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機関紙るうてる

るうてる2019年12月号

「幸いを実感できるか?」

九州ルーテル学院大学 チャプレン 黄大衛

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「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」(マタイによる福音書5・3)

待降節になり、クリスマスのシーズンになりました。周囲の喜ばしいクリスマスソングやイルミネーションに囲まれると、私は嬉しくなります。この季節、私は自然に「心の貧しい人々は幸いである」というイエス様の祝福の約束を思い出します。不思議なことに、この言葉の文脈を合わせてみると、祝福される対象は全部弱い者なのです。
さて「心の貧しい人」の中の「心」というギリシャ語原語は、聖書のほかの箇所に「霊」と訳されているもので、「神様の霊」というふうにも用いられる言葉です。つまり、「神の霊との関わりにおいて貧しい人々」という意味です。
私はこの「貧しさ」について深く自覚しました。私は人に「なぜクリスチャンになったのか」と聞かれると、よく「クリスチャン家庭で生まれたゆえです」と答えます。しかし私は3代目のクリスチャンですが、自分の信仰をいつも弱く感じます。それは自分の信仰が親に依存して形成されたものではないかという劣等感があるからです。神様との関係の中で体験しつつ、確信を深めた信仰が私の中にあるのでしょうか?私の場合、パウロのように神様に奇遇されるような経験もありません。人生で辛いと気持ちが落ち込みます。そんな自分の信仰を貧しく思います。しかしそのように弱くても幸いだと信じ難くても神様を信じています。
さて信仰について考える時、印象的に思い出す光景があります。それは一方通行の狭い道で、工事をしているトラックの光景です。トラックは正面から来た乗用車に道を譲るために、横の道に曲がって止まりました。トラックは乗用車が通ってから元のところに戻るつもりだったのでしょう。そのトラックは運転のシフトレバーをバックのところにしたままでよけていたのです。ですから、トラックのスピーカーはずっと『バックします』『バックします』と鳴っていました。それで、警備の人がどんなに乗用車を誘導しても、乗用車はトラックのスピーカーの音を聞き、トラックがバックしてくると思い、全然動かなかったのです。このことから、乗用車の運転手はたとえ常識的に正しく判断したとしても、道を誘導してくれた工事の誘導員を信頼しなかったゆえに、受けることのできた厚遇をはじいてしまい、時間を浪費し、周囲にも残念な思いをさせてしまいました。
さて、幸いの話に戻りましょう。何が幸いかと言えば、私たちの考えでは、やはり富んでいて、力があり、自分を開花させれば幸いと思うのです。しかし、イエス様が言う幸いは、世の常識をひっくり返しているのです。先程の乗用車とトラックの話と同じように、私たちは常識に傾くのか、本質を見て判断するのか、自問したいものです。たとえイエス様の教えを聞いても、私たちの目が今までの常識に縛られて受け入れないなら、この「幸い」を理解できずに終わるでしょう。
ですから、イエス様を低く地上に送られた神様に感謝します。イエス様が人間の低さ弱さを知るからこそ、いつも人の側に立って共感し、弱い者も忍耐強く支えてくださるのです。そして誰もが自分の弱さを認め低くなるならば、いつでもイエス様に助けてもらえるのです。これこそ、私の信仰の励みです。
これから定年を迎え、バトンを若い世代に渡すのは寂しいことです。しかし依然として神様のそばにいるなら、小さな歩みでも、自分のできることでお役に立てるという希望は消えません。貧しく弱い者の幸いを身をもって喜び分かち合うことを続けていきたいものです。

コラム「直線通り」久保彩奈

㉑その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」
(ルカによる福音書2・8-11)

学生の頃、「あなたは何もわかっていない。一度路上で寝てみなさい」と教授に言われたことがありました。横浜の野宿者や日雇い労働をはじめとする「貧困」をテーマにした授業中のことでした。今思えばトンチンカンな発言をしたわたしに対して、教授は冒頭の言葉をかけたのです。
躍起になったわたしは、横浜の路上で寝てみました。11月下旬、晴れてはいましたが夜は寒く底冷えしていました。どこなら寝られるか、夜の街を彷徨い歩きました。段ボールを敷き横たわると、アスファルトから伝わるキンとした冷たさが身体に刺さるようでした。しばらくすると靴の音がしました。そして夜中ずっと誰かが通ったような気がして安心して眠ることはできませんでした。日が昇りはじめ明るくなる街に、安堵の涙が出そうになりました。首都圏の路上で生きる厳しさを痛感、その後現在に至るまでの12年、野宿者支援活動にかかわってきました。また、その日は必死だったので気づきませんでしたが、まるでクリスマスのような体験だったことに後になって気付きました。
そして、今ならわかるのです。泊まる場所を探し彷徨うヨセフとマリアの気持ちを。夜通し野宿をしながら羊の番をした羊飼いが感じた寒さや、不安の中で天使に導かれた喜びを。家畜小屋でキリストの誕生を祝い、小屋を出て浴びる朝日の眩しさを。
わたしたちのキリストは、誰もがお祝いにかけつけられる場所でお生まれになったことを心に留めたいと思います。今年もすべての人とともに、クリスマスをお祝いしましょう。
メリークリスマス!

議長室から「アポロ13号」総会議長 大柴譲治

「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」(ヨハネによる福音書1・5)

アドヴェントの時期になると映画『アポロ13』(1995)を想起します。アポロ13号は1970年4月11日に打ち上げられた3人乗りの月面探査船。しかし宇宙船は2日目で電源がショート、火花が飛んで酸素タンクが爆発・損傷という事態が発生。電力と酸素が断たれたら生命維持は困難で、月面着陸のミッションどころか地球に戻ることも不可能となります。3人は着陸船を救命ボートに見立てて乗り移り、地上のNASAと手に汗を握るやり取りを通してあらゆる手立てを尽くすのです。消費電力を限界にまで抑え飲料水の摂取を極力控え、遂に無事地球に帰還することができたのでした。その対応の鮮やかさによってそれは「成功した失敗」とも称されます。
トム・ハンクス演じるジム・ラヴェル船長は発射前のインタビューで、かつて海軍のパイロットだった時の体験について触れています。日本海での夜間飛行中、電気系統の故障でコックピット内のライトが突然すべて消えてしまう。マッハを超える速度です。水平に機が保たれているかを示す水準器も、方向を示すコンパスも、残りの燃料量も何も見えない絶体絶命のピンチ。彼は一瞬祈るような気持ちになります。自分の平衡感覚に頼りつつ何とか機を水平に保ちながら飛んでいると次第に眼が闇に慣れてくる。すると不思議なことに海がボーッと青白く光っているのが見えてきた。それは海面に浮かぶ夜光虫でした。コックピットが明るいうちは見えなかったかすかな光が見えてきたのです。さらによく目を凝らすとそこには数時間前に航空母艦が通った跡がくっきりと一筋の黒い線として見えてきました。母艦が夜光虫を押しのけて通った跡です。ラヴェル船長は「それを道標として母艦に帰艦することができました」と淡々と答えていました。どのような危機の中でも沈着冷静さを失わない宇宙飛行士。だからこそアポロ13号の場合も無事生還することができたのでしょう。印象に残りました。
この世の闇にも1本の確かな道筋が敷かれています。それは目を凝らさなければ見えてこないようなかすかな光の道かも知れません。傷ついた葦を折ることなく暗くなってゆく灯心を消すことのないお方のゴルゴダの十字架へと続く道です。東方の博士たちの旅もまた星を道標とする夜の旅でした(マタイ2・1-12)。 その道こそ私たちを喜びに溢れる救いに導く主の道です。心の目を凝らしてご一緒にその道標を辿りたいのです。皆さまのために祈ります。メリー・クリスマス!

プロジェクト3.11
「北海道寺子屋合宿」について内藤新吾(稔台教会牧師・ 原子力行政を問い直す宗教者の会)

毎年、覚えていただき感謝です。放射線の影響が心配される地域の子どもたちの保養事業、原子力行政を問い直す宗教者の会の「北海道寺子屋合宿」は9年目の夏も、非常に有意義なときを過ごすことができました。
今年の参加者は子ども104人、保護者47人の計151人でした。あと、ここにスタッフやボランティアも加わります。参加者は主に福島県から仙台港よりフェリーで苫小牧港に着き、その日は札幌へ移動して真宗大谷派の青少年センターを借りて1泊2日のガイダンスを共にします。そのあと各自レンタカーで、お世話になる寺や教会へ散って行きます。
期間は北海道滞在1週間、半月、1ヶ月と選んでいただき、家族や団体などで何期かに分けています。往復フェリーにもスタッフが同行します。すべての交通費と滞在先への貸布団代などは宗教者の会が負担し、参加者は自炊費用や動物園へ行ったりなどの余暇代を負担します。
内部被曝の心配のない空気・水・食事のもと、ゆったりとした時間をある期間過ごすことによって、子どもたちは確実に免疫力を回復します。実際、行く前と行った後の尿検査をした年もありますが、それは数値で表われます。あと、何よりガイダンスのとき、お母さん方が、ふだん口にできない苦悩や苦労話を互いに話し合えることが大きな慰めや力となっているようです。リピーターも多い所以です。
福島県では今、どんどん増える小児甲状腺がんを隠すためか検査縮小(志願制にすること)が責任者たちにより口にされていますが、とんでもないです。「3・11甲状腺がん子ども基金」は、手術を受けられたお子さん家族への支援を行っています。
また、手術を受けられたお子さん方のご家族どうしの交流の会も自分たちで作られ、互いの励ましとなっておられます。「甲状腺がん支援グループ・あじさいの会」といいます。どちらもホームページがあります。こちらも、お祈りに覚えていただければ幸いです。

賛美歌と私たち

⑥『讃美歌』(1954年版) 小澤周平(名古屋めぐみ教会牧師)

1954年出版の『讃美歌』(写真)こそ、日本基督教団出版局発行の今でも現役の歌集です。(本連載では「『讃美歌』(1954年版)」と表記します。これは他の『讃美歌』と区別するためで、『讃美歌21』のまえがきに準じました。他の資料では「昭和29年版『讃美歌』」や「54年版」とも記されますので、「54年版『讃美歌』」と呼んでも良いでしょう)。
第二次世界大戦を経て、沢山の聖書、歌集、そしてオルガンまでもが失われました。戦後、人々の歌集の求めに対しては、アメリカからの援助物資や、暫定的な改訂をした1931年版の『讃美歌』が頼りでした。
それでも、1931年版の『讃美歌』や戦中に発行した歌集は、在来の皇室中心的な歌詞や古風で難解な表現が多く、そこからの脱却が課題となっていました。歌詞の吟味、左開き、公募賛美歌。編集期間の約5年間、当時の日本基督教団の賛美歌委員会は様々な挑戦を続けました。また、会衆の歌い易さを求めて記譜法や音程など、曲についてもかなり手を入れました。
『讃美歌』(1954年版)は、日本のプロテスタント教会の代表的歌集としての責任をも担って編集が進められました。教派を超えて共通に用いられる役割(「共通歌集」としての役割)です。現在の日本のキリスト教界を眺めると、当初の想いが実現されている様子もうかがえます。
ただ、編集においては限界もありました。委員長の由木康は後に語ります。「何をうたうか、どういう讃美歌集を編集するかということを、あまり古い、おじいさんやおばあさんに遠慮しないでやらないと、讃美歌はなかなか進歩しませんよ」(*1)。様々な課題と向き合いながら、それでもなお後進の指導に取り組んだ由木。自身が年を重ねてからの言葉だからこそ深い意味を感じます。歴史を想いつつ、『讃美歌』(1954年版)の序文と凡例を読むと、意外な発見があるかも知れません。(続く)

(*1 『礼拝と音楽180号』日本基督教団出版局、1970年、14頁)

公 告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2019年12月15日
宗教法人
日本福音ルーテル教会
代表役員 大柴譲治
信徒利害関係人 各位

スオミ教会土地建物売却
(ア) スオミ教会 土地
・所在地 東京都中野区上 高田1丁目
・所有者 日本福音ルーテ ル教会
地番 36番1
地目 宅地
地積 330・57m³
(イ)スオミ教会 建物
・所在地 東京都中野区上 高田1丁目36番地1
・所有者 日本福音ルーテ ル教会
種類 礼拝堂・教職舎
構造 鉄筋コンクリー  ト3階建
床面積
1階 109・81m³
2階 161・35m³
UG 207・83m³
・理由 第28回総会期第5回常議員会承認 宣教地移転計画のため

全国ディアコニアネッ ト ワーク「秋のセミナー」に参加して

岩切雄太(八幡教会・門司教会牧師)
第27回秋のディアコニアセミナーが、10月13日(日)~14日(月)に、博多教会(特別養護老人ホーム「よりあいの森」の見学含む)で行われた。 今回のメイン講師は、特別養護老人ホーム「よりあいの森」代表の村瀬孝生さん。村瀬さんは温厚な声で「よりあい」という介護施設の成り立ちから今日に至るまでの経緯を語られた。
それは、高齢者の問題を、ゴルディアスの結び目を一刀両断するようなものではなく、「一人のお年寄りの生活を支えること」から始まった「一人ひとりを大切にする」という支援のあり方(より沿い方)であった。
こうして言葉にすると、「そんなことあたりまえじゃないか」と思われるかもしれない。しかし、村瀬さんが穏やかな語り口で話されるお年寄りたちとの出来事は、「一人ひとりを大切にする」ということ、それがあたりまえではない社会のなかで繰り広げられる冒険譚のように聞こえたのだった。
村瀬さんは言われる。「私たちが大切にしていることは、お年寄りを、縛らない、閉じ込めない、薬づけにしないことです」と。これまた「そんなことあたりまえじゃないか」と思われるだろう。
しかし、私たちの社会は、認知症で徘徊し始めたお年寄りの生活を制限するだろう。また、自然な老いによって脚が弱り転倒のリスクがあるお年寄りの生活は限定されたりもする。そんなふうに私たちの社会は、お年寄りの生活を「制限」し「限定」することを、「しかたないよね」的に受け入れているのではないだろうか。
そうであるなら、…「制限」「限定」に対置される言葉は「普通」なんだけど…、私たちの社会は、お年寄りに、「普通」に生きられないことを強いていると言えるのだろう。村瀬さんは言われる。
「私たちにできることは、いなくなったら探すこと、転んでいたら早く見つけることです」と。私たちは(いくつになっても)迷子になり転んだりする。それが「普通」なんだ。考えさせられ励まされる、すてきなお話でした。

Fアジア指導者会議 浅野直樹Sr(市ヶ谷教会牧師・世界宣教主事)

10月4日から7日にかけて、ルーテル世界連盟(LWF)アジア指導者会議が開かれ出席しました。アジア19カ国の45加盟教会の代表と地元から、総勢173名がインドネシアの北スマトラにあるペマタンシアンタに集まりました。この会議はアジアのルーテル各教会のビショップや議長たちの協議の場として2年ごとに開催されますが、JELCからは大柴議長の日程調整がつかず、私が代理出席することになりました。テーマはPursuing Peace Through Interfaith Relations in Asia「他宗教と共に目指すアジアの平和」。会場国インドネシアは、イスラム教徒の人口が世界最大でありながら、パンチャシラという方針をスカルノ大統領政権以来大切に守っており、これが宗教の自由を保障しています。そのためにキリスト教人口は2番目に大きく、北スマトラには大きなルーテル教会のコミュニティがあります。宗教間対話も盛んに行われており、今回の会議でもこの分野に関する専門家でジョコ大統領特別大使の講演がありました。イスラム教はじめ、伝統的な部族の宗教の代表者も参加しました。今回のテーマに最もふさわしい場所が選ばれたと言えます。信教の自由があるとはいえ、イスラム教徒過激派による迫害はインドネシアでも深刻で、教会が各地で焼き討ちされています。そうした現実は他国にもあり、マレーシアでもイスラム教、インドはヒンドゥー教徒による差別と迫害の声を聞きました。
JELCはアジアでの宣教に着手しようとしていますが、今回の協議会ではアジアの各ルーテル教会が取り組んでいる海外宣教について聞くこともできました。JELCよりも小さな教会でありながら、世界宣教をアジア各地で展開している数々の教会の活動に触れ、驚きと大きな刺激を受けました。
日本からの参加はJELCの私一人だけで、やや存在感が薄かった感は否めません。私は初日の礼拝を担当しましたが、それだけではだめだと思い、カルチャーイベントの夜はなんとかアピールしようと浴衣と下駄で登場したら、これが大受け。ベストドレッサー賞をいただいてしまいました。礼拝と話し合いだけでなく、楽しい交わりの大切さをも実感しました。

ルターナイツ「耳を澄ませばカンボジア」 石原 修 (市ヶ谷教会)

2014年に東教区に「伝道を考える会ジュニア」が作られ、教科書で誰でも知っているルターの顔、そして著名なバッハを利用して、宗教改革500年までの3年間、礼拝には呼びづらい友人や同僚にルーテルとのつながりを持てるようにと「ルターナイツ」が企画されました。500年を終えた後も継続し、10月11日、初回ボリュームゼロから数え11回目が開催されました。
昨年からホールをお借りしているJELA(日本福音ルーテル社団)がカンボジアの子供支援をしていることに、市原悠史牧師の甲府時代の音楽仲間でカンボジアを支援しているシンガーソングライター岩崎けんいちさんとaroさんの出演が決まったことをあわせて、「耳を澄ませばカンボジア」というタイトルとなりました。
二人は、毎年カンボジアの各地を訪問し子どもたちの支援するため、履かなくなったきれいな運動靴(裸足で破傷風で亡くなる子どもが多いため)、 未使用の歯ブラシ・石けん(歯が無い子どもが多いため)、ギター・ハーモニカなどの楽器類、未使用のノート・ペン・鉛筆を集めており、呼び掛けたところ、たくさんの品物が集まりました。また在日カンボジア人の高校生と中学生アヤカさんとモモカさんによるクメール伝統舞踊、唯一連続出演を続けている市ヶ谷教会ユースを中心とするThe Beaglesも参加し、最後は、皆でカンボジアの童謡「アラピヤ」を岩崎さんの訳で歌いました。 また、JELAからはカンボジアの村に水道設備を設置したプロジェクト、日本国際ボランティアセンター(JVC)からはカンボジア子ども支援の話をお聞きし、当日の売り上げより、JELA、JVC、岩崎さん・aroさんのカンボジア子ども支援のために捧げられました。徳善義和先生からルターナイツのために頂いたバッハの言葉「祈りをもってする音楽においては常に神がおられる、恵みの現臨をもって。」(徳善先生訳)を胸に、これからも続けていきます。

春の全国ティーンズ キャンプのお知らせ

宣教室TNG委員会ティーンズ部門と各教区教育部が主催する今年度の春の全国ティーンズキャンプを千葉市少年自然の家において開催します。ぜひ、対象となる子どもたちを送り出してください。

第27回春の全国ティーンズキャンプ
●テーマ イエスさま は「いつメン」
●主題聖句 マタイに よる福音書1・23
●日程 2020年3月 24日(火)~26日(木)
●対象 12歳~18歳
(2020年4月2日
時点)
●会場 千葉市少年自 然の家(千葉県長生 郡長柄町)
●参加費 1万5千円
(バス代込み)
*東京でのバス乗車集合 場所までの交通費は別 途必要。
*3月24日以降のキャン セルは参加費の半額の キャンセル料がかかり ます。
●申し込み締め切り   2月23日(交通の手配 がありますので早目に お申込みください。詳 しい移動方法等は各教 区担当者からご連絡し ます。)
●申込み方法
tng.jelcs.net/teenscamp/ から申し込んでくだ さい。
*下記のQRコードか らもアクセスできま す。
*所属教会牧師の承認 を受けてください。
*正式登録されると  TNG-Teensブログに 教会名とイニシャル が表示されますので ご確認ください(申 込みから数日かかり ます)。
●TNG-Teensブログ
tngteens.hamazo.tv
●問合せ 永吉穂高牧 師(小倉教会) 電話 093(921)7 715 携帯話08 0(6106)07 94
メールアドレス
harukyan.moushikomi
@gmail.com
●持ち物 聖書、筆記 用具、保険証、参加費、 洗面用具、着替え、防 寒着、入浴用品
(ボディーソープ・リン ス インシャンプー・ドラ イ ヤーは施設にありま
す)、3月24日用の昼  食・飲み物。
*今回の春キャンでもバラエティショーをおこないます。バラエティショーとは、ティーンズのみんなが演奏やコントなパフォーマンスを披露する時間です。時間は1グループ約5分。個人での参加でもグループでの参加でも大歓迎!出演者をキャンプ1日目に募集します。みなさんのご参加を待っています。

日本ルーテル神学校オープンセミナリー報告 宮本 新(日本ルーテル神学校)

10月13~14日、JELCとNRKの両教会(神学教育委員会)、そして日本ルーテル神学校が次世代の教職養成を祈りとし、オープンセミナリーを開催しました。折しも台風直撃の日と重なり、全員の参加(申込み9名)はかないませんでしたが、各地の青年、教職者が神学校に集まり、模擬講義などのプログラムを通して、学びと交わりのひと時をもちました。キリスト者として生きること、神学を学ぶこと、そして自分たちと教会の将来など、さまざまなことを学び語り合う恵まれた2日間でした。
牧師を志し、神学校に進むことには個々人の決意も大切な点ですが、もう一つの側面があります。献身者は単独者ではなく、祈られてきた人たちでもあります。信仰者の群れ、教会の存在があります。その祈りと使命に応じて、神さまは人を立て、人は神の召しに応えます。今回の企画の原点にもなりました。参加者一同と祈りを深める機会を今後も継続したいと考えています。引き続き、教会の祈りに覚えていただけたら幸いです。

「オープンセミナリーに参加して」

上田泰洋(大江教会)
10月13日から14日にかけて、ルーテル学院大学でオープンセミナリーが行われました。台風の影響により、参加者の中にも来られない方が数名おられましたが参加することができたことを感謝します。
現在、大学3年生であり、神学について学んでいます。来年4年生となり、将来について考える時期にあります。
その中で、この度、神学校のオープンセミナリーで、神学校での様々な先生方のお話を聞くことによって、神学校の中でどのような学びをしているのかなんとなくですが、実感することができました。特に宮本新先生の「聖書と世界」についての話はこれからのキリスト教について学ぶことができ、興味深い学びの時間となりました。
今回のオープンセミナリーでは自分の将来について一面的ではなく多面的に考えることができる、良ききっかけになりました。初の試みとして行われたオープンセミナリーでしたが、非常に実りある学びとなり、自分自身にとって良き経験となりました。

第3回「えきゅぷろ」報告 谷口 愛 (市ヶ谷教会)

カトリック教会、日本福音ルーテル教会、日本基督教団の有志の青年たち(=エキュメニカルプロジェクト実行委員会)が企画した、青年のためのエキュメニカルの集い「えきゅぷろ!」が10月19日、日本福音ルーテル東京教会で開催された。
宗教改革500年を機に誕生した「えきゅぷろ」は、教派を超えた青年同士の「出会い」のきっかけ作りを軸としている。昨年は「信仰」をテーマに、多様性の中の一致を見出すことを目指した。
3回目を迎えた今回のテーマは「PrayStation3」。主題聖句には「だから、こう祈りなさい」(マタイ6・9)を取り上げ、個人のシェアから、共に祈ることへの発展までを深める構成とした。
ゲストには佐藤直樹神父(カトリック・サレジオ修道会司祭)、関野和寛牧師(東京教会)、増田将平牧師(日本基督教団青山教会牧師)をお招きし、勢いある開会の祈りに先立ち、セッションではグループに分かれて3つのテーマ『�@いつどこで祈っているか�A何を誰のために祈っているか�B「だからこう祈りなさい」―どう祈る?』について分かち合った。その後、登壇者の3人がトークセッションを行い、身近な話から祈りの方法まで幅広く、分かち合いの内容を深め盛り上がりを見せた。
「聖餐と向き合うプログラム(仮)」は、1回目より挑んできている問題提起である。「仮」とあるように毎年模索を続け途上段階だが、いつか聖餐の恵みを共に分かち合える日が来ることを願い、今回も展開された。
プログラム最後では、各グループが祈りをつくり、その後行われた合同礼拝の中で祈った。また、教派別に異なる訳の「主の祈り」を、聖書の通り同じ言葉で祈ったことも恵みのひとときとなった。(マタイ6・9?13)
ある参加者の言葉が印象に残っている。「キリスト者を一つにしてくれるもの、それが祈り」。教派の異なる私達が、大事なものは同じであるという実感、この共通体験が出来たことはえきゅぷろの醍醐味だといえよう。共に祈れる恵みに感謝し、ここでの繋がりが益々育まれていくことを願っている。

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