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機関紙るうてる

るうてる 2018年4月号

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説教「赦され生かされて、生きる」

日本福音ルーテル教会 牧師 江藤直純

 

三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」・・・「このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。       (ヨハネによる福音書21章17、19節)
死者の復活、あってほしいと切に願いつつも、ありえないのがこの世の現実。だから、死を受け入れたくなくても、そうするほかない。すべての終わりとしての死、やり残したことがあっても、やり直したいと願っても人生に終止符が打たれる。赤字決算でも変えられない。これが誰もが経験する人間の宿命。
しかし、ゴルゴダの丘の上で苦しみと屈辱の果てに絶命し、墓に葬られたその方を、神は「復活させられた」「高く引き上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになった」と聖書は宣言します。代々の教会は「三日目に死人のうちから復活し」と告白します。誰もが最初は信じられなかった出来事を神は起こされたのです。
この奇想天外な告知が福音である所以は、「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられ」たから。キリストだけでなく「アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになる」からです。つまり、わたしもそうですが、復活させていただくのに値しない罪人である者も含めすべての人が、キリストの復活のゆえに、復活と新しいいのちに与らせていただくようになるというのです。死の束縛から解き放つ。これこそ福音です。
四つの福音書は、復活は「終わりの時」に完成するけれど、すでに今このときに始まることを語っています。その証人の一人がペトロ。熱血漢で、純朴で、命懸けで主イエスに従っていたのに、あまりにもろく、弱く、無様にも三度否認して裏切り、刑場からも逃げ出すという取り返しのつかない過ちを犯したペトロ。あの三日目の夕方とその一週間後に他の弟子たちと共に復活の主にお会いしたのに、それだけでは驚きはしても、いのちは萎えたまま、生きる力は枯渇したままでした。生ける屍です。
ヨハネ21章が描いているのは、元の漁師に戻りかけたペトロたちに復活の主がみたび姿を現してくださり、決定的な会話を彼となさった場面です。「ヨハネの子シモン」と親しく呼び掛け、「わたしを愛しているか」と尋ねられます。そうです、その通りです、もちろんご存じでしょう、わたしはあなたを愛しています――ペトロはそう答えます。愛の告白あるいは信仰の告白を三度します。
二人の会話に大変興味深い言葉が用いられています。新共同訳では主イエスの問いは三度とも「愛しているか」であり、ペトロの答えも「愛している」です。
最新のルター訳ドイツ語聖書でも六つともリーベン(愛する)という訳語が採られています。しかし、ギリシャ語原典ではイエスさまの最初の二回は「アガパオー」という動詞、最後の問いは「フィレオー」で、ペトロの答は三回とも「フィレオー」でした。どちらも「愛する」と訳すことができますが、ここで神の無償の愛アガペーと通じる動詞アガパオーと、友愛フィリアにつながるフィレオーは意図的に区別して使われたのでしょうか。通説は単なる言い換えと見ますが、岩波訳はフィレオーを「ほれこんでいる」と思い切って訳しています。そうならば、この会話でイエスさまは、主が期待されたアガパオーとは違うペトロの愛フィレオーが持つ人間的限界を赦し、受容してくださったのだと、わたしには思えるのです。
主イエス・キリストはわたしたちの人間的な弱さも罪も十字架と復活で赦し、未だ不十分さを抱えたままの生を受け容れて、新たに生かしてくださいます。「わたしに従いなさい」と招かれます。ここに赦され生かされながら、終末での復活の完成を望みつつ今を生きる新しい信仰者の生き方が可能になります。ペトロは弱さを背負いつつ使徒としての生涯を全うしました。
わたし自身の69年間の人生、42年間の牧師とされての歳月は、弱さと罪にもかかわらず、赦され生かされて生き、及ばずながら神と教会と人々にご奉仕させていただく恵みに浴した幸いの時でした。十字架と復活は神の愛です。主の力です。ただただ感謝。アーメン

コラム 直線通り

①「あなたの言葉は、わたしの足のともしび、わたしの道の光」(詩編119)

 

埼玉県飯能市。川と湖がある自然豊かな山あいに位置する私の勤務校には中高合わせて1300名ほどの生徒がいます。日々もがきながら懸命に生きる10代の子どもたちとともに過ごす日々は、笑いあり、涙ありの毎日です。
ある日、受験を控えた高校3年生の生徒2人が祈って欲しいと聖書科研究室にやってきました。お祈りした後「先生、キリスト教のお守りが欲しいです」と言われ、「キリスト教にお守りはないんだよね」と返すと、もう1人の生徒が「お守りがないから、祈ってもらいに来たんじゃないか。先生、キリスト教のお守りは神様の言葉ですよね」と言いました。授業では寝ていた生徒ですが、居眠りの中でさえ神様は導いてくださったんですね。この子の核心を突く言葉に、心が震えました。
果たしてわたしたちはお守りのように、神様の言葉をいつも携えているでしょうか。日々の慌ただしさの中で、言葉の存在さえ薄れ、言葉の光で照らし励ましてくださる神様を忘れている時さえあるのです。またこの光は時に眩し過ぎて直視することさえできず、わたしたちは目が開けられないままに歩み、路頭に迷ってしまうのかもしれません。
神様の言葉はわたしたちの人生を照らしてくださっています。その照らされた道を、御言葉のともしびを携え歩んでいきたいのです。
共に祈った彼らもこの春、晴れて大学生。新しい道の途上で復活の主に出会うことができますように。

議長室から

「途上の旅」

総会議長 立山忠浩

主の復活を祝うイースターを迎えました。先日、絵画集を眺めた時、イースターを主題にした絵が少ないことに気づきました。クリスマスや十字架を題材にしたものに比べると明らかに少ないのです。音楽もきっと同じでしょう。
さらに広げれば、文学もそうです。例えば、芥川龍之介が自死の直前までイエス伝をしたためていたことが知られていますが、十字架の出来事で終わり、復活に思いを向けることはなかったのです。
どこに理由があるのか詳しく調べたことはありませんが、死からの甦りという使信があまりにも荒唐無稽に思えるからではないかと私には思われます。使徒言行録(17・32~)のアテネの人々が、パウロの話が死者の復活に及んだ途端にあざ笑い、耳を閉じてしまったことを想起します。
珍しく復活を主題にした絵として、フランス人画家のルオーの描いた「聖書の風景」に目が留まりました。エマオの途上の出来事です。道行く人と一緒に歩むことになった2人の弟子は、その方が復活されたイエスであることを知らず、エマオという村へと向かうのです(ルカ24・13~)。だからこの復活の日の午後の出来事を「エマオの途上」と呼ぶことがあるのです。
ルオーの絵からは2人の弟子たちの思いを察することはできませんが、しかし聖書に目を落とすならば、2人にとっても復活の出来事は実に荒唐無稽だったことが分かります。しかしエマオの途上の道中、見知らぬ姿のイエスと共に歩むことで少しずつ変化して行ったのです。聖書の説き明かしをイエスから聞くことによって、彼らは心を燃やされ、夕食の時に裂かれたパンをイエスからいただいたときに、その方が復活のイエスだと悟ったのです。そこから彼らの宣教が始まって行くのです。
「途上」という言葉にとても深い響きを私は感じるのです。私たちの歩みも「途上」と言うことができるからです。「わたしたちの本国は天にあり」(フィリピ3・20)とパウロが言うように、この世に生きる私たちの誰もがいま、本国への途上にあるのです。その途上の歩みはエマオの弟子たちと同じように、主イエスとの旅なのです。イエスの姿は見えずとも、信仰の仲間の語る聖書の説き明かしは、信仰を燃やし、宣教へと奮い立たせるイエスの声と信じるのです。
4月は年度替わり、新しい歩みの始まる時です。皆さんの歩みに神様の祝福をお祈りいたします。

全国ディアコニア・ネットワーク 第1 6回「環境・人権・平和名古屋セミナー」に参加して

長谷川卓也(市川教会)

 

2月18日に名古屋めぐみ教会で開催された『「憲法改正問題」について考え「国民投票」について学ぼう!』というセミナーに参加した。私は弁護士であり、法律家としての仕事と、キリスト者としての自分をどう関係付けていくのか、という長年の課題へのヒントを求めての参加であった。
開会礼拝、小泉嗣牧師(千葉教会)の「隣人を愛するという聖書の土台と、憲法という国の土台を学び、日本におけるキリスト者として何をなすべきなのかを考えよう」という核心をとらえた言葉から、セミナーが始まった。前半は、愛知大学法学部教授の長峯信彦さん(名古屋めぐみ教会)による憲法の講義。憲法は「神の目から見てどんな人間も平等に個人として尊重される」というキリスト者の感覚のものであるという人権論の本質、憲法学は人の心を必要とする血の通った学問であるということ、そして9条をめぐる現在の日本及び国際情勢が語られた。
後半は、講師の長峯さんの体調のご都合で予定を変更し、まず稔台教会の内藤新吾牧師から、原発問題の現況についてお話しをいただいた。その後、弁護士の内河惠一さん(なごや希望教会)、小泉牧師、内藤牧師による「教会が社会にどのように関わっていくか」というパネルディスカッションになった。「教会の地域社会での役割・存在価値が必要になっている」、「教会として社会問題や平和問題を考えていくことが必要」、「教会では社会問題を論じてほしくないという雰囲気もある」、「教会単位でなく個々人として活動すればよく、その人々が一致して力を合わせていけば強い」、「『世の光』だけでなく『地の塩』の働きを」など、率直かつ活発な意見交換がされた。
私にとっては課題へのヒントを多いに得られ、社会に仕え活動するキリスト者が教会の単位を超えてつながるディアコニア・ネットワークの活動の意義を強く実感する有意義なセミナーとなった。

カトリックと宗教改革500年⑥

宗教改革小史(2)

3.ルターの宗教改革
ルターは、人間の外面的なわざではなく、キリストの贖罪のわざに示された神の恵みとあわれみを全面的に受けとる「信仰のみ」において人は救いにいたるという「福音主義」を唱えました。この福音主義は、その源泉と正統性を「神の言葉」である「聖書のみ」に求めます。そこから教皇の権威や教会の伝承、ローマ教会の既存の組織、教会秩序への改革が訴えられます。
こうした変革は、ドイツに大きな混乱をもたらしました。しかしルターの呼びかけはローマ当局と司教たちには聞きいれられず、教会と結ばれて政治的権威を代表する神聖ローマ皇帝カール5世は、1521年にヴォルムス勅令を発してルターを異端と断定し、追放しました。
これに対してルターは、破門状と『教会法大全』を焼き、ザクセン選帝侯フリードリヒの保護のもとで、聖書のドイツ語訳を完成させました。また主著である『キリスト者の自由』が活版印刷により流布しました。
4.宗教改革の拡大
ドイツにおけるルターの改革運動に並行して、スイスでは、ツヴィングリやカルヴァンがジュネーブを中心に改革運動を進めました。それは、オランダ、イギリス(清教徒〈ピューリタン〉)、スコットランド(長老派〈プレスビテリアン〉)、フランス(ユグノー)など、ヨーロッパ各地に拡がっていきました。また、幼児洗礼を否定する再洗礼派〈アナバプテスト〉の運動もスイスから起こりました。さらにイギリスでは英国国教会〈アングリカン〉が成立しました。

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より

いつも一緒
ヨハネ21・1~14

伊藤早奈

 

〈祈り〉神様。私たちは「今年の4月は◯◯だ」と前年と比べてみたり、自分の記憶にあるかつて4月と比べたりします。小学校や中学校の入学式であったり、就職したときであったり、様々な春の思い出がよみがえってきます。それらが映像として残っていたり、香りや音で残っていたりと、心に残るそれぞれの4月は一人一人違います。その一人一人のかけがえのない瞬間に神様あなたは共におられ、一人一人の心に寄り添ってくださいます。あなたと共にある今を私たちは勇気を持って精一杯生きることができますように。この祈りを主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
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あなたはこれまでに何度イエス様と出会いましたか?
ヨハネ福音書21・14では「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である」と語られます。
「へぇー、三度もイエス様と出会ったのかぁ」と思われる方も「三度しかまだお会いできないのか」と思われる方もあり、お一人お一人の反応はいろいろであると思います。それら一つ一つが全て大切な反応であり、神様にとって尊いものです。しかし、イエス様とのいろいろな出会いや回数で語られるイエス様との出会いは私たちの側からのことです。
では、イエス様による私たちとの出会いは何回でしょうか。それは1回です。1回で充分です。だってその1回は私たちの命が造られてずっと続いているのですから。回数では少ないけれど、長いのです。
ペトロは漁師としての日常の生活に飛び込みます。そこにもイエス様は立っておられます。イエス様は日常の中にあってもあなたと共におられます。たとえあなたが気付いていなくても、いつも共に立っておられます。イエス様はボーッと立っておいででも、ただ立っておられるのでもなく、あなたと共におられるのです。
いつも愛の眼差しで溢れさせて、あなたと共におられ、共に歩んでくださいます。

カンボジアワークキャンプ 大きなものを与えられ

廣瀬知登(大江教会)

 

カンボジアのワークキャンプに参加していろいろなことを経験でき、多くの人と出会う中でとても自分を成長させてもらったと感じています。現地へ行く前にはワークをしてカンボジアの人の役に立てればいいと思っていました。しかし、子どもたちと遊んだり、カンボジアでいろいろな人たちに出会ったりしていく中でその考えは少しずつ変わっていきました。カンボジアは日本より発展してないから、不自由で窮屈な生活をしていると思っていました。しかし、子どもたちと遊んでいるときに、子どもたちの笑顔を見ているとこの子たちは希望にあふれていると感じました。
自分は大きな勘違いしていました。自分が与える側だと思い込んでいた私は子どもたちに対して何も与えられず、とても自分が無力だと感じました。子どもたちの笑顔から学ばせてもらったのに、何も返せない自分がとても無力に感じ、もっと勉強し経験を詰み、またこの地に来たいと思いました。
また、同じ年代のクリスチャンの青年と交流を持てたことはとてもいい経験でした。国も違うし言葉も文化も違うけれど、一緒に交わりの時を持ち、祈りの時を持てたことで、同じ神様にあってつながっているということを強く感じることができました。
ルーテル教会の主日礼拝に参加させてもらった際に、20人を超える人が洗礼を受ける姿を見ました。言葉も通じないし、日本から遠く離れている地であっても、こうして神様を信じる家族が増える瞬間に立ち会えたことは本当にうれしかったです。
夜の分かち合いでも成長させてもらいました。杉本牧師の話にはとても支えられました。ワークキャンプ中には多くの困難にぶつかりましたが、いつも杉本牧師の言葉に支えられ、また、一緒に行ったキャンパーのみんなに支えられて困難を乗り越えていけました。
本当にカンボジアで神様から与えられたものは大きなものでした。この与えてもらったものをまずは自分の周りに少しでも分けることができたらいいと思います。

※2月14~24日に日本福音ルーテル社団のカンボジア・ワークキャンプ(チャプレン 杉本洋一牧師)が開催されました。harukyan.moushikomi@gmail.com)
○持ち物 聖書、筆記用具、保険証、参加費とバス代、洗面用具、着替え、防寒着、入浴用品(ボティーソープ・リンスインシャンプー・ドライヤーは施設にあります)、3月27日の昼食・飲み物。
☆お知らせ☆
今回の春キャンでもバラエティショーを行います。バラエティショーとは、ティーンズのみんなが演奏やコントなどパフォーマンスを披露する時間です。時間は1グループ約5分。個人での参加でもグループでの参加でも大歓迎!出演者をキャンプ1日目に募集します。みなさんのご参加を待っています。

第27回総会期第6回常議員会報告

事務局長 白川道生

2012年策定の「第六次綜合方策」の6年目、期中3度目となる全国総会を5月に控えた、第27回総会期の第6回常議員会でした。年間予定では2月20日から22日にかけて日程が組まれていましたが、この期間中に、人事委員会を開催することになったため、変則的な3日間の会議となりました。しかしながら、審議と決定を必要とする事項はすべて決議されました。主な事項を以下に記します。
▼諸報告の承認
立山総会議長の議長報告にはじまり、教区長報告並びに室長報告を含む役職報告、これに諸委員会を加えて20の報告があり、一日目が終了しました。常議員会の役割は、それぞれに取り組んできた方策の進捗状況と課題を共有し、聖書が示すあり方に導かれながら、申請や計画の承認や決定することで、この会議を通して「ルーテル教会がひとつ」であるように整える、重要な位置づけである点は一貫して変わりません。
▼人事と教職態勢
教職任用を望む3人から出願があり、「教師試験」並びに「任用試験」が実施され、全員が合格となりました。本年は4名の教職が定年退職を迎えましたが、いわゆる教職大量引退期に入っている認識をもっています。一方で、神学校の学生数が減っている現状と合わせて、宣教態勢をいかに組んでゆくのか、課題協議がなされました。
そして、新任3名を含む18件からなる2018年度人事提案が常議員会で承認されました。これにより新年度の教会任命教師は、現職74名と出向・海外関係10名となり、ここに牧会委嘱・宣教師が加わる新年度の宣教態勢が定まりました。加えて、前任者の帰国に伴う宣教師の派遣決定も本年の特記事項です。人事内容は別項に記しましたので、ご確認ください。
▼決算と予算の審議・承認、教会土地建物の改築申請
2017年度収支決算報告と2018年度予算協議では、各個教会の財政力の減少が進み、更に献金の減少が続く基本認識、収支好転した収益事業の現状について情報を共有しながら審議が行われ、決算・予算ともに承認されました。
宣教の進展の道筋に生じる課題のひとつである教会建物の老朽化に対しても、計画申請が複数あがってきました。宣教の器を整えるべく、適切な規模と確実な計画という観点で審議がなされました。
▼第27総会期-第1回事務処理委員会の開催(継続開催)
27総会期第6回常議員会は、1日目、2日目ともに、常議員会を夕方でいちど終えて、引き続き「人事委員会」を間に挟んで開催する変則形態になりました。その影響で決議を必要とする事柄が若干残ったため、常議員会終了後に「事務処理委員会」を開催して、とりわけ全国総会に係る事務的な事柄について審議し決定をしました。ここで決定した総会に関するお知らせは順次、全国の教会にお届けをはじめています。
なお常議員会の詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。
▼第27総会期第1回事務処理委員会の開催(継続開催)
なお、本常議員会は、1日目、2日目共に、常議員会を夕方に終えて、夜に「人事委員会」を開催する変則形態をとったため、決議を必要とする事柄を審議するため、常議員会終了後に「事務処理委員会」を開催して、全国総会に係る事務的な事柄を協議しました。内容は、総会に関するお知らせでお届けしてゆきます。
なお常議員会の詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。

新任牧師 挨拶

多田 哲(たださとし) 日本福音ルーテル日吉教会

主に感謝します。今年度、新しく日本福音ルーテル教会の牧師になりました多田哲です。西教区・豊中教会出身で、4月1日から神奈川県横浜市の日吉教会へ派遣されることになりました。
私は大阪府吹田市で生まれ、大学時代にKGK(キリスト者学生会)の聖書研究会を通して教会に通い始め、2004年のクリスマスに近畿福音ルーテル川西教会で受洗。3年後、日本福音ルーテル教会へ転籍しました。大学院では歴史言語学を専攻し、後期博士課程まで進みましたが、献身の召命が与えられ、神学校へ入りました。
これまでずっと学生で社会に出たことのない未熟者ですが、福音宣教のため、みなさんと一緒に歩んでいきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

野口和音(のぐちかずね)日本福音ルーテル長野教会、松本教会

4月から日本福音ルーテル長野教会と松本教会に赴任することになりました、野口和音です。熊本教会の教会学校「サムエル・ナイト」で幼稚園の頃からお世話になり、その後、神学校へと導かれることとなりました。その道のりの中で、多くの方々に愛をもって育てられ、支えられてここまで来られましたことを感謝いたします。
2教会の兼牧という働きを与えられました。両教会では主日の礼拝を共に守るために様々な試みをしています。私も皆様がよりいっそう恵み深く神さまの恵みに与れるよう、新しい試みも取り入れつつ、精一杯賜物を生かして仕えて参りたいと思います。日本福音ルーテル教会の皆さまに神さまの祝福と恵みとがありますように、お祈りいたします。

森田哲史(もりたさとし) 日本福音ルーテル新霊山教会

この度、日本福音ルーテル教会の牧師として任用されました森田哲史と申します。4月1日より、新霊山教会に派遣されることとなりました。教会の皆さまと福音を分かち合う恵みを嬉しく思います。また、教会だけではなく、社会福祉法人デンマーク牧場福祉会のチャプレンとしての責任も与えられました。特別養護老人ホームや児童養護施設など、教会と社会を繋ぐ最前線の現場を通して、福音を広く宣べ伝えることが出来るよう主に仕えていきたいと思います。社会福祉の分野につきましては未知の領域ですが、また学校に入り直した気持ちで一から勉強させていただければと思います。これからも皆さまのお祈りとお支えを賜ることが出来れば幸いです。

教職授任按手式2018

当教会の教師試験と任用試験に合格した多田哲さん、野口和音さん、森田哲史さん3名への教職按手式が、3月4日に当教会宣教百年記念東京会堂(東京教会)にて行われました。主司式は岡田薫北海道特別教区長が担当し、按手には立山忠浩総会議長を始め、副議長、各教区長、全国教師会長、宣教師代表が加わりました。
礼拝説教において立山議長は、日曜日の夜に行われる按手式をイースターの夕方に弟子たちが集まっているところにイエスが姿を現されたことになぞらえて、牧師は平和のために派遣されること、そのためにイエスご自身によって「聖霊を受けなさい」と聖霊を授けられると新任牧師への励ましを語り、祝福を祈りました。
3名はそれぞれのご家族、ご友人、出身教会をはじめ研修などで特にお世話になった教会、そして神学校の関係者など、これまで祈り続けてくださった多くの方に押し出されるようにして、十字架の前にひざまずき、「主の恵みと助けによって聖なる職務を果たすことを約束します」との誓約へ導かれました。そして、職務のしるしとして、任地(別記の通り)の教区長よりその肩にストールを授与されました。

東教区「3・11を覚える礼拝」

東日本大震災の発生から7年となる3月11日。東京教会と会場として標記礼拝が行われました。
震災後ボランティア活動を続けている聖望学園高等学校の方々より、現地のこれまでと今について、そして被災者とひとくくりにせず、そこで暮らすお一人おひとりとのつながりを持ち続けることについてお話しを伺いました。礼拝では元ルーテル教会救援派遣牧師であった野口勝彦牧師により創世記9章のみ言葉が分かち合われ、共に黙想し祈りを合わせました。

日本福音ルーテル教会人事(2018年度)

○退職(2018年3月31日付)
・青田 勇(定年)
・江藤直純(定年)
・齊藤忠碩(定年)
・谷川卓三(定年)
○新任
・多田 哲
・野口和音
・森田哲史

○人事異動(2018年4月1日付)
【北海道特別教区】
・日笠山吉之 恵み野教会(協力牧師・兼任)
・中島和喜  恵み野教会(主任)、札幌教会(協力牧師・兼任)
【東教区】
・市原悠史  横浜教会(主任)、 横須賀教会(主任)
・河田 優  三鷹教会(主任・兼務)※5月30日まで
・高村敏浩  三鷹教会(主任)※6月1日付
・多田 哲  日吉教会(主任)
・野口和音 長野教会(主任)、松本教会(主任)
・松岡俊一郎 甲府教会(主任・兼任)、諏訪教会(主任・兼任)
・三浦知夫 東京池袋教会(主任)
・李 明生 田園調布教会(主任)
・渡辺高伸 津田沼教会(主任)
【東海教区】
・野口勝彦 みのり教会(主任)
・森田哲史 新霊山教会(主任)
【西教区】
・秋山 仁  喜望の家(主任・兼務)
・加納寛之  福山教会(主任・兼任)
・鈴木英夫  三原教会(主任・兼任)
・松本義宣  松山教会(主任・兼任)
【九州教区】
・白川道生  唐津教会(主任)、小城教会(主任)、佐賀教会(主任)※6月1日付
【出向】
・宮本 新  ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校
○待機
・山田浩己
○復職
・後藤由起  ※一般から嘱託への任用変更/東教区付

▽宣教師
【ELCA長期宣教師】
・アンドリュー・ウィルソン ルーテル神学校(8月1日職務開始)
・セーラ・ヒンキリー・ウィルソン 東教区付/東京教会(8月1日職務開始)
・安達 均 神水教会、松橋教会(4月1日職務開始)
【ELCA信徒宣教師〈特別契約〉】
・ポール・フォーサイス 本郷学生センター(4月1日)
【LEAF信徒宣教師】
・ミリュアム・ハリュユ 東教区付/市ヶ谷教会(4月1日任地変更)
【J3宣教師プログラム】
・ブレント・ウィルキンソン ルーテル学院中学・高校(3月31日退任)
・スコット・カルズニー ルーテル学院中学・高校 (4月1日新任)

○その他
▽牧会委嘱(2018年4月1日付/1年間)
・明比輝代彦 掛川・菊川教会
・乾 和雄 神戸東教会
・北尾一郎   甲府教会
・齊藤忠碩  復活教会
・渡邉 進  沼津教会
・藤井邦夫  宇部教会
・谷川卓三  松山教会
・白髭 義  甘木教会                  以上

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