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機関紙るうてる

るうてる2010年5月号

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「人の望みと喜び ― 主イエスの復活」

「婦人たちは、‥‥週の初めの日の明け方早く、墓に行った。‥‥輝く衣を着た二人は言った。『なぜ、生きている方を死者の中に捜すのか。あの方はここにはおられない。復活なさったのだ‥‥』」。ルカ福音書24章1節~

週の初めの日、明け方早く、婦人たちは墓に向いました。この行為は何かを指し示しているように思います。墓は滅びの象徴ですから、人が自ら滅びに向って歩く姿ではないでしょうか。
尊敬している精神科のお医者さんが自殺について話をした時、人はだれでも自殺して死んでいくようなものですよ、と言われました。
お酒を飲みすぎたら体を悪くすることが分かっていても、なかなか大好きなお酒は止められません。いつかは体を壊して死に到ります。人はいろいろな欲を創り出して、追いかけますが、やがて自ら欲の虜となり、自滅します。疑いもそうです。一度、人を疑いだすと、疑いは一人歩きして大きく膨らみ、なかなか止まらずやがては人を自滅へと導きます。自分が犯した罪の重さで自分が沈んで行くのです。海に溺れたときに、私は自分で自分の襟首をつかんで陸に上がることは出来ません。
このような無力さと暗さの中で、私たちは、あの婦人たちと同じように、あの方は復活なさったのだという御使いの宣言に出会います。
あの方はなぜ、殺されたのでしょうか。あの方に罪はありませんでした。罪は私たちにあります。あの方は私の罪を自分の身に引き受けてくださいました。
それがあの方の十字架における死でした。
このような方が復活されたということは、私の罪がこの方によって克服されたということです。私の罪、罪から生まれる悪、悪から生まれる不安や悩みと悲しみと苦しみ、そしてこれらすべての報酬として私が支払うべき死がこの方によって克服されたのだということです。
私たちの人生における戦いはこの罪と悪との戦い、そして最後の敵である死との戦いです。しかし、とても私たちはこれに勝つことは出来ません。それどころか立ち向かう力さえも持ちません。しかし、この方が私と共に、私の罪と悪、そして死と戦ってくださいます。ですから、私もこの方と共に、これらに正面から立ち向かい戦うことができるのです。そして、やがて最後には、これらは克服されます。もちろん、私自身の力で私が克服するのではありません。そうではなく、私に代わり、この方が私の罪と悪、そして死と戦い、克服してくださるのです。
この方は十字架の死から復活され、罪と悪と死を克服されたお方です。この方と私たちキリスト者は洗礼の恵みを通して一つの帯で結ばれています。この方と私は一体とされています。ですから、この方と結ばれている私自身の罪と悪と死も、やがては必ず克服されるのです。
今や、私たちの罪と悪と死との闘いがどれほど激しくても、もはや絶望することはありません。私たちはこれから先、この世に生きる限り、やはり罪を犯し続ける罪人であることに変わりありません。罪の結果としての悩みや悲しみ苦しみ、そして最大の課題である死は、相変わらず私につきまとい、避けられません。しかしもうこれからは、安心して悩み、悲しみ、苦しんで良いのです。だって、私のこれらの罪と悪、そして死はこの方の復活により、もう既に克服されているのですから。そのことを信じてよいのですから。
このように、『あの方は復活なさったのだ』というみ使いの言葉は、私たちの不安と絶望が喜びと希望に変わる転換点に立つ言葉です。

牧師 吉谷正典 (水俣教会・八代教会)

風の道具箱

愛は山から飛んでくる

月や石見の鯉に山すわる 柴田政子
山間にある集会所の姉妹が、何気ない日常の中から天に召されて年月がたちました。残されたこの句を読ませて頂き、胸が震えるような感動を覚えています。 神様が造られた世界を「山すわる」と捕らえたことが、信仰の証だったのです。彼女に与えられた信仰によって、この一句が残されました。
「一生の終りに残るものは、集めたものではなくて、与えたものだ」と言った人がいます。集めたものはいつか朽ち果てていく。しかし、信仰によって与えた証は、それが目に見えなくとも人々の心に残るのです。  ある映画で「君に与えるものは、愛以外になにも無くなってしまった」というセリフがありました。愛さえあればよいでしょう。イエス様もなにも持たず、愛だけもって十字架へと進まれたのですから。
さて、私も一句つくってみました。野外礼拝で山にいったときの句です。大きな自然の中で礼拝していたときに、素直に句がでてきました。この句は残るでしょうか。
夏の風 主の御言葉は山を越え   (柿のたね)

牧師の声 私の愛唱聖句

稔台教会牧師 栗原茂

「人はパンだけで生きるものではない」
(マタイ福音書4・4)

最初にこの言葉を教えられたのはいつだったでしょうか、記憶は定かでありません。しかし敗戦後の小学生の頃教会学校に熱心に通っていた私の中に、それは”蒔かれた種”でした。「狭い門から入れ」(マタイ福音書7・13)この言葉も同様です。「人の生きるはパンのみに由(よ)るにあらず」当時は文語訳でした。それが口語訳になり新共同訳になりましたが、この言葉が私の人生を大きく変えたと思っています。
後に大学生になりいよいよ就職を決めねばならない時、この言葉は影響を及ぼしました。青田刈りの時代です。「優」の数から言えば夏休み前に就職は決まっているはずでした。しかし大学から唯一人の推薦枠で臨んだ秋の就職試験の結果は惨敗でした。堪えました。三次試験まであるのに一次試験で見事振るわれたのです。
その週私は浮かぬ顔をして礼拝に出席したのです。するとその冴えない顔をしていた私に牧師が声をかけました。「栗原さん、あなたがそれほど進みたい就職口をふさがれたということは、神様はもっと別の道を考えているのかも知れませんね」と。私はナルホドと思いました。少しだけうなずく気持ちもありました。ところがその牧師はその後に「神学校に行きませんか」と余計なことを口にしたのです。とんでもない話でした。冗談ではありません。私には神学校へ行く必然性は全くありません。神様の愛がすばらしいと自覚することも、証しすることからもおおよそ程遠い存在でした。第一私は牧師になりたいとか、伝道者になりたいと思ったこともなかったのです。厳しい道のりの後の牧師の待遇がよいとも思えませんでした。
ところが、やがて暮れも押し迫る頃に私は就職の内定を手にしながらそれを断り、神学校に進む道を選んでしまうのでした。それはひとえに自分で納得のいく人生を、悔いのない人生を生きたいという“私の願い”であったと思います。しかしその召命感を背後から支えていたのは、実はこれらの「聖句」でした。按手礼を受けて牧師になって42年になります。来春70歳の定年を間近かにして振り返るとき、ますます「人はパンだけで生きるのではない」「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」これがまぎれもなく私の人生の座標軸「愛唱句」であると気づかされます。
招聘を受けた教会ではNPO法人学童保育「杉の子会」があります。毎年春になると教会を”居場所として”数年過ごした学童たちが巣立って行きます。巣立っていく子ども達に求められて「色紙」を書きます。書くことにためらいはありません。必ず決まってこの聖句を選びます。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるんだよ」と。
幼い日に”蒔かれた種”は、私の場合がそうであったように、予想しない形でさまざま人生に影響を及ぼし生き方を変える大きな力になるでしょう。

信徒の声 教会と私

板橋教会 竹内明美

Q.教会との出会いは?

クリスチャンホームだったので中学の時、牧師の勧めで日本基督教団の教会で受洗しました。でも青年期、そのことで悩みました。はっきりとした理由もなく受けてしまって果たしてよかったんだろうか?って。大人になってから自分の意志で洗礼を受けた人が本当にうらやましかった。
でも転機が訪れました。主人と出会い、ルーテル教会の礼拝に出席したことです。その時、私が聴いたのは「自分ががんばらなくていい。そのままでいいんだよ」という神様の声でした。そして小教理問答の学びの時だったでしょうか、「洗礼は神様からのもの、その時は神様が決めるもの」というメッセージを聞いて「ああ、私の手をとってくださったのは神様なんだ」とすごく安心したのを思い出します。

Q.キリスト教保育に携わるようになったきっかけは?

実は私、小さい頃から自分でこれがしたいということがなく来てしまったんです。育ててくれた祖母が「薬剤師」というレールを私の前に引いていたんですね。でもある時その道が突然閉ざされ呆然となった時、教会学校の校長先生の勧めでキリスト教保育の幼稚園に勤めたのが始まりでした。
でも今は感謝しています。この仕事、キリスト教保育に携わってこられてよかったって。自分自身が救われてきたというんでしょうか。子ども達と向き合うことを通して私の中で神様の言葉がはっきりしてきたように思います。「あなたが大切だよ」「私が一緒にいて見守っている」。だから、子どもが字が書けるとか絵が書けるようになること、それも素晴らしいことなんですけど、それよりも信じること、愛すること、愛されること、人として一番大切なものを手渡してあげられたらと思います。

Q.好きなみ言葉は?

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」 (�コリント10・13)私自身の道が肯定されてきました。だから子ども達、そして子どもを支えているお母さん達にも「大丈夫」と言えるし、言ってあげたいんです。

私の本棚から

加納寛之 週報エッセイ「神さまの汽笛1」

自費出版

へぇ~!あの加納寛之牧師が!」「へぇ~!出版!」「へぇ~!怖いもの知らず!」といった感想を持ったのは私だけでしょうか。
このたび、北海道特別教区(帯広・池田・釧路)で福音宣教にあたる、若き宣教者・加納寛之牧師が、はじめてのエッセイ集を出版されました。まさに神様の奇跡といえる出来事です。
この週報エッセイ「神さまの汽笛」は、初任地であった広島教会を中心とする教会群で担当された松江・松山・呉教会の週報に毎週記載されたものです。教会では週報というお知らせ文書を配布していますが、これを宣教の業に用いたいとの願いがありました。しかも、加納牧師の任地は日本海から瀬戸内海、そして四国という広大なものでしたから、この週報に書かれるエッセイが教会を一つにしていく手紙のようなものでした。それを転任されたのちも北海道で継続されていたのです。その週報エッセイ5年分が1冊の本となり出版されました。
今回「神様の汽笛」を一番に読ませていただき、若き加納牧師が成長していく様子を見ることができました。牧師・宣教者として、また牧会者としての成長も感じました。若き牧師が育てられて牧師になっていく。かなり「牧師の子育て日記」もあります。こんな出来事に出会える北海道の皆さまは幸せだと思います。加納家の幼子たちにも、未来の素晴らしいプレゼントになるでしょう。表紙の娘さんの絵もかわいいものです。
毎週の週報に書く。簡単なようで大変な作業です。エッセイですから、内容も考えねばなりません。内容は極めてシンプルですが、そこに生活の中での信仰の種を見つけることができます。加納牧師らしい感性、それは彼にしかない、彼しか感じえない感性です。その中にしっかり信仰の在りかたがしめされています。
「神さまの汽笛」は、北海道の大地に「加納牧師にしか語る事ができない福音」として鳴り響くことでしょう。ある時は楽しく、ある時は優しく、しかしある時は涙しながら。それでも消えることのない汽笛は、これからも神様の福音を語り続けていくことでしょう。
この本は自費出版の本です。どうか、若き宣教者を応援する意味でもぜひお買い求めください.
(牧師 立野泰博)

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その2

社会福祉法人 東京老人ホーム

社会福祉法人東京老人ホームは、一九二三年(大正12)の関東大震災で罹災された高齢者の方を救護に当たったことに始まり、現在は東京都西東京市において、高齢者の方に施設サービス(特別養護老人ホーム、養護老人ホーム、軽費老人ホーム)と在宅サービス(ヘルパー派遣、ケアプラン作成、看護師派遣)を提供しています。
この間、86年に及ぶ法人の歴史に通奏低音のように流れていたものは「キリスト教精神に則り」という理念です。この理念があったからこそ、その具現化として、日本で最初の「食事サービス」「緊急時通報システムの開発実用化」「全室個室の特別養護老人ホームの建設」が叶ったと言えます。ここには、教会ボランティアをはじめ多くの方の祈りとお働きがあったことを覚えます。
そして、本年3月、訪問看護ステーションを開設しました。施設であれ、在宅であれ高齢者の方が望まれる「生活の継続そして地上での最後の時」をケアすることが、法人の理念を支える「キリストの愛の力」によってニーズとして発見された時、このステーションの開設は、職員一人ひとりの願いとなり開設の日を迎えたのです。この働きを通して地域の方々に「キリストの香り」を届けていきたいと思っています。

開設の日に読まれたイザヤ書52章7節が語る「いかに美しいことか 山々を巡り、良い知らせを伝える者の足は。」この美しい足こそ、地域の方々に「キリストの香り」を伝える職員一人ひとりです。
私たちは、これからも「ご利用者一人一人が人間としての尊厳を保ち、喜びをもって生きることが出来るコミュニティ実現のために、祈り、力を尽くすことが私たちのミッションであると信じ、この道を歩んでまいります。この私たちの歩みに賛同される方々が、一人でも多くこのミッションに参加されることを切に望みます。」(法人のミッションステートメントより)
社会福祉法人東京老人ホーム  常務理事 五十嵐利光

高齢者伝道シリーズ(J2委員会)

神にゆだねて生きる幸せ

日本福音ルーテル八王子教会会員 諏訪美子

「長く生きすぎた、もう死にたいよ」
「それは神様の決めること、僕にはどうしようもない」
在宅のお年寄りと、往診にみえたお医者様の会話です。こんなやり取りを聞く度に、ベッドからでも隣人の為にとりなしの祈りをしながら、ふるさとに帰る希望に生きることのできるクリスチャンはなんと幸せ者だと思います。

介護支援専門員(ケアマネ)という仕事をしています。介護支援を受けたいという方を訪問し、どのような困難があるのかなどを話し合い、問題解決に役立つ介護サービスを提案し、より快適により自立して暮らせるようプランを立てます。
介護保険は地域のサービスですから、ご近所のヘルパー事業所やデイサービスについて普段から関心を持つことが案外役立ちます。いまだに介護支援を受けることを潔しとしない高齢者もおられますが、少しだけ介護支援を受けることにより、自立した生活が可能になると想像してみて下さい。施設への入所も、安全に自立して生きるための方法の一つです。
生きる希望を失くしたお年寄りに出会う度、私は悩みます。現場で宗教の話をすることはかないませんが、生きるも死ぬも神様も栄光を表す為であり、私たちは神様のご計画のうちにあるのだと伝えることができたらと思います。私たちがクリスチャンとして、主にあって希望と平安のうちに暮らしていれば、その香りは隣人にもきっと伝わることでしょう。老いの不安な生活の中にいる方々と一緒に主にある平安にあずかりたいと、いつも祈っています。

春キャンレポート

第18回となる「春の全国ティーンズキャンプ」が、3月29日から31日まで、東京の「高尾の森わくわくビレッジ」で開催されました。
東教区の常議員は、歓迎の意を表すべく、二日目のお昼時にお邪魔し、見学させていただき、昼食を共にしました。もとは高校だったという施設は、「よく学び、よく遊び」には最適のように思いました。
キャンパー80名、スタッフ30名の大所帯でしたが、きちんとグループ分けがなされており、それぞれに、兄貴分、お姉さんといった感じのリーダーが張りついて、みんな、いきいき、楽しそうでした。
テーマは「聖書 1982ページのラブレター」。参加者には「マイ聖書持参」がルールだったそうです。その甲斐あってか、「こんなに聖書を開くのは初めて」という参加者も多くいたそうです。
送り出してくださった保護者の方からも「子どもが霊的に成長したようで、うれしい」との感想が届いたそうです。中高生、そして、少しだけ兄貴、お姉さんたちリーダー、彼らの多くは、このキャンプで育ってきたわけです。それぞれの成長を目の当たりにし、うれしく思いました。
日本福音ルーテル教会の次代を担う彼らに、大きな関心を持ち、心を注ぎつつ、神の家族、ルーセラン・ファミリィとして共に成長していきたいものです。
広報室長 徳野昌博

[フィンランド旅行団 日本の春を満喫!]

フィンランド・ルーテル福音協会の日本伝道110年を記念して22名の訪日団が4月3日成田に。翌日は、桜満開の都内で6教会(東京池袋、大岡山、田園調布、大森、武蔵野、スオミ)に分かれてイースターを祝いました。5日には日本福音ルーテル教会と東教区の歓迎会に臨みました。今回の来訪者は祖父母の代から日本伝道を支え続けてきた信徒が中心で、その業が日本に根付いていることを見つめることでありました。
7日は初期の伝道地諏訪を訪れ、教会を訪ね、宣教100年を記念して建てられた記念碑を見学しました。飯田では旅館に泊まり、温泉大浴場と日本料理を味わいました。翌8日は、宣教100年を祝った飯田教会で、幼稚園の元気な子供の歌声に迎えられ、一緒に賛美歌を歌い、幼稚園の保護者のハンドベル演奏も聞きました。
(木村猛 東教区常議員)

『復活の主のみ声を聞いてゆこう!』

故 石居正己師を偲んで

石田 順朗(引退教師)

職への献身を誓い合いながら、神学校生活を、それこそ起居を共にして過ごした一人として、石居正己牧師召天の訃報には、唯ただ、感慨無量。
彼は、入学当初より持病の喘息と闘いながらも(魚の食べ方名人芸はさておき)まさに寝食を忘れるような勉学への精進で、われわれ神学生仲間に先達的な活力を与えてくれた。一九五二年、卒論に見事な『教会の単一性』を書上げ、同題での東京教会で行われた卒業記念礼拝説教は、今なお記憶に留まっている。
牧会に確と携わり、『ルーテル教会の信条解説』並びに『教会の歴史と系譜』に基づいて『ルター著作集』やルター研究への多大な貢献を伴う神学教育、『堅信と小児陪餐』、『ルターにおける礼拝の神学』、『ディアコニア入門』、『キリスト教信仰と社会福祉の働き』等々に裏打ちされた信徒教育に徹し、『教会とはだれか』の著作に到った先生を、伝道牧会、神学、教育者の賜物を豊かに兼ね備えた同労の友として覚え、60年にも亘って交誼に与ったこの身の幸いを神に深く感謝している。 京都での葬儀に遺憾ながら列席できなかったが、昨秋「神学校創立百周年記念祭」で、先生と美智夫人を交えて昼食を共に寸時ながら久方ぶりの旧交を暖め得たことは有り難かった。その後一二月、先生がかつて一一年間牧した「武蔵野教会」の「待降節第二主日」礼拝説教に招かれた折、『石居正己牧師説教集』(復刻版)を戴いた。所収の一九六八年「三位一体(聖霊降臨)後第一六主日」での礼拝説教『よみがえりであり命である』を、今 読み直している。故岸本英夫東大宗教学教授の著作『死を見つめる心』に言及しての説教のおわり、「生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。この二つのみことばは、表面的にいえば矛盾したことばである。しかし、それだからこそ、生きていること、死ということ、信じるということの、型どおりの意味でなく、主が示される内容を考えてゆかなくてはならない」に聞き入っている。続く結びの言葉は、キリスト・イエスの福音宣教へ実直にその生涯を徹した神学者 石居正己牧師の立派な遺言ともなろう、「生きていても、墓の中にあっても、主のみ声を聞いてゆかねばならない。」

5月29日(土)午後3時よりルーテル学院大学チャペルにて、追悼記念礼拝が行われます。

「J3の働きを終わって」

ジェームズ・ カーター氏(九州学院)

この2年間半はまことにすばらしかった。神がこの時間を祝福しました。2年間九州学院で働きました。九学のモットーは敬天愛人です。この二つは大事なことです。敬天(神を愛する)はもちろんですけど愛人(人を愛する)は大切です。人間は神様の大好きなものです。この2年間半私はこれを生徒の皆さんに見せてあげました。皆さん神の大きな愛を世界に伝えましょう。

ジョナサン・ラムジー氏(九州ルーテル学院)

日本をはなれなければならないことをさびしく思います。日本での2年半の生活は意義深いものでした。日本にきたときはすべてのことに緊張していました。日本の生活は日に日に楽しくなりました。教会とルーテル学校のみなさんのあたたかい人柄に感謝しています。私は神様の世界の多様さに感謝し、神様が体験させてくださったすべてのことに感謝しています。そして、教会とルーテル学校の皆さんと出会わせてくださったことを嬉しく思います。私はこの2年半とても楽しかったです。皆さんもそうであったらいいと願っています。2年半本当にありがとうございました。

カロン・ハロウェイ氏(九州学院)

私が日本へ来て、2年半がたちました。熊本で過ごした2年間は長かった感じもしますが、今ふりかえると、とても早かったと思います。この2年間は私にとってすばらしく、そしてたくさんの出来事がありました。たくさん授業をさせてもらいましたが、わたしのほうこそ、学んだことがたくさんありました。これから東京で妻と新しい生活を始めます。しかし、J3 プログラムのすばらしい思い出は決して忘れません。全てにありがとうございます。

マシュー・ホッファー氏(九州学院)

あっという間に2年が過ぎました。日本は住みやすい。教会の皆さんは優しい。生徒は明るい。とても良い経験でした。このような仕事、このようなチャンスは珍しいので教会の皆さんに本当に感謝しています。4月からはアメリカに戻らず、熊本YMCAで働くことになりました。また会えば・・・

チャリティー・ホール氏(文京カテリーナ・本郷学生センター)

このあいだまで、2年間文京カテリーナや本郷学生センターに英語や聖書を教えておりました。。皆のためにイエス様が十字架をかかられました。だから、伝道の仕事は大切だと思います。クリスチャンではわれらは宣教師です。キリストの光を映しましょう。

各教区総会で、常議員が決まりました

【長=教区長、副=副教区長、書=書記、伝=伝道、教=教育、伝教=伝道教育、教社=教育社会、会=会計、財=財務、信=教区選出信徒常議員 をあらわします。】

北海道教区 
長・岡田薫/副・加納寛之/書・加納寛之/会・大賀隆史/伝・須藤清/教・井上律子/社・大賀隆史/財・加納寛之/信・井上律子(恵み野)
東教区
長・大柴譲治/副・杉本洋一/書・安井宣生/会・木村猛/伝・中島康文/教・徳野昌博/社・田島靖則 財・高取朗/信・木村猛(保谷)
東海教区
長・田中博二/書・内藤新吾/会・梅村隆二/伝教・斉藤幸二・佐藤祥一/社・渡邉進/財・梅村隆二/信・佐藤祥一(岐阜)
西教区 
長・永吉秀人/副・松本義宣/書・松本義宣/会・石田博美/伝・狩野俊明/教社・沼崎勇/財・滝田浩之/信・石田博美(広島)
九州教区
長・濱田道明/副・野村陽一/書・野村陽一/会・山本光/伝教・小泉基/社・谷口象二郎/財・山本光/信・山本光(箱崎)

※東海教区では・伝道教育部長は、宣教部長(教職)(信徒)という役割です。

※社会部長:北海道・東、社会奉仕部長:東海、社会・厚生部長:西、社会福祉部長:九州

[住所変更のお知らせ]

■重野 信之先生
住所:〒463-0031
愛知県名古屋市守山区本地が丘1301番
バンベール本地が丘203

■山之内正俊先生
住所:〒860-0072 熊本県熊本市花園6|4|22
電話:096|327|9781

■早川 顕一先生
牧師館住所:〒811-0201 福岡県福岡市東区三苫2|35|18
教会住所:〒811-0201
福岡県福岡市東区三苫2|35|8
日本福音ルーテル聖ペテロ教会
電話、FAX:092|606|2198

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