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機関紙るうてる

るうてる2013年5月号

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説教「祝福しながら彼らを離れ・・・」

日本福音ルーテル神戸東教会 乾和雄

「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」 ルカによる福音書二四章五十~五三節)

与えられました聖書の箇所は、ルカによる福音書の最後のところです。イエスさまがご復活ののち四十日の間弟子たちに現われてくださり、神の国について教え、そののち彼らを離れて天に上げられ、栄光の座につかれました。今日はその天に上げられたときのみ言葉を皆さまと共に聴きたいと思います。
この聖書の箇所ですが、ご年配の皆さま方が以前に親しんでおられた口語訳聖書と比べてみますと、いくらか違ったところがございます。例えば51節の〔天にあげられた〕のところや、52節の〔イエスを伏し拝んだ〕のところが、口語訳では[かっこ]に入っていたことをご記憶の方もおられると思います。なぜなら、伝えられている有力な写本の中に、これらの言葉があるものと、無いものがあったからなのです。
主なる神さまは、時にまことに驚くべきことをなさいます。二十世紀も半ばになって、エジプトの中央部の砂漠の町パバウの近くで、新約聖書のパピルス断片が見つかりました。「パピルス75」と名付けられたその断片は、炭素14による年代測定で、およそ西暦二百年頃のものとわかりました。ずっと砂漠の砂の中に眠っていて、現代になって私たちの目の前に、より古い、より原本に近い写本が見つかったのです。この聖書の箇所も、その「パピルス75」の発見によって、より原本に近い内容が分かるようになった所です。今私たちが用いております新共同訳聖書にはその成果が反映されています。
初代教会の頃、ローマ帝国の迫害はそれはそれは厳しいものでした。聖書が見つかれば直ちに焼却されました。ですから、新約聖書の原本はむろんのこと、ごく初期の聖書の写本もほとんどが失われてしまっているのです。しかし当時のキリスト者たちは、洞窟や地下などの暗い部屋の中で、小さな灯をたよりに聖書を書き写しました。その一つが「パピルス75」なのです。
筆舌に尽くし難いほどの厳しい迫害の中で、当時のキリスト者たちの宣教のエネルギーはいったいどこから与えられたのでしょうか。その原点とも言うべき聖書箇所の一つが、いま私たちに与えられているみ言葉ではないでしょうか。「彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」と書かれています。
復活の主は、弟子たちをベタニアの辺りまで連れて行かれます。50節には「彼ら」と書かれていますが、男性の弟子たちだけでなく、ガリラヤから主につき従ってきた女性の弟子たちもいたことでしょう。主は両手を上げて、弟子たちを祝福してくださいました。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられて行かれました。何と感動的な場面が描かれていることでしょうか。
すこし前、十字架の出来事のおりに、男の弟子たちはイエスさまをおいて逃げ去りました。何か失いたくないものがあったのでしょう。そしてユダヤ人たちを恐れ、隠れていました。しかしながら、そんな彼らのもとに復活のイエスさまの方から近づいて来て下さいました。み言葉を通して弟子たちの心の目を開き、さらに「あなたがたに平和があるように」と弟子たちを祝福して下さいました。罪赦され、救いと祝福が与えられた喜びに、弟子たちは心から満たされておりました。
主が祝福してくださる。そして弟子たちがほめたたえる。原文では、実はどちらも同じ言葉なのです。天からの祝福と地からの讃美が響き合います。「祝福しながら・・・」と書かれています。これは「ずっと祝福しつづけながら」という意味です。復活の主はいかなる時も、いつも私たちと共にいて下さいます。主はいつも私たちを祝福していて下さいます。パウロはそのような幸いを、「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラテヤ二章二十)と表現しました。
主の豊かな祝福をいただきながら、主の証し人の一人として共に生かされてまいりましょう。

宗教改革五〇〇周年に向けて

ルターの意義を改めて考える(13)

ルター研究所所長 鈴木浩

罪の話を続けよう。史上、罪の問題を非常に真剣に考えた三人の人を挙げるとすれば、パウロ、アウグスティヌス、ルターとなる。
中でもアウグスティヌスは晩年、「原罪論」と呼ばれる教理を明確に主張し、「人間は罪を犯す苛酷な必然性のもとに立っている」とか「罪を犯さないことはできない」といった過激な発言をした。
そこで中世後期の神学者たちは、罪について語る際、アウグスティヌスには誇張があると言って、彼の過激な主張を和らげようとした。
ルターは、あの『九五箇条の提題』に先立って、『九七箇条の提題』を明らかにしていたが、それは次のような第一提題ではじまっていた。「異端者に反対して語る際に、アウグスティヌスの言葉には誇張があると言うことは、アウグスティヌスがほとんどどこででも嘘をついている、と語ることに等しい」。罪について語るアウグスティヌスの言葉は、そのまま受け取らねばならない、それがルターの主張だった。
罪の問題を真剣に受け止めること、それが、義認の出発点だ。義認とは、端的に、「無代価の罪の赦し」のことだからである。

春の「礼拝と音楽セミナー」
~チャント学んで、チャント歌う~

4月13日(土)の午後、日本福音ルーテル東京教会の礼拝堂で、東教区主催、教育部担当の「礼拝と音楽セミナー」が開催されました。今回のセミナーのテーマは「チャント」で、講義と実地指導は、青山学院大学教授の那須輝彦先生でした。

今回は、6月8日の「教会音楽祭」に向けての合同聖歌隊の旗揚げ練習がセミナーの後、組まれており、ルーテル学院大学、青山学院大学の聖歌隊の学生さんや、聖公会に属する教会で結成されている合同聖歌隊の方々が多数参加され、総勢80名あまりの大人数でした。大人数で歌うチャントが礼拝堂に響き渡り、壮観でした。
とは言え、「チャント」は「シング」とは違い、そもそも唱える、朗唱することに重きが置かれる音楽のことです。「アングリカン・チャント」と言われたりするように、聖公会の礼拝で育まれてきた教会音楽で、四声体の「和声定型」です。
歌詞は聖書の言葉、わけても『詩編』の言葉です。しかも、聖公会が母胎ですから、チャントは英語が基本です。 そこがグレゴリア聖歌とは、単旋律と和声の違いだけでは説明できない音楽性を醸し出しているのかもしれません。

聖公会の音楽とは言え、私たちルーテル教会の式文にもチャントは用いられています。「グロリヤ」がそうです。その「グロリア」の楽譜を見るとわかりますが、各節の長さは一定ではありません。そこで、各節の長さに合わせて単一和音で伸縮自在に歌い唱える部分「朗唱部」と、和音を動かして節の区切りをつくる部分があり、これがチャントの楽譜の特質と言えるのかもしれません。
しかし、この特質が、イントネーション言語である日本語に訳して朗唱する時は一筋縄ではいかず、苦労があるようです。

講師の先生は、「英国人はメロディやリズムよりも何よりも、ハーモニーを愛する国民で、イギリスは合唱王国です」と教えてくださいました。そうであればこそ、聖歌隊が歌い、会衆は耳を傾けて聞く、そういう礼拝音楽の文化が育まれているのかもしれません。
徳野昌博

「泣きながら夜を過ごす人にも、喜びの歌と共に朝を」

長野教会 青木長栄

わたしは、毎日、夜、休む前に祈ります。朝に祈るという人も多いようですが、わたしの場合はどうも落ち着きません。
老人憩いの家などに、鍼灸マッサージの仕事に行っていますが、その日一日を思いだしながら、夜に祈るのです。
しかし、自分自身うまくいかない時の祈りは、自分中心の祈りになってしまいます。週報に記されていたりする「祈りの課題」も見なかったりします。そんな時は、信仰生活そのものがでたらめで、どうにもならない気がします。
私の妻は「脳卒中」で、半身がマヒしていて、施設に入っています。ですから、私は、今は一人暮らしをしています。妻が病気になったのは、十一年前の二〇〇二年(平成十四年)の十月のことでした。
妻を施設に入れる時、キリスト教関係の施設などを紹介してくれる方もおり、ありがたいことでしたが、妻の家族の勧めもあって、最終的には、長野県南佐久郡にある指定障害者支援施設「佐久療護園」に入っています。その日は、自分自身も施設見学に行かなければならなかったために、妻のことは妻の両親に任せて、出かけることす。
しかし、自分のことに戻りますが、家族伝道が十分にできていないことを、不甲斐なく思っています。

青木長栄さんは、日本盲人キリスト教協議会の一員で、長野県視覚 障害者キリスト信徒会の総務を しておられます。 編集子

JLER(ルーテル教会救援)対策本部 現地からのレポート

JLER派遣牧師 野口勝彦

「となりびと」では、近い将来、発生が予測されている南海トラフ巨大地震等へ対応するため、今回の震災救援・支援活動を生かした防災・減災教育プログラムを行っています。3月には、ルーテル学院大学と聖望学園高校ハイスクールYMCA部の学生の皆さんが、このプログラムを体験されました。(プログラムの様子は「となりびとブログ」でご覧下さい)
今月号では今回の震災を体験し、ルーテル教会救援等への支援先情報の提供や、震災支援のボランティア・コーディネート活動もされている地元の方から、災害発生に対する備えについてアドバイスをいただきましたので、ご紹介します。

「災害発生に対する備え」

齋藤みや子
(石巻ボランティア・コーディネーター、日本キリスト教団石巻栄光教会員)

我家は、石巻市中央の北上川が太平洋に注ぐ河口から3km上流の所にあります。震災のとき町内は約2mの津波に襲われました。震災当日、大津波警報が出されて近くの避難所に避難するよう声がけされましたが96歳の父は歩けず、道路向かいの妹一家には、寝たきりの母親がいるので、妹一家の二階に私たち家族は避難しました。幸い避難先は倒壊などの大きな被害はなく無事でしたがこの判断が適切であったのか考えさせられました。
あの震災を体験し今後の災害に対する備えとして次のように考えています。

【1、避難場所の確認】
町内には小高い所に避難場所が指定されています。災害はいつも自宅にいるときに起こるとは限らないのでいざ災害が発生したら自分のいる場所からどこに避難すべきか、いつも念頭において生活しています。

【2、防災バックの備え】
避難時に携帯する物とし、懐中電灯・手袋・携帯用の飲料水・乾パンなどをいれて用意しています。

【3、近所の要支援者への避難体制づくり】
「津波てんでんこ」といってもそれができない高齢者や体の不自由な人たちを町内としてどのように支えあうのか今後の課題です。

編集者註
「津波てんでんこ」とは、「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」と言う意味です。

牧会者ルターに聞く
石田順朗

第1章 「R」は「R」でも リフォーマー・ルターの場合
その1.歴史に刻まれた「R」と「r」

日本ルーテル神学校の一九五〇年度再開に備えて、一年間、当時飯田橋の現ルーテルセンターにあった日本基督教団・日本神学専門学校の委託生となったわたしは、故石居正己牧師らと共に鷺宮キャンパスの故北森嘉蔵教授宅に下宿する身となった。教室での講義はもとより、時たま食卓での会話を『神の痛みの神学』の名立たる神学者と交わしえたのは、先立つ京都教会での故岸千年牧師の熱情溢れた教導に続いて、たいへんに恵まれたことであった。とりわけ印象に残る北森先生の言葉がある。「西欧史に刻まれ、日本史に欠ける二つのR ―ルネサンスとリフォメーション」を語られた時だった(『マルティン・ルター』アテネ文庫第一五七、一九五一年に所収)。
なるほど日本史では、「大化の改新」、「建武の中興」、「明治維新」の「三大改革」を知ってはいたが、英訳ではいずれも 「Reform/ Restoration」 になっていた。最近に至っては、「三位一体の構造改革(The Trinity Reform Package)」も聞かれたし、『維新』を標榜する政党すら誕生した(Restoration Party)。
同じ「R」でも、「ルネサンス」はさておき、「リフォメーション」と「リフォーム」は語意的に違うようだ。手許の『職業別電話帳』をくると、「ら欄」に、何と「リフォーム」が六種別で記載されている。今はやりの和製英語「リフォーム」は「居住中の住宅の改築や改装、特に内外装の改装」をさすようだ。
「改革者ルター」は「リフォーマー・ルター」となる。この「リフォーマー」には、「改革者」の意味もあるが、「サイズ直しや寸法直しなど、洋服の仕立て直しをする人」が大方の理解になっているという(『デジタル大辞泉』)。一考に価するような気がする。実は、中世の代表的な「牧会の手引き」に『整形師と医師』もあった。その書(Corrector et medicus)を編纂したドイツ、ウオルムス牧会教区の司教ブルカルドは述べている ?
「この書は、『整形師』とそして『医師』と呼ばれるもので、そのわけは、本書が身体への整形と魂への医薬を十分その内容にもっていて、司祭たちに、たとい無教育の者であっても、按手をうけたもの未按手のもの、貧者や富者、老若男女、健康者や病者、そのいずれにかかわらず、すべての人たちをいかにすれば助けうるかを教えるものである」。改めて考えさせられる。
「リフォメーション」で記憶に甦ることもある。ちょうど五十年前、日本福音と東海福音の兩教会合同が成立し、「教区制」が発足した。その創立総会直後の『るうてる』特集・合同総会報告号に、前述の岸先生が、時の総会議長として「古きは過ぎ去った」と題する巻頭文を寄せられた。その中で「今回の合同は、… キリストにおいて新しい出発点に立ったことになる。したがって、合同は、リフォメーション(再形成)である」と呼び、「これはルターのリフォメーション(宗教改革)に通じるものである」と述べられた。忘れ難い「R」であった。

いしだよしろう 引退牧師、九州ルーテル学院大学名誉学長、元LWF神学研究部長

野の花を見よ

ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

「愛の泉保育園」には、やさしいこどもに育ってほしい願いから、花のステンドグラスもあります。季節や場所を抜きにして花が並んでいる。寒緋桜、赤いサンダカン、白い月桃の花がある。
5~6歳児が月桃の歌を歌ってくれた。激しい戦場になったあと、無残な焼土の中から、それでも生きていて白い花を咲かせた月桃の詩。
大輪のひまわりは園児たちの大好きな花。日本最西端の碑の建つ与那国島の岬には、岩間にゆりの花が咲いていた。
下には、日本のどこでも自生している、のいばら。荒れ地でも生き抜く強さを持ち、芳香のある白い小さな花を咲かせる。どくだみは臭気が強く、嫌われ者だが、十の薬効があるといわれる十字の白い花を持つ 。これらの花の詩は星野富弘詩集に見つけてほしい。
沖縄では全く雪を見ることはないけれど、空には雪片(雪の花)がある。
マタイ福音書6章28~29節
「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紬ぎもしない。しかし言っておく。栄華をきわめたソロモンでさえこの花の一つほどにも着飾ってはいなかった」。

春のティーンズキャンプ報告
3月26(火)~28日(木) 国立阿蘇青少年の家

キャンプ長 角本浩

「イエス・キリストについて知っていることはどんなことですか?」「あなたにとってイエス・キリストはどういう存在ですか?」94名のティーンズは申込書に記されたこの質問に答えてから、春キャンに参加しました。
「いつも共にいてくれる方」「奇跡を行った」「尊敬できる人」「12月25日が誕生日」「神の子、救い主」「神様と私の橋渡し」「守護霊みたい」などなど。皆さんならどんなふうにお答えになるでしょうか。
今回の春キャンは「イエス・キリストに出会う」をテーマとしました。普段の教会生活ではなかなか味わえない「からだで味わう経験」をいっぱいしました。足を洗い合う、茨をかぶる、背中に十字架(枕木)を背負う・・・。ただ単に「尊敬できる人」ではなく、どのように私たちを救われたお方なのかを知るために。最終日に一人ずつ行った感想は、キャンプ前の答えとは違う深みが感じられるものとなりました。
同じ信仰をもち、同じ讃美を歌い、同じ祈りをささげる同世代の仲間と過ごす。これも普段それぞれの教会では味わえないことです。帰路わたしが車に乗せていったキャンパーたちも阿蘇を離れるにつれ、「ああ、春キャンが終わるう」と寂しそう。中身の詰まった三日間を皆が堪能しました。
この中高生たちがやがて、あなたの教会を支える重要な存在になります。祈っていてください。今後ともご支援ください。
今回、私はキャンプ長でしたが、 はっきり申し上げてほとんど何もしていません。座って見守っていればすべてが進んでいきます。準備の段階から最後の仕上げまで。それはスタッフの方々が実に素晴らしく組織的に動いておられるためです。 今回は20回目を数えましたが、これまでの19回の間にさまざまなご苦労をなさりながら、ここまで来られたのだと実感しました。次世代への信仰継承のために、労を惜しまず尽くしておられる方々がおられること、最後になりますが、感謝をもってご報告しておきます。

久米芳也先生召天の報に想う

九州学院理事 田中善一(玉名教会)

て、一緒に仕事をしましたので、沢山の思い出がありますが、そのすべてを語ることはできませんけれども、深く脳裏にある一つを記します。
久米先生は広島教会の柏木信隆牧師のあとを受けて一九八七(昭和六二)年、理事長に就任され、十年後の一九九七(平成九)年に現長岡立一郎理事長へ引き継がれました。
久米先生は温厚でまじめ、しかも信念の方でした。これまで歴代の理事長は福岡、大阪、広島在住でした。理事長は学校法人の経営の最高責任者ですが、ボランティアでした。歴代の理事長は現場の責任者を信頼して委ねておられたのでしょう。
昔は年二回開催される予算理事会と決算理事会に来られ、そのほかは年数回来られるくらいでした。久米芳也先生は熊本市の神水教会の牧師でしたのでお願いすればすぐに来てくれました。現場のことも見聴きされてよく判ってもらえました。
九州学院の男女共学を決意し、理事会においてその必要性を真剣に説き、一回の理事会で通過させてしまいました。初めてこの提案を聞いた方はまさに青天の霹靂だったことでしょう。
同窓会の役員への説明と説得も精力的にされました。九州学院教職員の中にも男女共学に反対する者もおりました。殊に在京の同窓生の反対運動は激しいものでした。西一郎院長と私は上京して説得に当たりました。
久米理事長はそのような中にあっても沈着冷静に九州学院の経営の最高責任者として女子生徒受入の施設改修計画など着々と進めて一九九一(平成二)年創立八十周年を期して男女共学を実施したのです。九州学院創立以来の一大変革でした。
今日の九州学院の基礎づくりをしたのは久米芳也先生なのです。

別れの挨拶

SLEY宣教師 マルッティ ポウッカ

47年前のある冬の夜に、こんなことがありました。私の実家は二階立てで外はもう暗くなっていました。どうしてか、覚えていないのですけれども、私は小さい明りをもって、その二階の暗い部屋に行きました。そして、何か変な影を見て、怖くなって、駆け下りて、姉と母のところに泣きながら逃げこみました。そして、姉と母に慰められました。それから、姉がその部屋の中に何かあるか、調べに行きましたが、結局、何もありませんでした。私が見たものは、私の影だったかもしれません。
私が怖がっていた時、母と姉は私を助けてくれました。でも、人間はいくら意志があっても、全てのことを助けることは出来ません。では、イエスはどうでしょうか。お出来になります。私はイエスを信じて、イエスと共に歩んでいれば、暗い部屋でも死さえも怖がらなくていいのです。勝利者のイエスが、助けてくださるからです。そして毎日、イエスは道であり、真理であり、命であるという教えを覚えましょう。
マタイ28章20節「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
皆さんの上に神様の豊かな祝福がありますように。

ポウッカ先生は2010年9月に東教区のスオミ教会に着任され、2013年4月に離任、帰国されました。

女子学生会館「文京カテリーナ」と小石川教会の耐震工事、進捗状況

小石川教会 牧師 徳野昌博

1月28日(月)に、耐震工事の起工式を小石川教会の礼拝堂で行い、その翌日から、工事は本格的に始まりました。教会部分の工事は2月10日の主日礼拝終了まで待っていただきました。最後の礼拝後、教会員と一緒に片付けや持ち出すものの分別をしました。大掃除同然で、それなりにたいへんでしたが、身軽になった感じがして、爽快でした。
工事は6月末に完了する予定です。教会部分は5月末まで立ち入り禁止です。その間、主日礼拝は、お隣り、と言っても、一つの同じ建物の中にあるわけですが、日本福音ルーテル教会の収益事業の一つである、女子学生会館「文京カテリーナ」の食堂をお借りして行っています。都合15回です。
その間、カテリーナの食堂部分の工事は後回しになるわけで、便宜を図ってもらっています。カテリーナの全面的なご理解とご協力をいただいて、主日礼拝が普段通り行われていることは、まことにありがたいことです。
工事内容としては、「ピタコラム」と言う、かすがい様の鉄骨による外壁の補強(一部は建物内部にもはめ込むようです)。それと、礼拝堂のように、柱が少なく、空間部分が広く、大きいところは、梁や柱に鉄骨を添え木のようにして補強したり、補強壁を新たに設置するというものです。そのために礼拝堂も集会室も牧師執務室も狭くなるのですが、安全安心には代えられません。特に、カテリーナは150名からの女子学生さんをお預かりしているわけで、社会的責任を果たす点でも、耐震工事は不可避のことだと思います。
「耐震工事に着手」ということで、この4月、カテリーナは満室でスタートできました。2年ぶりのことです。1980年の開業年を除いて、その後は、ずーっと満室で年度をスタートしていたのですが、東日本大震災が発生した2011年、そして、その翌年2012年は満室にできませんでした。大震災の影響はもちろん、恒常的な少子化、不景気、それに加えて、同種施設の過当競争という逆風の中、カテリーナの職員さんたちは、必死になって対策を講じておられたことを、私も、月に一度の「職員ミーティング」に陪席させていただいていて、つぶさに見、聞き及んでいました。ですから、満室スタートの報告は、うれしいことでした。
教会は教会で、礼拝堂に比べると、手狭な食堂ですが、まさしく肩を寄せ合っての礼拝は、出席者同士の距離を縮め、なごやかな雰囲気を一層醸し出しています。日曜日ごとの「礼拝堂」設営、撤収も、たいへんですが、一致協力して作業し、回を重ねるごとに工夫がなされ、時間も短縮、楽しくやっています。「すっかり慣れた頃に、礼拝堂へ戻ることになるんですね」と言葉を交わしつつ、工事の完了を待っています。その日は、小石川教会にとっても、カテリーナにとっても、希望に満ちた再出発となることでしょう。

公 告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二三条の規定に基づき公告致します。
二〇一三年五月一五日
宗教法人
日本福音ルーテル教会
代表役員 立山忠浩

信徒利害関係人 各位

①名古屋教会幼稚園園舎無 償譲渡
・所在地 名古屋市千種区今池3丁目501番地2
イ所有者 日本福音ルーテル教会
家屋番号 501番の1  種 類 幼稚園園舎
構 造 木造亜鉛メッキ銅版葺平家建
床面積  131.22㎡
ロ所有者 名古屋教会
家屋番号 501番の4
種 類 幼稚園園舎
構 造 鉄筋コンクリート造スレート葺2階建
床面積 1階366.32㎡
2階135.5 5㎡
・理由 名古屋幼稚園の学法化(編入)に伴う基本財産の一部として愛知ルーテル学院に無償譲渡する。
②名古屋教会土地無償貸与
・所在地 名古屋市千種区
今池3丁目
地番 501番2
地目 境内地地積 1287㎡
・理由 名古屋幼稚園の学法化(編入)のために、貸与期間を二〇一四年四月一日から二十年間と定め、愛知ルーテル学院に無償貸与する。

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