るうてる2016年11月号
説教「イエスは涙を流された」
イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。イエスは涙を流された。 (ヨハネによる福音書11章33節~35節)
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。
今年の3月、3歳の男児が急逝しました。猛威を振るったインフルエンザによるのです。4月には天王寺教会併設の真生幼稚園に入園予定でありました。2歳上の兄が在園しており、職員一同、驚きと痛みに襲われました。職員共々、仏式での通夜に参列し、小さな小さな棺に納められた男児とお別れをすべく、その亡骸の傍らに佇んだ時、もはや涙をこらえることはできませんでした。なぜなら、棺の彼は、入園式のために用意された晴れ着であろう、ブレザーと蝶ネクタイを身にまとい、頭には園の制帽を被っていたからです。
翌朝早く、霊安室を訪ねると、父親が棺に寄り添っていました。夫婦交代で寝ずの番をしていたものの、途中から妻は起き上がれなかったとのこと。告別式に参列できないので祈りに来たことを伝えると、父親は、「祈りだけでなく、説教をしてください」と求めたのです。今ですか?と聞き返すと、「今ここでです!」と言う。そこで、聖書の死生観と救いを語り、神の御手に委ねる祈りを捧げました。
しかし、何ということか! さらに悲しみは覆い被さります。幼子の死からひと月も経たぬうちに父親が逝去したのです。訃報を聞いた時、まさか子の死を嘆いてかと不安を拭えませんでしたが、病身ゆえの死でありました。
母親は子の死から50日後、遺骨を教会に納めました。その後、求道を始め、降誕祭には長男との受洗を望んでいます。人が隣人に慰めの言葉を持たぬ時、ただ寄り添うことのみ残されます。しかし主は、なお御言葉をもって福音を語り、救いを約束してくださいます。
ラザロの死に際して、イエス様は涙を流されました。この涙のわけを聖書は語らず、秘められています。だからと言って、イエス様はラザロの死に間に合わなかったから涙を流されたのだという、聖霊が関わらず、祈りも無き想像は退けられるべきです。
死者が復活するという出来事でありながら、このことはヨハネによる福音書だけが伝えます。ラザロはマルタとマリア姉妹の兄弟です。この姉妹については、ルカによる福音書10章が伝えるところの、「働き者のマルタと信仰深いマリア」という評判が知られますが、ヨハネが伝える姉妹の様子は、また別の印象です。姉妹はイエス様にラザロが重篤であることを伝え、癒しを求めますが、主の到着は墓に葬ってから4日後でした。
まずマルタが出迎え、イエス様と復活について問答し、最後に、「主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております」との告白に至ります。遅れてマリアも迎えますが、主の足元にただただ泣き崩れるばかりでした。イエス様は、マリアと一同が泣いているのを見て心に憤りを覚え、そして、涙を流されます。
イエス様の憤りは、何に対するものであったのか。涙のわけがここにあります。イエス様は、ラザロが病気であると伝えられた時、「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」と語られています。そして、死が公然と人々の希望を中断し、ラザロの人生を終わらせようとするのを見て、死の領分をわきまえない暴挙に憤られたのではないか、と受け取ります。
キリストの教会は、葬儀の務めを神より託されています。この務めは、キリスト者として召された者が天国へと迎えられたことを宣言することではないとわきまえます。また、死によって人生を中断された者を喪った悲しみへの慰めに終わるものでもないと心得ます。キリストの十字架が神の栄光であるごとく、復活の望みにおいて、人の死も神の栄光を証しするものであることを伝えたい。
望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みに溢れさせてくださいます。 アーメン。
日本福音ルーテル天王寺教会牧師、喜望の家責任者 永吉秀人
連載コラム enchu
8【Japan】
「日本」は「にほん」「ニッポン」のどちらの読みが正しいのだろう。結論、どちらでもかまわない、以上。
ところで皆さんは、「日本」「日本人」「日本語」「日本代表」を、どう読みますか。これはネットで見つけたアンケートですが、その結果が興味深いので紹介します。日本:にほん(69%)/ニッポン(31%)、日本人:にほん(90%)/ニッポン(10%)、日本語:にほん(97%)/ニッポン(3%)、日本代表:にほん(45%)/ニッポン(55%)というもので、他国と相対するときに用いる「日本代表」だけ「ニッポン」と読む人が多いようです。もちろん、このアンケート結果だけで判断することはできませんが…。
さて、現在では「にほん」という読み方のほうが定着しているのに対して、戦前は「ニッポン」という読み方のほうが多かったようです。きっと、戦前は「大ニッポン帝国」だったからでしょう。憲法もそうですね。戦前は「大ニッポン帝国憲法」で、現在は「にほん国憲法」です。僕は、「にほん」という読み方のほうが好きです。というのも、「ニッポン」という読みは、「大ニッポン帝国」を想起し、そこから、他者より自分が優れていることを誇示しようとする姿勢を感じてしまうからです。しかしこれは個人的な感想です。
「にほん」「ニッポン」のどちらを用いるにせよ、主イエスは、「長い衣」をまとって歩き回ること(者)を批判されていたわけで(マルコ12章38~40他)、私たちは、自らを誇示する「ことば」ではなく、穏やかに他者に語りかける「ことば」を用いたいものです。
岩切雄太 ( 門司教会、 八幡教会、 佐賀教会牧師)
議長室より
「より健全な人事制度のために」 総会議長 立山忠浩
9月下旬、2日間にわたり宣教会議が開催されました。常議員会と違い、何かを決議する会ではありませんので、自由に意見交換のできる貴重な会となりました。
「宣教会議」という名称から、宣教の仕方など教会の教勢の伸展に直結することを話し合う会を皆さんは想像されるかもしれません。もちろんその課題を常に念頭に置いていますが、宣教するために整えるべきことについても議論しなければならないのです。
そのひとつが牧師の人事に関することでした。私たちの教会の人事制度は「招聘(しょうへい)と応諾」を基本原則としています。牧師を招く教会があり、それに牧師が応諾することで成り立つのですが、今この制度一本やりではうまく機能しない状況が生まれているのです。その原因は牧師不足から来るものです。招聘と応諾の原則だけで推し進めていきますと、ある教区の牧師たちが次から次に他教区の教会から招聘され、それを応諾した場合、空いた教会に新たな牧師を招聘しようにも、牧師不足のゆえに牧師が見つからないという事態が起こり得るのです。その教区にとっては大変な痛手となります。
このような不測の事態を避けるためにも、会社や公務員のように任命制に変更すべきではないかとの意見をしばしば耳にしますが、それはそれで一長一短がありますので、現在の人事制度を変更する予定はありません。ただ、私たちの教会の人事制度が諸状況に十分対応できない部分があるのであれば、そこを補う必要があるのです。
幸いにして、慢性的な牧師不足に対応するために、各教区間の人事交渉にはある程度の調整が必要であるとの認識が、各教区長が出席する人事委員会では共有されています。人事制度に互いの配慮を加えることで補っているのです。牧師不足は今がほぼ底を打った状態で、これ以上の極端な牧師不足を想定する必要はないことも確認できたことは幸いでした。
また東教区以外の教区に若い牧師が配置され、東教区に年齢の高い牧師が多いことが顕著です。一概には言えませんが、財政力が十分でない教会は、給与の低い若い牧師を招聘する傾向があるのです。多くの教区が財政的支援を行う力が弱まっていることが、この傾向に拍車をかけてもいます。より選択の幅を広げるための協議が今後も継続されていきます。
キッズケアパークふくしまへの支援
北澤 肯(日本ルーテル教団東日本大震災支援対策担当スタッフ)
いつもプロジェクト3・11のためにお祈りくださりありがとうございます。私は日本ルーテル教団(NRK)で災害支援を担当している竹ノ塚ルーテル教会の北澤肯です。今回は 「るうてる」の紙面をお借りして、私たちの支援している活動を紹介します。
今回紹介しますのは「キッズケアパークふくしま」です。これは福島教会復興支援ネットワークという福島市内の超教派の教会の働きで、NRK福島いずみルーテル教会の野村牧師と栗原さん(元JELC蒲田教会員)が中心となって活動しています。
福島第一原発の事故は、深刻な放射能汚染を引き起こしました。色々な情報がある中で、福島や近隣県の汚染がどのくらい危険なのか、現段階で断定するのは難しいですが、客観的な手法で答えを出そうとするなら、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故による低線量被曝により悲劇と苦しみに見舞われた人々の記録やデータや研究を参考にすることができるのではないでしょうか。福島市にはウクライナで健康被害があった地域と同程度の汚染度の地域があり、除染は進んでいるものの、このままではウクライナと同じように子どもたちに健康被害が出るかもしれません。
不安から、子どもたちは十分に外遊びもできず、福島県の子どもの肥満率が全国1位になったり、体力測定の結果が著しく悪化していたりするという現実もあります。キッズケアパークふくしまでは、子どもたちが安心して遊べる機会を作るために、定期的に屋内での遊びのイベントを企画し、また、そこでは放射能やお子さんの健康に悩みをもつ親御さんがお互いに思いを分かち合い、相談し合う機会を提供しています。
私自身、幼少を福島市内で過ごしており、震災以降、約35年ぶりに訪問した母校の中庭においてある放射能測定器を見て愕然としました。
既にJELAによる支援も始められていますが、月日が流れ、事故が風化するなかで、福島の子どもたちの健康のために活動してくれている「キッズケアパークふくしま」のためにお祈りくだされば幸いです。
教会×公共
7開いて結ぶ
宮本 新(田園調布教会牧師、日本ルーテル神学校講師)
▼ 一般的に説教などで音読み(漢語)を中心にすると新聞記事のような書き言葉となり、逆に訓読み(和語)を多用したら話し言葉となり聞きやすくなると言われています。言葉を平易にして分かりやすくなるのはとても良いことですが、時に言葉の硬さを崩さないことに固有の意味を込めている場合もあります。公共とはそのような言葉のひとつです。
言語学者の渡辺浩さんによると、和語の「おほやけ」は、「お上」や「下々」といった上下関係に区切られ、しかも上から下へと統制作用が働くそうです。他方で漢語の「公」には「共」(common)につなげて、普遍的な世界を開いていく開放性が含まれていると言われ、前回述べたとおり、「パブリック」にも「人々」という意味合いがしっかりとあります。〈教会×公共〉で追ってきた「開いて結ぶ」線と重なります。
▼今年の宗教改革記念日、スウェーデンのルンドでローマ・カトリック教会とルーテル世界連盟、そしてスウェーデンの管区、教会の共催で共同祈祷が行なわれました。恐らくキリスト教史に残る出来事になるでしょう。他方でその背後には50年にわたる対話の積み重ねがあり、日本福音ルーテル教会からも先人たちのご奉仕が刻まれています。
またアジアにおいては宗教改革500年にあわせて香港、フィリピンなどで「公共性」をテーマにルーテル世界連盟主催の国際シンポジウムが開かれました。アジア各地の極めてローカルで流動的、そして多元的な貧困と紛争、摩擦や対立に身を置く人々の声が取り交わされていました。どの発題者も個人として立ちながら、ローカルな教会の「顔」が自然と見えてくる印象深い集まりでした。 「ルーテル」というときにすでに国境、そして教派や宗教を越えたネットワークの形成が進んでいます。ルンドで記念された『争いから交わりへ』はそこでもキーワードになっていました。
▼新約聖書でキリスト者という呼称が登場する前に、それが何であるのかを福音書記者ルカはイエスの言葉として記しています。「(あなたがたは)地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1・8)。「証し」の語源は目撃者。証し人とは聖霊を受けて、見て聞いて話す者のことです。
私たちは何を見る者と招かれ、召されているのでしょうか。この言葉は未来形として私たちの手元にも届く約束の福音だと思います。(了)
春の全国ティーンズキャンプ2017スタッフ募集のお知らせ
2017年3月27~30日に、高尾の森わくわくビレッジ(東京都八王子市)にて開催される「春の全国ティーンズキャンプ」を、ティーンズと一緒に過ごしてくださるスタッフを募集します。募集するスタッフは、リーダー、オーディオ、マネジメント、賛美です。
詳細は、ホームページにてご確認ください。 http://the-next-g.blogspot.jp
宗教改革500年に向けて、ルターの意義を改めて考える 54
ルター研究所所長 鈴木 浩
「義認」という言葉はラテン語ではiustificatio(ユスティフィカティオ)という。語尾がtioという単語の場合、それにnを加えると大概の場合、英語になる。だから、justificationとなり、conditio(コンディティオ)は、conditionとなる。
「義とする」という動詞はiustificare(ユスティフィカーレ)である。これは、ラテン語の古典時代にはなかった言葉で、キリスト教の神学用語として作られた言葉である。iustum(ユストゥム、義を、義人を)+facere(ファケレ、作る)から成る合成語である。
「義とする」とか「義認」という言葉には実はかなりの意味の幅がある。かつては、プロテスタントが「宣義」という訳語を好み、カトリックが「義化」という言葉を使ったのも、もともと意味の幅が広いからであった。
「宣義」とは、法廷の場が背景にあって、裁判官が「義である」と宣告することを意味している。他方、「義化」の場合には、「義人とされる」という意味で、人間存在が実際に義人になることを意味している。だから、実際には「聖化」という言葉とその意味がかなり重なって来る。
ルターの場合、「義認」という言葉は「救いの出来事全体」を指している。プロテスタントは後に「義認と聖化」という言い方をするようになるが、ルターはそのようには考えなかった。それは、「入学と卒業」と同じようになって、「義認」が救いの出来事の「入り口」になってしまい、やがては「入り口でしかない」と思われてしまうからである。
ルターと論敵との議論が噛み合わないですれ違うことが多かったのは、同じ言葉を使いながら、その中身が違っていたからである。fides(フィデス、信仰)という言葉の場合もそうであった。
ルターとバッハ、宗教改革500年。
徳善義和
13終末を見詰めて
起きよ、エルサレム、 時こそ来たれり(教会讃美歌137番)
教会暦の最後の主日はマタイ25章と「起きよ、エルサレム、時こそ来たれり」と結びついて、歴史の中に生きるわれわれに終末という視点を気付かせる(物見とおとめたちとのやり取りはマタイ受難曲第1曲にも使われて、イエスの生涯の終わり、実は十字架と復活を告げて、終末を先取りしていると聴くことができる)。いずれもそれぞれの仕方で、人の日常に起こるはずのない神のできごとと、それによる完成の時を告げて、人を驚愕させるのである。フィリップ・ニコライの3節からなるコラールは「時こそ来たれり」とその祝宴の喜びを歌い上げる。
バッハは1731年の教会暦の終わり、三位一体(聖霊降臨)後最終主日のためにこのコラールとマタイ25章とを織り交ぜて、終末の到来とその喜びを歌い上げた(歌詞第1節を歌う合唱曲はオルガンのためのコラール前奏曲としても残されている)。花婿キリストと信仰者の魂(花嫁)のやり取りが美しく歌い上げられて、コラール3節と共にこれはバッハのカンタータの中でも名曲とされるものの一つである。
われわれはキリスト者であると言っても、この世界の中の、罪の人間の歴史のただ中で生きることしかできない。われわれ自身がその火中の者たらざるを得ない。しかしイエスのことばと、それを歌う歌はわれわれの眼をこの歴史を超えたところへと向けさせてくれる。この終末の告知を含めて福音の真理に注目し、それによってルターは教会を改革した。その福音の真理は今も教会を改革し続ける。
まさしく「改革された教会は常に改革されるべきである」という言葉はこの福音の真理に即して宗教改革500年のわれわれの歩むべき方向を指し示していると言えよう。 (了)
「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より
喜びに溢れて今 ヨハネ1:10-13
伊藤早奈
【祈り】「私はここにいていいのだろうか。」と急に不安になり、自分を追いつめてしまうことがあります。そのような私に神様あなたは「ここにいていいんだよ。」とやさしく愛で包んでくださいます。神様あなたが共におられ、私を必要とし、ここにいる「時」を与えてくださいます。あなたがいつも共にいてくださるので私は決して一人ではありません。それを感謝して生きる毎日でありますように。アーメン。
「あなたから言葉は決してとられない。」
前にお医者さんから言われた言葉です。私は病気の診断を受けたばかりで、いずれは自分の話す言葉も人には伝えにくくなるだろうという不安から、お医者さんに「いったい何年後くらいに喋り辛くなりますか」と聞いた時の答えでした。
先日、私はいつも一人でいらっしゃる方に「どうしてお一人の時が多いんですか」とお聞きしました。その方は「こんな喋り方だから。」と言われました。思わず同感すると同時に、お医者さんに言われた先ほどの言葉を思い出したのでした。
ヨハネ福音書1章に言(ことば)という言葉が繰り返されています。これは単なる言葉のことではなく、真理や愛であるキリスト教で言われる神様、イエス・キリストのことを表現した言葉です。
昔、日本に来たばかりの宣教師たちがそこに生きている農民に「神の愛」を伝えるのに「デウスのご大切」と表現したように、その時代にそこに生きている人々に、イエス・キリストを言(ことば)という言葉を用いて表現されたようです。それはそこまでして神様は今も私たち一人一人と共に生きて働いておられる存在であるのを知って欲しいからです。それが神様の喜びなのです。
私への「あなたから言葉は決してとられない。」。お医者さんは、それほど深い意味で言われたのではないかもしれません。しかし、恐れていた病気の進行が現実になって来ている今、言(ことば)である神様が今、私と共に歩んでくださっていることを喜び、また確信しています。
お一人お一人と共に今、言であるイエス・キリストは喜びに溢れ、生きておられます。
2017年 教会音楽祭のテーマ曲作詞の選考結果と作曲の募集
2017年の6月、第33回教会音楽祭の開催を予定しています。
今回のテーマは「心ひとつに~争いから交わりへ~」ということで、テーマ曲の歌詞の募集を行い、17作品の応募がありました。ありがとうございました。
選考の結果、熊田なみ子さんの「心ひとつに」が入選となりました。
心ひとつに
1
心ひとつに 祈ろう
心ひとつに 歌おう
互いのいのち 輝かせ
共に生きるこの日のために
2
われらの痛み 祈ろう
ゆるしといやし もとめて
互いのいのち 抱(いだ)きあい
共に生きるこの日のために
3
われらの願い 祈ろう
あらゆる民に 平和を
互いのいのち ささえあい
共に生きる 明日(あした)のために
4
心ひとつに 主イェスを
心ひとつに 信じて
われらに愛を くださった
共に生きる 主イェスのいのち
この歌詞によって共に歌うための曲を募集します。音楽祭参加者がみんなで歌うことを想定しております。尚、採用作品は広くの教派を超えて自由に用いられるものであることを理解の上、ご応募ください。 審査は、教会音楽祭実行委員会にて行います。
詳しい応募要件は、ホームページをご覧ください。
https://goo.gl/IZaZNn
「心配センデヨカ」の森勉先生
定年教師 賀来周一
森勉先生の葬儀が終わった次の日曜日、むさしの教会で森先生のご子息のお連れ合いに会った。教会への挨拶のためであった。目に一杯涙をたたえながら「父は、何時も私たちに言っていました。『大丈夫、大丈夫、心配しなくていいよ。』私たちは、その言葉で安心して生きてきたのです。先生を見たら急に父を思い出して悲しくなって」と。こちらもついウルウル…。
森先生とは、神学校が中野区鷺宮にあった時代からの仲間である。当時は熊本出身者が多く、神学校では熊本弁が飛び交っていた。夕方、近くの銭湯「亀の湯」に行くと「今日のお前の説教はナー…云々」と朝の日課(matin)での説教批判を神学生たちが熊本弁を交えて大声で話し、そこへ時々北森嘉蔵先生が入って来ては、ひとしきり神学談義が始まるという始末。同じ湯船に浸かっている近隣の人たちを驚かせた。
やがて、卒業。森先生は山口県柳井を皮切りに伝道を開始した。その後、天王寺教会を牧会し、この間、先生は多くの献身者を送り出した。市原正幸、渡邉純幸、山之内正俊、渡邊賢次の4牧師に加え、途中、福祉事業等へ転身したが、田内豊氏、河島公美氏らがいる。
1975年、JELCは海外教会からの財的支援を断り、自立した。先生は1976年、広報室長、書記、事務局長と歴任。4年後の1980年に総会議長に選任された。その間、神学教育や会堂の老朽化対策、開拓支援などは不足するので、収益事業を起こすこととなった。その事業が市ヶ谷センター、ホテル・ザ・ルーテル、女子学生会館カテリーナである。 当時「伝道し、奉仕する神の民」というスローガンを立て、宣教の自立とした。森先生は、これに加えて広島会館を建てたのである。この時期、オニの前田、トボケの森、ホトケの賀来と言うコトバが流行った。オニの前田はきっちり仕事を果たし、トボケの森は懐深く、「ヨカ、ヨカ」と人々を安心させ、ホトケの賀来は野仏のように立っていたからであろう。今は感謝に尽きる。
互いに支え合う教会を目指して
関野和寛(東京教会)
人は誰しも人生の危機を経験します。人間関係の破綻、失業、離婚、病、死別…。そのような試練の中にいる人を教会はどのようにサポートすることができるでしょうか。その役割を担うのは牧師だけでしょうか。
東京教会では、ステファンミニストリーという1975年にアメリカのルーテル教会牧師であり精神科医でもあるケネス・ハーグさんがはじめた働きを取り入れ、実践しようとしています。
ステファンミニストリーでは、25回(70時間)のトレーニングを牧師と信徒が共に行います。トレーニングでは聖書をベースに、傾聴の方法、守秘義務の守り方、死別を経験した人への寄り添い方、相手の問題に巻き込まれないための境界線の守り方、心の病を持った方々を正しく専門家へ繋ぐことなどを学びます。そしてこのトレーニングを修了した人はステファンミニスターとして認定され、教会内外で様々な問題を抱えた人々に寄り添います。この働きは全米に広がり、40年間で教派を超えて1万2千教会、7万人が関わっています。
東京教会では、4月からこのトレーニングを開始しました。夏には牧師と信徒11名がアメリカのカリフォルニアにて約10日間、アメリカの復活教会と共にトレーニングを受けてきました。日本ルーテル神学校で長きに亘りカウンセリングを教えておられたケネス・デール先生も、ステファンミニスターとしてカリフォルニアで奉仕しておられ、現地では私たちに講義もしてくださいました。
東京教会では、来年の春までにトレーニングを修了したステファンミニスターが誕生し、牧師だけでなく信徒も共に重荷を持った人々に寄り添うことを目指しています。
来年は宗教改革500年の年。全信徒祭司を掲げるルーテル教会としてこの新たな宣教・牧会に取り組んでいきたいと思います。またステファンミニストリーの学びと実践が他の教会にも広がることを願っています。興味のある方は、是非ご連絡ください。
全国青年修養会報告
9月17~19日に箱崎教会にて24名が参加し、「タラントをさがせ!」とのテーマで開催された、第20回全国青年修養会の報告を参加者の感想からお届けします。
森 一樹(市ヶ谷教会)
私にとっては2度目となる修養会でした。今回の期間ではっきりと自分のタラントについて認識できた訳ではないけれど、自身のタラントとは、また隣人のタラントとは、そしてそもそも「タラント」とは何かという本質的なところまで掘り下げて考え、意見を交換できたことは本当に幸いでした。
また同年代の青年たちとの新たなつながりや、普段はなかなかお話しする機会がない多くの牧師の皆さんとの交わりは大変貴重なものでした。自身の「強さ」を活かすことはもちろん、自身の「弱さ」の中にもタラントが存在するのでは、という、ある参加者からの意見は特に印象深く残っております。
今回の修養会をきっかけとして、自身のタラントを自分のためだけに使わず、神様の導きのもと、他者のため、教会のために心から捧げられる日が一人一人に訪れることを心から願います。
松本義輝(神戸教会)
教会のキャンプには「ルーテルこどもキャンプ」、「春の全国ティーンズキャンプ」にも全て皆勤で参加していました。この春にとうとう最後のキャンプを終えて卒業してしまい、キャンプに参加するにはスタッフになるしかないんだと思っていたら、ずっと一緒にキャンプに行っていた同級生の深町くん(箱崎教会)から修養会の開催の連絡をもらいました。
でも、ひとりで行くにはちょっと気が引けるなと思ってやめようと思っていたら母親に「後悔してもしらんで~」という風に言われ、キャンプに一緒に行っていた同級生たちに声を掛けてギリギリながら何とか3人集まることができました。
こういう全国の教会のつながりというのは集まらないと何も始まらないし、集まらなければなくなってしまうと思います。だから来年は僕と同い年の同級生みんなで参加して集まりたいと思っています。
テーマは「タラント」について、最初は何も分からなかったけれど、今では自分のだけではなく友達のまで分かります。勉強会や証しを通じて色々なことを学ばせていただきました。