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機関紙るうてる

るうてる2020年11月号

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「喜びなさい。大いに喜びなさい。」

日本福音ルーテル高蔵寺・復活教会牧師 奈良部恒平

「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」 (マタイによる福音書5・11~12)

全聖徒の日、私たちは、恵みにより、十字架と復活の主イエス・キリストの信仰によって救われた人。つまり、主に信頼して、主と共に歩みを起こし、御言葉に従い、この地上の生涯を生きて、神様の御元に召された人々を思い起こします。そして、神様が、その人々を通して、私たちに与えてくださった恵みに感謝して、主を賛美し、祈るのです。

私たちより先に、天に召された人々は、どのような人たちだったのでしょうか?皆さんには、それぞれ様々な思い出があると思います。天国の喜びに招き入れられた人々について、聖書は何を教えているのかを聞きましょう。

マタイ福音書5章に記されている山上の説教の冒頭で、主イエス様は、八つの「幸いである」ことについて語られました。「心の貧しい人々」(3節)、「悲しむ人々」(4節)、「柔和な人々」(5節)、「義に飢え渇く人々」(6節)、「憐れみ深い人々」(7節)、「心の清い人々」(8節)、「平和を実現する人々」(9節)、「義のために迫害される人々」(10節)は、「幸いである」と、主はいわれたのです。

これらの幸いに、先にみもとに召された人々を、当てはめることができると、キリスト教会は、ずっと教えてきました。皆さんの家族や親しい人々も、いずれかの幸いに適合していると思います。

実は、主イエス様が教えてくださった、これらの幸いは、主ご自身の生き方そのものだったのです。ですから、それが私たちに当てはまるということになります。使徒パウロは、「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。」(2コリ3・18)と証言しています。

つまり、主なる聖霊の働きによって、クリスチャンは、「栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられ」るのです。ですから、主なる聖霊を内に宿したクリスチャンは、この地上での一生を、「主と同じ姿に造りかえ」られつつ、最後まで生きて、その幸いな人たちが、主のみもとに召されるのだといえます。

ここで、私たちの救い主、神の子イエス・キリストの生き方に注目したいと思います。御子イエス様は、ただ父なる神様に依り頼み、御心を実現するという、へりくだった「心の貧しい人」(3節)としての愛のご生涯を過ごされました。

主イエス様は、人間の死を悼み、その家族と共に、「悲しむ人」(4節)であり、主は「涙を流された。」(ヨハネ11・35)のです。また、主は、人々からひどく嫌われ、無視されていた人の友となられた「柔和な人」(5節)でもありました。

そして、私たち罪人を、恵みと憐れみによって愛し、神様の「義」(6節)を実現されたのも、主イエス様でした。主は「憐れみ深」(7節)く、貧しくされた人々や病の人々、小さくされている人々を助けられ、偽りのない誠実で、まったく罪のない「心の清」(8節)さを持っておられました。

さらに、主は、「平和を実現する人」(9節)として、私たちの罪のために、地上生涯の最後には、十字架で命を捨てて、神との和解を「成し遂げられた」(ヨハネ19・30)のです。このように、主イエス様ご自身が、私たちの救いのために、「義のために迫害される人」(10節)として生きられたのです。

しかも、主は、三日目に復活し、ご「自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与え」(ヨハネ1・12)てくださっています。だから、恵みにより、人生の旅路を、主と共に歩んでいる人、歩んだ人々に、「幸いである」と、主は、今日も語りかけておられるのです。
本当の幸いは、恵みにより、悔い改めに導かれて、主に立ち帰り、イエス・キリストを信じる時に与えられます。それは、この世が与える、つかの間の幸いや慰めではなく、主に従う人に与えられる、本当の幸いと本当の慰め、そして、本当の喜びなのです。栄光在主

命のことば 伊藤早奈

⑧「ありがとう」

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。 主はわたしを青草の原に休ませ憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしくわたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖それがわたしを力づける。」(詩編23・1~4)

私は働かせて頂いていた施設で部屋や人を訪問させて頂いたときによく、右に書いた聖書の箇所をお読みしました。聖書の後は一曲賛美を共にし、主の祈りも共にしました。そして最後は必ず、できるだけ額に十字を切り祝福を捧げました。一般の大学病院でそのような宗教的行為は許されません。病院側で許されたとしてもなかなか個人に受け入れられないかもしれません。私が入院した時にも「神様は今もあなたと共におられるますよ。」とお伝えしたい思いは溢れています。

そのような何回かの入院の中で、いつもカーテンを閉め切ってベッドで静かに眠り、お母さんがいらした時も、カーテンの中でこそこそ話しておられる方がいました。その方が検査に行ったり治療に行ったりする時、顔を見るたびに「おはよう」と挨拶したり声を掛けたりしてましたが返事は一度もありませんでした。返事どころか目も合わせて頂けず何日かが過ぎました。ある日その方が部屋を移動すると聞き、彼女が部屋移動のために私の側を通り過ぎる時「お大事に」と言うと「ありがとう」と言われ、意外だったその言葉を今も思い出します。

いつも思います。「あなたは決して一人じゃないよ。」と

教会手帳記載
改訂共通聖書日課訂正のお願い

教会手帳記載の改訂共通聖書日課に下記の誤植がございました。

1.教会手帳2020および教会手帳   2021の2020年12月20日(日)
 待降節第四主日の第1朗読
 (誤)サム上 (正)サム下

2.教会手帳2021の2021年1月17日(日) 顕現後第2主日の第1朗読
 (誤)サム上3:1-10又は1:1-20 (正)サム上3:1-10又は1-20

 以上、謹んで訂正いたします。 誠に恐れ入りますが、上記のとおりご修正賜りますようお願い申し上げます。

日本福音ルーテル教会事務局

議長室から
「悲愛 〜 生きている死者との協同の営み

大柴譲治

「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。」(マタイ5・4)
11月は死者を覚える月。生者と死者の双方の救い主であるキリストによって天と地は一つに結び合わされていると信じつつも、走馬灯のように様々な思い出が私たちの心を過ぎ去ってゆきます。カトリック信仰の立場に立つ若松英輔という文筆家に、『魂にふれる—大震災と、生きている死者』(トランスビュー)という本があります。大震災の2年前にガンで逝った最愛の妻を想起しながら、それを東日本大震災と重ね合わせるようにして言葉を刻んでいます。その意味でこの書は「生きている死者たち」のためのレクイエム(鎮魂曲)と呼べましょう。

 氏の言葉を引用します。「ここでの『死者』とは、生者の記憶の中に生きる残像ではない。私たちの五感に感じる世界の彼方に実在する者、『生ける死者』である」。「死者が接近するとき、私たちの魂は悲しみにふるえる。悲しみは、死者が訪れる合図である。それは悲哀の経験だが、私たちに寄り添う死者の実在を知る、慰めの経験でもある」。「悲しみとは、死者の愛を呼ぶもう一つの名前」。「死者と生きるとは、死者の思い出に閉じこもることではない。今を、生きることだ。今を生き抜いて、新しい歴史を刻むこと」。「死と死者は異なる。『死』は肉体の終わりを意味するが、『死者』は、すでに亡き存在ではない。死の彼方に新生する者である。それは、存続する世界を生者と異にしながら、生者に寄り添う不可視な『隣人』を意味している」。これらの声に私たちの魂が深く交響するのは、私たちにも死者たちへの尽きぬ思いが刻印されているからでありましょう。

 魂にふれるという不思議な体験を語ったあと若松氏はこう記します。「亡骸を前に私は慟哭する。なぜ彼女を奪うのかと、天を糾弾する暴言を吐く。そのとき、心配することは何もない。わたしはここにいる、そう言って私を抱きしめてくれていたのは彼女だった。妻はひとときも離れずに傍らにいる。だが、亡骸から目を反すことができずにいる私は、横にいる『彼女』に気がつかない」。「誰も自分の悲しみを理解しない、そう思ったとき、あなたの傍らにいて、共に悲しみ、涙するのは死者である」。「悲しいのは逝った方ではないだろうか。死者は、いつも生者の傍らにあって、自分のことで涙する姿を見なくてはならない。死者もまた、悲しみのうちに生者を感じている。悲愛とは、こうした二者の間に生まれる協同の営みである」。この指摘は私の心に響き続けています。

“Requiem aeternam”

「教会讃美歌 増補」 解説

⑤「増補」版の使い方など
讃美歌委員会 日笠山吉之(札幌教会牧師・恵み野教会協力牧師)

 今回は「増補」版の使い方や、歌詞や曲の記譜について委員会として心がけたことをお話ししましょう。

 まず、使い方から。「増補」版では、前半にルターのコラールを、後半に邦人による創作讃美歌を収めました。「教会讃美歌」と違って必ずしも教会暦に準じて配列されているわけではないので、「テーマ索引」を参考にしながら自由に選んで歌っていただければと思います。それぞれの歌には、内容にふさわしい聖書の引照句も記してありますので「聖句索引」と共にご利用ください。

 次に、歌詞について。子どもから大人までみんなが一緒に歌えることに留意して、なるべく文語調ではなく平易な言葉を用いました。また、すべての歌詞を譜面の中におさめ、楽譜を見ながら歌えるように工夫しました。譜面の外に書き出された歌詞には漢字にルビを打ちましたので、小さな子どもや日本語がまだ堪能ではない外国人の方でも容易に歌詞を理解できると思います。歌詞の翻訳に関しては、本委員会のメンバー以外の方々にもご協力を仰ぎましたが、それらの訳者の名前は「序文」の中に一括して記入します。

 次に、曲について。宗教改革以来ルーテル教会の礼拝では、会衆が声を合わせて讃美歌の旋律をユニゾンで斉唱することが大切にされてきました。従って「増補」版では、ほとんどの曲が旋律のパートと大譜表の伴奏譜から成る三段譜で書かれています。また、ルターのコラール以外はコードネームを付しましたので、ギターやキーボード等で伴奏することも可能です。

 最後に、作詞者・作曲編曲者について。従来の讃美歌集にならって、譜面の左上に原歌詞の初行をそれぞれの国の言語で記し、その下に作詞者の氏名、生誕年と没年を記しました。また譜面の右上には、曲名、作曲編曲者の氏名、生誕年と没年または出典を記しました。これら原歌詞の初行、曲目、作詞者名、作曲編曲者名等は、一括して巻末の索引にまとめて収録されます。

 次回からは、本委員会に関わった委員の一人一人にバトンを渡して、「増補」版に寄せる熱い思いを語っていただきます。

私たちの礼拝—式文ハンドブック—

④「招かれている私」
式文委員会 中島康文(市川・小岩教会牧師)

 今月から、式文の内容について触れていきます。

 礼拝式の始まりを「招き」と表現しましたが、私たち自らの意思ではなく、神様に招かれてここにきていることを刻み直すということです。「神が招いてくださり、私たちは招かれてここにいる」という関係性が告げられます。即ち、常に神の招きが先行するということであって、このことが変わることはありません。

 礼拝式文において「招き」とあるのですから、当然、礼拝に対して招かれているのですが、「洗礼への招き」が内在しています。洗礼は招かれたことへの応答でもあるからです。礼拝への招き、洗礼への招きを想起するために、礼拝の始まりを会堂入口から始めたり、洗礼盤を会衆が先ず目にする場所に移動したりという工夫がなされるのもそのためです。招かれて集い、洗礼を想起した私たちは、聖霊の働きによって悔い改めに導かれていきます。「人間は、聖霊の恵みや助力、その働きによらないで、神に受け入れられ、心から神を畏れ、信じ、また心の中から生来の悪い欲望を取り除くことはできない。むしろそのようなことは、神のみことばを通して与えられる聖霊によって起こるのである」と、アウグスブルク信仰告白17条にあるからです。

 ところで、悔い改めの言葉について議論を重ねている最中に、「東日本大震災」と「原発事故」に遭遇しました。私たちは自らの在り様を具体的に表現する必要性を感じ、「無関心」「怠り」という言葉を選択する一方、「生まれながら」と「けがれ」という言葉については表現しないこととしました。また「キリエ」「グロリア」の後に、その日の礼拝全体の主題を明らかにする祈りがなされますが、「招かれ集められた」ことの意味を表すために、「つどいの祈り」と呼称することとしました。

 今、私たちは感染症が蔓延する中を生きています。「信徒の集まり」を大切にしてきた私たちにとって、礼拝式の冒頭で「私たちは招かれて、ここにいます。」という応答をいたしますが、否応なく「デジタル社会で生きる」ことに巻き込まれて、改めて「ここに」という言葉が何を指しているのかを考えざるを得ません。同時に、集うことができない方(例えば病床にある方や外出できない方)が、デジタルを通して礼拝を「視聴」する機会も増えました。集うことの大切さを心に刻み直しつつ、「デジタルと礼拝」の有効性等、新たな課題として議論を深めていかなければならないでしょう。

 礼拝に集う全ての人々に、神からの祝福を祈っています。

【お詫びと報告 】
 この度、機関紙「るうてる」2020年10月号1面「説教」中の「依存症」に関する記述につきまして、説明不足であり不適切な表現があることのご指摘を読者の方からいただきました。
 病という重荷を担い、身体的にも霊的にも葛藤と苦悩の中にある方々、またこれらの方々を懸命に支えようとしておられる方々に対する配慮を欠き、深く傷つけてしまったことを心よりお詫び申し上げます。
 ご指摘を頂きました問題の究明と今後の対応について早急に取り組み、機関紙「るうてる」・インターネットサイトでご報告する予定です。ご理解、ご了解のほどお願い申し上げます。

パンデミックの中のディアコニア

社会福祉法人慈愛園
理事長 潮谷義子(神水教会)

 すでに1月末、17人の新型コロナウイルス感染症が国内に発生していたにも関わらず私には「他人事」でした。しかしこの事が「大事(おおごと)」と実感するのにさして時間は要しませんでした。2月21日熊本県内初の感染者が病院で発生したと報道。法人に近く、驚愕したものの事なきを得たことは幸いでした。

 全国に緊急事態宣言が発され不要不急の外出自粛等が求められた時点で未知の感染症、パンデミックという恐怖が頭を駆け巡りました。

 法人内11の施設長は常日頃から感染症対策は勿論、危機管理対応策に意識的に取り組み、安全安心の確保に力を尽くしていますが今回はコロナ対策に特化した対策を講じました。面会、外出、外泊、実習生、礼拝参加、ボランティア等の制限には不平、不満、失望、悲しみの訴えが続発しました。この対応は悩ましくストレスになる職員も存在しました。加えてマスク、とくに小学低学年用は入手困難、消毒液も法人内でストックしていた施設と分ち合うという状況が続きました。これらの困難を分ち合い、共に担って下さった存在について述べます。その群々は多様であり多数、その行為は、施設職員、利用者を励まし、支えられている絆に気付かせ孤立感や無情さを解き放ちました。施設ボランティアの人々は自宅で手づくりマスク、クッキー、果物、全く存じ上げない人々からの励ましの物品。何より嬉しかったのは、60才をこえた卒園者のマスク、消毒液の贈物でした。熊本県は7月に豪雨災害に見舞われ、感染症と重複することの深刻さ、悲惨さを実感しました。子ども達、職員は教会の呼びかけで衣服等の供出に関わり、職員は被害現地ボランティアとして入りました。自分達の困難さをこえて他を省みました。

 昨年、創立100年を迎えた法人に新しい聖句が与えられました。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ロマ12・15)なんと時期に適った聖句を角本、小泉、木下牧師は選んで下さったことでしょう。

社会福祉法人 東京老人ホーム
「新しい生き方」への工夫
ホーム長 髙橋 睦 (東京教会)

 東京老人ホームでは、ご利用者や地域の方々、関わる職員など幅広く、喜びをもって生きるコミュニティの実現を目指しています。感染症対策においてもこのコミュニティを対象として、各事業を超えた位置づけで「感染症対策委員会」を設置し、感染症の流行や発症に対しいち早く対策を決定し、蔓延防止に取り組んできました。今回の新型コロナウイルスによる感染症に対しても同様に、ホーム入居者、地域で関わる高齢者、職員やその家族に対し必要な対策に取り組んできました。

 職員のマスク着用や手指消毒、共有部分の消毒などを徹底した上で、外部者の入館と、施設間(フロア間)の交流を制限することを主とし、Web面会などの工夫も行い、また施設合同の行事や地域との交流、毎日の礼拝も取りやめにしてきました。お元気な利用者は、受診や買い物などの外出後には、各々が手洗いなどを行っています。

 在宅サービスでも、職員・利用者間の感染予防を徹底し、さらに事務室職員は、事業運営機能が停止するリスクを低減するためにチームを分け、在宅勤務を併用しています。

 職員の共有スペースである、食堂・会議室等は換気を行い、飛沫対策のアクリルパネルを設置し、部屋の定員見直しなども行いました。

 感染予防のためのさまざまな対策により、これまで法人関係者への感染はありません。しかし、徐々に世間の制限が緩和されても、以前の状況に戻ることはなく、適切な対策がようやく見えてきたのだと思いますし、継続する「この状況下で何をしていくか」を考える時期になりました。

 私たちにとって「安全」はとても大切なことですが、そこに「その方らしさ」を忘れてはなりません。それぞれの歴史がある高齢者の皆さんに対し、職員としてこれからもその生き方に寄り添うことが大切です。新型コロナウイルスの存在を感じつつも、工夫をして、職員も含めたそれぞれらしい「新しい生き方」を目指していきます。

プロジェクト3・11 松本子ども留学

谷口和恵(松本教会)

 長野県松本市の郊外、広い畑のある田舎家で営まれている「松本子ども留学」。今年で7年目の活動になります。今は通年の留学生はおらずひっそりとしていますが、長期休みには1週間ほどの保養に訪れるご家族で賑わいます。

 東日本大震災の原発事故から9年半が経ちました。現地では未だ放射能汚染による生活不安を抱える方が多くいらっしゃいます。終わりの見えない事故処理はいつまで続くのか見当もつきません。「だれも取り残さない」が持続可能な社会づくり『SDGs』のキャッチフレーズになっている昨今ですが、クリスチャンである私たちにはイエスさまが「だれひとり取り残しはしない」と言われ行動されたことが心に刻まれていると思います。

 東日本大震災以降も多くの災害が起きていますが、それぞれの場所に助けを必要としている多くの方がおられます。祈りつつ、隣人として何ができるかを考え行動していきたいと思います。以下松本子ども留学の事務局長からの文章です。お読みください。

『松本子ども留学基金では被災地からの留学事業のほか、体と心を休めて健康を取り戻すために、汚染から離れる「保養」が必要という理念のもとに保養事業を行ってきました。
 目的の一つ目は環境下に拡散してしまった放射性物質から離れる、二つ目は子どもを原発事故由来の放射性物質から予防的に遠ざけるため失われたものを「補う」こと、具体的には制限された外遊びや自然体験活動をできるだけ取り戻す、三つ目は事故を起因とする不安感のストレスから離れるためのリフレッシュなどです。
 34年前のチェルノブイリ原発事故後からベラルーシやウクライナにおいて日本と違うところは、国策として国が実行する保養の取り組みが現在も続けられていることです。そこでは治療に主眼をおいた、鍼灸、ハーブ、温熱療法などの自然療法を積極的に取り入れ、免疫を高めて病気を予防するための方法が実践されています。
 松本子ども留学でも昨年の保養では温熱療法の講座を取り入れ、穀物野菜を中心に手作りの食事、思い切り体を動かす、深い呼吸など健康に生きるための極ありふれたことを大切にした内容で企画実施し、参加者のご家族に喜んでいただくことができました。
 しかし今年度は新型コロナウィルス感染症の拡がりにより、被災地の方々を保養にお迎えできていません。1日も早く感染症対策が進み、被災地のご家族が安心して保養に出かけられる社会になることを願っていますし、そのためにできることを続けていきたいと思っています。』

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事  市ヶ谷・スオミ教会牧師)

コロナ禍に高まる結束①
 世界ルーテル連盟(LWF)がドイツ・ハノーファーのラルフ・マイスター監督にインタビューした記事(2020年8月7日)を何回かに分けて紹介します。

(元の記事のURL)
https://www.lutheranworld.org/news/covid-19-new-awareness-social-cohesion-growing-crisis

—ドイツでは緊急的対応からニューノーマルへと少しずつ移行していますが、今後を見据えて、今気づかされていることはありますか。

「人々の生活必需品がどうにかこうにか行き届くようになった点はよいと思います。個人の自由の制限は仕方ないと多くの人々は受け入れ、さらに信念をもって、困っている人々を自発的に気づかったりしています。コロナ禍にあって、多くの人たちが親切に温かく接しているのを見て感心しています。コミュニティで人々の心配りがこれほどまでとは思わなかったので、希望がもてます。」
(以下、次号に続く)

「今年、キャンプはないけれど、平和の祈りでつながろう!~おうちでルーテルこどもキャンプ特別編~」報告

TNG子ども部門 池谷考史 (博多・福岡西教会牧師)

 毎年8月に行われる「ルーテルこどもキャンプ」が、今年は新型コロナウイルス感染症の影響によって、やむなく中止となりました。そこで、子ども部門では、キャンプを楽しみにしていた子どもたちのために何かプログラムはできないかと考え、それぞれの場所で平和の祈りを合わせる趣旨で、標記のプログラムを行うことになりました。

 具体的には、8月10日10時から動画によって、全国から届いた手形に書いた平和の祈りを紹介し、青年たちによる賛美や、派遣礼拝を配信し、場所は離れていても共に平和の祈りを合わせました。参加者や見てくださった方から感想文をいただいておりますので、本紙面をお借りして掲載させていただきます。

 今回は初の試みでしたが、このプログラムのために、お祈りとご協力をいただいた皆様に感謝いたします。
 なお、動画は、来年3月末までYouTube「ルーテルTNG子ども部門チャンネル」にて配信していますので、ぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/channel/UCxnuxYqvw4MF-ob2kDRA55A?view_as=subscriber

「小さい子は絵を描いたりと、みんなの平和への思いをみれて、良かった。しかし春キャンに行けず残念だった。神様にコロナウイルスの終息をお祈りします。」
  箱崎教会 古澤奈々子

「平和をつくりだすために私たちに出来ることについて、いろいろな教会から、みんなで仲良くしたい、戦争をしないなどのメッセージが集められました。私も、みんなで仲良く楽しい毎日にしたいと思いました。今年は、みんなで集まれなかったけど、こうしてリモートでみんなと繋がることが出来て、よかったです!」
  天王寺教会 鈴鹿莉愛菜

「山の日。教会にて総勢8人(内子ども1人)が動画視聴。中島共生牧師がスマホとテレビをつないでくださったのです。そして出演者の中に、20年前の幼子を見つけた時の驚きと喜び。まさに、主は生きて働いておられます。コロナゆえの特別企画。平和の祈りで、しっかりとつながることができました。制作・配信等にかかわってくださった全ての皆様。有難うございました!」
  厚狭教会 國吉純枝

「『おうちでルーテル子どもキャンプ』の画像を見て心が洗われるように素直な気持ちになりました。えがお・仲良く・つながる・幸い・平和、『幸せで健康な家族になれますように』、『争いのない世界でありますように』・・こどもたちのシンプルで心に響く祈りがたくさんあり、ひとつ、ひとつの祈りが丁寧に紹介される。また平和を祈る歌・礼拝へと素晴らしい映像でした。教会みんなで平和を実現する人々となれるよう神様にお祈りしましょう。」
  東京教会 森下博司

第28期 第11回 臨時常議員会報告

事務局長 滝田浩之

 9月21日(月)、標記の常議員会が開催されました。特に第29回定期総会延期に伴う、諸課題について以下のように確認しましたのでご確認をお願い申し上げます。

(1)第30回定期総会について
 本来、2020年5月に開催される予定であった、第29回定期総会は延期されてい
る状況がありますが、宗教法人法に照らして第30回定期総会は、「総会は2年1回定期に開く」(宗教法人日本福音ルーテル教会規則第16条)を鑑み、2022年5月に予定通り開催することを確認しました。

(2)第29回定期総会の延期について
 第29回定期総会は、すでに第10回臨時常議員会において確認された通り、2021年5月に開催を延期することを決定しています。この第29回定期総会は、2021年5月に開催できるように最大限の努力を行う必要があります。しかし感染症によって、再度延長を余儀なくされた場合、可能な限り2021年中に開催されることが望ましいことを確認しました。しかし、そのような努力が実らず更に2022年5月まで延期せざるを得ない場合は、2022年5月に行われる第30回定期総会と同日程にて第29回定期総会を開催せざるを得ない場合もあり得ることを確認しました。

(3)総会選出の常議員について
 2018年5月に選出された総会選出の常議員(議長、副議長、事務局長、会計、財務担当常議員、総会選出常議員)については、現在、第29回定期総会が延期されていることから、宗教法人日本福音ルーテル教会規則第2章第8条3項に基づき、その職務を継続して行っている状況にあります。この「その職務を継続して行っている」状況について、この期間について任期をどのように考えるかについては、これを定めている規則がないことを確認しました。よって第28期第11回臨時常議員会として、この期間の任期について以下のように理解することを確認しました。
 2018年6月~2020年5月までの2年間について、1期を終えたものと理解する。
 第29回定期総会が開催されるまでは、2期目の任期中にあるものと理解する。
 よって第29回定期総会が2021年5月に開催され、総会選出の常議員を選出する場合は、そこで選出される常議員については2022年に開催される第30回定期総会前に辞任することを確認した上で選挙を行うこととします。つまりここで選出される常議員については1期の任期を1年とします。これは現在選出されている常議員が引き続き選出された場合も、新たに選出された常議員についても同様に理解することとしました。こうすることで1期2年(最長3期6年まで)という日本福音ルーテル教会規則第3章第50条の精神が担保されることに配慮しました。

(4)総会提案予定であった議案の取り扱いについて
 第29回定期総会で検討する予定であった議案については、以下のように対応することを確認しました。
 第2号議案の「教会組織案件」については、宗教法人日本福音ルーテル教会規則第2章第4節第26条を適用し常議員会として総会にかわり承認しました。具体的には日本福音ルーテル高蔵寺教会の種別変更、また宗教法人日本福音ルーテル益田教会の解散案件になります。
 第4号~第7号議案については、すべての議案について第29回定期総会に提案することを確認しました。「ハラスメント防止規定の件」、「アジア宣教の件」となります。また「第7次綜合方策」についてはコロナ禍の中での宣教のあり方などについて、更に常議員会で検討をしていくこと、また「市ヶ谷会館耐震工事」については財務委員会において現段階で可能な対応を検討することが確認されています。
 第8号~第10号議案については、決算、予算に関するものです。これについては日本福音ルーテル教会規則第5編第3章第61条2項を適用し、常議員会において仮承認の手続きを行いました。第29回定期総会において承認を求めることといたします。
 その他の件につきましては、お送りしております議事録にてご確認をお願い申し上げます。

公 告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。

2020年11月15日
宗教法人 日本福音ルーテル教会
代表役員 大柴譲治
信徒利害関係人 各位

(1)益田教会 礼拝所
(ア)土地
・所在地 益田市元町
・所有者 日本福音ルーテル  教会
  地番 61番4
  地目 宅地
地積 155・37㎡
(イ)建物
・所在地 益田市上吉田字赤 城61番地4
・所有者 日本福音ルーテル  教会
 種類 礼拝堂・牧師館
 構造 ブロック造陸屋根
 床面積
 一階 79・43㎡
 二階 41・71㎡
 理由 売却のため

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