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るうてる2007年

るうてる2007年7月号

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宣教会議2007 5.21~22 市ヶ谷センター

  「宣教会義2007」が、5月21日22日に市ヶ谷センターで行われました。この会議は各教区の伝道・宣教部長が集まり、宣教の進展をはかる目的で開かれました。また、各教区の伝道・宣教部長と宣教室がチームとして知恵と祈りをあわせる時を持つことの大切さを知ることも共有しました。
 今回の会議は宣教室スタッフが「会議の持ち方」の研修を専門家から受け、会議そのものも研修のひとつとして設定されました。会議の冒頭では、2つの会議内容を参加者全員でどちらかを自分達で選択する方法をとりました。
Aプラン「教勢アップという目標に対応策を練る」、Bプラン「私たち伝道チームが何にどう取り組むことが必要かを検討する」というものでした。参加者はBプランを選択しました。
 会議内容としては、KJ法をもちいたワークショップを中心にし、1.「過去宣教方策等の分析」。2「伝道部長として期待されていること・ニードを知る」。3「組織確認と組織作り(全体をみる)」をまとめました。また「新来会者の目でみた教会」をテーマに八木谷涼子氏(教会ルポライター)に講演してもらい、もう一度自分たちの教会を見つめなおす時を持ちました。
 最終日には、参加者全員で「宣教会議2007からの提言」をまとめました。その提言は次のとおりです。

A.教区伝道・宣教部長は、各個教会・教区・全体教会という広がりの中で、それぞれ同じミッションを持ち、連携して仕事に当たるチームである。
B.教区伝道・宣教部長に求められていることは、(ア)情報・課題を共有すること。(イ)エンカレッジすること。(宣教の最前線の各個教会を、さまざまな方法で支え、勇気付け、勧める)
C.それを実現するために。「訪ねる」「わかちあう」「反映する」「情報共有の効率化への対策」の実現。
D.これを通して生まれてくること。各個教会、教区、全体教会が勇気付けられ、信徒が生かされ・育てられ、伝道の進展が進むように働く。今後、教区伝道・宣教部長チームは、メイリングリストを通しても情報共有を続けていくこと。11月の合同常議員会にて成果を持ち寄る。
 この会議を通して、各教区伝道・宣教部長はチームで働くことの大切さを確認しました。会議そのものは、和気あいあいとしたものでした。とくに部長として日ごろから何をどうすればよいのかという苦悩を共有できたことは、これからの働きのために力づけられました。
 この宣教会義を継続していくことによって、ルーテル教会全体がつながっていくことをのぞみます。伝道最前線にある教会が勇気付けられていくことを望んでいます。

アワーミッションレポート「東京教会」

 5月の聖霊降臨祭、東京教会は「バラの降る教会」となりました。教会内はもちろんのこと、教会の外に設置された二つの掲示板も、ウェブサイトもバラ一色。外部からの問い合わせも数多く、当日は192名もの方が集まりました。そこで、この計画の仕掛け人である関野牧師にお話を伺いました。
―「ペンテコステにバラを」というアイディアは、いつ思いついたのですか?
 クリスマスやイースターには具体的なイメージできるもの――例えば、飼い葉桶や空虚な墓等――があるものの、ペンテコステにはそれがないと感じていたからです。せっかくの聖霊降臨祭に目に見えるものを通して聖霊を体験して欲しいと強く願ったのです。具体的なきっかけは、世界各地ではペンテコステの様々な取り組みがあり、その中でもイタリアで聖霊のシンボルとしてバラをまくという記述に目が留まり、それを実施しようと思い立ったことがあげられます。具体的にどのようにするのか、そこには記述がありませんでしたが、子どもたちに頼もうということだけはイメージできました。
―実施していかがでしたか?
 昨年のペンテコステで初めて実施して印象的だったのが、みんなが笑顔だったことです。何よりも、子どもたちがバラを撒いたのがよかったと思います。また、自分の手もとに花びらが残ることも笑顔の要因であったと思います。礼拝後、男性は胸ポケットに挿したり、女性は髪に挿したりとそれぞれに喜びを表していたのが印象的でした。
 教会の方の声としては、礼拝後の祝会において司会をされた信徒が「子どもたちが撒いた瞬間、聖霊が降ってきたようだった」というものがあります。
―退場のときにバラを撒かれましたね。
 東京教会では十字架と2本のろうそくを持って退堂していますが、その時にバラを撒くことによって、十字架とろうそくから聖霊が降る様子を表現できると思いました。また、キリストが去って行ったあと、聖霊がきたということも考えています。
―今後の抱負をお聞かせください。
 この日だけというのは、単なるイベントになるので、バラを押し花にして、来ることの出来ない方々に送る準備をしています。さらに、今後バラと言えば東京教会となって欲しいと願っています。また、ペンテコステ以外にも、視覚的な体験ができるといいと考えています。

『無い袖を振る神様』

 休日のことでした。テレビ以外、何もすることのない子どもたち。ついに長女に「他にすることはないのか」とケンカに。思春期で力をつけてきた娘、迫力が違います。成長を喜びながら、負けまいと必死です。吹っ飛ばされそうになりました。   それを見て三女がひとこと。「お父さんもお姉ちゃんも、ケンカは心でしなさい」。それって、どんな意味? すると「わからん。イエス様が夢でそういったんじゃ」。「昨日、イエス様が夢で『お父さんお母さんを大切にしなさい。ケンカしたらいけない。心でケンカしなさい。仲良く』といったんじゃ」と言うのです。
 「心でケンカしなさい」とは何でしょうか。心でケンカできるのでしょうか? それができるのです。だって神様だって無い袖を振るように、無から有を生み出していかれるからです。
 自分を見つめて悔い改め、人と接しなさいということかも。ケンカが見えているときにはゆるし合うことは見えませんが、ケンカが見えなくなったとき、ゆるしは見えてきます。無い袖を振る神様は心のなかで愛を教えてくださいます。
(柿のたね)

牧師の声 私の愛唱聖句

東教区 横須賀教会・横浜教会 牧師  東 和春
あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています
フィリピの信徒への手紙1章6節

 九州の田舎に育った私が、教会と出会い、聖書に触れたのは高校生のときである。
 道端の小さな看板が目についた。その教会を訪れると、玄関にはルターの紋章があった。しかし、門は閉ざされ、人の気配はない。後で分かったことだが、それは車庫の扉だった。教会は車庫の上に建てられていた。小さな教会だった。きれいに掃除され、一輪の花が飾ってあった。そして、これが私にとって教会の原風景となった。
 当時、私は漠然とした不安を感じていた。勉強や将来への不安、信仰の問題といったことではない。内から湧き上がる言い知れぬ不安であった。もしかしたらここに答えがあるかもしれない。そうした漠然とした期待をもって教会に通い続けた。
 その後、就職、東海ルーテル聖書学院、ルーテル神学大学へとすすんだ。この間も自分探しの旅は続いた。
 あるセミナーに参加したとき、期せずしてこれまでの自分の歩みを振り返る機会が与えられた。セミナー会場は人里離れた山の中で一週間続いた。時間はたっぷりあった。神は、不安の真の原因を見せてくださった。神と私の間にある壁であった。その壁は隣人との間にも、私自身との間にもあった。私はその壁に守られながら暮らしていたのである。神は「お前たちの悪が神とお前たちとの間を隔て(させているのだ)」(イザヤ書59章2節)とのみ言葉を示してくださった。
 イザヤのようにセラフィムを見ることはなかったが、神はその壁を取り除いてくださった。私は初めて神との語らい、自分自身との語らいを味わった。その日を境に、祈りは心を開くときとなり、兄弟との交わりは喜びのとき、み言葉を語ることは喜びとなった。
 私は、自分の力で不安の源を探り、罪に気付き、克服することはできなかった。しかし、神は憐れみをかけて下さり、自分探しの旅に終止符を打ってくださった。今も時として罪は頭をもたげ、教会の方々、家族の者へ辛い思いをさせていることを知っている。しかし、神は人のうちに良き願いを起こし、完成へと導いてくださる。
 これからも、道端の小さな看板となることを願い、主と教会に仕えることを願っている。

信徒の声 教会の宝石を捜して

北海道特別教区 帯広教会・池田伝道所 信徒   広部 カオリ

広部さんと教会とのつながり、洗礼までの歩みを教えてください
 私の母は60歳を過ぎて、洗礼を受けました。私の家に時々遊びに来ると、日曜日毎に近くの池田教会に私の娘を連れて行っていました。娘も20歳を過ぎて洗礼を受け、クリスチャンホームを築き、孫たちも受洗し、小樽で教会に通っています。私自身の洗礼は夫が天に召された後のことです。夫が12年前の4月、病気で入院し、医師に「もう長くはない」と言われた時、駆けつけた娘は教会の牧師と相談し、その夜、自分で洗礼を授けてくれました。娘から洗礼を受けた夫は数時間後、安らかに天に召されていきました。
 納骨も終わった頃、池田教会に行くようになり、ある時、讃美歌を聴いていると、生前夫が口ずさんでいた曲だと気づきました。驚きました。野幌の酪農学園で北欧の教会の信仰に出会っていたのでしょう。神さまの不思議なみわざです。そして、私自身も12月に洗礼を受け、教会の皆さまの交わりの中で歩みだしました。順番は前後しましたが、四代につながる信仰を与えてくださった神さまに感謝しています。
先日、礼拝で「証し」をしていただきましたが、どうでしたか?
 始めに依頼をされた時は「困った、どうしよう」と思いました。でも、いつかはやるものだと思いましたし、今が「神さまの備えられた時」だと思い、改めて自分の信仰生活を振り返ってみました。準備をする時にもいつも教会生活を共にする方にアドバイスをいただいたり、交わりの中で準備ができました。自分の人生の歩み、また京都での婦人会連盟大会で力をいただき、押し出されたことなど思い出しました。改めて小さな自分を用いられたいと思いました。当日も緊張しましたが、とても恵まれた時だったと思います。
これからの抱負を教えてください
 礼拝の中で恵みをいただき、日々を大切にし、池田、帯広、釧路の皆さんと交わりの中で歩んでいくことが一番です。そして、聖書を読み、祈り、共にいてくださる主に委ねて歩んでいきたいと思います。また、五代目に信仰が伝えられるよう期待しています。

東洋と西洋の対話④

第4回 私達は信仰を告白します。(信条 Hymn of the Day)

「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます」(エフェソの信徒への手紙 4章5~6節)
平岡(以下「平」):私達は私達の信仰を使徒信条、ニケア信条によって告白します。
Lathrop(以下「L」):使徒信条そしてニケア信条共に、洗礼を受け新しくキリスト者となる人々に与えられる教えの中に含まれています。だから日曜日、これらの信条によって信仰告白をすることは私達自身の洗礼を思い起こす助けになるでしょう。ニケア信条は西方教会と東方教会の多くの教会に於いて用いられている古いテキストであり、また、使徒信条は西方教会において特に知られ、ルターの小教理問答書で重要な位置を占めています。
平:私たちは教会の信仰を告白することによって、民の集まりが、三位一体の神である唯一の真のぶどうの木に連なる枝であることを明らかにします。(エフェソ4章5節)
L:会衆は聖書朗読と説教によって神の言葉を聞き、御言葉は真のぶどうの木、神の臨在恵みへと再び私達を引き寄せます。御言葉は私達に神への信仰を与えます。
平:そして、その時、御言葉は私達を信仰告白へと導くのです。
L:私達は世界中のキリスト者と共に信仰を信条によって告白し、”The Hymn of the Day” によって歌います。”The Hymn of the Day”は現代的な言葉による私達の信仰告白と言えます。
平:神道の神々は御神木を拠り所としその存在を示します。しかし、ぶどうの木である三位一体の神は世界の創造者であり、全ての被造物は神の愛の拠り所・その根拠です。
L:事実、私達が告白する神もまた木にご自分を現しました。しかしそれは十字架でした。この木によって、神は私達にどれほどこの世が愛されているかをお示しになったのです。真の神はぶどうの木に流れる命と恵みの中へ私達を集め、この愛を自由に与え、この愛において隣人に仕えるよう私達を招いておられます。だから私達は十字架によって示されたこの神の愛への応答に於いて、私達の信仰をここで共に告白するのです。

信仰の学び、養いを生涯続ける 第4回

十戒、使徒信条、主の祈り、サクラメント ―信仰の生きたつながり

 いろいろなことを考えるとき、その一つひとつを大切にきちんと取り上げて、考えたり、行ったりすることは大切です。しかしそれは、一つひとつのままであれば、バラバラ、チグハグということになりかねません。一つひとつのことがお互いに結び付いて、一体となるように心掛けるということもまた必要なのです。
 信仰の生き方、信仰の学びにはとりわけこの両面が必要であり、大切です。そのために、初代教会以来の伝統に立ち、これを生かしながら、ルターが子どもに始まる信徒の信仰の学びと養いを目指す「教理問答」のために、十戒、使徒信条、主の祈り、サクラメント(洗礼と聖餐)を取り上げたのはとても賢明なことでした。一つひとつを取り上げるにしても、全体の生きたつながりを考える上でも、学びのためにも、生活のためにも、とても有効だったと思います。
 十戒に照らして、自らの信仰と生活を神の前で顧みれば、「罪とはなにか」について説明が要らないほどです。そして、ただ一人それを成就してくださったイエス・キリストへと注目するよう導かれるのです。
 そこで使徒信条によって、キリストに集中する神の、創造から完成に至る、愛と恵みのお働きに直面するのです。また同時に、この神の愛と恵みの中で生きるようになった自分の生活のすべてを思うのです。
 この毎日の生活が神の愛と恵みに支えられ、生かされて営まれるためには、祈りを欠くことはできません。その祈りの基本は主の祈りなのです。「私たちが祈らなくても」、魂にも身体にも必要なすべてを与えてくださる神の愛に気付かされて、「私たちにおいても」みこころが成就するよう祈るのです。
 ここからサクラメントに向かいます。神の一方的な愛と恵みによって、罪の赦しの洗礼の賜物をいただいた幸いを感謝し、心に刻み、さらに繰り返し新しい思いで、日々の生活の中から、罪の赦しのための聖餐の賜物に与るよう導かれていくのです。
 ここに信仰生活の、生きたサイクルとつながりが示されています。「日々の悔い改め」と「日毎の感謝」のサイクルでもあります。宗教改革のきっかけとなったあの『九五箇条』が、「信仰者の全生涯が悔い改め」の連続であるべきことを訴える呼び掛けをもって始められていることの意味も、このつながりから見えてきませんか。

神学生寮の思い出

 私の牧師人生31年を振り返るとき、その前の5年間の神学校生活、なかんずく、そこでの寮生活は、この牧師人生を根付かせてくれた時期だったと思います。つまり、あの寮生活がなかったならば、たとえ牧師となったとしても、私は、31年も牧師としての人生を続けることはできなかったと思うのです。それはどういうことかと申しますと、神学校生活で揺れ動く心を支えてくれたのが、同じ目的に向って進む学友との寮生活の中での交わりだった、ということです。この交わりが、私の牧師としての生き方を踏み固めてくれたのです。
 牧師になるんだという、いわゆる召命観を抱いて神学校の門をくぐりました。しかしそのときの召命観が如何に頼りないものでしかなかったか、神学校生活の中でいやというほど味わいました。何度、牧師になんかなるものか、と思ったことでしょう。その度に立ち直ることができたのは、寮で徹夜して語らったときの友の一言でした。「こんなどうしようもない教会の牧師になんかなるもんか」と本気で牧師の道を止めようと思っている自分に、友が語ってくれた一言が今でも忘れられません。「こんな教会だからこそ、僕はこの教会の牧師になろうと思うんだ」この友の言葉に、如何に自分が傍観者でしかなかったかを知らされました。教会が抱える問題、人間一人ひとりが抱える問題と本気で向き合っていない自分に気付かされました。自分は本気で牧師になろうとしていないということに気付かされました。
 私にとっての神学校の寮生活は、このような友との交わりによって、召命観が深められた時でした。この時があったからこそ、今日まで牧師が続けられたのだと思います。

■募金活動にご協力下さい■
 従来の寮棟を『ルターホール』と名称を変え大改修します。この事業にご理解いただき、ぜひとも募金にご賛同、ご協力お願いいたします。

募集期間 2007年4月~2009年3月
送金先 学校法人 ルーテル学院
取扱機関 郵便振替口座00140-2171183
(所定の郵便振替用紙をご利用下さい)
銀行口座 三菱東京UFJ銀行三鷹支店普通口座 4126089
名 義 学校法人 ルーテル学院
【お問い合せ】
ルーテル学院大学・神学校後援会(0422-31-4611)
教会事務局(03-3260-8631)

クリスチャンのライフカレンダー

~伝えたいことは、たったひとつ~

 きみは2度生まれたね。神様から命をいただき、この世に生まれた。そして神様の子どもとなる洗礼をうけて新しく生まれた。あの時、おじいちゃんは隣にいたよ。「三代目クリスチャンの誕生ですね」って牧師さんに言われてとても嬉しかった。
 でも何をすればいいのかと考えた。一緒にできることをしたいと思った。祈ること、聖書を読むこと。そして礼拝に出席すること。全部一緒にやってるね。でも、大きくなるとお友達と遊ぶ時間がいるし、学校の行事が増えていくね。それでもおじいちゃんは、毎週礼拝を休まず、きみを待ってるよ。
 教会にある宝物を紹介してきたね。それは、教会学校やキャンプ。日本中から集まってくるキャンプもある。子どもの聖書や学びの本もある。必要なときに紹介することもでき、参加してくれて嬉しかった。
 そしていま、伝えたいことはたったひとつ。イエスさまがいつも一緒にいてくれること。そのイエスさまを救い主として信じていること。ただそれだけ。

LAOS講座

LAOS 学んでいます!

岐阜教会 佐藤裕美
 私たちの教会では3年前から、月に一度礼拝後にLAOS講座の学び会を続けています。5人のレポーターは全員信徒で、私もその一人です。
レポーターは担当の単元のまとめを発表し、その後で参加者全員で感想を分かち合います。LAOS講座に記された内容を、自分達の事柄として受け止めることが教会の成長につながると思っています。
 先日、私は第2号「小さな一本の指」の第3回を担当しました。そこでは「教会に集う私たち信徒一人ひとりに、神様から宣教の働きが委ねられていること」がはっきりと示されました。
今まで牧師にだけ任せていた働きのあれこれを、信徒が積極的に担ってゆくことで教会はもっと元気になれると思います。そして、さらにこのような信仰を次世代に繋げてゆくことも私たちの大切な務めではないでしょうか。

統一協会に関する日韓フォーラム

 標記の会合が韓国・麗水市(釜山から約200kmの海岸沿いの30万都市)で4月18日~19日に開かれ、福音ルーテルから私平岡が、東教区社会部の支援で出席しました。日本からはNCC加盟教派の代表とカトリック中央協議会、および弁護士、家族の会、総勢21名。韓国側は100名を越える参加で、この問題の深刻さが伺える会議となりました。
 2012年開催予定の麗水万博(海洋博)に合わせて、統一協会が広大な用地を買収していることについて、韓国教会の憂慮が協議の内容でした。万博会場の2万6000坪に対して、統一協会の買収用地は300万坪なのです。写真は、その買収地(山の反対側も。東京・武蔵野市全域に匹敵)です。
 このお金の出所が問題なのです。日本の一般市民や統一協会信者から詐欺的に巻き上げた金銭が投じられています。ここに建てられる施設には、日本で勧誘された人が韓国・麗水に送られ、そこで統一協会の教育を受けさせるということを韓国側から報告されました。統一協会は、その日本からの資金力でもって、一つの町を飲み込もうとしている、そのことについて、日本側も統一協会対策をしっかり進めるようにとの韓国側の要請がありました。今後も日韓の教会が統一協会問題を共有し、協力して取り組んでいくことになり、非常に有意味な会議でありました。

LCM会議

 5月29日から30日にかけてLCM会議が開催されました。LCMとはLutheran Cooperative Missionルーテル共同宣教会議のことで、日本が主催国となって関係海外教会代表者をお迎えして毎年この時期に実施しています。海外協力教会とはドイツ、フィンランド、北アメリカのルーテル教会です。
 今回「礼拝と宣教」をテーマに、礼拝を福音宣教のためにどう用いるかを協議しました。JELCからは平岡仁子牧師の基調講演、二人の若手牧師後藤由起牧師と関野和寛牧師がビデオを交えながら新しい取り組みを紹介してくれました。
 アメリカのルーテル教会は昨年発行した新式文と讃美歌について発表し、参加者の注目を集めました。今後のJELCの式文や讃美歌編集にも有益な会議でした。

エイズ公開講演会 -ルーテル学院大で-

 「エイズの今を知ろう」との主題で去る5月30日にルーテル学院大学で公開講演会が開かれた。100名近くの学生たちが熱心に聞き入った。
 これはルーテル世界連盟のHIV/エイズへの世界的な取り組みの一環。日本ではJELCがNRKとルーテル諸学校の協力を求めながら青少年への教育プログラムを東京と熊本で進めている。この講演会では、江藤教授の「聖書と性」の後、生島嗣氏によるHIV/エイズに関する基礎知識と患者や家族の声が紹介され、2人の青年ボランティアの率直な体験談が分かち合われた。
 大学生たちは「これまで他人事だったのが、とても身近に感じた」「真剣に考えていきたい」などと反応。この問題に取り組むサークルも誕生した。

常議員会

常議員会
 6月11日~13日にかけて、ルーテル市ヶ谷センターにて、第22総会期第4回常議員会が開催されました。
 組織の改革に向けて、教区ごとに進捗が具体的に報告されました。また、各教会の適正な種別の確認も協議されました。

部キ連第24回総会

 5月28日、日本福音ルーテル天王寺教会を会場にして、部落問題に取り組むキリスト教連帯会議(部キ連)第24回総会が行われ、JELCからは徳弘浩隆事務局長が出席し、全国のキリスト教各派から32人の担当者が参加しました。
 会議では2006年度活動報告、2007年度活動計画案などが話し合われました。
 午後には「教会の課題としての人権問題」を主題とし日本基督教団神奈川教区巡回教師の関田寛雄さんによる記念講演がありました。

ルーテルこどもキャンプ

 第9回ルーテルこどもキャンプは、8月7日~9日にかけて、ルーテル学院大学にて開催されます。実行委員会では参加者及びスタッフを募集しています。どうぞ、子どもたちを送り出してください。

第11回全国青年修養会

 9月22日~24日かけて、箱崎教会等を会場に開催されます。テーマは「創造」、主題講演は石居基夫牧師です。 

日本ルーテル教会教師志願者募集

 2007年度の日本福音ルーテル教会教師試験を先により行いますので、志願者は、必要事項を添付して、本教会事務局にお申込みください。
― 記 ―
一、提出書類
1.教師志願書
2.履歴書
3.教籍謄本
4.成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書
5.所属教会牧師の推薦書
6.神学校卒業(見込み)証明書及び推薦書
7.健康診断書
二、提出期限
2007年9月21日(金)午後5時
三、提出先
日本福音ルーテル教会 常議員会会長 山之内正俊(但し、書類の送付先は、日本福音ルーテル教会事務局とする)
四、試験日及び試験内容については、本人に直接連絡する
以上
日本福音ルーテル教会 常議員会会長
山之内 正俊

公告

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二十三条の規定に基づき公告致します。
二〇〇七年七月一五日
宗教法人
日本福音ルーテル教会
  代表役員 山之内 正俊
 信徒利害関係人 各位
     記
被包括法人 日本福音ルーテル日田教会による左記の件
土地購入の件
理由 教会堂建築用地として購入
物件
所在 大分県日田市三本松二丁目
番地 七八九番地一
地目 宅地 
地積 七八三・四三㎡
以 上

訃報

松原清先生(引退牧師)が、6月12日(火)午後2時55分頃、召天されました(享年68)。
 謹んで哀悼の意を表し、お知らせいたします。
 通夜・告別式は6月13日、葬儀は6月14日に日本福音ルーテル大阪教会にて執り行われました。喪主は悦子夫人。

メイルアドレス変更

永吉秀人先生 tenno-ji@y9.dion.ne.jp
重野信之先生 n-shigeno@kmf.biglobe.ne.jp
クーシランタ先生 kuusiranta@yahoo.co.jp

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