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るうてる2006年

るうてる《福音版》2006年9月号

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バイブルエッセイ「地獄へも行きます。あなたが一緒なら」

「ここにある」「あそこにある」と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。/ルカによる福音書 17章21節(日本聖書協会・新共同訳)

 今年の春、引越ししました。猫一匹を連れて。とうとう、我が家のペットも一匹になってしまいました。いつしか住みついた年齢不詳のメス猫です。しかし、そのじゃれっぷりや、毛並み、色つやからして、おそらくまだ若いでしょう。近所の飼い猫か、飼われないまでも、猫好きの人に世話されていたようで、避妊手術が施されていました。
 いつの頃からか、我が家に遊びに来るようになったのです。最初は庭を徘徊したり、自家用車の屋根に寝そべったり。その段階で、こちらは親愛の情をこめて「お近づきになりましょうシグナル」を発信していました。やがて玄関先にまで来るようになりました。お行儀よくお座りしている様子がガラス戸越しにシルエットでわかりました。
 そうなると、こちらはもうすっかり歓迎モード。玄関を開けておくと、顔だけ出し入れして中の様子をうかがい始めました。やがて、用心深く、全身を低く身構えて、家の中に侵入してくるようになりました。物音がしたり、気配を感じると、脱兎のごとく、退散していましたが、そのうちに「ここは安全」と認識したようです。ついには、差し出すえさも食べるようになりました。すっかり安心したのか、猫の仕事である居眠りまでするようになりました。という次第で、いつのまにか、近所の住人も認める、我が家の猫になりました。
 出入りするようになった頃から、かってに名前をつけて呼んでいますが、家族の中で、その名を統一できないまま、今に至っています。しかし、不思議に、どの名で呼んでも、それなりの対応をしています。さすが、健全な利己主義者といわれる猫です。わたしは「チビ」と呼んでいます。普通の猫並みの体格ですが、最初出会った時の印象がとても小さかったからです。
 チビにとっての悲劇は、わたしの転勤でした。連れて行こうかどうしようか、わたしたちはずいぶん迷い、考えました。チビにとって、どちらが幸せなのだろうかと。熊本から東京へ。緑一杯、空き地たくさんの郊外の庭付き一軒家から、大都会の、大通りに面したマンション風の住まいへ。すきまだらけ、出入り自由の木造モルタル造りの家から、気密性ばっちりの鉄筋コンクリート造りの「4LDK」へ。
 引越し当初は、「人が変わった」というか、猫が変わってしまいました。目つきも、歩き方も、かつての我が家に出入りし始めた頃のそれでした。その姿を見るにつけ、胸が締め付けられる思いでした。「トイレができるようになれば」。これを一つの目処に、その時を待ちました。それができてからは、いつもの「チビ」になりました。「犬は人につき、猫は家につく」といわれたりしますが、かならずしもそうではないようで、要はきずな、信頼関係ということかもしれません。わたしたちの人生のゴールも天国でなくてもいいではありませんか。地獄に行ったとしても、そこに、「神共にいます」ですから。
M.T

心の旅を見つめて  堀 肇

「晩婚化の時代の中で」

晩婚化の傾向が
しばらく前のことですが、大学生(首都圏)を対象にした「結婚と仕事」に関するあるアンケート調査を見て改めてこの時代のライフスタイルの変化を実感させられました。それによれば結婚希望年齢は男女共に30歳から34歳を挙げる人が最も多く、晩婚化の傾向がはっきり出ています(現に25から29歳の未婚率は70%近くにまでなっています)。仕事については女性の積極思考がつよく、結婚後も子どもが生まれたら育児休暇をとって復帰する、あるいは子どもが大きくなったら仕事につくなどの希望を持っている人が80%に及んでいます。さらに結婚に関しては晩婚化が進んでいるだけでなく、近年は結婚そのものを望まない、一生結婚するつもりはないという人たちの割合も男女共に増加の傾向にあります。
そこには様々な要因が
このような晩婚化などの背景には女性が経済的に自立できるようになったことや価値観の多様化という文化的な要因も考えられます。加えて女性が結婚相手に対して多様な期待を持っていることや男性の雇用の不安定さも晩婚化の一因となっていることは確かです。親から見れば、「どうして、もっと現実的に考えられないのか」、「理想的な相手なんてないのだから、選り好みをしないで」、「いつまでもぐずくずしていると……」と言いたくなるわけです。ことに戦後の物質的に貧しい時代の中で、一生懸命働いて家庭を築きあげてきた親たちにしてみれば、仕事も結婚も理想ばかりを追い求めないで、学校を出たらとにかく働いて、世間で言う婚期がきたら結婚して家庭を作ってほしい、とうことなのです。これは親が持っている普通の気持ちであろうと思います。
「結婚したいけれどできない」? 
 ところで現代の結婚事情の変化にはもう少し異なった側面から考えなくてはならないケースもあることを理解しておきたいと思います。ある人たちは交際相手が現われて、いざ話が結婚となると忌避したり延期してしまう、相手が離れると引き止める、近づくとまた避ける、といった具合に「接近と回避」を繰り返し、結局「結婚したいけれどできない」という、いわゆる「結婚モラトリアム」と言われる状態に陥っている場合もあります。この問題の原因はそれほど単純ではなく、異性に対するトラウマ(心的外傷)や生理的な嫌悪感、また親や家族との分離が難しい状態になっていることも考えられます。
子どもたちへの贈り物
 このように、晩婚化の現象には心理的な要因もあることを考えると「特効薬」のような解決策を考えるのは難しいというよりも慎重でなくてはならないようにも思います。それよりも子どもたちの将来を考え、特別に留意しておきたいことがあるのです。それは親の結婚生活です。現代は離婚率が上昇傾向にあるだけでなく熟年離婚が身近な話題になる時代です。このような環境下にある子どもたちは結婚に希望を持つことができなくなる可能性があります。モデルになるような結婚生活をせよと言われても、なれる者ではありませんが、子どもたちが結婚に対して肯定的な気持ちを持つことができるような結婚生活でありたいと思うのです。こんなことを考えるとき、私がいつも思い出すのはミレーの名画「晩鐘」です。これを見る度に仕事を終え心を合わせて祈る夫婦の姿に深い感動を覚えます。親が真に子どもたちの幸せを願うなら、この夫婦のように二人が心を一つにして愛し合うことです(エフェソ5章21-33節参照)。これこそが子どもたちへの最大の贈り物です。彼らが人生のどの時期に結婚するにしても(たとえしなくても)、それは良き贈り物となるのではないでしょうか。

堀 肇(ほり はじめ)/鶴瀬恵みキリスト教会牧師・ルーテル学院大学非常勤講師・臨床パストラルカウンセラー(PCCAJ認定)

HeQiアート

Ark of Noah , by He Qi, www.heqiarts.com

「モーセの召命」

 主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから」
出エジプト記 3章4~5節

たろこままの子育てブログ

「別れのとき」

涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。(詩編126編5節)

 私の周囲では、どうしてこんなに早く……と嘆いてしまう訃報も少なくありません。
 子育てと死───通常は中々相容れないものですが、健常の子なら鼻水を垂らして終わるほどの風邪一つでも、私たちには命取りになりかねない、先天的なハンディやリスクの高い子が多いのです。ICUの無菌テントで過ごさずに済んでいる小太郎はラッキーな方です。
 昨秋も立て続けにお友だちを天国に見送り、しばし呆然とした時期がありました。一人はまだ2歳とちょっとという若さでした。
 互いに手術してどうにかなる子育てではなく、急な入院やはかどらない投薬治療を励まし合って乗り越えて来ただけにショックも絶大でした。そして、その子の四十九日もそろそろ、というときに、そのお宅から届いた一通の手紙に私はまた衝撃を受けました。薄墨で刷られたその書面には、簡潔に次のようなことが書かれていたのです。 「皆さんから頂いたお香典を、生前子どもがお世話になっていた施設に寄付します。この報告を香典返しとさせて下さい」と。
 そのお母さんは私たちの前で気丈に装っていました。が、その陰で泣きはらし、眠れぬ晩もあったと思います。 「どうしてうちの子だけ」「どうしてこんなに早く」───問うても問うても答えの出ない疑問と、我が子に先立たれた事実にさいなまれて苦しんだはずです。でも、計り知れない悲しみや血を吐くような思いをも、そのご両親は我が子と同じように病気と闘っているお友だちへの希望の種に、見事に変身させたのでした。
 人生の種まきは長く、成長の過程では苦難も多く、大抵の植物のように1年サイクルで完成とは中々いかないものです。
 哀しみに耕された心に蒔かれた種。張る根は深く、その実りは豊かで必ず喜びに包まれたものと、私たちは涙と共に確信を持つのです。

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