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るうてる2006年

るうてる《福音版》2006年12月号

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バイブルエッセイ 「今日、あなたのために」

なぜなら、「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。
コリント信徒への手紙二 6章2節(日本聖書協会・新共同訳)

「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」
クリスマスの聖誕劇に欠かすことのできない天使のセリフです。
もう2000年以上も前の出来事を、静かに、しかし熱い思いで振り返る。そうさせているのは、「今日」、「あなたがたのために」という言葉にあるのではないでしょうか。

天使が羊飼いたちに、「今日」、「あなたがたのために」と言ったのは、今から2006年ほど前のことです。それは、そこに居合わせた人たちにとって、まさに「今日」、「私たちのために」と聞こえる言葉でした。
 聖書の著者は、どんな思いで、「今日」と書いたのでしょうか。「あの日、このようなことがありました」とは書かずに、神の救いが「今日」「あなたがたのために」届けられたと記した著者の思いは、どこにあったのでしょうか。

 その後、聖書が世界中の人たちの元に届けられ、伝えられていく。この文面を読むたび、世界中の人たちが、その時、その場所、その状況で、「今日」、「あなたがたのために」という文字を受け止めてきました。
 2000年ほど前のパレスチナ地方で……、1000年ほど前のヨーロッパで……、ザビエルらによって初めてキリスト教が伝えられた500年ほど前の日本で……。

 そして今、やはり聖書は、静かに、しかし熱く語りかけます。「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」
 ある教会のクリスマスパーティで、司会者が「クリスマスはだれのための日ですか?」と質問しました。「すべての人のためです」という回答が響く中、ひとりの女性がしっかりとした表情で、「わたしのためです」と答えました。みんなはその答えに感動しました。「すべての人のため」というのが正答なのは分かっているけれど、「わたしのため」と答えたほうがもっと心によく伝わったからです。彼女は、その日、洗礼を受けたばかりでした。

 「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」知らせを受けた羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と言って、時を移さず救い主の眠る馬小屋へ行きました。

 「昨日」でも、「明日」でも、「いつかそのうち」でもありません。「すべての人のため」でも、「世界の平和のため」でもありません。「今日」、「あなた」のために、神さまはそのまなざしを注いでおられます。その出来事を見るために、さあ、教会へ行ってみませんか。

パパレンジャー

心の旅を見つめて  堀 肇

温かな関係を必要とする「人生の秋」

人生の秋に苦悩が
「実りの秋」という言葉を聞きますと、豊かな収穫というようなイメージが浮かんできます。では「人生の秋」はどういうイメージでしょうか。これはその人の社会生活や身体的条件によって幾分異なりますが、ある種の安定感とともに老いや生の有限性を感じさせる雰囲気も持っているように思います。そこに「定年」などという言葉が入ってきますと、向老期を意識させられ、秋の寂しい面を感じさせられるのではないでしょうか。
 ところで、今その向老期を巡る最も深刻な問題は、この時期の自殺率が非常に高いということです。現在、日本の自殺者は年間3万人台が続いていますが、そのうち60歳以上が全体の34%でトップ。次いで50歳代(25%)、40歳代(16%)の順になっています。さらに未遂者が既遂者の5~10倍と推計される実情を考え合わせると、この時代の中高年の苦悩が浮かんできます。何よりもそれが物語る現代日本の荒涼とした精神世界に胸が痛みます。
喪失から孤独へ
 なぜ、このように中高年の人たちの自殺が多いのでしょうか。というより、なぜある人たちにとって、この時期がこんなにも苦しいのでしょうか。その原因や理由は単純ではありませんが、そもそも中年期(40~65歳頃まで)は他の時期と比べて生の条件が著しく異なり、肉体的・精神的な衰えもあって、生きるエネルギーが下降することは確かです。ことに男性は強度のストレス社会の中にあって、うつ病や心身症に罹患しやすいだけでなく、家庭では青年期が長引いている子供たちの問題や親の介護を配偶者と共に負っていかなくてならないというような課題を抱えてる方々が多くなっています。
 しかし、こうした現実が直ちに自殺願望を引き起こすわけではありません。では何が問題なのでしょうか。それはうつ感情を引き起こすような強度のストレスの蓄積による心身の疲労(時には破綻)とそれに伴う悲哀感や喪失感ではないかと思います。加えて、近年ますます希薄になってきた人間関係が人の心を喪失から孤独へと追いやっている深刻な現実があります。
繋がっていてくれる人が
実はこの「孤独感」こそが問題なのです。孤独は失うこと、見捨てられること、関係が破れることによって生ずる感情ですが、その程度が深まりますと、自分の生きる意味や存在価値が失われたような感覚になり、精神的な危機にさらされることにもなります。現代はこのような孤独感が人の心を覆っている時代と言っていいでしょう。孤独を巡る問題は若い人たちも抱えていますが、前述のような様々な問題が重なる中高年にとっては深刻な心の課題なのです。
 では、何がこの孤独を癒してくれるのでしょうか。それは心の深い部分で繋がっていてくれる人の存在です。人間は本来、関係的な存在であって、独りでは自分自身にさえなり得ないのです。人が生存充実感をもって生きるためには温かな人間関係が必要です。パウロは「あなたがたこそ、わたしたちの誉れであり、喜びなのです」(テサロニケの信徒への手紙一 2章20節)と述べていますが、自分の存在を喜んでくれる誰かがいるとき、生きていてもいいと言う気持ちが起こり、孤独を乗り越えていくことができるのではないでしょうか。

堀 肇(ほり はじめ)/鶴瀬恵みキリスト教会牧師・ルーテル学院大学非常勤講師・臨床パストラルカウンセラー(PCCAJ認定)

HeQiアート

Nativity , by He Qi, www.heqiarts.com

羊飼いと天使

天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
ルカによる福音書 2章10~12節

*お詫びと訂正
10月号福音版にてイラストのタイトルに誤りがありました。正しくは「Miriam Prophetess and Sister」です。謹んで訂正してお詫びをさせていただきます。

たろこままの子育てブログ

「時について考える」

何事にも時があり(天の下の出来事にはすべて定められた時がある)
コヘレトの言葉3章1節

 子どもたちは最高のクリスマスプレゼントを、大人たちは宝くじの高額当選を待ち望む季節となりました(笑)。同じ暦、同じ時間を共有していても、お互いの立場によって「時」はこんなに隔たりがありますよね。
 1月からさまざまな時について子育てしている親の立場からあれこれ綴らせてもらいましたが、締めくくりにこの「時」について語ってみたいと思います。
 「何事にも時がある」―今更何を当たり前のことをと言われてしまいそうですが、私たちには本当にいろいろな時があります。皆さんはこの1年、どういう時だったでしょうか。
 出会い、別れ、そこまで大仰でなくとも、小さな奇跡がたくさん詰まった毎日だったかと思います。要領の悪い私は相も変わらずの悪戦苦闘丸出しで、病院と訓練と育児と家事に追いたてられた1年でしたが……(汗)
 聖書では、冒頭の句に続いて具体的な時が並びます。
生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時/殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時/泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時/石を放つ時、石を集める時/抱擁の時、抱擁を遠ざける時/求める時、失う時/保つ時、放つ時/裂く時、繕う時/黙する時、語る時/愛する時、憎む時/戦いの時、平和の時。
 まず生まれるところから始まる人の時は、最後平和の時で締められています。この「平和」という単語、原語(ヘブライ語)によりますと「シャローム」―「完全な円」を指すそうです。
 聡明な皆さんはご周知の通り、この世に完全なものなど何一つ存在しません。でも、それでも、そんな最高なものをあなたにあげたい、ということで、向こうの人は別れ際の挨拶にもこの「平和」なる単語を用いるそうです。
子育てをしていれば日々振り回されて心配事も絶えず、中々平安の気持ちには至らない私たちですけれども、願わくば来年もお互い平和の時を目指して歩んで行きたいですね。
 あなたにもシャローム! 拙い文章と絵でしたが、1年間ご愛読ありがとうございました♪

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