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機関紙るうてる

るうてる 2017年6月号

説教「対話と協働をもたらす力」

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五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」 (使徒言行録2・1~11)

使徒言行録2章に描かれる聖霊降臨は、教会の誕生の出来事と呼ばれることも少なくありません。主イエスが弟子たちを地上に残して天へと昇られた後、聖霊を受けた弟子達は、イエスが救い主キリストであることを世に宣べ伝えてゆくこととなります。しかしそれは客観的に考えるならば大変奇妙な展開であったと言わざるを得ないのではないでしょうか。なぜならば、彼らが宣べ伝えるイエスとは、仲間から見捨てられ処刑された世の中の敗北者でしかなかったからです。そしてこの弟子たちこそ、都を目指してイエスとやって来たものの、自分たちの期待通りにはならなかったイエスを見捨てた者たちでした。そればかりではなく、この後、都で始まった最初の教会は、まもなくして追い散らされてしまうのです。一体なぜ、生まれたばかりの教会は消滅してしまうことなく、その後も生き残り、広がり続けることが出来たのでしょうか。
 使徒言行録2章では、弟子たちの上に「炎のような舌」が現れ、一人一人の上にとどまると、聖霊に満たされ、口々に「ほかの国々の言葉」を話し始めます。原文では「舌」と「言葉」は同じ語が用いられていることから、この炎が弟子たちに様々な国の言葉で語らせる力だったということを、この物語は伝えています。9~11節では、ユダヤの周辺の国々から、そしてさらにはローマからもやって来た者達までもが、その言葉を聞き驚いたことが語られています。
 言葉が通じないこと、それは相互に信頼を築くことを阻み、人と人とを分断する見えない壁の最たるものでありました。しかし見えない神の力である聖霊に満たされた弟子たちは、その見えない壁を乗り越えるのです。そしてまたそのために、全ての人が皆同じ一つの言葉を話すようになったのではなく、弟子たちが様々な国の言葉で語り始めたということはとても興味深い点であるように思うのです。
 聖霊を与えられた弟子たちは、見た目の上ではばらばらに語り始めます。それを内向きの視点で見るならば、分裂であり、調和が失われた状態であるように受け取られるかもしれません。けれども聖霊に満たされた彼らは、部屋の中には留まらず、外へ新しい世界へと押し出されてゆくのです。弟子たちが様々な国の言葉をが都において話し始めた時、内へ内へと向かっていた弟子たちは、外なる世界へと開かれることになるのです。そしてこれまで出会ったことのない人々と福音を分かち合うこと、社会の周縁へと追いやられた人々と喜びを分かち合うことへと押し出され、部屋の中から踏み出してゆくのです。それはまさに弟子たちの集団にとって決定的な転換点であり、教会の出発点となったのでした。 
 分裂のようにすら見えた様々な言葉を語る弟子たちの姿は、実は新しい命に生きる共同体が生まれたこと、そこから新しい時代が始まったことを表すものとなったのでした。この新しい共同体はやがてエルサレムから散らされてゆくことになります。しかし新しい命へと押し出された彼らは、散らされた先でまた福音の喜びを分かち合うために共に働くこととなるのでした。
 かつて弟子たちが新しい命へと押し出されて新しい時代が始まったことによって、今私たちの教会があります。かつて弟子たちに新しい命を与えた力は、今を生きる私たちをもまた、新しい時代、新しい命を生きさせる力でもあります。それは壁を乗り越え喜びを分かち合い、多様なあり方を通して共に働くことが出来る、まだ誰も知らない道へと私たちを導く力なのです。
 ルターの宗教改革から500年となる今、分断され傷けられた世界の中で共に働くために、教会の対話と協働とが大きな主題となっています。それはまだ誰も体験したことのない、新しい挑戦です。けれども、弟子たちを満たした聖霊によって今も私たちキリストの教会は支え導かれているのです。だからこそ今、対話と協働を作り出す、新しい時代へと歩みだしてゆきたいと思います。
日本福音ルーテル三鷹教会 牧師  李 明生

連載コラムenchu

15【 identity 】

 主イエスが十字架で処刑されたとき、罪状書きには「ユダヤ人の王」と記されていました(マルコ15・26)。これは、主イエスが政治犯として処刑されたことを意味しています。なぜなら、それがユダヤの地を支配していたローマ帝国に対する敵対者であることを意味するからです。しかし、ローマ帝国の提督ピラトが、「(彼は)いったいどんな悪事を働いたというのか」(マルコ15・14)と言っているように、宗主国はそう考えてはいませんでした。また主イエス自身、「それは、あなたが言っていることです」(マルコ15・2)と尋問に答えているように、「ユダヤ人の王」を自称し、国民的統合を目指したのでもありません。
 主イエスを、政治犯として宗主国に引き渡し、国民的統合を阻害した者と断罪したのは、当時のユダヤの地において社会的利益を享受していた支配層と受益機会から疎外されていた弱者層の人たち、つまり同胞の人たちだったのです。本来、利害が一致しない支配層と弱者層が、犯人を名指し「十字架につけろ」と憎悪を梃子(てこ)に強く結びついたのです。
 私たちは現在、これと同じ構造を目の当たりにしています。生活保護受給者、在日韓国・朝鮮人、沖縄基地問題や原発問題を訴える人たちへ向けられる憎悪を梃子にしたナショナリズム、他者を「反日」と攻撃するヘイトスピーチとして。また現在審議中の「共謀罪」法案は、それらにお墨付きを与えるものになるのではないでしょうか。これからの伝道は、憎悪を燃料に共同体への帰属感を抱く人たちに対して、「おのおのの必要に応じて、皆が分け合う」(使徒2・45)共同体へ帰属することの喜びを伝えていくことなのかもしれません。
岩切雄太(門司教会、 八幡教会、 佐賀教 会、小城教会牧師)

 

議長室から

 

「足元のエキュメニカルから」 総会議長 立山忠浩

 先月、日本ルーテル教団(NRK)の宗教改革500年を祝う祝典に招かれました。記念事業の一環として、聖書通読運動、『現代に語りかけるルター』などの出版事業、神学生や皆の祈りの場として新築されるルターハウスのことが紹介され、たくさんの刺激を受けました。
 私たちの教会は500年事業として、他教派との共同プログラムを企画しています。その一つが11月23日に長崎で開催されるカトリック教会との共同記念礼拝とシンポジウムです。これは世界ルーテル連盟とカトリック教会の世界的なエキュメニカル(教会一致促進運動)の流れを汲んだもので、視野を大きく広げた企画と言えるでしょう。
 ところが、私たちの視野はまだまだ狭いことを改めて教えられることがありました。カトリックの教皇がエジプトのカイロを訪問したとの報道を目にしたからです。そこでは、イスラム教の指導者たちと宗教間の対話を求めて会談をする姿が映し出されていました。キリスト教会内の対話や一致のみを視野に置くのではなく、イスラム教など他宗教との対話を実践しているのです。また日本のカトリック教会の中にも、仏教などとの対話を地道に積み上げて来た歴史を見ることができます。
 カトリック教会に比べると私たちの教会は小さな組織ですが、宗教改革500年の歴史を継承する私たちの視野も、本来大きいものでなければならないと感じています。私たちの基盤である聖書が、限りない大きな視野を提示しているからです。
 ただここで、あまりにも現実離れした大きな視野を持つべきだと言いたいのでありません。目標までは遠くとも、今の足元の歩みを大切にしながら、一歩一歩進むことが重要なのです。その一つが同じ「ルーテル」という名を冠する教会とのエキュメニカルの実践です。
 NRKとは共にルーテル学院大学・神学校を支援して来ましたし、北海道には合同のプログラムがあり、11月には東教区との500年記念の合同礼拝が行われます。それだけでなく、近畿福音ルーテル教会と西日本福音ルーテル教会とも7月に、西教区との合同礼拝が企画されています。『聖書日課』は4ルーテル教会・教団に留まらず、さらに広がりをもったエキュメニカルな活動です。
 500年事業を通して、足元のルーテル派内での共同の業がさらに促進され、より広い視野に向かう一歩が踏み出せるなら幸いなことでしょう。

「いわき食品放射能計測所」の現在の働き

 明石義信(いわき食品放射能計測所所長・ 日本基督教団常磐教会牧師)

 「いわき食品放射能計測所」は2012年5月に、東北ヘルプの食品放射能計測所として、いわき市小名浜に事務所を借りスタートしました。そこから、業務の内容(測定や談話の場の提供など)や経済的理由から2013年7月より白水のぞみ保育園(いわき市内郷白水町)に移り、次に現在の日本基督教団常磐教会(いわき市内郷綴町)に移ったのが2014年の3月のことです。
 現在の計測所の活動は、時間の経過と共に取り残された危険をいかに見つけ
出し除染するかという働きです。ごく最近では、九州での放射能に危機感を持
つ母親たちと、同じ機材を用いた計測値の比較と変化をいち早くとらえるシス
テムづくりに力を注いでいます。
 また放射能計測の必要性は食品の放射性物質含有量への不安に対応するということから、新しく家を建てた生活環境の土の計測による不安の払拭、被災移住者の帰還準備に当たって除染後の自宅の細かな部分に対する「空間線量」、「土壌汚染計測」、「流水環境の確認」などの要請が増加してきています。このことについては既存の計器では対応に困難をきたす事態も出てきています。依頼品の土壌の線量があまりに高い数値を示した場合、そのサンプルの移動や取扱い、検査後の廃棄に関しての制約が大きくなるという点です。
 計測所が併設されている、常磐教会の集会室・会堂を用いた被災者受け入れのプログラムも盛んに行われています。主なものは、双葉町からいわき市に移住してきている「いわきまごころ双葉会」という140世帯ぐらいが参加するヨガや裁縫料理教室などが行われる月2回のグループです。この方々を対象として呼びかけられるコンサートも1年に2~3回は開催されるようになりました。
 これらの活動が定着してきた要因は、教会に駐車スペースがある程度確保出来る点と木造の建物が、ふるさとの生活環境を想像させ落ち着くという要素に加えて、教会員など同じ人が対応するという安定感にあるのではないかと考えます。このような、時間の制約を気にせず、ゆったりと過ごせる集合施設は少なく、ニーズがあるものと想定していました。
 また、いわき市に居住する母親たちの「初期被爆や低線量下での生活に不安を覚える人々と連帯する」活動にも活動の場を提供し、また、対話を始めています。震災から6年が経過し、活動に参加する母親達、避難者達の活動も、関心を示して支える人々が激減しています。その中で、活動の維持が困難になっているグループもたくさん出てきています。
 被災地における「絆」を作り出す場としての働きも、あと何年ぐらい必要とされるか分かりませんが、区切りを定めた活動目測と同時に、区切りを定めない、安心できる場所の提供が必要となってきております。
 このような実情についてご配慮くださり、継続してご支援いただけますと感謝です。※東教区プロジェクト3・11では、いわき食品放射能計測所の活動を支援しています。

ポスター展「#HereIstand我ここに立つ―マルティン・ルター、宗教改革とそれがもたらしたもの」 を活用しませんか

宗教改革500年の時にルターと宗教改革の意義や価値を学ぶと同時に、ルターを英雄視せず、宗教改革は「信仰の異なる者を排除、迫害、殺害していった傷つけ合いの歴史でもある」(ポスター本文より)ことを振り返ることは、ここから平和への道を紡ぎ出していくために必要なことであろうと思います。
 またこれまであまり注目されることがなかった女性たちの活躍など、宗教改革がもたらした社会的意義を確認することも意味あることでしょう。
 ドイツのハレ州立先史博物館が中心となり作成された30枚のポスターセットは、そのために役立つものであり、芸術性の高いものでもあります。すでにドイツ国内で展示会が開催され、またアメリカにおいても展開されています。ドイツ外務省は世界各地に分かち合うことにも取り組んでおり、この程、ロシア語、フランス語、スペイン語、ポーランド語、そして日本語と複数の言語での版も作成されました。
 日本ではドイツ大使館・領事館が窓口となり、美術館や博物館、図書館などでの展示会を開いています。加えてこのポスター展は、それぞれの教会や施設・学校、地域の交流スペースなどでも開催することが可能です。
http://here-i-stand.com/en/order で表示されるホームページの下の部分の「OTHER LANGUAGES」というコーナーからデータをダウンロードすることができます。
大きなサイズのデータであるため、ダウンロードに少し時間がかかりますが、
これをプリントしてそのまま壁に貼り付ける、またパネルに貼って掲示するという形で展示ができます。各地で行うことのできる宗教改革500年記念の学びや展示の機会であり、また伝道活動ともなることでしょう。展示会を開催される折には、期間と場所などをお知らせください。広報室よりドイツ大使館に実施事例として連絡します。
 また、大使館・領事館へ大型パネル(A1サイズ)の貸出を依頼するという形を取ることも不可能ではありません。九州教区では、10月に予定されている記念礼拝時に会場となる学校での展示のために貸出を受ける調整がなされているようです。
 5月14日に本郷教会で行われた「おいしいじかんフェスタ」の際には礼拝堂にてA3サイズのパネルを並べての展示会が行われました。

宗教改革500年に向けてルターの意義を改めて考える 61

ルター研究所所長 鈴木浩

「聖書(によって)のみ」(sola scriptura/ソラ・スクリプトゥーラ)という言葉によって、ルターは何を言いたかったのであろうか。
 第1には、教会における究極的な権威は、「神の言葉」つまり聖書にある、ということであった。ルターが聖書を手にしたのは、修道院に入ってからのことであった。それまでは、教会で何かの折に聖書を見たことはあったかもしれないが、それを手にとってじっくり読む機会は、事実上、なかったのである。
 中世カトリック教会は、信徒が聖書を読むことに極めて抑制的であった。「個人的で、勝手な解釈」をされることを極度に恐れたからである。聖書の究極的解釈者は、「教導職」つまり教皇であった。だから聖書は、事実上、「閉ざされた書物」であった。
 ルターは「神の言葉の神学者」であった。「神の言葉」とは端的に聖書のことであった。当時、聖書と言えば、ラテン語訳聖書(ウルガータ)のことであった。
 当時のヨーロッパでは、知識人は総じてラテン語を読み書きすることができた。江戸時代の日本の知識人が漢文を読み書きできたのと同じことである。しかし、一般の人はそうではなかった。
 だから、ルターはまず新約聖書をドイツ語に翻訳し、その後、協力者たちの支援も受けて、旧約聖書のドイツ語訳も完成させたのである。「閉じられていた文書」であった聖書を「開かれた文書」にするためであった。
 ルターのドイツ語訳聖書は、当時はいくつもの方言に分かれていたドイツ語の標準化にも役立ったと言われている。英語の標準化に貢献したと言われている「欽定訳」(KJV、1611年)と同じような役割をルター訳ドイツ語聖書も果たしたのだった。

ルーテル世界連盟 総会を開催

 2017年5月10~16日に、ルーテル世界連盟(LWF)は、アフリカ南部のナミビア共和国の首都ウィントフックにて第12回総会を開催しました。世界98カ国、145の加盟教会からの代表が集い、若者や女性たちのためのプレ集会に始まり、「神の恵みによる解放」をテーマに「創造・救い・人間」は神の恵みであってお金では買えない (原題では「not for sale」売り物ではない)ことを確認し、環境や人権、貧困など世界的な課題の解決への歩みを共にしていく決意へと導かれました。
 主日となった5月14日には、宗教改革500年記念礼拝がスタジアムにて行われ、数千人が集いました。
 新たな議長として、ムーサ・フィリバス牧師(ナイジェリア キリスト ルーテル教会大監督)が選出されました。
 JELCより立山総会議長、浅野世界宣教主事が参加しました。詳細の報告は次号に掲載します。

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より
今を生かされて

伊藤早奈

〈祈り〉神様。こうあるべき・こうしたいと理想を描く時、私たちはいつしか完璧を求め、人や自分に厳しい目を向けたりします。できない人や自分を否定してしまうこともあります。私を含め、どの命も大切な存在です。あなたに愛され生かされている今を、いつも神様あなたに心を向けて感謝できますように。
この祈りを主イエス・キリストのお名前を通してみ前に献げます。アーメン。
 ・・・・・・・・・・・・・・・
「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6・34)
 私はこの仕事を始めた頃、何年仕事が続けられるのか、とても不安でした。それまでの仕事を辞めて勉強し、牧師として教会に再就職して、普通でしたら前途洋々かもしれません。しかし、私にとっては自分の病気が現代の医学では治す方法がないとされている進行性の難病であることがわかってからの学びと就職であったので「できて2、3年かなぁ」という気持ちでした。
 ある会議の会場でのことでした。二人の牧師が自分たちの定年後の生活について話しておられるのを聞きました。お二人の話を伺いながら、何十年後かの定年後の話ができるお二人がとても羨ましかったのを覚えています。数年後、定年をお迎えになることなく、お二人はそれぞれの時に天に召されました。そして当時「2、3年働ければいい」と思っていた私は牧師になって15年目を過ごしています。
 神さまから静かに語りかけられているように思います。「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」と。
 誰が私たちに命を与えてくださっているのでしょうか。誰が一人ひとりに時を与えているのでしょうか。
 全ての人が神様から命を与えられています。神様があなたにかけがえのない一瞬一瞬を与えてくださっています。かけがえのないあなたという存在が今、生かされているのです。

ルーテルこどもキャンプへのお誘い

中島結実枝(恵み野教会)

 今回で19回目を迎えるルーテルこどもキャンプ。小学5、6年生のこどもたちを対象に〈平和について学ぶキャンプ〉と〈世界の国々について学ぶキャンプ〉が交互に行われています。
昨年は広島で平和について学びました。そして、今年のテーマはもちろん!宗教改革から500年ということでルターのふるさと【ドイツ】です。それにちなんでキャンプのタイトルも『君に届け、神さまの愛!~ルターからの贈り物~ルターってどいつだ?』に決定しました。
 ドイツと聞いてまず浮かぶものといえば何でしょう?(「ビール」と答えたそこのあなたは正真正銘のルター派です! ルターさんもビール好きとして有名ですからね。)
 今回こどもたちと学ぶのは、ドイツという国についてはもちろんですが、宗教改革者ルターが伝えたかったこと、現代を生きている私たちに遺したものは何かということです。「知らなかったけど実はこれってルターが広めたことだったんだ」という新しい発見がきっとあるはず。
 もし「誰も知っている人がいないから不安だな」と参加を迷っているお子さんがいたら「優しいお兄さんやお姉さんがいるし、絶対お友達が出来るから安心して行ってらっしゃい」と背中を押してあげてください。
 また、共にキャンプを支えてくださるスタッフも必要としています。リーダーは18歳からですが、ジュニアリーダーは高校生から応募が出来ます。チャプレンを始め、周りのスタッフの協力もあるので知識や経験が無くても大丈夫です。そしてキャンプを裏方で支えてくださるスタッフも募集しています。
 開催日程は8月8日(火)~10日(木)、場所は東京のルーテル学院大学/日本ルーテル神学校です。全国から集う仲間と一緒にドイツやルターのことを楽しく学びましょう。
 詳しくは、以下のURLから、ご確認ください。
http://urx.blue/DrO0

追悼 キリストの心を心とした働き人

 北尾一郎(定年教師)
 フィンランド・ルーテル福音協会(SLEY)から日本福音ルーテル教会に派遣された宣教師牧師、敬愛するペンティ・カリコスキ先生が、2017年2月6日 、ヘルシンキにおいて 、慕っておられた主の御許に招かれ、天の教会に移籍された。彼の「本国」である。
 多くの人を愛し、多くの人から愛されたペンティはその88年の生涯のうち1955年から1987年までの33年間、北海道、長野県、東京都で同労者と共に主と教会に仕えた。
 ペンティはスオミの人間であることに誇りを持ち、民間外交に大いに貢献した。彼は温かく柔軟な心で日本人と日本文化を愛し、二つの文化の架け橋となった。
 約22年間、大岡山教会のために働き、日本人の伴侶となった多くのフィンランド人女性のために、「スオミセウラ」を組織して相談を受けた。教会内外の人が皆、先生とご伴侶のピルッコさんとお子さんたちに心を開いた。
 葬儀と記念礼拝は、3月11日、ピュハン・シュダンメン(聖心)礼拝堂で行われた。

追憶 ラーソン宣教師

 岡田曠吉(元教師)
 ライル・ラーソン先生と初めてお会いしたのは1965年、私が本郷教会の牧師として着任した時でした。先生は本郷学生センター主事として東大の学生たちや、有力な教授方と英語による交流を毎週していました。それらはただの英会話クラスというよりも、「日本文化と西欧文化の接触と学びあい」というもので、かなり奥深いものでした。
 先生のもう一つの大仕事は現在の本郷教会・学生センターの建設でした。幸いヴォーリス建築設計事務所の尽力を得て現在の建物ができました。 
 完成後まもなく、休暇帰国の間、ミシガン大学院で日本研究をし、学位を取得されます。本郷へ戻られた頃から「学園闘争」が東大医学部から始まり、それは安田講堂攻防と1年間の休講状態で静かになっていくのですが、その間、多くの人がやってきて黙って集会に参加していました。
 1970年、先生は大学講師として帰国するも、翌年再来日して東京教会の宣教師となります。2000年の夏、アメリカに先生を訪ねた折に私が共に働いた日々の自分の至らなさを謝罪すると、「罪の赦しがなければ私たちは共に働くことはできないのです」と言われたことが心に残っています。

ウエンツ先生のこと

 宇野正徳(定年教師)
  エドウィン・ウエンツ先生は、1951年にアメリカ・ルーテル教会(現ELCA)の宣教師として来日し、鹿児島教会の初代の宣教師として派遣され、鹿児島、阿久根両教会の宣教に力を注ぎました。
 終戦から間もない頃、戦争によって傷ついた多くの日本人の魂を救うために、アメリカ及び北欧の各教会から多くの宣教師が派遣され、魂の飢え渇きを覚える人々に福音を届けました。これらの宣教師の影響を受けた人も少なくなく、後の教会形成にとって大きな力となりました。
 ウエンツ先生は、当時の宣教師としてはめずらしく、物静かで優しく教会員と共に宣教を考え、教会を形成していくことを考える先生でした。鹿児島教会から阿久根教会(当時は伝道所)へ移った先生は、阿久根の町に「地の塩、世の光」となる教会を作ろうと教会員と共に祈り続け、その努力が実って市民の目に触れる所に教会堂を建てました。ウエンツ先生の意思を継いだ教会の皆さんは、今もその教会を守り続けています。
 長い間、日本の宣教に仕えた先生のお働きに心から感謝する共に、主のみ許で平安な日々を送られますようお祈りいたします。

2017年宗教改革500年「カトリックとルーテルの共同声明」に学ぶ3

石居基夫(日本ルーテル神学校校長)

【本文から】

●争いから交わりへと変わっていく
 宗教改革によって受けた霊的、また神学的な賜物に深く感謝しながら、わたしたちはまた、ルーテル教会もカトリック教会も教会の目に見える一致を傷つけてきたことをキリストのみ前でざんげし、悲しみます。神学的違いには偏見と争いとが伴いましたし、宗教は政治的な結果に至る手段となりました。イエス・キリストを信じるわたしたちの共通の信仰とわたしたちの洗礼はわたしたちに日毎の悔い改めを求めています。それによってわたしたちは、和解の務めを妨げる歴史的な争いと不一致とを捨て去ることができるのです。過去は変えることができないのですが、何が記憶されるのか、それがどのように記憶されるのかは変えられうることです。わたしたちお互いの見方を曇らせてきた傷と記憶の癒しをわたしたちは祈ります。わたしたちは過去と現在のすべての憎しみと暴力、特に宗教の名によって言い表されてきたそれらを強く斥けます。今日わたしたちはすべての争いを捨てるようにとの神のご命令を聴いています。わたしたちは、神が絶えずわたしたちを召しておられる交わりへと向かうように、恵みによって自由にされていることを確認しています。

【学び】

 宗教改革の歴史を見るというとき、カトリック教会から見る場合とルーテル教会の側から見る場合とでは全く異なるものであったということを考えておかなければならない。ルーテル教会にとっては、宗教改革こそ自らのアイデンティティーを確認する神学的・霊的なルーツであり、福音の「正しい」理解を回復した出来事、カトリック教会側から見れば、それは教会の一致を乱し、多くの人々が「真の」教会から奪い取られていくような出来事として記憶されてきたと言えるだろう。
 しかし、この声明ではカトリック教会もルーテル教会もともに、この出来事を「霊的、また神学的な賜物」をもたらしたと言い、また「教会の目に見える一致を傷つけてきた」と言うのだ。こうしたことを両教会が共に告白できることこそ、長い対話の積み重ねのなかで、宗教改革という出来事を教派の視点というよりも神の教会の歴史のなかに見る視点に開かれて見出すことができた地平を示しているということだろう。
 そして、そういう地平にたって神の前に深く懺悔しなければならない自らの罪をしっかりと見出し、告白することへ導かれているのだと思う。ただ、神の前に打ち砕かれて自らを告白する時にだけ、私たちには未来への確かな歩みをはじめる力を得るのではないだろうか。そして、そういう歩みをする時に、「過去は変えることができないのですが、何が記憶されるのか、それがどのように記憶されるのかは変えられうる」と大胆に語り、新しい歴史への責任を見出していくこととなっている。
 「過去と現在のすべての憎しみと暴力、特に宗教の名によって言い表されてきたそれらを強く斥け」ると宣言する時に、両教会は単に自分たちの過去についてのみ語っているのではなく、「今の世界」への責任を語っているのだ。神のみことばに聞き、神の前に自らをかえりみることが、私たちの今への責任とそこへ生かされる力とを恵みのうちに見出すことへと向かわせるのだ。

連絡先変更のお知らせ

■伊藤文雄牧師(定年教師)
 電話番号
 045(877)5243
■箱田清美牧師(定年教師)
 〒813-0032 
 福岡県福岡市東区土井 3l l
 電話番号
 092(691)1168
■山田浩己牧師
 〒862-0918   熊本県熊本市東区花立 6l  l
…………………………
訂正 本紙5月号1面、「説教『天に昇られる時も』」(内藤新吾牧師)の文中に「月本昭さん」とあるのは、「月本昭男さん」の誤りでした。編集時に脱字してしまいました。お詫びし、訂正します。

 

 

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