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るうてる2022年

るうてる2022年12月号

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「神の業に招かれる」

日本福音ルーテル帯広教会 牧師 岡田薫

「天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、
神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。
不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」

(ルカによる福音書1章35~37節)

 信仰という恵みを与えられていると自覚している私は、日々神への愛と信頼をもって誠実に生き生きと過ごしたいと願いつつも実は全くそうではないと思い知らされることが多々あります。ときには「私には荷が重すぎます」と職務を投げ出して逃げ出したくなることもあれば、疑いや迷いをぬぐい切れず、ふて寝して、翌日には奇跡が起きていることを願っても、相変わらず厳しい現実を前に深いため息から一日を始めることもあります。もしかしたら、この文章を読んでくださっているあなたも、思いがけないトラブル、痛ましい現実、信じたくないような悪意、自分の力ではどうにもならない状況を前にして立ちすくんだという経験をお持ちかもしれませんね。
 マリアが聞いた「おめでとう。」の言葉も途方もなく重たいことばであったと思います。にもかかわらず、彼女は自分の身に起きたことを引き受け、人生を神の働きに委ねていくようになりました。そこには「主があなたと共におられる。」(ルカ1・28)という約束や「あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。」(ルカ1・36)という御言葉の力があったと思います。神の業に巻き込まれたのが自分だけではないという情報は、マリアにとって心の内をわかちあう他者がいるという安堵となったに違いありません。そして、エリサベトを訪ねてしばらく共に過ごした時間は彼女たちにとって豊かなものであったでしょう。
 世界的なパンデミックが私たちの日常を激変させ、気候変動による大規模な災害が各地で起こり、軍事暴力がはびこる中、福音を語る、福音を生きるということの難しさをひしひしと感じています。そのような中で、一つの祈り会に招かれました。きっかけは「親しい友人やその家族のために祈って欲しい」という個人的な呼びかけ。それまで、ミャンマーという国についての知識も関心もほぼ皆無でしたが、2021年2月1日の軍事クーデータ以降、毎週金曜日にオンラインで行われている祈り会に参加するようになって、かの国で起きている暴力が私たちの生活と地続きであることを知らされました。
 祈り会から生まれたアトゥトゥミャンマー(ミャンマーと共に)支援という小さな支援団体では、ミャンマー本国の支援と共に日本で生活されているミャンマーにルーツを持つ方々とも連帯しています。奉仕や運営に携わっている仲間たちに感謝しながら、祈り会でわかちあわれるそれぞれの思いに自分の思いを重ねます。リアルタイムでわかちあわれる情報の中には目を背けたくなるものも少なくありません。それでも嘆きや悲しみを持ち寄り、呻きと沈黙に押しつぶされそうになっても、神は、どのようなときにも人の呻きや、呟きに耳を傾け、心を向けてくださっていると信じて祈り続けることで、今日を生き抜く力を得るような思いでいます。
 神の御子は、弱く、もろく、不安定な存在として、この世界にお生まれになりました。マリアも、嬰児として生まれ、その身を人の手に委ねられた幼子の重み、ぬくもりを通して、神の業の担い手として招かれたことを感じたことでしょう。現代は、当時とはまた違った苦しみと悩みが世界を覆っています。そのような中にあって、私たちはクリスマスをどのように待ち望んでいるのでしょうか。キリストの誕生は、私たちに神の約束が必ず成就するということを教えてくれる出来事です。そして、神が御心を顕されるときに、私たちを求め、働きの中に招いてくださっているということも教えてくれています。だからこそ、自信がなくとも、しんどくても、辛くても、福音を語る、福音に生かされる幸いを伝える務めに踏みとどまりたいのです。《神にできないことは何一つない。》という御言葉に立ち、すべてをご存知の方が、命と希望へと私たちを押し出てくださることを信じて。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉝「聴く」

「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。/悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。/柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。/義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。/憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。/心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。/平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。/義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。」(マタイ 5・3〜10)

 「あなたの聖書朗読からあなたの信仰が聴こえるわ」と今回あげた聖句をお読みした時言われました。丁度言葉のスピードが遅くなり、また病気が進行したのかと心配していた時でした。また故人の好きだった聖句としても上に書いた聖句を葬儀の時読みました。
 私は神学生の時に聖書朗読の指導を受けました。その時に「礼拝で聖書が読めることは幸せよ。その時その時に与えられた神様からのみ言をあなたを通して会衆が聴くのですから。」その言葉を聞いて神学生の奉仕だからうまくすべきと思いガチガチだった私の思いは変えられ、与えられている奉仕として用いられていることを知り、神様がいつも一緒にみ言を運んで下さることに気づくことができました。一人ではありません。いつも神様が一緒です。ただ一緒なのではなくあなたをお用い下さいます。聖書朗読の時だけではなくいつも神様は一緒です。

議長室から 大柴譲治

「天使の取り分  Angels’ Share」

「すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。/『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ』」(ルカ2・13〜14)。

 クリスマスが近づくと天使に思いを馳せることが多くなります。ある方が教えてくださったユッタ・バウアーの『いつも だれかが…』という素敵な絵本があります(上田真而子訳、徳間書店2002)。その扉の裏にはこうありました。「うれしいときもかなしいときもいつもだれかがそばにいた。あぶないときにはたすけてくれた…。幸運だった一生をふりかえる祖父と、その話に耳をかたむける孫と、ふたりを『見守る存在』とを描いて、ヨーロッパを感動の渦にまきこんだ話題の絵本」。見えない天使が私たちを守ってくれているのです。
 ボンヘッファーの『善き力にわれかこまれ』という賛美歌もやはり天使の守りを歌ったものと聞きました(『讃美歌21』469番)。「善き力にわれかこまれ、守りなぐさめられて、世の悩み共にわかち、新しい日を望もう。/輝かせよ、主のともし火、われらの闇の中に。望みを主の手にゆだね、来たるべき朝を待とう。/善き力に守られつつ、来たるべき時を待とう。夜も朝もいつも神はわれらと共にいます。」(1・4・5節)「善き力」とは天使を意味しています。
 クリスマスは万物を一新させる神の再創造の出来事の始まりでもありました。そこに点された光は今も、この世の闇の中に輝き続けています。どのような深い闇も、悲しみも絶望も、神によって与えられたイエス・キリストという希望の光を消すことはできません。もしも主の御降誕がなかったとしたらあの幾多ものすばらしいクリスマスキャロルは誕生しなかったでしょうし、私たちが天使の歌声に耳を澄ませることもなかったはずです。そう思うと御子の降誕にますます感謝したくなります。キャロルにより私たちに不思議な力と慰めが与えられるからです。賛美を通して私たちもまた、天使たちの大きな喜びに参与することがきているからだと思っています。
 以前サントリー白州蒸留所を訪ねた時のこと。樽の中で熟成されるウィスキーは毎年数%ずつ減ってゆくそうです。職人さんたちはそれを「天使の取り分Angels’ Share」と呼ぶそうです。粋ですね。そのような長いプロセスを経てやがて琥珀色の液体が生まれてゆきます。私は思います。私たち人間も成熟の課程においてAngels’ Shareの喜びに与っているように思えるのです。福音の告知は無数の天使たちの喜びに裏打ちされています。お一人おひとりの上に祝福をお祈りいたします。メリークリスマス!

「教会讃美歌 増補」 解説

㉚創作賛美歌解説10
増補54番
「光ふる海原」

歌詞解説 木村満津子
(湯河原教会)

 幼心がつき始めた頃からでしょうか。青空を見上げるのが好きだったように思う。「ウミニオフネヲウカバセテイッテミタイナヨソノクニ」好きな歌を歌いながら、そのよその国へ行ってみたいと水平線をながめていた。まだ水平線との言葉を知らない頃の夏の日々。思い返すと、よその国で生を受け、大海原を行き来していた私でしたでしょうに、夏の日々に憧れていたよその国はそこには見えなかった。静岡県沼津市の千本浜の思い出です。
 大平原は、薄くれないの桜草と青空をつなげた。それが地平線だった。終戦日から約1年、中国東北地方のチチハルの郊外での思い出です。
 私の中にある水平線と地平線の2線には、今、美しく静かな旋律が流れています。

曲解説 梅津美子
(日本同盟教団中野教会)

 「光ふる海原」は、2011年6月19日に東京カテドラル関口教会マリア大聖堂で行われた第30回教会音楽祭の公募曲で、当日歌っていただいた曲です。
 この詩を手にした時、幼い頃、湘南の海で見た光景を思い浮かべました。眩いばかりに光り輝く空、見渡す限りの海原、波は光を浴びて白く輝き、海は深い色に沈む。光は何処から来て何処へ行くのだろう。光は何を照らしているのだろう。雄大な景色は言葉にならず、崇高さを覚えました。
 神は言われた。「光あれ」。こうして光があった(創世記1章3節)。長じて私の心は主に向かい、主を信頼する今、主の光あふれる慈愛のもとで歩めることに感謝し、これからも希望の朝を迎えられることを祈りつつ、音に託しました。
 曲はドリア旋法で書き、旋律線は波をイメージした上行ラインを大小組み合わせ、頂点「光よ」に繋ぎました。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ルター派とペンテコステ派の対話

 ルーテル世界連盟(LWF)とペンテコステ派の世界組織PWF(Pentecostal World Fellowship)は、2016年にフィリピンで開始した対話をそれ以後毎年続けています(2017年はドイツのヴィッテンベルクで、2018年はチリのサンティアゴで、2019年はマダガスカルのアンタナナリボで開催)。その後新型コロナウイルス感染症のパンデミックの影響で対話はオンラインとなりましたが、今年9月末にカリフォルニアのフラー神学校で対面による協議が行われ、10名の出席者たちは再開できた喜びを噛みしめました。期間中、一日の始めと終わりの祈りディボーションは、ルター派とペンテコステ派双方が担当しました。
 今回のカリフォルニア州パサデナでの対話では、ここまで積み重ねてきた協議の総括をして第1期の会合を締めくくりました。テーマはキリスト者のアイデンティティ、福音の告知、貧困層と疎外された人々への関心、癒しと解放への取り組みについてでした。第1期開催に先だって2004年から2010年まで、ストラスブールにあるLWFエキュメニカル研究所がここに向け準備してきました。LWFエキュメニカル部門と対話委員会の責任を担うランゲ教授も今回の対話に参加し、以下のようにコメントしています。「双方の代表者たちは互いに祈りあい、そしてまたお互いのためにも祈りました。礼拝と対話そして共に歩み分かち合うことで、神の御心に沿った一致への道筋を見いだそうとしています。」会期中の日曜礼拝は、黒人が中心のチャーチオブゴッドの大きなペンテコステ教会に参加しました。「ルター派とペンテコステ派の礼拝スタイルは異なるけれど、復活のキリストとキリストによる救いの御業に焦点を当てている点は同じです。」(ランゲ教授)
 第1会期を終えた出席者たちは共同作業で結果をまとめLWFとPWFそれぞれに報告、来年には出版する運びとなっています。ペンテコステ派代表のプルス氏は、今回の協議の成功を振り返りながら、報告書はこれまでに議論をしてきたテーマをある程度詳細に取り上げ、共通する関心事や証しの可能性が両教会にはあることが示されるだろうと述べています。「ぜひとも第2期の対話を手がけていきたいと考えており、次回のテーマを礼拝及びその実践、そして両教会間でのキリスト者の集まりについて焦点を当てたいと思っています。」(ランゲ教授)
 この協議会には東京教会の英語礼拝と牧会を担うサラ・ウィルソン牧師が委員として出席しています。

 

 ※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから

⑨NCC在日外国人の人権委員会
李明生(田園調布教会牧師)

 

 戦後1948年に発足した日本キリスト教協議会(NCC)の歩みは、国内外のキリスト教会のネットワークを通して対話と和解を進め、祈りを共にして連帯の実現を目指すものでした。特に在日大韓基督教会の委員たちと活動を共にする中で在日外国人の差別の実態に気付かされ、この問題に取り組むため1967年に「少数民族問題研究委員会」が発足します。しかしその後、その名称は日本の侵略・植民地化・強制連行の歴史を覆い隠してしまうような名称であることに気付き、1972年に現在の名称となりました。
 委員会発足当時は、在日韓国・朝鮮人の人権獲得、就職差別への闘いや民族教育の保証を求める活動が中心的課題でした。1980年代には外国人登録法(外登法)が定める指紋押捺への拒否運動が日本各地で起こり、当委員会も参加協力する形で1987年に各教派・団体や各地の地方組織からなる「外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会」(外キ協)が結成されます。その後外キ協は、時代の変化と共に在日外国人の構成が大きく変化したことを踏まえ、全ての人の命と尊厳が等しく守られる社会の実現を呼びかける「外国人住民基本法案」を1999年に提案、2011年に名称を「外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会」(略称はそのまま「外キ協」)とし、多文化共生社会の実現を目指して活動しています。
 残念ながら日本社会では2009年頃から「ヘイトスピーチ」そして「ヘイトクライム」が繰り返されるようになりました。こうした中、2015年に世界教会協議会(WCC)をはじめ国内外の諸教会によるエキュメニカルな協力によって第3回「マイノリティ問題と宣教」国際会議が東京で開催され、その成果として、マイノリティの差別の問題をキリスト教会の宣教課題として取り組む「マイノリティ宣教センター(CMIM)」が2017年に発足しました。
 NCC在日外国人の人権委員会は現在、外キ協、マイノリティ宣教センターと一体となって活動を行っています。2021年からは、現在の入管および在日外国人行政の問題やその背景にある歴史的問題についての連続講座などの集会を、オンラインでも実施しています。ご関心のある方はお気軽にご参加下さい。

社会委員会リレーコラム「本・出会い・教会」⑥

秋山仁(ディアコニアセンター喜望の家・豊中教会牧師)

 

 未だ日本社会に見られる外国人差別。それも国が定めた制度や公的機関において、しかも常態化しているという現実があります。
 2021年3月6日、1人のスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさんが、33歳の若さで、収監中の名古屋出入国在留管理局(名古屋入管)で亡くなりました。この事件は、遺族がスリランカから来日し、真相究明を求めたこともあって、連日報道がなされ、読者の皆さんの記憶にも新しいことと思います。
 なぜ、日本の文化に興味を持ち、日本でこどもたちに英語を教えたいという希望をもって来日した女性が、「非正規滞在者」として名古屋入管に収容されたのか。なぜ、収容中に、衰弱して、医療措置も受けられず亡くならなければならなかったのか。なぜ、真相究明を願う遺族に全ての情報が開示されないのか。
 本書の著者の一人安田菜津紀さんは、事件の経緯と背景を詳らかにしながら、こうした疑問の核心に迫っていきます。そして、そこから見えてくるのは、日本という国の戦前から変わらず続いている「出入国管理」体制全体の問題であり、その人種差別的な体質です。
 本書を読み進めていくとき、私の中に湧き上がってきたのは憤りであり、また大きな疑問でした。「どうしてこんな酷いことが、法治国家であるはずの日本で許されているのか。外国人に対してこんな扱いをしている国が、外国人の労働力をあてにするのは正しいことか。」
 日本にはすでに280万人もの外国にルーツを持つ人々が暮らしており、大勢の外国人によって、繊維産業などの中小企業や農・漁業といった根幹の産業が支えられています。今や、彼らなしには、日本の産業は立ち行かない状況になっています。にもかかわらず、日本社会は彼らに対し、まったく優しくはないのです。
 本書では、このウィシュマさんの事件の他にも、様々な現場での取材をもとに、日本政府による外国人政策の問題点が赤裸々に語られています。
 来日した外国人技能実習生の労働現場での処遇と実態。さらには、ここ十数年執拗に繰り返されるヘイトスピーチ(社会的なマイノリティに向けた差別や侮辱、排除の言葉)と排外主義の動き。その根底にある、戦前・戦中の日本「帝国」による植民地支配や侵略の事実を否認する歴史修正主義。差別を助長するメディアの問題。
 本書が指摘し、批判する日本の外国人政策の問題点を、もう一人の著者、安田浩一さんは、こう記しています。「『人権』という視点はない。まったくない。そして―いまも、ない」と。
 私たちは、すでに「共生社会」、「多文化社会」の時代に生きています。「人権」の視点から、差別的な外国人政策を終わらせ、人種や民族の壁を越えて、互いに助け合い、共に生きてゆける社会の創出を目指さなくてはならないと、本書を読んで改めて強く思わされました。

静岡市清水区台風15号災害報告

秋久潤(小鹿・清水・沼津教会牧師/東海教区台風15号災害現地部長)

  

 2022年9月24日(土)頃に静岡県を通過した台風15号により水害が生じました。本記事(2022年10月25日執筆)は、静岡市清水区の情報に偏っています。申し訳ありませんが、他の地域の被災情報は本記事に含んでおりません。
 本水害の特徴は、被災地がまばらで「チームで特定の地域に支援に出かける」のが難しいことです。お金を出せば支援物資が買えたため、ルーテル教会として支援の呼びかけはせず、東海教区災害予備費から物資購入費を出して頂きました。私は9月26日(月)から清水区の教会員を訪問し水を配りました。その後、市のボランティアに参加しています。
 被害が大きい地域では、当日深夜2〜3時頃に浸水し、高さ120㎝(胸の高さ)まで浸水しました。家財や自動車を廃棄したご家庭も多いです。次のお話が印象的でした。「最近は、町中の至る所が舗装されている。そのため、氾濫した水が土に吸われず、舗装していない我が家に集中的に流れ込んだ」。また、蛇口から飲用水が出るまでに3〜4週間かかり、暑い中で配給(公園や学校)に並ぶ必要がありました。配給に1時間以上並んでも、水が無くなり無駄足になることもあったそうです。足腰に不安のある方は、配給や買い物で困難を覚えました。そのため、風呂や洗濯、トイレ、土砂清掃が十分にできない苦しみがありました。10月25日(火)時点でも、床下の泥を除去できないお宅があり(ボランティア不足や、保険・補償の審査が遅れ片付けに着手できない等)、カビやにおい、虫に困っておられます。また、様々なご事情で「困っている」と声を上げられず(声を上げる発想をお持ちにならず)、自宅内で困ったまま何日も孤立して過ごしている方もおられます。
 ボランティアについては、フェイスブックの「静岡市災害ボランティアセンター」のアカウントで近況が写真付きで報告されています(ボランティア募集は、10月25日時点では静岡県在住者のみ)。

平和構築のための日韓青年フォーラム参加報告

 

 2020年7月、日本と韓国のエキュメニカルなキリスト教関係者ならびに市民団体の協力によって「日韓和解と平和プラットフォーム」が立ち上げられました。この「日韓和解と平和プラットフォーム」の企画による「平和構築のための日韓青年フォーラム」(8月22〜26日、韓国坡州とソウルにて)に、日本福音ルーテル教会から4名の青年が参加しました。以下、参加者による報告です。

⻆本洵(神水教会)

 今回の研修は、日韓の青年約20名ずつが招かれ、大日本帝国時代の植民地支配や、日本軍「慰安婦」についての資料館や博物館を訪ね、歴史の学びと平和交流を目的として開催された研修会でした。日本において、戦後70年経った今でも謝罪や賠償を求める韓国に対して「もうその手の訴えは十分でしょ」という風潮がありますし、私自身もそうでした。しかし、現地の資料館や博物館を赴くと、自分の無知を恥じることになりました。今回の研修の後、多くの日本側の参加者が「もっと歴史の勉強をしなきゃ」「もっと韓国語を勉強しなきゃ」と言っていました。私もその一人です。帰国後、自宅の本棚に数冊の歴史書や単語帳が並んだことは言うまでもありません。
 しかし、こと「平和」についていうなら、平和を実現するためには、歴史の知識も、言語能力も必要ないと思うのです。もちろん、これらのアビリティはあるに越したことはないでしょう。それでも一つ言えることは、平和とは、どこかの能力に優れた人たちによって成し遂げられることではないということです。例え豊富な知識や言語がなくても、相手の立場でものを考えて、間違った時には謝って、そして何より、積極的な愛をもって関係していく中に、必ず平和は実現すると信じたいのです。国家間の戦争を止める意味での「平和」を実現することは無理に等しい私達ですが、イエスのように、弱い姿であったとしても、隣人に仕えて祈る中に、必ず平和は起こると考えます。とは言っても、これを行動に移すのが難しい、というより無理なのが人間です。だからこそ、祈っていきたいと思います。同時に、神と隣人に仕えていくことができない罪人である私のために十字架にかかったイエスを思い、そして赦されていることを思い起こしたいと思うのです。キリストの平和が私達の心に宿り、私も、平和を実現するものとして変えられて、用いられたいと願います。

高濱遼太(健軍教会)

 日韓青年フォーラム参加の報告にあたりまず初めに私達の渡韓をご支援いただいた方、私達の学びが良いものとなるよう祈ってくださった方々に感謝を申し上げます。お陰様で何事にも代え難い貴重な体験をすることができました。本当にありがとうございました。今回参加しました日韓青年フォーラムの報告、感想は他の参加者からもそれぞれ素晴らしいものを書かれていますから今回私はフォーラムの後、韓国で新型コロナウイルスに感染した時のことについて書かせていただければと思います。先ほど述べた通り私はプログラム最終日の前日コロナに感染し韓国で7日間の隔離期間を過ごすこととなりました。その時私はお金もなく宿泊先もない、おまけに私は韓国語も英語もほとんどわからないという状況で頭の中は不安と孤独感でいっぱいでした。しかしそのような状況を経験したからこそ私には困難の中にある私を励まし助けてくれる仲間や、支え、祈ってくださる多くの人が与えられていたことに気づかされました。それは私にとって今回のフォーラムで経験したことと同じくらい大切な気づきだと感じました。そしてこの経験こそ今回のフォーラムのテーマであった「平和」そのものではないかと思いました。時間も空間も超えて相手を思い祈ることこそ私達が実現すべき平和なのではないかと思います。最後に、この度はご支援いただきありがとうございました。主の平和が皆様と共にあるように。

本間いぶ紀(甘木教会)

 今回のフォーラムでは、日韓両国から集まった青年がお互いのバックグランドや価値観を尊重しつつ、日韓の歴史認識の現状や、私達青年ができること、そしてこれからお互いがどう連帯していくかについて話し合うことができました。わたしは大学で国際関係学を専攻しており、戦争と平和について、安全保障について、また近代以降の日韓の歴史について学んでいるので、机の上での学びを実際に目で見て感じたい、という目的もありました。
 プログラムでは北朝鮮との軍事境界線や民間人統制線を訪れたり、日本軍「慰安婦」問題の解決を求める水曜デモに参加したりと、韓国を取り巻く歴史的・軍事的な国際関係を見ることができました。
 今回のフォーラムはグループごとに行動することが多く、わたしは拙い韓国語でグループの皆さんとお話しすることができ、言語という壁がありつつも、その壁を乗り越えようとする姿勢がとても美しいと感じました。「宣言文」作成のための意見交換の場では日本や韓国各地から青年が集まって一つの宣言文を作るための話し合いをしたのですが、このこと自体にとても意義があると感じました。私達は国の違いだけでなく、文化や宗教、そして各々違うバックグランドを持っています。そんな「異なる」ものを持つ私達がお互いを認め合い、意見を交わし、尊重し、「同じ」一つの宣言文を作成することができました。これは心を一つにして、連帯していくことの表れであり、そしてこれこそが日韓和解と平和そのものだと、振り返って思いました。
 大学で私が学んだ歴史は、多角的な歴史の中のある一側面ですが、青年の話し合いの場というのは、この一側面を繋ぎ合わせるということだと思います。自分には見えなかった観点を他の誰かから与えられ、共有する、このことを今回のフォーラムだけで終わらせずに続けていきたいです。

柳下李裕理(札幌教会)

 今回のフォーラムは、私のパーソナリティ認識に大きな影響を与えてくれました。このプログラムでは日本と韓国の双方から参加者を募っていました。私が日本福音ルーテル教会を通して参加したきっかけは、私の父親が在日韓国人3世だからです。父親は「外国人の住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会(外キ協)」での活動も行なっています。しかし自分は「日本人と韓国人の間に生まれた子ども」というアイデンティティに関していまひとつ実感や使命感を持てずにいました。しかし今回のプログラムに参加する中で、日本が朝鮮半島に行ってきた暴力の歴史を改めて知ることができました。私は日本の統治時代の朝鮮圧政の歴史を多少は知っていたつもりでしたが、現地の資料館を見る中で自分の知識の浅さに恥ずかしさを覚えました。「戦争と女性の人権博物館」にて日本軍慰安婦のハルモニ(おばあさん)たちの証言を学び、「植民地歴史博物館」で日本軍が朝鮮半島で行った圧政や差別の歴史について知りました。そして改めて歴史における日本の加害者性を学ぶにつれ、日本人がその歴史を認識していないことを感じました。そして私自身が「韓日のルーツを持つ人間」として、少しでも架け橋になるような努力をするべきなのではないかという自覚を持つことができました。プログラムの中で一番印象に残っているのはDMZ(非武装地帯)の見学です。自然の草木に覆われて非常に閑静な区域の地面に200年かかっても除去しきれない地雷が埋まっているという事実に驚くとともに、朝鮮半島の南北分断の歴史には日本の政治的・軍事的責任もあるのだと改めて思いました。次回は日本で開催される予定です。ホスト側として、より有意義な内容にできればと思います。

春の全国ティーンズキャンプ開催

  

 〈テーマ〉「reunion(再会)」

〈日時〉2023年3月28日(火)~30日(木)

〈会場〉千葉市少年自然の家(千葉県長生郡長柄町針ヶ谷字中野1591−40)

〈参加費〉1万5千円(同一家庭から複数参加の場合は1名につき1万4千円)

〈参加対象〉2001年4月2日生まれ~2011年4月1日生まれまでの人
※対面開催を見送った過去3年間の卒業生も準参加者として参加出来ます。

※その他詳細は後日ご案内いたします。

〈併せて春の全国ティーンキャンプスタッフ募集〉
▼募集人数 若干名
▼募集資格
 2001年4月1日以前生まれの方
 2023年3月27日(月)から行われる前日準備から参加できること。
▼スタッフ応募締切
 2022年12月末日
▼応募先
 s-morita@jelc.or.jp(森田哲史牧師)

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