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機関紙るうてる

るうてる2017年7月号

説教「信じる人の基準」

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イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイによる福音書9・9~13)

「自分の好きな単語と、嫌いな単語を一つずつ挙げるなら何ですか?」ある有名な人がこう質問される場面を見ながら、面白い質問だなと思い、自分なら何と答えるだろうと考えたことがありました。
 好きな単語はいくつも候補が思い浮かびましたが、自分が嫌いな単語は意外とすぐに絞られました。私の中では「先入観」もしくは「偏見」がそれです。
外国での生活がそう思う原因なのか、先入観や偏見に苦しんだことがあったのか、あるいは先入観が自分の成長を妨げると感じたのか、とにかく私は「先入観」という概念を嫌う一人でした。しかし自分ではそう思うものの、私もある種の先入観に囚われている一人に過ぎないことも認めざるを得ません。厳密に考えれば考えるほど、そうです。

 私たちはこの世に生まれた瞬間から、ある人種、ある民族、ある国に属する一人となりました。決してすべての世界を公平に見渡すことは出来ず(一生出来ないかもしれない)、限定された地域、社会、文化の下で、さらに自分が誰と触れ合って、どういう教育を受け、どういう価値観と情報に影響されたかによって、自分のアイデンティティや自分の考えを持つようになります。
 その意味で、私たちが世界や他者を見つめる場合、その殆どは自分が置かれた立場からそれらを見つめることであって、自分以外の視点から物事を考えることはなかなか難しいことかと思います。だから私たちは自分を超えた視点として神を求めているのかもしれません。
 
 私はマタイ福音書9章の記録を、神から遣わされたイエスが世の人々の思い込みを引っ繰り返す物語として読みます。
 その時代や場面では周囲から優れた人間として見られ、自分たちもそう自覚していたファリサイ派の人々、そしてその真逆に、人々から軽蔑される立場として徴税人や罪人と呼ばれていた人がいました。本当は彼らがどのような原因で悪者とされていたのか、なぜ悪者なのか説明がつかないのが、この世の現実かもしれません。
 その中で、イエスは敢えて罪人と呼ばれる人々の方に行かれ、彼らを招き、彼らの友となります。それがイエスを通してこの世界に示された神のみ心であり、憐みです。しかしその姿を見ていたファリサイ派の人々は理解できず、イエスを受け入れられません。彼らの基準では、徴税人や罪人が悪いのは当然であり、その徴税人や罪人と一緒にいるイエスも、彼らにとっては優れた先生ではなく、疑わしい存在なのです。その基準は、神の名を借りているけれども彼ら自身であり、あくまでも正しいのは自分たちだからです。 
 私たちに届いている福音は、一時の限られた人々の判断ではないからこそ、私たちに普遍的な、不変の光を与えます。そしてそれが人間によるものではなく、神からのものであるからこそ、私たちには赦しであり、世にあって私たちを縛るものではなく、自由をもたらすものとなります。
 神を信じるとは、まさに人知を超えている自由な神のみ心と導きに私たちを任せることです。場合によっては自分が担っていた自分の思い、世の事情がつくりあげてきた思いなどを降ろさなければならないでしょう。神の思いは私たちのそれをはるかに超えていて、自由で、しかも憐みに満ちているからです。
 もしも今と違う立場に置かれるなら変わってしまうかもしれない自分の思い、あるいは時間が過ぎ、状況が変わったら今のままではないかもしれない世の様々な思い。私たちの心の基準となるものがどれなのかによって、私たちの命の姿も変わっていくことでしょう。
 「わたしに従いなさい」。あのとき徴税人マタイを呼ばれたイエスの招きと憐みは、み言葉と聖霊の働きを通して今の「私」にも、ひょっとしたら自分の思いで好きではない「あの人(たち)」にも届けられているものかもしれません。
 自分の思いではなく、神のみ心に生きる。別の意味での「信仰のみ」、新たな改革です。
ルーテル学院中学・高等学校 チャプレン 崔 大凡

連載コラム enchu

16【 Imagination 】

 ハンナ・アーレントの『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房)は、アイヒマン裁判の「一つの報告」です。アイヒマンとは、ナチス政権によるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)で、数百万人のユダヤ人を強制収容所へ移送する指揮的役割を担った人物です。
 1961年に始まったこの裁判は国際的な注目を集めました。というのも人々は、ホロコーストの中心的な働きを担った人物がどんな残忍非道の悪魔であるかを目撃したかったからです。しかしアイヒマン裁判は、彼がふてぶてしい大悪人というよりは小役人的凡人であることを明らかにしました。アイヒマンは、「自分は命令に従っただけで無罪である」と主張し、「私の罪は従順だったことだ」と語ったのです。 ハンナ・アーレントは次のように言っています。「アイヒマンはイヤゴーでもマクベスでもなかった。(略)自分の昇進にはおそろしく熱心だったということのほかに彼には何らの動機もなかったのだ。(略)俗な表現をするなら、彼は自分のしていることがどういうことか全然わかっていなかった。まさにこの想像力の欠如のために…(略)。完全な無思想性、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ」。時代を超えていろんな意味で考えさせられる指摘(言葉)です。
 ところで、主イエスは多くのたとえ話を語られました。それはきっと、私たちの想像力を豊かにするためだったのではないでしょうか。想像力とは遠いものを見つめる力のことです。遠いものを見つめ、遠いものをめざすとは、未来(希望)をめざすことです。そう、私たちはそれを「祈り」と呼ぶのです。
 岩切雄太(門司教会、 八幡教会、 佐賀教 会、小城教会牧師)

議長室から

  

総会議長 立山忠浩

前号のこの機関紙で報告されたように、5月10~16日にルーテル世界連盟(LWF)の第12回総会がナミビア共和国の首都ウィントフックで開催されました。限られた字数ですから、印象に残った一つのトピックについてここで記させていただきます。
 新しい議長にナイジェリアのムーサ・フィリバス監督が選出されました。ムニブ・ユナン前議長はパレスチナ出身でしたから、アジアに続きアフリカから選出されたことになります。これは何を意味するのでしょうか。
 ここで頭に浮かんだ記憶がありました。3年前にフィンランド福音ルーテル教会(以下フィンランド教会)が主催する国際会議に招かれた時のことです。そこには、フィンランド教会が宣教師を派遣しているアジアやアフリカの代表者もたくさん招かれていました。 フィンランド教会にとっても初めての企画だったようです。そこで話題となったことは、これまではフィンランドを始め北半球の教会が南半球の教会に宣教し、支援して来たけれども、しかしこれからは逆になって行くに違いないということでした。その南半球とはアフリカとアジアのことです。
 事実世界のルーテル教会では、日本を含め先進国と呼ばれる欧州と米国の北半球の国々の宣教はおしなべて頭打ちで、教勢の伸展は乏しく、大きな壁にぶつかっています。これとは対照的に、アフリカとアジアの国々の教会は成長を遂げているところが多いのです。北半球の教会が南半球の国々にキリスト教を伝え、教会の支援も行って来たという流れは、すでに曲がり角を迎えているのです。
 北半球から南半球へ、あるいは南半球から北半球へというどちらかの流れを強調することは適切な表現ではないようにも思います。フィンランドの会議で考えたことは、互いが尊敬し合い、学び合い、そして協力し合うというフラットな教会の関係の重要さでした。
 私たち日本の教会はこれまで、欧州や米国から学ぶことやそこから支援を受けることに中心を置いていたように思います。無論それを否定する必要はありませんし、感謝すべきことでした。でも、それだけではなく、アジアやアフリカの教会からも学ぶのです。宣教の視野を彼らの教会にも置いて、何か共働できることことを模索し、実行する時が来ているのです。
 LWF総会の新しい潮流。日本の教会も敏感でありたいと思うのです。

2017年宗教改革500年「カトリックとルーテルの共同声明」に学ぶ4-1

石居基夫(日本ルーテル神学校校長)

【本文から】

●共に証しすることに向けてのわたしたちの参与
 わたしたちの重荷となっている、歴史上のこれらのできごとを乗り越えて進むとき、わたしたちは十字架にかかり、挙げられたキリストにおいて見えるものとされている神のいつくしみ深い恵みに応えて、相共に証しすることを堅く誓います。わたしたちが堅く関わりをもつあり方こそが福音へのわたしたちの証しを形作ることを意識して、完全な一致を得ることからわたしたちを妨げている、まだ残っている妨げを取り除くことを求めて、わたしたちは洗礼に根拠づけられている交わりにおける更なる成長に深く関わります。キリストは、わたしたちがひとつとなって、この世が信じるようになることをお望みです(ヨハネによる福音書17章23節参照)。

【学び】

 カトリックとルーテルの両教会が確かな一致への歩みを重ねてきた中で、最も重要な鍵となったのはキリストの福音についてであった。宗教改革は、まさにその一点を問題にして争われたといってよいのだ。だからこそ、いまその歴史を超えて進むという時に、その問題を避けて通るわけにはいかない。そして、その福音を語るということをもっとも大切な使命とするならば、その二つの教会は「争い」の中に留まるべきではないのだ。両教会がそれぞれに相手を非難攻撃しながら、イエス・キリストによって与えられる神の恵みの出来事を証するなどということはありえない。だから、カトリックとルーテルの関係の在り方そのものの中でこそ、福音が証されるはずだというのだ。これが、長い対話を辛抱強く重ねきた力になっている。
 1999年、両教会は「義認の教理に関する共同宣言」を明らかにする。「義認の教理」こそが、その福音の理解をめぐって「争い」を産み出した神学的なテーマなのだ。その教理について、両教会が一致して共有される理解を告白宣言したということだ。この宣言こそ、長い対話のなかで最も大きな成果であり、宗教改革500年を共同で記念することを可能にした文書だといってよいだろう。
 その「義認の教理に関する共同宣言」は、両教会の一致とともに、まだ残されている神学的な相違や課題も示している。今回のこの声明においても、その相違や課題をこれからの歴史を歩む中で克服していくことが、キリストを証する両教会の使命であるとの理解を示しているのだ。

宣教の取り組み  広島教会痛みを知るパイプオルガンで歌う

伊藤節彦(広島教会)
 1996年に広島教会が建て替えられた時から、パイプオルガンの導入は教会員の夢でした。しかし経済的事情を考えると具体化は困難でした。しかし電子オルガンも電子楽器ならではの故障が目立ってきました。そこで5年前から、パイプオルガン導入のための委員会を組織し、どのようなオルガンが相応しいのかを検討しつつ、新品は無理でも譲って頂く可能性はないものかとあたっていました。
 仙台教会出身の佐々木勝彦先生(東北学院大学名誉教授)のご伴侶の佐々木しのぶ先生は『教会オルガニスト教本』の著者としても有名な方です。佐々木先生はご自宅に練習用のパイプオルガンをフィンランドのエローラ社から2000年に購入され愛用しておられましたが、2011年に発生した東日本大震災において被災され、オルガンも損傷を免れませんでした。ご子息のおられる広島にオルガンを避難させるも、その音色を響かせる機会はあまりありませんでした。それを譲っていただけないかとお願いしたところ、「ルーテル教会で使って頂けるならオルガンにとっても一番幸いなことでしょう」と快諾くださったのです。
 オルガンそのものは無償で頂きましたが、オーバーホールと移設、礼拝堂の響きに合わせてチューニングするために450万円ほどの費用がかかることが分かりました。協議を重ね宗教改革500年にもあたる2017年のペンテコステに導入を実現しようと総会で決議しました。そのための献金目標額を500年に合わせて500万円としましたが、総会から2ヶ月ほどで目標額を達成することが出来、教会員の期待と喜びの大きさを感じました。
 人間の声と同じように風によって音を響かせるパイプオルガンは、讃美の歌声にとてもマッチし、教会の典礼楽器として共に歩んできた理由が良く分かります。聖壇上に設置されたことで、司式と奏楽の息を合わせることが可能となり、会衆も讃美しやすくなりました。オルガンとのアンサンブル等、これから様々な可能性が広がっていくことと思います。また、このオルガンは広島教会の礼拝堂の床の色とぴったりであり、サイズも合わせて礼拝堂のデザインに溶け込む、オーダーメイドのような素晴らしいマッチングです。
 このオルガンが仙台から広島に来た理由は東日本大震災でした。あの地震でダメージを受け、持ち主の許を離れて避難してきたこのオルガンは痛みを知っています。そのオルガンを神さまは宗教改革500年の年に蘇らせてくださり、恵みの賜物として与えてくださいました。だから、私たちはこのオルガンと共に、歴史的な痛みを負っているヒロシマの地で、これから更に喜びも悲しみも主の御前に注ぎだしていくことが出来るのではないかと思います。
 広島教会の今年の主題聖句は詩編149編の「新しい歌を主に向かって歌え」です。このみ言葉にあるように、私たちの歌声を通して益々、福音の幸いを宣べ伝えていきたいと願っています。

ルーテル世界連盟 第12回総会に参加して

安藤 風(健軍教会)

 4月のある日、一本の電話がかかってきました。「来月、ナミビアに行かない?ルーテル教会の代表として、LWFの会議に出席してほしいんだけど。」正直よくわからないことばかりで驚きましたが、私はこの依頼を引き受け翌月ナミビアへと飛び立ちました。
 LWFという団体ですが、正式にはThe Lutheran World Federation(ルーテル世界連盟)といい、世界中のルーテル教会が様々な問題に取り組んでいます。恥ずかしいことに、私はつい先日までLWFの存在すら知りませんでした。私は今回ここで多くのことを学び、感じ、私の中の多くのことが変わりました。
 最も印象深かったのは教会の持つ大きなエネルギーと、青年の高い意識や存在感でした。日本のキリスト教徒人口は人口の1%以下です。ましてルーテル教会はさらに少なく、正直、現実社会で教会のエネルギーを感じることは多くありません。しかし私は、世界中の仲間に出会い、語り合う中で確かに教会には社会を動かすほどの力があるということを感じました。人が多かったからとか、世界各地から集まっていたからとか、そんなことではなく、それぞれの人の信仰心や社会問題に対する意識に触れ、大きなエネルギーに満ちた安心感に包まれました。
 LWFの総会では青年たちも総会中に発言をします。夜は青年のミーティングがあり、そこでも自分たちが総会への関わり方を話し合ったり、教会や社会が抱える問題に対する解決策を考えたりしました。日本の青年はどうでしょう?総会で発言するどころか、教会に行くことが難しくなり、やがては教会を離れてしまう青年も少なくないはずです。私は世界中の同年代の青年たちの姿に衝撃を受けました。
 私は今年から7年間LWFの理事を務めます。7年間で何ができ、何をすべきなのか、まだわかりません。しかし一青年でも教会を動かせること、教会が世界を動かせることを私は知りました。この先何が起こるか分かりませんが、思いのままに吹く風に身を任せて7年間の理事を全うしたいと思います。

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より
天の国はあなたがいるところ

伊藤早奈

〈祈り〉天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。今日はどんなことが起こるだろうかと、わくわくしたり、恐れてみたり、なんとなく一日を迎えてみたり、なんだか当たり前に新しい日を迎えることが多いような気がします。このように私たち一人一人が当たり前のように感じるほどに神様あなたは私たち一人一人に命を与えてくださいます。いつも私たち一人一人に命を与えてくださる神様に心を向けて感謝することができますように。このお祈りを主イエス・キリストのお名前を通してみ前にお捧げ致します。アーメン。
 

 「イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。『天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。』」(マタイ13・31~32)
 天の国には必要なものがあります。「種を蒔く人」や「パン種を粉の中に入れる人」で例えられるように人間が必要です。また「種を育む存在」や「パン種を発酵させる存在」それは自然や菌の働きなのかもしれませんが、それらを用いる神様の存在が必要です。種を蒔く勇気もパン種を入れればパンの生地が発酵すると思う心も、種を育む存在でありパンの種を発酵させてくださる存在である神様への信頼がなければ、どちらもできません。
 イエス様が聖書で例えておられる「天の国」というものは、難しいものでも届かないものでもないのです。「天の国」には、あなたが必要です。「天の国」では神様への信頼が必要です。「神様への信頼なんて、難しいなぁ」と思われるかもしれませんが。種を蒔けば草は育つよ。パン種を入れればパンは発酵するよ。と当たり前に思う安心がある日常が神様と共にある天の国なのではないでしょうか。
 ただ、日常に起こる出来事一つ一つに心を留めて、この一つ一つの出来事に神様が働きかけてくださるのだと、あなたが思い起こす時を神様は待っておられます。
神様は言われます。「ここが天の国であるために、あなたが必要です。」と。

追 悼 ヌーディング先生を偲んで

中川浩之(市ヶ谷教会)
 市ヶ谷教会の創立時に宣教師として深く関わられたノーマン・ヌーディング先生が2017年3月25日、サウスカロライナ州の老人ホームで天に召されました。、オハイオ州生まれ。92歳。
 バーバラ夫人と共に来日して間もないヌーディング先生は、1952年6月1日(日)に初めての礼拝を田坂惇巳牧師と共に宣教師館のリビングルームで行い、市ヶ谷教会では後にこれを教会創立の日と定めました。
 1953年5月に東京学生センターが献堂され、先生は学生センター総主事として、田坂先生、牧瀬先生、内海先生、折田先生、石田先生、石橋先生など歴代の牧師と協力して、特に学生伝道に尽力され、夫人と共に多くの学生に慕われました。
 1967年の帰国後は、ELCA本部で宣教師の人事を担当されました。ゴルフが大変お好きでホールインワンを2度達成したことがご自慢でした。

ムニブ・ユナン牧師、庭野平和賞を受賞

 ムニブ・ユナン牧師が、庭野平和財団による庭野平和賞を贈呈されることになりました。庭野平和賞は、宗教的精神に基づいて、宗教協力を促進し、宗教協力を通じて世界平和の推進に顕著な働きをされた個人や団体に贈られ、今年で第34回となります。
 ユナン牧師は、エルサレムでパレスチナ難民の家庭に生まれ、ヘルシンキ大学で神学を修め、パレスチナのルーテル教会で牧師となります。1998年にヨルダン及び聖地福音ルーテル教会のビショップとなり、2010年から今年5月までLWF議長を務めました。
 この間にエルサレムでの聖地宗教評議会を立ち上げるなど、ユダヤ教徒・キリスト教徒・ムスリムの対話促進に献身し、他の教派や宗教との対話と和解を目ざすエキュメニカル運動を進め、多くの宗教指導者との幅広い交流と対話を通して、根気強く諸宗教対話に取り組んでいることが評価されました。
 贈呈式は7月27日に東京で行われ、それに合わせて来日されます。

 

日本福音ルーテル教会  教師試験実施のお知らせ

 2017年度「日本福音ルーテル教会教師試験」を下記要領にて実施いたします。教師志願者は下記書類を整え、教会事務局にご提出くださいますよう、お知らせします。
    記
1.提出書類
 ①教師志願書
 ②志願理由書
 ・テーマ「なぜ『日本福 音ルーテル教会の教師』 を志願するのか」―あな たが考える宣教課題を ふまえて―
 ・書式   横 書き、  フォントサイズ11ポイント
 ③履歴書(学歴、職歴、 信仰歴、家庭状況等を 記入すること)
 ④教籍謄本(所属教会 教籍簿の写し)
 ⑤成年被後見人または 被保佐人として登記さ れていないことの証明書 (法務局交付のもの。任 用試験時に必要になり ます)
 ⑥所属教会牧師の推薦 書
 ⑦神学校卒業(見込)証 明書及び推薦書
 ⑧健康診断書(事務局 に所定の用紙があります)
2.提出先
 日本福音ルーテル教会 常議員会長 立山忠浩 宛
3.提出期限(期限厳守)
 2017年9月15日  (金)午後5時までに教 会事務局へ提出すること
4.試験日及び試験内容
 志願者本人に直接連絡 します。

※「宗教改革500年に向けてルターの意義を改めて考える」は都合により休載します。

青年バイブルキャンプへのお誘い

TNG委員会ユース部門      竹田大地

 TNGユース部門では、数年前から毎年夏にバイブルキャンプを開催しています。今年は、8月14日(月)から16日(水)に日本ルーテル神学校を会場に開催します。宗教改革500年という機会が与えられていますので、「『キリスト者の自由』を読む」をテキストにして、奉仕についてみ言葉から聴き、学んでいきたいと考えています。
 TNG部門では、ルーテルこどもキャンプ、春の全国ティーンズキャンプが、次世代育成の大切な働きとして続けられています。小学5年生から高校3年生までの子どもたちに向けて聖書に則ったプログラムを実施し、当該キャンプに参加したことによって、洗礼、堅信に導かれ、また牧師として召された子どもたちや青年たちがいます。継続的な働きが、神様からの賜物を豊かに顕してくださっているということをTNGに属する者として感じていますし、大きな喜びが与えられています。
 しかしながら、TNGの最終段階であるユース部門には、長年そのような継続的なプログラムはありませんでした。そこで問題となったのは、ティーンズキャンプまで参加し卒業した子どもたちのフォローができずに教会と青年を結びつける働きが不十分であることです。この反省を踏まえてバイブルキャンプは、春のティーンズキャンプ卒業生のフォローアップをする企画として考案されました。またそれだけに留まるのではなく、青年たち自身がキリスト者として成長することを目標としました。
 そのために聖書に親しみ、神様のみ言葉に聴く働き人として歩む喜びを感じてもらえるようにプログラムを考えています。それだけでなく信仰の友との再会、出会いを大切にしています。
 また今回は、日本福音ルーテル教会の宣教の歴史の中で、教会が主体、母体となって立ち上げられた施設などを知る機会ともしたいと考えています。
 皆様の教会にいらっしゃる青年たちをお誘いくださり、当キャンプに遣わしてくださいますようお願いします。

ディアコニア・キャンプのご案内

 東教区が主催するディアコニア・キャンプに参加しませんか。障がいのある教会の仲間と夏を過ごします。昨年参加した東谷清貴神学生の感想と共に、ご案内します。
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 重度の障がいのあるメンバーの方と寝食を共にし、介助をすること自体初めてのことで、何かと戸惑ってばかりでしたが、貴重な経験をさせていただいたと思っています。
 私の役割は、主に車椅子での移動や食事のときの介助でした。しかし車椅子から別の椅子へ移動する際、メンバーの方をどのように抱えたら良いのか、というところで早速立ち止まりました。子どもとは違って、大人の方を抱きかかえるわけですから当然のことかもしれませんが、実際に抱えたとき、こんなにも重くて力が要るのかと驚きました。万が一のことがあっては大変だと思うと、緊張を覚えて固くなってしまいました。
 何か心の中に壁ができて、相手の方とどう接していいのか、わからなくなってしまったのだと思います。医師でもあるキャンプ長や介護施設で働いている方からのご指導を仰ぎながら懸命に抱きかかえましたが、ぎこちない動きを繰り返すばかりで、なかなかうまくいきません。相手の方に苦痛を与えているのではないかと思うと辛くなりました。
 しかし、スプーンを使って食事の介助をしたり、食後にその方が好きな塗り絵をしたりするうちに、言葉でのコミュニケーションが図れなくても、その方の気持ちがわかってくるようになりまえていくと、体重を私に預けてくれるようになり、私もしっかりと受け止めて抱きかかえることができるようになりました。体力は限界でしたが、ディアコニア・キャンプの中で与えられた恵みの時だったと感謝しています。     (東谷清貴)

第4回東所沢ディアコ ニア・キャンプキャンパー募集

【日程】2017年8月11日(金)~13日(日)
【場所】埼玉県所沢市東所沢2 46 12(民家)
【参加資格及び募集人数】キリスト教会員または求道者で16才(高校生)以上の方6名
【費用】3000円(参加者の教会で補助していただければ幸いです)
【チャプレン】小勝奈保子(聖パウロ教会牧師)
【キャンプ責任者】原田積夫(保谷教会会員)
【申込締切】8月6日
【申込・問合せ】 電話または郵便にて以下へ
原田積夫 電話04(2945)8769(夜間18時~22時のみ)
〒359 0021 
所沢市東所沢3 9
*申込時に氏名、住所、電話、年齢、所属教会をお伝えください。
 

春の全国ティーンズ キャンプ2018 スタッフ募集

 来年の春の全国ティーンズキャンプ(春キャン)は、2018年3月27~29日に、兵庫県神戸市にある「神戸市立自然の家」にて開催します。
 春キャンの2泊3日を参加者と一緒に過ごしてくださるスタッフを募集します。

【募集スタッフ】
リーダー、オーディオ、マネジメント、賛美です。
[リーダー]ティーンズに心を配り、対話し、信仰的に導きます。
[オーディオ]キャンプのプログラムを支えるスライドの作成や機材管理をします。 パソコンが使える人、カメラが得意な人、編集に興味のある人など。
[マネジメント]キャンプの運営に関わります。
[賛美]楽器の演奏や歌で、賛美を導きます。

【応募条件】
①前日準備日(3月26日)とキャンプの3日間の全日程に参加できること。
②リーダーへの応募者は、20歳以上の受洗者であること。(幼児洗礼の場合は堅信者)

【申し込み方法】
左記①~⑥についてすべて記入し、メールで申し込んでください。(応募の結果により、人数や予算の関係でご要望に添えない場合もあります。どうぞご了承ください。)
①名前、教会名、応募について承諾を受けた牧師の名前。
②受洗日、堅信日。(未受洗者は未受洗と書く)
③右記のスタッフ役割の中から希望する役割。
④現在、月に何回ぐらい教会の礼拝に参加していますか。
⑤ルターやルーテル教会について知っていることを一つか二つ書いてください。
⑥教会に通っていてよかった、また嫌だった(通っていなければよかった)ということを、その理由も一緒に教えてください。それらの出来事が、あなたと神さま・家族・友だち・教会の人たちとの関係に、どのような影響を与えたかということにも触れて書いてください。

【申し込み先】harukyan.moushikomi@gmail.com
(担当・永吉穂高)

【締め切り】
2017年8月31日必着

【注意事項】
なお、キャンパーへの影響を考え、キャンプ中や引率時の喫煙は控えてください。

日本福音ルーテル教会宣教室TNG委員会ティーンズ部門

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