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機関紙るうてる

るうてる《福音版》2008年6月号

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バイブルメッセージ  支えられてこそ立てる

そこで、イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る」
ルカによる福音書13章18~19節(日本聖書協会・新共同訳)

美瑛の丘はいつ訪れても美しい。この丘は前田真三氏の写真集で紹介され、多くの人の知るところとなった。わたしもその一人だ。
幾重にも続く丘を彩る多様な畑の幾何学模様。表情豊かな木々。冬は一変して一面の雪原となり、木々はその上に、版画にも似た線模様を描く。
もとは原生林だったところが開拓されて、このような丘は出来た。だからその風景は人工的でもある。けれど開拓者たちは、自然との調和を破壊しないように細心の注意を払った。結果、天地に交響する極上の風景が創出された。
最初に訪れたとき、強く心惹かれる一本の木に出会った。麦畑の中に大きな木が凜と立っている。見る角度によっては、ややかしいで見える。絶えず一方から風を受け続けたのだろう。永い風雪に耐えてきたのだ。それは大空と大地の間に屹立しながらも周囲と調和し、その風景を、一幅の名画のような味わいにしている。
この根の総延長を、肉眼では見えないような根毛までも含めて実測すれば、どれほどになるのだろうか。地球を一周してもまだ余るのではないか。でたらめを言っているのではない。アイオワ州立大学で、ガラスの容器で育てた一本のライ麦の根の総延長を計ったところ、何と11200㎞になったという話(五木寛之「人生の目的」)から想像してのことである。
深く根を張り、天に向かって伸びゆく木。人もまたこのようでありたい。人の命の根は見えない。けれどもその根は永遠の大地に支えられている。永遠の大地は神。支えられてこそしっかり立てる。根を張ってこそ凜と立てる。
このごろ無惨に若木の根が切られて倒れるのを見て心痛む。切られてと言うより、自らその根を切っているのだ。自然の若木のことではない。人間のことだ。「だれでもいいから殺したかった」とうそぶく青年。どうして早々に、人生を諦め、命を呪い、人間としての根を断とうとするのだろうか。
心惹かれる木に何度も会いに行った。その木が「哲学の木」と呼ばれていることを後で知った。その風情が、人は何処に立つのか、自ずと省みさせるからだろうか。
自分の命の根を思おう。そして凜と立とう。命の大地は神。この永遠の大地にひとりひとりの命は根ざし、支えられているのだ。(K.S)

十字架の道行き

【第三留】イエス、一度目に倒れる

【祈りの言葉】
主よ、あなたは苦しみと、痛みの中で力もつき、十字架のもとに倒れられます。負うべき自分の十字架が、自分の力を越えたものに見え、苦しみと疲れに「もうだめだ」というひと言がもれる時、あなたを思い起こさせてください。

人形制作/杉岡広子 http://www.bibledollministry.com/

毎日あくしゅ

敏感期

登園すると決まって積み木で遊ぶ園児がいます。ブランコに一番に出かける子、砂場で団子を作る子、あるいは絵を描くというように様々です。多くの子どもが、毎日繰り返しその同じ遊び(作業)に熱中します。それを園児たちは自分の納得のいくまで繰り返します。これは子どもが抱いているあるがままの自然な姿でもあり、興味や意志の表現です。その時、子どもの中には、自分の内部に秘めている興味やこだわりが芽生えてくる時があります。もちろんそれぞれの子どもの興味は異なり、時期は違います。
このある特定の時期に芽生える特別な興味を大切にすることを提唱したのが、マリア・モンテッソーリ女史で、この時期を「敏感期」と呼んでいます。
彼女は、1870年生まれのイタリア人女性医師で、専門は、貧しい地域の発達の遅れた障碍児の研究でした。彼女は知能の発達の遅い子ども達を、健全な普通児と同じくらいに学習できるようにしようとの使命に燃え、子ども達を深く観察しつづけ、やがて「モンテッソーリメソッド」と呼ばれる独自の教育方法を編み出し、やがて彼女の教育法は世界的に広まり、21世紀を迎えた現代、多くの教育専門家により再評価されています。
この子どもの「敏感期」は、極めて大切な時期で、この敏感期を逃すとその後その能力を獲得するのに、大変な労力を要さなければならなくなると言われています。
親や教師に一番大切なことは、子どもの活動を背後から見守り必要とされる時に手助けをする、助手のような役割で、無理強いをせず、その子の取り組んでいる課題に常に気を配ってまとめあげていくことでしょう。
大人はよかれと思って、あるいは、しばしば自分の都合で、子どもの興味を取り上げてしまうことがあります。そんなとき、チョッと深呼吸して、もちろんグッと我慢して、大人の目ではなく、子どもの今しかない「敏感期」を大切に見守り、育てて行きたいものです。
(園長)

谷センセイの教育い・ろ・は

第3回 ギリシアの教育に学ぶ その1

イエスの死後、弟子たちは各地で伝道を始めました。と同時に、各地でユダヤ教の法律主義者やギリシア哲学者たちとの論争に巻き込まれました。その有様は聖書の使徒言行録の中に見られ、当時のやり取りが活写されています。
このような宗教対立、文明間の違いによる軋轢は世界各地で頻発しました。日本での場合は、奈良時代に仏教が伝来した時、民間信仰との衝突がありました。安土桃山時代にはキリスト教が広まるにつれ、幕府の禁教政策、探索が厳しく行われました。
江戸末期の黒船到来は、日本の力づくで鎖国から開国に追い込んだ出来事でした。前回のキリスト教の弾圧とは違って、短期間に結論を出し、巧みに処理したといえます。
当時の為政者だった江戸幕府は、新進気鋭の若い武士たちを海外に派遣し、欧米先進国の政治、経済、学問、文学などを学ばせ、国家の改造に着手しました。西洋文明の根源をギリシアに求め、哲人ソクラテスやプラトンらの考えを進んで取り込もうとしました。
江戸末期の蘭学者たちや海外留学の経験者だった福沢諭吉らの提言もあり、明治5年には早くも小・中学校の修身教科書に、西洋の偉人伝が数多く登場したのでした。
このような法治国家としての体裁を整えるため、義務教育制度を発足させた先人たちの慧眼、ならびに周到な計画には、ほとほと感心させられます。しかし、明治20年代になると、風向きが変わって、改革が国情に合わないと、教育方針は富国強兵、殖産興業の国家主義的な方向に舵が切られていきます。その結果、教育勅語の発布になっていくのでした。

ソクラテス(前469~399)は、アテナイの最盛期の時代に活躍した哲学者です。
彼は街頭で若い市民相手に語り合い、論じ合うのを日課にしておりました。ソクラテス自身は1字も書き残していないので、その逸話の多くは、弟子のプラトンが書いたものによって知ることができます。逸話で最も有名なのが、人民裁判によって死刑判決を宣告され、国外逃亡もできたのに、あえて毒杯を仰いだ事件でした。友人や弟子は、裁判が不当だとしたら、生き延びてでもして、身の潔白を説くべきだと勧めましたが、ソクラテスは静かに死を選びました。
モンテーニュは、彼の死を「思索のために、力みも興奮もせずに、平静なむしろ無関心といってよいほどの言動を保ち、静かに死を噛みしめていた」と称賛しています。ソクラテスの精神的完成の姿を的確に表現したものといえるでしょう。

次回は、アテナイの学校について、述べることにします。

谷 健(たにけん)…昭和5年7月生まれ。東京都の公立小学校7校の勤務。専門は英語、道徳。道徳副読本の編集に従事。

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