るうてる2006年11月号
PM21推進委員会 「これまで」と「これから」
10月11日から12日にかけて、「PM21推進委員会」が市ヶ谷センターで行われ、その報告をいただきました。
2006年教会総会を終えた私たちは、10年間の方策が丁度半分を終えたことになります。これまでを前期ととらえ、各プロジェクト宣教室で用意した課題表を書いていただき、「これまで」と「これから」を考えるときを持ちました。また、計画されたことが達成されたかどうかを見極める作業をしました。
まず、徳弘宣教室長より半期の総括がありました。新しい宣教方策として出された「パワーミッション21」でした。この5年はPM21の浸透と成果をめざしてきました。新しい動きという明るい見通しもあるが、実際は絶望と行き詰まりをたえず抱えての年月でした。
「これまで」を考えると、目指してきたものはトップダウンの方策ではなかったが、各個教会からはそのように受け止められてきたように思います。各プロジェクトの計画はほぼ達成できています。
その中から見えてきた「これから」は、この方策を「自分のものにする」ということだと思います。「自分で考える。自分で決める。自分で行動する」という方策へと流れが変わっていくことを望んでいるという総括がなされました。
各プロジェクトの報告は3面をご覧ください。
(宣教室補佐 立野泰博)
TNGリーダー会議
10月19日~20日かけて、TNG委員会リーダー会議が開かれました。年に3回開かれるこの会議では、各部門の活動報告に始まり、そこから見えてくる反省や課題、そして希望を共有します。各部門がばらばらにあるのではなく、リーダーが重荷を担い合うことも本会議の目的の一つになっています。また、今回から会計担当者も同席し、お金の動きについても責任ある態度をとるために共有する時間を割きました。宣教室補佐の立野牧師も同席され、TNGの働きが宣教室の働きであることを改めて確認しました。
幼児部門(中島康文牧師)
昨年までに作成したグッズの販促に力を入れると共に、新たな展開も検討しています。メンバーが忙しいことから動きが鈍くなってしまう課題などについて話し合われました。
子ども部門(河田晶子姉)
今夏、リーダーが交代し、動きが生まれつつあります。夏のこどもキャンプは好評をいただき、反省と共に来年への準備も始まっています。教会学校応援グッズの内容の充実を重点課題として取り組みます。また、全国の声に応えるためにアンケートも計画しています。
ティーンズ部門(佐藤和宏牧師)
来年の春キャンの準備が始まっています。テーマも決まり、具体的なスケジュールも立てられました。このほかでは、スケジュール帳の販売が今月中に始まります。メルマガ等、課題も共有されました。
ユース部門(安井宣生牧師)
9月にキャンプ・カフェ・ピースを開催しました。1年かけて取り組んできた「カフェ・ピース」の集大成とも言える集まりになりました。詳しくは本誌4面及び、TNGニューズレターをご覧ください。
九州ルーテル学院 80周年
学校法人九州ルーテル学院は、1926(大正15)年にキリスト教の精神に基づく女子教育を目的として九州女学院(現ルーテル学院)が設立され、今年で80周年を迎えました。
記念礼拝は10月3日、 ルーテル学院中学高等学校礼拝堂にて、柴田千頭男氏(ルーテル学院大学名誉教授)を説教者に迎えて執り行われました。記念式典・祝賀会は翌4日、県立劇場を会場に行われ、記念講演では熊本県知事の潮谷義子氏が「豊かな命をめざして」と語られました。
クリスチャンのライフカレンダー
~青春真っ盛りの君へ~
君は、今アメフトに夢中のようだね。朝から晩まで練習している様子は、青春真っ盛りだ。アスリート、それが君の夢だ。でも、心の隅では日曜日に礼拝に参加できないことが気になっているようだね。その気持ちは私にもわかる。私もテニスに熱中していたから。でも心配しなくてもいい。オフの時には礼拝に君の姿があるから。だから、それでいい。実はね、私が神学校に行こうと考え始めたのは、その頃だった。
大事なことは、生涯教会を離れないことだと思う。今は今できることに熱中してもいい。きっとアメフトが困難に立ち向かう力をつけてくれるはずだ。君は大きなケガで試練も経験したね。君が目指しているアスリートという言葉は、パウロも使っているアスレオーという言葉から来ている。競って勝つという意味だ。でもパウロは弱さを知ることの大切さも語っているんだ。「私は弱いときにこそ強い」。君には、弱さを知る者こそ本当の勝利者なのだと、信仰によって知ってほしい。
インフォメーション
教会手帳2007発売開始!!
ビジネス手帳と教会手帳を兼ね備えた新しい「教会手帳」。
皆さんのご意見を反映させて発売です。2006年11月始まりなので購入したその日から使えます。
詳しくは、折り込みポスターを御覧下さい。
2006年9月改訂版住所録付 定価1100円
牧師の声「私の愛唱聖句」
信仰生活、折々の愛唱聖句
九州教区 熊本教会 荒尾教会 牧師 小嶋 三義
牧師としての生活を長くさせていただき、み言に支えられて今日まできました。信仰生活折々に支えられたみ言をお伝えしたいと思います。
ヨハネの黙示録3章20節は、私が信仰の手前で迷っているとき与えられた聖書のみ言です。高校3年のときでした。キャンプの山小屋で車座になって祈っていました。自分の番。生まれた初めての人前での祈りでした。「天の神様……」と言った途端、頭の中が真っ白になり、宙に浮かんだようになりました。どうしてよいか分からず、泣きたい気持ちになっていたとき、見回りにきた宣教師が山小屋の入り口を叩きました。どんどんと叩く音。私の心の衝撃的に響きました。その時、暗証していた聖句が、イエス様の声として聞こえてきました。「見よ、わたしは戸に立って、たたいている」。イエス様を心にお迎えしよう、それが洗礼の決心となりました。
クリスチャンとして自分の将来を祈っているとき、神様はみ言を通してわたしを招いてくださいました。イザヤ書6章8節です。「そのとき、わたしは主の御声を聞いた。『誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。』わたしは言った。『わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。』」
このイザヤの神様との会話は私自身の会話となりました。神様が示してくださった民とは、聴覚障害者の人々でした。わたしの弟が耳が不自由だったからです。
牧師生活の中で、涙を流すようなこともありました。そのような時に励まされた言葉が、コリント信徒への手紙Ⅰ10章13節の「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」きっと神の備えたもうた道がある。行き詰まったとき、この言葉に支えられ、神の備えたもう道を信じて今日まで来ることができました。
牧師人生も終わりに近くなった今、マタイによる福音書28章20節「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」このみ言葉をより身近に聴き、支えられて日々を過ごしています。
信徒の声「教会の宝石を探して」
西教区 西条教会 信徒 矢内 華子
入信の動機はなんだったんですか? 東京から広島の世羅甲山町に疎開し、当地で日基の牧師をしていた叔父の人となりに惹かれたこと、又当時農村伝道を熱心になされていた賀川豊彦さんにも出会ったことでした。
お母さんの影響も大きかったとのことですが。
私が病気のときに、ふすまの陰で母が祈っている姿は、生涯忘れられません。
私たちが何よりも、一番大切にしていることは、教会生活なんですが。
そうですね。私は、神さまにいつも助けられている、という気持ちをいつも大切にして、その感謝で教会に参りました。亡き主人もクリスチャンで、毎週日曜日は、快く車で送ってくれました。その頃、女医さんで高齢だった木阪ゆくさんは、自ら手押し車で、毎週欠かさず教会に通って来られていて、大変感銘をうけました。
その、ゆくさんは、東広島市より第一号の功労賞を頂いた方です。
西条教会のメンバーには、他教派ご出身の方々が多くおられますね?
そうです。木阪さん、中原ご夫妻、そして私も日基教団ご出身ですし、伊藤さんや、井上さんのように、カトリック出身の方もおられます。実は昭和30年頃だと思いますが、西条に人口が集中する時期があって、多くの方が西条に移り住んできたのです。ところが、西条には自分たちの所属していた教会がなく、自然とルーテル教会に集まるようになりました。
ご自身、信仰生活の中で、人生「山あり谷あり」で、困難なこともおありだったことでしょうね?
それはもう、大変なことがありました。しかし、いつも、神さまに守られている、と感じてきました。「思い煩うなかれ」という、み言葉に励まされて、祈り、祈りは必ず聴かれました。
いつも、聖書のみ言葉を頂いて、その数々のみ言葉が、私を支えてくれました。
これまでの矢内さんのお話を伺いまして、学びましたことは、教会生活と信仰生活と日常生活が、ばらばらではなく、一つに堅く結び合っている、ということでした。
本日は、大変、貴重なお話を、どうも、ありがとうございました。
求道者の旅
20 「信仰と降伏」
悔い改めて福音を信じなさい
(マルコによる福音書1章15節)
前回、クリスチャンの人生は、恵みと信仰の間のダイナミックな動きである事を見ました。救済のテーマに続いて信じるとはどういう意味かについて焦点を当ててみましょう。「信じる事」は知的同意とは同じではありません。
私は神のもの
私自身には完全に神のものというイメージがあります。自分の選択でこの世に存在するわけではないからです。神が存在をもたらしたのです。ある意味で神は私の人生に対して究極の責任を負っているのです。業績や、将来の事を半狂乱で心配する必要はないのです。私をお造りになられた方が心配すべきことなのです。何と安心な事でしょう。神を信じるという事は私をお造りになられた神にただ委ねるという事です。
委ねる
「委ねる」という事は神を信じ頼む事の象徴的表現です。この意味を南カリフォルニアの高速道路で思いがけず発見しました。私が住むロサンゼルス郡は不幸にして犯罪の多い所です。高速道路で何人かの警官が一人の地面に横たわっている男に銃を向けているのを目撃した事があります。追いつめられた最後の場面です。彼は捕まったのです。
後ろ手にされ、地面にうつ伏せになっているこの男のイメージは絶対的な降伏のシンボルとして私の心を打ちました。何を彼は考えているのでしょう。絶望と共にある安堵感があるのではとも思いました。どのように逃亡しようかと心配する必要はもはやないのです。
彼は無条件に降伏しなければならない事は今や確実な事です。彼の人生は自分自身のものではなく、完全に彼を支配する者の手中にあります。霊肉共に自分が他者のものになり、自分の将来が他者の責任の内にある事を知っていたのです。
おそらくこれは常軌を逸した喩えかもしれませんが、委ねる事の一つの経験です。この捕り物のように、神の差し迫った恵みに降伏する時、私達は神のものになるために、疑いや心配から解き放たれるのです。警察の手中にある犯罪者とは異なり、神の愛の腕の中に抱かれて完全に安全で祝福されています。何と安心な事でしょう。何と完全な平和でしょう。
(翻訳:上村敏文)
聖研「詩編を味わう」
8.審きでなく赦しを
彼に対して逆らう者を置き/彼の右には敵対者を立たせてください。詩編109編6節
審きの構図
まことに不思議な詩編であります。キリストとの関係があってはじめて真の理解に至る詩編であるからです。その意味するところを汲み取るには作者がいう「彼」という言葉、そして「彼」に対する「逆らう者」、さらには「敵対者」の意味合いをよく理解する必要があります。
ここでいう「彼」とは、神に逆らう者、欺き、偽りの舌を持ち、理由もなく戦いを挑む者であり、愛しても敵意を返し、祈りを捧げても悪意をもって応える相手です(2~5節)。作者は、その「彼」に「逆らう者」を置き、「敵対者」を右に立ててくださいと祈るのです。そうすることで「彼」を滅ぼすことができると思ったのでしょう。
聖書学者がこの詩編を嘆きと呪いの詩編であると言うのも首肯けます。わたしたちの身に置き換えても、理不尽な仕打ちを受け、善意には敵意をもって報い、祈りには悪意がその返答ならば、「彼」に「逆らう者」や「敵対者」が出て、審きと滅びを願うのも当然です。
しかし考えてみれば、ここでいう「彼」こそ「逆らう者」、「敵対者」そのものではありませんか。その意味では、この詩編は「逆らう者」により強い「逆らう者」を置き、「敵対者」に優って力ある「敵対者」を立て、それによって「彼」なる相手を審こうとしていることになります。これは審きの構図としては自然の成り行きというべきでありましょう。
赦しの構図
しかしながら、キリストの福音に立つ信仰の先達たちは、この構図が赦しの構図に変る術を知っていました。
パウロは、キリストは呪いとなられたと言います。律法に縛られているわたしたちは、律法によって呪われているようなものだ、そのわたしたちのためにキリスト御自身が呪いとなってくださったと言うのです(ガラテヤ3章13)。彼は「木にかけられた者は呪われる」と申命記21章23節を引き、キリストは律法の呪いに対して御自身が呪いとなられたではないかと主張します。キリストは呪いに祝福をもって対抗し、それによって呪いが消え去るとは言わないのです。キリストは呪いに対して呪いとなられることによって、わたしたちは呪いから解放されるのであると主張しているのです。それはキリスト御自身が呪いそのものを引受けられたということに他なりません。
ルターも申しました。キリストは悪魔の悪魔、罪の罪、死の死となられたと。罪と死と悪魔は、強大な力をもってわたしたちを滅びに陥れるものであります。律法によれば審きの対象です。しかしながら、罪を罪たらしめるためにキリストは罪の罪となられました。罪が死んで赦しがわたしたちのものとなるためです。死が死んで永遠の命に甦るためにキリストは死の死となられました。キリストは悪魔の悪魔となられることで、悪魔は自ら悪魔であることを否応なく知らされ、審かれる以外に道はなくなるのです。
キリストによる救い
ルターがいう、罪と死と悪魔は、言い換えれば、詩編の作者が、「彼」と呼ぶ存在に等しいものです。それこそわたしたちに対して「逆らう者」であり「敵対者」にほかなりません。そのことを考えれば、作者が「『彼』に対して逆らう者を置き、彼の右には敵対者を立たせてください」と言うとき、「キリスト御自身が「逆らう者」や「敵対者」となってくださるのでなければならないのです。キリストは強大な力をもって、「彼」なる存在を圧倒し、救いを完成してくださるのはないのです。キリストは「彼」そのものとなって、「彼」を引受けてくださいます。
その時、キリストは、ルターが言うように、全世界の罪を引受けた罪人になってくださったのです。さらに彼は言います。「キリストが罪人であって、呪いであることを否定するなら、キリストが苦しみを受け、十字架につけられ死んだことを否定することになる」と。さらに彼は「こうしてキリストは、罪と死に対する毒であり、自由と義と永遠の命のための薬である」と言うのです。
(かくしゅういち)
*ルターの引用は、徳善義和訳「ガラテヤ書大講解」から
PM21の「これまで」と「これから」
P1:次世代(TNG)への伝道・育成
TNGプログラムの継続、「つながり」+スタッフの育成
↓
出かけていくTNGスタッフ・リーダーの育成
プログラム開発・共有教区⇒各個教会へつながっていく
LAOS講座 公開講座日程
■創刊号「信徒として生きる」/講師:江藤直純 牧師/日時:11月5日(日)/場所:東京教会
■第6号「いなご豆の木-信仰の継承-」/講師:立野泰博 牧師/日時:11月12日(日)/場所:広島教会
■第8号「この世を生きる-キリスト者の生活-」/講師:石居基夫 牧師/日時:11月19日(日)/場所:三鷹教会
■第5号「神の民の歩み-2000年のキリスト教会史-」/講師:鈴木浩 牧師、江藤直純 牧師/日時:12月3日(日)/場所:都南教会
※詳しくは岐阜教会 斉藤末理子さん(P2【信徒部門】委員長)までお問い合わせ下さい。
議長に一問一答
Q.PM21リーダー会議を終えて、今回の会議の目的は何でしたか。
A.宣教方策PM21は、2002年度をスタートとする10年計画の宣教方策です。これまで2回の総会を経て計画の具体化がなされてきましたが、この計画を実行するタイムスケジュールは、今年2006年までの分しか作られていません。そのために、2007年度以降の具体的スケジュール作成のために、これまでの進捗状況を確認し、新たな展開を行うために、どのような視点が必要か、どこに重点をおくべきか等を見定めることが会議の目的でした。
Q.会議で明らかになった課題は何ですか
A.この会議でのキーワードは、「パワーミッションからアワーミッションへ」ということでした。つまり、宣教を力強く推進するためという視点で作られているこの方策が、私たちの方策にならなければならない、ということです。宣教の最前線である各教会が、一人ひとりの信徒が、自分たちの方策として取り組めるように、これを展開していくことがこれからの課題として位置づけられました。
日本福音ルーテル教会を構成するすべての教会が、すべての信徒が、福音の豊かさに与り、その福音のもつ力を余すところなく教会の外に向かって発揮させ、一人でも多くの人と、福音の喜びを分かち合いたいと思います。
全国ディアコニアネットワーク研修会
今年のディアコニア・セミナーは「生命倫理」というテーマを掲げて、六甲山YMCAで行われました。
その呼び掛け文には「3日間のセミナーをとおして、皆さまと共に、神さまから与えられた『いのち』を生きる喜びを分かち合いましょう」と書いてありました。
今回の参加者は24名と少なかったのですが、講師を始め、参加者全員のいのちが輝いたセミナーでした。
ホスピスケアを推進された岡安大仁医師、ホスピス病棟で働いておられる若松笑子看護師のレポートは信仰を問うものでした。
聖書研究は石田順朗牧師によって「奉仕のわざに適した者とされるために」と言う題で、先生のグローバルな経験に基づく、日本文化を踏まえたものでした。「スモールワン」を立ち上げ、運営されている中本秀行・睦美ご夫妻は与えられた役割を果たすためだけに来てくださり、いのちの輝きを見せてくださり、参加者全員のいのちも輝いていました。
(前代表 松隈貞雄)
日本協働会設立20周年
ドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル教会にある、日本を覚え支援し、共に働こうとの趣旨で設立されているアルバイツクライス・ヤーパン(AKJ)が、今年創立(正式発足)20周年を迎えました。
釜が崎活動支援を通して、JELCとのつながりを強め、担ってきた人々の会で、かつて釜が崎「喜望の家」で働かれた(また今でも定期的に来日されている)ボード・ヴァルター氏が代表を務めています。
この記念の節目を迎えるに当たって、単にお祝いと感謝の集いではなく、教会内外への活動のさらなる浸透と今後の発展を期すためにも、教会本部(ヴォルフェンブッテル)ではなく、今、交換牧師が来ているここヘルムシュテットで、記念の行事を行うことになり、この度のこの会の開催となりました。
一日神学校開催
9月23日、恒例の一日神学校がルーテル学院大学・神学校で開催されました。招待された九州教区・福岡地区の方々を含め、550人が集められました。
閉会派遣礼拝では、子どもプログラムの発表と共に江藤神学校長のメッセージが印象的でした。
JELA-JELC共同プログラム インド・ワークキャンプIWC2007募集要項
第3回インド・ワークキャンプの参加者を募集中です。
詳細は次のウェブページに載っています。https://jelc.or.jp/rentai
各教会にも案内と申し込み書をお送りしています。
対象:18歳以上 日程:2007年2月18日(日)~26日(月)9日間
問合せ・申込み:JELA(日本福音ルーテル社団)森川 Tel:03-3447-1521
締め切り 12月10日
第10回全国青年修養会
CAMPカフェピース 2006年9月16日~18日
ブログはこちらから https://jelc.or.jp/youth/
全国の青年の集いをとの声を受け取り、また一昨年来取り組んできた平和への祈りキャンペーンの一環として、9月16~18日に第10回全国青年修養会CAMPカフェピースが開催されました。
山梨県清里の地に集められた青年と教職の31名は、清々しい空気と緑濃い森の中で、「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました」(コリント信徒への手紙Ⅱ5章18節)とのみ言葉と「平和への祈り―ともに―」とのテーマで出会い、学び、考え、語り合い、祈り、動き出すきっかけを与えられる修養会を持ちました。
17日、日曜朝7時からの聖公会聖アンデレ教会をお借りしての主日礼拝では、日本福音ルーテル教会宣教百年信仰宣言より懺悔へと押し出され、江藤直純牧師の説教では、この私たちひとりひとりが和解のための奉仕を主から託されていることを告げられました。
それに続く分科会では、「エコロジー」「音声言語以外の世界―手話を手がかりに―」「ドイツ強制収容所の体験記とその後」「憲法第9条」との4つのカフェが開かれ、それぞれに歴史や現実、そして問題提起などを体験しながら学び、さらにそれぞれに学び得たことから表現することに取り組みました。
個々の祈りを言葉化すること、またホロコーストの証言映画の徹夜上映も行われ、復活の十字架という命の木のもとで食卓を囲む礼拝から、それぞれの地へと遣わされていきました。
詳細はブログをご覧下さい。
訃報
福井茂樹様[本教会常議員(財務局長)、教区常議員を歴任]が、10月12日(木)午前3時、召天されました(享年79歳)。
謹んで哀悼の意を表し、お知らせ申し上げます。
メイルアドレス変更
■中島 康文 ya-nakkazun@nifty.com
アメリカ・グループワークキャンプ 2007年 募集要項
以下の内容で、来年夏の派遣者を十数名募集します。
●派遣期間:7月24日(火)~8月7日(火)
●内容:①ミネソタ州でのホームステイ②アイオワ州Waterloo地区で開催されるワークキャンプへの参加
●条件:春キャンへの参加経験者、または来年の春キャンに参加する意思のある者
■問合せ・申込用紙請求先
日本福音ルーテル社団(JELA)150-0013 渋谷区恵比寿1-20-26 TEL:03-3447-1521/FAX:03-3447-1523 e-mail:jela@jela.or.jp
締め切り:2007年1月31日(水)
2007年 春の全国ティーンズキャンプ スタッフ募集!
春の全国ティーンズキャンプ(春キャン)2007実行委員会は、スタッフを募集しています。
日程:2007年3月27日(火)~29日(木)
会場:千葉市少年自然の家
主題:イエスは良い羊飼い(仮題)
募集:グループリーダー及びジュニアリーダーそれぞれ10名程度。
研修:2007年2月11日~12日(予定)
お問い合わせは、マネージメント担当の佐藤牧師(千葉)まで。kz-sato@jelc.or.jp