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機関紙るうてる

るうてる2015年1月号

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説教「希 望」

それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。 コリントの信徒への手紙一13章13節

定年を控えて振り返ると、私は高校3年生の春に洗礼を受けました。家庭の事情により心の中に空しさがあり、イエス・キリストに従う生き方に希望を見出したからです。洗礼を受けた頃は昂揚感に包まれ、楽しかったのですが、年を取るにつれ、別の空洞があるのに気づきました。早い話、自分が悪いのに、あなたが悪いと人を傷つけて、その事に気づかない浅はかさ。想うべきでない事を喜んで想い、為すべきでない事は、これを喜んで為す卑しさ、愚かさ。 このような心の闇が徐々に深くなっていくのです。
 教会の1日神学校で、ボンヘッファーの獄中詩を学びました。彼は「私は何者か」と問い、次のように語ります。「人は、私が平然と微笑み、誇らしげに不幸の日々を耐えていると云う。しかし、私は籠の中の鳥のように落ち着きをなくし・・・些細な侮辱にも怒りのために体を震わせ、祈りにも思索にも疲れ果てる」。そして「偽善者」と「哀れな弱虫」のどちらなのかと、自問自答を繰り返し、最後を「わたしが何者であるにせまでも神のものであるという、神への強い信頼から来るものに違いありません。このように神を深く信頼する心は、あの厳しい状況にもかかわらず、最後まで神に従おうとする試練を通して、神から彼に与えられた恵みなのかもしれません。
 遅かれ早かれ、人は誰でも死と向き会う時が来ます。ボンヘッファーが身をもって示す通り、神に対して誠実に歩む人は、確信を与えられ、最後まで希望の中を歩むことが出来るのでしょう。翻って自分を顧みると、私の歩みは神と人に対して正しく向き合う厳しさに欠けています。生ぬるいだけでなく歪んでいます。心の闇は、やはり抱え続けています。ですから私は、自分の死に臨み、彼のような確信に立ち、澄んだ瞳で神と向き合う事が出来るのかと自分に問えば、ただ沈黙をして、下を向くだけです。
 イエスと共に 十字架に付けられた、あの犯罪人が頭に浮びます。彼にもそれなりの事情があり、あのように空しく最期を迎えることになったのでしょう。外側はともかくとして、歩みの中身を神から見たら、私と彼の歩みには違いがあるとは思えません。あの詩の言葉を借りれば、私は間違いなく「偽善者」と「哀れな弱虫」の両方を併せ持つ人間に見えるでしょう。結局のところ、私は彼と同じなのです。彼はイエスに「わたしを思い出してください」(ルカ23・42)と憐れみを乞います。
 私も、神に対して不誠実な歩みしか持たない、ありのままの自分を差し出して「このままの私を、どうぞあなたの御心に留めてください」と願うだけです。彼はイエスから「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23・43)と約束の言葉を頂きました。私も、御国へ向かう人々の、最後の列の一人として「お前は私のもの」と神に呼び出されるなら、これに優る喜びはありません。
 このように、確かに私にも神から慈しみと憐みが与えられることに希望を抱き、これから先、頭を挙げ、1日1日を歩むことが出来れば幸いです。
日本福音ルーテル水俣教会・八代教会牧師 吉谷正典

宗教改革五〇〇年に向けて  ルターの意義を改めて考える(33)

ルター研究所所長 鈴木 浩

九七箇条の提題の第四提題には、人間は「悪い木になったので、悪いことしか考えない、悪いことしか行わない」という主張があった。
 しかし、われわれは善いことも考え、善いことも行っている。そうでなければ、社会は成り立たないからである。だから、ルターの主張には同意できないと考えるのが普通である。
 ルターの発言を理解する際に重要なのは、「神の前で」と「人々の前で」というルターの厳格な区別である。
 「神の前で」とは、「神の判断基準に立てば」という意味であり、「人々の前で」とは、「社会倫理的判断基準に立てば」という意味である。
 われわれが通常「善い、悪い」というとき、人間の倫理的基準で判断をする。この基準に立てば、時には悪いことをしてしまうことがあっても、通常は、善いことを考え、善いことを行っている。
 ルターは、そのような判断基準は一旦棚上げし、すべてを「神の判断によれば」という視点で考え、発言する。
 われわれは、「神の前で」という判断領域と「人々の前で」という判断領域を無意識に重ねてしまっている。ここが分かれ目である。
 

議長室から

神さまの夢、そして私たちの夢

総会議長 立山忠浩

お正月といえば初夢です。富士山や鷹、あるいはなすの夢を1月2日に見るとその年は縁起が良いとされていますが、巷での新年の話題の一つでしょう。
 すべての人の自由と平等を訴え、公民権運動の指導者となったマーティン・ルーサー・キング牧師が、ワシントン大行進の演説で「わたしには夢がある」と語ったことは有名です。多くの人の共感する夢は目標となり、行動する力を与えることになりました。
 キリスト者にとっての夢とは何でしょうか。 聖書にはたくさんの夢が記されています。旧約聖書のヤコブは先端が天に達する階段の夢を見ました。ヤコブの息子のヨセフもたくさんの夢を見る人でした。
 新約聖書にも夢見る人が登場します。クリスマスを迎えたばかりの私たちの記憶に新しいのは、ヨセフの夢でしょう。天使のお告げを見る夢でした。姦淫の女と罵られることを恐れ、密かに婚約を破棄しようと心に決めていたヨセフにとっては歓迎したくない夢だったのです。マリアを妻として迎え入れるようにとの命令でした。
 私たちが「夢」という言葉から連想することは、希望であり、願望であるように思います。しかし聖書の夢はそれとは異なっているのです。時として決して歓迎すべきものではないのです。さらに学ぶべきことは、神さまのみ心が夢を通して語られることです。「私の夢」ではなく「神さまの夢」なのです。
 新年を迎えました。私自身の夢を語り、また教会や諸施設、諸学校の夢を語ることがあるでしょう。キング牧師の夢と同じように、 互いが共感し目標となる夢、行動する力となる夢を持つことはとても重要です。でも、それらの夢の前に、「神さまの夢」があることを忘れてはいけません。神さまの夢はしばしば戸惑いを覚え、歓迎したくないものであるかもしれません。しかし、そのような不安や不信の霧はいつか必ず晴れていくのです。
 神さまの夢、神さまのみ心を、私たちはこの1年間も聖書の言葉から、礼拝の言葉から受け取って行きましょう。皆さまの新しい年の上に、神さまの祝福をお祈りいたします。

ルーテル昆布で結ばれて

北海道特別教区女性の会 会長 近藤雅子

「ルーテル昆布」は北海道特別教区において、1995年より20年程続いている活動です。
 私たち北海道特別教区の女性の会は他の教区に比べて圧倒的に規模の小さな群れです。会費のみでは活動費もさることながら、広い教区内で集う交通費補助を工面するのは厳しい状態でした。 何とか自分たちで活動費を生み出すことが出来ないかと思案し、会員のご紹介で北海道の特産の昆布を生かす道が開かれました。
 「ルーテル昆布」で取り扱っている「長長切昆布」(ながながきりこんぶ)は、もともと7m程の長さがあります。当初はそれを乾燥して材木のように重ねた形で届いていたので、キッチン鋏で切ってパックするなど、慣れぬ仕事に難儀していました。ある時から、苦労を見兼ねた男性教会員がチェーンソーで切ってくださるようになって随分効率良くなりました。その後、生産者がパックに入れるばかりの長さに切り揃えて送ってくださるようになって難題は解決しました。
 毎年9月と10月の一日ずつをパック作業日に充てて、延べ50名程の方が奉仕されます。札幌圏の教会の兄弟姉妹が集って賑やかに会話を楽しみながら手を動かし、昼食タイムも良き分かち合い良きい交わりの時となっています。
 このように生産者のかたのご理解はもとよ り 、ご購入くださる全国の多くの皆様のお支えがあってこの活動が続けられてきたことを感謝しています。遠いブラジルのサンパウロ教会に献品してバザーに役立てて頂いていますが、昆布が届くたびにブラジルでは手に入りにくいこの食材に望郷の思いを巡らされているとも聞きました。
 北海道の大地からの産物がまさに「結び昆布」となって皆様とつながりが強められているように感じます。神様の大きな御業に改めて感謝しつつ、この活動を続けていけたらと願っております。

現在(いま)、宣教する教会として

東海教区第40回信徒大会報告 山田英幸(栄光教会)

 昨年、11月3日、隔年開催になって初めての信徒大会が栄光教会藤枝礼拝堂で行なわれました。実行担当は駿遠地区(新霊山、掛川・菊川、栄光教会)です。 目的のひとつは、教区内の教師と信徒が出会いと再会を喜び、共に学びかつ親交を深めることです。参加者が楽しく過ごしていただくよう、スタッフと設備が整えられた会場での開催としました。
 当日は秋晴れに恵まれ、東は沼津、西は大垣から20教会より、こども11名を含めて155名が参加しました。
 後藤由起牧師(新霊山教会)の説教による開会礼拝に続き、藤藪庸一牧師(白浜バプテスト基督教会、白浜レスキューネットワーク理事長)による講演「キリスト者の良心を問う」がなされました。牧師への決意、チームプレイの大切さ、惜しまぬ行動など、多岐に渡りパワフルかつソフトに話され、頷くことの絶えないひと時でした。
 昼食時には屋外で物品販売が行われ、各ブースも盛況でした。午後は多くのチャリティ活動に参加されている上野由恵さん(フルート)と圓井晶子さん(ピアノ)によるコンサートです。フルートの名曲や抒情歌演奏を始め、賛美歌演奏においては2曲を全員で合唱し、会場が一体になった素晴らしい会でした。
 次いで地区宣教委員会の活動報告に移りました。地区(駿遠、尾張岐阜、東静、三遠)ごとに活動状況を報告し、課題や悩み、喜び、希望などを知り、教区内での共有化を図れました。
 三浦知夫牧師(教区長、みのり教会)の説教による閉会礼拝の初めに子どもたちによるトーンチャイム演奏と賛美(振付あり)があり、子どもプログラムの成果が発揮されました。参加者は再会を願いつつ帰路に着きました。
 次回は2016年、担当は三遠地区です。尚、開会礼拝の席上献金はルーテル学院大学・神学校後援会とデンマーク牧場福祉村に捧げました。大会のために多くの働き人を備えてくださり、絶えず導きと祝福を与えてくださった主に感謝します。

礼拝式文の改訂

派遣

式文委員 安井宣生

 現行の式文は、30年ほどの時間をかけて「私たちの」礼拝として浸透しました。式文改訂作業は歴史を踏まえつつ、今できることを反映することで、将来の礼拝を作るものであるように思います。その作業で感じることは、礼拝の基本的構造は、過去からほとんど変化が無く、ほぼ完成しているということです。ですので、改訂作業の先に、これまでのものと全く異なるものができあがるということはありません。
 そしてまた、招かれて集い、み言葉に耳を傾け、聖餐を分かち合い、派遣される、という礼拝の構造は、演劇や音楽、キャンプやイベントなどの構造とも似ています。礼拝の構造がそれ以外の諸プログラムの基礎になっているのです。それを起承転結と表現してもよいでしょう。
 その際に、その内容が重要であることは言うまでもりません。しかし、その結びもまた、それをなす大きな目的であります。つまり、礼拝において、その内容である福音の説教と聖礼典によって神の恵みを受け取ることと共に、派遣されるという結びが、その目的となるということです。「礼拝とは派遣されるためにある」と言って過言ではありません。世界における典礼刷新の動きの中で、ルター派もまた礼拝の結びの部分に、古くて新しい強調を与えました。それが「閉会」から「派遣」への変化でした。私たちは派遣されるために礼拝に集い、福音による養いを受けることを念頭において、派遣の部を過ごします。

 青式文との相違点について触れます。
 「ヌンク・ディミトゥス」は、他の新約聖書における賛歌と共に、夕の祈りの際に親しまれたものの一つです。これを16世紀にスウェーデンの教会が聖餐への感謝として用い、広がりました。その伝統に回帰し、聖餐との関係をより豊かに味わうために、礼拝における順番には変りはありませんが、派遣から聖餐へと位置を変える形を取っています。

 「奉献」は、その言葉が示すように、神への献げものです。同時に神の恵みによって生かされている私自身を献げることでもあります。それは私たちが神に犠牲を献げる行為ではありません。神は、み子イエスをただ一度だけ十字架において犠牲としてくださったことで、救いを完成しているのであり、私たちからの犠牲など必要とされないのです。ゆえに私たちは犠牲ではなく、みことばに与った恵みを分かち合うために献げます。これは「サクラメントを十分に理解するように民衆に教えたので、人々は外的な食物や資産をも持ち込み、必要とする者たちに分け与えた。ミサにはコレクタということばが残っており、共同に集めるという意味である。貧しい人々に与えるために、共同金を集めるのと同じ。」(『キリストの聖なる真のからだの尊いサクラメントについて、及び兄弟団についての説教』)というルターの言葉とも重なります。そのため、困難の中にある人々と分かち合うための奉献であることを「派遣の祈り」の中心に据えました。

 祝福に続き、「派遣の言葉」を言い交わします。主と隣人に仕え、分かち合い、伝える決意を神に助けていただくことを願い、私たちは礼拝から押し出されるのです。
礼拝全体を検討し見直すために設置された式文委員会の働き「式文改訂」について、日本ルーテル教団と共に、その解説をお届けします。

ブックレビュー「祈りの輝き」

長谷川(間瀬)恵美 (藤が丘教会)

主にあって平安
 この度、皆様の祈りに支えられて『祈りの輝き Fralsarkransen』の第2版が増刷されました。機関紙「るうてる」で再度ご紹介させていただく機会を与えられ感謝です。
 「祈りの輪」を使って祈る、という試みはスウェーデン・ルーテル教会の監督マーティン・ルネボー師(1930~)によって、今から20年ほど前に発案され、世界各国の教会に取り入れられました。18個の珠から出来た輪には、その一粒一粒に祈りが託されて、珠を繰りながら祈ります。その補助として『祈りの輝き』を使うのですが、私はこの本をスウェーデンの留学生活の終わりに、ドミニコ会の修道女カトリン・アーメル博士から贈られました。彼女は、若い頃、日本の禅道場で修行された方でもあります。私はこの本との出会いを、神さまからいただいた尊い出会いだと感謝しています。
 その後、日本に帰国してから翻訳を始めました。やさしく心あたたまる挿絵は、たかみね・みきこさんにお願いすることができました。2008年、初版の自費出版が叶いました。そして、2014年、第2版が完成し、ルーテル学院大学の講座「五感のクリスチャン・スピリチュアリティ」のテキストとしても使用されることになりました。こうして、少しずつ日本にも祈りの大切さ、五感(目・耳・鼻・口・そして魂)で祈ることの大切さが浸透していることをとても嬉しく思います。心からの感謝と祈りをこめて。
 入手希望の方は、Eメールemhase@obirin.ac.jp[長谷川(間瀬)恵美]まで、お知らせください。

カトリック教会/日本聖公会/日本福音ルーテル教会
合同礼拝報告

 11月30日、日本福音ルーテル教会とカトリック教会、日本聖公会の3つの教会が共に集い、東京カテドラル関口教会聖マリア大聖堂を会場に、初めての合同礼拝が行われました。礼拝に先駆けてシンポジウムが行われ、3教会より「『エキュメニズム教令』50年の実り」とのテーマで 講演がありました。続いて合同礼拝が行われ、岡田カトリック東京大司教、大畑日本聖公会東京教区主教、JELCより大柴エキュメニズム委員長が司式し、徳善義和牧師が説教しました。礼拝では、一つの洗礼を共有している私たちがそれを思い起こす水、また、ただ一人であるキリストの光を共に分かち合う火が象徴的に用いられました。合わせて630人程の人々が共に集い、賛美し祈る声は会堂全体を揺さぶる力強いものであり、共に集められていることへの祝福を思いました。(広報室)    

宗教改革500年記念事業シンボルマーク決定。 

応募総数108作品。宗教改革500年記念事業シンボルマークのために、海外からの応募も合わせ、全国各地から作品が寄せられました。教会関係者のお名前もありましたが、それ以外にも広く多くの方が関心を持ち、500年を記念する歴史的な歩みへと連なってくださいました。感謝致します。
 機関紙「るうてる」紙上、JELCのウェブサイト、フェイスブックページ、加えて全国5教区それぞれのウェブサイトで公募を展開しました。さらに、一般のインターネット公募サイト、公募情報専門誌、また、キリスト新聞といったメディアも活用することが出来ました。Eメールや郵便で次々と個性に富んだ作品が届けられるのは、嬉しいことでした。そして、それぞれに宗教改革やルターについて、また聖書や信仰などを豊かに表現していました。
 宗教改革日である10月31日に募集を締め切り、選考に入りました。1つを選ぶことは簡単ではありませんでしたが、有識者を交えた選考委員会を組織し、ようやく優秀賞を選定しました。あわせてJELC常議員会において承認をうけ 正式にこのマークを用いていくことが決定しました。
 優秀賞に選ばれた作品は、二人の方の合作で制作されました。作者は大阪府に在住の坂本信也さんと南端久也さんです。企業ブランドや商品の企画やデザインにコンビで携わって来られたそうです。お二人には表彰状と共に賞金500ユーロが贈られます。
 デザインはシンプルさの中にキリスト者の群れである教会が大切にしてきたこと、加えてこれからも大切にしていきたいことが表現されています。十字架と祈りの手で構成され、カラー版ではオリンピックのシンボルにも用いられ全世界を表現する5色を用いています。青の部分だけがおなじみの色と少し異なりますが、これは世界ルーテル連盟のシンボルマークにも用いられているフェイスブルー(信仰の青)と名付けられた色を使用しています。教会内だけではなく、一般の社会においても受け入れられるものと思います。
 今後、各教会や施設、学校などでも積極的に活用いただけるよう、ルーテル教会と関連づけた他の素材とあわせて提供します。宗教改革500年の恵みを感謝のうちに味わい、希望をもって共に歩むために、用いてください。      (広報室)

宗教改革500年 記念事業 シンボルマーク

【十字架】
十字架はキリストの苦しみのしるし。しかし、それは、神の愛と恵みのしるし。
十字架は、つながりのしるし。垂直には神と人、水平には人と人。
そして十字架は、私たちの希望のしるし。交わる点には希望の灯がともる。

【手】
神の恵みを受け取った手。それは、感謝と平和を求める心を宿し、導かれて祈りの姿とされる。そして祈りは、恵みを分かち合うための手とされる。

【色】
5つの色は、全世界。神の恵みと福音が全世界へと伝えられた歴史を証しする。500年前に起きた改革の世界史的な意義を思い起こし、世界中で共に記念する時となる。
日本福音ルーテル教会

第26回総会期 第2回常議員会報告

事務局長 白川道生

第26回総会期の第2回常議員会が、11月4日から6日にかけて、ルーテル市ヶ谷センターにて開催された。

▼諸活動、委員会報告
今回、報告をもとに協議がなされた主な事項は、世界宣教と式文改訂に関連するものであった。
 世界宣教の関係では、現在まで宣教師を派遣してきたブラジル伝道に関して、既定の宣教師派遣の満了と現地教会との協議の必要性を確認した。加えて、現地教会及び派遣宣教師との、これからの在り方を含む調整が執行部に委ねられた。
 また、常議員会より付託した式文改訂の作業に関しては、本年5月の全国総会での中間報告をめぐる諸意見をふまえ、今後、常議員会と式文委員会が協力して、全国・各教区において、説明の機会を実施してゆくと取り組みを定めた。
▼審議事項
 審議事項では、まず、3名のJ3(任期は3年)宣教師を九州学院及び九州ルーテル学院へ派遣することが決定された。近年は、常議員会の議場で発表して、祈りをささげる時が持たれているが、本年も若者たちに向けた福音宣教の働きに、神の祝福が祈られた。
 現在、全国に138の会堂、113の牧師館を有する日本福音ルーテル教会だが、宣教開始より121年を数えると同時に、教区成立から50年を迎えた歴史の経過と共に、多くの建物に老朽化や耐震性の課題が生じてきている。これに対応する「土地建物回転資金貸付制度」は、そのうち、大型建築を対象とする3号貸付のみ2010年の第24回全国総会で財務方策の一つとして、「5年間の貸付凍結」が決議されていたが、2015年からの貸付再開を決議した。一方で、各教区に対する「教区土地建物準備金への繰出しの中断」は、なお5年の延長を決議した。
 今回、老朽化対策及び耐震工事を実施すべく、土地建物回転資金の申請を行ったのは2教会で、いずれも承認された。
 
 来る2017年に向けての宗教改革500年記念事業については、概要計画に沿って「推奨4冊」のうち、『エンキリディオン小教理問答』が10月31日に出版される等、ほぼ予定通りに準備作業が進捗している現状を出席者一同で確認した。何より肝心なのは、各教会・学校・幼保・施設などでの活用であり、記念事業の積極的な展開を図るための意見交換がなされた。 また、本記念事業のシンボルマーク作成を進め、実施した公募は大きな反響を呼び、応募108点にのぼった。これらを選考委員会で絞り込み、本常議員会で記念事業シンボルマークの採用作品が決定した。
なお常議員会の詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。

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