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機関紙るうてる

るうてる2019年9月号

説教「いつもあなたがたと共にいる」

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「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」(ヨハネによる福音書15・5)

だいぶ前から、私は長い時間を庭の植物や木の世話に費やしてきました。ほとんど毎日庭に出て、調子はどうか、ちゃんと生きているか確認しています。様々な木について、多くのことを学びました。どのように新しい葉が伸び、古い葉が黄色になって、地面に落ちるのかも学びました。
 私たちにとってなじみ深い枝のイメージによって、キリストにつながっていることの大切さを改めて教えてくれます。ぶどうの木と枝のイメージは特定の時代や場所に限定されていません。
 イエスは弟子たちに対して(つまり私たちに対して)こう語ります。イエスと弟子たちとの関係はぶどうの木と枝のようなものです。とても単純なイメージです。単純でありながら、神秘的でもある表現だと思います。
 木と枝のイメージは、とりのぞく、手入れをすることとの対比を通じて「つながっている」ことについて語ります。ここで「つながる」と訳されている聖書の言葉は、単なる物理的なつながりだけではなく、ちょうど母親の胸に抱かれる赤子のように、全てを委ねて安らぐという意味があります。
 聖書箇所をよく読んでみますと、ぶどうの木と枝一本一本は、弟子たちと(私たちと)キリストとの親しい関係が、実を結ぶ力(神を愛することと隣人を愛すること)の源であることを表しているのです。
 生きているものはみな実を結ぶものだという事実が分かります。キリストは私たちが実り多い人生を送ることを期待しているのです。ここでイエスが弟子たちに語っている言葉は単なる励ましのことばではありません。実を結ぶためには栄養が必要だということを思い起こさせているのです。枝は木から命を得て実を結びます。イエスは必要な栄養を与えると約束しているのです。その栄養とは、イエスの言葉です。私たちがぶどうの木につながり、一体となっていれば、私たちも成長できます。
 
 つながっている命は豊かな命です。つながっていれば、神様を愛し、隣人も愛するのは自然な結果と言えます。
 ぶどうの木と枝のイメージから、私たちはキリストに頼っていることを改めて思い起こします。枝が木から切り離されれば、多かれ少なかれ、枝は死にます。枝は木によって支えられ、養われていればこそ実を結びます。
 ここで私が申し上げたいのは、私たちが命の源、イエスと私たちとの関係のうちに見出される命とつながっていれば、「神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださる」(一ヨハ4・13)。このことによって信仰と愛が可能になるのです。
 聖書の言葉によれば弟子たちは実を結ぶよう命じられていますが、「枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたし(キリスト)につながっていなければ実を結ぶことができない」(口語訳15・4)のです(つまり愛すること自体が無理なのです)。つまるところ、始まりは神にあるのです。神が私たち一人一人に愛の種をまいて下さいます。それは私たちが実を結ぶのに役立つのです。
 ぶどうの木は枝まで含んだぶどうの木全体です。枝はぶどうの木の一部ですが、成長したところで木の幹の代わりになることはできません。枝自身のうちには命はありません。命と愛はぶどうの木にあり、私たちが木につながっていれば、その命と愛がわたしたちの命と愛になるのです。
 イエスの「私は木である」という言葉には、約束が含まれています。私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。この言葉が命令や断定ではなく、招き、そして約束であるのは明らかです。「もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる」(口語訳)という言葉です。そしてそれに続いて「わたしから離れては、あなたがたは何一つできない」(口語訳)とあります。イエスにつながっていることは、豊かな実を結ぶ上でとても大切なことなのです。
ジェームス・サック(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校教授)            

コラム「直線通り」久保彩奈

⑱「あなたがたは世の光である」(マタイによる福音書5・14)

 ある日の炊き出しで配食の列に初めて見る人がいたので「初めてですよね?」と話しかけました。わたしと年齢がさほど離れていないであろうこの若い男性は「食事だけでも助かります」と言って去って行きました。
 次の炊き出しの日。また同じ男性が列に並んでいたので、近づくと「今日2回目なんです」と言われたので「覚えていますよ」と返すと「この前はありがとうございました。何かお返ししたいんだけど、何もできないから。これを作ったから、受け取ってくれませんか」そう言って彼が差し出したのは3枚の紙でした。童話を書くことが好きらしく、炊き出しで感じたことを1つの物語にしてくれました。
 この童話はウミガメくんと深海魚さんの物語。光を感じられないため世界が見えない深海魚さんのために、ウミガメくんは世界を見るための装置を作ります。互いのちからを信じ合い、様々な工夫を凝らしてついに世界をはじめて見ることができた深海魚さんは「生きてる」ことを実感します。そして物語のさいご、2人を温かく見守ってきた太陽さんは、彼らの友情をみて「希望という名にふさわしい」と語ります。
 光を共有すること、これこそ希望なのだと語るこの物語に、イエスの冒頭の言葉が思い起こされました。わたしも、都心の雑踏の中、貧しく低くされた者とともに光を感じ、希望を共有する者でありたいと願うのです。

 東京都渋谷で野宿者支援活動に12年携わり、ここ6年は代表として月2回の炊き出しと法律の専門家による生活支援を行っています。私が属する本郷教会や勤務する聖望学園の生徒や卒業生、早稲田奉仕園の学生や近隣教会の人びとと一緒に活動しています。名前は「ちかちゅう給食」。15年前地下駐車場で始めたことから、野宿の人びとからそう呼ばれています。)

議長コラム9月号[議長室から] 大柴譲治「パラダイムシフト~コップ半分の水」

ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。」(二コリ4・7)

 「パラダイムシフト」という言葉があります。「それまで(当然と思っていた)考え方や価値観、構造の基本的な枠組みを劇的に別のものに組み替える、シフトさせる」という意味の言葉です。私たちが人生の途上でキリストと出会い、キリストを信じる信仰を神から賜るということもまた、それまでとは全く違った生き方・価値観へと招き入れられるという意味で「パラダイムシフト」でありましょう。それは聖書では「メタノイア(回心・悔い改め)」と呼ばれる出来事と重なります。
 例えばここにコップ半分の水があります。「50%の水」という現実は一つなのですが、それを受け止める仕方には実は二通りある。50%の水を「もはや半分しかない」と見るか、「まだ半分もある」と見るか、二つの見方です。前者は100%を基準として見ていて、そこからマイナスしてもう半分しか残っていないと判断しているのです。実はその時に見ているのは水が入っている部分ではなくて水が入っていない空っぽの上半分です。後者は0%を基準としつつ水の入っている下半分を見ていて、水はまだ半分あると判断しています。英語で言うと事柄はさらにはっきりします。「もう半分しかない」というのは「half empty(半分空っぽ)」、「まだ半分もある」というのは「half full(半分いっぱい)」と言うのです。コップ半分の水という現実を巡っても二つの対極的な見方があることを押さえて起きたいと思います。自分の拠って立つ足場によって世界は二つの様相を呈するのです。
 日々の生活の中で私たちは、ともすれば「あれもない、これもない」、「あれが欲しい、これも欲しい」と無い物ねだりをしがちです。無意識的に100%を基準にしてすべてをマイナスで見てゆく捉え方をしている。だから頑張れるという面もありましょう。しかし、打ち砕かれる中でキリストとの出会いを経験した者は、自らが空っぽの存在でしかないこと、神の前に無でありゼロでしかないということをとことん知らされます。自分が空の器でしかないことを知った者は同時に、パウロと共に、そのような土の器である自分自身の中にこそイエス・キリストという神の宝が収められているという神の恵みの事実を知らされます。その意味でキリストにおいて常に神の私たちに対する恵みは「full」なのです。この「並外れて偉大な力」は神から出たものであって、人から出たものではないことを私たちは知っています。これを「神の恩寵によるパラダイムシフト」とも呼ぶことができましょう。まさに「恩寵義認」ですね。

プロジェクト3・11 いわき食品放射能計測所の現在

明石義信(日本基督教団常磐教会牧師・いわき食品放射能計測所代表)

 東京電力福島第一原子力発電所水素爆発事故から8年を経過し、オリンピックまで残り1年となった今、復興オリンピックの象徴的な場所として福島に注目が集まっています。
7月24日に福島第二原発の廃炉が福島県に正式通告され、県民健康調査の検討委員会の評価が発信されました。健康調査自体が取りやめになる可能性も検討されています。
 ICRP(国際放射線防護委員会)勧告が見直される動きがあり、年間1ミリシーベルトという被曝制限値が引上げられようとしています。これにより帰還者が増えて、復興が進んでいる様子が「見える化」されるという仕組みです。福島県民の私たちは、この流れに従って、復興した姿を受け入れなければならないのでしょうか?一方では廃炉の計画は大きく遅れ、トリチウム水の処理の方法も決定していません。いわき食品放射能計測所では毎月のように、市内の路上のコケの計測をしています。セシウムの数値が300~3500ベクレル以上も計測されています。18名の子ども達が、甲状腺がんの罹患者数から抜け落ちていたことが明らかになったのもつい先日のことです。時間の経過が「もう大丈夫」という認識を広める裏付けとなり、オリンピックで注目を集めることで風評被害や被災地という印象を変えてくれるというのでしょうか。事実として汚染が無くなったわけではないこと、汚染物の中間処理も予定通りに進んでいないこと、最終処分の方法が決まらないままになっているのです。あの大きな被害から感じ取ったはずの、「大切にし、優先しなければいけないはずの人の命」と「安心できる生活の場の確保」が後回しにされてゆく図式が、この復興オリンピックという一大イベントの背後に隠されていると感じるのです。ですから「いわき食品放射能計測所」は、この働きを続けていかなければならないのです。警告の灯を燈し続けなければならないのです。

賛美歌と私たち

③明治版『讃美歌』小澤周平(名古屋めぐみ教会牧師)
 『新撰讃美歌』(1888年)の後、さらに、複数の教派が合流したプロテスタント教会の超教派による潮流は、『讃美歌』(1903年)を発行するに至りました。この歌集は、改訂や第二編との合本等を経て、当時、広く使われた歌集の一つとなりました。今でも「明治版『讃美歌』」として知名度は高く、当時、多くの日本のルーテル教会でも用いられていたと考えられます。あの、「かみはわがやぐら」も収録(図は国会図書館のデジタルアーカイブより)。興味深いのは、485番の「十戒」の後、日本語ページの巻末に、「君が代」が収められていること。収録理由は、現在、研究者の間でも確たる根拠を見出していません。
 各個教会では、その他の小歌集も確認されています。その一つ、1910年にミンキネン、溝口弾一らが編集した『あがなひの歌』が、諏訪地方の教会で使われていました。歌詞のみ、約40曲収録。1903年11月に佐賀に到着したフィンランド人宣教師らは、アメリカのルーテル教会の宣教活動に協力しながら、自らの活動を模索。きっと、賛美歌の情報も集まっていたことでしょう。1905年7月には諏訪に至り、当時の機関誌『救の証』で同国の歌集から翻訳を試み始めたようです。
 『あがなひの歌』自体には引用情報がないため、現在のフィンランド福音ルーテル教会の歌集から推測します。すると、『教会讃美歌』の「力なる神は」や「あめよりくだりて」に似た歌詞が確認できます。また、同歌集の「附録 ダビデの裔ホザナよ」は、現在、「ダビデのこ、ホサナ」として知られる賛美歌のことでしょう。これは、18世紀末のスウェーデンの福音ルーテル教会にルーツを持つ賛美歌です。『教会讃美歌』には収録されませんでしたが、『教会学校さんびか』や『こどもさんびか』(1966年以降で確認)を経て、『讃美歌21』では307番に収録。
 しみじみ、歴史を感じます。もし、皆様の地域で、独自の賛美歌や歌集が見つかりましたら、是非、ご一報を。(続く)ご支援ご協力をお願い申し上げます。

全国ディアコニアネットワーク秋のセミナーのご案内
 今回のセミナーでは、今日の日本社会においても私たちの教会においても向き合い、取り組まなければならない「高齢化」を取り上げ、学びます。
 テーマ「今日という日は、あなたの生涯の残された第一の日である」
日時 10月13日(日)16時~14日(月)12時
会場 13日(日)博多教会・14日(月)特別養護老人ホーム「よりあいの森」
プログラム(予定)
13日 開会礼拝・岩切雄太牧師/講演�「よりあい」が大切にしているもの・村瀬孝生氏「よりあいの森」
施設長/講演�「教会と高齢化、そして地域」・角本浩牧師 14日 施設見学(よりあいの森)
参加費 4000円(交通費・食費・宿泊費は各自手配・実費負担となります。)
申込先 FAX043(244)8018(千葉教会)
Eメールchiba@jelc.or.jp
※氏名(ふりがな)・住所・所属教会または施設・連絡先電話番号・メールアドレスをお知らせください

問合せ 電話043(244)8008(千葉教会)・t-koizumi@jelc.or.jp小泉嗣(全国ディアコニアネットワーク代表)まで

NCC(日本キリスト教協議会)主催・宣教会議報告 永吉秀人(蒲田教会牧師・宣教室長)

 2019年7月14~16日、NCC創立70周年記念礼拝に始まるNCC宣教会議が東京・水道橋の在日本韓国YMCAならびに西早稲田の日本キリスト教会館にて行われた。日本福音ルーテル教会執行部では今年をNCC活動についての学習年と意識しており、NCC主催による宣教会議への出席は好機となった。学習すべき理由は、NCC諸部門の働きに対して主に東教区の教職と信徒が委員として貢献されてきたが、担当者の派遣に留まり、分かち合いが不充分であったとの反省からである。
 そもそもNCCとは、前身は1923年にプロテスタント教界のつながりと海外教会の窓口として日本基督教連盟が設立されたが、1941年に国家の宗教政策で日本基督教団が設立されると共に解散した。戦後、日本基督教団から旧教派が離脱することによって、再び国内教会間の連絡役と海外教会との窓口が必要となり、1948年5月に日本基督教協議会(後に日本キリスト教協議会)が発足した。NCCの活動は30の加盟教団(教会)と団体により、「命の痛み」に共感することを基本姿勢とし、一致、平和、人権、国際協力、諸宗教との対話を課題として取り組まれている。
 NCC創立70周年記念礼拝では、総幹事の金性済牧師より45分間にわたる熱いメッセージが語られた。特に印象に残ったのは、「原稿にはないのですが」と前置きされた上であえて語られた、「人と人とのつながりが希薄になっている」との警鐘の言葉であった。大いに共感するところである。
 また、礼拝に続くパネルディスカッションでは、エキュメニカル運動について語られた。エキュメニカルとは、様々な教派や団体が一致連帯して宣教を考えることである。命の痛みに共感し、生きにくい世界を変えるためには、まず「わたし」から変わらなければならない。そのための一歩を象徴する言葉がパネラーから語られた、「わたしが変わるためには隣人が必要。だからNCCが必要」と。

ブックレビューNCCドイツ語圏教会関係委員会編

「いま、宗教改革を生きる―耳を傾け 共に歩む―」(いのちのことば社 2019) 江口再起(ルーテル学院大学教授・ルター研究所所長)
 2016年春(宗教改革500年の前年)、ドイツとスイスのプロテスタント教会(ルター派および改革派)の使節団が来日した。教会で説教し、講演を行い、コンサートを開き、各地を訪問した(4月24日にはルーテル東京教会でも説教をした)。
 改めて宗教改革の意義を問い共に考えるためである。日本側は日本キリスト教協議会(NCC)の主催で開催された日独教会協議会。本書はその報告書である。多くの説教、講演、そして訪問先での研修の報告が収録されている。約280頁、けっこうな大冊である。
 さて今日、宗教改革の意義を問うとは、どういうことか。ズバリ一口で言えば、教会と社会との関係ということである。別の言葉で言えば、現代社会の中で教会の使命はどこにあるのか、という問題である。もっとハッキリ言えば「ディアコニア」の問題である。使節団の訪問先が、千葉にある先の戦争で暴力や売春の被害にあった女性を保護してきた施設「かにた婦人の村」や、フクシマであったことに、それは表れている。
 「ディアコニア」という言葉はふつう「仕える・奉仕・福祉活動」と訳されるが、やや語感が古くさくわかりづらい。今日風に考え簡単に言えば「助ける」ということであろう。みんなで共に助け合うということである。
 講演の中から一つ紹介しておこう。マルゴット・ケースマンさんの「信仰と霊性のディアコニアとの関わり」である(彼女の肩書きは、ドイツ福音主義教会連盟宗教改革記念事業特命大使、元同連盟議長。長すぎる!ドイツ的?)。彼女はディアコニアの意義を、ルターの『キリスト者の自由』に基づいて説く。つまり神によって解放され自由にされたがゆえに、自由に隣人を助けることができる存在(仕える僕)、それが人間である、ということに注目する。当を得ていると思う。
 多くの方に、本書を読んでいただきたいと思う。

教区長会報告 内藤 文子(栄光・掛川菊川・知多教会牧師・東海教区長)

 2019年7月8~10日、教区長会(第1回人事委員会を含む)が沖縄キリスト教センターを宿泊地として開かれた。初めて教区長となった私としては少し緊張気味に出席したが、沖縄の熱い暑い海風に抱かれて、胸に刻まれる貴重な経験となった。
 人事委員会は例年にも増して、牧師減に直面し不安が増すが、ただ一心に「神よ、この困難に直面する教会を救いたまえ。御心が成りますように。」と願い祈るのみだ。
 来春までに、宣教協力体制を整え、人事計画を推し進めねばならない。
 場所が「沖縄」となったのは、平和研修として、激しい戦争の傷跡をもち、復帰後、さらに軍事基地がもたらす命が脅かされている現場を知るフィールドワークが必要とされたからである。どれだけの犠牲が沖縄県民にのしかかっているか、胸が押しつぶされる思いだった。行ったのは「嘉手納基地」「普天間基地」「チビチリガマ」「辺野古新基地・ヘリ基地を反対する協議会の5000日余りを継続して座り込む人たちとの交わり」、「南部戦跡」を巡った。佐喜眞美術館では、丸木位里・丸木俊夫妻の「沖縄戦の図」の前に体を動かすことが出来なくなった。沖縄の牧会者との交流として、神谷武宏牧師(普天間バプテスト教会)より、教会付属の緑ケ丘保育園の上を飛ぶ米軍機との訴訟で園の母親たちと神谷牧師が、命を守る戦いを続けている現状のお話頂いた。
 私にとって一番の記憶は、1日目「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」。夕方6~7時、(毎週行われている超教派・時には仏教の方も)。みんなで聖書のみ言葉を読み、讃美歌を歌った。祈りを頼まれ、「NOオスプレイ!NOレイプ!NO基地」と掲げられたのろし(琉球語で「ぬるし」)のことばを平和の思いで捧げた。
 3日間を通じて、車を運転し、沖縄のガイドを務めてくださったのは、セミナーハウスの館長である又吉京子さん。小柄ながら、溢れんばかりのパワーを受けた。日本キリスト教団首里教会の信徒の方。首里教会も見学。沖縄戦でぼろぼろに銃撃を受けた教会。銃撃された十字架が改築された教会の上に掲げられている。

日本福音ルーテル教会教師試験実施のお知らせ

2019年度「日本福音ルーテル教会教師試験」を下記要領にて実施いたします。
教師志願者は必要書類を整え、教会事務局にご提出くださいますよう、お知らせします。
  記
〈提出書類〉
◇教師志願書
◇志願理由書
・テーマ「なぜ『日本福音ルーテル教会の教師』を志願するのか―あなたが考える宣教課題をふまえてー」
・書式 A4横書き
 フォントサイズ11ポイント
◇履歴書(学歴、職歴、信仰暦、家庭状況等を記入すること)
◇教籍謄本(所属教会教籍簿の写し)
◇成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書
(法務局交付のもの。任用試験時に必要になります)
◇所属教会牧師の推薦書
◇神学校卒業(見込)証明書及び推薦書
◇健康診断書(事務局に所定の用紙があります)

〈提出先〉
日本福音ルーテル教会
常議員会長 大柴譲治宛

〈提出期限(期限厳守)〉
2019年9月25日(水)午後5時までに教会事務局へ提出すること

〈試験日及び試験内容〉
志願者本人に直接連絡します。

改訂共通日課(RCL)の2020年版教会手帳への記載について

 2019年版教会手帳までは教会暦の日課については1996年版「ルーテル教会式文(礼拝と諸式)」(以下、「青式文」)巻末に掲載されている教会暦の聖書日課に基づいて記載され、日々の聖書日課については、JELC式文委員会で作成したものが記載されてきました。今年10月発売予定の2020年版教会手帳からは、教会暦ならびに日々の聖書日課について、改訂共通日課(Revised Common Lectionary 以下、RCL)に基づいて記載されることとなります。
 これまで教会手帳に記載されてきた3年周期の教会暦の聖書日課は「青式文」と共に式文委員会によって作成されましたが、その原型となったのは1983年に北米のエキュメニカルな諸教派の協働によって作成された共通日課(Common Lectionary 以下、CL)でした。その後9年間の試用期間を経て、1992年には若干の修正を加えた改訂共通日課(RCL)が作成され、さらに2005年には3年周期の「日々の聖書日課」が作成されました。現在では北米に留まらず世界中の多くの教会で日々の聖書日課を含む改訂共通日課(RCL)が用いられ、主日の礼拝において、また日々の祈りにおいて、共通のみ言葉によって養われる恵みに与っています。
 共通日課(CL)から改訂共通日課(RCL)への変更点をいくつか挙げると、まず主日の3つの朗読箇所の関連性を深めることが求められ、特に旧約の日課について見直しがなされました。また女性が活躍する箇所が省略されがちであるという指摘を受け、全体として見直されました。同時に、キリスト教会における反ユダヤ主義を助長しかねない選択の仕方について見直しがなされました。また全体としてヨハネ福音書の配分が増やされました。これらの情報については、インターネットWEBサイト、lectionary.library.vanderbilt.edu(英語)でより詳しく知ることが
できます。
 なお改訂共通日課(RCL)では聖霊降臨後の主日の旧約朗読箇所として、その日の福音の朗読との関連性を重視した従来の主題型に加えて、期節の主題に関連する比較的長い旧約の箇所を継続して読み進めることを目的とした通読型も選択肢として提示されています。しかし式文委員会で検討の結果、その日の福音の朗読との関連を重視し、引き続き主題型が採用されることとなりました。また日々の聖書日課について、改訂共通日課(RCL)に基づいて記載することとなりました。
 これまでのルーテル教会3年周期聖書日課は2020年版以降の教会手帳には記載されませんが、今後3年分については事務局で一覧表を作成し、各牧師に配信いたします。それ以降については、「青式文」の巻末に記載されている聖書日課表でご確認ください。(事務局)

ルーテル学院創立110周年記念一日神学校 こどもしんがっこう・TEENSプログラムのご案内

 恒例の幼児から小学生までのこどもを対象とした「こどもしんがっこう」、そして中高生世代を対象のTEENSプログラムが創立110周年記念となる今年の一日神学校においても開催されます。
 「こどもしんがっこう」では「きみにできること」をテーマに、大学や神学校の学生とともに。イエス様のなさったことを学び、自分達のできることを考えてみます。
 TEENSプログラムでは、JELC東教区教育部NEXTとNRK関東地区ジュニア・ユースとの共催として、「でぃあこにあ」(奉仕)をテーマに、JELA海外ワークキャンプ参加者の報告会やわかちあいプロジェクトスタッフによるワークショップを通して、今を生きる自分にとっての「でぃあこにあ」
について考えます。
 いずれも事前申し込み不要・当日受付となります。たくさんの子どもたち・ティーンズの参加をお待ちしています。

NCC(日本キリスト教協議会)主催・宣教会議報告 永吉秀人(蒲田教会牧師・宣教室長)

2019年7月14~16日、NCC創立70周年記念礼拝に始まるNCC宣教会議が東京・水道橋の在日本韓国YMCAならびに西早稲田の日本キリスト教会館にて行われた。日本福音ルーテル教会執行部では今年をNCC活動についての学習年と意識しており、NCC主催による宣教会議への出席は好機となった。学習すべき理由は、NCC諸部門の働きに対して主に東教区の教職と信徒が委員として貢献されてきたが、担当者の派遣に留まり、分かち合いが不充分であったとの反省からである。
 そもそもNCCとは、前身は1923年にプロテスタント教界のつながりと海外教会の窓口として日本基督教連盟が設立されたが、1941年に国家の宗教政策で日本基督教団が設立されると共に解散した。戦後、日本基督教団から旧教派が離脱することによって、再び国内教会間の連絡役と海外教会との窓口が必要となり、1948年5月に日本基督教協議会(後に日本キリスト教協議会)が発足した。NCCの活動は30の加盟教団(教会)と団体により、「命の痛み」に共感することを基本姿勢とし、一致、平和、人権、国際協力、諸宗教との対話を課題として取り組まれている。
 NCC創立70周年記念礼拝では、総幹事の金性済牧師より45分間にわたる熱いメッセージが語られた。特に印象に残ったのは、「原稿にはないのですが」と前置きされた上であえて語られた、「人と人とのつながりが希薄になっている」との警鐘の言葉であった。大いに共感するところである。
 また、礼拝に続くパネルディスカッションでは、エキュメニカル運動について語られた。エキュメニカルとは、様々な教派や団体が一致連帯して宣教を考えることである。命の痛みに共感し、生きにくい世界を変えるためには、まず「わたし」から変わらなければならない。そのための一歩を象徴する言葉がパネラーから語られた、「わたしが変わるためには隣人が必要。だからNCCが必要」と。

社会委員会コラム「教会と在日外国人の人権」李明生(田園調布教会牧師)

 日本福音ルーテル教会は、今年度より外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会」(略称「外キ協」)に加盟しました。外キ協は1987年に発足した全国的協議会で、NCC(日本キリスト教協議会)加盟の教派・団体だけでなく、カトリック教会や日本キリスト教会も発足当初から加わり、日本のエキュメニカル運動としては最も古くから全国的なネットワークを形成しているものの一つです。全ての外国人住民と日本人住民との共生社会の実現を教会の宣教課題として、発足当初は「外登法」改正運動に取り組みましたが、法制度の変更に伴って1998年から「外国人住民基本法」の制定運動に取り組んでいます。
 最近の日本社会では技能実習生が暴力や搾取に晒されているケースが明らかになってきました。今年4月から改定入管法がスタートしましたが、国際的な人権条約の見地から多くの問題が残されていることが指摘されています。日本は1995年に人種差別撤廃条約に加入し、その後の国連からの再三の勧告にもかかわらず、未だに条約に対応する包括的な人種差別を禁止する法律も、また外国人の人権の保護を規定する法律も整備していません。こうした現状の中で、外キ協は外国人住民基本法の制定を求める署名運動を約20年にわたって続けています。
 こうした運動は個々の信仰生活には関係無いのではないか、むしろ教会に人が集うことを邪魔するものではないか、という疑問もあるかもしれません。しかし、聖書で語られる主イエスの歩みに従い、一人一人の信仰生活が希望と恵みを分かち合うものとなるためには、欠かすことが出来ないものなのです。というのも、この社会で排除され痛みを負わされながらも声を挙げることの出来ない一人一人とキリスト者が真摯に向き合い、その痛みを分かち合う時こそ、希望と恵みが分かち合われる時であり、主イエスが共におられる時であることを聖書は様々な箇所で伝えているからです。キリストの教会の始まりの時から、多様な人々がそこに集い、希望と恵みを分かち合う群れとなってゆくことは常に宣教の課題であり続けているのです。

図版説明:多文化共生社会を考えるために、外キ協・マイノリティ宣教センター・NCC在日外国人の人権委員会が協働で発行したブックレット「からふるな仲間たち 第1集」。外国にルーツを持ちながら日本社会で暮らす方々のライフヒストリーと思いを「まんが」で紹介。現在第2集まで発行されている。

改訂共通日課(RCL)の2020年版教会手帳への記載について

 2019年版教会手帳までは教会暦の日課については1996年版「ルーテル教会式文(礼拝と諸式)」(以下、「青式文」)巻末に掲載されている教会暦の聖書日課に基づいて記載され、日々の聖書日課については、JELC式文委員会で作成したものが記載されてきました。 今年10月発売予定の2020年版教会手帳からは、教会暦ならびに日々の聖書日課について、改訂共通日課(Revised Common Lectionary 以下、RCL)に基づいて記載されることとなります。
 これまで教会手帳に記載されてきた3年周期の教会暦の聖書日課は「青式文」と共に式文委員会によって作成されましたが、その原型となったのは1983年に北米のエキュメニカルな諸教派の協働によって作成された共通日課(Common Lectionary 以下、CL)でした。その後9年間の試用期間を経て、1992年には若干の修正を加えた改訂共通日課(RCL)が作成され、さらに2005年には3年周期の「日々の聖書日課」が作成されました。
 現在では北米に留まらず世界中の多くの教会で日々の聖書日課を含む改訂共通日課(RCL)が用いられ、主日の礼拝において、また日々の祈りにおいて、共通のみ言葉によって養われる恵みに与っています。

共通日課(CL)から改訂共通日課(RCL)への変更点をいくつか挙げると、まず主日の3つの朗読箇所の関連性を深めることが求められ、特に旧約の日課について見直しがなされました。 また女性が活躍する箇所が省略されがちであるという指摘を受け、全体として見直されました。同時に、キリスト教会における反ユダヤ主義を助長しかねない選択の仕方について見直しがなされました。また全体としてヨハネ福音書の配分が増やされました。これらの情報については、インターネットWEBサイト、lectionary.library.vanderbilt.edu(英語)でより詳しく知ることができます。
 なお改訂共通日課(RCL)では聖霊降臨後の主日の旧約朗読箇所として、その日の福音の朗読との関連性を重視した従来の主題型に加えて、期節の主題に関連する比較的長い旧約の箇所を継続して読み進めることを目的とした通読型も選択肢として提示されています。しかし式文委員会で検討の結果、その日の福音の朗読との関連を重視し、引き続き主題型が採用されることとなりました。また日々の聖書日課について、改訂共通日課(RCL)に基づいて記載することとなりました。
 これまでのルーテル教会3年周期聖書日課は2020年版以降の教会手帳には記載されませんが、今後3年分については事務局で一覧表を作成し、各牧師に配信いたします。
 それ以降については、「青式文」の巻末に記載されている聖書日課表でご確認ください。(事務局)

ルーテル学院創立110周年記念一日神学校 こどもしんがっこう・TEENSプログラムのご案内

 恒例の幼児から小学生までのこどもを対象とした「こどもしんがっこう」、そして中高生世代を対象のTEENSプログラムが創立110周年記念となる今年の一日神学校においても開催されます。
 「こどもしんがっこう」では「きみにできること」をテーマに、大学や神学校の学生とともに、イエス様のなさったことを学び、自分達のできることを考えてみます。
 TEENSプログラムでは、JELC東教区教育部NEXTとNRK関東地区ジュニア・ユースとの共催として、「でぃあこにあ」(奉仕)をテーマに、JELA海外ワークキャンプ参加者の報告会やわかちあいプロジェクトスタッフによるワークショップを通して、今を生きる自分にとっての「でぃあこにあ」
について考えます。
 いずれも事前申し込み不要・当日受付となります。たくさんの子どもたち・ティーンズの参加をお待ちしています。

市ヶ谷会館大型修繕(耐震)工事に伴う過去の教会出版物の取り扱いについて

 本教会常議員会報告にもありますように、市ヶ谷会館の大型修繕(耐震)工事の計画が進んでいます。この計画に伴い倉庫を大幅に整理整頓する必要が生まれています。
 よって日本福音ルーテル教会の出版してきた様々な出版物について、アーカイブ(記録)として残すものについては5部程度とし、その残りについてはリストを作成し、広く各個教会に廉価ないし無償でお分かちしたいと考えております。また、これまで保管されてきた事務局の資料についても、必要なものについては電子データー化し、現物については整理することが必要になります。事務局にあります写真等も、同じ扱いとなります。あらかじめご承知おきして頂けますと幸いです。
        (事務局)

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