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機関紙るうてる

るうてる2011年11月号

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説教 「勝利者キリスト」

これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。 ヨハネによる福音書16章33節

 全聖徒の日は、それぞれの信徒がその所属している教会において、すでに天に帰られた信仰の先輩方を憶え、その先輩方と共に礼拝を守る日とされています。わたしたちは、「聖徒」という言葉を、どのように理解しているでしょうか。礼拝を守り、主の御言葉に聴き従って、いつもよく祈る信徒のことを聖徒というのでしょうか。それとも、困難に直面しても、いやな顔をせずに喜んで奉仕する人のことを聖徒というのでしょうか。わたしたちは洗礼を受けて、神の子とされました。神の子とされたわたしたちは、だれ一人の例外もなく、皆聖徒であって、すでに天に帰られた信仰の先輩方とわたしたちとを合わせて、「全聖徒」といいます。全聖徒が、共に礼拝を守る意義を考えたいと思います。
 本日、わたしたちに与えられたヨハネ福音書には、「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」と記されています。わたしたちの悩み、苦しみ、悲しみは、主イエスがみずから味わわれたものです。わたしたちと同じように、貧しさ、飢え、渇き、あざけり、裏切り、孤独などの試練に会われ、この世の憂いと無縁でなかった主イエスは、わたしたちの弱さを思いやることの出来ない方ではありません。わたしたちのすべてをご存知である主の前において、わたしたちは自分の弱さを取り繕う必要などありません。そのことが、わたしたちの平安につながっています。わたしたちのすべてをご存知であるお方が、「あなたがたには、世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」と語られました。主イエスは、苦難が待ち受けているこの世に、わたしたちが出て行く勇気を与えようとされました。それに加えて、わたしたちと共に汗を流し、悩み、苦しみ、わたしたちの重荷を背負おうとされました。それなのにどうして、わたしたちが元気をなくして沈み込んでおられるでしょうか。
 ところで、魚に食べられた預言者ヨナの話は有名です。ヨナは、「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。」という神の言葉を聞きました。ニネベは、敵国アッシリアの都でした。神はニネベに行って、彼らの罪を示せとヨナに命じられました。しかし彼は、神の言葉に従わないで、ニネベとは反対方向にあるタルシシュに逃れようと船出しました。ヨナ書の二章には、魚の腹の中でヨナが神に祈ったことが記されています。神よりもこの世の現実を恐れ、神に背を向けて逃げ出したヨナでした。彼は海の中に投げ込まれ、魚の腹の中に閉じ込められて、絶望するしかありませんでした。しかし彼は、絶体絶命の崖っぷちから祈ることを赦されていました。ヨナは、祈りの最後に「救いは主にこそある」と祈っています。これこそ、神に背を向け、自分自身に絶望した者にしか分からない、主の恵みではないでしょうか。本来、わたしたちは神に顔を向け、口を開くことさえふさわしくない弱い者です。しかし、神はご自分の独り子をこの世に送り、十字架につけて、わたしたちの罪を償ってくださいました。この神の愛ゆえに、わたしたちは悩み、苦しみ、悲しみの中にあっても、貧しさ、飢え、渇き、あざけり、裏切り、孤独などの試練にあっても、「救いは、勝利者キリストにある」と祈ることができます。
 先に、「全聖徒が、本日共に礼拝を守る意義を考えたい」と述べました。わたしたちは、この世との戦いにおいて、多くの試練を味わいます。時には、神よりもこの世の現実を恐れたヨナのように、神に背いて絶望を経験することもあります。信仰の先輩方も、試練にさらされ希望をなくされたこともあったことでしょう。しかし、この世における人生の最後まで信仰を守り抜いて、天に凱旋されました。人の行う地上での業が、どんなに大きなものであったとしても、それがただ自分のためのものであるならば、肉体の死とともに跡形もなく、むなしく消えてしまうでしょう。全聖徒は、勝利者キリストを信じる信仰において、永遠のいのちが与えられ、共にキリストの再臨を待つ、信仰と希望と愛に生きています。肉体の死がすべての終わりではないことを、信仰の先輩方を思い起こして確かなものにするのが、全聖徒主日の礼拝を守る意義ではないでしょうか。救いは、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」と宣言された、キリストにあります。主の愛と憐れみに、感謝と讃美をささげたいと思います。
 
 宮崎教会牧師 木下 理 

ルターによせて(7) ルターとボウリング

 冬は室内スポーツが盛んになるが、その一つにボウリングがある。日本では70年代に一大ブームが起こったが、今でもファンは少なくない。
 ボウリングの歴史は古く、古代エジプトの墓中の石のボウルとピンの発見にまで遡る。西欧でも、当初悪魔払いの儀式として意味づけられ、やがて中世の僧院ではスポーツとして盛んになってきた。修道僧であったルターも愛好家の一人だったに違いない。彼が新約聖書の翻訳に没頭していたとき、悪魔が眼前に現れたのでインク壺を投げつけたという伝説があるが、きっと「ストライク!」だっただろう。
 さて、ルターはボウリングのルールを創ったと言われている。それまでは、ピン数が決まっていなかったが、9本の棒を1,2,3,2,1の菱形に並べて技を競うようにした。いわゆる9ピンボウルの始まりで、これが西欧中に広まった。モーツアルトも熱中し、プレイ中にk487等を作曲するほどだった。やがて清教徒によりアメリカに広まったが、賭ゲームが盛んになり、州法で9ピンのゲームが禁じられると、では10ピンなら良いだろうということで現在の10ピンになったという。嘘のような本当の話。

牧師の声  私の愛唱聖句

ルーテル学院中学・高校チャプレン 崔 大凡

「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を産むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。」(ローマの信徒への手紙5章3〜5節)

 新しく買った最新のケータイで、最近溢れるほど作られている仮想ゲームと呼ばれるものをやってみました。こんなゲームって何が面白いかなと知りたい気持ちもあって、しばらくの間、携帯で子供を育ててみました!
 確かに面白い要素はありました。ちょっとした操作で、仮想の世界に存在する私の子供はすくすく成長していきます。子供と話をすれば子供の性格と感性が良くなり、勉強させれば知性が発達し、日にちが重なる度に経験値が高くなります。一通り理論的に合っているのはもちろん、なるべく現実に近いものを表現しようとするゲーム会社の努力に感心しました。しばらくその子育てを楽しみ、そして飽きてやめました。
 ゲームがどれだけ現実に近づこうが、現実とゲームの間には埋められない溝があると私は思いました。現実にはあってゲームにはないもの、それは苦痛というもの。一応ボタンを押すことで仮想の子供と関わりをもつことになりますが、現実の関わりの中にありうる誤解や行き違い、うまくいかないときの苦しさはゲームで描き様がないのです。勉強させることさえすれば子供は自然に頭が良くなり、正しく成長するものでしょうか。指示に従ってくれない子供との関わり、1コマの授業を持ち続ける難しさ、課題、決して止まることなく繰り返される日課…、私が現実の学校生活で難しいと思う部分がゲームの中にある訳はありません。実はその理由でゲームを続ける気もなくなりました。
 そのとき気付きました。真剣な意味での情熱、希望といったものは、実は苦しみや悲しみから生まれるということを。神様が私に与えてくだる喜びと悲しみ、楽しみと苦しみ、そのどれも無意味なものはないが、どちらかと言えば希望は苦難の中にこそあるもの。だからどんな形の苦しみであれ、苦しみとは私たちの人生でただ無くすべきものではないのです。むしろ私たちのハートを温め続ける支え。それを受けて今日も前進!

信徒の声  私の「こどもキャンプ」との初めての関わり

高蔵寺教会  中西 昌武

 ルーテルこどもキャンプは小学校5・6年生を対象者とする2泊3日の学びの場である。私は、2003年の第5回ルーテル国際少年少女キャンプ(当時は宣教室と婦人会連盟の主催)のとき初参加した。この年のテーマは「わたしたちのアジア〜ひとつの霊のむすばれて〜」で、婦人会連盟が支援するマレーシア国サバ地方の神学生をゲストにお招きしていた。
 キャンプでは子供たちを少人数グループに編成する。私の役割はグループリーダーだった。リーダーといえば統率者を連想するが、このキャンプは違った。グループには子供たちと一緒に動くお兄さん役のカウンセラーが付くから、リーダーはカウンセラーと子供たちの関わりを見守って下さい、といわれた。
 キャンプが始まるとプログラムは猛烈なスピードで進んだ。カウンセラーは必死に子供たちに関わっている。私はグループから目を離せない。
 1日目が終わって驚いた。初めて出会った子供同士の心がもう融け合っている。りっぱなグループだ。2日目。早くもグループで共通の課題をこなす山場となった。アジアについて学んだことを真剣に話し合った結果、劇を作って発表しよう!ということになった。すべて子供たちが決めた。リーダーとカウンセラーは子供たちについてゆくだけだった。3日目。すばらしい発表となった。
 子供たちは、どんどん学び成長する。人の話に真剣に耳を傾け、自分に何ができるかを模索し目覚める。何かに気付くと提案する。新しい世界との触れ合いに喜びを感じる。
 キャンプのプログラムは、無論このような子供の成長を意図して設計されている。だが成長に必要な中核のプログラムは、参加する子供たちの中に備えられていた。神様の恵みとして。3日間のキャンプを終えて、私が気付いたことはこれだった。いま私は「こどもキャンプ」のホームページを担当している。そこに掲載されたキャンプの歩みを目で追うと神様の恵みをいつも実感できる。感謝である。

フィンランド教育事情

素敵な自分らしさ

子供たちは生まれながら様々な面で違いがあります。個性は素敵なことですが、全ての子供の才能、能力、性格、興味などをどのように最大限に伸ばすことができるかは教育の難しい挑戦です。フィンランドの学校は、生徒個人の学習支援と生徒の積極性を引き出す指導方法を通して、個性を磨こうとしています。
 第一に、生徒一人一人の学習とよりよい成長のための支援は整備されており、国の指導計画にはそうした支援のガイドラインが含まれています。必要に応じて、特別支援を必要とする生徒、定時制の特別教育を受ける生徒、また外国からの生徒などのためそれぞれの指導計画が立てられます。さらに、学習に困難を感じる場合は、だれでも補習を受けることが出来ます。
 第二に、フィンランドの教育の基本方針は、生徒の積極性に重点をおく学習です。生徒の積極性を引き出すためにただ知識を覚えさせることではなく、小学校の低学年から、学ぶことの意味を理解することとそれを自分で評価すること、またそれに対する自分の意見をも重視されます。
 しかし、自分らしい生き方のために人生の意義も役に立つと思います。フィンランドの教育哲学者のプオリマトカによると、批判的に考えたり、価値があるものに多く接触したり、自己を認識したり、また苦しみをも経験したりした子供は、自分の人生の意義を見つけ、それを自分らしく生かす力を身につけるようになると言っています。
 詩編139の14節にもこうあります。「わたしは恐ろしい力によって驚くべきものに造り上げられている。」人間は全て神様に造られた独創的で素敵なものです。

Paivi Poukka, ポウッカ・パイヴィ スオミ・キリスト教会

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その18

指定障害福祉サービス事業者NPO法人 ふれあいショップ「一粒の麦」 

店長 小泉百合子

 平成4年4月、精神保健社会適応訓練所「ふれあいショップ一粒の麦」は開店しました。名称は聖書のみ言葉に由来しています。
 わたしが精神保健の働きと出会ったのは、家族会が運営する作業所、「あけぼの工房」にボランティアとして参加したのがきっかけでした。今から23年前のことでした。その頃は精神障がい者に対する偏見が強く、社会生活には困難が伴いました。作業所はいつもわたしに、仲間と自由に集える場と働くことのできる場が欲しいと仲間同士言っていました。
 わたしの所属するルーテル教会は、敷地も広く、使っていない保育園の建物があったので、そこを仲間が集える場にしようと教会に申し出ました。教会は快く許してくださいました。このとき、支え、協力してくださったのが、立野牧師、宣教師のべケダム牧師、そして、ルーテル柳井教会の信徒の方々でした。
 一方、柳井保健所は、精神ボランティア講座を開き、「ボランティア四つ葉会」が組織され、「一粒の麦」の働きを支えてくれました。お店では、手作りケーキ、野菜、手作り品などたくさんの品々が並びました。コーヒーや昼食を用意し、仲間と楽しく集うことができ、働く場もできました。
 平成9年10月、地域精神保健福祉対策事業として、「出愛の場」ができて、本格的な憩いの場として、地域の方々も利用できる、喫茶店と食堂もオープンしました。
 平成18年12月、NPO法人の認可を受け、障がい者が社会就労する中で生きがいを見つけ、収入を得る喜びが与えられるようになりました。現在の活動は、本格的なパン、ケーキ作り、出張販売、喫茶、リサイクル、農園、昼食作り等です。利用者16名、従業員10名で、一日てんてこ舞いの忙しさで働いています。
 リサイクルは柳井教会より引き続き、今は「一粒の麦」で行っています。この春、25年間のリサイクル活動に対して、山口県より、リサイクル、省資源・省エネルギー運動推進優良団体として県知事賞をいただきました。
 この20年間の活動を通して、何よりもうれしいことは、利用者がたくさん礼拝に出席してくださることと、「一粒の麦」で一生涯働きたいとの希望をもって従業員が来ていることです。正直で、偽りのない仲間たちは、神様に愛され、多くの恵みをいただいています。
住所 山口県柳井市中央3丁目14-15 
ふれあいショップ 「一粒の麦」

私の本棚から 松本清張著 『砂漠の塩』 新潮社、1982年(発刊は中央公論社、1967年)

 壮大な情死への旅、読後に余韻が残る小説です。多くを語らずとも、人の表情や感情が読み取れる、これぞ松本清張といった文体です。

 野木泰子は夫を日本に残して参加した欧州観光旅行中のパリで、「ドイツに友だちがいますの」と偽って単身カイロ行きの飛行機に乗る。谷口真吉は出張先の香港から会社へ退職届を送り、待ち合わせ場所であるカイロ空港へと向かう。真吉も既婚である。海外で忽然と消えた二人には日本で別々に捜索願いが出される。
カイロのホテルで知人と遭遇し、バザールを歩いている時に日本人の獣医に声を掛けられ、レストランで大使館職員と鉢合わせするうちに、 二人に足が付く。泰子の夫保雄は妻を追って日本からカイロへ向かう。
 泰子は真吉を愛しながらも、平凡で不満のない保雄を裏切ることが出来ず、死に向かう旅の途中、ホテルで真吉と同室に泊ることを拒み続ける。途中、ベイルートでは、イスラム教の婚姻の教えに反した若い男女が肉親に銃撃され死亡する事件を目の当たりにする。泰子の心は真吉と保雄の間で揺れ続け、”私の内に在る神”がこうさせるのだと自己に言い聞かせる。でありながら、泰子は死後に発見されない場所で真吉と一緒に死ぬことだけを求めて、砂漠を目指す。
 途中、真吉が病気になるが、”一緒に死ぬために”泰子は真吉の快癒を願い、看病をし、治る医療を求めて、旅程を留める。そんな間に、保雄は二人に追いつかんとしている。ダマスカスの日本大使館も二人を捜索している。
 真吉の病気のために何日もホテルに留まったのちに、二人は最期の旅に出る。砂漠の真ん中で「ホテルに忘れ物をした」と言って路面バスを降り、道を外れ、砂漠へと踏み込む。そして、深い窪地に到り、坐し、薬を飲む。しかし、日本からの地質調査隊に発見される。この時、真吉は死んでいたが、泰子には息があり、生へと引き戻される。保雄はすぐ近くまで来ていたが、交通事故に遭い、入院していた。このことが泰子に知らされる。泰子が保雄の元に行こうとした時に保雄は縊死していた。一人になった泰子の行方がわからなくなったところで小説は終わっている。
熊本教会員、九州ルーテル学院大学図書館司書       水谷江美子

東地域教師会退修会報告

 東地域教師会退修会は、9月26日から27日にかけて栃木県那須の研修施設「ラフォーレ那須」にて行われました。30名の牧師たちが出席できました。
 今回の退修会を企画する際、ぜひとも反映させたい担当役員たちの思いがふたつありました。ひとつは東日本大震災、もうひとつはJELCの宣教、このふたつをプログラムに組み込むことです。これらを兼ね備えたテーマと内容、そして開催地を選定した結果、場所は那須、講師は石田 学氏にお願いしました。
 石田先生はナザレン教団に所属する歴史神学者。そういった視点から近年、「日本における宣教的共同体の形成」を執筆、使徒信条を現代日本の脈絡で宣教的に再解釈するというユニークな論点をお持ちだったので、岐路にある日本福音ルーテル教会のこれからの宣教を考えるのに適任者でした。先生のご講演を敢えて一言に集約するなら、困難な局面に直面する教会ではあるが、そういった中、教会が宣教するとは、「教会が教会としてあり続けることだ」という指摘は、注目に値します。出席者側からは、「JELCの宣教論」を青田師、「わたしの宣教論」を太田師、内藤師が語り、その後活発な議論が行われました。
 那須を開催地として選んだのは、今回の福島原発事故で大きな被害を被ったアジア学院というキリスト教施設が近くにあったからです(JLERから二千万円の支援が送られました)。石田先生の講演とディスカッションを終えたあと、最終日の午後、オプションとして同学院を訪問、十数名が参加しました。わたしたちは半壊した建物や放射線被曝の状況と懸命な復旧対策を視察、そしてアジア・アフリカ諸国から農業技術指導者育成のために留学生を受け入れている学院の働きを教わり、さらにはミャンマーとインドネシア留学生との懇談のひとときをもつことができました。

宗教改革五〇〇周年記念ヴァティカン/LWF国際対話委員会 開催

ルター研究所 所長 鈴木 浩

 七月八日から一五日まで、フィンランドのヘルシンキでルーテル世界連盟(LWF)とヴァティカンの間で、「一致に関するルーテル・カトリック国際対話委員会」が開かれた。ヴァティカンから十名、LWFから十名の委員が出て、ドイツのレーゲンスブルクの司教(ミュラー司教)とヘルシンキの監督(フオヴィネン監督)が共同委員長を務める委員会である。アジア地区を代表してルーテル学院大学の徳善名誉教授が長い間、委員を務められた重要な神学対話の場である。二〇〇九年からわたしが徳善先生の後任となった。
 二〇〇九年から取り組み始めた新しい課題の一つが、二〇一七年の「宗教改革五百周年を両教会でどのように記念するのか」というテーマである。史上初めてのことだが、二〇一七年の一〇月三一日に、ルターが『九五箇条の提題』を貼り出し、宗教改革の発端となったヴィッテンベルクの「城教会」で両教会による合同礼拝が行われることは決まっている。委員会で取り組んできたのは、それに先だって発表されることになっている共同声明の文案作りである。昨年のレーゲンスブルクでの委員会では合意に至らず、今回のヘルシンキでの委員会で最終合意に至った。司会をしたフオヴィネン監督の巧みな舵取りが奏効した、という印象であった。
 それほど大きな文書ではないのだが、共同声明は一九九九年の『義認の教理に関する共同宣言』以来の画期的な文書となるのは間違いない。この共同声明は、ヴァティカンとLWFの上部機関の承認を経て近い将来公式に発表されるはずである。表題は、『対立から交わりへ』(From Conflict to Communion)となるだろう。
 日本でもカトリック教会とルーテル教会だけでなく、他のプロテスタント教会の協賛を得て、一緒に「宗教改革五〇〇周年」を記念することができればと願っている。

第13回 ルーテルこどもキャンプ報告

「教育こそ次世代への贈り物です。宝です!」
後藤文雄司祭(カトリック吉祥寺教会)は、夕べの講演で何度もこう力説れました。

 「カンボジアからソックサバーイ!(お元気ですか)~あなたの夢は!?~」をテーマに、おとなもこどもも50人以上の仲間たちが共に過ごしたこのキャンプ。会場である挙母教会の全面的なサポートを得て 、 恵みのうちに8月9日からの3日間を過ごすことが出来ました。準備されたプログラムはどれも素晴らしいものでしたが、メインの一つである後藤司祭のお話は、とりわけ心に語りかけるものでした。
 カンボジアでは、教育を望んでもそれが可能なのはごく一部のこどものみで、多くは家庭を支えるために働かなければなりません。人々の心に今なお深く残る内戦の爪痕。除去完了まであと100年はかかるという地雷問題。想像を絶する貧富の格差があるゆえに望まずして起こされるストリートチルドレン、 児童虐待の問題…。年に二回はカンボジアへ赴き 、里親になって現地のこどもたちと共に生きてきた後藤司祭だからこそ出来る、スライドを交えながらの熱っぽい語りかけは、聞く者の胸を打ち、”生きる”ことの深さを改めて考えさせられるものでした。
 わたしたちは問いかけられました。なぜ学ぶのかを。物質的に不自由してはいない自分たちだろうけれど、カンボジアのこどもたちのように心から笑顔でいるだろうかと。簡単に答えは出ません。しかし、わたしたちは気づかされたのです。学ぶことは生きることであり、 生きることは学ぶことなのだ、と。
 カンボジアの歌をみんなで覚え、輪になって歌ったこと、薪拾いや物売りなどの日常を追体験したこと、即席の担架で病人役の仲間を一生懸命運んだこと、カンボジア料理に舌鼓を打ったこと、夜は寝る間も惜しんで語り合ったこと…。これらすべては、一人ひとりの心に、忘れ得ぬ宝として刻まれました。
 わたしたちを愛し、ゆるし、今日も生かし給う神に感謝致します。
キャンプ長 神﨑 伸

ルーテル連帯献金のお願い

  日本福音ルーテル教会は2011年度の「連帯献金」の特別指定献金を以下のように決め、各教会へご協力をお願いしています。クリスマス献金等を通して、各個教会のご協力とご支援をよろしくお願います。LWF(ルーテル世界連盟)等の、教会の国際機関を通じて送金される私たちの献金が、世界において支援を必要としている多くの人々の支援と救援活動として用いられていくことを心より祈ります。

 日本福音ルーテル教会         宣教室

■指定献金[ブラジル伝道]■
 サンパウロにある日系人教会(サンパウロ教会、南米教会)での宣教に、宣教師として派遣されている徳弘浩隆牧師夫妻(任期2009年4月~2016年3月)の人件費と伝道諸経費を補うために、400万円の募金目標を掲げています。ブラジル伝道の継続的支援とそのための献金をお願いします。

■特定献金[メコン流域支援]■
 日本福音ルーテル教会は「メコンミッション活動」として、メコン川流域の人々のための宣教・教育・奉仕事業を香港、シンガポールのルーテル教会と共同で展開しています。今年度は、カンボジアのコンポン・チュナン地区の子どもたちへの食糧(百名、週5日分食事提供)、医療と教育(二千名)の支
援活動のために献金をお願いします。

■指定献金[喜望の家]■
 釜ヶ崎「ディアコニアセンター喜望の家」の活動支援。アルコール依存を抱えた方々の支援・相談、アルコールを飲まない生活を支えるための「自立生活支援プログラム」の提供、病院訪問などの奉仕活動への支援です。

■無指定献金■
[世界宣教のために]
 飢餓や内戦による難民状態にある人々や、突然の自然災害を被り、緊急の支援を必要としている人々の救援活動へ速やかに対応するために「無指定献金」を設けています。無指定献金の配分・送金先は本教会常議員会に委ねられています。

■特別救援募金■
「東日本大震災」
 3月11日に発生した日本で観測史上最大 とも言われる、東日本大震災の支援活動のために、日本福音ルーテル教会は他の三つのルーテル教会と共に救援対策本部を設置し、支援活動を継続的に展開するために全国の教会・施設に緊急支援募金をお願いしています。

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