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るうてる2006年

るうてる《福音版》2006年2月号

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バイブルエッセイ「失敗は成長のもと」

主は天を雲で覆い、大地のために雨を備え
山々に草を芽生えさせられる。
獣や、烏のたぐいが求めて鳴けば
食べ物をお与えになる。

主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく
人の足の速さを望まれるのでもない。
主が望まれるのは主を畏れる人
主の慈しみを待ち望む人。
詩編147章8~11節(日本聖書協会・新共同訳)

 羊の原毛。ふわふわの毛から糸を紡いだ。店の人に教えてもらいながら紡ぎ車を回す。車を回す足を踏み続けながら手元の毛の調節をするのがとても難しい。初めての紡ぎ車に戸惑いながら、その間にもどんどん毛にねじりが入り糸は紡がれていく。コトン、コトン。コトン、コトン。糸車に巻かれてゆく糸は、細くなったり、太くなったり、よじれたり、切れたり。不恰好だけれど、なんともかわいらしい。
 しばらく続けているうちに安定し、リズム良く紡げるようになってきた。「こうしたら糸が切れる」「切れたときはこうやって直して、また始められる」そのコツが分かってくると、大胆に紡ぐことができるようになった。
 店の人に「失敗を気にしないで、慣れるまでどんどん紡いでくださいね」と、言われたおかげで、糸が途中で切れたりよじれたりしてうまくできなくても気楽に先に進むことができた。もし初めに「こうすると失敗するから気を付けて」「失敗しないように」と、言われ失敗は成長のもとていたら、緊張してなかなか紡ぐことができなかっただろう。“失敗してもいい”に、勇気づけられた。失敗の仕方が分かると、なんとなく不安が消える。失敗は成長のもとだ。
 シュル、シュル。シュル、シュル。「楽しいなぁ」いつの間にか糸紡ぎのとりこになっていた。

 羊毛からは、スーツを仕立てるための細い糸やセーターを編むための太い糸など様々な太さの糸が作られる。色も、毛の混ぜ合わせや染めによっていろいろ。
 私たちの周りにはたくさん物があるけれど、それらの原料や成り立ち、そういう“基本”を知っていれば、そこに自分なりの工夫や遊びを加えてアレンジすることができる。糸紡ぎのようにシンプルな方法であればあるほどその可能性が広がってゆく。

 ところで、人間の基本って何だろう。
 自分という人間はどういう者かを見つめなおしてみた。“私は命を与えられてこの世に生まれた。大地からの恵みを食して生き長らえている。食べ物ばかりでなく、他にもたくさんの恵みをいただいている。”この基本を忘れないでいたい。高慢になってしまわぬように。
 そして、基本から人生をアレンジしてゆく時には、失敗から多くを学んでじっくりと成長できればいいな。
 私は機械ではない。速さ、上手さ、正確さで判断されることの少なくない世の中で生きていかなければならなくても、先ず、“今日の基本=生きるための恵み”を与えられて存在していることを喜びたい。
 私、生きている―。神さまの恵みによって。MO

堀先生のこころに寄り添って

22.心が元に戻るには

「心の癖」のようなものが
 心の悩みをもって相談に来られる方々の中には、何か突発的な悩みというよりも、その人がいつも陥る「心の癖」のような問題を抱えておられ方が少なくありません。自分の「悩み方」そのものが悩みになってしまっていると言っていいでしょうか。次のAさんのケースもその一つです。
 「私は以前、友人の心を傷つけてしまいました。そのとき深く反省して本人にも謝って許してもらい問題は解決しました。その後は前と変わらない交際を続けており、今も二人の間に特別な問題はありません。ところが、時々ちょっとしたことがきっかけで心が乱れると、問題が解決していないように思えてきて、その気持ちがなかなか普通に元に戻らないのです。昔からこのようなことがよくあるのです」と。Aさんは、この普通でない「悩み方」に悩んで相談に来られたのです。

自分だけでは動かない心が
 Aさんのようでなくても、私たちもちょっとした人の言葉や世の中のたあいもない情報が元でいつまでも気を病むことがあります。よく考えれば「何も、そこまで気にしなくても」、「そんなふうに考えなくても」と言われてもおかしくない「悩み方」をしているような場合があります。
 このような悩みの多くは少し時間がたてば気にならなくなるものですが、いつまでも続くようであれば、特にカウンセラーでなくても誰か親しい友人に話してみるのがいいと思います。これを気軽にやってみることです。人間の心というものは、とても不自由なところがあって何か変な悩み方だということが分かっていても、自分だけではどうにも動かないことがあります。
 そんなとき、ちょっと一言、「そう。気になって大変なんだね。何でもいいから話してくれる?」などと言ってもらうと、一変に気持ちが楽になることがあります。心とは不思議なものです。

心を元に戻してくれる友が
 人は誰でもそのように気軽に悩みを聞いてくれる友人を必要としているのです。そのどうにもならない気持ちを真面目に聞いてくれる友をです。「ラルシュ共同体」の創設者ジャン・バニエは『小さき者からの光』という本の中でこんなことを述べています。
 「自分を信頼してくれる人、自分の話に耳を傾けてくれる人、うまく話せなかったり、あるいは話したくないときでさえも、言葉で表せないところを理解してくれる人、そういう友を私たちは求めているのです」と。
 彼はさらに人生にはそのような友が「少なくとも一人は必要です」と語っていますが、そのような友に悩みを聞いてもらうと、前述の悩み方の癖のようなものからも次第に自由になり心が元に戻る経験をします。そもそも人間というものは自分が自分であるため、また自分のことが分かるためにも他者を必要としているのです。その意味で心を支え合う温かな関係というものは、人間を真人間らしくさせるものと言っていいでしょう。そんな認識から私は近ごろ、事あるごとに「良い心の友を作りましょう」と言っているのです。

堀 肇(ほりはじめ)/鶴瀬恵みキリスト教会牧師・ルーテル学院大学非常勤講師・臨床パストラルカウンセラー(PCCAJ認定)

あいちゃんの聖書人物伝

第11回 カインとアベル

 カインとアベルは、人類最初の兄弟です。ところが、兄カインは、弟アベルを、殺してしまいます。その動機は、妬みでした。<主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった>(創世記4章4~5節)。カインにとってアベルは血を分けた兄弟なのですから、むしろ弟が神様から豊かに祝福されていることを喜んであげるべきでした。しかし、自分とは無関係な存在と見なしてしまいます。

 カインは、殺しの罪で、神様に呪われ、住んでいた地から追放されます。しかし、神様は、<カインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられ>ます(同15節)。こうして人類の歴史は、カインから現在に至るまで続くのです。

 この物語は、私たち人間がその初めから、争い、憎しみ合う存在であることを示します。同時に、その深い罪を耐え忍ばれ、赦して生かしてくださる神様の存在も示します。神様の深い愛が全ての存在に注がれていることを知る時、互いに無関係な存在としてではなくかけがえのない存在として、痛みも喜びも共に分かち合うことができるのです。

たろこままの子育てブログ

「愛するとき①」


コリントの信徒への手紙一13章14節

 まだまだ寒い日が続く中、バレンタインデー商戦だけが熱い今日この頃、皆さんお元気でしょうか?
 これをお読みの方の中にも、チョコの一つ(いや二つ三つ)ご用意なさっている方もいらっしゃるかもしれません。
 その一方で「旦那に買うくらいなら自分に買う!」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんね(私だけですか?)。

 そうなんです。
 概して父親は外で目に見える形で成果を与えられ、バレンタインデーには義理でも会社の女子社員からチョコレートをもらえます。
 でも母親となると、子育ての成果に見合う給料を特別にもらえる訳ではありません。
 ヘタをすると母の日ですら三度のご飯支度から掃除洗濯までこなさなくてはならず、年中誰かに褒めてもらえることも特別ない状態がそれは何年も続くのです……。
 何だか世間でもてはやされている「愛」と、私たち母親がやっていることに大きな隔たりを感じるなぁと思ったときに、この句を読んで「なるほど!」と思わず膝を打ってしまいました。
 実は聖書では、これに続いて、「愛は情け深く、ねたまず、自慢せず・・・」と、ひたすら愛について語られています。
 でも筆頭はこれ、何よりも一番最初に「忍耐強い」ものだ、と断言しているのです。
 私たち母親の行為は、まさしく忍耐強さの極みではないでしょうか。
 何も大げさなことではないのですけれど、日々何よりも子どもの体調を心配し、自分の食べたいものよりも、着たいものよりも子どものものを考えるこの積み重ね——愛は一年でたった一日だけのイベントでは決してないのです。
 忍耐強いからと言って誰もチョコレートを買ってくれる訳ではないけれど、たまには自分で自分に甘いモノでも買って、またお互いボチボチ行くことにしましょうね(笑)。

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