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機関紙るうてる

るうてる2019年8月号

説教「神さまの平和」

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 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。 怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。 あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。 できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。                  (ローマの信徒への手紙12・9―18)

日本福音ルーテル教会では、8月の第1日曜日を平和の主日としています。私は牧師となって今年で15回目の平和の主日を迎えますが、毎年この主日を迎える時、平和とは何かについて考えさせられます。特に2011年、つまり東日本大震災が発生してからは、毎年被災地の平和について考えています。
 今から約8年5ケ月前に発生したこの震災によって15897名の方々が一度に天に召され、未だに2532名の方が行方不明です。(2019年6月10日警察庁調べ)そして、震災後に震災関連により天に召され方は3723名に上ります。(2019年3月31日復興庁調べ)また、仮設住宅等に避難されている方は50665名、内36674名の方が県外避難を余儀なくされています。(2019年6月11日復興庁調べ)
 あらためてこの数字を見る時、その数字の大きさに驚くと共に、その数字一つ一つに隠されたひとり一人の人生が私の平和への思いをより強くさせます。
 平和、それは、やすらかにやわらぐこと。おだやかで変わりのないことです。
 今から、約8年5ケ月前、東日本大震災の被災地では、この平和が一瞬にして奪われ、多くの人の命や人生も奪われてしまったのです。そして、遺された人たちの人生をも大きく変えてしまったのです。
 私はこの震災発生後、ルーテル教会救援派遣牧師としてルーテル支援センター「となりびと」で2年間、支援活動を担当しました。そしてその活動が終了してからは、個人的な支援・交流を含めて、毎年のように女性会連盟や東教区女性会の方々と共に「となりびと」の支援先を訪問しました。昨年は、夏休みを利用してはじめて個人的に訪問もしました。(詳しくはルーテル教会救援「となりびと」ブログlutheran-tonaribito.blogspot.comをご覧ください。2019年7月1日現在アクセス数364162)
 昨年6月、女性会連盟総・大会で報告の機会が与えられた時、その報告のために現地の支援先にお電話をし、仮設住宅に住まわれている方々がいよいよ災害復興公営住宅に入ることができるという福音に与かりました。皆さんにも沢山購入していただきました布草履を制作していた「石巻なごみ会」の方が住む仮設追波川河川団地の方々は、昨年6月9日(土)に災害復興公営住宅の新しい部屋の鍵を受け取り、順次引越しを開始されていました。この団地に住まわれる方々は、一つの学校としては最大の犠牲者(児童74名、教職員10名が死亡)を出した大川小学校校区の方々が住む仮設団地です。また、つるしびなを製作・販売していた雄勝「華の会」の方々が住む仮設追波川多目的団地の方々も昨年の7月末には災害復興公営住宅に入居することができました。昨年、自立再建の一部の方を除いて、「となりびと」の支援先の仮設住宅入居者は全員、災害復興公営住宅に入居できたのです。
 先日、今回の説教を担当するにあたり、支援先の方々にその後の生活についてお尋ねしました。そのお応えからは、今から約8年5ケ月前のあの出来事とは正反対のまさに、やすらかな、やわらぎのある、おだやかな生活、つまり、平和な日々を過ごされていることを私は、実感したのです。
 私は、この約8年5ケ月の間、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」のみ言葉により、被災地の方々と共にありました。そして、これこそが神さまの平和の在り方なのです。
 最後に昨年、雄勝「華の会」の方からいただいたお手紙(一部抜粋)を紹介し、この説教を閉じたい思います。

 「あの東日本大震災から7年がたちますが、長い年月、野口さまにはいっぱいご支援をいただき誠にありがとうございました。感謝でいっぱいです。私達お陰様で仲間と楽しくつくれることの幸せを感じました。失った物も大きかったが皆様方から暖かい心で見守ってくださり、どんなにか勇気づけられたことでしょう。いつまでも忘れることはないです。これからも頑張って生活していきます。なお、来石の際はお声をかけて下さい。華の会一同感謝しています。まずはお礼まで」
 日本福音ルーテルみのり教会 牧師 野口 勝彦             

コラム「直線通り」久保綾奈

⑰ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。すると、主はいわれた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」(使9・10)
 
 アメリカ留学を考える生徒から相談があるといわれ、何事かと思いました。留学したこともなく、アメリカに行ったこともないわたしを選んで相談したいとは。人選ミスも甚だしいと思いながらも話を聞くと「アメリカで使う英語名を先生につけて欲しいんです」と。しかも聖書の中から選んで欲しい、とのこと。「わたしに似ている聖書の人物っていますか?」と聞かれました。
 嬉しい相談でした。生徒はクリスチャンではありませんが、学校でキリスト教に出会えたことに神様の導きを感じていました。礼拝も聖書の授業も好きなことは知っていましたが、聖書に自分を重ね合わせながら読み、自分自身を見つけたがっていたことに心が震えました。またこの生徒の姿勢は、大切なことを思い出させてくれました。
 わたしには洗礼名があります。それは使徒言行録9章の「アナニア」で、直線通りにあるユダの家にいたパウロに恐れつつも逢いに行き、祝福し、目を見えるようにした人物です。わたしはパウロのように大きなことはできない、でもパウロのような神様の選んだ器を導く人になりたかったのです。
 候補をいくつか上げ、生徒は少しの時間考えてから「パウラがいいな」(パウロの女性形)と言いました。
 キリストの声に応えて「直線通り」を行き、ユダの家に入ったアナニアの気持ちを追体験する思いがしました。世界に羽ばたく生徒を後押しできる喜びを、このような形で神様が与えてくれるとは。神様の与えてくださる喜びはバラエティに富み、これほど豊かなものかと実感し、わたしの目からもウロコが落ちました。

るうてる法人会連合第13回総会開催のご案内

■2019年8月22日(木)13時~
      23日(金)13時
■ルーテル学院大学(東京都三鷹市)
■主題 「ルーテルを語ろう」
■基調講演講師 宮本新牧師
      (日本ルーテル神学校)
 正会員登録費    2,000円
 正会員以外の参加費 1,000円
 参加申込締切  7月26日(金)
 問い合わせ・申し込み先 
るうてる法人会連合事務局
(日本福音ルーテル 教会事務局)
※詳細はJELCニュースブログ  jelc-news.blogspot.comをご覧ください。

「議長室から」総会議長 大柴譲治

6月18日に西地域教師会で福山教会を訪ねました。私の初任地でしたので懐かしく瞬時に様々なことを思い出しました。福山教会にとっては今回4人の歴代牧師が一堂に会するという歴史的な瞬間となりました。松木傑(1979~1986)、大柴譲治(1986~1995)、鈴木英夫(1995~2000)、加納寛之(2017~現在)という4人並んだ姿の中に、歴史を貫く神の複数共同牧会の御業が可視的に示されていたと思われます。
 福山教会の聖具庫に1枚の碑文のコピーが飾られていました。「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」。(写真下)広島市平和記念公園の記念碑の言葉です。それは当時「西教区・平和と核兵器廃絶を求める委員会(PND委員会)」の活動を通して毎年5月に開催された「広島平和セミナー」の中で得たものでした。これは誰が誰に向かって語った言葉なのでしょうか。私はこう思います。「安らかに眠ってください」と祈るのは碑文の前に立つ私たち自身です。そこで覚えられているのは直接的にはヒロシマ・ナガサキで原爆の犠牲となった人々のことでしょうが、同時にそれは先の戦争で無念のうちに生命を奪われたすべての人を指していると受け止めています。戦争という「過ち」を私たちは決して繰り返さないという「罪の告白」であり、平和と和解の実現のために私たちはその責任を担ってゆきますという「信仰の告白」なのです。古財克成牧師からだったでしょうか、広島平和セミナーの中で「昭和天皇の軍隊」の名の下に行われた太平洋戦争の犠牲者数が「日本では240万人、アジア諸国ではその10倍」と学び衝撃を受けたことを思い起こします。「敗戦記念日」である8月15日はアジアでは「解放記念日」であり、韓国では「光復節(クァンボクチョル)」と呼ばれています。今JELCはアジア宣教を視野に入れていますが、私たちはアジアの脈絡の中でこれまでの歴史を深く心に刻みつつ、和解と平和の実現のためにキリスト者として託されている使命を担ってゆきたいと願っています。「壁」を作ることではなく「橋」を架けてゆくことが求められています。これまでアジアとのネットワークのためにコツコツと努力してこられた方々の貴い働きを覚えます。
 神は人々の「無念の声」に耳を澄ませ、「我が民の叫びを聞けり」と告げてくださるお方です(出エジプト3・7)。「何ということをしたのか。あなたの弟の血が土の中から私に向かって叫んでいる」(創世記4・10、聖書協会共同訳)。神は平和のために私たちをどのように用いてゆかれるでしょうか。「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」。初任地以来、この声は私の中で通奏低音のように、時空を超えた鎮魂の声として響き続けています。

サウスカロライナ・シノッド総会、ELCA本部を訪れて 八木久美 (世界宣教委員・むさしの教会)

5月28日から6月5日にかけて牧師8名と信徒1名一行がアメリカ福音ルーテル教会(ELCA)のサウスカロライナ・シノッド(SC)総会出席と世界宣教局シカゴ本部訪問を目的に渡米しました。到着翌日に訪れた神学校は自然豊かなキャンパスの中、24時間開放型図書館やトレーニングマシン・エリア、談話・自習空間がゆったりと確保されて神学生の感性や特性を伸ばす全人教育が可能となる環境に感銘を受けました。陽気にリュートを奏でるルター像の前で写真を撮ったその足で向かったタボル山教会では、八王子教会の創成期から長く御用をされたジェリー・リビングストン宣教師とジャニス夫人が「10年以上日本語を話していません」と流暢な言葉と柔和な笑顔で歓迎してくださいました。
 第32回総会―SC教会共同体第194回大会『Joining God in the Neighborhood~隣人たちの中で神と交わる』の初日では、「日本からの仲間を歓迎します」と驚きの中一行が登壇を促され紹介を受けました。 総会は諸報告と協議進行の随所に祈りと賛美が組み込まれており各教会代議員・教職の投票等は端末を用いて時間短縮と作業の軽減化が顕著でした。
 聖餐夕礼拝はハーマン・ヨース監督の説教と大柴譲治総会議長・浅野直樹世界宣教主事が司式・配餐を担われました。開期中のリフレッシュタイムとして選択制で映画「The Hate U Give」「Won’t you be my Neighbor?」を鑑賞後に「コミュニティ、隣人、人種主義、大量消費社会での子どもとの対話」などの討論タイムや夕食後の自由参加でBeer & Music sessionが用意されていたことや、女性会・男性会・青年会・海外宣教・教育などの 諸機関・運動体ブースの充実が印象的でした。
 総会を終えてチャールストンへ移動、米国内で最古(270年以上)のセントジョーンズ教会と旧奴隷市場を見学。お世話になったボニー&フランク・ボウグナイト夫妻へ別れを告げシカゴへ移動しました。
 ELCA世界宣教局シカゴ本部では石田フランクリン順孝アジア太平洋州部長が各部署を案内してくだり、南米・アフリカ・アジア各国からの教職・職員とのトークショウに参加。西川晶子牧師(室園教会)、野口和音牧師(松本・長野教会)はじめ日本の若い牧師たちがパネリストとして参加、各国の宣教状況の違いや信徒人口減少への教会としての取り組みなどを共有できました。
 渡米2日目に神学校の庭で見た「円形の迷路 ラビリンス ウォーク」は、歩く瞑想・黙想として迷路を進む過程で『3つのR、リリース・中心へ向かいながら心身の開放、レシーブ・中心で体験を受け取る、リターン・外へ戻る』を体感できるものと言われていますが、振り返ると今回の訪問が正しくその道程であった恵みを覚えます。
 主なる神と、準備をしてくださったアメリカ福音ルーテル教会サウスカロライナ・シノッド、ELCA世界宣教局シカゴ本部、訪問団関係各位に感謝いたします。

賛美歌と私たち②「サンビカ」とは? 小澤周平 (名古屋めぐみ教会牧師)

 私たちは普段、式文以外の「礼拝で用いる歌」を「サンビカ」と呼びます。でも、これはキリスト教会の常識ではありません。なぜなら、「聖歌」や「ワーシップソング」など他にも呼び方があるからです。ちなみに、ルーテル教会にゆかりのある諸外国を見てみると、例えば、アメリカのルーテル教会(『ELW』)では「ヒム」とあり、これは賛美歌とも聖歌とも訳せる語。ドイツや北欧諸国においては、礼拝用の歌集の呼び方は「歌の本(詩の本)」です。
 実は、私たちが「サンビカ」と呼ぶのは、私たちの継承した信仰が「サンビカ」のルーツにあるからです。その歴史は、佐賀での宣教開始までさかのぼります。JELCの『百年史』によれば、当時、礼拝で使った歌集は、『讚美歌 全』(1881年、日本基督一致教会系)、あるいは、『新撰讃美歌』(1888年、一致教会系と組合教会系の共通歌集)を含むと推定されます。小さな群であった当時のルーテル教会は、プロテスタント教会の超教派の取り組みとしての「サンビカ」の流れに沿って礼拝を整えていきました。
 このような歴史を尊重し、日本基督教団讃美歌委員会の見解や研究者(原恵や水野隆一)の意見を参考にして、本連載では「礼拝で用いる歌」の一般名を「賛美歌」と表記します。特定の歌集名を指す場合はそれらの名前で記します(例、『讃美歌』や『教会讃美歌』)。
 現在の日本で、賛美歌は広く市民権を得たことでしょう。クリスマスソングや結婚式場での一こまを思い出すと、賛美歌が日本文化に溶け込んでいるとわかります。実に奥が深い話。それでは、日本のルーテル教会独自の歌集の歴史は?調べてみると興味深い資料が。それは、佐賀から遠く離れた諏訪での話…(続く)

ブラジル伝道の区切りと将来(3) 徳弘浩隆

〈1 0年にわたるブラジル・サンパウロ教会での宣教師派遣から日本へ戻られた徳弘浩隆牧師よりブラジル伝道についての報告をご寄稿いただきました。今回はその第3回・最終回です。〉
4 将来
 ブラジル人牧師にバトンタッチしましたが、他教派の日系教会もそうですが、言葉の壁、文化の壁、感受性の違いは殊に教会の中では大きく響きます。より良く折り合い、日本の伝統も守りながら日系教会が発展するよう祈っています。
 翻って日本に目を向けると、ここにも日系ブラジル人がたくさんおられますし、再度増加中です。4月からは「外国からの労働人材」受入れも大幅に増え、変化の時代に入ったようです。異国で言葉や労働条件で苦労をし、家族内でも言語の壁ができ、不就労や不就学の子どもたちの苦労もあります。外国人支援は行政では手が回らず大変と聞きますが、世界中にネットワークがある教会なら、すぐにでもできるはず。彼らの出身国からルーテルの牧師を招いて共に働けばよいのです。
 私は帰国赴任後、岐阜市と大垣市でブラジル人のお店やレストラン、学校を訪ね始めました。在日ブラジル人のための就職情報新聞を作っている会社の方も帰国した私に会いに大垣教会を訪ねてくれ、「外国人材の方々への日本語学習の支援、子どもたちの支援が、彼らの幸せな生活のために必須だ」と意気投合しました。
 外国人材抜きでは日本社会は機能しない時代だそうです。ならば教会の中にも、率先して外国人を招き、共生していくのが理想ではないでしょうか。教会も信仰も豊かにされるはずです。ブラジルのルーテル教会の中に正式に日系教会があるように、日本のルーテル教会の中にブラジル人コミュニティができたらどんなに良いでしょう。英語礼拝や英語コミュニティは既にあるのです。日本で日系人牧師が生まれ、交換牧師として働くことも夢でないかもしれません。
 そんな夢をもって、従来の教会の働きに取り組みながら、ブラジルの日系教会の支援も続け、国内で外国人と出会い支援や伝道もしていきたいと願っています。JELCのブラジル伝道の歴史とあゆみが、今の社会のニーズに合わせて、そんな形で広がるのも神様のご計画なのかもしれません。

第10回日韓NCC協議会報告 小勝奈保子(聖パウロ教会牧師)

 第10回日韓NCC協議会が5月28~31日、在日本韓国YMCA(水道橋)で開催されました。1日目は開会礼拝と総幹事報告、2日目は基調講演として「北東アジアの平和構築と日韓教会の役割・韓半島の非核化と市民国家」と題し、イ・キホ氏(韓国神学大学、平和教養大学)、続いて「近代日本のナショナリズムと日韓関係構築への課題と展望・エキュメニカル運動の視点から」と題し、山本俊正氏(関西学院大学)が発題されました。午後はパネルディスカッション形式で「平和構築と教会の役割」と「移民・難民問題」をテーマに話し合われました。3日目は4つの分科会「原発・非核化問題」、「日韓関係と教会」「教会の問題・課題」「ジェンダー」に分かれてグループディスカッションを行いました。午後は全体討議と声明文作成に関する討議が行われました。4日目は声明文の採択と閉会礼拝で終了となりました。
 心に残ったことは、在日キリスト者たちが日本社会の中で様々な差別に出会いながらも、自己のアイデンティティを確立し、韓国と日本との橋渡しとして平和構築のために対話の努力を重ねてきたことです。北東アジアの平和に関しては、日本の戦争責任の曖昧さが信頼を損なう要因になっています。また、加害者責任を学ぶ機会を得なかったために、他者の人権を侵害していることに気づかない、それは現代の社会問題、DV、虐待、いじめにも通じます。更に、外国人の就労問題を考えますと、人権が重んじられず不当な搾取が行われています。人権に基づく法整備と社会政策を展開する必要がありますが、必ずしも国家にとっては都合のよい制度の構築ではありません。ひとたび内政に混乱が生じれば、外国人、そして、私たちの人権は守られるのでしょうか。韓国の人々が徴用工に関して声を上げていますが(日本社会の中には今さら過去を蒸し返してもという声も聞かれますが)、日本の国策の行方を日本人以上に韓国の人々が敏感に感じ取っているからなのでしょう。内側からは見えない外側から指摘されることによって、「ああ、やっぱりそうなのか」と、改めて自国の課題を認識する機会となりました。

池田礼拝堂仕舞にあたって 髙井 康(帯広教会)

 十勝ワインの町として広く知られている池田町は十勝平野中央よりやや東に位置しています。かつては十勝第2の町として活気に満ちあふれていましたが、例に漏れず少子高齢化の波にのまれ、現在は人口7千人の町となっています。
 戦後まもなく家庭集会から発展した池田教会は63年にわたり、時代の流れと共に歩んで来ました。折々に様々なプログラムが実行され、子どもをはじめ多くの方々が恵みに与り、特にバザーには管内各地から大勢の方が足を運んで下さっていました。小高い場所に建つ教会は、四季折々美しく変わりゆく自然に調和し、夜には十字架のイルミネーションが人々の心を一時の安らぎへといざなってくれていたように思います。
 このように地域に根ざし、多くを語っていた教会が今閉じられると思うと寂しさを禁じ得ません。しかし、これも神の時なのだと理解できます。
 仕舞いに向けての作業は祈りの内に進められており、6月30日が最後の合同礼拝となりました。地域の新聞にも取り上げられ、多くの方がご参集下さいました。礼拝後の交わりでは、和やかな雰囲気の中で旧交を温め合う姿が随所に見られ、幸いな一時となりました。
 今後は8月25日の礼拝を最後に礼拝堂の解体、ステンドグラスの帯広礼拝堂への移築が予定されています。この池田教会のシンボルを見るにつけ、歴代牧師・宣教師そして信仰の先輩達の祈りと尊い労が思い起こされ、今の時を生きる私たちの責任を痛感させられます。
 時代そして状況の変化により、集会の有り様も変化せざるを得なくなりました。《二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。》(マタイ18・20)のみ言葉にあるように、建物を手放しても今後も実施可能なところで集会を続けてゆきたいと願っています。設立当初の志を継承し、帯広を拠点とした今後の宣教の展開を覚え、これまで同様に道東の新たな歩みのためにお祈り頂ければ幸いです。栄光在主。

第28期第4回 本教会常議員会報告 滝田浩之(日本福音ルーテル教会事務局長)

 6月10~12日、市ヶ谷センターを会場に行われた標記の件について、主なトピックをご報告いたします。

1 ハラスメントの学び
 フェミニストカウンセリング東京の与語淑子先生を講師に「二次被害を防ぐために、相談窓口の心得」として常議員会としては4回目の学びを実施しました。ワークショップ形式で事例をもとに、相談者、行為者、相談窓口、それぞれの気持ちの動きなどを5つのグループに分かれて体験する機会となりました。先入観を持たないことはできないけれど自分の先入観の傾向を知っておくべきこと、相談を受けた者が拙速にハラスメントと認定しないで客観的に相談者からの聞き取りを行うことの大切さを学ぶことができました。
 ハラスメントは相談者の不快、あるいは不当であるという認識が最も尊重されるべきではあるが、調査委員会によってすべてがハラスメントを認定されるものではないことなど実際の取り組みの中で起こるケースも分かち合われました。
 次回常議員会までに、フェミニストカウンセリング東京の監修のもと、規程を事務局にて提案することが承認されました。規則が承認される前に起こるケースについては、これまで通り各教区常議員会が対応しますが、これまで学んだ他教派の事例等も参考にしながら本教会常議員会として対応していくことも確認されました。

2 市ヶ谷会館将来検討委員会
 設計事務所のリーダーシップのもと、耐震工事実施を円滑に進めるために施工業者の選定作業が行われました。3社のプレゼンテーションを受けて、浅沼組のリフォーム専門チームが選定されたことが報告されました。今後、浅沼組と技術支援業務契約を行い詳細な工事工程、実施見積もりを作成、これをベースに総会にて実施計画が提案されることになります。

3 ACT・JAPANフォーラムへの参加について
 ルーテル世界連盟(LWF)と世界教会協議会(WCC)によって組織された国際援助連合体であるACTアライアンスが、2018年総会で地域毎のナショナル・フォーラムに権限を移譲する方針を決定したことを受けて、JAPANフォーラムが日本キリスト教協議会(NCC)を中心に立ちあげられることとなりました。このACT・JAPANフォーラムに日本福音ルーテル教会も参加することが承認されました。災害発生時の緊急対応と共に、毎年のように起こる災害に対して日頃から各教派の連絡を密に行い備えることを目的としています。これまで各地の災害で協力してきた経験を通して、日常の地域の超教派の牧師会や共同のクリスマス会などで顔を合わせた関係があると、いざという時にそこでの信頼が支援活動のベースとして働くことが分かっています。これらのすでにあるネットワークに働きかけを行うところから活動が開始される予定です。

4「天皇『代替わり』関連行事に関する見解」
 社会委員会の作成してくださった標記の「見解」を本教会常議員会として承認しました。またそれに伴い、11月に行われる大嘗祭にむけて日本福音ルーテル教会として声明をだすことが承認されました。社会委員会に案の作成を依頼しました。

5 オープンセミナリーについて
 神学教育委員会とルーテル神学校の共催で、10月13~14日、ルーテル学院大学を会場に「オープンセミナリー」を開催することが承認されました。今後、少なくとも5年継続して開催することになります。神学校を身近に感じて頂いて、神学生あるいは教会関係施設の働き人の育成を目的としています。
6 戒規執行に伴う責任者減給の件
 日本福音ルーテル教会の現役教師が戒規に付されたことを受けて、組織としての再発防止への決意、また戒規を受けた者との連帯のため総会議長、副議長、事務局長、当該教区長の給与の減額(3か月)を決定しました。
以上、ご報告いたします。詳細は常議員会議事録にてご確認ください。

ご協力感謝。未来につなぐカンナリレー。

宗教改革500年を契機に「お互いがお互いを想う心で平和をつなぐ」ため、被爆地ヒロシマにいち早く咲いた平和のしるしである赤いカンナを育て、分かち合う歩みに連なりました。
 2017年11月23日に長崎のカトリック浦上教会で行われた共同記念の折に、和解のシンボルとして参加者に配布されたカンナの球根は全国津々浦々に植えられました。大きく育つものもあればそうではないものもあり、各地から届けられる生育の様子をホームページでも紹介してきました。
 2度の開花の時期(およそ2年)を過ぎる今年11月中旬には、球根を掘り出していただき、株分けして半分ほどをお送りいただきたいと思います。残りの半分は、改めて植えていただいてかまいません。お送りいただいた球根は、さらに他の場所で平和のしるしとして咲かせるために植えられます。送付先や送付手順については、改めて案内をいたします。(広報室)

ルーテル学院創立110周年記念 一日神学校のご案内

石居基夫(日本ルーテル神学校校長
【ディアコニアのこころと実践】
 110周年を迎えた、今年の一日神学校のテーマは「ディアコニアのこころと実践」。大学と神学校は、三鷹に移転してからの50年、社会福祉や臨床心理の分野に教育の幅を広げて来ましたが、その原点に「ディアコニア」があるのです。
 ディアコニアとはギリシャ語で「仕えること」という意味ですが、教会による地域社会の人々のための福祉的働きのことを表します。福祉国家として知られる北欧の国々は、ドイツに始まるルーテルのディアコニアを社会の中にしっかりと位置付けて来たのです。
 その「ディアコニア」を日本の中に展開したい。そんな願いが、三鷹移転後のルーテル学院に新しい展開を起こしました。
【教会の宣教の広がり】
 ルーテル教会は、日本宣教の当初からキリストを伝える宣教を、教会による伝道活動のみでなく、広く日本社会の中に教育と福祉の働きを展開しながら、推し進めて来ました。
 特に、1920年代には、熊本には慈愛園、東京でも東京老人ホームや母子生活支援施設のベタニヤホームが始められます。社会の中で具体的な困難を抱える方々と共に生きる社会を実現する社会福祉を、キリストの福音宣教の業として取り組んできたのです。
 そして、全国に広がっていく教会においても、幼稚園や保育園が建てられていくのです。
【地域社会に生きる人々のために】
 ルーテル学院は、この教会の大きな宣教の働きに応えるよう、地域社会において様々な困難、苦しみを抱えて生きる人々に向けて、具体的援助を作り出し、働く人材を養成して来ました。それが、すべての人にキリストの福音をもたらす宣教に仕えることと考えたからです。

 9月23日に行われる今年の一日神学校では、このルーテルの「ディアコニア」とは何かを学び、また、実践教育に力を入れて来た本学の福祉・心理教育の原点を皆さんと共に考えたいと思っています。
 どうぞ、一日神学校においでください。

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