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機関紙るうてる

るうてる2013年3月号

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説教 悲しみに寄り添う主イエス

日本福音ルーテル名古屋めぐみ教会牧師 田中博二

ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。 ヨハネによる福音書13章8節

三月は北国でも春の音信を感じる季節です。教会の暦では、主イエスの受難から復活へと思いを傾けるときとなります。 主は十字架の苦しみの前日、弟子たちと共に夕べの食卓へ着かれます。「最後の晩餐」のときです。そして、その席で思いがけないことを主イエスはなさいます。12人の弟子たちの足を洗い、そして腰にまとった手ぬぐいで拭き始められるのです。主の「洗足」の出来事です。主イエスが弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれたみわざです。弟子たちの驚きはどんなだったでしょうか。
シモン・ペトロは自分の番になった時、 「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」とお尋ねします。すると、主イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられます。ここに、主イエスが弟子たちに与えてくださった神の愛の本質が示されています。
弟子たちが主イエスに何かをすることよりも前に、主イエスが弟子たちに仕え、弟子たちの足を洗ってくださいました。それはわたしたちが主イエスにつながるときも、主イエスがわたしたちのために祈ってくださり、仕えてくださることと同じなのです。
主イエスはこの後、ペトロが自らの弱さの故にイエスを三度知らないと言って、主のみ名を否定することもご存知でした。他の弟子たちが主イエスを見捨てて、主の元から去っていくこともご存知でした 。 それにも拘らず、主イエスは弟子たち一人ひとりの足をぬぐってくださいます。 最後の最後まで、愛し抜かれた主イエスのお姿がそこにあります。人間のいかなる行いよりも先行する神の愛の出来事を、主イエスは実現してくださいます。
「洗足」のイエス・キリストのお姿は、今にも倒れ伏してしまうわたしたちを再び立ち上がらせてくださるのです。この世にあって、わたしたちの足はすぐに汚れ、土にまみれてしまいます。黒く汚れた足を、くり返しくり返し主イエスは洗い、清め、汚れたものをふき取ってくださいます。主イエスはわたしたちの側近くに居て、過ちと怠りを赦し、再び歩みだす勇気を与えてくださいます。
わたしたちの一切の努力が空しいと思われるその時、主イエスがそこに居て、わたしたちの足を洗うお方として仕えてくださるお姿を見るのです。
大学病院の集中治療室で危篤になってベッドに伏している友のため、祈り疲れているときに、その場所に主イエスがおられることに気づかされる。
道端で寒さと貧しさのため疲れ果てている者の側に、主イエスがそこに居て祈っておられるお姿を見る。
とぼとぼと暗い夜道を歩いていく時に、その隣に一緒に歩いてくださる主イエスを見る。
弟子たちの足を洗ってくださった主イエスは、今も、みことばによってわたしたちの悲しみに寄り添ってくださいます。わたしたちの思いを超えたあり方で、主イエスはその場所に居てくださいます。
そして、主イエスはわたしたちに新しいみことばを示してくださいます。「洗足」の主イエスが、弟子たちにお示しくださった新しいみことばの恵みを与えてくださいます。
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と。
主イエスの愛に押し出され、今、居る場所にて互いに愛し合う道を進んでいきましょう。

宗教改革五〇〇周年に向けて

ルターの意義を改めて考える(11)

ルター研究所 所長 鈴木 浩

ルターの神学で意味合いがすっかり変わった言葉をもう一つ挙げよう。「教会」である。それまでは、教会は組織であり、制度であり、建物であった。その頂点に教皇がいた。
ルターの年若い同僚、メランヒトンが、「アウグスブルク信仰告白」という重要文書の中で、新しい教会観を見事に描いた。
その内容を要約しよう。
一、教会とは建物のことで はなく、信仰者の集いの ことである。
二、そこでは、福音が純粋に 語られている。
三、そこでは、福音に従っ て、洗礼と聖餐が行われ ている。
そして、メランヒトンはこう付け加える。「それだけあれば、十分だ」。
逆に言えば、「福音が純粋に語られ」、「福音に従って、洗礼と聖餐が行われ」ていなければ、他に何があっても、そこは教会ではない。
制度的理解が、機能的理解へとすっかり切り替わっている。無論、そうした機能が十分に発揮されるためには、一定の仕組みや組織が必要になる。しかし、機能を果たさなくなった組織は、変えなければならない。こうして、教会の組織が徐々に改められていった。

おいでよ!
ルーテル教会東教区50年記大会に!

教会合同50周年の記念でもある「ルーテル教会東教区50年記念大会」は、「やっぱりルーテル―50年目の出会い、交わり、新しい旅立ち―」をテーマにして、5月4日に開催します。午前中のプログラムは主にルーテル学院大学キャンパスを会場に、午後には、隣接のICUチャペルで「派遣の礼拝」が予定されています。
この50年、神様に守られてきたことを感謝する第一部のプログラム(午前10時~午後1時)は、教区内の諸教会、ルーテル学院大学・神学校、社会福祉施設のご協力をいただく企画です。多勢の参加者が同時に楽しめるフェスティバル的内容が中心となります。多様なプログラムを体験する中で、ルーテル教会の良さを再び知ろうという願いを込めて以下の内容を検討しています。

◎50年間のシンボルのプログラム:長年各個教会の宣教活動を支え、今日のルーテル教会の礎を築いた引退牧師の諸先生方との「会場での交流」や、大先輩の信徒の方々の紹介や大会のキーワードである「ルーテルの良
さ」を確認できるような記念グッズについても検討しています。

◎「教会紹介・施設紹介ブース」の設置:①教会紹介ブースは、教区内の地域に溶け込んでいる37教会の風景をスケッチ画(中川浩之兄担当)と写真、コメントで紹介するコーナーを設けます。②東教区内にある「キリスト教精神に立つルーテル法人グループの施設にも大会への参画を呼び掛けており、申出があれば、紹介ブース等を用意する予定です。

◎ 「学び」のコーナー:まもなく訪れる「宗教改革五百周年」に向けて、ルターの意義を改めて考える機会として、学びのコーナーを設けます。「ルターの信仰とは、キリストに対する信頼である」(ルター研究所鈴木浩所長)を中心に学びます。四つのテーマ(信仰・恵み・聖書・聖礼典)の講座では、アウグスヴルグ信仰告白、小教理問答をテキストに学びをします。

信徒の声

「主に導かれ点訳者の道を歩いて」後継者を求めています

横浜教会 金子道弘

1976年の「るうてる」で、『盲人の方への図書が不足している、点訳奉仕者を募る』との武村牧師の記事に触発されて、「日点」(日本点字図書館、1940年キリスト者盲人の本間一夫氏が私財で創設、近年も全国の視覚情報施設の指導等、最近は中核点字図書館として重要な役割も担っている)にお願いして点訳通信教育を受け、翌77年から日点の正式点訳奉仕者に。
主の導きで、ライフワークとして用いられていますが、振り返りますと、 94年にパソコン点訳になるまでは、点筆で厚紙に打ち込み、小さなミスだけは糊で消し打ち直せますが、全頁書き直しもあって大変でした。右手小指の「点ダコ」は今に残っています。
2000年の還暦と退職を機に、「センター」(キリスト教盲人伝道センター点字図書館、静岡市、創設40年を越え、プロテスタント唯一の超教派の点字図書館)に主軸を移して点訳・校正の奉仕を続けさせて頂いております。
日点がシステムを管理する「サピエ」図書館は2010年に運用を開始、インターネットで全国の視覚情報施設・団体240以上が参加し(「センター」も参加)、5万人以上が利用され、音訳・点訳の環境は大幅に改善されています。
日点の点訳奉仕者数は77年335人でしたが、点訳歴「50年以上」の方の勇退など高齢化もあって、漸減し11年には遂に二桁に減りました。が、一般図書は「サピエ」で効率化されました。
キリスト教専門図書は一般図書館では殆ど点訳されないため、 センターでの点訳体制は重要ですが、奉仕者漸減で、後継者育成が喫緊の課題です。

日点の協力も得て、センターでは点訳希望者を募集しています。通信教育(殆ど、教材での自習、演習のパソコン通信での添削指導により6か月位で育成から実務へと移行の予定。根気強く、末長く奉仕出来る方を歓迎)で受講していただき、私を含め70代以上で数少ない点訳者が次代の奉仕者にバトンタッチしたいと願っています。

JLER(ルーテル教会救援)対策本部現地からのレポート

JLER派遣牧師 野口勝彦

まもなく、被災地は震災から二年を迎えます。「となりびと」では、今月より、これまでの支援活動に加え、近い将来、発生する確率の高い、南海トラフ巨大地震への備えとしての防災・減災教育活動を開始します。今月号では、今回の震災を体験し、「お花畑・花壇プロジェクト」として「となりびと」が支援を続けている石巻市のNPO団体、スワン国際協力の会代表の千葉直美氏から、震災に対する心構えと教訓について投稿していただきました。尚、同氏のパートナーは、震災後から現在まで、「となりとびと」現地スタッフとして支援活動をされている千葉一氏です。

震災発生に対する心構えや教訓~女性の視点から
スワン国際協力の会代表  千葉直美

2011年3月11日、私の住む宮城県石巻市を東日本大震災が襲いました。
あまりにも突然で、自分がほとんど防災準備や心構えがなかったことを反省しています。
被災後、食料や水といった生活必需品の確保は、もちろんですが、女性達の多くは、どうやって家族に、栄養のバランスがとれた温かい食事を提供できるかに心をくだいていました。 電気やガスが止まり、卓上カセットコンロや、昔ながらの石油ストーブで料理したり、または庭や広場で火を焚いて共同で炊き出しをしていました。オール電化で便利な中、このように調理法の選択肢があった方がいいかもしれません。三月という寒い時期、一杯の温かいお茶がどんなに嬉しかったか。
台所が女性にとって、非常に大切な場所であることは、この震災であらためて実感しました。私の出会った女性たちは、一階にあった台所が破壊され調理器具を失っていました。ルーテル教会救援が提供してくださった、まな板と包丁は、とても喜ばれました。与えられたものだけを、そのまま口に入れるだけでなく、自ら「調理する」という行為が、被災当時、生きる証であり、励みになった気がします。
生け花、茶席、花壇作り、キャンドル作り、コンサートといった女性の心の癒しの時間にも、ルーテル教会救援のご支援をいただき、ここに感謝申し上げます。
【スワン国際協力の会ブログ】http://ameblo.jp/swan20110311/

バッハのカンタータを聴く11
(BWV244)マタイ受難曲

日本ルーテル神学校名誉教授 徳善義和

バッハの教会音楽は音楽による説教である。私は主としてまず歌詞からこれを解釈しようと努めるのだが、これを音楽の面からとらえようと思う場合でも、いずれにせよそれが音楽による説教として伝えようとしているメッセージを聴き取ることが必要だろう(リーヴァー『説教者としてのJ・S・バッハ』教文館参照)。
ヨハネ受難曲と違って、マタイ受難曲の歌詞はバッハ独自のものである。この歌詞がだれによって用意されたのかが注目を集めるところだが、バッハ自身が五〇年ほど前のハインリヒ・ミュラーというルーテル教会牧師の受難説教集を読んでいた(この本はルター全集と共に遺産目録にも記載されている)。これを他の多くのカンタータの作詞者として知られるピカンダーと呼ばれたヘンリツィに読むようにバッハが勧め、彼もこれから大きな影響を受けて作詞したというのが最近の研究で明らかになっている。この受難曲の自由詩の部分にはその説教集の文言と並行する表現が多く認められるという。 その受難説教は当時の傾向を反映したものだが、マタイ受難曲では十字架の死に至るほどの主の深い愛を歌い上げているのである。だからその研究書は第49曲がマタイ受難曲の中心メッセージであると結論付けている。ピラトの審問に際して群衆が「十字架につけよ」と繰り返し叫ぶただ中で沈黙するイエスについて、ソプラノのソロが物悲しいほどに歌う「愛ゆえにわが救い主は死のうとなさる」と歌うところである。
一七二七年の聖金曜日、トマス教会での礼拝のために作曲、演奏されたマタイ受難曲は、まさしく受難曲らしい受難曲として、当時のライプツィヒの市民に大いに受け入れられ、バッハ生存中も何度も演奏された。しかしその後音楽の傾向もそれを取り巻く環境も大きく変わり、バッハの死後その音楽すべてがすっかり忘れ去られていた中で、この受難曲をメンデルスゾーンがほぼ百年後の一八二九年にベルリンで復活演奏して、今に至るまでのバッハの音楽全体への関心を深く呼び起こしたことはよく知られている事実であろう。
日本ではこれは毎年演奏会としてコンサートホールで歌われるのが常だが、最終合唱が「我々は涙を流してひざまずく。・・・安らかな憩いを」とを歌い終わると、私は心の内で「アーメン」と唱えて聴衆の拍手の中を立ち去り、主の受難の意味を静かに心に刻むのである。
カット:マタイ受難曲、バッハ晩年の自筆楽譜、聖書のことばは赤インキで書き込まれた

ΙΧΘΥΣ

ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

沖縄には、空軍基地の危険と騒音に苦しむ幼児施設がある。防音窓の内側に、平和の夢を願ってステンドグラスを匿名氏と共に送っている。その一つ、沖縄市の「愛の和泉保育園」には、魚のデザインのものが入っている。
海面に向って浮上する大魚、色々な小魚の群れがそれにしたがっている。大魚は深い海底にまでもぐり、海面にまで浮上する。その姿は、生命の源である復活の姿を示す。
園児たちが騒音と不安な世の中から救われて、主イエス・キリストによる真の平安が与えられることを祈って止まない。
ギリシャ語で「イエス・キリスト・神の子・救い主」の頭文字を組み合わせると『イクトゥス(ΙΧΘΥΣ)』「魚」となる。
初代教会の信仰告白となっていた。主イエスのご受難の後、弟子たちは故郷ガリラヤに帰り、湖に漁に出ていた岸辺には復活の主イエスが待っておられ、食事まで用意していた。
「イエスは来て、パンを取って弟子たちの与えられた。魚も同じようにされた」。
(ヨハネ福音書21章13節)

いらっしゃいませ~(*^_^*)TNG幼児部門!

TNG幼児部門  朝倉三枝子

わ~きゃ~ドタドタと、ところかまわず自己表現をする乳幼児期の子どもたち、元気な声や笑い声が教会の中に響き渡ることは素敵なことですが、みなさんの教会ではいかがですか? だんだんそんな光景も少なくなっているのかな?
*いろいろな教会のニーズに応えたい!
*お孫さんやお知り合いの方々にみことばを伝えたい!という思いで私たち委員と協力委員は日々メール会議を重ねています。

この4月からは「こひつじレター」がリニューアル。年3回発行に変更! 毎月第3日曜日の聖書日課メッセージと、子育て中の保護者のメッセージ・絵本・教会・園長先生・遊びの紹介(今回は藤が丘教会の田村忠夫先生)。
「ぬりえでDEみことば」は賀茂川教会の片山幹子さん。多くの牧師や信徒の方々の協力によって発行されています。教会あてには無料で、個人宅にはメール手数料年間五百円で20部まで送ることができます。
乳幼児だけではなく、子どもにも理解しやすいメッセージとかわいいぬりえやお花の祈りをご自分のために、また年配の方々にも利用していただいています。
どうぞみなさんの教会やご家族のためにこひつじレターを活用してください。そしてどんどん幼児部門に「こんなのあったらいいな!」というご意見をお寄せください。 ホームページ(第一聖書日課のメッセージと谷口奈緒子さんのイラスト掲載)でもお待ちしています。
http://こひつじ.net/

2013年度の活動予定その2

事務局長 白川道生

●「日本福音ルーテル教会全国教師会全体退修会」が、来る11月18日~20日(千葉県)での開催と決定しました。四年に一度開催されてきましたが、今回は「宗教改革500周年記念事業」の一貫として、2017年に向けて進められている礼拝式文の改訂等をはじめ、直面する諸課題に関する神学的な協議が予定されております。
●海外教会との連携による活動も予定され、7月から8月にかけては、和田憲明牧師(箱崎教会・聖ペテロ教会)が、米国福音ルーテル教会のプログラムを活用して、フランスとバングラディシュに出かけられます。「テゼ共同体とラルシュ共同体におけるキリスト教の霊性について」が研修テーマです。
また、高村敏浩牧師(岡山、松江、高松教会)が留学に出発されます。ルター神学を学ぶべく、米国内の神学校に本年より4年間、日本福音ルーテル教会からの派遣となります。(これも米国福音ルーテル教会の支援を受けています。)

小泉潤牧師の召天に寄せて

引退教師 田中良浩

一月末、召天2週間前に、小泉牧師を琵琶湖畔の虹の家と名付けられたお宅に訪ねました 。会うなり彼は「ずいぶん前のことだけど、 あなたは僕に『潤ちゃんは走りながら死ぬよ』 と言ったんだよ」と言いました。私は「そんな失礼なことを言ったかなぁ」と答えると、彼は「僕のことをよく言いあてたよ」と微笑んで答えました。その時ここで読もうと思って選んでいた聖書を読みました。
「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです」(Ⅱテモテ4・7~8)。目をつぶって聞いた後、彼は「僕のためにすばらしい言葉を本当に有難う」と答えました。そして小泉牧師を中心にしてご家族と共に聖餐の恵みに与りました。
神学校での生活、そして牧師の歩みを共にして以来、60年になります。振り返って見ると彼の人生は「夢、情熱そして誠実さにあふれた人生」でした。彼は神学生時代から牧師になってからも彼の夢、情熱そして主なる神への信仰と服従の誠実さゆえ、周囲の多くの人々を巻き込みました。
彼は私の家庭の成立のためにも彼なりの、私にとっては「どうして?」と思うほどの努力と世話をしてくれました。後年、彼の家庭が成立するために候補者の写真を並べて「最後の配偶者選び」を我が家でやりました。そして最終的に「小枝さん」を選んで、そこで私が小枝さんと小泉家の将来の家庭のためにお祈りをささげました。
その結果、現在日本福音ルーテル教会の牧師2人(基・嗣君)、ミッションスクールの聖書と音楽の教師(道子さん)、神の創造の第三日目のわざに関わる仕事を生業とする方(摂君)と四人の子供さんに恵まれました。
彼はその間1998年から2001年まで教会の議長として20世紀から21世紀への教会行政の橋渡しの重責を担いました。同時に病ある方々を助けたり、平和運動、反原発運動のためにも信仰と情熱を注ぎました。
小泉潤牧師のすべてを支えられた小枝さんに感謝し神さまの平安をお祈りいたします。

教会音楽祭のご案内

1968年にカトリック、聖公会、日本基督教団、ルーテル教会の4教派で始まった「教会音楽祭」は、超教派の音楽祭として1000人以上の参加者を得る日本最大規模の集まりとなりました。 現在、日本福音ルーテル教会の他、カトリック教会、カンバーランド長老教会、日本長老教会、日本聖公会、日本基督教団、日本同盟基督教団、日本バプテスト連盟が参加しています。
第31回は「ともに希望の歌を」というテーマで開催されます。東日本大震災後、自然災害や人災という苦難に直面した時に、希望をもたらす信仰の歌が欠落していることに気づかされました。震災から2年経ってもなお、復興にまだまだ辿り着くことができず、希望すら持つことのできない人たちが多くいらっしゃいます。震災後「私たちは何が歌えるのか?」という疑問の中で、「全てを失っても 神さまは共にいてくださる」という希望に心を合わせることをが大切なのではないか?という思いに至り、今回のテーマが決まりました。
第31回の教会音楽祭は、カンバーランド長老教会、日本同盟基督教団、日本バプテスト連盟の3教派が主催教派として準備を進めております。
日本福音ルーテル教会は、日本聖公会と合同聖歌隊を作り、那須輝彦先生を指揮者にお迎えして奉唱することになりました。またルーテル学院大学と青山学院大学の学生を中心メンバーとして、大学生による合同聖歌隊が結成されます。
「エキュメニカル」という意味からも貴重な機会になると思っております。教会音楽祭にぜひご来場下さい。お待ちしております。苅谷 和子

第31回 教会音楽祭テーマ曲  曲募集

第31回教会音楽祭テーマ曲の詞募集に対し、14通の応募がありました。 寄せられた力作の中から次の作品が採用作品となりました。
引き続きこの詞をもとに曲募集をいたします。採用作品は、今年6月8日(土)午後、ウェスレアン・ホーリネス教団 淀橋教会(東京都新宿区)で開催される教会音楽祭で用いられます。

「帰れる日」
詞 阿部冨美子
(教会音楽祭実行委員会 補作)

1.海がみんな
のみこんできた
そのあなたの苦しみを わかち合い生きて
行こう
豊かな海に
実りの大地に
帰れるその日を
祈ります
2.海がみんな
さらっていった
そのあなたの哀しみを わかち合い
生きて行こう
壊れたふるさと
返してください
帰れるその日を
祈ります
(この詞は教会音楽祭実行委員会が管理しています。無断使用は禁止します。)

応募要項
●1人1作品とします。
●一般会衆が歌う曲とし て作曲してください。●四声譜、伴奏付き旋律 譜、コード付き旋律譜 など、書式は自由です。●旋律の下に必ず全ての 歌詞を記載してくださ い。
●楽譜が書けない場合は、 CDに録音した音源も 受け付けます。
●一応の目安として速さを指定してください。(♪=120など)
●教会音楽祭実行委員会にて審査し、採用候補者には直接通知します。 ●応募作品が採用候補とされた場合でも、作者と相談の上、実行委員会で添削する場合があります。
●採用作品は広く教派を超えて自由に用いられるものであることを理解のうえでご応募ください。応募作品は返却しません。
●作品に住所、氏名、連絡先、所属教派、教会名を明記してください。

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