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るうてる2006年

るうてる2006年7月号

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日本福音ルーテル教会 婦人会連盟第20回総・大会

6月13日~15日、日本福音ルーテル教会 婦人会連盟第20回総・大会が開催され、第19期連盟会長 泉 洋子姉にご報告いただきました。
 6月13日~15日、名古屋クラウンホテルに於いて、第20回連盟総・大会が開催されました。会場は300名余の全国からの参加者に満たされ、東海教区の教職方、そして昨年按手を受けた2人の女性教職の協力を頂いての開会礼拝によって開幕。大会記念講演は、日本基督教団塩尻アイオナ教会の横田幸子牧師より、「関係性における愛」と題し、力強いメッセージを頂きました。来日中のサバ神学院パン・ケンピン師ご夫妻及びマレーシア・バーゼル・キリスト教会(BCCM)婦人会連盟役員3名、また市川一宏ルーテル学院大学学長、江藤直純日本ルーテル神学校校長のご出席もありました。愛餐会では、清水教会員瀧夫妻による手話舞踏等のアトラクションや、各教区からのアピールも会場を沸かせました。最後は晩祷に代えて、ケリ・ベルクワイヤによるハンドベルの演奏を聞き、静かに大会の幕を閉じました。
 第2日目の総会は、午前9時より祈りと共に開始され、過去3年間の活動報告と、今後の連盟活動のあり方についての、熱心な討議が進められました。その結果、これまでの「婦人会連盟」は、「女性会連盟」へと名称を新たにすることが決議され、また、今後3年間の連盟主題は、「キリストの愛に生かされて-わかち合う恵み 紡ぎ合う喜び-」と決定。今期は北海道特別教区からの連盟役員選出が困難という事情により、他の4教区から選出された4名の役員で5役を担うこととなりました。第20期の連盟役員は次の通りです。会長:竹内茂子(東教区)、副会長・書記:籾山昭恵(西教区)、会計:蔵原照子(九州教区)、文書:朝倉三枝子(東海教区)。第3日目の派遣礼拝では、山之内総会議長の司式により、新役員の就任式が行われ、第19期婦人会連盟役員会から、第20期女性会連盟役員会へと、バトンが受け継がれました。参加者は3年後の再会を夢見つつ、新しい足取りで、それぞれの地へと遣わされて行きました。

平和を願い、平和をつくるものに ~総会で声明文を可決~

 5月の総会で、「『日本国憲法』の前文及び第9条の改定に反対する声明」が可決されました。これは、昨今の日本政府の動向に危惧を抱く中で、常議員会の呼びかけに応えて、JELCの社会委員会が起草し、常議員会で更に検討され、総会に提案されたものです。
 総会では、社会の動向に教会が発言することへ、賛否の意見が双方出されましたが、議論の結果、キリスト者として平和を希求し、神の平和をこの世に実現するために、総会の声明として宣言することが、可決されたものです。
 この声明は、総会で文章化するだけではなく、政府機関やマスコミ各社に送付されます。また、JELCの諸活動の中で世界宣教への積極的参与による相互交流、難民支援、平和主日などの国内外の平和キャンペーンなどを通しても、実現に向けて取り組まれることになります。
 世界宣教では、主にアジアの事を思い、メコン地域での宣教への支援(MMF)や、パレスチナのルーテル教会との交流を通じての平和キャンペーン、それらへのボランティア派遣プログラム、また災害や難民支援が取り組まれています。
 総会後、早速パレスチナのミトリ・ラヘブ牧師の招きに応じて、平和交流の準備団がパレスチナの訪問をしました。ラヘブ師の教会・施設や、LWFが運営しているエルサレムのアウグスタ・ビクトリア病院(AVH)を訪問し、献金を連帯献金の中からささげてきました。11月に、一般参加者も募集し、訪問団を組む予定にしています。詳細は、るうてる次号にてレポートと案内をいたします。是非、ご参加ください。

「日本国憲法」の前文及び第9条の改定に反対する声明

 戦後60年が経ち、今、日本に求められていることは、「戦争放棄」を明記した憲法を持っている、世界で唯一の国として、世界の中でいかにして平和貢献をなしていくかである。
 この「日本国憲法」は、第二次世界大戦の反省の上に立って、かつての半封建的な絶対主義的天皇制に立脚した主権在君、軍国主義を完全に否定し、平和主義、主権在民、基本的人権の尊重を根底にして構成されている。この憲法制定の根底には、過去の戦争への深い反省の精神が込められていることを忘れてはならない。
 しかし、わが国政府は、アメリカにおける2001年9月11日の同時多発テロ以降、アメリカの単独先制攻撃主義に基づく対イラク戦争の勃発に際し、日米関係を優先して、これに加担し、今日に至っている。
 こうした状況下にあって、自民党をはじめ政府与党は「自主憲法制定」を標榜し、「日本国憲法」改定案を作成し、憲法改定国民投票案の準備を進めている。
殊に、憲法改定推進派の人々には、全面改定を主張することによって、かつてハードルの高かった憲法第9条の改定が一気にできるとの戦術的発想がみられ、平和憲法を護る立場にとっては看過し得ない状況にある。
 私たち日本福音ルーテル教会は、過去、戦争を是認し、支持し、加担してきた罪を懺悔し、日本基督教団(鈴木正久総会議長の名によって告白された)「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」文書(1967年)の趣意に同意した建議書を総会(1970年)で決議した歴史をもっている。また、「宣教百年信仰宣言」(1993年)において次のように告白している。
 「とくに、第二次世界大戦を含め十五年戦争のあいだ、私たちの教会は神のみを神とする十戒の第一戒を守り抜くことができず、また平和を実現するようにとの主の戒めを生きることができませんでした。
 その結果、私たちの教会は、一九四一年の日本基督教団合同に際して、ルーテル教会の信仰告白をあいまいにし、戦争の勝利を祈り、協力しました。こうして、行なうべきではなかったことを行なってしまった罪と、行なうべきだったことを行なわなかった罪とを、神と隣人の前に、とりわけアジアの人々の前に犯しました。」
 私たち日本福音ルーテル教会は、このような過去の戦争への反省と悔い改めから、二度と過ちを犯すことがないようにとの平和への祈りと志から、現憲法の有する平和主義、主権在民、基本的人権の精神が堅持されることを強く望むものである。
 特に、憲法第2章第9条 戦争の放棄を謳った第1項、第2項の条文が改定されることに強く反対するものである。
 日本福音ルーテル教会は、21世紀の時代、「日本国憲法」の前文と第9条が現に有する理念の具現化こそ、わが国がなすべき世界における国際貢献であり、かつ平和貢献であると確信するものである。ゆえに、我々は、この改定に断固反対する
2006年5月5日
日本福音ルーテル教会第22回定期総会
※「宣教百年信仰宣言」の引用文は原文どおり漢数字表記にしています。

クリスチャンのライフカレンダー

~  U君へ  おじいちゃんより ~

きみは、まだ2歳を少し過ぎたばっかりなのに何でも分かっているね。この前は何日もママのいない夜を過ごせてえらかった! そして、ママが退院できて「よかったね」。その夜「もうお寝んねしようね!」と言うと、きみは絵本を持っておじいちゃんのところへ。その時の顔は、不安・真剣そのものだった。「また病院にいってしまう!」と思ったの? 「ママは、もうお家にいるんだよ」と言うと、安心してママのところへ。本当にけなげで、いじらしい。宝ものだよ。
 もう少し大きくなったら、ふるさと村へ遊びに行こう。あそこは、小川や田んぼや森もあるから、トンボだってチョウチョだってセミだっているよ。みんなみんな生きている。
 日曜日は、教会に行こうね。幼児祝福式もあるし、クリスマスのお祝いもある。教会の子どもは、みんなみんな神さまの大切な子どもだよ。神さまは、一人ひとりを大切に見守っていてくださるからね。

インフォメーション

第8回 ルーテルこどもキャンプ

 今年のルーテルこどもキャンプは、8月8日~10日、広島教会を会場に開催されます。テーマは「平和」どうぞ、子どもたちを送りだしてください。また、スタッフも募集しています。 佐藤(千葉教会)まで。
 http://www.jelc.net/~kokusai/index.html/

牧師の声「私の愛唱聖句」

九州教区 鹿児島・阿久根教会 牧師 黄 大衛
あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。/今も、そしてとこしえに(詩編 121編8節)
 愛唱聖句と言えば、たくさんありますが、何も考えずに挙げれば、やはり「あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。/今も、そしてとこしえに」という御言葉です。神様がどんな場合でもずっと私の歩みを守ってくださるという事を確認させられます。
 この御言葉は、私が日本に留学に来る時、上海の出身教会の牧師曹聖潔先生が贈ってくれた聖句でした。今、彼女は中国キリスト教会の第一人者になり、ご多忙です。18年前、私に贈ったこの聖書の箇所もお忘れかもしれません。しかしその聖句は、私にとって貴重であり、心に刻まれています。
 なぜ、そんなにも心に刻まれたのかと言えば、当時私は初めての出国、しかも一人、未知の地で新しい歩みを始めることに、大変不安と寂しさを感じました。ですから、その聖句を見て、「ああ、一人ぼっちではなく、神様がずっと私と共におられ、私を守ってくださるのだ」と深く心に響き、励まされたのです。
 18年余の歩みを振り返って、神様は本当にその通りに私を守って、導いてくださったことを感謝します。確かに、神様に守られたと言っても、私の希望通りに全てが進んだわけではありませんでした。寧ろ、辛いことをたくさんたくさん経験したと言えます。神様はまさにマイナスのことを通して私を導いてくださったに違いありません。マイナスのこととは、私の希望と逆のことです。ですから、すごく辛かったのです。しかし、それにもかかわらず、神様は確実に私を守り、導いてくださったのです。
 神様は見守るお方である事も教えられます。守りとはまずは見つめることのようです。我が家に今新生児がいますが、彼を守るために、親としてはまず彼の一挙手一投足を見つめることです。ですから、私はこの聖句から、神様の私に対する深い愛の眼差しを改めて生き生きと感じる昨今です。
 さて、今の私はちょうど再び未知の地(鹿児島)で新しい歩みを始めました。たとえ不安が少々あるとしても、この聖句を思い起こし、必ず祝福の地に導かれていることを堅く信じています。さながら、未知の地へ踏み出したアブラハムのように……。この聖句によって私は続けて励まされ、支えられています。

信徒の声「教会の宝石を探して」

北海道特別教区 恵み野教会 信徒  佐々木 幸夫
 佐々木幸夫兄の人柄を一言で表現するなら〝不言実行〟がふさわしい。六百坪の敷地を有する恵み野教会の空地は草野球ができる程に広いが、夏はタンポポが群生し、冬は一面まっ白な雪野原となる。その空地の一角は駐車場にもなり重要であるが、草刈り、除雪等も欠かせない。佐々木兄は夏は草刈り機で、冬は除雪機で一人黙々と作業に励んでいる。持病の心臓を労りながら何年間も当り前のように奉仕を続けて下さっている姿に私達は感謝の念と同時に大きな勇気も頂いている。
受洗はいつですか?
 1969年、日本キリスト教団麻生伝道所で29歳の独身の時です。その頃、ある通信教育を受けており、東京でスクーリングがあった1967年8月15日に東京の丸善で聖書を買いました。しかし、聖書は難しく、その後そのままでした。
 当時、今の北区に市電が麻生町まで通っていて、通勤中の車窓から「平松実馬氏の伝道集会」の立看板が目に留まり、早速参加しました。集会で「洗礼を受けたいという方は前へ」という声に、迷わず前に出たのを覚えています。そして、すぐの日曜日から日本キリスト教団麻生伝道所の礼拝に行き、その年の9月21日に受洗しました。
好きな聖句と讃美歌は?
 ヨハネによる福音書3章16節「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」
 教団讃美歌90番、教会讃美歌で言えば382番です。同じ曲ですね。「ここも神の御国なれば……」讃美歌は教団の方が好きです。
オルガニストとして教会を支えて下さっていた真貴子姉についてお聞かせ下さい。
 妻はクリスチャンホームの出身で、日本キリスト教団麻生明星幼稚園の先生をしていました。1階が幼稚園で2階に教会があり、僕達は2人とも青年会のメンバーでした。性格はカラッとしていて僕とは正反対でした。どんな人からも好かれていたと思います。結婚してクリスチャンホームが実現したことは大きな喜びでした。日曜礼拝は家族で出席していました。妻が40歳で召天した時、長女が中1、次女が小5、長男が小3でした。妻は亡くなる2週間前まで礼拝でオルガンを弾きました。
 妻が亡くなってから 〝死〟に対してこわくなくなりました。無我夢中で生活してきてもう16年の月日が流れました。

求道者の旅 16

第16回 私たちの人性のうめき

「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。(中略)つまり、体が贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます」(ローマの信徒への手紙8章22~23節より)

 受難節からイースターの間、イエスと聖霊に焦点を当てて参りました。今回から数度にわたり、私たち自身と人間の状態に焦点を移してまいりましょう。キリスト者として人性をどのように理解すべきでしょうか。

逆説的な人性
 動物的な願望を除いた人間とはどのようなものでしょうか。私には動物的な性質があり、他の動物と同様であることを認めざるを得ません。すなわち、生存のために食べるニーズ(必要性)、血液の循環、五感、性の相違、生殖による繁殖、出生、老化と死等。そしてこの動物的必要を満たすために備えをしなくてはなりません。
 しかし、私は動物以上のものでもあります。人間として特有の能力を持っている事に気が付きます。エネルギーやニーズを有機的に作り上げて行く潜在力、目標や長期的目的を希求し、神に触れているという気付き。自己実現、創造性、愛へと私を駆り立てる霊的なものを具備しています。
 これらのものは動物的衝動から発生するわけではありませんが、不幸にして人性と混在して現れます。ここに人間のドラマがあるのです。すなわち苦悶と失敗、勝利と喜び! 「罪」とはこれらの人間の有する能力から離れ、動物的な満足へと向かわせる事なのです。
私の「原罪」
 もし救いが信仰によって生きる事を意味し、神の臨在に気付き、神に信頼する事によって生きる事を意味するのであれば、その逆とは、私たちが霊的次元を常に無視する傾向と、その結果としての絶望ということになります。神があたかもいないかのように生きる事、この事こそが私たちの「原罪」なのです。
 私は、朝起きる時、「ウーン、新たな悲惨な一日!」とつぶやきます。この時、信仰は「否! 神はここにおられる、だから希望はここにある!」と答えなければなりません。
 原罪は動物的性質の停滞した生活です。本能と衝動によってのみ生き、自己も神をも愛す事はありません。私たちには日々の変容が必要です。洗礼は清められるニーズ、毎朝神を意識するように新しく生まれる事を思い出させてくれます。
(翻訳:上村敏文)

聖研「詩編を味わう」④神こそわたしのすべて

「あなたはわたしの主。/あなたのほかにわたしの幸いはありません。」/この地の聖なる人々
わたしの愛する尊い人々に申します。/「ほかの神の後を追う者には苦しみが加わる。/わたしは血を注ぐ彼らの祭りを行わず/彼らの神の名を唇に上らせません。」/主はわたしに与えられた分、わたしの杯。/主はわたしの運命を支える方。/測り縄は麗しい地を示し/わたしは輝かしい嗣業を受けました。
詩編16編2~6節


信仰は自己充足か

 この作者はかつて主なる神の下を離れて異なる神に走った経験があったと思われます。4節には「ほかの神の後を追う者には苦しみが加わる。わたしは血を注ぐ彼らの祭りを行わず、彼らの神の名を唇に上らせません」とあります。彼は自らの期待に応えてくれるであろう神を求めて遍歴をしながら、答えを探し廻ったのでしょう。でも結局は見つからなかったのです。手にしたものは苦しみだけでありました。宗教遍歴は苦しみを残すに過ぎないとの思いを苦々しく思い起しているのです。再び主なる神の下に帰って来て「あなたはわたしの主。あなたのほかにわたしの幸いはありません」(2節)と主の前に告白します。
 しばしば宗教遍歴を繰り返す人がいます。日本における新宗教の指導者たちの中には、いくつかの宗教を経た人が多いようです。それなりの理由はあるでしょう。しかし結局は自分自身の願望の満足また充足が答えとなっているのに気付きます。宗教というものは、そういうものだという声もあるかもしれません。
 しかしキリスト教信仰というものは、自己の期待を充足させる世界を得るのとはいささか異なることを考えておかねばなりません。

神こそわたしのすべて
 
 この詩編の作者は、神は幸いを与えられる方であるとは言っていないのです。神そのものがわたしの幸いに他ならないと言います(2節)。また彼は「主はわたしに与えられた分、わたしの杯。わたしの運命を支える方」(5節)と告白します。分や杯、また運命とは、作者が受けた主なる神からの賜物である嗣業を意味します。しかし彼は、それを神からいただいたと言わないのです。神であるお方そのものが、嗣業であると言うのです。彼と主なるお方との間には差し向かう距離がありません。彼のすべては、主なるお方そのものなのです。
 この信仰は、とても大切です。しばしば人は、信仰を求めてかえって苦しむことがあります。その根っこに信仰を持てば、きっとよいことが起こる、そう期待しているからです。もしよいことが起こらないなら何のための信仰かと疑います。人が自分の思うようにならないことに直面するのはさして珍しいことではありません。この詩編作者はそのような時、自分の求める信仰では不本意な結果しか得られないことに苦しんだのです。
 しかし今やちがいます。彼のすべては、主のものです。いかなるところに身を置いていようと、「測り縄*は麗しい地を示し」ているのであり、「わたしは輝かしい嗣業*を受けました」(6節)と告白する人生が広がっています。もはや異なる神に走る余地すらありません。

結果は神のもの
 ある人が申しました。「わたしは信仰を持つまでは、いろいろな願いをもっていたが、結局は自分が願ったようには実現せず、期待は何時も裏切られてきた。しかし信仰を持った今はそうではない。世の中のことはわたしの願った通りにはならないにせよ、結局はわたしにとって最もよい結果となっていることに気付いた」。
 人はいろいろな願いをもつものです。その願いがかなうようにわたしたちは計画を練り、努力を惜しみません。計画がうまく行き、努力が報われて、願った通りに事が進めば、万々歳です。しかしままならぬは世の常です。思い通りならないことも多いのではないでしょうか。日々を自分の思いを通すだけで過すなら、みじめな自分を抱えるだけになりましょう。信仰は、わたしを越えた思いがわたしを包むことを教えるものです。わたしの人生は、わたしだけの思いで動いてはいない、もう一人の方の意思が働く、そしてその意思は常にわたしを愛するお方のものである、もしそのことに気付くなら、思い通りにならない人生もまた、新しい日々の歩みへと変化することでしょう。

信徒宣言21

神様の恵みに対する、私たちの応答

 今年5月の総会で「信徒宣言21」が採択されました。これは、2年前の総会で方向が決まり、その後作成作業がなされ、「るうてる」やPM21ニューズレターなどを通して、いろいろな方のアイデアやご意見を頂き、修正や加筆も続け、今回JELCの宣言として採択されたものです。
 この宣言は、今の世の中の状況での私たちの信仰宣言です。この宣言を唱えることを通して、神様の恵みに感謝し、神様への応答が絶えず明確にされるでしょう。
 今後、きれいなカードを作成しお届けする予定ですし、文章・文言の解説冊子を作成中です。すでに礼拝で用いてくださっているというニュースも聞きますが、どうぞ、御活用ください。 
 こちらからテキストを入手できます→http://www.jelc.net/~pm21/NL/

信徒宣言21 

 神さまは、計りがたい愛をもって、わたしたちを救いに入れ、神の民、キリストの体とし、日本福音ルーテル教会の一員としてくださいました。 
 ですから、今、わたしたちこそは教会であり、宣教の主体であるとの自覚をもちます。ここに、恵みに応えて生きる信徒として宣言します。

 わたしたちは、イエス・キリストの十字架と復活によって罪を赦され、新しいいのちを与えられました。
 ですから、神の愛と救いの喜ばしい知らせを周囲の人々に伝え、この「いのちのことば」を次の世代に贈ります。一人ひとりに与えられた霊の賜物を持ち寄って、生涯を通し、たとえ弱く困難なときにも強く支えてくださる救い主を証ししていきます。

 わたしたちは、この世界のすべてのものと共に、神さまに創造され、この世界に神さまの御心が実現するように遣わされています。
 ですから、すべてのいのちが一つの例外もなく重んじられ、正義と平和と慈しみに満ちた世界となるように、心を尽くして祈りと奉仕のわざに努めます。さらに、様々な立場の人々と共に歩みます。

 わたしたちは、聖霊の力と導きを受け、宣教の器である教会として生きていくように招かれています。
 ですから、公同の礼拝を中心に、みことばと聖礼典に養われ、賛美と感謝をささげます。神の家族として、互いに仕えます。福音を宣べ伝える教会、世界の和解と一致を指し示す教会を建て、支え、広げることに力を合わせて励みます。

 御心が完成するその日まで、主よ、お導きください。 アーメン

Aktio

6月、フィンランド福音ルーテル協会(SLEY)からAKTIOという8人の青年グループが来日しました。これは海外宣教の働きの一部を学生や青年が短い期間、体験するプログラムで、6年ぶり2度目の来日となりました。今回の目的は「日本の青年たちとの交わりと、日本伝道について考える、実際に伝道する」です。
 東京、東海、広島等を訪れ、各地で交流したメンバーにインタビューをし、声を聞かせてもらいました。

日本の人々は私たちを親切に受け入れてくださって、とても嬉しかったです。感謝します。日本はとても清潔な国だと感じました。(レイラ&ユハ・レヘトネン夫妻)
この旅行の初めに膝の怪我をしたことを通して神様が私に教えてくれたことは、これまで自分が頼りにしてきたことや、自分の力では何もできないということでした。そして、どんなに大変な状況からも神様は私たちを引き上げ、背負い、救ってくださる。これは、御業という他ありません。怪我のためにゆっくりしか動けなかったけれど、いつもと違う視点から様々な事柄や、人々の姿を見えたと思う。(エーヴァ・ピトカランタ)
この旅で、説教やメッセージからだけではなく、人との会話や歌うことや日常のすべての事柄を通して伝道することができるのだということを感じた。信仰の証は、フィンランドでも外国でも人生の中でいつでもすることができると分かった。(ティーア・ポスティラ)
伝道は私にとってチャレンジです。日本では言葉も通じないので特にそれを痛感しました。(ハンナ・ヴァンハラ)
日本に行くのは長年の夢でした。日本の人々はとても優しかったです。特に信仰について話すことができたのは嬉しかったです。国は違っても同じ神様を信じている人との出会いに感謝します。伝道をするとき、自分の力は弱く感じたけれど、神様の御業によってするものなのだなと強く感じました。(ラウラ・レヘトネン)
この旅によって信仰が強められたと感じました。神様は、私たちの人生のすべての状況に応じて、いつでも私たちを守ってくださるということを経験しました。(マッティ・ヘテマキ)
何か特別なことをすることだけではなく、毎日の全ての瞬間が伝道につながってゆくということを確信しました。(ヤンネ・テルヴォネン)

議長コラム 「命懸けの信仰を」

 「これから無給で、神のみに御信頼して生活するのだがいいか」(亀谷凌雲著『仏教からキリストへ』)。これは、亀谷牧師(故人)が奥様にご自分の独立伝道への決意を披瀝されたときの言葉です。「無給で」とは、教団という組織からの給与なしに、という意味です。
 亀谷牧師「武本喜代蔵先生もそうだ」奥様「先生のような偉い方はそれでやれるがあなたはどうか」牧師「私は米と塩でくらす、間違えば餓死もよい」奥様「私はお針でも何でもして極力助けます」御夫妻の並々ならぬ決意が窺い知れる会話です。
 今日、「教会の危機」ということがよく言われます。洗礼を受ける人が少なくなり、教会が先細りしていくことが教会の危機として捉えられています。わたくしは、教会は何時の時代も危機にさらされていると思っています。なぜなら、教会の価値観とこの世の価値観とは、相容れないからです。
 教会は、価値観のまったく逆なこの世に仕えていかなければなりません。危機にさらされているのは当然です。しかし、教会は神様の言葉によって建てられます。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらのものは加えて与えられる」とあります。教会の最後の砦は、この御言葉だと思います。この御言葉を御言葉のままに聞いて生きる人、そのような人がいる限り、教会は生き続けます。
 亀谷牧師は、この御言葉の後に次のように言っておられます。「この御約束あり、何をか思い煩わん。よし与えられずとも、聖旨ならば死もまたよし」この「よし与えられずとも、聖旨ならば死もまたよし」という言葉は、今の時代であっても、従って、いつの時代も、キリスト教を本気で信じるためには、命懸けでなければならないということを教えてくれています。今、敢えて、教会の危機をいうなら、この「命懸け」ということが死語になっているということではないでしょうか。
 今、命懸けの信仰の復興が求められているように思います。

「2006年度日本福音ルーテル教会幼稚園・保育園連合会総会」

前会長 沼崎勇

2006年度日本福音ルーテル教会幼稚園・保育園連合会総会が、6月5日(月)、京都教会において、39園(委任状を含む)が参加して開催され、次のような議題について協議した。
①2006・2007年度事業計画として、宗教法人付属幼稚園の学校法人化を具体的に検討することとした。そのためには、現在のルーテル教会の規則を見直す必要があると思われるので、本教会と協議することにしたい。
②日本福音ルーテル教会幼稚園・保育園連合会規定が、2004年2月11日に開催された本連合会総会において可決された。本規定に定められた任務を十分に果たすために、日本福音ルーテル教会幼稚園・保育園連合会運営指針を本総会に提案し、可決された。
③役員の任期満了に伴い、本連合会運営指針第2条に従って、新役員が選任された。新役員は、高塚郁男会長、立野照美副会長、安藤百合子書記、浅井敬会計の4名である。

第22期 第1回常議員会開催

 6月19日(月)から21日(水)まで、第22期第1回常議員会が開かれました。今回は、今期の第1回ですから、慣例どおり旧常議員も初日は参加し、引継ぎの会議でもあります。
 今期は、三選された山之内議長の最後の2年、また2002年より10年間の「宣教方策PM21」の中盤の2年となります。
 詳細の報告は後日各教会へ送付される議事録をご覧ください。また、今期の取組みなどるうてるで特集する予定です。

チャリティーコンサート

 今年で3回目を迎えたのチャリティコンサートは、JELC世界宣教委員会とJELAの共催によるものです。今回は、ハープ奏者のティナ・トゥーリンさんを米国からお招きして、北は北海道札幌教会から、南は熊本教会までの8カ所の会場で、盛会のうちに終えることができました。
 トゥーリンさんの優しいお人柄が、ハープの音色にのって伝わり、それぞれの会場は魅惑のるつぼと化しました。また演奏後、実際にハープに触れる機会もあり、子どもから大人まですばらしい楽しいひとときを分かち合えたことと思います。
 会場を提供していただいた教会の皆さま、準備のご奉仕をいただいた方々に、この場をお借りして心よりお礼を申し上げます。
(渡邊 純幸)

ジャワ島中部地震緊急支援募金

 5月27日にインドネシアジャワ島中部で発生した地震により大きな被害が出ました。日本福音ルーテル教会としても連帯献金の緊急支援分から50万まず送金しました。また、全教会に募金を呼びかけております。ご協力お願いいたします。

三井住友銀行新宿西口支店 普)501597 宗教法人日本福音ルーテル教会予算会計
郵便振替 00190-71734
※通信欄に「災害緊急支援(ジャワ島中部地震)」と明記してください。

■連帯献金の最新情報はhttp://www.jelc.or.jp/rentaiよりご覧になれます。

LCM会議 各国で「みことばの伝道と教会成長」を話し合い

 6月12日(月)から16日(金)まで、LCM会議が開かれました。
 今年のテーマは、「みことばの伝道と教会成長」で、教会の基本的使命を改めて問い、伝道不振をどうみるか、どこに問題があるか、互いの状況を共有しあい、その課題や取組みを協議しました。
 参加者は、JELCの四役、教区長、宣教師会長、事務局室長と、アメリカ福音ルーテル教会世界宣教部(ELCA/GM)からバーバラ・ルンド氏、ジョセフ・チュー氏、フランクリン・イシダ氏、スティーブ・ネルソン氏、フィンランドルーテル福音協会(SLEY)からペッカ・フフティネン氏でした。残念ながらドイツ・ブラウンシュバイク領邦教会からは監督の訪日予定との調整で今年はなりませんでした。
 新しいこととしては、SLEYは昨年11月に組織交代があり、会長はラッセ・ニッカリコスキ氏に、世界宣教担当もペッカ・フフティネン氏に交代されました。
 協議の中では、ノルウエーやフィンランドでの毎年数万人単位での教会離れが深刻など、各国のルーテルのような主流派教会での教勢低下が報告されました。
 ELCAでは、「クリスター会員(クリスマスとイースターだけ教会に来るメンバー)」の増加など課題も挙げられました。その結果、2003年より宣教方策を決め、「祈り・伝道リーダー養成・弟子化教育・開拓伝道や教会再開発」を「個
人・リーダー・各個教会・教区」での各レベルでの取組みが進められていること
が紹介されました。
 その後、「SLEYと、ELCA/GMと夫々の個別の課題やプロジェクトの協議がされました。

※LCMとはLutheran Coporative Missionの略で、JELCと深い関係のある外国の宣教団体が、協力して宣教に取り組むために毎年開かれているものです。
以前は日本を支援するための支援者と、支援を受ける側の日本とで、諸プログラムや予算を検討する会議でしたが、JELCの自立後は対等の立場で協力伝道について協議をする場になっています。

日本福音ルーテル教会教師志願者募集

 2006年度の日本福音ルーテル教会教師試験を先により行いますので、志願者は、必要事項を添付して、本教会事務局にお申込みください。
― 記 ―
一、提出書類
1.教師志願書
2.履歴書
3.教籍謄本
4.身分証明書
5.所属教会牧師の推薦書
6.神学校卒業(見込み)証明書及び推薦書
7.健康診断書
二、提出期限
2006年9月22 日(金)午後5時
三、提出先
 日本福音ルーテル教会 常議員会会長 山之内正俊(但し、書類の送付先は、日本福音ルーテル教会事務局とする)
四、試験日及び試験内容については、本人に直接連絡する
以上

日本福音ルーテル教会 常議員会会長 山之内 正俊

交換牧師プログラム報告

 2005年6月から今年の4月まで約11ヶ月間、アメリカ南部、サウスカロライナ(SC)州の諸教会で働く機会が与えられました。出発前、またとないこの機会にいっぱい学び吸収してこようと考えていました。ところがリビングストン先生(日本で2000年まで40年間宣教師)からまず、「先生は日本から来た宣教師です」と言われました。「日本人として神のみことばを伝えてください」。これが私のミッションでした。赴任してまもなくチャールストンに向かい、由緒ある聖ヨハネ教会で私の派遣式がありました。ここは日本へのルーテル初代宣教師シェーラー牧師の派遣式が行われた教会。光栄でした。同時に大変なことになったと思いました。
 いろいろな働きを経験しました。面食らったことをひとつ紹介します。到着した月が6月で夏休み、夏期聖書学校が始まってました。まだ荷物も届いていない矢先、最初の赴任教会でいきなり大人のための夏期聖書学校の担当を頼まれました。しかも5日間連続で。毎晩必死になって準備しました。
 教会だけでなく大学でキャンパス牧師も経験し、学生たちの交流に入れてもらいました。またいくつかの老人ホームでもお話させていただきました。両教会の歴史を勉強しようとも思いましたが、けっこう忙しく結局できませんでした。
 大きな違いの一つに、信徒が毎日教会にやってくることです。ふらっとおしゃべりに来るお年寄りたちがけっこういました。教会がなくてはならない場所になっているようです。けれども土曜日は休みで、牧師も含めまったく誰も来ません。
 ひとことでいうと、アメリカの教会はのびのび、私たちの教会はそれと比べると、せかせかちまちましているという印象をもちました。
 紹介する機会を与えてくださり心から感謝します。交換牧師プログラムですから文字通り、たぶん来年、今度は向こうからやって来ます。私たちも心を尽くしてもてなし、是非実り豊かな機会にしたいと願います。

住所変更

電話番号
■関野 和寛(牧師補) 東京教会副牧師・牧師館 03-3468-5062
住所の変更
■落合 成光(嘱託任用)
〒465-0093愛知県名古屋市名東区一社2-34ニューアーバン一社103
電話(IP)050-1036-1746

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