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機関紙るうてる

るうてる2012年2月号

「讃美の声を高らかに」

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《主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの誉れです》
ルカによる福音書2章29節~32節

 数年前の式文の学びの際、講師の方が「式文を用いる礼拝だと、毎回毎回同じことの繰り返しのようにお感じになるかもしれません。しかし、二つとして同じ礼拝はありません。なぜなら、その時、その空間、その礼拝に集められた一人ひとりと、そこで働く神さまの聖霊はそこだけのものだからです。つまりライブです。 派遣の部で私たちは、シメオンの賛歌を共に歌い、またそれぞれの日常に神さまから遣わされてゆきます。もしかしたら、この礼拝が最後になる方もおられるかもしれません。ですから、この賛歌を共に歌うとき、俯いていたり悲しい顔をしているよりも、幼子イエスを胸に抱いて喜びに溢れていたシメオンのように、顔を上げて、喜びを生き生きと表すように歌うとよいのではないでしょうか・・・。」と、言われていたことを思い出します。 それ以降、司式者として立たせていただく際には、可能な限り向かい合っている会衆すべての人のお顔を見るようにしています。そして、待ち望んでいたメシアを胸に抱いて喜びに満たされているシメオンの気持ちに思いを馳せ、私の魂も喜び祝い、暗い顔ではなく喜びに満ちた顔でいられるようにと祈りながら・・・。 けれども時には心が沈む時、落ち着かないこともあります。それでも顔をあげ、会衆と一体となって神さまを讃美するとき、不思議と深い慰めと力を得るように感じています。
 神さまが、小さな乳飲み子として救い主をお与えになった理由は、子どもが持っている無邪気さや天真爛漫さ、沢山の可能性を秘めた未来への希望がある、というだけではありません。小さな赤ん坊という姿は、誰かの力を借りなければ決して命をつなぐことのできない無力そのもの。主はもっとも大いなる力を持っておられるにも関わらず、自らの力を行使することを放棄して、人間の手にその身を委ねられました。それは、この腕にかかる重み、ぬくもりを通して私たちが、今この腕の中に納まるほどに小さくなられた神さまの愛の重み、恵みの温もりを知るためにほかなりません。
 幼子を抱き神さまの約束が果たされたことを実感すると、シメオンはもうこの世に思い残すことはないと言います。神さまの約束に希望を持って待ち続けていた万感の思いが魂からあふれ出ているのです。また、アンナも同じく、幼子イエスと出会えた喜びに包まれて、神への賛美をささげた後、エルサレムの人々にこの嬉しい知らせを告げました。救い主と出会えた人々は、その喜びを自分の中だけにとどめておくことができなかったのです。
 では、私たちはどうでしょう? 福音を伝える喜びや感謝にあふれているでしょうか。見渡してみれば、私たちが生かされている現実は嘆きや呻きの耐えない社会。希望が見え辛く、不条理なことや悲しい出来事が絶えないと思えるような日々の積み重ねのように感じられます。耳に聞こえてくるのは、「神がいるというのであれば、なぜこのようなことが起こるのか」というような、怒りや不安、疑いの声の方が多く、喜んで受け入れられるどころか、怪しまれ拒絶されそうな気配すらあります。そのようなところに、「私たちの救い主は確かにおられる」と証し続けることは、簡単なことではありません。
 しかし、一週間の営みを終え、それぞれの場所から礼拝に集められる私たちは、まず共に罪の告白を行うように促され赦しを与えられます。そして、御言葉と聖餐の恵みによって福音を分かち合い、新たな力を注がれます。派遣の部にあるシメオンの賛歌は、再びそれぞれの生活の場へと散らされてゆく私たちに、「あなたは喜びに満たされた者である」ということを示してくれているように思います。
 罪人である私の上にも、また罪人の群れである教会の上にも救い主の光は輝いています。そしてこの光は、失われることのない希望でもあります。この希望の内に生かされている私たちは、讃美の声を高らかに告げる者であり続けましょう。
日本福音ルーテル札幌教会・恵み野教会牧師  岡田薫

ルターによせて(10)

痴愚礼賛
 
 今年は二月二十二日から四旬節が始まる。これはキリストの復活日に遡る四十日間を意味するが、昔から主の受難を覚え、肉食を断って精進潔斎をする時とされていた。しかし、その前に徹底的に馬鹿騒ぎをするのがカーニバル(謝肉祭)だ 。どうも、人間は聖俗のバランスの上に生きる存在なのかも知れない。ルターは、世俗世界の中で聖なるものを見出した(例えば世俗職業も神の召命である等)し、ドイツで同時代出版された大評判の民衆物語『ティル・オイレンシュピーゲル』では道化者のティルがその冒険を通して聖世界における痴愚的部分を爆発させている。ティルの埋葬の際、手違いで棺が垂直に墓穴に落ちた時、人々は「反骨の奴のことだ。死んでも立っていたいのだろう」と「オイレンシュピーゲル、ここに�T立つ�U(「眠る」ではない)」と墓標に刻んだと言われる 。ヴォルムス国会の審問で棄教を迫られた時、「我ここに立つ」と言ったルターの気概にも通ずるだろう。
 コンピューターに革命を起こしたS・ジョブズが「Stay foolish.(愚かであり続けよ)」と言って亡くなった。私達にもこの痴愚礼賛的情熱が不可欠なのではあるまいか。

牧師の声 私の愛唱聖句

三鷹教会 李 明生

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」
(ヨハネによる福音書一五章一三節)

二十数年前、進学のために田舎から東京に出てきた私は、西早稲田にある早稲田奉仕園・友愛学舎というキリスト教主義の学生寮で大学生活を始めることとなった。格安の寮費がこの学生寮の魅力であったが、実はその寮生活の核心は単に経済的なのものではなかった。この友愛学舎での生活を起点にして与えられた多くの出会いがなければ、私が牧師の道を進むことはおよそあり得無かったと言っても過言ではない。
 とりわけ寝食を共にした友人達との出会いは、何かを誰かと分かち合うことの喜びを私に教えてくれた。誰かと共に生きるその喜びを体験する時に、かつての自分であれば決して良いとは思えなかったもの、避けたくなるようなものであっても、新たな魅力と良さを知ることが出来るということを、この寮での生活を通して私は知った。

 主イエスが弟子たちを友と呼ばれたヨハネによる福音書一五章一三節は、この友愛学舎の「舎章」であり、私の寮生活のいわば背骨となった聖句であった。人が自分のためだけに生きる時、どれほど物質的に豊かとなり、自分の好むものばかりで自分の周りを埋め尽くしたとしても、私たちの魂が真に満たされることはない。それは全てやがては古び消え去るものでしかないからである。 しかし逆に、自分ではない誰かのために自らの時間や労力、その他持てるものを用いていく時、誰かのためにそれが失われることを厭わない時にこそ、私たちの思いを超えた恵みは与えられ、新しい世界が開かれるということを、私はこの聖句から示されたのだった。

 友との出会いは、自分の知っている世界に止まらせるのではなく、その出会いを通して、未知の新しい世界に自分が開かれてゆくということ、またその出会いを通して自分が変えられることがどれほど楽しいことなのかということを、私は寮生活を通じて体験したのだった。それは、まさに私にとって黄金の一滴と言うべき4年間であり、私が牧師を志した実質的な出発点であった。

信徒の声 共に祈ること

大江教会 谷口 愛 

 突然ですが、『エキュメニズム』という言葉を御存知ですか。私は恥ずかしながら、昨年神学に興味を持ち始めるまであまり耳にしたことのない言葉でした。
 エキュメニズムとは、キリスト教徒が多数の教派に分かれるなか、同じ主のうちに一つになろうという教会一致の運動ですが、今日まで二十数年をルーテル教会で過ごしてきた私にとって、教会や礼拝のイメージとはまさにルーテル以外のなにものでもありませんでした。しかし昨年の八月、エキュメニカルに触れる機会が与えられ貴重な体験をしてきたので、ぜひ皆さんにご紹介したいと思います。
 まだ暑い夏のはじまり、大きなバックパックにデイパック一つ、必要最低限の荷物を持って私は人生初の22日間巡礼の旅に参加してきました。この旅は、上智大学神学部の先生が主催して下さったもので、フランスとスペインでの様々な聖堂訪問や宗教イベントがスケジュールに組み込まれている盛り沢山な内容でした。 時系列で行き先を挙げていくと、まずフランスのパリ、テゼ、ヴナスク、ルルドを廻り、続いてスペインのマドリッド、アヴィラ、セゴヴィヤをそれぞれ数日間ずつ滞在しながら廻って行きました。テゼでは、朝・昼・晩のテゼの祈りと音楽に触れ、ヴナスクではノートルダム・ド・ヴィ修道会が主催するインターナショナルキャンプに参加し、そしてマドリッドではワールドユースデー(通称WYD)というローマカトリック教会主催の全世界カトリック青年が集う大会に日本巡礼団として参加してきました。このWYDは、全世界から毎回二百万人近くの青年とローマ教皇が一つの場所に集い出逢い、共に祈りの時間を持つことで、各々に生きる意味を探し求め改めてキリストに根ざして生きる信仰を見つめ直すことが出来る3年に一度のビッグなイベントです。
 様々な体験を一度に味わった旅でしたが、今回周囲が皆カトリック教徒である中、プロテスタント信者として参加できたことに一番意味があったと今振り返って思います。旅の仲間と教派を超えて分かち合い、ルーテル教会についても新たに知ってもらうことが出来ました。中には帰国後、何度か市ヶ谷教会に訪れてくれたカトリック仲間も多数います。
互いに歩み寄り、共に神様を賛美出来ることに感謝し素敵だなと実感したひと夏のエキュメニカル体験でした。主に感謝!

フィンランド教育事情

学力だけでいいか

教育に大切で必要なこととは何でしょうか。「学力」でしょうか。
 第二次世界大戦の後、子供たちの生活はずいぶん変わってきました。日本やフィンランドのような先進国は、経済発展に従って物質的な豊かさは今まで見たことのないほど増加しました。学校教育の水準もどんどん伸びてきて、両国はPISAという国際的な学力調査によると「学力」の高い国になりました。では、このような良い状態さえあれば、子供たちは幸せだと思うでしょうが、現実には様々な問題が増えています。例えば、フィンランドの学校にもいじめがありますし、ストレスや精神的なことによる問題も珍しいものではありません。アルコールや麻薬を使う青年たちの数も増えています。また日本ではキレやすく荒れた子供たち、いじめ、不登校や引きこもり、万引きや引ったくり、暴力などという生徒の問題もあるようです。
 「学力」も大切なことですが、教育水準が高いならば、教育レベルが世界で「一番」「二番」「三番」と心配するよりもっと大切なことがあるのではないでしょうか。例えば、私は、日本人とフィンランド人の共通の関心事の一つは、教育が、いかに、生徒の行動的・社会的・精神的問題に影響を及ぼすかを考えていることではないかと思います。重要なのは人として成長させることでしょう。
 キリストはこう言います。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得を支払えようか」(マタイ16章26節)。これを理解するなら、私たちの教育観はより深いものとなり、高い学力ばかりを目ざす狭い視点を広げることができるでしょう。
 Paivi Poukka, ポウッカ・パイヴィ スオミ・キリスト教会

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その21

「るうてるホーム」 常務理事 石倉智史

創立五十周年に向かって

 今から十年ほど前、築三十数年を経過した軽費老人ホームの建替えの検討を当時の理事会は精力的に検討していました。土地の取得に奔走していたことや、現地建て替えの検討などの資料も多数残されていたことから、先人たちもるうてるホームの未来を語り、たゆまない努力を続けてくれていたことがわかります。 行政など関係者からの期待も大きく、 なんとか実現を目指してはいましたが、結果としては見送らざるを得ない状況になってしまったことは残念なことでした。
 その思いを託された私たちは今から三年前、法人経営の立て直しを中心に中長期計画を策定し、�T次の五十年�Uという使命を引き継いだ証しとして、創立五十周年(二○一五年)までに「別地での全面移転を行う」という計画を盛り込みました。新たに土地を購入して建て替えをするという決意ができたのは、まさに先人たちの試行錯誤があったからこそといえるでしょう。
 しかしながら財務的にも潤沢ではない社会福祉法人が、土地を購入して事業を移転するという行為は、少なくとも大阪府内でも希なことでもあり、冒険的と捉えられたのか行政からの支持は簡単に得られませんでした。また地主の方との交渉も補助金を受けて事業をすることの理解がなかなか得られず、商談が破綻しそうにもなりましたが、多くの方々の支援と協力を得て粘り強く二年間の交渉を続け、昨年暮れにようやく土地を購入することができました。
 平行して行政にも何度も何度も足を運び、私たちの計画を理解していただき、昨秋から正式に協議をはじめてもらっています。こうして紆余曲折がありましたが、移転計画を実施へと移すことができましたことを、すべてを益としてくださる方に心から感謝したいと思います。
 新しい建物は地上5階建てで、法人のすべての事業を一体的に行う計画です。特に軽費老人ホームにつきましては、礼拝のあるケアハウスとして事業開始時の女性会の方々の思いを引き継ぐことができるようなものにしたいと考えています。 制度的には全国どこからでも利用が可能な施設です。ご協力をお願いすると共に、信仰の仕上げをする場所としても念頭において頂けますと幸いです。どうか、より一層のお祈りとお支えをお願いいたします。
社会福祉法人るうてるホーム
〒575-0003四条畷市岡山東5-5-55
TEL 072-878-9371
FAX 072-878-5293

私の本棚から

リチャード.P.ファインマン著 渡会圭子訳
『ファインマンの手紙』
ソフトバンク・クリエイティブ 2006年

 一九六五年にノーベル物理学賞を受賞したリチャード・フィリップス・ファインマンの青年期から晩年までの書簡集です。

 ファインマンは家族や友人、熱心なファンや学生、研究仲間、研究の先輩や後輩に多くの手紙を書きました。他者への心向けの深さや研究へのひたむきさが手紙から読み取れます。全く面識のない人、例えば、息子の子育てに悩む父親や将来を逡巡する学生からの手紙に対しても心を込めた返事を書いています。
 彼の手紙に惹きこまれる理由は、読ませる日本語にした翻訳者の文章にもあると思いますが、 物理学や数学などの専門的なことが書かれた手紙を含め、愛情があり、心の表情の豊かさが伝わる内容にあるのだと思います。研究への批判が書かれた手紙に対しても気付きを与えてくれたことに感謝する返事を出しています。
 書簡集を編むに際して、ファインマンの親族、知人、カルテック大学の先生の多大な協力があったそうです。彼が返信した手紙と一緒に、送られてきた手紙が紹介されていたりもします。承諾を得て掲載したとのことですが、 彼に手紙を書いた人たちは、さぞびっくりしたことでしょう。

 ロスアラモス研究所に単身で赴任した二〇歳代後半の彼は、週に何度も妻のアーリーンに手紙を書いています。愛し、愛され、互いに依存せず、互いを尊重した手紙ばかりです。結婚した時に、既に結核を患っていたアーリーンは、結婚の後、二年で亡くなります。ファインマン亡き後に何度も読み返したであろう擦り切れた状態で出てきた、妻の死から一年四ヶ月後に亡き妻に宛てて書いた唯一投函されなかった手紙が掲載されています。「愛するアーリーン 誰よりも君を大切に思ってるよ」で始まる手紙、追伸に「この手紙は出さないけれど許してくれるよね。君の新しい住所を僕は知らないんだ」とあります。慰めの手紙であり、癒しの手紙であり…。

 全六八五頁と分厚い赤の他人の手紙の束ですが、いつ読んでも心が動かされます。
熊本教会員、九州ルーテル学院大学図書館司書     水谷江美子

TNG

札幌教会 梅原裕子

 私が教会学校で「聖書のおはなし」を担当することになったのは、教会に隣接する「めばえ幼稚園」の教師として教会学校スタッフに加わったことに始まります。
 教会学校に参加している子どもたちは、幼稚園の三歳児から小学校六年生までと年齢差もあり、卒園児が多く参加しています。 また 、 幼稚園でも「聖書のおはなし」をすることはあります。
 聖和大学名誉教授の奥田和弘氏は「�Tキリスト教保育とはどのような保育か�Uと問われるならば、それは聖書から聞き、また聖書に問うことを基礎に置く教育、言い換えれば聖書との対話において成り立つ働きと言えます。」と語っています。
 「聖書のおはなし」を子どもたちに語るときは、幼稚園も教会学校でも大切にすることは同じであると思います。そして、教会で作成したテキストは、聖書のおはなしのポイントをわかりやすく解説していますので、参考になります。
 いつも大切にしていることは、聖書の箇所を自分に対するメッセージとして読むことであり、子どもたちにも神さまは、どんな時にも共にいてくださり、支えてくださることを信じて歩んでいくことを心より祈っています。

第90回全国高校サーカー 選手権大会

ルーチェル学院高、惜しくも初戦敗退

作年末に開幕した第90回全国高校サッカー選手権大会に、熊本県の代表として、ルーテル学院高校が出場。
 1回戦は12月31日 (土 ) 、 快晴 、 寒空の下、Jリーグ浦和レッズの本拠地埼玉スタジアム2002で、強豪、静岡県代表清水商業高校と対戦。試合は、ルーテルのゴールキーパーのファインセーブがクローズアップされる押され気味の展開。後半の試合時間もすでに経過し、アディショナルタイムになっても0‐0。「PK戦になれば、有利だ」と思った瞬間、キーパーの上手の手から水が漏れるかのように、ボールはコロコロとルーテルのゴールの中に。あー残念。  広報室長 徳野昌博

るうてる法人会連合第4回教会推薦理事研修会

 「るうてる法人会連合」の研修プログラムの一環として、「第4回教会推薦理事研修会」が新春の1月9日(月・祭)午後2時から8時まで市ヶ谷センターにて開催された。
 本教会の議長、副議長、事務局長、広報室長、学校法人及び社会福祉法人の教会推薦理事、それに幼保連の園長・牧師、総計約35名が「るうてる法人会連合の新しい展開を目指して」というテーマの下で、参集した。
 最初に渡邉議長が教会の立場から「新しい10年にむけて教会推薦理事の意義」について発題した。宣教共同体である「るうてる法人会連合」設立から10年を経て、総会の開催、出版、研修ブログラム等の継続的な取り組みも含めて、それなりの成果を宣教共同体としてあげているが、それぞれの共通の使命である宣教(ミッション)そのもの再確認、新たなる時代の中でのキリスト教理念の構築、それに人材の育成及び教会推薦理事の意義の再定義等が今後の共通課題であると説明した。
 この基調講演に対して、社会福祉協会、学校法人、幼稚園・保育園連合会の代表からリアクションとして、主に以下の点から意見と要望が出された。
 社会福祉協会代表・内海望氏は、職員にとって「働きがいのある施設」となるためのキリスト教精神の意義とその運営のあり方を考えていくためにも教会推薦理事の存在の重要性があり、と同時にその役割の課題が常に残されていることを指摘した。
 学校法人代表・松澤員子氏は、キリスト教主義学校におけるクリスチャン教師の減少傾向が強まる状況の中で、クリスチャンコード(教職員がキリスト者であることを定めた内部規定)に基づく学長選任及び理事候補の選定がいずれの大学等においても困難になっており、それは施設だけでなく、教会の働きも含めてキリスト者の人材養成・後継者養成の課題と深く関係しているとの意見が述べられた。
 幼稚園・保育園連合会長・岩切雄太氏は、教会推薦理事は会計基準も含めた法人の業務内容の十分な理解・把握と職員の働きを全面的に受け止める姿勢が大切であるとの意見を述べられた。
 最後の全体会では基調講演、リアクション、議場の意見を踏まえ、今後一年間かけて、「るうてる法人会連合」としての共通の「宣教理念の構築」の必要性、宣教共同体を維持、発展、推進していくための原点及びルール作りの作成、さらにそれに関連する教会規則第74条の条文の文言等の検討を相互に取り組んでいくこととし、そのための手順と、しかるべき作業委員会の設置は、春に予定される三法人の代表者会の場で協議していくこととした。
(副議長 青田勇)

春の全国Teensキャンプ 参加者募集

今年も春の全国ティーンズキャンプ(略して春キャン!)申し込みの季節がやってきました。
2011年3月の春キャンは、過去20年間の中ではじめて実行することができませんでした。東日本で起きた大震災のために、本当にたくさんのいのちが失われました。2012年春、私たちは、同じテーマであっても、新しい気持ちで「いのち」について考えたいと思います。
春キャンに来たことのない人たちも、春キャンに久しぶりに来る人たちも、
そして春キャンを楽しみにしてくれている人たちも、
みんな2012年3月は奈良に集合だッ!!
*なお、昨年春キャン卒業予定だった人も、今年キャンパーとして参加できます。

テーマ  いのちってだれのもの?―The Eternal Question―
主題聖句 命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。
     それを見いだす者は少ない。(マタイ7:14)

日 程: 2012年3月27日(火)~29日(木)
集合時間、解散時間は未定ですが、現地には各教区・地区ごとにできるだけまとまって往復します。交通手段等については、各教区担当者からご連絡いたします。
会 場:国立曽爾青少年自然の家  
〒633-1202奈良県宇陀郡曽爾村太良路1170
TEL 0745-96-2121 FAX 0745-96-2126
URL http://soni.niye.go.jp/index.html

参加対象者:2012年4月1日時点の年齢が12歳~19歳のみんな
参加費: 2月26日(日)までの申し込み  1万1千円((交通費は各自負担)
    申し込み期限を過ぎてからの申し込み(要相談)1万5千円(  〃 )
    ※申し込みのタイミングによって参加費が変動します。
※3月23日以降のキャンセルについては、参加費の半額を請求
させていただきます。
※飛行機のチケット等の手配もありますので出来るだけお早目に
お申し込み下さい。
申し込み期限:2012年2月26日までに、下記申込先に郵便・FAX
またはE-Mailでお願いします。
申し込み先 郵便:〒812-0053 福岡市東区箱崎3-32-3
日本福音ルーテル箱崎教会気付 春キャン2011申込受付担当:和田憲明宛
FAX:(092)641-5480(箱崎教会) E-Mail:tng.apply@gmail.com
キャンプに関する一般的問合せ:
TNG-Teens部門 小澤実紀 携帯TEL:090-1098-2466
主 催:日本福音ルーテル教会宣教室TNG委員会Teens部門、各教区教育部、JELA

JLER報告

JLER東日本大震災救援活動への祈りとご支援に感謝します。新しい年がやってきました。被災地では「おめでとう」という言葉が素直に言えない年を迎えました。仮設住宅での寒さは厳しく、復興への道のりも苦難を感じながら、少しずつ前に進んでいます。本当に厳しい冬となりました。
 ルーテル教会救援では、昨年11月から石巻市北上・河北で仮設支援を始めまています。伊藤文雄派遣牧師・西田ちゆき社会福祉士の2人で仮設住宅を訪問しはじめました。これまで教会からの「おすそわけ」をはじめ、メッセージカード、雑巾等をお配りした仮設です。ルーテルさんの名前はよく知られていました。その関係があったからこそルーテル「お茶っこ会」は歓迎されました。今年になって、若手ボランティアスタッフ2名が加わりました。
 現在、毎週2回ほど仮設住宅での「「お茶っこ会」は行なわれています。簡単な体操にはじまり、テーマを決めての話からはじまります。ときには津波のことも話されます。天に送った家族の話になると、心の傷がいかに深いことかと思わされます。それでも、丁寧に話をお聞きしています。たった一杯のお茶ですが、そこに集い話をすることで、心が少しずつ開かれてくるのだと思います。笑いあり涙ありです。
 伊藤先生からは、カラオケ大会ができないか。映画会ができないかと相談がありました。共に歌うことが元気を与えます。童謡にはじまり歌謡曲まで。ときにはみんなで歌いながら涙もでます。男性の参加者が増えるようにと映画会も必要です。「男はつらいよ」シリーズを上映する計画も立てました。仮設支援はまだこれからです。心のケアにまでつながるようにと願っています。石巻市社会福祉協議会とも協力してこの支援をすすめてまいります。
 活動の様子はブログhttp://lutheran-tonaribito.blogspot.com/でもどうぞ。   事務局長 立野泰博

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