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機関紙るうてる

るうてる2016年7月号

説教「エンキリディオン・必携」

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「そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』」 (ルカによる福音書15・20~21)

宗教改革500年を記念して、ルターの「エンキリディオン小教理問答書」が新たな翻訳によって出版されました。そのまえがきには次のように書かれています。
 「ルターはこの小冊子を『エンキリディオン』、『必携』と名付けました。・・・キリスト者が個人でも家庭でも必携として、聖書と共に身近に置き、機会ある毎にこれに目を通すだけでなく、これに従って生活を整えることを願ってのことでした。」
 そして、解説ではこのように語られます。「1503年にキリスト教的人文主義者エラスムスがラテン語で『エンキリディオン』という本を出版した。これは『キリスト教戦士必携』として知られている。・・・恐らく「エンキリディオン」(必携)という言い方は当時流行語になっていたのかも知れません。」

 エンキリディオンとは護身用の武器である「短剣」を意味し、後にそれが「必携マニュアル」という意味で用いられるようになりました。そして、私たちはエンキリディオンがキリスト者の命を守る短剣であることを、レンブラントが描いた「放蕩息子の帰郷」の絵の中に見ることができます。

 ルカによる福音書15章の放蕩息子の物語によれば、放蕩の限りを尽くした弟息子は最も惨めな姿で父の元に帰ってきます。レンブラントはこの物語を描いた絵の中で、父の前に跪く息子を、片方の靴は脱げ、もう一方の靴のかかとも破れ足が剥き出しになり、土と汗にまみれぼろぼろになった服を荒縄で締めるというまことに惨めな姿で描いています。
 しかし、そのような姿にもかかわらず、見る者が驚くほどのものをその息子は身に付けているのです。それは、ぼろぼろのいでたちの息子が腰に携えている、惨めさとは対照的なほど立派な短剣です。そして、この短剣こそがエンキリディオンなのです。
 レンブラントが描いた「放蕩息子の帰郷」の絵に関する著書の中で、ヘンリ・ナウエンはこの短剣について次のように語ります。「ユダはイエスを裏切った。ペトロはイエスを否定した。二人とも、道に迷った子どもだった。ユダは、神の子どもであることを思い起こさせる真理をしっかりと握り続けることができず、自殺した。放蕩息子に置き換えて言えば、息子である証しの短剣を売ってしまったのだ。」(『放蕩息子の帰郷』)と。
 レンブラントが放蕩息子の腰に描いたこの短剣こそ、父の子であることのしるしであり、しかも、父の子どもであることを思い起こさせる真理をしっかり握り続けるために必須のものであったと語るのです。
 そして、ルターはエンキリディオンを教理問答と結びつけ、小教理問答書を『エンキリディオン(必携)』と名付けました。父の子であることを思い起こさせる神の言葉の真理を捨て、失わないために。そして、この真理をしっかりと握り続けるために。

 レンブラントは、敬虔なプロテスタントの信仰者であり、「オランダ人はレンブラントによって、聖書の精神を教えられた。」と言われたほどの人物でした。だから、レンブラントが描いた腰の短剣は、息子に父の子としての記憶を持ち続けさせるものであったに違いありません。
 すなわち、信仰深かったレンブラントは、短剣・エンキリディオンを、父の子であることを思い起こさせ、真理を保ち続けるものとして、息子の身に帯びさせたに違いないのです。だからこそ、放蕩の限りを尽くした息子は父のもとに、再び帰ってくることができたのだと。
 父の家へ帰る道を私たちに教え、常にこの道をたどるようにその手に、神の子としての約束を握り続けさせるエンキリディオンを私たちもまた、身に帯び、主イエス・キリストの十字架と復活によって示された命の道を、共に歩んで行きましょう。

「『だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」(ルカによる福音書15・32)
日本福音ルーテル保谷教会牧師・日本ルーテル神学校 平岡仁子

連載コラムenchu

4『 Rock ‘n’ Roll 』

 先日、なぜだかふと、ジョン・レノンの言葉を思い出しました。「ロックは死んだよ。宗教みたいになってしまったんだ。セックスピストルズが最後のロックンロールバンドだったんだ」。
 中学生の頃聴いたセックスピストルズのシド・ヴィシャスは「 I am an antichrist !
I am an anarchist !」と叫んでいた。だからでしょうか。今でも私にとって、「Rock」と「anti(アンチ)」精神は深く結びついています。もちろんこれは、とてもとても個人的な感想です。ボブ・ディランも歌っているように「今新しいことも明日には古くなる。時代は動いている 」(『 The Times They Are A-Changin’』)からです。
 ところで、聖書には、主イエスがエルサレムに入っていかれるとき、人々が熱狂的に彼を迎えた様子が記されています。「前に行く者も後に従う者も叫んだ。ホサナ」(マルコ11・9)と。 しかしこのとき、主イエスが乗っていたのは「子ろば」でした。熱狂する人々の間を子ろばに乗って進んでいく主イエスの姿は、熱狂するファンに対して拳を突き上げ煽動するロックスターのそれとは正反対の姿のように思えます。そんな主イエスの姿は、熱狂を煽るのではなく、熱狂を鎮めようとされているかのようです。
 では、なぜ熱狂を鎮める必要があるのでしょう。それはきっと、ある種の熱狂は暴力に結びついているからです。主イエスはそのような熱狂と結びついた暴力によって十字架につけられたのですから。
 けれども、主イエスの示された平和に結びついたふるまいは、死んで最後になったりせず、今も生きているのです。
岩切雄太 ( 門司教会、 八幡教会、 佐賀教会牧師)

議長室から

「たとえ少数派であっても」総会議長 立山忠浩

「ビッグイシュー」という雑誌があります。月2回発刊されている30ページの小雑誌ですが、表紙には「ホームレスの仕事をつくり自立を応援する」という副題的な言葉があります。350円が売値ですが、そのうちの180円が販売者、つまりホームレスの方の収入になるのです。政令指定都市のような町でしか入手できないのですが、駅前付近で雑誌を手で掲げながら立っている姿を東京では時々見かけることがあります。先日も出くわしましたので、少しでも自立応援のお手伝いをと思い、何冊か買い求めることにしました。
 実は、この雑誌を買い求めている理由はもうひとつあって、それは記事がとても面白いからなのです。
 先日の号には、水草の研究者へのインタビュー記事が掲載されていました。水草の生態は「水から陸へ、そしてまた水へ」という進化の歴史を辿って来たというのです。進化の主流に逆行したのですから、水草は異端の植物なのです。今、陸上には35万種の植物が存在するらしいのですが、水草はそのうちのわずか1%にも満たず、2800種に過ぎないそうです。
 この1%という数字から自ずと連想するのが、日本のキリスト者の割合です。実際の正確な数字では人口の1%にも満たないと言われていますから、水草と同じような少数派と言えるでしょう。
 ではなぜ水草は「水から陸へ」という通常の進化とは逆の方向を目指したのか。その研究者によると、その理由はまだ十分に解明されていないそうですが、遺伝子を残すためには、ライバルの多い陸上よりは水中の方がより生き延び易かったのではないかという仮説が紹介されていました。ここから、日本のキリスト者にとっても教会は、より安心して生きられる居心地良い空間ではないかと感じるのは私だけではないでしょう。
 さらに興味深い文章が続きました。水草は水中の二酸化炭素を使って光合成を行い、その時に生み出される酸素によって魚やバクテリアが活動するという生態系が出来上がっているのです。
 キリスト者で言えば、教会の中でみ言葉をいただき、そこから生み出される言葉や働きが隣人を助け、命の息を与え、社会への貢献にもなる。
 少数派でも使命は大きいのです。

いわき放射能市民測定「たらちね」とその働き

プロジェクト3・11企画委員 小泉 嗣

 東教区プロジェクト3・11が継続的に支援を続ける「認定NPO法人いわき放射能市民測定室『たらちね』」は、「わたしたちは、『いわき放射能市民測定室』を設立します。 原子力発電所の事故による広範な放射能被害の下で、不安な生活を強いられているわたしたち自身が、よりよく、より強く、生きていくために、それを設立するのです。」という設立の趣旨と、放射能の不安と闘う地域の人々と共に生きるという基本姿勢はそのままに、震災から5年の経過と共に地域の人々のニーズにあわせてその活動は少しずつ姿を変えています。
 私たちが支援をはじめた3年前は食品放射能の測定と子どもたちの甲状腺検診だけでしたが、 現在ではβ線の測定、 ママベク測定 (子育てをしている母親達による学校敷地などでの測定)、砂浜放射能測定、土壌放射能測定、全身放射能測定と、時間が経つごとに薄れていく「見えない放射能をしっかり見つめていく」という意識をしっかりと保っています。
 先日、いわき市の教会の空間線量測定会に参加する機会が与えられました。結果は空間線量が0・1マイクロシーベルト以下の場所から、当たり前のように0・4マイクロシーベルトまで高くなる場所まで様々でしたが、震災から5年経過した今でも、国の基準として設定されている0・23マイクロシーベルトを超える場所が「ある」ということに立ち会った者は皆、驚きました。原子力発電所の事故から5年が経った被災地は「私たちはいつまで放射能に怯えて暮らさなければならないのか」という思いと、「安心して暮らすことの出来る地域は自分たちの手でつくる」という思いのはざまで揺れ動いているように感じます。
 しかし、 人の気持は揺れ動いたとしても、放射線量は人の気持ちで変わるものではありません。やはり、意識をもって「見えない放射線に目を向けていく」視点の大切さを改めて感じます。
「たらちね」の活動報告、会報等は法人ホームページ(http://www.iwakisokuteishitu.com/)に詳細が掲載されています。
かわらぬ支援をどうぞよろしくお願いします。

教会×公共

3 宣教と公共性

 
宮本 新(田園調布教会牧師、日本ルーテル神学校講師)

 イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患
いをいやされた。(マタイ福音書9・35)

 JELC公式ホームページには教育や福祉など様々な関連事業・団体が紹介されています。その他の草の根活動も含めると、相当なネットワークを形成しているように見えます。しかしなぜ教会はこれらにかかわるのでしょうか。JELCの場合、伝道(宣べ伝え)、教育(教え・育ち)、奉仕(いやし)といった包括的な宣教理解を育んできました。「教会×公共」の強力な接点は宣教にあります。それだけに、自分たちが何を宣教だと思っているのかは欠かせない考察になります。
 ルター派の傾向として、「キリスト者として生きる」や「世に仕える教会」というとき、市民社会で公共善を求める宣教活動が重視されてきました。市民社会の基礎にはリベラル・デモクラシーがありますが、国内の宗教全般を取り囲む事情もあります。1960年代以降、国内外の宗教界全般に「教団ばなれ」という現象が起こりました。その後のカルト問題もあり、キリスト教の福音伝道も「教団ばなれ」と複雑な絡みを見せています。他方で、〈愛〉や〈公正〉や〈義〉を社会で実現することも宣教だと考えられました。「社会の福音化」などと言われることもあります。
 しかし宣教や奉仕と公共善を重視することにズレが生じることはないのでしょうか。これは難問のひとつだと思います。もし「ズレ」が生じるならば、それは埋められるべき「ミゾ」なのか、それとも埋めてはいけない何かなのか、その見極めは難しいのです。公益性の高い内容ほど信仰を越えた賛同者や仲間が増えてきます。宣教はいつも揺らぎの中に置かれています。
 キリスト教はそのはじめから「世界」を強く意識してきました。しかし実際に「全世界」や「すべての人々」という聖書の言葉をグローバルな現実として教会が考え始めたのは20世紀のことです。普遍や世界性は数や範囲の問題よりも互いのコミュニケーションとネットワークの問題として考え直されています。ウェブ状に広がる公同性。まだまだその模索ははじまったばかりです。「信仰は聞くこと」(ローマ10・17)も新しい釈義の時代を迎えようとしています。

宗教改革500年に向けてルターの意義を改めて考える(新シリーズ3・通算50)

ルター研究所所長 鈴木 浩

 ルターは1501年の4月にエルフルト大学に入学し、翌年の秋には教養学士となり、次いで1503年には教養学修士号を受け、法学部へと進む。それが学費を出している父親の希望でもあった。
 日本や韓国と比べると、ヨーロッパでは今でも大学生の数はずっと少ないが、当時はもっと少なかった。父親が事業に成功し、町の名士になり、経済的余裕もあったから、学業に秀でていたルターは大学に進むことができた。
 エルフルト大学はいわゆる「有名大学」で、この大学に行ったことが、ある意味でルターのその後の人生を決定した。この大学は「ヴィア・モデルナ」(現代の道)という学風で知られていた。
 当時のヨーロッパには、「ヴィア・アンティクワ」(古い道)と「ヴィア・モデルナ」という二大学風があって、伝統的な学問的態度と新たな態度とが対立していた。大きな違いは「認識論」にあった。「ヴィア・アンティクワ」は、「普遍」は実際に存在していると考えたのに対して、「ヴィア・モデルナ」は、「普遍」は単なる名称に過ぎず、実在してはいない、と考えた。
 「普遍」とは、「太郎」や「花子」 という具体的な人のことではなくて、太郎や花子を人間たらしめている「人間性」のことである。美しい花や美しい音楽を美しくしている原理、つまり「美そのもの」が「普遍」ということになる。それが実在しているのか(実在論)、単なる名前に過ぎないのか(唯名論)、中世ヨーロッパの哲学の最大の問題であった。エルフルト大学はこの唯名論の大牙城であった。
 実在論は、「真理」「美」「正義」といった抽象的な事柄に関心を集中し、唯名論は、個々具体的な事柄に関心を集中するという違った学風を持っていた。

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より
⑥まるごとのあなたが 2コリント5・16~21

伊藤早奈

 神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。この目覚めを淡々と迎えてはいけないのでしょうか?だるい気持ちで面倒だなぁと思いながら迎えてはいけないのでしょうか?神様から与えられるものは全てありがたくお受けしなくてはいけないのでしょうか?私たちにはいろんな思いがあり、いろんな出来事に出会います。それらを一番わかってくださり、一番、私たちの気持ちに寄り添ってくださるのも神様です。神様、あなたに全てを打ち明けられる私たちでありますように。神様、あなたに全てをお委ね致します。このお祈りを主イエス・キリストのお名前によってお祈り致します。アーメン
  – — — — — — — — — –
「神はキリストによって世を御自分と和解させ」(2コリント5・19)とあります。 「別に神様と和解しなくても私は生きていけるよ。聖書は何を言ってるのかしら?」と戸惑いがあるかもしれません。

 ある朝、私は新聞の二つの記事の大きさの差にとても驚ました。記事の一つは「人の命を考える」というもので、もう一つの記事は劇場で行われる公演の宣伝記事でした。劇場の記事は紙面の半分ほどを占めているのに対して、「人の命を考える」という記事はとてもとても小さいものでした。
「随分と差があるなぁ。小さい記事だけど、とても大切なことが書いてあるのに。」と思った時でした。ふと「そうか、この記事には深さがあるんだ。」と気づきました。
 私たちは目で見えず手でも触れられないものと、目で見えて手で触れられるものとの両方持っています。その価値観は時と場合によっても違い、人によっても違ってきます。ただ、どちらかと言うと目で見えて手で触れられるものの影響を受けやすく、目で見えず手で触れることのできないことを後回しにすることが多いような気がします。
 神様も、今は目で見えず手で触れることもできません。「神様が世と和解される」とは「目には見えず触れることのできないものを信じていいのだよ」と伝えてくださることでもあるのではないでしょうか。
 目で見えず触れることのできないものは、良いものなのか悪いものなのか判断が難しいことがあります。その基準として「イエス・キリスト」という存在が私たちに与えられました。イエス・キリストは祈る人でした。イエス・キリストは必ず神様へと祈りました。それにより、あなたも神様によって造られ大切にされていることを知ることができます。
 たとえ新聞の紙面に取り上げられないような小さな出来事だとしても、一人一人が持つ心の深さに寄り添って必ず神様がおられます。目に見えて手で触れるものも、目に見えず手でも触れられないものも今、神様にとってかけがえのないあなたという存在に与えられる大切なものなのです。

ルター、バッハ、宗教改革500年。

徳善義和

9 逆らうものに面して

「みことばによりて 主よ、われを支え」(教会讃美歌240番)

 私は教会讃美歌の編集には関わらなかった。ドイツ留学から帰国した頃には、もう有名な、めぼしい讃美歌の訳者は先輩たちに占められていた。 しばらく経ってから、訳のめどが立たないドイツ語の讃美歌が出てくると、それは私のところに回ってきて、結局全部で24曲も訳すことになった。その内の一つが「みことばによりて 主よ、われを支え」である。
 宗教改革を弾圧しながら勢力争いを続けていた教皇と皇帝の絡むヨーロッパの政治情勢、十字軍の報復として大軍を送って再三ヨーロッパ侵入を試みる大国トルコという、一見どうにもならないように思えた情勢の中で、ルターは三位一体の神の守りを歌う短い讃美歌を1541年頃に作詞し、「今こそ来ませ」(教会讃美歌1番)のラテン歌詞に付されたメロディーをこの場合は別に展開してメロディーとした。
 ルターの原詩には時代を反映して「教皇とトルコ」と出てきて、バッハの時代もそう歌われていた。近代になってようやくこれは「仇をなすもの」に変えられたのである。
 バッハは1724年、当時の受難前節の主日のために、このコラールを軸に、不明の詩人の詩を加えた上、ルターの「恵みをもってわれわれに平和をお与えてください」というコラールで結びとするカンタータを作曲した。
 いつの時代にも、神に逆らうものは形を変え、装いを変えて登場してくるものである。近年の日本自身、日本をめぐる状況もその明らかで、深刻なケースであろう。平和と唱えて逆への道を進もうとし、繁栄を唱えて貧しい者からの収奪すらはばかるところがないのが見えている。
 いつの時代も逆らうものに面して、主の恵みを信じつつ、この歌を歌い続けねばならないことだろう。

宗教改革500年プレイベント「ドイツフェスタ」報告

 宗教改革運動は、それによって神の言葉への注目を促し、当時の社会に大きな変革をもたらしていくこととなりました。それは1517年に始まりましたが、一方でその前年に定められたある法律が、多くのものに変化を生じさせる宗教改革による激動をくぐり抜け、変わることなく受け継がれました。そしてそれは現代においてもドイツ社会に大きな影響を与えています。「麦芽、ホップ、水」(後に酵母も)のみを原料としなければならないと定められた法律、「ビール純粋令」です。
 つまり、今年2016年は「ビール純粋令」制定から500年となる記念の年となります。そのことを知ったのは東京都内でドイツビール専門店を運営する業者の方との打ち合わせでのことでした。「500年」、そして「ドイツ」というキーワードで、ビール専門店がこの日本においてルーテル教会と結びつくことになりました。
 4月24日、「純粋令」の制定500年記念日の翌日に、日本福音ルーテル東京教会を会場として「ドイツフェスタ」が催されました。これは日本キリスト教協議会(NCC)日独協議会のために来日されたドイツ福音主義教会(EKD)宗教改革500年事業特命大使であるマルゴット・ケースマン牧師をお迎えしての集会でもありました。
 ケースマン牧師は、主日礼拝において「私たちは国際的な信仰共同体、世界的・エキュメニカルな交わりの中で、これを祝おうとしている。神の出来事がそこにある。神の目が私たちをとらえ、愛、正義、和解の業に、私たちを招く。この霊の働きの中に私たちも自らを委ねることができるように。」と宗教改革500年が私たちに与えられた意味について、お話くださいました。
 午後からは宗教改革500年への関心を広げるために、教会内に限らず一般に開かれた機会とすべく企画しました。
 ケースマン牧師を含めたトークセッションでは、ケースマン牧師より、かつての改革を感謝するのではなく、争いから交わりへというプロセスを歩んでいること、また歴史的には1600年代の30年戦争、またルターが反ユダヤ教であったのをナチスがホロコーストを正当化するために使ったことを踏まえ、宗教改革500年を和解と癒やしの祈りを合わせる機会とすることなどが述べられました。
 加えてユダヤ教・イスラム教とのエキュメニカルな対話を進める計画について、また当時ルターが活版印刷というメディアを使ったように現代の新しいメディアを使い宣教の機会としていきたいとの計画についても伺いました。
 数名の若者たちからの問いかけの時間では、ケースマン牧師自身の挫折の経験から、それにもかかわらず神に生かされていることへの喜びを証ししてもくださいました。
 この他、ルーテル教会関係者を中心とした音楽家による演奏、宗教改革とルターに関するクイズ、ルーテル世界連盟による宗教改革500年運動を担うヤングリフォーマーからの報告。それに500年守られた伝統が引き継がれているビール、そしてドイツ料理が専門店の協力を得て楽しむこととなりました。
 200名弱の参加者を得、東教区と東京教会の協力もいただき、恵まれたひと時を過ごすことができたことを感謝してご報告します。(広報室)

熊本地震支援活動報告

「2016年6月10日付対策本部報告6」

日本福音ルーテル教会九州教区救援対策本部対策本部長 岩切雄太

 熊本地震から2ヶ月が過ぎようとしています。熊本県災害対策本部が発表している熊本県の避難者数及び避難所数の状況を見てみると、避難者数及び避難所数が最も多かったのが、4月17日です。その日の熊本県内の避難者は18万3882名、避難所として開放されたのが855箇所です。同様の対策本部の発表を見ると、6月7日現在、147箇所の避難所に6904名の方が避難されています。
 数字だけを見ると、避難者数は約1/27に、避難所数は約1/6に減少したことになりますので、復旧が進んでいるように思えます。
 しかし、被害の大きかった地域のひとつである益城を見てみると、4月17日時点では、7910名の方が12箇所の避難所に避難されていましたが、6月7日現在でも2132名の方が15箇所の避難所に避難されています。もちろん少しずつ避難されていた方々が自宅(その他)に戻られているわけですが、県全体の1/27の減少に対して、益城は1/4の減少に止まっています。また、避難所数は5/4と増えています。
 地震に伴う困難を数字だけで比較するのは適切ではありません。けれども益城のこの数字は他の地域と比較しても突出しています。
 さて、日本福音ルーテル教会九州教区救援対策本部は、震災直後から、益城にある公的避難所のひとつ、広安愛児園・こども L.E.C.センター内避難所を拠点として、NPO法人わかちあいプロジェクトと連携して支援を続けています。ここでの主な支援活動は、休憩所(カフェ)を通した支援と地域支援(片づけ・引越支援)です。休憩所(カフェ)には、避難されている方々だけでなく、避難所を運営している町役場の職員、またキリスト教児童福祉会の職員の方々も休憩に来られます。そこでの会話を通して、避難者の困りごとや地域のニーズを聞き取り、そのニーズに対して地域支援(片づけ・引越し)を行っています。また、地域の自治会長(区長)からの要請を受け、ボランティアセンターからなかなか人が送られて来ない場所に入り、瓦礫処理等の支援が本格化してきました。

 私たちルーテル教会が行う支援活動は、「困っている」「助けてほしい」という声に、公平(均質)や効率という名の格差をつけることなく、耳を澄ませ寄りそっていくものでありたいと取り組んでいます。引き続きお祈りとご支援をよろしくお願いいたします。
熊本地震日本福音ルーテル教会九州教区対策本部「できたしこ ルーテル」サイトhttps://www.facebook.com/kumaeqhq/

公 告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2016年7月15日 宗教法人 日本福音ルーテル教会   代表役員 立山忠浩
信徒利害関係人 各位

日吉教会建物取壊
所在地 
 横浜市港北区下田町
 1丁目670番地2
所有者 
 日本福音ルーテル教会
家屋番号 670番2
・種類 教会・居宅
・面積 
 1階 231・59㎡
 2階 121・16㎡
理由 
 新会堂・牧師館建築の ために旧礼拝堂部分を取り壊すため。

連絡先情報
■横浜教会 メールアドレスyokohama@jelc.or.jp
■清重尚弘牧師(定年教師)住所〒223-0064神奈川県横浜市港北区下田町4-サンヴァリエ日吉12棟410 電話045-594-8535

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