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機関紙るうてる

るうてる2015年8月号

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説教「平和の基がここに」~平和主日を覚えて

「主は多くの民の争いを裁き、はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」(ミカ書4・3)

聖書は珠玉の言葉に溢れている。この預言者ミカの言葉もその一つだ。初めて出会った時の不思議な感動を今でも覚えている。『剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする』。ここに平和を求める人間の姿が、鮮やかに示されている。
 今年は戦後70年、あの夏に生まれた人も古稀を迎える。戦争には人間の罪が100%現れる。隠れていた人間の罪が伝染病のように広がり、闇が光を覆い尽くし、人を狂気へと駆り立てる。勝利を得ようと「何でもあり」 に堕ちてゆくことが、深刻な問題だ。70年前、沖縄戦に続く無謀な作戦の継続によって、多くの人命が失われていった。特に、若き命が散らされたことに心が痛む。最終的には全軍へと変貌した特別攻撃(特攻)、広島と長崎への原爆投下、そして降伏へと突き進んだのである。
 あの悲劇的な戦いの中、命を慈しんだ一人の軍人がいたことをご存知だろうか。愛知県豊田市出身の旧海軍芙蓉部隊長、美濃部正である。全軍特攻が至上命令となる中、抗命による死を覚悟しつつ、 最後まで航空特攻を拒否した指揮官だ。彼の部隊は必死の特攻に代え、決死の夜間攻撃に徹した。部下たちも指揮官の捨て身の姿に報い、特攻に劣らぬ多大な犠牲を払いながら、最後まで運命を共にしたのである。
 箴言は「憎しみはいさかいを引き起こす」( 10・12a)と教える。その通りだ。憎しみがいさかいを引き起こし、いさかいが新たな憎しみを生み出してゆく。憎しみの連鎖が人間の歴史を形作った。それはミカの預言とは正反対の出来事である。憎しみが『鋤や鎌』を『剣や槍』に打ち直し、恐怖が梵鐘や金属像を武器へと鋳直させた。愚かである。本当に人間は愚かで罪深い。その愚かな人間の罪の世界は今も続き、その中に私はいる。あなたもいる。私たちはここに置かれているのである。
 10年程前、8月になると私の心の中で一つの声が響いたことがあった 。 「私は人殺しの子なのか」と。多分、父が太平洋戦争に4年程従軍したことが関係している。父が戦争で人を殺めたかどうかは定かでない。その可能性は否定できない。だから、後に国際公法が戦争における殺人行為に罪科なしと定めても、心にストンと落ちない。神様との関係は一体どうなのか。そのことが気になっていたのである。父の罪を子は負うのだろうか?
 十戒等に「・・・わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問う」(出エジプト20・5他)とあり、「アコルの谷」(ヨシュア7・24~26)の出来事は父の罪が子に及んだことを示唆する。一方、後の預言者エゼキエルは「子は父の罪を負わず、父もまた子の罪を負うことはない。正しい人の正しさはその人だけのものであり、悪人の悪もその人だけのものである」(エゼキエル18・20)と語る。どういうことなのか。時の経過と共に 「罪理解」 に変化が生じたのか。
 いやそうではない。大切なポイントを私が見失っていたのだ。救いは律法ではなく福音にあることを。イエス様もそのことをお教えくださった(ヨハネ9章、ルカ13章)。父祖の罪の規定には、加えて「・・・戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみが与えられ、罪と背きと過ちが赦される」と明記されているのだ。三代、四代どころではない。幾千代である。信じる者にはとこしえに神様の慈しみと罪の赦しが与えられるという。ここに神様の愛の絶大さがある。ここに私たち人類の救いの道が示されているのである。もう、私の心にあの声は響かなくなった。

 イエス様の十字架の愛により、人類すべての罪は覆われ、贖われていると信じる。「愛はすべての罪を覆う」(箴言10・12b)とある。その通りだ。イエス様の十字架の苦難を信じる者には、とこしえの慈しみと赦しが与えられるのである。ここにすべての平和の基がある。戦争を悔い改めつつ、平和を実現する者として歩みだすための基が。共に福音宣教の道を歩もう。
日本福音ルーテル挙母教会牧師 ミカエル鈴木英夫

宗教改革五〇〇年に向けてルターの意義を改めて考える(40)

ルター研究所所長 鈴木 浩

だから、ルターはマルコ福音書のその箇所を正確に理解したのだ。「百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『本当にこの人は神の子だった』と言った」(マルコ15・39)。
 「このように」とは、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と絶望の声を上げたことを指している。だから、あのように絶望の声を上げて死んだからこそ、イエスは神の子だった、と百人隊長は言っていたのだ。 ルターはこのようなイエスの姿の中にしか、神を知ることは絶対にできない、と言った(ハイデルベルク討論、1518年)。激しい言い方であるが、そのような見方をルターは「十字架の神学」と呼び、それまでの神学を「栄光の神学」と呼んで、徹底的に批判した。
 ルターは、神は「反対の相」のもとに、真実を啓示すると指摘した。神の栄光は、十字架の上のあのイエスの姿に啓示されている、というのだ。
 「人間の行いは、常にりっぱで、よく見えるが、しかしそれが死に至る罪であることは確かである」(第三提題)。「神の働きは、常に醜く、悪いように見えるが、しかし真実は不滅の功績である」(第四提題)。こうした発想が「十字架の神学」である。

議長室から

「教会の声、祈りの声」

総会議長 立山忠浩

8月に入りました。平和への思いを強くする月です。終戦から70年となる今年はなおさらそう感じます。日本の政治の動きが大変気になるからです。憲法九条改正のトーンがひとまず後退したと思いきや、安保法制という法案にとって代わり、また一部国会議員によるマスコミへの懲罰論まで飛び出してしまう状況を目のあたりにしているからです。
 もちろん同じキリスト者であっても、支持政党が異なり、憲法九条の改正や安保法制などの法案についての意見がそれぞれであることは当然のことです。どの新聞を購読しているのか、どのテレビチャンネルやインターネットからの情報を好んで得ているのかなどで、意見が異なって来ることはある意味健全なことです。
 ただ、このような平和について危惧される状況が生じている時に、教会が、すなわち日本福音ルーテル教会がどのような見解に立ち、どんな対応をしているのか、このことを明らかにすることは 重要なことです。幸いに、日本福音ルーテル教会のホームページから、社会的、政治的問題に対するこれまでの教会の宣言や意見表明を見ることができるようになりました。また、社会委員会は定期的な会合を重ねながら、矢継ぎ早に生じる課題に可能な限り迅速に対応し、必要に応じて意見表明をしてくださっています。
 宣言や意見表明が出されるたびに申し上げていることですが、これらは日本福音ルーテル教会の会員に強制するものではありません。この世のことをどう考え、いかに対応するかはそれぞれ自由であることは言うまでもありません。中には、「教会の声はこの世の現実とあまりにもかけ離れている」 という印象を持たれる方がいらっしゃるかもしれません。確かにそのような「この世の声」にも教会は耳を傾けることが重要なことでしょう。しかし「教会の声」は、何よりも主イエス・キリストの教えに耳を傾け、祈りの中から生まれた声であることを覚えていただければ幸いです。
 教会の声を基本にし、自分で考え、自分にできる具体的な行動をとるのです。主イエスの教えを丁寧に尋ね求め、個人で、そして教会で祈ることを通して得られた考えと行いとを神様は祝福してくださることでしょう。

ルーテル・医療と宗教の会公開講演会報告

ルーテル・医療と宗教の会世話人代表  原 仁

 6月14日にむさしの教会を会場に33名の参加を得た講演会のテーマは「今知っておきたい子どもの頭痛~片頭痛、そして心がからむ頭痛~」でした。頭痛はありふれた症状で、片頭痛でお悩みの方は多い(子どもの15%程度)のですが、頭痛の治療を専門とする医師は少ないのが現状です。
 講師の藤田光江先生(稔台教会会員)はこの分野のパイオニアのお一人です。小児神経科医として30年以上頭痛の治療に取り組んでおられます。
 医療従事者側からすると、頭痛治療のノウハウがぎっしり詰まったご講演でした。片頭痛の分類はもちろんのこと、その程度を診るためには、本人や親からどのくらい痛いかを聞き取るだけでなく、行動を診るとよい、本当に痛いときはテレビを見ることもできなくなるとの説明は納得できます。
 片頭痛が発生する脳内の仕組みはかなり分かってきています。 まずは治療のための正しい診断が必要です。誘発因子(光刺激、チーズやチョコレート、化学調味料など)が分かれば避ける、規則正しい生活、特に睡眠を十分に取ることが大切とのご指摘がありました。本人と親と担当医が協力して治療に当たるために、藤田先生ご考案の頭痛ダイアリーの記録が有用です。鎮痛剤をタイミングよく使うことで、また最近は予防薬を上手に服用することで生活の質を向上できると強調されました。
 ご講演の後半は心がからむ頭痛の話題に移ります。 頭痛が単なる症状に止まらず、生活全般に悪影響をもたらすきっかけとなります。具体例として、不登校や引きこもりを挙げられました。このような状態からいかに回復するか、またそうならないための工夫はなにかを熱く語られました。
 「スマホに子守をさせないで!」とは日本小児科医会のキャンペーンの標語ですが、やはり頭痛の悪化を防ぐための工夫のひとつです。子育て ・ 孫育て中の方々にも是非実践していただきたいと願います。 テレビを見ながらの食事はもっての外、4人のお子さんを育て上げた藤田先生の言葉は迫力満点でした。

外国人被災者支援プロジェクト・EIWAN(福島移住女性支援ネットワーク)

プロジェクト3・11企画委員 李 明生

 東日本大震災発生時、青森・岩手・宮城・福島・茨城の5県には7万5281人もの在日外国人(主な出身国は、中国、韓国・朝鮮、フィリピンなど)が暮らしていました。しかし外国人被災者の状況について一般にはほとんど何も知られていません。東北在住の外国人住民は圧倒的に女性が多く、震災後は孤立した状況の中で、経済的にも非常に不安定のまま、支援と復興から取り残されてゆく人は少なくありませんでした。
 こうした状況の中、「外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト者連絡協議会」(外キ協)は 2011年9月「仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク」(通称・東北ヘルプ)と市民団体と共に「外国人被災者支援プロジェクト」を立ち上げました。2012年4月に仙台市には「外国人被災者支援センター」を設置、石巻市、気仙沼市、南三陸町で外国人実態調査を行いながら、生活支援や子どもたちの就学支援などを続けました。その後、宮城県での活動は地元市民団体へと引き継ぎ、2012年7月からは「福島移住女性支援ネットワーク(EIWAN)」を立ち上げ、白河市、須賀川市、郡山市、 いわき市、 福島市に住む移住女性とその子どもたちへの支援を地元のキリスト者・市民と共に続けています。
 現在EIWANでは日本語サロンの他、移動サロン、シングルマザーのパーソナルサポート、移住女性の子どもたちの就学支援、継承語(親の母語など、親などから継承する言語)教室支援、地域サポーター研修、移住女性グループへの支援などを行っています。
 既に震災支援は中長期支援の段階へと入っています。これらの活動を通じて、移住女性と日本人が出会い、真に「共に生き共に生かし合う社会」を一緒に作っていくことが、最終的な目標です。
 皆様のお祈りとご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

礼拝式文の改訂

16「礼拝式文の音楽」(その1)

             
式文委員 松本義宣

 初代教会の「礼拝の音楽」については何も分かりません。楽譜がなく記録もないからです。しかし、最後の晩餐の後「一同は賛美の歌を歌ってから、オリーブ山へ出かけた」(マタイ26・30)とあるように、イエス様や弟子たちは、賛美の歌を歌っていたに違いありません。それは恐らく詩編で、旧約聖書時代以来のユダヤの旋律だったでしょう。
 では、その旧約時代の音楽がどうだったか、それももちろん分かりません。詩編150編には「角笛、琴、竪琴、太鼓、弦、笛、シンバル」といった楽器が登場しますし、随分と賑やかな神殿礼拝だったのかもしれません(歴代上16・5以下)。シナゴーグ(ユダヤ教会堂)も各地の信仰生活の中心で、いわゆる礼拝の前身ともいえる集会が行われていました。ここでも詩編の賛美があったようですが、詳細は不明です。ただ、後の時代の「詩編唱」から類推すれば、先唱者(司式?)が歌い、会衆(あるいは聖歌隊?)が応唱するといったことだったかもしれません。
 キリスト教会が、そのユダヤ教の影響下に「詩編」の賛美を引き継いだのは間違いありません。しかし独自の歩み、新しい礼拝共同体を形成する中で、別の音楽も獲得していったでしょう。
 まず、キリストの出来事は最初、口伝伝承でした。読み書きが自在にできる者ばかりではない中で、長大な福音伝承を口頭で伝えるために、何らかの節が付けられたかもしれません。覚えて歌うための音楽が、ごく原始的に存在したはずです。
 加えて「詩編と賛歌と霊的な歌」(エフェソ5・19、コロサイ3・16)という記事があります。「賛歌」は特定できませんが、新約聖書にみられる様々な賛歌ではないかと考えられています。「マリアの賛歌」(ルカ1・46以下)、「ザカリアの賛歌」(ルカ1・67以下)、「シメオンの賛歌」(ルカ2・29以下)等、その他歌われていたのではないかと思われる箇所は幾つもあります。 「霊的な歌」もよく分かりませんが、それらとは別に、自由創作的ないわゆる讃美歌(「祈り」等を歌った?)もあったのです。キリスト教会の「礼拝の音楽」の源泉はここにあります。
 この礼拝の音楽は、それぞれの土地でそれぞれの地域の言語や音楽伝統と結びつき継承されていきます。迫害の時代には、大きな声での賛美が一時消えたかもしれませんが、やがてローマ帝国で教会は公認され、公然とキリスト教の賛美が歌えるようになり、礼拝式の整備、聖職者がリードする典礼へと変化していきます。
 ローマ帝国が東西に分かれ、ギリシャ語が残った東方教会とラテン語を公用語とする西方教会は、それぞれ独自の伝統を形成していきます。詳述する紙面はありませんが、やがてローマ教会を中心にして典礼と聖歌が整備、制定されて、記譜資料として手にできる最初の礼拝の音楽として「グレゴリオ聖歌」が登場してくることになります。私たちルーテル教会は、大雑把に言えば、その西方ローマ教会の「礼拝の音楽」の伝統を源泉とすることになります。(続く)

連載 マルティン・ルター、人生の時の時(7)

江口再起

いつの世も、わたしたち人間は柔軟さや努力に欠けた存在です。その人間の集まりである「教会」も、またしかり。古い考え方の習慣が抜けない、形式主義がはびこる、 また無知に基づいた新しさがもてはやされ、はたまたいささか感情過多で自己中心的な熱狂的思い込みが幅をきかせる・・・。そういう意味で、教会ぐらい厄介な集団はないかもしれません。 カトリック教会を厳しく批判し、改革を断行し、新しいプロテスタント教会を形成したルターではありましたが、しかし、その教会は必ずしも理想通りではない。いや、本当にがっかりさせられるような現実の連続でした。ルターは怒り、諭し、慰め、守ってきましたが、本当に疲れました。今も昔も教会形成は難しい。しかし、それでもルターはあきらめない。
 神はこの世界をつくりました。教会だけをつくったわけではありません。それゆえ当然にも、教会はこの世界のただ中に立っている。そして、そこに実に様々な問題が惹起するのです。ルターも様々な社会問題の全面に立たされました。たとえば農民戦争(1524年)。当時、農民は虐げられていた。そして、ついに領主に対して一揆に立ち上がる。ルターははじめ農民の味方でした。農民もルターの改革運動に期待し共鳴していました。 ところが一揆は過激になっていく。暴力の応酬。ルターはやがて領主の側に立って農民を口汚く罵り始めました。 ルターの汚点です。 またユダヤ人(ユダヤ教)やトルコ人(イスラム教)に対しても心の狭い態度で接しました。いずれもルターの時代的限界というものでしょう。ルターほどの人にして、そうです。もちろん後世の我々が笑っていいようなことではありません。人生はむずかしい、山あり谷ありです。(つづく)

2015年度日本福音ルーテル教会教師試験実施のお知らせ

 2015年度「日本福音ルーテル教会教師試験」を実施いたします。教師試験を受けようとする志願者は左記書類を整え、教会事務局にご提出くださいますよう、お知らせします。

  記

Ⅰ.提出書類
 1 教師志願書
 2 志願理由書    テーマ「なぜ『日本福音ルーテル教会の教師』を志願するのか」(あなたが考える宣教課題をふまえて)
 ・書式 A4横書きフォントサイズ    11ポイント
  3 履歴書  学歴、    職歴、信仰歴、家庭状況等を記入すること
 4 教籍謄本(所属教   会教籍簿の写し)
 5 成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書(法   務局交付のもの。任用試験時に必要になります)
 6 所属教会牧師の推薦書
 7 神学校卒業(見込)証明書及び推薦書
 8 健康診断書(事務局に所定の用紙があります)
Ⅱ.提出期限(期限厳守)
  2015年9月11日(金)午後5時までに教会事務局へ提出すること
Ⅲ.提出先
  日本福音ルーテル教会常議員会長 立山忠浩 宛
Ⅳ.試験日及び試験内容 直接本人に連絡します

連帯献金 ネパール地震被災者救援募金報告

      
 4月25日に発生したネパール地震によって被災された方々に主のお慰めがあり、生活の再建が導かれますようお祈りいたします。日本福音ルーテル教会では、世界ルーテル連盟(LWF)が世界キリスト教協議会(WCC)と共に設立した緊急支援組織「ACTアライアンス」の救援活動を通して、被災された方々への祈りと支援を届けることに取り組みました。当初目標とした金額を超えて、多額の支援が寄せられたましたことをご報告します。7月13日現在、3,561,866円が寄せられました。ご協力に感謝いたします。
 日本福音ルーテル教会事務局。

公 告

  
 この度、左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2015年8月15日
信徒・利害関係人各位
 宗教法人 日本福音ルーテル教会 代表役員 立山忠浩

    記

岡崎教会牧師館 建物取壊
 所在地 岡崎市伝馬通4丁目54番地
 所有者 日本福音ルーテル教会
 家屋番号 54番(付属建物)
 ・種類  居宅
 ・構造 木造瓦葺平屋建
 ・面積 71・16㎡
・ 理由 老朽化のため

「キリストが望んでおられる」 第23回女性会連盟総・大会報告

日本福音ルーテル教会女性会連盟 第22期書記 野村加寿子

 女性会連盟は、6月2日から4日まで東京代々木の「国立オリンピック記念青少年総合センター」で第23回総・大会を開催し、全国の79教会から延べ341名が集まりました。
 1日目は午後1時半の鈴木直子連盟会長の開会宣言から始まり、立山忠浩総会議長の挨拶をいただきました。開会礼拝では司式を平岡仁子牧師に、み言葉の取り次ぎを白川道生牧師にしていただきました。また、この3年間に天に召された122名のおひとりおひとりのお名前が読み上げられ、祈りがささげられました。
 基調講演は恵泉女子大学名誉教授である大塚野百合先生により「主イエスの深い愛を知る」と題して行われました。90歳の先生は張りのあるお声で「イエス様を知り、信じることで大きな喜びが私の心に溢れています」と話され、 特に親しんだ5曲の讃美歌を共に歌い、解説を聞きながら、讃美歌による信仰の深さに参加者ひとりひとりの魂が揺り動かされる豊かな時間を持つことが出来ました。そして「神様があなたのことを愛してくださっていることを、お帰りになられたら3人の方に伝えてください」とおっしゃいました。まさにこの時代に、教会が世に発信しなければいけないことだと強く思いました。
 夜には一同が集う愛餐会が開催され、石居基夫ルーテル神学校校長と現在神学校で学ぶ10名の神学生が参加され、 自己紹介の後、野口神学生のバイオリン演奏で会場全体が歌う楽しいひと時。地方の教会にとっては神学校も神学生も遠い存在であるかもしれませんが、少しでも身近に感じることが出来たのではないでしょうか。また「共に生きる」代表の松澤員子さん、「喜望の家」後援会長の秋山仁牧師からそれぞれのアピール。そして市ヶ谷教会の中川浩之さんが監修してくださったこの3年間の連盟感謝献金先7カ所の紹介をしたスライドショーを鑑賞。お食事も美味しく和やかにいただいたひと時でした。
 2日目は朝から夕方5時過ぎまで総会が開かれ、3年間の連盟、教区、協力委員の活動報告、そして会計決算がそれぞれ承認されました。その後、審議事項が話し合われ、「規約の改正『役員の任期3年後の再任は出来ない』」、「次世代育成の支援をより積極具体的にするため経常会計支援献金項目に『TNG支援』を加え、年間20万円を目標とする」、「22年間継続しているサバ神学院神学生の奨学金支援を継続する」、「次期3年間の予算大綱」が承認されました。 そして各教区から 選出された連盟担当から選挙により東海教区小鹿教会の芳賀美江さんが次期連盟会長に選出されました。また次期23期の主題を「共にいてくださる主を信じて」とし、主題聖句にコリントの信徒への手紙一13章13節を提案。共にいてくださる主が行く道を示してくださると信じて、全国の女性会が共に信仰と、希望と、愛をもって進んでいきたいとの提案が承認されました。
 女性の社会進出が進む現在は、女性会連盟の在り方もいろいろな面で問われています。しかし女性会連盟の規約に掲げられている「教会に協力して、福音の宣教に努力することを目的とする」は変わることはありません。次期総会までの3年間、今期の積み上げたものの上に新たな歩みを進めてほしいと願う総会でした。
 最終日は、2年後に訪れる「宗教改革500年」に心を向けて、宗教改革の意義と今こそ教会が一致するための歩みについての講演をルーテル学院大学教授・ルター研究所所長である鈴木浩先生より伺いました。
 閉会聖餐礼拝は司式を内藤文子牧師、み言葉の取り次ぎを坂本千歳牧師、そして役員就任式は西川晶子牧師の司式により執り行われました。共に聖餐の恵みに預かることによって心を一つにし、3年後の再会を約束して第23回総・大会は午前11時半をもって鈴木連盟会長の閉会宣言で散会となりました。

 この3日間、会場の至る所で再会を喜ぶたくさんの華が咲き、天に移された方への想い、共に過ごす喜び、女性会連盟を支えるたくさんの貴重な意見・討議、それぞれが織りなす恵まれた3日間であったことをご報告いたします。

【第26総会期 第4回常議員会報告】

第26回総会期の第4回常議員会が、6月8日から10日にかけて開催された。

 まず、総会議長以下、担当報告と諸委員会活動の報告が行われた。ここでは、質疑を行った中から、主な幾つかについて記してゆく。
 総会議長より、ここからの世界宣教を、JELCはアジア地域において、すでにパートナー関係を有する教会と協働で行う可能性があるかとの関心をもってLWF関係のアジアで開催する国際会議へ参加した報告があった。
 副議長が委員長を務める世界宣教委員会からは、現在の宣教師派遣任期が終了を迎えるブラジルの教会の在り方に関する合意の具体化に向けて、インターネットを使用した電話会議(スカイプシステム)を重ね、協議を詰めている経過が報告された。
 財務委員会からは、今期の重点課題と設定した事項への取り組みが報告された。今26期における課題認識のうち、収益事業建物の継続的経営環境を整える課題対応について、中でも東京の建物設備の見通しと対応方策を立てるための取り組み状況が説明され、議場では認識の共有と質疑が行われた。
 また、日本ルーテル神学校への財政支援の規模を考えるに際しては、その財源検討はJELCの財政課題全体に視野を向けての検討抜きには考えられないと委員会の見解が常議員会に伝えられた。
 諸報告と報告承認に続いて協議事項に移ったが、今回の常議員会では3日目を「宗教改革500年記念事業」に絞り、ほとんどの時間をあてた。
 はじめに宣教室と広報室から、ここまでの準備作業の進捗状況と内容が説明されると、出席者により、意欲的で建設的な意見交換が行われた。
 学習運動の枠では、「推奨4冊」のうち2冊が出版され、これにもう一冊、一致に関するルーテル=ローマ・ カトリック委員会が2013年に発表した「争いから交わりへ」の日本語翻訳本が完成して、厚みが増した。また、各地でこれらを用いた企画がもたれている様子を相互に聞いた。
 世界各地と同様に、カトリック教会とは合同礼拝の2017年開催に向けてルーテル側の意向を伝え、エキュメニズム委員会での対話が続いている。
 この計画を通じて「宗教改革」の情報を発信する好機にする意向だが、宗教の範疇を超えて、広く一般社会、 市民にどうやって話題を提供するかとの狙いを実現するために、全国の学校、幼稚園・保育園、社会福祉施設、その他、ルーテルグループに規模を広げて展開する企画提案に対して、活発な意見交換がなされた。課題としては、全国に向けて、本事業の全体像に関する情報提供の不足が指摘され、その要因である企画の具体化を急ぐ確認がなされた。
なお常議員会の詳細は、すでに送付された議事録をお読みください。

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