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るうてる2006年

るうてる2006年8月号

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第22期の新しい船出 第1回常議員会からのポイント

 全国総会を5月に終えて、初めての常議員会が6月19日から21日まで開かれました。先月号に続いて、より詳細な内容をレポートします。

 通常の報告や審議事項に加え、諸委員の選任、牧師補の身分変更などが審議されました。また今回は、総会を振り返り、総会を通して表された全国の教会の気持ちを汲み取りながら、今期の基本方針が確認されるなど、重要な常議員会でした。
 他には、総会決議された神学生寮建築のため、「神学生寮設置募金委員会」が設置されました。そして、アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)の宣教師派遣方針の変更により、宣教師の任務等について変更が迫られ、協議が続けられています。
総会の振り返り
 総会では、ほとんどの議案が承認されました(6月号3面参照)。しかし、主にP6(教会構造改革)の関連で否決されたものがあります。これは、教会憲法の変更で全代議員の3分の2の賛成がないと承認されないなど、ハードルが高いものも含まれていました。教会再編については、明確にするために期限や義務化の項目を付帯決議で追加提案しましたが、議論の末提案者が取り下げ、当初案がそのまま承認されました。ですから、新教会(教会合同)や教会共同体を形成して、より効果的な宣教にあたるという項目は、否決されていません。「宣教力をアップするため」という目的にかなうように、現場の教会がより主体的に形や期限を決めることができるようになったともいえます。また本教会常議員を教区の複数候補推薦のなかから全国区での投票をするという案なども否決されました。
これを受けての総括
 宣教方策は全国レベルで決定し、それを受けて教区や各個教会で取り組むものと、教区レベルのもの、また各個教会独自のものと、3種類に分類することができます(2004年総会で承認)。今回の反応は、全国で協議し策定し取り組んできたPM21に対して、十分な共通認識や理解が深められていなかったものともいえます。または、トップダウンに見えてしまう方策実現に、教区や各個教会が、より主体的に関わり、自ら検討し選択する姿勢が表明され、その時間が確保されたことになります。
 そして、議長はじめ事務局や本教会常議員会は、トップダウンと取られることの無いように、十分な現場との意見交換と、また審議決定事項の迅速な伝達が欠かせないことを反省と共に確認しました。
今期の重点課題
山之内正俊議長から、これらの総括やこれまでの4年間を踏まえ、後2年間の「第22回総会期の基本方針と重点課題」が発表され、審議と修正追加の後、承認されました(4面)。後日、各個教会へ配布される常議員会議事録をご覧ください。
 これを通して、私たちの教会がより豊かで、宣教にあたれる教会に成長していくことが願われています。

言葉の説明:
PM21=「日本福音ルーテル教会21世紀宣教方策」の愛称(Power Mission21)
 2002年全国総会で承認された10年単位の全国の宣教方策。これまで第1次から第4次まであった8年単位の「総合方策」とは違い、宣教力のアップと時代に適った構造改革など、緊急課題に的を絞って教区・各個教会で取り組むとするもの。7つのプロジェクト(P1-P7)からなる。

■JELCのTV?始まる!■
 各地の宣教の働きやPM21への取り組みを、紙上でお伝えしたり、ビデオやDVDを製作し教会宛にもお送りしていますが、お一人お一人に届くのに限界を感じます。そこで、今回常議員会で承認され、日本福音ルーテル教会のTV番組ともいえるものが始まります。これは、 「jelc.TV」というアドレスで、インターネット上で番組を配信し、パソコンで視聴していただくものです。「JELCテレビ」とお呼びください。
 将来的には、これを通じて、LAOS講座の番組や、信徒説教者養成講座の通信教育も可能になります。ぜひご覧ください。
 視聴方法:インターネットブラウザーで、「http://www.jelc.TV」と入力してエンターキーを押すだけです。また、DVDも実費でお分けしていますので、こちらをご希望の方は、宣教室までご連絡ください。

ルターによる宗教改革の遺産の集大成 ~一致信条書重版、出版~

私たちルーテル教会は、キリスト教会の三つの基本信条(使徒信条、ニケヤ信条、アタナシウス信条)に加えて、宗教改革の諸文書のなかでも信仰告白とした6つの文書(アウグスブルク信仰告白、アウグスブルク信仰告白弁証、シュマルカルデン条項、小教理問答、大教理問答、和協信条)を「一致信条書」として持っています。
 日本においては、1982年に聖文舎から「ルーテル教会信条集(一致信条書)」として刊行されましたが、その後長い間絶版となっていました。
 この度、教文館よりお申し出をいただき、その重版として、最低限の見直しと部分改定をしたうえで「一致信条書(ルーテル教会信条集)」が出版されました。
 教会間のエキュメニカルな運動が盛んになる中で、宗教改革の歴史的研究に重要であるだけでなく、信仰と自分たちのアイデンティティを確認するためにも大変大切なこの信条集が重版されたことは大きな喜びです。その意味では、私たちルーテル教会のために重版されたようなものですので、大部なものではありますが、一人でも多くの方が手にとって読まれることを望んでいます。
A5判上製(函入)1,224頁/定価 25,000円(税抜き)

 

クリスチャンのライフカレンダー

~初陪餐 おめでとう~

 やったね。牧師先生とのお勉強、まだ1年生にもなっていないので、大丈夫かな…と少し心配でした。でも「どう?」と尋ねると「おもしろいよ」との答え。
 いよいよ初陪餐の日。白く短いガウン姿の君は天使のように輝いていたよ。お二人の牧師先生にはさまれてのあの喜び。皆さんの笑顔の真ん中での神様の祝福。主の祈りは、いつの間にかすっかり覚えていたのね。祝会で大きい声で祈れた!突然起こった拍手。牧師先生が後でおっしゃった。「主の祈りに拍手は初めてです」と。
 君が一年生になっても、もっと大きくなっても、神さまはいつも君を見つめていて下さる。嬉しい時も、悲しい時も、苦しい時も。私もこの地上にいる限り、いいえ、いつの日か天に召されても、君を見守っているよ。妹のEちゃんが、お兄ちゃんの口の動きを見ていて覚えたのか、主の祈りのことばを口ずさんでいたの。今度Eちゃんの初陪餐の時、きっと、全部云えるでしょうね。お兄ちゃん一緒に祈ろうね。

インフォメーション

最新版教会手帳住所録できました

 2006年6月21日現在の最新版住所録です。お求めになったルートで新しいものを受け取ってください。個別に教会手帳を購入された方は東京聖文舎へ、お問い合わせ下さい。

皆さんの声を聞かせてください

 教会手帳編集委員会では2007年版教会手帳の準備を始めています。日頃お使いになられている皆様のご意見をお寄せ下さい。
 ①教会手帳の気に入っている点②使いにくい点③その他ご意見、をご記入の上、メイルにてお送り下さい。
 メイルアドレスは【techo@jelc.or.jp】です。
 メイル以外でのご意見、もっと詳しいアンケートは各教会に配布しています。
 締め切りは【8月20日】です。よろしくおねがいいたします。

牧師の声「私の愛唱聖句」

九州教区 箱崎教会・聖ペテロ教会 牧師 和田 憲明
なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです(コリントの信徒への手紙二 12章9~10節)

あなたの愛唱聖句はと聞かれると、すぐに好みのみ言葉が頭に浮かんでしまいますが、「気になる」み言葉と表現したほうが、私にはしっくりとくるような気がします。というのも、み言葉は人の好き嫌いによって計れるものではないと思うからです。聖書の中には厳しく、耳を塞いでしまいたくなるものも少なくありません。
私は高校生のときに初めて友人に誘われ、教会を訪れましたが、その時出合った「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ」(コヘレト12章1節)は、どうしても素直に飲み込めず、胸につかえました。正直、若い時に出会わなければ、もっと楽に生きられるような気がしたのです。そのまま放っておかれれば、神さまから離れてしまったでしょう。けれども不思議なことに聖書は、一つのみ言葉をきっかけに、次の「気になる」み言葉をつなぎ合わせ、私に迫ってきました。今も私の心をとらえて離さないのは、コリントの信徒への手紙二12章9~10節の使徒パウロの言葉です。この書簡の10~13章は一つの手紙であったといわれますが、私にはパウロ神学の実存的中心と読めるのです。たしかに彼の心の乱れがしるされ、神学者が指摘するように感情が突出していることは否めませんが、キリスト者としての苦悩の現実が如実に現れています。
 「わたしは弱いときにこそ強い」この主張は言葉において逆説という側面がありますが、信仰的リアリティーにおいては違います。彼は人間の弱さの中に、神の恵みが現れることを証しし、自らの確信のゆえに誇りとします。
牧会者としての生活を送り、それほど長い年月は経っておりませんが、教会を通して出会う人々の信仰に触れるとき、このみ言葉を思い出します。日々悩みの中で解決の糸口が見出せない、肉体的・精神的な痛みに耐えている、あるいは病床の床に伏しておられる方々もおられますが、苦悩の只中にある時は感情的になられたとしても、祈りの中で与えられた時を過ごしておられます。パウロも何度も自分の肉体のとげを取り去ってもらおうと主に祈りました。「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』」(9節)との言葉が返ってきます。翻って彼は「キリストの力がわたしの内に宿るように」(同節)生きるのです。
人は時間の経過と共に生老病死を迎えますが、しかし人間的に弱くされるときに神さまの力が強くなるのであれば、それだけで十分生きてゆける「キリストのために満足しています」(10節)のです。このようなみ言葉も、それに呼応するような形で現れる一人びとりのキリスト者の証しもまた、相まって網のように私をとらえます。

信徒の声「教会の宝石を探して」

東教区 諏訪教会 信徒  宮澤 あい
古着を送る仕事は、諏訪教会の目玉事業ですが、いつもあいさんに任せっきりですね
 いいえ、皆さん本当に力を貸してくださっています。古着を提供してくださることはもちろんのこと、繕い物をしたり、郵送したり、送料を献金したりと、私一人の力ではとてもできません。
でも毎年、50箱以上とは大変な数ですよね
 できる限り多くの方に喜んでもらいたいと思っているうちに、こんな数になりました。これは私の喜びですが、そのかわり家の中はいつもダンボール箱でいっぱいです(笑)。
そもそも古着を送り始めたいきさつは
もう20年位前からです。当時牧師だった塩原先生がブラジルに行くことになり、ぜひ中古の衣類を送ってほしいと言われたことが始まりです。
 その時は古着だけでなく、石鹸や雑貨なども信徒の方にお願いして送っていました。その後、塩原先生は帰国されましたが、家にはまだ古着がたくさんあって……。それで「わかちあいプロジェクト」に送り先を変更しました。
それらの古着はどこに送られるているのでしょうか
 インドネシアやバングラディシュ、タンザニア、ソマリアと様々な国に行っています。どこの国の方が着てくださっているのかはわかりませんが、テレビで裸足の子どもやボロボロの服を着ている人を見ると、満たされている私たちが何かしたいと心から思います。
 国内でもね、大阪の「喜望の家」と「かにた婦人の村」に、毛布もあわせて送っているんですよ。
あいさんは、私たちの教会では一番古い信徒さんです。お子さんもお孫さんもみんなクリスチャンですね
 私は、昭和23年頃に洗礼を受けました。その後主人も、また妹の家族もみんなクリスチャンになってくれて本当に幸せです。みんな健康で、私たちは満たされて感謝しています。困っている方がいれば、少しでもお役に立ちたいと思って続けてきただけなんですよ。
集められた古着や毛布は、あいさんが全部お洗濯をして、繕って、すぐに着られるようにして送っているんですよね
 送られる人の身になってと考えています。50箱も送ると送料も大変ですが、皆さんの献金や奉仕でどうにか続けられました。これからもできる限りお役に立ちたいと思っています。
几帳面できれい好きなあいさんらしいですね。

求道者の旅 第17回 罪とは何か?

 聖書には「自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にはありません」(ヨハネの手紙一 1章8節)とあります。
 前回、私達は人間の性質について考えました。それは、動物と霊的な要素との逆説的に混じり合っている事を見出しました。今回は更に人間の「罪人」としての伝統的定義を見て参りましょう。「罪人」が神学的ではなく具体的にどのような意味を持つのでしょうか。

罪とはナルシシズム(自己愛)
 イエス様の譬えに(マタイ25章14~30節)、僕にお金を委託し、怠け者の悪い僕はお金を隠してしまう話があります。彼は預かったお金を自分自身のために取って置き、しまい込んでしまいました。忠実な良い僕とは世界の中で他者と共に働く事に関わって行く人です。彼らは預かったお金を有用なものを産み出すものへ投資しました。
 罪とは、全く自分自身や自己の利益に巻き込まれている事であり、他人へ働きかけ、創造性、生産性である事に失敗しています。別の言葉で言うなら、罪とはナルシシズム(自己愛)です。すなわち人生がそれ自身のために転嫁しているのです。
禁断の果実
 創世記のエデンの園は、真に偉大な神話です。神話とは深淵なる真実を表すために、ある意味で事実に基づかない物語です。それは人間の振る舞いを多面的に照らし出しています。アダムとエバは、エデンの園の多くの良い果実を食べる事を許されていました。それは、私達が人生において、多くの満たしと美しい物を持つ事が許されている事と同じです。しかし、一つの果実は禁止されていました。それを食べればさまざまな欲望が引き起こされ、罪と恥をもたらすからです。それによって、彼らは完全な園から悲惨へと追放されることになったのです。
 私にとって禁断の果実とは何でしょうか。人それぞれでその中身は異なっているでしょうが、私達の一人ひとりに禁断の果実があるのです。そしてそれを食べると私達は悲惨へと投げ落とされてしまうのです。
肉の欲望について
 肉の誘惑より更に害のある誘惑があります。肉の誘惑は少なくとも人を希望につなぎます。誰かを捜し求め、関係を結び、人を楽しませます。別の誘惑は私達を、絶望、無関心、あるいは憎悪へと駆り立てます。これらの事は他者と関係を結ぶ事よりも、たとえそれがゆがんだものであったとしても、なお悪いものではないでしょうか。
心を曇らせるものが罪
 創造的働きをするために主として必要な事は澄んだ心を持つ事です。健康的で、澄んだ心は、正しい視点を保ち、神の導きに鋭敏で、人生において御心を実現すべく従う事ができます。
 罪とは、私の精神状態を混乱させ濁らせ、その結果何が最も重要であるかという事に対しての眺望を見失う事に他なりません。罪とは、建設的に働いたり、他者に仕える事を妨げるものです。罪とは、神への意識を曇らせるものの事です。
(翻訳:上村敏文)

聖研「詩編を味わう」

6.牧会はアナログのわざ 

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない/主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い/魂を生き返らせてくださる。
詩編23編1~2節

羊飼いと羊の関係
 羊飼いである主はわたしに青草を豊かに与え、命の水に導かれます。穏やかでなに不自由ない営みが繰り広げられているかのような光景です。まことにのどかな牧歌的な風景が目に浮かぶようであります。
 しかしながら、ここに歌われた光景は、生きていることが平穏無事に守られている以上に、人は平安に生きるための命を、どのように養われているかの確認の歌でもあることに気付きます。生きる命を養ってくださるのは、羊飼いであるお方です。現実の羊飼いがどれほど過酷な職業であるかはヤコブの姿によく表れるところです(創世記31章38節以下)。最初のクリスマスの夜、救い主降誕の使信を聞いた、羊飼いたちが「野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」(ルカ2章8節)とあるのも彼らの厳しい生活ぶりを思い起させるに十分です。こうした羊飼いのわざは、やがて神とイスラエルの民の関係にまで及ぶようになりました(詩編100章3節)。こうした表現は旧約の随所に見られることは、よくご存知のはずです。
 キリストもまた言われました。「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネ10章11節)。激しくも厳しい働きの中に身を置くのが羊飼いであり、ついには群れの中の一頭のために命を捨てるのが羊飼いであるなら、羊である、わたしたちが生きるためにどれほどの代償が払われているかを、あらためて見つめ直してよいのではないでしょうか。
 また主は言われました。「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」(ヨハネ10章14節)と。羊飼いは羊を「わたし」の羊として知っており、羊もまた「わたし」の羊飼いを知っているのです。互いに「わたしの」と言い合う関係が羊飼いと羊の間にあるのです。
わたしの羊飼い、わたしの羊 
 この関係は、伝道と並んで牧会という名で教会の働きに取り入れられてきました。羊飼いが羊を知り、羊もまた羊飼いを知る、しかも両者の関係には命が懸かっている、牧会とはその意味では、個々の世界を絶えず視野に置くことから始まって、ついには命を懸けるほどの関係があるということです。それは信頼と助け合いを必要とする関係の中ではもっとも望ましい関わりのかたちと言えましょう。これほどの関係は日常の人の営みのなかでは、ほとんど身近に経験することはありません。もし身近なところに、そのような人との関わりがあれば、どれほど心強いことでしょうか。現代社会は個人よりも全体の生産性や効率性に重点を置いてきました。ですから聖書がいう「牧会」の関係は手間隙がかかるのであり、煩わしいことであり、時には無駄なことと評価してきました。まことに教会でこそ可能な関係のありようなのです。
アナログの世界
 しかしながら、現代社会が見失っている、あるいは煩わしいとさえ思う「牧会」的ありように、わたしたちは飢えていることに注目しなければなりません。その意味では、教会は社会と同じように効率性や生産性を基準に事を構えてはいけないのです。煩わしいことや、面倒臭いことや、時には無駄と見えることも価値の中に数えて、「牧会」の働きに活かすべきです。いわば、この社会が効率性と生産性を追求して、あまりにもデジタル化した中で、スローなアナログ的な働きがもつ貴重な価値を取り戻すことでもあります。
 ルターにせよ、カルヴァンにせよ、宗教改革の指導者たちは多くの牧会的な個人宛の書簡を残していますが、個人の事情を忖度して書かれているにもかかわらず、誰が読んでも自分に宛てて書かれたかのような印象を受けるのに驚かざるを得ません。手間隙かけた、ひとりの人への配慮は結果として、すべての人への配慮となっていることに気付きます。「牧会」とは、ひとりを相手にして全体の群れを失うのでなく、ひとりヘの配慮が結果として群れ全体を養うこととなっていることを、彼らの書簡はよく教えるものです。筆者も彼らの書簡を読みつつ、アナログ的牧会の世界を回復したいとの願いから、パソコンに代わって万年筆とインクを新調したい思いに駆られております。

パレスチナ平和交流

~平和を祈り、実現していくものに~

総会で「『日本国憲法』の前文及び第9条の改定に反対する声明」がなされましたが、宣教と平和実現のために、私たちの教会は海外宣教支援、ボランティア派遣にも取り組んでいます。
今回は、パレスチナ平和交流団の準備訪問と、インドワークキャンプ募集の報告をいたします。
パレスチナ平和交流 
11月に向けて先遣隊訪問
きっかけ 昨年8月にパレスチナのルーテル・クリスマス教会のミトリ・ラヘブ牧師をお呼びしました。東京・京都・広島での講演会や平和祈念礼拝でメッセージをし、全国にも平和主日の祈祷文などをお届けし、各種メディアにも取り上げられました。同じアジアのルーテル教会として感謝され、被爆国でもある日本のルーテル教会から議長やボランティアの訪問団を迎えたいとの強い要望を受けて、準備が始まったものです。
今回の訪問 常議員会の承認を受け、電子メイルで調整を重ねました。今回の目的は、11月の訪問団の準備のため、現地視察と学び、宿泊施設や行程の確定、平和交流のプログラム模索と確定、LWF施設の訪問、「聖地ツアー」の日程作成などでした。
スイスでの乗継で入念な荷物検査と質問を受け厳しい情勢を感じました。深夜入国し、迎えの車で検問を通り夜の街を走りました。ベツレヘムに入る際、高い分離壁の門を緊張しながら通りました。夜が明け、出張帰りのラヘブ師と再会、暖かい歓迎にようやく心がほぐれました。
クリスマス教会とベツレヘム国際センター(ICB)や、街、教会立学校などを案内され、地域のためにいろいろなプログラムを実施している働きに感銘を受けました。一緒に歩くと、通りでたくさんの声をかけられます。昔からこの地のパレスチナ人は、クリスチャンもイスラム教徒も関係なく一緒に仲良く暮らしているのです。ICBで「ガラスの天使」を製作している方にもインタビューしました。「聖地ツアー」企画のために、ベツレヘムの聖誕教会、エルサレムとガリラヤ地方も巡りました。日曜日は渡辺副議長が説教をし、米国教会の牧師と、立野牧師が平和の祈りをささげました。アラビア語、英語、ドイツ語、日本語が使われ、一週間早いペンテコステのようでした。ICBとエルサレムのLWF運営のアウグスタ・ビクトリア病院に連帯献金から献金をささげました。
考えさせられること 数年前に「普通の聖地ツアー」に参加しましたが、そのときはイスラエル側のガイドやホテルでしたから、今回はまったく逆の立場で「抑圧され、不公正な扱いをされるパレスチナ人」の側から直接見聞きし、たくさんの事を学びました。宗教と民族と政治が複雑に絡み、どちら側に立つかで見方が全く変わる難しい問題でもあります。しかし、キリストがお生まれになった街のルーテル教会で親しい牧師と教会員が、政治的にも経済的にも抑圧され、平和を求めて生きているのです。車で15分ほどのエルサレムにも自由に行けない分離壁と検問所に囲まれ、収容所のような生活を子どもの頃から強いられているのです。
もっと身近なアジアや、国内にも残された問題はあるでしょう。しかし「パレスチナに同じアジアの日本から、ルーテル教会の仲間が来て・見て・交流してくれるだけでも、大きな力になる」といわれます。きっと私たちの聖書理解や信仰にも深い養いになります。
11月の企画は次の通りです。ぜひ、ご応募ください。
安全について 先日訪問したときは、南部のガザで紛争が起こっていましたが、私たちの行程はきわめて安全でした。宿や食事も快適です。その後、紛争が拡大し懸念していますが、申込みをお受けして、しかるべきタイミングで安全確認と調整の後、実施か延期かを検討する予定です。

募集要項(現段階)

・目的・平和交流プログラムと聖地ツアー
・日程・11月20日-30日
・人数・15名程度
・費用・27万円(全行程移動、宿泊と食事含む)
・締め切り・9月10日
・問合せ申込先・教会事務局宣教室
・備考・日本文化を紹介する企画のため、華道、茶道、柔道、手芸、日本食、折り紙など、特技を提供してくださる方歓迎します。
教会にポスターと資料をお届けします。インターネットに詳しい報告と動向を逐次掲載しています。
https://jelc.or.jp/rentai

JELA-JELC共同プログラム

インド・ワークキャンプIWC2007募集要項

 第3回インド・ワークキャンプの参加者を募集いたします。
 これまでの参加者は、霊的に成長する素晴らしい経験をしてきています。あなたもインドの小さな村で、キリストの手足となる体験をしてみませんか。
対象:18歳以上
日程:2007年2月18日(日)~26日(月)9日間
問合せ・申込み:
JELA(日本福音ルーテル社団)
森川 Tel:03-3447-1521

基本方針と重点、話題

 福音のもつ力を充分に発揮させ、一人でも多くの人に福音を届ける
■牧師の向上と養成
1)全国教職研修会の充実
2)教職のレヴュー制度の実施
3)牧師志願者の発掘
4)神学生寮の建設
5)牧師養成制度の再検討
■信徒の育成
1)次世代の育成
2)アクセルプログラムの企画と展開
3)信徒説教者制度の実施
■教会合同と教会共同体形成の促進
総会で教会再編への意欲が削がれた観があるが、教会再編という方向で行くことは承認し、教会共同体という新たな行政単位が承認された。今期は、教会再編を促進することに力を注ぎたい。
■世界宣教への主体的な取り組み
■宣教活動展開のための財政構造の構築
 現在の財政構造は、自給宣言の影響を受け組織の維持を優先。しかし、今日求められているのは、宣教活動展開のための財政運営。基金の整理を含めた、新たな財政構造を構築して行きたい。

議長に一問一答

総会で議長に再選されましたが、今までの4年の取り組みを振り返りお感じになることは?
「日本福音ルーテル教会宣教方策21」の具体化と推進に携わってきましたが、気付かされたことは、私たち日本福音ルーテル教会の信仰の姿勢が、何と内向きでしかないか、ということです。今なすべきことは、私たち一人ひとりの信仰を問い直すことだと思いました。確信や喜びがなければ、伝道することはできません。これまでの伝道不振の原因はそこにあったのではないでしょうか。この確信と喜びを味わい、他の人に伝えずにはおれない、という衝動を起こされることなしに、伝道、伝道と言われても、重荷になるばかりです。
今期2年間の取り組みの基本方針や重点課題を教えて下さい。
 今期は、福音への確信と喜びからくる他の人に伝えずにはおれないという衝動を引き起こすこと、を取り組みの目標としたいと思います。そのような目標から、左に示す5つを今期の最重点課題としたいと思います。教会の成長、それは、教会の自己保身のためではありません。それは、神様が、神様に背を向けたまま生きている人間に与えられる福音を一人でも多くの人に実現することによって起きる、天国の先取りです。この意味の教会成長のために、私たちキリスト者は召されているのです。

ブラジル宣教報告

サンパウロ日系ルーテル教会 宣教師 渡邉進 tahasuto4@nethall.com.br
 6月18日に約4年振りで日本に帰国しました。成田空港に着いてすぐに飲んだ水のおいしさに、逆カルチャーショックを感じました。ただで、しかも旨い水が飲めるのは世界広しと言え、日本だけでしょう。また、治安の良さを大変実感しました。自分の財布を人前で見せたり、普段家の門の鍵を掛けなくてすむという日本の安全性は、ブラジルではとても考えられません。
 日本に着いての最初の仕事は、サンパウロ教会から依頼された、バザーに協力してくれた教会にコーヒーを送ることでした。今年の4月にサンパウロ教会で行われた中古衣類のバザーは大盛況でした。バザーは貧しく弱い教会にとって有力な資金源です。日本の教会への深い感謝をサンパウロ教会の皆さんは持っています。
 7月9日(日)から、大森教会を皮切りに、ブラジル宣教を報告させていただいています。今後、静岡地区、名古屋地区、東教区の教会、そして九州の各教会を巡る予定です。私の後援会の方々が計画してくださり、ありがたく思っています。各教会での奉仕や報告が充実した時になるよう願っています。
 日本の教会の皆様には、サンパウロ教会の働きのためにいつもお祈りご協力下さり心から感謝しています。今後ともブラジル宣教をお支え下さることをお願いします。ブラジル宣教の今までの働きについては、どうぞ「宣教師中間報告」をお読み下さい。今後のことは、ブラジルでは予測できないと言うのが現状です。何事も日本のように計画的には進めることができないのが、ブラジルの良さでもあります。神さまの予想外の導きに期待しながら歩みたいと思っています。

追悼 高倉美和展

情報をお寄せいただきました。故高倉美和先生の個展が熊本の2つの会場で開催されます。
2006年8月14日~19日
上通郵便局 プラザU
開催時間 平日9:00~17:00 土10:00~14:00
2006年8月15日~20日
熊本県立美術館分館
開催時間 平日9:30~18:30 土日9:30~17:00
(入館は各閉館時間の30分前まで)
【お問合せ】 高倉矩子 096-360-7587(TEL/FAX)

公益法人改革法案可決を受けて

 先の通常国会において「公益法人改革法案」が可決されました。これは民法法人(社団法人、財団法人)について、その設立が容易になる代わりに、それまで非課税であったものを原則課税として、その中で特に公益性のある法人のみを課税免除するというものです。そしてその適用は大変厳しい条件のもとに認可され、活動内容も審査されることになります。この法律は5年間の移行期間の後に施行されます。現段階では、宗教法人はその対象になっていませんが、いつ宗教法人が対象になるか予断を許さないところがあります。
 私たち日本福音ルーテル教会の関係では、日本福音ルーテル社団(JELA)が、この対象になります。JELAは宣教師維持という教会内の働きと難民救援などさまざまな公益活動を行っていますので、今後は一般法人となるか、公益法人としての認可を目指すか重要な課題となります。教会としても深く関心をもち、宣教共同体として共に考えて行きたいと思います。
(松岡俊一郎)

宣教フォーラム

 梅雨の中であっても、この日は「晴れ」た。準備委員の熱意が「晴ら」せた。
 7月8日土曜日、東教区宣教フォーラムは開催されました。「神さまから生かされて~内から外へ~」は、キリスト者にあたえられた信仰の喜びを、力まず、自然に生きることが、このテーマでした。ルーテル学院大学トリニティホールにて、谷口恭教先生(大江教会員・元九州学院教師)をお招きして、参加者230名は、これまでの13回の積み重ねの上に、集められた最高の数でした。谷口先生の信仰者の態度・生き方は、参加者全員に勇気をあたえていただく機会となりました。 
(杉本洋一)

「尊厳死―キリスト教会は支持しうるか―」シンポジウム報告

 7月21日(金)、百年記念東京会堂(東京教会)において、日本キリスト教連合会主催のシンポジウムが開催されました(タイトルは標題)。当日前半は、聖公会神学院校長である関正勝先生の基調講演に始まり、江藤直純先生(日本ルーテル神学校校長)の司会のもと、多井一雄先生(武蔵工業大学教授・浜田山キリスト教会会員)、竹内修一先生(上智大学神学部講師)とのシンポジウム、後半は参加者約70名を交えての質疑応答を中心に進められ、私たちキリスト者が尊厳死という重い問題に向き合うためのよい指針が与えられる有意義な会となりました。

訂正

 「ジャワ島中部地震災害支援募金のお願い」の欄で掲載しました、郵便振込みの口座番号に誤りがありました。正しくは【00190-7-71734】です。謹んで訂正とお詫びをさせていただきます。

訃報

宝珠山幸郎牧師(引退教師)が、6月21日(水)早朝、急性心不全のため、召天されました(享年77才)。

平岡ユキエ様(三鷹教会・平岡正幸牧師のご母堂様)が6月22日(木)午前5時45分、召天されました(享年87才)。

 謹んで哀悼の意を表し、お知らせ申し上げます。

住所変更

■藤井 浩
〒259・0124
神奈川県中郡二宮町山西25・4・201
電話番号
0463・73・3173

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