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機関紙るうてる

るうてる2009年12月号

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クリスマス説教
マリアとヨセフ、その恐れと祝福

札幌教会牧師 重富克彦

普段の暮らしの平安には、薄氷の上を歩くような脆さがあります。いったん氷が割れると、瞬時に恐れの渦に巻き込まれ、世界が一変します。
クリスマスの使信は、何事もなく過ごしていたマリアとヨセフの心を、恐怖のるつぼに突き落とすことから始まりました。マリアの未来は、頼もしいヨセフとの、つつましくも充実した日々のはずでした。けれど突然、異界の人が現れ、「あなたは妊娠して男の子を産む」と言うのです。マリアの心は、たちまち恐ろしい妄想で覆われます。律法には、婚約している処女の娘が、他の男と姦淫した場合「男も女も、石で打ち殺さねばならない」(申命記22:23-24)とあります。裏切ったと思い、憎しみに燃えるヨセフの目。村人から引き立てられ、石で打ち殺される自分の姿。「どうしてそのようなことがあり得ましょうか。わたしはまだ男の人を知りませんのに」とは、マリアの必死の否認です。
ヨセフも同様だったでしょう。マタイによれば、ヨセフはマリアの妊娠を知って、他人に気付かれないうちに彼女を離縁しようと決意します。公になれば、ヨセフ自身が、マリアの処刑に手を下さなければなりません。耐え難いことです。離縁しておけば、場合によってはマリアの無罪もあり得るかもしれません。
2人は、この恐ろしい危機をどう乗り越えたのでしょうか。2人は、その声を神の言葉として受けとめ、事態を受け入れました。受け入れることが乗り越えることです。天使は、ヨセフには「恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は、聖霊によって宿ったのである」と言い、マリアには「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」と力強く語ります。また「その子の名をイエス(神は救い)と名付けよ」という命令も与えられました。
神が何かを強く語りかけられるとき、たとえ信仰ある人であっても、思いがけない不安や恐怖に突き落とされることがあります。しかし、その不安や恐怖の中で、心の迷路をたどった果て、あらためて「すべてを神に委ねる」との思いにたどり着いたとき、聖霊は突然新しい地平を見せてくれます。その地平で人は、天空に神の虹を見、不思議な平安を与えられます。心は定まり、信仰から信仰へと、聖霊に導かれて飛躍するのです。
キューボラ・ロス博士は、受け入れることと、諦めることの違いについて、受け入れることは「勝利の感情、平和と静謐の感情」であり、諦めることは「敗北の感情」だと言っています。受け入れることは勝利なのです。
マリアとヨセフは受け入れました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように」とは、聖霊に導かれ、すべてを御心に委ねた者の新しい心の地平です。御言葉を受け入れ、おのれの身を通してインマヌエルを体感した者の新しい心の地平です。そこには勝利と平和と静謐に満ちた感情があります。マリアの讃歌は、そこから生まれました。

しるべの星  クリスマスの思い出

札幌礼拝堂に隣接するめばえ幼稚園の年長組だった私に、クリスマスのページェントで与えられた役は、「しるべの星」。台詞はありませんでしたが、歌のソロがあり、歌い終わると、まぶねのそばに立つのです。羊飼いたちや博士たちを、生まれたばかりのイエス様のところへ導く「しるべの星」。でも導いてくださるのは、本当は神様。だから「しるべの星」は、彼らが向かう道筋を迷わないように、彼らに静かに寄り添いながらその足元を照らしていたことでしょう。決して強引ではなく、寄り添うように、それぞれの歩く早さにあわせて。 そして今、家庭の中で、社会の中で、教会の中で生きている私自身を考える時、幼いころに与えられたこの役は、長い時間をかけて、私自身の生き方の「しるべの星」となっていったように思います。
(札幌教会 山下由美)

風の道具箱

クリスマスは驢馬に乗って
クリスマスおめでとうございます。
八木重吉の詩に次のようなものがあります。
「ねがい」
どこを/断ち切っても/
うつくしくあればいいなあ クリスマスの出来事は、ヨセフとマリアにとって、すべての場面で重荷を負った出来事でした。天使ガブリエルから、突然のお告げを受け身ごもったマリア。それを黙って引き受けたヨセフ。上からの権力によって荒野の旅を強いられた2人。マリアは身重。到着したベツレヘムには泊まる場所がなかったのです。このように困難と試練の連続でした。しかし、どこを断ち切っても「神共にいます」という確信を与えてくれる出来事です。その時々に神様の守りを見つけることができます。
子どもの降誕劇に馬小屋がでてきます。今年はそこに驢馬がいました。馬小屋に驢馬。これもまたクリスマスの楽しさです。すべてはイエス様のお誕生のお祝いのためです。クリスマスは驢馬に乗って来てもクリスマス。どこを断ち切っても、平和の主の誕生日です。
(柿のたね)

Information

2010年グループ・ワークキャンプ参加者募集!

■派遣期間:7月22日(木)~8月5日(木)
■内容:ミネソタ州でのホームステイとイリノイ州でのワークキャンプ
■問合せ・申込用紙請求先
JELC-JELAボランティア派遣委員会
住所:162-0842新宿区市谷砂土原町1-1
JELC宣教室 気付
TEL:03-3260-1908/FAX:03-3260-1948
E-mail: workcamp@jelc.or.jp
■申込期限:2010年1月末日(必着)

女性会連盟80周年歴史スライドDVD販売!

総・大会の愛餐会の折に、皆さんで80年の喜びを分かち合いながら見た歴史スライドを「いずみの会」より販売いたします。参加された方は総・大会の記念に! 参加できなかった方は連盟の歴史を学び楽しめます。女性会・婦人会の学びに、また教会でも皆さんでご活用ください。

■内容■連盟80年のあゆみ
大会パネルディスカッション
「未来を拓く 女性たち」
■価格■1000円
■お申し込み■女性会連盟事務局
Tel/Fax:03-3207-2340
E-mail:jelc-w@big.or.jp

牧師の声

私の愛唱聖句

板橋教会 牧師 汲田 真帆

山が移り、
丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみは
あなたから移らず
わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと
あなたを憐れむ
主は言われる。
イザヤ書 54章10節

完全なものを探していました。永遠に続く何かを。私はそれを切望していました。幼い時からずっと。
「私のこと好き?」何度も何度も聞いては両親を困らせました。小学校の同じグループの友達と「私たち友達だよね、変わらないよね?」と何度も確かめ合っていたことを思いだします。中学受験のレールに乗ることに何の違和感も持たず、ひたすら勉学に励んだのも、よい学校に入ればその「何か」を知ることができるような気がしたからです。そして安定した仕事を選びたいと思っていました。
けれども、どれを求めてどれを手に入れても、私は自分の内にある漠然とした不安感をぬぐいさることができなかったのです。それどころか手に入れた後はますます心配になってしまいました。もしかしたら、みんないつかは変わってしまうのだろうか? 友人、恋人、人間関係も、学歴、仕事、ステイタスだと称賛されるあらゆるものも。恐れで心をいっぱいにしていた20歳の秋、大切な人が病で天に召されていきました。やはり結局すべては終わっていくのだ……、空しくて力なく過ぎていく日々の途中で、私は聖書に出会いました。すべてが変わる世の中、私達の人生にあって、変わらないもの動かないものがあると神様は言われます。
クリスマスの日、神様はひとりの御子を送ってくださいました。イエス様は私達に与えられた神様の愛、平和の約束です。このことを知った時、今まで見えていた景色がまったく違って見えました。この方に支えられて生きることの平安とその喜びを伝えたくて、私はここに立っています。今もたびたび不確かなものに身をゆだね不安に陥り弱ってしまうこともありますが、そのような時は静かに心の耳を澄まします。すると、私の存在の中心から語りかけられる確かな声があるのです。「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず/わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと/あなたを憐れむ主は言われる」。
クリスマスおめでとうございます。

信徒の声

教会の宝石を捜して

東教区 小石川教会 横田 強

キリスト教との出会いは?
後に妻となる女性との出会いがキリスト教と触れ合うきっかけでした。
彼女と知り会ってから、わたし自身洗礼を受けました。愛知県の田原の小さな教会で聖書を教えてくれたのが、長く小石川教会で牧会され、「ろう者会」を立ち上げてくださった小嶋三義牧師の実姉のご主人です。
田原から上京し、ろう者を中心とした桜上水集会に通うようになりました。洗礼を受けたのは東京教会です。
小石川教会の会員となった経緯は? ろう者の家での家庭集会で聖書の勉強をしていましたが、1972年に小嶋牧師のろう者伝道が小石川教会で始まり、それ以来小石川教会で教会生活を送っています。
小石川教会のろう者伝道の歩みを教えてください。
当初、小石川教会では、主日礼拝は午前に健聴者、午後はろう者と別々に行なっていました。やがて、一緒に礼拝を持つようになり、以来今日に至ってます。
最初、手話通訳はところどころありました。OHPがなかったので、隣に座った健聴者が、讃美歌や式文を開いて、指で文字を指し示すのです。2人とも、指の先をにらめっこ、おっかけっこしている状態でうつむきっぱなしでした。
やがて、牧師先生が手話で、いわゆる同時通訳をしてくださるようになりました。その後はOHPが導入されるようになり、映像も改善され、今も進化しています。会衆はOHPを見て讃美歌を歌います。顔をあげて歌うのはとても「前向き」で良いことだと思います。
ご苦労されたこと、今後の抱負は?
ろう者のことを理解してもらうのに、やはり時間がかかりました。ろう者会が結成されて42年になりますが、それだけの時間が必要だったということかもしれません。
そして、もっともっと、理解しあいたいと思います。そのために、手話教室を教会でも始めました。ろう者が初めて教会に来た時に、挨拶と自己紹介、そして相手の名前を聞く、その程度の手話はぜひ多くの人に身につけてほしいと思うのです。そんな小さなふれあいから、お互いの理解は深まることでしょう。

高齢者伝道シリーズ(P2委員会)

弱さの中の恵み  小嶋 三義

現代は高齢化社会、遅ればせながら教会でもP2が「高齢者への伝道」の問題に取り組むことになった。引退して間もない私に出席するように言われた。しかし、私は最初にこの高齢者への伝道、「への」という言葉に違和感を感じた。増え続ける未信者の高齢者への伝道が大切であることはよく理解している。しかし、教会を支え続けてきた高齢者の方々への方策とはおのずと変わってくると思った。教会の中では高齢者の方々は長い信仰生活を続け、教会を支え続け、豊かな人生経験を持たれるいわば熟成した信仰、円熟した信仰を持った方々である。この人々「への」取り組みは高齢者「への」伝道ではなく、この方々がどのようにして引き続いて豊かな信仰生活を続けられるか、またその信仰生活を教会の中でいかに用いられるかが問われているように思う。
事実、高齢化すれば、力は衰え機能が低下する。説教を聴きたくても耳が不自由になる。教会まで通うにも困難になる。教会修養会にも遠慮してしまう。しかし、私はこう思う。病気も弱さも長年働いてきた神様のご褒美、その弱さの中でこそ、今まで学ぶことが出来なかった神様の祝福があると。そのことを生かせるような教会であったらと願う。かつて高齢者の方々と一泊旅行をし、ゆっくり信仰を語る機会を持ち多くの恵みを頂いた。世代を超えた神の恵みを分かち合える教会作りが今、必要なのではないだろうか。

いのち、はぐくむ
中井弘和

第9回 自然と共に生きる

神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして、海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう」
(創世記1章26節)

1960年代の終わり、地球環境の破壊は、神が人間に自然を支配させようとした、とする創世記の思想にその根源があるとする説(『機械と神』、リン・ホワイト、1968)が登場し、新たに生じてきた「環境思想」の分野で大きな議論を巻き起こしました。レイチェル・カーソン(1907~1964)がDDTなど農薬の害を立証し、地球の危機を警告して世界に衝撃を与えた何年か後のことでした(『沈黙の春』、1962)。その学問的議論は別にしても、日ごろ聖書に親しむ者としては、やはりこの問題を避けて通ることはできません。一言触れておこうと思い立ったわけです。
論点は「支配する」という言葉にあることは明白です。この点について質問された時、私は少し躊躇しながら、その真意はケアすることなどと説明してきました。ケア(CARE)はもちろん世話をすることですが、その専門用語としてはCUREすなわち治癒の意味も含まれるそうです。人間は自然を世話し治癒する義務が神から与えられた、ということになります。そこには、また、人間は自然からケアされる存在でもあるという深い神の配剤が隠されていることも確かです。私の知る限り、日本語、英語の聖書の多くは文字通り「支配する」ですが、まれに「治める」という表現のものがあります。
世界的霊長類学者でありキリスト教の敬虔な信仰を持つ英国のジェーン・グドール博士は、著書『森の旅人』(角川書店、2000年)でこの問題を取り上げています。「支配する」の元々の意味は、相手を意のままに従わせる支配ではなく、思いやりと敬意を持ち、秩序を保ちつつ「治める」、であると説いています。彼女はチンパンジーが道具を使うという世紀の大発見をして世界を驚かせました。それは、単身で猛獣が跋扈するアフリカの原生林に分け入り、まさしく自然と一体になりながら永年にわたって観察を続けた結果のことでした。
ヘブライ語の聖書原典に照らしてみると、問題の箇所は、「支配する」ではなく「共に生きる」とするのがふさわしいという話を、最近、日本福音ルーテル教会の川口誠引退牧師から直に聞く機会を得ました。驚きとともに、心が晴れわたる心地がしました。
聖書の全編を通して流れる愛は、自然に対しても注がれていることは明らかです。イエスへの深い信仰の道を歩んだ多くの先達のように、その愛を静かに実践していくことこそが聖書に親しむものの務めであろうと思うこの頃です。

路帖百年。1909年~2009年

ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんは、「ピカピカ輝くものは、誰でも愛せるのです。しかしながら、その輝きが失われた時に、なおも愛し続けていけるかということが、私たちの一生の中の、苦しみの大部分だと言ってもいいかも知れない」と言われます。(「人間としてどう生きるか」より)
日本ルーテル神学校は、2009年9月に創立百周年を迎えました。1893年4月2日の復活祭にアメリカの南部一致シノッドから派遣された宣教師シェラー氏とピーリー氏により、日本福音ルーテル教会の最初の礼拝が九州の佐賀の地で行われ、それから遅れること16年の1909年9月27日に熊本市に路帖神学校が開校しました。そして、1925年 、東京・中野区鷺宮に移転、日本ルーテル神学専門学校(旧制)に名称変更、1969年に現在の三鷹キャンパスに移転、日本ルーテル神学大学、後にルーテル学院大学と校名変更、学部も神学部から社会福祉学科・臨床心理学科・キリスト教学科の3学科に改組され、時代と社会の環境に即応しつつ、教会の根幹である教職養成が100年間、引き継がれてきました。特に、熊本での草創期の神学校からこれまでの100年間に約330人の神学生が輩出され、そこから多くの教職が教会の宣教に遣わされました。神様の大いなる祝福と導きにより、私たちや教会の輝きが失われたときも絶えず愛し守り続けてくださった百年の歴史を覚えて、新たなる第一歩を共に歩み始めましょう。
総会議長/渡邉 純幸

関門の丘から
松隈 勁

わたしの兄弟であるこのもっとも小さいものの一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。
(マタイによる福音書25章40節)

12月。アドベントが近づくと校庭の大きな樅の木のイルミネーションに火が灯る。関門の空と街を明るく照らし、クリスマスの到来を告げ知らせる。校庭には卒業を間近に控えた中学3年生と高校3年生のハレルヤコーラスの歌声が明るく響く。厳しい練習に耐えて磨き上げられた声は澄み切って美しい。
クリスマス礼拝は中学校と高校は別々に行われ、広く市民にも本物のクリスマスを公開している。クリスマス礼拝の中で演じられる聖劇は演劇部員を中心にボランティアを募り役割を担う。数年前に靴屋のマルチンが上演された。
聖劇を見ながら、かって保谷教会の教会学校の子ども達と過ごした学生時代を懐かしく思い出していた。保谷教会で牧会をしておられた白髭先生はドストエフスキーやトルストイに造詣が深く、よく説教の中で引用されていた。いつまでも若々しく情熱と正義に満ちた先生の説教は私の喜びであった。
ある年のクリスマスに私にとっては耳新しいトルストイの「靴屋のマルチン」を教会学校の子どもたちにやらせようと提案なさった。保谷教会は若くて多彩な人材がそろっており、さっそく準備に取り掛かった。美術関係の仕事をしておられた方は見事な舞台のセットを準備してくださった。かつての保谷教会は東京老人ホームの一角にあり、入所されているお年寄りの礼拝出席が多く、かわいい子どもたちが演ずる靴屋のマルチンは大盛況を博した。あれから30数年の歳月が流れたのだから教会学校の子ども達も立派な大人となって社会の中で活躍しておられるのだろう。きっと、神様の恵みの中を歩んでおられると確信する。
靴屋のマルチンはこの聖句を主題としている。この聖句に出会って以来、私の生きていく上の信条になってきたと思う。私への励ましであり、警告でもある。
今年のクリスマスにはどんな出会いが待っているのだろう。クリスマス礼拝のフィナーレを飾るハレルヤコーラスが待ちどおしい。献金を捧げる会衆一人ひとりの思いは、いと小さき者へと注がれていると信じている。

宣教会議

本年度の宣教会議は、「教会財務現状・点検・将来構想の予備構築」と「PM方策の必要な継承と見直しも含めた、次期方策案作成」、それに「給与検討委員会の最終報告の概要」を主要議題として、10月7日(水)午後1時から8日(木)正午にかけて、ルーテル市ヶ谷センター第2会議室で、本教会の議長と4役、事務局スタッフ、各教区長、2名の各教区常議員(会計・財務、伝道・奉仕部長)、それに財務委員とPM1、2の関係者が加わって開かれた。
「教会財務」のセッションでは昨今の、世界及び日本経済・金融関係の破綻・低迷とそれと無関係でない各個教会・教区及び本教会における厳しい教会財政の現状を受け止めて、今後の財務方針として本教会の全体予算並びに収益事業の現況と問題性及び大胆な予算の削減も含めた諸課題に抜本的に取り組むことへの共通認識を深めた。
さらに、「方策案作成」では、過去の、第1次から第4次綜合方策を正当に継承し、かつ現行のPM方策(期限2012年度まで)を補完しつつ、新たな時代状況の中で、現状の刷新と変革も含めての教会の成長と発展を図るために、来年2010年5月に開催される本教会総会に「第24総会期宣教方策」を提案するための、方策期間・作業日程・責任主体、及び想定される標語・基本方針・主要・諸課題等について協議した。
(宣教室長 青田勇)

全国ディアコニアネットワークセミナー

10月12日、全国ディアコニアネットワークのセミナーが、デンマーク牧場で開かれた。児童養護施設まきばの家と自立援助ホームこどもの家の働きについて松田施設長より、特別養護老人ホームディアコニアの働きについて山本施設長より、精神科診療所こひつじ診療所の働きについて武井院長より、それぞれ話をうかがった。
傷ついた子どもたちと寄り添い生きることは、職員たちに大変な苦労がある。老人ホームは50床で開所し現在は80床となり、経営は落ち着いている。両施設の間に位置する診療所は職員たちの心の支えとなっており、地域および県内広域からの通院者も多い。
翌日は聖隷クリストファー大学を訪問、同大学の山本先生より歴史資料館を通し、故長谷川保氏の結核病棟開設から現在のホスピス設立に至るまでの働きを聞くことができた。1泊2日のセミナー参加は35名、現地参加職員と講師も含めると45名であった。
聖書が私たちに隣人のためどのように生きるべきかを示す道は2つある。イザヤ58章6~7節にある内容だが、それは悪のくびきを折ることと、窮乏への助けである。その両方とも必要であり、初日の夜には聖書研究でそのことの学びと意見交換をした。
(掛川・菊川教会 内藤新吾)

信徒の目から見た牧師補研修

去る10月19、20日の2日間に2009年度牧師補中間研修が福岡県筑紫野市にある二日市教会で行われました。教会に入ると研修がスムーズに進むようご配慮くださった野口先生のお心配りを感じることができました。
牧師補研修は按手を受け牧師補として各教会に派遣された新任の先生方が牧師として一人立ちされるまでに受ける研修で年3回のプログラムです。親が子どもの成長を気にかけるようなルーテル教会特有の暖かさをもった研修です。
今回は汲田真帆、小山茂、鷲見達也、崔大凡の4名の先生方の中間研修でした。それぞれ派遣された教会の客観的分析と宣教課題、ビデオによる礼拝司式と説教の見直し、指導牧師と信徒による評価報告等が発表されます。今春、希望と不安を胸に任地に向かわれた先生方からは半年過しただけとは思えない、しっかりした牧会生活が伺え頼もしく感じました。
各個教会の問題を抱えながらそれらを真摯に受け止め、信徒のことを真剣に考え、福音宣教のために努力されています。教会に遣わされた最初の一年に先輩牧師のアドバイスを得る機会があることは支えになるでしょう。
研修を有意義なものとするためには指導する側、される側の信頼関係に基づいた自由な意見交換が欠かせないものと思います。そして神学生としての宣教研修がとても大切で牧師の良き指導の下、充実した学びができることが牧師補としての働きに直結するものと感じます。そのために信徒も神学生と積極的に関わり協力して行きたいものです。
三鷹教会 宮澤美紀江
(牧師補研修委員)

北海道特別教区修養会

10月12日~13日、「えぞキリシタンの歴史を学ぶ」をテーマとして北海道特別教区修養会が行われ、道外からの4名を含む67名の兄弟姉妹がともに函館に集いました。
松前地方の大千軒岳には、本州から迫害を避けて逃れ、金山に鉱夫として隠れ住んだキリシタンが信仰共同体を作り、うち106人が処刑された記録が残っています。
1日目は函館教会を会場として、現地実行委員による発表やスライドショー、また2日目は場所をトラピスト修道院に移し、実際に千軒岳で殉教記念ミサを執り行っておられる小山昭司祭と上野博司兄による講演を通して、迫害の時代を主に結ばれて生きた、名前も伝わっていない殉教者たちのできごとを聴き、信仰を振り返る機会をもちました。
教会間に距離があり、それぞれの群れも決して大きくない北海道では、共に集まることそのものが大きな励ましです。開会礼拝・派遣礼拝、あるいはトラピスト修道院の聖堂で合わせた讃美の声の大きさに、これからの寒さが厳しくなる季節を、乗り越える力をいただきました。
(恵み野教会牧師 西川 晶子)

「求道者の旅(日本語版)」が出版されました

「信仰とかけてなんと解く?」「おでんと解く。その心は、具の持ち味が溶けあって、後になって旨味が増します」
煮込み料理はたいてい翌日のほうがおいしくなります。一晩おくことで素材の旨味がじっくり全体にしみ込むからでしょう。信仰の旅路もきっとそうなんだろう。デール先生の「求道者の旅」を読んで思いました。
アメリカ中西部の保守的な町から大都市東京へ。神学を教えつつカウンセリングや心理学研究へ。退職後に選んだ居住区は進歩的なコミュニティー。種々雑多で相反する価値観や信仰観との遭遇。肉も魚もチーズも豆腐も、全部盛りのちゃんこ鍋。文化と言語、神学と心理学、保守的信仰と進歩的信仰が衝突し混じり合う苦悩と探求。そこから紡ぎ出されたのは、意外にも、教会の歴史と伝統を改めて問い直すという手法でした。現役時代にはなかった切り口とまろやかな言葉で、引退した今、先生の求道の旅が明かされます。いい味が出ています。
(世界宣教主事 浅野 直樹)

年末の連帯献金のお願い

共に生きるための働きに、ご協力ください。
■ブラジル伝道
■メコン(カンボジア宣教・子ども支援)
■パレスチナ(ベツレヘムの学校、カレッジ支援)
■釜ヶ崎活動(喜望の家)
■災害緊急支援
■その他(世界宣教の働き)
振込先【郵便振替】
00190-7-71734 日本福音ルーテル教会

事務局よりお願い

神学校奨学金献金をよろしくお願いいたします。

変更のお知らせ

■稔台教会のFAX番号が従来の電話番号と共用になりました。
電話・FAX共用 047-362-4857
■川口 誠先生(引退教師)の住居表示が、変更されました。
住所:〒431-0427 静岡県湖西市駅南3丁目2番57号

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