るうてる2026年5月号
「真の神を伝える」
日本福音ルーテル浜松教会・新霊山教会牧師 渡邉克博
「この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。」(使徒言行録17・24b~25)
使徒言行録17章24節~25節はパウロがアテネのアレオパゴスで人々に福音を宣べ伝えている箇所です。すべてのアテネ人やそこに滞在する外国人は、何か耳新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていた、と記されています。
浜松教会は国立大学の工学部の目の前に位置していますが、学生の皆さんはなかなか教会には来ません。そして、いつも考えていることは、教会に集う私たちと大学生の皆さん、一体何が違うのだろうかということです。もちろん、これまで何名かの大学生と縁あってお話したことはありますが、皆さん本当に素直な若者たちです。けれども、聖書のことや礼拝について伝えようと思っても、今や私の方から押し付けるような話もできません。いつも今の若者たちが信仰を持つにはどんなハードルがあるのか無意識に考えながら過ごしています。
私たちは聖書に記されていて、教会でも大切に伝えられてきた三位一体の神様を信じていますが、大学生の皆さんにとっては神様の存在は自明なことではありません。私たちの信じる神様を知らないか、知っていたとしても、自分とは無関係であると考えているかもしれません。私たちはイエス様に贖われた罪人ですが、大学生の皆さんにとっては聖書における罪すらも自明なことではありません。聖書や使徒信条やニケア信条にあるような終わりの時の裁きについて、私たちと認識を共有する部分もほとんどないでしょう。今の日本人として生まれたごく普通の若者たちに、私たちの教会の中で共有されている信仰について、どうしたら真の神、真の信仰、私たちの罪人としての姿について伝えることができるのか、考えれば考えるほどに難しさを思います。
新しい知識を探求するのが大好きであったアテネの人々に、パウロが死者の中からの復活について話した時のことです。ある者は嘲笑い、ある者は「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言っています。浜松で牧師をしている私だけではなく、現代の日本や先進諸国で直面しているキリスト教会の宣教の困難さを示すものであることを思います。けれども、その先には「しかし、彼に付いて行って信仰に入った者も何人かいた」とも記されています。私たちの日本福音ルーテル教会にあって、宣教の難しさを感じる時代かもしれませんが、私たちにとっての大きな励ましであることを思います。
大学生への働きかけもなかなかうまくいかないことも多い浜松教会ですが、これまで大切にしてきた働きがあります。それは外国からの留学生の方々の受け入れです。母国を離れて日本で過ごされる留学生の方々は、大学院の修士課程か博士課程の数年間在学をして、ある方は母国に帰りますし、ある方は日本国内に職を得て働かれています。そのような方々にとっての信仰的にも精神的にもよりどころとなるという働きを続けてきました。これまで多くはありませんが、断続的にクリスチャンの留学生が礼拝に出席してくださっています。そして、留学生の方々との信仰における交わりを通して、民族や文化や言葉の壁を乗り越えて、親しい交わりが与えられています。母国を離れて暮らす留学生の方々にとって大切なコミュニティーとなります。その方々を通して、古くからの教会の皆さんも信仰的に良いものを与えられるということを経験します。もちろんのこと、私たちは、これからも邦人の大学生に対しても、祈りつつ何か良い働きができないか引き続き考えていきたいと思います。
浜松教会に着任をした後、2024年春からは浜名教会を離れ、新霊山教会とデンマーク牧場福祉会での働きも始まっていますが、これからも神様の御心のままに、この遠州の地で牧師として働き、教会の皆さん、施設の職員や入居者の皆さんと共に歩み、共に生きていきたいと思っています。また、日本各地で続けられている日本福音ルーテル教会のよい宣教が、これからも続けられていきますようにお祈りします。
エッセイ「命のことば」 伊藤早奈
(74)「ありがとう」
「思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。」
(ガラテヤの信徒への手紙6・7)
「あれ、桜?まだ咲いてないよなぁ。」と思っていたら、同じものを見た他の人は「あれっ雪?」と言われ、もう雪の降る季節でもなかったので少し面白かった。二人とも同じもの見ていました。それは外に降りしきる白いものでした。同じものを見ていても感じ方が違う。しかも二人とも勘違いで、本当は梅の白い花びらが風に吹かれて舞っていただけだった。
「何間違っているの?」なんて誰も責めないし、誰も怒らないし、正しく直そうともしない。そういうことはたくさんあるような気がする。言い換えれば「大したことではない」と片付けられてしまうかもしれない。
でも今、それぞれの場所で生かされているあなたは違う「なんか居たような気がする。」とか「あれ、あそこに居るの誰だっけ?」とか、たとえ誰もが分からなかったとしても、あなたを愛し、必要としてくださる方にとってあなたはどこかにいる分からない存在ではなく、今ここに居るかけがえのない存在なのです。まだ咲いているはずもない花に間違われることがない、季節外れな気候とも間違えられない、あなたは今ここに居るあなたとしてそのままを受け入れられています。どんなに他の人があなたの存在を受け入れて、褒めても、あなた自身が今のそのままのあなたを受け入れられないとしても、過去があって今があると今のあなたそのままを抱きしめてくださる方がおられます。あなたはそのままでいいのです。風に吹かれる花びらのように。
2026年4月号の2面
「全国の教会・施設から㉞」におきまして。文中のお名前に誤りがございました。
「藤田師」とありましたが、正しくは、「藤井師」です。
お詫びして訂正いたします。今後は、校正・校閲に関わる体制を強化して対処し、編集作業で細心の注意を払って取り組んでまいります。
リレーコラム「全国の教会・施設から」㉟
社会福祉法人別府平和園
関満能(日本福音ルーテル大分教会・別府教会・日田教会牧師・社会福祉法人別府平和園チャプレン)
鶴見岳の麓、別府湾を望む丘の上に、現在の別府平和園はあります。しかし、一九五〇年に始まった平和園の歴史は、一九五七年まで存在した米軍基地内にある乗馬クラブの建物を譲り受けたことで始まりました。この建物は、モード・パウラス宣教師、潮谷総一郎氏に続いて3代、4代と園長を引き受けられた加藤正登・加藤シズ子夫妻の叔父所有の建物であり、その寄付を受けたのです。このときのことを、モード・パウラス氏は、回顧録『愛と福祉のはざまに』にてこのように振り返っています。「潮谷氏と吉野氏とわたしは、…別府市に施設を造るにあたって予想される問題点を、熱心に長いこと話し合った。そしてついに、シズ子とその夫が別府へ移り、事業の開始と同時に責任を持つこととし、別府へ行って社会課を訪問することを決めた。…このように、わたしたちは止むを得ず境界を拡げていった。…けれどもわたしは時代の挑戦に応じようと努力した自らを責めようとは思わない。」
この時代の挑戦は、今、別の形で与えられているかもしれません。加藤シズ子元園長は、平和園の歩みが40年ほどたったとき、「残る心配は園の魂のこと。精神指導、宗教教育のことだった」と記しておられます。平和園過ごす児童にとっても現代は、不安な時代、希望が見えない時代でしょう。だからこそ、平和園に託されている働きが大きな意味を持ってくると思います。
宮﨑祐介(社会福祉法人別府平和園施設長)
子どもの傍らにはかならず職員がいて、「おはよう」からはじまり「おやすみ」にある子どもとの日々の哀歓にゆっくりと熱を注いでいくことを私たちは大切にしています。また、平和園の建物には秘密があり、その秘密は天井にあります。子どもたちが生活するホームの天井がドーム型になっていて、すっぽりと包み込まれている感じがします。それは、宗教教育の原点ではないのかと思っています。《神様に包まれている》という感覚が、子どもと職員が紡いでいく毎日の暮らしの中に実感されています。
時代とともに求められる役割は変化し、新たなサービスを付加価値として構築していくことが求められていますが、その歩みを決して止めることなく、別府平和園は挑戦し続けます。
改・宣教室から
小泉基(日本福音ルーテル札幌教会牧師・宣教室長)
坂本千歳(日本福音ルーテル保谷教会・八王子教会牧師・日本ルーテル神学校チャプレン)
小泉 坂本先生は「リラ・プレカリア」(祈りのたて琴)というプログラムを学ばれたということですが、どのような取り組みなのですか。
坂本 「リラ・プレカリア」とは、以前JELAが行っていた2年間の養成プログラムです。特徴としては、パフォーマンスとしての演奏活動ではなく、終末期にある方、心身に痛みのある方の呼吸やエネルギーに合わせ、ハープの音色と歌声による生きた祈りを届けることを目的としています。ありのままの患者さんの傍らに、静かに寄り添うスピリチュアルケアの一つの在り方です。研修を終えた後、二〇一八年から現在に至るまで、ご縁をいただいた都内のカトリックの病院で奉仕させていただいています。
小泉 リラ・プレカリアの背景を教えてください。
坂本 11世紀のフランスの修道院での習わしが、アメリカで「音楽死生学」(ミュージック・サナトロジー)として理論化され、現代の臨床実践に具現化しました。それを修めたキャロル・サック氏(元アメリカ福音ルーテル教会宣教師)が、日本において独自の要素を加えて発展させ、JELAと共に立ち上げたのが「リラ・プレカリア」です。
小泉 坂本先生のかかわりの経緯と、取り組みの中で感じる喜びを教えてください。
坂本 困難な状況に置かれた方たちと牧会の現場で出会う中で、言葉によるコミュニケーションの限界を感じていた時に、非言語でアプローチする「リラ・プレカリア」の存在を知り、「これだ!」とひらめきました。病院での活動では、他職種である医療者とのチームプレーを大切にするよう心掛けています。一人の人間という存在に対するリスペクトは、目の前の患者さんや、そのご家族に対してもあてはまります。病院の中に息づいている‶互いの存在を尊び、喜び合いながら働く“という文化を支え、体現することも大切な役割だと感じています。また、活動を続ける原動力というか、大きな喜びを感じるのは、こちらの意図や目的、期待を手放し、ひたすら傍らに在り続けると、患者さんのエッセンス(本質)のようなものが立ち現れてくる瞬間があることです。一期一会の出会いの中で、響き合う瞬間を味わうことができる、それが何よりの喜びです。
小泉 最後に、先生が大切にしておられる聖句を教えてくださいますか。
坂本 「あなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう/あなたが顧みてくださるとは」(詩8・5)です。活動を続ける中で、人間という存在の不思議さ、驚異に目が開かれると同時に、この人間を創られた神とは、いったい何者なのだろうと思わずにはいられません。
小泉 ありがとうございました。お働きが祝福されますように。
西教区総会報告
竹田大地(日本福音ルーテル天王寺教会牧師・西教区常議員書記)
3月20日(金・祝)に日本福音ルーテル大阪教会で西教区定期総会が開催された。西教区は、2年に1回の開催となっている。
西教区の各教会から代議員、牧師が集い、西教区の2年間の活動について各常議員、諸活動の報告がなされた。牧師が減り、配置が困難になりつつあること、また各教会においても様々な課題が山積されていることが確認された。
そのような中で、立野泰博教区長は、次期西教区総会期において教区常議員会で、教区内の牧師配置、各教会が宣教継続していくために何が必要か共に知恵と力を結集させて、福音宣教を担っていっていただきたいとの次期への展望を述べられた。
併せて、コロナ禍の間に、様々な催しなどが縮小され、教区に対する補助申請などが減少し、教区財政に若干の余裕があるという情報が共有され、各教会、地区などで積極的に宣教、信徒教育、信仰生活の維持、礼拝の同時中継などのために用いてほしいと会計担当常議員から議場に投げかけられた。
西教区は、京都府から山口県まで広範な範囲をカバーしている。その中で、全体教会の宣教方策の一つである「魂の配慮」をどのように教会に集うお一人お一人になしていくかが大きな課題であることが共有された総会であった。
そういった諸課題に対応しながら、先にも述べたように自分たちの力、財政力では、太刀打ちできなくとも、教区における諸教会に集う方々の力と知恵を分かち合い、また必要な資金を教区が助け、各教会の福音宣教が前進するように努めていくことが確認された。
最後に、新しく選出された西教区常議員は次の通り。
教区長:立野泰博牧師
副教区長(書記)・教育部長(兼務):竹田大地牧師
会計:犬飼誠氏
財務部長・伝道奉仕部長(兼務):水原一郎牧師
社会厚生部長:沼崎勇牧師
教区選出信徒代議員:三戸真理氏
教会とディアコニア⑤
石居基夫(ルーテル学院大学学長・日本ルーテル神学校教授)
一九七〇年代に教区を軸としたディアコニア運動が展開されることになった中、西教区が主体となって取り組んできているのが「喜望の家」を中心とした活動です。
「喜望の家」は、釡ヶ崎での宣教をはじめたエリザベス・ストローム先生によって始められたものです。先生は、ドイツでミッドナイトミッションという売春女性たちの社会復帰支援をおこなっていた宣教団体から一九五三年に日本に派遣されたディアコニッセです。ただ、日本ではドイツ社会との違い、特に反社会的組織の関わりに由来する困難もあって、10年の時を過ごしても期待された成果を見ることができませんでした。ストローム先生が失意の中、帰国も含めて将来を考えていた頃、偶然一つの新聞記事から釡ヶ崎を知ったそうです。彼女の言葉によれば「日本の社会の一つの陰の所」で働くことが自分に与えられた生きる道と思われ、釡ヶ崎に向かわれることになります。
一九六三年、ストローム先生は釡ヶ崎に住まいを得て、ベビーセンター、学童保育、母の会など、さまざまな働きをされてきました。苦労しつつそこに生活する人々の隣人となり、エキュメニカルな交わりを築き、釡ヶ崎協友会(現・釡ヶ崎キリスト教協友会)を作って働きを広げ「喜望の家」を作り、そしてアルコール依存への取り組みをされるようになります。
この釡ヶ崎での先生の献身的働きは、最初日本福音ルーテル大阪教会の内海季秋牧師によって支えられて始められましたが、先生の身分や位置付けは弱く、教会と共にあるというご自身の思いとは異なり、教会の中にはなかなか受け止められてきませんでした。一九六八年、ドイツのブラウンシュバイク州福音ルーテル教会が彼女を再派遣する形になり、西教区との関係も踏まえながら日本福音ルーテル教会は「喜望の家」を教会の働きと位置付け、一九七七年には重野信之先生を最初の専従牧師とします。
ただ、その歩みを見るならば、日本のルーテル教会は財政的にばかりではなく、意識においても実際の取り組みにおいても、その責任を果たしていくことにあまりに脆弱であったのではないかと思わされます。教会の自給・自立路線が主となっていく中、教会の本質に関わって、ディアコニアとは何か、宣教とはどういうことなのかと問い続けてきたのが、今に至る「釡ヶ崎ディアコニア・センター喜望の家」の存在ではないかと思います。
東教区総会報告
奈良部恒平(日本福音ルーテル本郷教会牧師・東教区常議員会書記)
本総会では、東教区の今後の歩みに関わる重要な議案が審議され承認されました。
1.東教区宣教方策「教会のリ・フォーメイション(再形成)」と拠点教会の定義
東教区は、教会の再形成を進めつつ、牧師減少に対応し、礼拝や宣教の柔軟化、信徒育成の強化に取り組むことを確認しました。また、地区再編や教会間の協力体制を整え、次世代育成や社会的宣教にも力を注ぎます。拠点教会は、財政基盤・人材・施設・地域貢献・教区との協力姿勢を備え、他教会を支える働きを担う教会として位置づけます。
2.東教区規則改正案(教区総会の隔年開催)
教区総会を「毎年開催」から「隔年開催(2年に1回)」へ変更する規則改正が承認されました。これは、常議員の業務負担の軽減と、全国総会の開催年と教区長選出のタイミングを整えるためのものです。
3.東教区規則改正案(常議員選挙に関する部分)
牧師数の減少により、現行制度では常議員の人数確保が難しくなっていること、また長期間休めずに常議員を務め続ける負担が生じているため、より持続可能な体制とする制度見直しが承認されました。
本総会では、東海教区の渡邉克博牧師が開発した電子投票システムを用いて、選挙および議案の採決を行いました。スムーズに運用され、今後の総会運営の可能性が広がるものとなりました。感謝いたします。
4.選挙結果
新しい常議員が選出されました。
教区長:松本義宣牧師
副教区長:河田優牧師
書記:奈良部恒平牧師
会計:鈴木亮二氏
伝道奉仕部長:内藤新吾牧師
教育部長:森田哲史牧師
社会部長:宮澤真理子牧師
財務部長:橘智氏
5.主題・主題聖句
主題は、「大きく変化する時代の中で、変わらないみことばを伝え続ける喜びの共同体」
主題聖句は、エフェソの信徒への手紙4章16節です。
主にあって東教区の歩みがこれからも導かれますよう全国の皆さまには引き続きお祈りいただければ幸いです。
以上、書記よりご報告いたします。栄光在主
北海道特別教区総会報告
岡田薫(日本福音ルーテル帯広教会・札幌教会牧師・北海道特別教区教区長)
北海道特別教区は、教区誕生以来「特別教区」としての歩みを続ける中で、将来を見据えながら主体的に宣教体制の在り方を模索してきました。時代の変化を受け止めつつ、主日礼拝の日時の変更や教会(礼拝堂)の仕舞いなどを実施し、現在は4教会・6礼拝堂の体制となっています。
全国的な教職数の減少と教区財務の逼迫を背景に、2023年からは教区教職3人体制が始まり、二五〇~三〇〇キロ圏に及ぶ広域兼牧体制に取り組んできました。教職の疲弊を懸念する声もありましたが、この3年間で一定の実績が積み重ねられ、教区の財務実態に見合った教職配置の道筋が見えてきています。また、道内唯一の関連施設である「めばえ幼稚園」においても、時代の要請に応える新たな取り組みが報告されました。
今回の総会では、こうした歩みの中で教勢を大きく落とすことなく宣教が継続されてきたこと、牧師が心身の健康を保ちながら宣教を担っていること、そして信徒と教職の協働がその歩みを支えてきたことがあらためて確認されました。財務面では、全体教会から北海道特別教区自立会計への繰り入れにより、広域兼牧に伴う必要経費が支えられていることが報告されました。現状では収支の均衡は保たれていますが、将来を見据えると安定した状況とは言えず、未活用資産の活用や傷みの激しい礼拝堂への対応など、引き続き検討すべき課題も共有されました。
個々の教会では担いきれない働きであっても、教区という枠組みを通してなら挑戦できる可能性があります。今年は総会会場を恵み野教会とし、教区常議員会も年に一度は地方開催することが承認されました。困難の中にあっても祈りを合わせ、協力関係を大切にしながら、宣教の歩みを続けていくことを確認し、閉会礼拝では教区常議員就任式が行われました。
なお、今回新たに選出された教区常議員は次のとおりです。
教区長:岡田薫牧師
書記・財務部長:小泉基牧師
会計:岡村隆行氏(継続)
社会奉仕部長・教区選出信徒常議員:松島直子氏(継続)
伝道部長:滝田裕美氏(継続)
教育部長:河田礼生牧師
「アメリカの福音派」問題によせて 前編
江口再起(ルター研究所所員)
トランプ大統領の最大の支持基盤の一つが、アメリカの福音派の人々だと言われている。トランプ大統領のやっている事はひどい。蛮行である。看過できない。ベネズエラやイランでの軍事行動・戦争、法や人権の無視、関税政策等々。しかしさらに看過できないのは、アメリカの人口の四分の一を占めるという「福音派」といわれている人々の、彼への熱烈な支持だ。
私たち日本福音ルーテル教会という名前には、「福音」という二文字が使われている。礼拝では必ず『福音書』を読む。「福音」という言葉は、キリスト教にとって一番大事なキーワードである。それなのに、この言葉がトランプ支持として使われている。看過できない。そこでこの「アメリカの福音派」問題について、二回にわたって、私の見解を述べてみたい。
●福音派の三つの区別
まず大事なことは、この「福音(派)」という言葉を三つに区別して理解しなければならないということだ。
①福音派とは、16世紀の宗教改革によって誕生したプロテスタントの総称。
②そのプロテスタントの中の、ある傾向を持った人々のことをまた特別に「福音派」と呼んできた。
③今、問題としている「アメリカの福音派」。
この三つを、まずしっかりと区別することが大切である。
●福音、その聖書的意味
福音派の問題を具体的に論ずる前に、そもそも聖書的意味において、「福音」とは何ぞや。聖書のギリシャ語で福音とは「エウアンゲリオン」という。エウは「良い」、アンゲリオンは「知らせ」であるから、「よい(福なる)、知らせ(音信)」のことである(独語でEvangelium、英語でEvangel)。
次のように使われている。「神の子イエス・キリストの福音の初め」(マルコによる福音書1・1)。「イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた」(同1・14~15)。つまり「福音」という言葉は、イエス・キリストの言葉とその生涯の中に(私たち人間にとって)救いの出来事が内包されているという「よい知らせ」ということである。だから福音という言葉は大切なのだ。
●プロテスタントの総称(①の意味)
16世紀、ルターによって始まった宗教改革運動の結果、カトリック教会とは別の教会が誕生した。教皇を頭にいただくカトリックに抵抗(プロテスト)したので、通称プロテスタントと呼ばれることとなった。しかし、自らは「教皇派」に対抗して、「福音派(evangelisch)」と自称。
カトリック教会と別れた主なる原因は、「信仰」と「聖書」に関する問題である。カトリックの「信仰と善行」に対して「信仰のみ」、「聖書と(教会の)伝承」に対して「聖書のみ」を主張したのである(もう少し詳しい内実は、後述)。
私たち日本福音ルーテル教会が、その名称に「福音」を入れているのは、この脈絡に基づく。
●福音派(②の意味)
一口にプロテスタントと言っても、そこにはさまざまな傾向、多様な教派・グループがある。その中で、一般に福音派系と呼ばれた人々には、二つの大きな傾向がある。一つは聖書に関してである。「聖書は神の言葉」というのは全キリスト教の共通認識だが、その意味を厳格に聖書の言葉は文字通りそのまま神の発した言葉そのものである、と考えるのが福音派である(「逐語霊感説」はその一
例)。したがって、神学や学問に関しては保守的。
もう一つの傾向は、信仰に関して、回心(再生や聖化)と伝道の強調である。もちろん、回心も伝道も全てのキリスト教が語ることである。しかし、その度合いや質に関しては、人により幅がある。福音派はその度合いが強い(熱心とも表現できる)。自分の回心(体験)への思いが強い分だけ、再生した自分、聖なる者に成りゆく自分の体験を大切にし、それゆえ当然、それを他の人々に伝えること(伝道)にも熱が入る。やや漠然とした社会全体の救いということより、個人の信心に照準を合わせる。
もちろん、こうした事柄は白黒の二者択一でなく、さまざまなニュアンスがあるが、福音派と呼ばれる人々の一般的傾向である。つまり福音派とは、一つの教団や教派やグループ名ではなく、そうした傾向がある人々の総称なのである。したがってルター派やカルヴァン派の流れにある人々、聖公会の人々、バプテスト教会の人々等々の中にも、そういう人々はごく自然にいることであろう。
日本の場合も、戦前からそうした人々は、自らの信仰を守ってきたが、
「きよめ派」とか「ホーリネス」などとも呼ばれ、一つの教団やグループを形成している場合もある。
さて、いよいよ「アメリカの福音派」であるが、次回につづく
九州教区定期総会報告
池谷考史(日本福音ルーテル博多教会・福岡西教会・大牟田教会牧師・九州教区教区長)
3月19日~20日、箱崎教会を会場に第50回九州教区定期総会が開催されました。
現在、九州教区には35の教会と多くの関連施設があり、その働きを現役教職に加え、引退教職の方々の力を借りて担っています。しかしそれでも、近年、教職数の不足によって、礼拝の在り方も変化し始めてきており、現状に合わせて礼拝の曜日や時間を柔軟に変えたり、オンラインを活用する教会も増えてきています。そのような中、一人の教職の働きは年々増加傾向にあり、負担も増え、牧会にも影響が及んでいることも事実です。教会の教勢をみてもかつてのような成長段階にはありません。
しかし、楽観視できない時だからこそ、神様から与えられた宣教の使命(教会創立時のミッション)を継続的に果たすために、今、新しく歩みだす時でもあります。今回決議された宣教方策は、2022年に策定された「JELC第7次綜合宣教方策」に沿ったもので、今後、教職数が減少するとの予測のもと、現在の群を中心にした宣教体制を見直し、教職配置に対応した新しい宣教共同体を組むという方向性を打ち出したものです。
また、近年、教会建物の経年劣化などにより、修復、保全の必要も増えてきており、これに財政的に対処するための規則改定も決議されました。
今回初の試みとして、教区総会は、同じ宣教の働きを共にする教区内の牧師・信徒が一堂に会する良い機会ということで、昼食を共にし、交わりの時間を持ちました。会場には、各教会の紹介を大きな模造紙に書いて、それを壁に掲示し、互いを知りあう機会ともなりました。
東海教区総会報告
徳弘浩隆(日本福音ルーテル高蔵寺教会・復活教会・浜名教会牧師・東海教区教区長)
1.近年の宣教方策の流れ
全国の教会でも、国内キリスト教界でも共通の課題の、牧師数の減少と各教会の教勢低下という「人材と経済の不足による兼任」が増え、厳しさは限界に近付き、あるいは既に超えているかもしれません。第7次綜合宣教方策に呼応し「リ・フォーメイション」の取り組みとして、従来から教会共同体の再編諸案が提示され、人事調整や話し合いも取り組みましたが、大きな変革は難しい状況でした。
2.前期常議員会の取り組み
前期常議員会は以前からの規則整備を進め、基金整理や支援制度を整備されました。特別協力金拠出教会も予算低下の中で「補助支援金制度の数年後の破綻」も提起され、初年度は対応が求められました。昨年は教区予算からも拠出する形で不足分を補い、礼拝と牧師の生活を守るためとして補助支援金が継続実施されました。一方、各個教会側の努力としては、兼牧先教会も主任牧師への相応の人件費負担を促され、説教応援の活用は余力ある場合に、という線が提示されました。他の支援は兼任の礼拝中継設備の情報通信技術(ICT)補助金継続、以前提起されていた兼任牧師の俸給D号俸統一の実施も再度提起され、これらがすべて承認されました。
3.今後の課題と取り組み
前教区長が二期目任期内に定年になることから再任辞退が示され、改選
で徳弘浩隆が教区長に再度選出されました。教区で外国人宣教担当を任命
している教区ですし、これも継続し外国人伝道牧会と青年交流による活性
化をより具体化したいと思います。復活祭も地域在住ルーテル・インドネシア人を招いた礼拝で100人を超える礼拝も報告されました。福祉村や各施設との宣教共同体推進も大切です。牧師の業務のスリム化も心身の不調から休職や早期退職の危機にあると自分も身をもって感じます。地区数や毎年開催総会の見直しや、教会共同体での経済自給と有機的な宣教体制実施にも祈りと対話をもって取り組んでまいります。
