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機関紙るうてる

るうてる2015年12月号

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説教「罪人たちのクリスマス~All I want for Christmas is You Sinner! 」


「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実あり、そのまま受け入れるに値します。」(テモテへの手紙一1章15節)

クリスマスが近づいて来ると、1994年にヒットしたマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス(原題「All I want for Christmas is You」クリスマスに欲しいもの、それは”あなた”)という曲が自然とわたしの頭の中に流れてきます。でも本当は「恋人たちのクリスマス」ではなくて「罪人たちのクリスマス」というのが真実なのではないでしょうか。キリストがこの世にお生まれになったその意味を考えると、そのように思えてくるのです。
 スウェーデンの作家で1909年にノーベル文学賞を受賞したセルマ・ラーゲルレーヴという人がいます。この人はキリストに関する伝説のようなものを題材にして小説を書いていて、その中に『わが主とペトロ聖者』という小さな短編があります。芥川龍之介の有名な『蜘蛛の糸』のお話の元になったとされる作品で、大変興味深いお話です。
 お話をわかりやすく要約しますと、イエス様とペトロとが天国に行って、天上から下界を見ていると、ペトロが下界の様子を見て泣くのです。「自分はこうやってイエス様と一緒に天国に来て大変幸福だ。でも自分の母親はじつは地獄で苦しんでいる。だからぜひ、母親を天国へ連れてきてほしい」とイエス様にお願いをします。イエス様はその時ペトロに「なぜ、お前の母親が天国に来られないのか?きっと、お前の母親は大変お金にうるさくて、欲が深いから天国に来られないのだ」と言います。ペトロは「そんなことはありません。あなたは必ず人をお救いになることだから、ぜひわたしと同じように天国へ母親を連れてきてほしい」そう願います。そこでイエス様は、天使に命じて、「お前は地獄へ下りて行ってペトロの母親を迎えに行きなさい」と言います。そのイエス様の言葉を受けて、天使は羽を広げて矢のように地獄へと下って行き、ペトロの母親を迎えに行くのです。ペトロはしばらく地獄を覗き込んでいますが、なかなか天使が上がって来ません。しばらくして、天使が勢いよく下から母親を連れて上って来るのが見えてくるのですが、よく見ると、その母親の肩と言わず腕と言わず足と言わず、大勢の人がしがみついています。そして大勢の人たちがしがみついているにもかかわらず、天使は勢いよく天国に向かって上って来るのです。「おお、すごい!」しかし、よく見ると、ペトロの母親が途中で、自分にしがみついているその人間をどんどんと振り落としていっています。そして不思議なことに、人が下へ下へと落ちて行くにしたがって天使はだんだん上ってくる力が弱くなってくるのです。とうとう、最後の一人が母親に必死にしがみついていますと、天使は喘ぎ喘ぎ上ってくるようになる…そして天使が喘ぎ喘ぎ上って来る途中に、最後に残った一人を母親が振り落とすと天使は力を失って、とうとう上りきれなくなってしまい、結局天使はペトロの母親を振りほどいて下りて行ってしまうのです。それを見てイエス様がペトロにむかってこういうふうに言いました。「お前はこの有り様を見たか?だからわたしが下界へ下りて行ったのだ」。
 キリストは天国から下界を見下ろしていて、人々が天国に自分の力で上ってくるのを待っている…そういうお方ではなく、人間のこの罪の世界に自ら下りて行くお方である…そのことをラーゲルレーヴはこのお話から語っているのです。
 「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します」と聖書はわたしたちに告げています。クリスマスにイエス様がお生まれになった。罪人を救うためにこの世に来られたイエス様のご降誕を「罪人たちのクリスマス」としてお祝いしたいものです。イエス様もきっとこのように言いたいのではないでしょうか。「All I want for Christmas is You Sinner! 疲れはてし罪人よ、われにとく来よ!」。メリー・クリスマス!
日本福音ルーテル板橋教会・東京教会 牧師 後藤直紀

宗教改革五〇〇年に向けてルターの意義を改めて考える(44)

ルター研究所所長 鈴木 浩

ヘブライ語のツェダカー(義)には、神の救いと強い関連があった。神はイスラエルの敵からイスラエルを守り、圧迫する者から個人を救い出す。それが、神のツェダカーであった。
 ところが、ラテン語のユスティティア(義)は、もともと世俗的な単語で、ツェダカーが持っていた救いと関連したニュアンスはなかった。その上、ユスティティアという言葉には、「ローマ法」の定義に基づいた理解が重なっていた。
 ユスティティアは、「各々の人に、その人自身が権利として持つものを与えること」としての義(正義)を意味していた。そして、その意味合いが、神学の領域に忍び込んで来ることは避けられなかった。
 「神の義」をめぐる本格的な論争は、アウグスティヌスとペラギウス主義者の間で行われた。ペラギウス主義者によれば、神は「正しい人を義とする」方であった。アウグスティヌスは「神は罪人を義とする」方であると反論し、「神の義」は、人間の正義とは違うと論じて、「ぶどう園の労働者」のたとえを持ち出す。神の義は、朝早く働き出した人にも、遅く働き出した人にも、等しく向けられる。たとえ話はそう語っている。

議長室から

「備えの日を積み上げよう」

総会議長 立山忠浩

待降節、アドベントに入りました。アドベントとは、「少しずつ近づく」という意味。クランツ(リース)のろうそくに主日ごとに1本ずつ火を灯していくことは、アドベントの意味を目に見える形で表現しています。1週間ごとに相応しい備えの日を積み重ね、そしてクリスマスを迎えたいものです。
 準備すべきことは様々でしょう。クリスマスは道行く人々が教会に目を向ける唯一の時と言っても過言ではありません。キリスト教に興味を持ち、教会を1度覗いてみたいと思っていても、その1歩を踏み出すことがどんなに勇気のいることか、私自身が学生時代に体験したことでした。教会の近くまで何度か行きながら、なかなか入ることが出来なかったのです。そんな思いを抱いている人にとっては、クリスマスほど教会の敷居が低くなる時はありません。事実私自身が初めて教会に足を踏み入れたのがクリスマスイブでした。もっともそれはルーテル教会ではなく、カトリック教会でしたが。 道行く方々を一人でも教会に招くために、私たちはそのような方々の目線を意識して準備をしていくのです。
 そのような教会の外に向けての準備があるのと同じように、教会の内に向けての準備もあることでしょう。教会の内とは、信仰者の群れであり、教会の中にいる自分のことです。この時期は何かと教会の行事が多くなる時。集会も増え、その準備のために何かと慌ただしくなるのです。食事を共にするにしても誰かが準備をしなければなりません。教会学校のクリスマス会の準備があり、教会によっては聖歌隊の準備もあることでしょう。その準備のためにもっとも心を騒がせているのは牧師なのかもしれません。
 でも、もっとも大切な準備はそれらではありません。様々な準備は無論重要なことですが、その前にしなくてはならない備えがあるのです。それはみ言葉を思い巡らすことです。マリアは受胎告知の天使の言葉を思い巡らし、心に留め続けたのです。私たちは主日ごとに語られる説教を思い巡らし、聖書日課で与えられたみ言葉を心に留めるのです。
 内に向けて、そして外に向けての相応しい備えの日を積み上げましょう。後はすべて神様の働きに委ねれば良いのです。

神の教会 下関教会宣教100周年の喜び

岡本隆子(下関教会)

 10月31日10時30分に鐘が鳴り、オルガンの前奏と共にろうそくに火が灯され、下関教会宣教100周年記念礼拝が行われました。120名近い方々の出席があり、懐かしいお顔も大勢ありました。
 前奏を聞きながらこれまでの事が心に浮かんでは消えていきました。昨年久しぶりに開催された春と秋のバザー、記念コンサート、練習に明け暮れた聖歌隊、記念誌発行の作業、教会建物の改修、教会内外の整理と清掃、直前の準備など、本当に忙しい日々でした。特に今年は連日打ち合わせ、準備作業、聖歌隊練習が重なり、「出勤簿があればみんな皆勤賞だね」と笑い合いました。信徒一同、本当に一丸となって準備をしてきました。
 考えてみれば、個性豊かな人々が誰に命じられるのでもなく、できることを無理なく、心を込めて仕事をしているというのは不思議なことです。皆が同じ目標に向かって歩んでいる強さを感じました。神様の交わりによって皆が動かされているとしか思えません。私自身、一つ一つの準備で確かに神様が共にいてくださると感じ、この恵みのうちにあることを神様に心から感謝しました。
 説教は小泉基牧師に担っていただき、下関教会の歴史、ご自身の下関教会での思い出を交えながら、神様のみ言葉をとりついでくださいました。滝田西教区長が「50周年は一人一人の顔が見え、人で成り立つ感のある教会だが、100周年となると真に神様の教会と感じる」とおっしゃり、100年とは確かにそういうことだと思いました。歴代の牧師、信仰の先達のご苦労を感謝しつつ、神様の下に一つになった気がしたのは私だけではなかったでしょう。
 記念講演会で、立山総会議長から「宗教改革500年に向けて 日本福音ルーテル教会の取り組み」とのお話を伺いました。ルターの教会として500年に向けての準備が始まることに、胸の高鳴りを覚えました。
 こうして、喜びと感謝に満ち溢れた一日が終わりましたが、祝賀会最後の挨拶に立った市河代議員の「念願の100人礼拝がこのようなかたちで実現するなんて感謝です」の言葉に、信徒一同は、この恵みと感謝の気持ちを伝道へつなげてゆきたい、神様はそれを望んでいらっしゃると感じました。

主よ、あなたはわたしの希望 なごや希望教会・宣教100周年

松隈芳久(なごや希望教会)

 ハンドベルが奏でる「わが神は、やぐら」が、満堂の今池礼拝所に記念礼拝の始まりを告げる。10月18日、福音書記者ルカの日。
 1915年、この地方最初のルーテル教会として名古屋教会が誕生した。10年後には幼稚園が併設され、教会と共に主のご用に仕えてきた。希望教会の誕生は1965年、その15年後に名東教会が生まれた。この3つの教会が6年前に一つになった。今はそれぞれの礼拝所に集いつつ、合同礼拝を重ね、女性会、壮年会など組織の一元化にも努めてきた。近い将来、宣教的に優れた今池の地に新会堂を建て、そこに集結する。有能な建築アドバイザーのもとで学習会を重ねてきたが、建築費の高騰という逆風の中、勇気を、冷静さを、知恵を、と祈り求めつつ進める事業となろう。
 記念礼拝前日には、淀川キリスト教病院の柏木哲夫先生の講演会。聴く者を和ませながら、終末医療のあるべき姿が語られた。記念イベントは、この先、アドベントとイースターにコンサートが予定されている。100周年記念誌「エルピス(希望)」も発行された。合同前の個々の教会の通史と、なごや希望教会6年の歩みに添えて、教会員44名の未来に向けた投稿が綴られている。
 記念礼拝の福音書の日課はルカによる福音書10章。「私たちの名が、キリストの血によって、神の掌に『書かれてしまっている』」と、神様の思いを伝える末竹十大牧師の言葉が熱を帯びる。礼拝後は記念撮影。聖壇のまわりに溢れる約120名が、どうにかカメラにおさまり、祝会へ。
 にぎやかに時が過ぎ、国際礼拝バンドの演奏が始まる。国際礼拝は、この地に住む多国籍の人々が霊的に新たにされる場所。日曜日の夕に礼拝を持つ。名東礼拝所から2年前に今池礼拝所に移ってきた。フィナーレの「主よ、みもとに近づかん」の演奏に声をあわせる。宣教2世紀も、希望の主が導いてくださる。

2015年宣教会議

事務局長 白川道生

 第26総会期2回目となる「宣教会議」が9月29~30日にかけて、東京ルーテル市ヶ谷センターにて開催されました。この会議の出席者は、全体教会執行部4役、各教区から常議員が3名、教会事務局の室長2名(総務室長、宣教室長は兼任のため)加えて、信徒選出常議員の合計22名でした。
 はじめに立山忠浩総会議長より、「日本福音ルーテル教会 第六次総合方策の主要課題」に関する所見が、会議の導入として述べられました。
ここで列挙された事項は、①「財務課題」②「世・社会に仕える=ディアコニア活動」③「宗教改革500年記念事業」④「その他の課題」(収益事業の継続、教職給与、他法人への支援)と分類され、いずれも課題指摘の解説に留まらず、2012年以降に積み上げてきた足跡と課題解決への道筋の提案を含むものでした。
 続いて、事務局長より、JELCの教勢と考慮するべき基礎予測の分析結果がデータで説明されました。ここでは「教職の大量引退」の実態を「向こう10年で32名が定年引退を迎え、2025年に最も教職数が減少し、80名強となる予測」を基礎動向と示し、これを考慮した討議が促されました。
 全体教会事務局を構成する各室からは、管財室よりJELCの財務状況全般と教会建物の適切な保全管理、加えて収益事業の見通し分析の説明、宣教室と広報室は前後半につないで、宗教改革500年記念事業の中で、全体教会が展開する、3つに分類した企画、①学習運動の推進、②ギフトキャンペーン、③カトリック教会と共同して実施するプログラムの可能性等々について、記念事業へと関心を集める広報面での効果的なやり方と展開について発題がありました。
 また、各教区には本会議に先立って「各教区における優先的な課題とこの後に続く課題予測」と「宗教改革500年記念事業への取り組みを通して教区に生み出そうとする事柄」の2点について発題レポートが要請されていました。各教区での方策、直近の報告と発題があり、相互に宣教の実践を学びあうと共に、現状認識を共有しつつ、問題点そして解決方法を適切に実行するため、どのように自立と連帯をバランスさせるかといった、踏み込んだ討議につながっていきました。
 加えて今回の会議には、平岡式文委員会長にも出席を要請し、現在進行中の「礼拝式文改訂」に関する討議時間を設けました。既定決議に沿って、2016年全国総会に向けて進んでいる式文作成作業のペース及び神学、実施中の全国説明会で挙がった課題事項、規範性等など、意見交換により認識を深めました。
本会議の終わり、まとめの時間では出席者全員が思いを述べましたが、困難な状況に直面している各教会の情況を直視しながら、重い悩みを上回って、宣教の進展に向かう意思と実行への決意が語られたのが印象に残りました。
なお、この「宣教会議記録」は各教会に送付されてまいります。

ルター、バッハ、宗教改革500年

②十字架の主、同時に勝利者キリストの降誕

天よりくだりて 嬉しきおとずれ(教会讃美歌23版)

徳善義和

 1737年降誕日の12月25日から新年の1月6日(顕現日)までの6回の礼拝のためにそれぞれカンタータを作曲したバッハはこれをまとめて「クリスマスオラトリオ」とした。「主の命名日」(1月1日、ヘ長調)のほかの5つのカンタータはニ長調を基調として統一されている。
 もちろん降誕日のカンタータではルターの作詞作曲の「天よりくだりて」が歌われる。ルターが自分の家庭のクリスマスで、子どもたちもよく知っている「海の向こうから私は来ました」というなぞなぞ歌のメロディーに載せて作詞し、恐らく口伝えで子どもたちに歌わせたのだから、その原詩を直訳して「空高くから私は来ました」と歌うのがよいと私は思っている。全15節の歌詞はそれ自体クリスマスの寸劇の趣きをもっている。後になってルターは現在のメロディーを自ら作曲したのである。カンタータでもこれを聞くと「ああ、クリスマス」と思うのだ。
 しかし意外な曲も響く。第1のカンタータの第5曲のコラールが歌われると、心ある会衆はハッとさせられる。歌詞は「どのように私はあなたを迎えましょうか」だが、メロディーはまぎれもなく受難節の「血しおに染みし 主のみかしら」(教81)だからである。主の降誕日に迎える方は十字架への道を歩む方であるから、人はこの方をどうお迎えすればよいのかと問い掛けているのである。
 しかもバッハはこのメロディーを、顕現日のカンタータで、全体の最終曲の合唱でも使うのである。伴奏には祝祭にふさわしいトランペットまで用いられて、この主は十字架によって私たちのために勝利をもたらされたという明らかなメッセージを伝える。
 降誕節の礼拝に語るべきメッセージの核心をバッハはルターから引き継いでこのオラトリオによっても私たちに告げていると聞くべきだろう。

聖書日課セミナーに参加して

米田節子(大阪教会)

 10月19~22日、今年は姫路城の近くのホテルを会場に第24回となる聖書日課セミナーが行われました。講師には、西日本福音ルーテル教会の教職であり、ルーテルアワーのラジオ牧師として活躍されている有木義岳先生がおいでくださいました。
 学んだのは「列王記」です。聖書研究会でもなかなか学ぶ機会のない「列王記」は、きっと難しいに違いないとドキドキしながら講義が始まりました。
 先生は、列王記が神の民イスラエルの700年に及ぶ栄華盛衰を描くものであることをお話ししてくださいました。その後は、特徴的な王様を取り上げてくださり、その一人一人のあり方の中に、私たちの信仰のあり方もあることに気づかせてくださいました。人間の表も裏も神さまの愛に捉えられ用いられているということをとても身近に教えられました。
 また先生は、聖書をサラっと読んではいけないと教えてくださいました。分からない地名が出てくれば聖書地図や辞典で調べてみましょうと。そうすることで、たとえば登場人物が町を移動したというとき、どのくらいの距離を移動したかを知るだけでも、その旅の過酷さを心に留めて聖書を読めるでしょうとおっしゃるのです。
 そのような仕方で、有木先生は、さすがラジオ牧師ということもあり、まるで「み言葉を聴く」ように、「列王記を学ぶ」というよりも、「列王記を聴く」という経験を私たちにさせてくださいました。
 食事毎の参加者の方々の「証し」にも励まされる3日間でした。全日程、素晴らしい天候に恵まれ、2日目には姫路城を参加者で訪問。ゆっくりと観光もできました。
 来年は10月17~19日、熱海を会場に、鈴木浩先生により「マルコによる福音書」を学びます。今から是非、ご予定ください。

実践し続けた神学者 石田順朗先生を偲ぶ

清重尚弘(九州ルーテル学院院長)

 敬愛してやまない石田順朗先生のご逝去を悼み、ご家族の皆様の上にお慰めをお祈り申し上げます。
 先生は、生涯「実践し続けた神学者」でいらっしゃいました。象牙の塔にこもらず、どこでもオープンに交わり行動なさり、さらに広い世界の地平へと歩み続けた希有の存在でした。
 何よりのご貢献は、ルーテル世界連盟でのご活躍。7000万人会員の組織の3部門の1つ、神学部門の長として、慕われ、存在感を示されました。例えば、南アフリカのアパルトヘイトへの明確な批判宣言を「信仰告白的事態」として表明した背後に、先生の並々ならぬご尽力がありました。また、連盟の機構改革問題。単なる制度変更でなく、連盟は、キリストの体たるコンミュニオンの表現であるとする自己理解へ飛躍するプロセスで、神学的対話に尽くされました。ローマカトリック教会との対話もご在任中に伸展しました。連盟を退かれて母校シカゴ神学校から招聘され、グローバルミッション研究所を設立、長となって、エキュメニカルな宣教師養成の責任を負われました。その後、前田貞一理事長の招きに応えて、九州女学院短大の4年制大学化を見事に達成。ユニークなグローバル教育を作り上げました。さらに刈谷で牧会委嘱として10年間にわたる宣教牧会に専心されました。
 若き日に岸千年牧師の熱烈な説教に霊感を受けて献身を決意。その初心を忘れず、東京の神学校教授時代に仙台市鶴ヶ谷での新しい伝道の理論をフィールドリサーチを踏まえて構築、信徒運動と共に歩まれました。その時代こそ東教区が宣教に燃えて、まさしく「元気」(ご近著より)を伝える教会の姿を示したのでした。
 生涯「実践し続けた神学者」として、優しい笑顔で周りを包みつつ歩まれた先生の足跡を偲びつつ「元気」を分けていただけることを深く感謝致しています。

ブラジル宣教50年記念訪問団報告

       
団長・副議長 大柴譲治

 「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」(コヘレトの言葉3・1)とあるように、10月9日より22日までの2週間、私たちは総勢6名でブラジルを訪問しました。日本福音ルーテル教会(JELC)が宣教師を派遣して50年という節目の「時」を記念し、共に祝うためです。 JELCはこの間、藤井浩、塩原久、土井洋、竹田孝一、塩原久、紙谷守、渡邉進、徳弘浩隆(現在)という8組の宣教師とその家族を派遣してきました。JELCのブランチとして始まったサンパウロ教会は1987年にブラジル福音ルーテル告白教会(IECLB)に加入。1997年に南米教会が加わり日系パロキアを形成します。ブラジル人牧師である大野健師(2013年に召天)とルイス・カルロス・メロー師(現在)を加え10人の教職がその歴史に関わってきたことになります。
 10月11日にサンパウロ教会の前にある佐賀県人会館で行われた記念聖餐礼拝と祝会には300名を超える参加者が与えられ大いに盛り上がりました。塩原牧師も来伯しておられました。その後私たちは、メロー牧師とアリセ・サノさん、徳弘牧師・由美子さんご夫妻、稲垣敦さんを加え、サンパウロ、リオデジャネイロ、ポルトアレグレ、イヴォチ、イタチ、グラマド、イグアスと足を運び、ブラジルという国の広大さと多様性とエネルギーと日系移民たちが積み重ねてきた歴史の重みなどを感じつつ、そこに確かに神の「祝福の時」が備えられてきたことを味わいながら旅を続けました。10月18日にポルトアレグレ教会の主日礼拝で麻生正治さん(92歳)のお孫さんラファエルさん(8歳)の洗礼式と聖餐式に立ち会えたことは「神の時」を現す意味でも大変に印象的かつ象徴的なことでした。私たちを温かく受け入れてくださった徳弘牧師をはじめ現地の諸教会に感謝すると共に、祝福をお祈りいたします。

ルーテル「連帯献金」のお願い

 日本福音ルーテル教会は、今日の社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害・飢餓に苦しむ方々に連帯したいと願い祈ります。そのために「連帯献金」の呼びかけを致します。今年度も各個教会及び教会員・教会関係者の皆様から、多くのご献金を感謝致します。今後ともご協力をお願いいたします。

[ブラジル伝道]

 1965年から日本福音ルーテル教会の海外伝道として誕生した、サンパウロにある日系人教会の宣教支援と2009年4月より宣教師として派遣されている徳弘浩隆牧師夫妻の働きを支えるために、毎年200万円の募金目標を掲げています。ブラジル人牧師との協働などにより活発に活動が続けられています。

[喜望の家]

 1976年に開設された大阪の「釜ヶ崎ディアコニアセンター喜望の家」は日本福音ルーテル教会のセンターです。アルコール依存を抱えた方々の支援・相談、アルコールを飲まない生活を支えるための「自立生活支援プログラム」の提供、病院訪問、さらに「路上生活相談」として、路上生活を余儀なくされている方の生活や医療の相談を行い、路上生活から脱出を手助けする支援を展開しています。

[メコン流域支援]

 日本福音ルーテル教会は「メコンミッション活動」として、メコン川流域の人々のための宣教・教育・奉仕事業を香港、シンガポールのルーテル教会と共同で展開しています。

[世界宣教のために]

 緊急の支援を必要としている人々の救援活動及び宣教・奉仕活動に対応するために「無指定献金」を設けています。無指定献金の配分・送金先はJELC常議員会に委ねられています。

▼上記献金の送金先▼
「連帯献金」を捧げてくださる場合には、それぞれの献金目的を郵便振替用紙に明記して、以下の口座に送金くださるようにお願いします。
郵便振替:00190-7-71734
名義:(宗)日本福音ルーテル教会

公告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。

2015年12月15日
   宗教法人 
   日本福音ルーテル教会
    代表役員 立山忠浩

信徒利害関係人 各位

◎東京池袋教会牧師館建物 解体
■所在地 東京都豊島区池袋3丁目1633番地1
■所有者 日本福音ルーテル教会
■種類 牧師館
・家屋番号 
    1633番1の2
・構造 木造亜鉛メッキ銅板葺2階建
・面積 
 1階 79・31㎡
 2階 71・91㎡
■理由 老朽化により牧師館を新築するため。

◎天草旧教会用地一部売却
■所在地 上天草市大矢野町上字豊後谷
■所有者 日本福音ルーテル教会
■地番 5915番2
 地目 宅地
 地積 41・70㎡
■ 理由 主要道路拡張のために上天草市に用地の一部を売却するため。

◎小岩教会土地一部収用
■所在地 東京都江戸川区南小岩三丁目
■所有者 日本福音ルーテル小岩教会
■地番 1202番
 地目 境内地
 地積 34・49㎡
■理由 道路拡張のために東京都に教会用地の一部を供するため。

◎小岩教会建物解体
■所在地 東京都江戸川区南小岩三丁目
■所有者 日本福音ルーテル小岩教会
■種類 教会堂
・家屋番号 1202番
・構造 木造・亜鉛メッキ鋼板葺平家建
・床面積 134・42㎡
・地番 1203番、 1204番
■種類 保育所
・家屋番号 1203番
・構造 木造・亜鉛メッキ鋼板葺2階建
・床面積
1階 215・00㎡
2階 50・40㎡
・地番 1204番
■種類 居宅
・家屋番号 1204番
・構造 木造・亜鉛メッキ鋼板葺2階建
・床面積 1階 55・29㎡
    2階 28・09㎡
・地番 1204番
■理由 道路拡張による土地収用と老朽化による建て替えのため。

教会手帳住所録の修正

 2016年版教会手帳住所録につきまして、表記に誤りがありました。お詫びして訂正いたします。また、住所録校正後に変更のご連絡をいただいた件についても併せてお知らせいたします。スペースの都合上、詳細については次号へ掲載いたします。内容については、事務局(電話03・3260・8631)へお問い合わせください。
 P15教会・水俣教会→電話FAX
 P16引退・白石郁夫→住所
 P18引退・V.ソベリ→電話
 P20召天牧師配偶者・石居美智→住所
 P49学校・浦和ルーテル学院→住所、電話FAX校長等

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