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るうてる2022年

るうてる2022年05月号

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 「開かれた理性」

日本福音ルーテルなごや希望教会 牧師 末竹十大

「そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて」
ルカによる福音書24章45節

 ご復活後の主イエスは、弟子たちの「心の目」を開いたと記されています。「彼らの心の目」という言葉の原文は「彼らのヌース(理性)」です。わたしたち日本人に分かり易いように「心の目」と訳されています。このヌースという言葉はパウロ書簡にも出て来ます。コリントの信徒への手紙一2章16節の「『だれが主の思いを知り、主を教えるというのか。』しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています。」という箇所で、「思い」と訳されている言葉は「ヌース」です。ヌース(理性)は「心の目」と訳されたり、「思い」と訳されたりしているのです。

 

第一コリント2章でパウロが語っているのは、神の事柄を理解するのは「霊の人」であるということです。最後には、「わたしたちはキリストのヌースを持っています」と語られています。「抱いています」と訳されていますが、「持っています」が原文です。「霊の人」とは「キリストのヌースを持っている」人だとパウロは語っているのです。

 

このパウロの言葉から考えてみれば、ルカによる福音書24章45節で言われている開かれた理性(ヌース)とは「キリストのヌース」ではないかと思えてきます。その理性(ヌース)が閉じられたままでは、神の事柄を理解することができないということです。そのために、イエスは弟子たちのヌースを開いたのです。そして、宣教へと派遣しました。

 

わたしたち現代に生きるキリスト者は、復活のキリストに出会っているのかと思う人もいるでしょう。復活のキリストを見たという人をうらやましいと思う人もいるかもしれません。自分の目で、見ていないならば、わたしは、本当は復活に与っていないのではないかと思う人もいるでしょう。見たなら、宣教できるのにとも思うでしょう。しかし、そうではないのです。復活のキリストに出会った弟子たちは、パウロが言うように神の事柄を理解するようにされたのです。それが聖書を理解するための理性が開かれることだったとルカは伝えています。また、エマオ途上で2人の弟子たちに対して、キリストご自身が聖書を理解するようにと解き明かされた出来事も、ルカは伝えています。そうであれば、聖書に記されているキリストの出来事、十字架と復活の出来事を理解する人は、理性を開かれた人であり、復活に与っている人だということになります。それが、復活のキリストに出会った人たちに起こった神の出来事だったのです。

 

パウロはキリスト者を迫害していましたが、ダマスコへ向かう途上で復活のキリストが現れてくださったことによって、それまで否定していたキリストの十字架と復活を宣教する者に変えられました。彼は自らの罪を取り除いてくださった救い主としてキリストを宣べ伝えることになったのです。パウロがそのように変えられたのは、キリストによって聖書を理解するための理性を開かれたからでしょう。そのとき、パウロは復活に与ったのです。同じように、現代に生きるわたしたちキリスト者もまた、十字架と復活を神の事柄として理解するとき、復活に与っているのです。復活のキリストに出会っているのです。復活のキリストのヌースが、わたしたちのうちで働いているのです。

 

神の事柄は、人間的な理解を越えています。人間的な理性では受け入れることができない事柄です。それにも関わらず神の事柄を理解するわたしがいるということは、わたしのうちにキリストのヌース、神の霊が働いているからです。キリストの十字架と復活が、このわたしのために起こった神の出来事だと理解するのは、キリストの理性である神の霊を与えられて理解することなのです。

 

主のご復活を祝っているわたしたちは、聖書を理解する者としての理性を開かれています。ご復活したキリストのヌースはわたしのうちに働いておられる。キリストがわたしのうちに生きておられる。開かれた理性をもって主の十字架と復活を宣べ伝えていきましょう。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉖「お帰り」

「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。」(ヨハネ14・18)

  ここに書かせていただいた聖句は私が受洗へと導かれたみ言(ことば)です。
 なぜ今思い出したのか?私は信仰を新たにしていただいた気持ちです。
 「主われを愛す主は強ければ…」教会学校で子どもたちの賛美が聴こえてきた時、「うそっどうして私の今の気持ちをわかってくださってるの?」
 その時は入院が続き日曜日も治療があるため、しばらく教会の礼拝もお休みしなくてはいけなくて、とてもとてもいたたまれない気持ちがいっぱいのまま教会へ足を運んでいました。
 どんな顔して礼拝へ行こう?必要以上に笑って笑顔でいれば皆さんは心配されないかな?牧師だからなぁ…「主われを愛す主は強ければ…」あっ私神様にそのままを愛されているんだ。
いつも自分で語るときは「あなたは神様にそのままを愛されていますよ」と語れるのに自分自身が語られると戸惑うときがあるんですね。
 あなたが教会に行かれない時があっても、聖書が開けない時があっても、たとえ誰にも心開けない時があったとしても、神様は言われます。「あなたのそのままを愛してます。」

議長室から 大柴譲治

インマヌエル〜清濁併せ呑む信仰のリアリズム

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。/その名はインマヌエルと呼ばれる。」(マタイ1・23)

 世界状況が緊迫し混沌としているためでしょう、マタイ福音書の「インマヌエル」が強く私に迫ってきます。それはイエスの誕生予告にイザヤの預言の引用として出てくる言葉です(イザヤ7・14、8・8、8・10)。しかしマタイはその語を聖書全体の核心として捉え、それがイエスにおいて成就したことを宣言するのです。そして福音書は復活の主による弟子派遣の言葉で終わります。「私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じたことをすべて守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(28・18b〜20)。マタイ福音書はインマヌエルに始まりインマヌエルに終わるのです。
 この言葉は旧新約聖書全体の基調音です。「イエス・キリスト」という表現自体「イエスは私の救い主」という信仰告白です。井上洋治神父は「アッバ」(マルコ14・36)という1語の中にすべてを捉えました。マタイに従えば私たちの信仰告白はただ「インマヌエル、アーメン!」の一言だけでよいのです。

 その視点からマタイ福音書を読み直してみると、彼の伝える信仰のリアリズムが透けて見えてきます。たとえば東からの博士たち。ヘロデ訪問の場面では人間の闇がリアルに描かれます。マタイは王と全住民の持つ闇を「不安」として描くのです(2・3)。彼らは等しく「ユダヤ人の王」により自らが脅かされることを心底恐れました。その最たるものがヘロデによる嬰児虐殺です(2・16)。なんと人間の闇は深くおぞましいことか。暗澹たる思いにさせられます。しかしまさにその闇のどん底でマタイは記すのです。救い主の誕生を告げる星の光が確かに闇の中で輝いていることを。「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子がいる場所の上に止まった。博士たちはその星を見て喜びに溢れた」(2・9〜10)。マタイが記すインマヌエルのリアリティはこれなのです。その光が見る者を喜びに満たす。どのような闇もその喜びを消し去ることはできません。

 次もマタイだけが記す言葉です。「施しをするときは、右の手のしていることを左の手に知らせてはならない」(6・3)。「だから、あなたがたは蛇のように賢く、鳩のように無垢でありなさい」(10・16)。面白いですね。日本語の「清濁併せ呑む」を想起します。しぶとくしなやかに賢い、バランスある信仰をここで主は勧めているように思えます。私たちもそのような信仰のリアリズムに立ち続けたいのです。COVID-19パンデミックという現実においても、ロシアによるウクライナ侵攻という現実においても、大地震という現実においても。闇に希望の光は確かに輝いています。すべての人にインマヌエル、アーメン!
(聖句引用はすべて『聖書協会協同訳』による。)

「教会讃美歌 増補」 解説

㉓創作賛美歌解説3 「田坂さんのこと」
讃美歌委員会
北川逸英
(日本ルーテル教団
池上ルーテル教会・
杉並聖真ルーテル教会牧師)

増補25番「きょうはうれしいクリスマス」・増補28番「目を覚ましていましょう」・増補30番「いのちの花」

 この3曲の賛美歌は、NRK(日本ルーテル教団)鵠沼ルーテル教会信徒・田坂仁さんの作詞です。田坂さんは強くこの増補版の出版を待ち望んでいました。パイロット版である『教会讃美歌増補試用版宗教改革500年記念』の製作では、ボランティアとして校正作業をお手伝いくださいました。けれど残念なことに、分冊Ⅰの完成出版を見ることなく2021年1月、天に召されました。今回はこれまで共に祈り、共に歩いた北川が、田坂さんを紹介して、作品に込められた祈りに、共に思いを寄せたいと思います。
 田坂氏は1936年に東京都豊島区に生まれました。野球に打ち込むスポーツマンで、青少年教育に深い志を持って、中央大学・明治学院大学に学びます。その在学中からアメリカンスクールの臨時職員となって、宣教師との交流から信仰が芽生えました。ラジオ東京から流れていたルーテルアワーで熱心に学び、NRK東京ルーテルセンター教会で受洗します。そして成美学園(現 横浜英和)中学高等学校で、英語科教諭を長く勤めました。いつも教育に情熱を燃やして、定年後も神奈川県の学校で英語指導を続け、さらにアルゼンチンで4年間、またボリビアにも2年間赴任して、日本語と日本文化の教育に力を尽くしました。帰国後は精力的に教会活動と教育活動に邁進し、NRKの内に留まることなく、ルーテル学院大学・神学校後援会でも、大切な働きを最後まで続けました。
 NRKの青少年育成プログラムにも必ず足を運んで、子どもたちや青年たちと全く変わらない、元気な活動をされました。数年前に鵠沼教会で開かれたジュニア・ユースキャンプでも、フォークダンスを皆と一緒に楽しく踊っていました。また新年の高尾山ハイクにも参加され、ケーブルカーを使わず、青年たちと共に、自然研究路を楽しそうに最後まで歩き続けました。
 思い返せば田坂さんはいつも楽しそうでした。そしていつも誰かに熱心に話しかけていました。また田坂さんはいくつも童話を作り、本を出していました。最近の著作は2019年に上梓された『星がかがやくように』です。この短い物語は「美花園」という街角の花屋に並ぶ色とりどりのきれいな花たちが「花たちの歌」を歌っている場面からはじまります。花たちはさまざまな事を語り合い、そこにミツバチが来て詩を朗読し、感想を語り合い最後はまた花たちが歌って物語が閉じます。これにより田坂さんが、歌うこと、話し合うこと、詩をよむことを、生きる糧としていることがよくわかります。「『花開き草木も育てのびやかに愛と平和へ思いを込めて』田坂仁」これが巻末の言葉です。本当に田坂さんは、信仰に立つ、魂の教育者でした。

世界の教会の声

浅野直樹Sr(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

「ウクライナと ロシアのルーテル教会 監督が共に祈る」

 3月18日、ベルリン大聖堂でエキュメニカル平和祈祷会が開かれ、そこにウクライナとロシアのルーテル教会の監督(ビショップ)が出席しました。それぞれの教会代表の監督が祈祷会の席で述べた言葉を紹介します。

ロシア福音ルーテル教会のディートリッヒ・ブラウア大監督
「今年のレント(四旬節)はとんでもなく恐ろしく、辛い試練の時となりました。眼前に広がる悪に対して、無力にただ立ち尽くすだけという経験に打ちのめされています。2月24日、私たちは闇と恐怖に埋め尽くされた現実に目を覚ましたのです。」
「戦争と涙と死。それしか見あたりません。泣きじゃくる子どもたち、逃げ惑う市民、破壊された家々と死体が辺り一面に広がっています。私たちだけでは到底立ち向かえない力に対して言葉もありません。けれども一人ではありません。お互いがあります。私たちは共に祈り、平和を求め、真実を証しし、他者の目を開いていくことができるのです。」

ウクライナのドイツ・ルーテル福音教会のパブロ・シュバルツ監督
「神は私たちから遠ざかることはありません。また無関心でもいられない方です。戦争の犠牲者たちと今苦しんでいる人々と、ここで共にいてくださるのです。神は戦争という地獄にあっても共にいて涙を流し、死の谷を共に歩いてくださいます。」
「キリストはここ、私たちのただ中で十字架にかかっておられます。そして死が最後の言葉ではないと何度も確約してくださっています。恐怖が私たちを黙らせることは永久にありません。いのちが悪の力に勝利することをキリストは約束してくださっています。そして解放と主の平和という水際へ私たちを導いてくださいます。」

 シュバルツ監督のオフィスはウクライナ東部の町ハリコフにあります。ハリコフはロシア軍の大規模爆撃によって多くの被害を受けた町。シュバルツ監督は、戦争終結に向けて尽力する人々、そしてウクライナ市民を支援するすべての人々に感謝を述べ、両手を広げて彼らを歓迎し次のように述べました。

「犠牲者の声に耳を傾け、誰が加害者なのかを明らかにしていく公平な平和へと私たちは召されています。真の和解は、そうすることによってのみ実現できます。私たちは希望を神に託しています。そして私たちが平和を作り出し、ついには和解をもらたす者となれますようにと祈っています。言葉だけでなく行いが伴うクリスチャンにしてくださいと祈っています。」

イレネウス・ルカスLWFヨーロッパ局長のコメント。
「ロシアとウクライナ両ルーテル教会の監督が、公正な平和を求めて共に祈る祈りは力強く、勇気ある証です。罪のない人々が殺され、数百万人が安住の地を求めて家を離れねばならないという困難なとき、こうした祈りがますます必要なのです。」
※この平和祈祷会の詳細については以下のサイトをご参考ください。

※ウクライナの平和を求める灰の水曜日の祈りについては下記サイトで紹介されています。
https://www.lutheranworld.org/news/ukraine-lutheran-bishops-ukraine-and-russia-join-prayer-peace

エキュメニカルな交わりから

 

②NCCジェンダー正義に関するポリシー策定のためのワーキンググループ
藤原佐和子 (鶴ヶ谷教会・NCC書記)

 

 日本キリスト教協議会(NCC)に2021年8月、「ジェンダー正義に関するポリシー策定のためのワーキンググループ」(以下、WG)が新設されました。メンバーは、日本福音ルーテル都南教会信徒の安田真由子さんと筆者を含む10名です。このWGは、「この危機の時代にこそ後退することなく、ジェンダーやセクシュアリティにおける正義、そして真実のパートナー性と多様性を問い直し、それを与えられた恵みの豊かさを感謝し具現していく道へと踏み出さなければなりません」というNCC第41回総会期活動方針に基づき、ACTアライアンス(以下、ACT)をはじめとする世界の教会・団体とのエキュメニカルな連帯に根差して活動しています。ACTは2010年に、ルーテル世界連盟(LWF)や世界教会協議会(WCC)を中心に発足したもので、これまでは人道支援で知られ、日本ではNCCとCWS Japanがメンバーになっています。ACTは、2013年のLWFに続き、2017年に「ジェンダー正義に関するポリシー(基本方針)」を採択したことでも注目され、現在、世界中のメンバーに「2026年までにポリシーを作り、実践しましょう」と呼びかけています。WGでは、既にジェンダー正義に取り組んでいる教会・団体に学びながら、この呼びかけに応えたいと考えています。
 最近のミーティングでは、スウェーデン教会の2010年代以降の文書を分析しました。スウェーデン教会は世界で3番目に大きなルター派(ルーテル教会)で、毎年秋に行われる教会会議では16歳以上のすべての信徒に選挙権が与えられるなど、民主的な教会運営で知られています。スウェーデン教会では1960年から女性牧師が誕生しており、1993年には女性の按手を拒否する権利が廃止され、「性別に基づく差別に反対します」という誓約書にサインしなければ、牧師となることはできません。現在、すべての牧師に占める女性の割合は、わずかに男性を上回っていますが、指導的地位は男性に占められたままで、賃金格差も深刻です。それでも、2009年に世界で初めてレズビアン女性の主教(エヴァ・ブルンネ)が誕生している点、同性婚の祝福を賛成多数で可決している点、2011年の国連人権理事会におけるSOGI(性的指向と性自認)に関する初めての決議にいち早く応答し、翌年には、ジェンダー平等とジェンダー正義は、すべての男性、女性、少年、少女にかかわることであって、「女性たちの問題ではない」との見方を明らかにしている点など、日本福音ルーテル教会から見ても大いに注目すべき教会です。
 スウェーデン教会が、自分たちの立場を明確にしようと心がけてきたのは、そのことが、オープンで率直な対話の場を作り出していくことにつながると信じているからです。このテーマにご関心のある方は、5月21日にオンラインで開催される修学院フォーラム(日本クリスチャン・アカデミー関西セミナーハウス活動センター)にぜひご参加ください。
 次回は、アジア・キリスト教協議会(CCA)の働きについてご紹介します。


https://www.academy-kansai.org/news/2022/03/pg-734.php

外キ協全国協議会報告

小泉基(社会委員長・函館教会牧師)

 「外キ協」とは、「外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会」という長い名前を持つエキュメニカルネットワークです。もともとは1980年代以降に闘われた在日韓国・朝鮮人の指紋押捺拒否運動に刺激されて結成された、「外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会」という団体でした。カトリック教会とプロテスタント教会が全国レベルでひとつの課題に力をあわせ、同時に各地に地方外キ連というローカルボディも有するという希有な団体なのですが、日本福音ルーテル教会は長く教派レベルでこの協議会に参加することはなかったのです。
 当初、在日が負わされた課題から出発した協議会でしたが、在日外国人の多様化に伴い、自ら立案した「外国人住民基本法」の制定運度を取り組みの中心に据えることとし、2012年から名称も変更して新しい「外キ協」として再出発しています。
 外キ協は、毎年1月に全国協議会を開催し、その年の活動を展望します。日本福音ルーテル教会も2020年にこの協議会の構成団体に加わり、現在は社会委員会を通してその活動をともに担うようになりましたので、今年の1月28日、オンラインで開催された全国協議会に、北海道からネット参加しました。昨年は、ウィシュマさんという女性が入管施設内で亡くなられた事件によって、かつてないほど日本の入国管理制度に注目が集まった年で、ルーテル教会の社会委員会も2回のオンラインセミナーを開催しました。全国協議会では、入管法の改悪案を撤回に追い込むこととなった昨年の取り組みがわかちあわれた他、今年度の活動として、韓国教会との国際シンポジウムや、平和構築のための日韓青年フォーラム、外国人住民基本法の制定を求める全国署名、冊子「カラフルな仲間たち4」の発行などが提案され、今年度も多様な取り組みをすすめていくことを確認しあいました。ルーテル教会からも、外キ協のプロクラムや各地の外キ連に参加してくださる方が増えていくようにと願っています。

第56回教職 神学セミナー報告

宮本新(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校専任講師)

 

 2月14〜15日、教職神学セミナー(日本ルーテル神学校主催、JELC協賛)が開催されました。
 主題は「これからの10年—教職論再考」。これまでの経験則ではこの先があやぶまれるとき、枝葉ではなく根幹的なことを再確認したいとき、これまでもこのような単純でいて根源的なテーマが選ばれてきたのだろうと思います。2日間のプログラムでは、3つのセッションを設けて、それぞれの発題者・発表者が、そのような再検討課題を差し出し、共に考える機会を持ちました。詳細について紙面の都合でかないませんが、以下のプログラム要旨からその一端を紹介いたします。(以下、敬称略)

★セッション①シンポジウムⅠ「教職論の現在地~職制・職務・実存の問題として」
〈シンポジスト発題〉「職制と職務を考える」立山忠浩氏、「牧師は宗教家か労働者か」滝田浩之氏、「壊れいく宣教と教職の現実に」石居基夫氏
★セッション②「現代社会における教職論~私の職務レポート」
〈レポート〉「キリストを感じてもらう」吉田達臣氏、「女性教職の働きと可能性」小勝奈保子氏、「牧師の働きについての模索」竹田大地氏、「気がついたらやっていること〜Pastoralskills(I acquired when I noticed)〜」岩切雄太氏
★セッション③シンポジウムⅡ 「これからの10年、教職論の課題と展望」
〈シンポジスト発題〉「選択と集中、その判断基準の柔軟性」李明生氏、「みことばと教会形成」後藤由起氏、「教職の預言者的使命を見直す」江本真理氏

 終わって見ると、オンライン故の残念な点はそれに上回る良い点で満たされていました。特に、全国各地・ルーテル4教団の教職の方々が多数参加してくださったのはオンラインならではのことでした。とりわけ、積極的に参加してくださったJELC九州地域教師会の方々、そして受按5年以内の先生方(現任研修)の参加はありがたくもあり、また今後のセミナーの展望を考える糧をいただきました。感謝。

ルターナイツ通算第13回(オンライン開催)

石原修(市ヶ谷教会)

 2014年に東教区に「信仰を考える会ジュニア」が作られ、教科書で誰でも知っているルターの顔、そして著名なバッハを利用して、宗教改革500年までの3年間、礼拝には呼びづらい友人や同僚にルーテルとのつながりを持てるようにと「ルターナイツ」が企画され、宗教改革500年を終えた後も継続し、12月3日、初回ボリュームゼロから数え13回目が開催されました。
 10回と11回目は東京・恵比寿のJELAホールを借りて開催しましたが、新型コロナにより、前回より完全オンラインで実施しています。司会は市原悠史牧師(横浜教会・横須賀教会)と谷口健太郎さん(市ヶ谷教会)。今回のトークは、一昨年よりコロナ禍で渡米し、アメリカミネソタ州アボットノースウェスタン病院のチャプレン(病院聖職者)として、コロナ病棟や精神科病棟で人々の魂に寄り添い、昨年9月に帰国した関野和寛牧師に、「コロナ室に入り続けた1年間」と題してお願いし、市原牧師によるインタビューやオンラインでの質疑応答を行いました。
 方波見愛さん・角本茜さんによるピアノ連弾デュオ「La Fontaine」は、「かみのみこはこよいしも」と「まきびとひつじを」を、連続出演記録更新中のユースグループ「The Beagles」は、「ハクナ ワカィタ サ イェス」と「まぶねのなかでしずか」を、予め収録した動画にてお届けしました。市原牧師は、前回同様、リアルでギターの弾き語りを披露しました。今回は、JELAによるカンボジアの子ども達への支援活動のための募金を呼び掛け、職員の下川正人さんより説明がありました(写真)。最後は、恒例となった「君は愛されるために生まれた」を皆で歌い、終了しました。ライブと同じような交流の場を設けるため、前後に15分程度Zoomを開放しました。
 徳善義和先生からルターナイツのために頂いたバッハの言葉「祈りをもってする音楽においては常に神がおられる、恵みの現臨をもって。」(徳善先生訳)を胸に、これからも続けていきます。

第28回春の全国ティーンズキャンプ(オンライン)報告

森田哲史(大江教会牧師)

  3月27日、第28回春の全国ティーンズキャンプ(通称・春キャン)が、オンラインにて行われました。今年は「自分の限界を超える」(主題聖句・ガラテヤの信徒への手紙6章2節)をテーマに、関野和寛牧師の講演を中心としたプログラムを行いました。初めに開会礼拝を行った後、青年スタッフが企画してくださったZoom上で出来るアイスブレイクで参加者間の交流を深めました。講演では関野牧師が、アメリカでのチャプレンの働きから、傷つくことを恐れず、外に飛び出し、人と出会うところに牧師としての喜びがあると分かち合ってくださいました。参加者は2名と少数でしたが、来年こそは直接会いたいね、と期待を膨らませています。

  3〈以下感想〉
「春キャンに参加することが出来てとても嬉しかったです。貴重な体験になりました。ありがとうございました。限界を超えろというテーマは初め私にとって考える機会がなかったため難しいものでしたが、牧師先生の話を伺って考えやすく身近なものに変わっていきました。周りの人に合わせるという事も大切な事ですが、周りの人に流されずに強い意志を持ってこれからの生活を送っていきたいです。来年も春キャンに参加したいと思います!」(中学2年生)。
「私は2回目の参加でした。関野先生のお話にとても心を動かされました。アイスブレイクもたのしかったです!ありがとうございました」(高校1年生)。
「なかなか対面で集まれない状況のなか、オンラインでこうして中高生の子たちがつながる機会があること、参加してくれる子がいることがとても素敵だなあと感じ、心が温まりました。ありがとうございました」(青年スタッフ)

ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校の新年度が始まりました

 2022年度のルーテル学院大学は、総合人間学部66名(編入学を含む)、大学院15名の新入生を迎えました。また日本ルーテル神学校には牧師養成コースに中山隼輔さん(JELC室園教会)の1名、また神学一般コースに2名の新入生を迎えました。4月4日、神学校入学始業礼拝が司式・河田優チャプレン、説教・立山忠浩校長によって行われ、新年度への歩みが始まりました。なお新型コロナウイルス感染症対策として、2022年度前期の講義は、昨年度に引き続き当面の間オンラインと対面を組み合わせたハイブリッド方式によって行われます。後期の授業形態については、感染状況によってあらためて検討されます。(広報室)

第35回教会音楽祭

  教会音楽祭は、キリスト教の教派を超えて神さまへの賛美をともに捧げようと、1968年から続けられています。日本最大のエキュメニカル(教会一致)活動のひとつです。
 第35回教会音楽祭は2022年10月22日(土)、オンラインで開催されます。
 また、第35回教会音楽祭では、以下の二つの項目で公募が行われます。
①オンライン音楽祭(動画)の中で皆で歌う「応答の歌」のメロディー
②コロナ禍での、新たな賛美の取り組み
 応募される方は、左記教会音楽祭インターネットサイトの公募要項をお読みください。


http://cmf.holy.jp

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