となりました。

 

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